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桐生ガスプラザ日記

2012-01-13

お風呂の歴史 2

前回”お風呂の歴史1”はローマ時代を見てきましたが、

2は日本のお風呂の歴史をお勉強?!したいと思います。

年末に”湯らら”に行って、3年以上ぶりに砂塩風呂に

入ってきました。 

仰向けに寝て、砂をかけてもらうと重みと熱さで血管がどくどく

巡るのを感じます。指先のほそーい毛細血管まで地が流れているのも

わかります。 普段冷えている部分が特に熱く感じられるようで、

私は足のかかととおしりが痛いくらいでした。

砂に入っている時間は10〜15分。 あとはリラックスルームで

健康茶をガブガブ飲みながらおいしいお茶菓子もいただき、のんびりと

いい汗をかきまくります。 

月に1回は行ってデトックスしたいところですね〜。

↓湯らら

http://www.kiryu-yurara.com/

前置きが長くなってしまいました。。。


群馬県もそうですが、日本は全国たくさんの温泉があります。

いつからかは定かではありませんが、日本人は温泉や

自然の岩窟を利用した蒸気浴のお風呂などに入っていたようです。

お風呂は6世紀、仏教伝来と同時期に中国から伝わったようです。

仏教では「お風呂に入ることは七病を排除し、七福が得られる」

説かれていたことから、お風呂に入ることは健康によいこと、と

理解されていました。

"浴堂” 寺院につくられる。 庶民も入ることができた

     沐浴ができる施設

”湯屋”  東大寺:1282年に作られた最古の大湯屋

      約1000ℓの大釜でお湯を沸かし、

      ”鉄湯船”と呼ばれる浴槽(2000〜3000ℓ)に

      お湯を出す給湯方式が使われていた

浴槽にお湯を張り、そこに体を漬かるということがいつ始まったのか、は不明。

”お風呂”・・・釜に湯を沸かし、その蒸気を浴槽内に送り込み、

        熱い水蒸気で身体の垢を浮き上がらせて、適当な時間に室外に

        出て笹の葉などで身体を叩いたり、なでたりして垢を落とし、

        近くに用意したぬるま湯や冷水で身体を充分に洗う

”湯”・・・・・現代一般の家風呂や銭湯と同じ

公衆浴場銭湯):江戸時代以降 

          江戸の街を作る出稼ぎの庶民、労働者のニーズに応えるもの

     ■蒸気浴・・・小屋の中に石をたくさん置き、炊いて水を注ぎ湯気を立てる

           すのこを置いて入る

     ■戸棚風呂・・蒸し風呂の底に湯を入れ、下半身を湯に浸し、上半身を

           蒸気で蒸す お風呂と温浴を合わせたような仕組み

 

 裸ではなく、風呂用ふんどし、腹巻等をつけ、混浴であった

「混浴禁止令」

1791年「寛政の改革」老中松平定信

1842年「天保の改革」老中水野忠邦

男女別々の銭湯が登場し、幕末には江戸で600軒も

流行に敏感な江戸っ子達の社交場・娯楽の場

2階では茶菓子を食べながら、囲碁将棋を楽しむ

いろいろな湯文化が生まれた

薬湯専用の湯屋・・・今で言うハーブ風呂

糠袋・・・今の石鹸 番台で売っている 持参した鶯の糞や豆の粉を混ぜる

”湯女(ゆな)”・・浴衣を着た女性が垢すりや背中を流してくれたり

          さらには三味線片手にもてなしてくれたり、その尽くしっぷりが

          人気で当時の吉原遊郭をしのぐ勢いで繁盛していたとか

  →風紀の乱れで幕府から禁止令が出た

”三助さん”・・・身体洗いのプロフェッショナル

         「釜焚き」・「湯加減の調整」・「番台業務」の三役をこなす

浴場内で垢すり、髪すき等のサービスを提供してくれるプロの技は 

         前身サッパリ爽快になると人気沸騰!

現在は世界的に見ても、日本人の入浴頻度は高く、”風呂好き国民”を言われますが、

毎日入浴する週間が全国的になっていくのは、家庭内へガスによる瞬間湯沸かし器や

水道水の普及が進んだ高度成長期以降のこと。

 お風呂の歴史 1

昨年、12月25日の”ガスでハッピーライフ♪”で放送した内容です。

久しぶりに「湯らら」に行って、身体をあたためて、癒されてきたのですが、

スーパー銭湯のような施設は実はむかーしむかしのローマ時代にも

たくさんあったんですよね。

前職(旅行会社)でヨーロッパに行く機会が多くあり、

ローマ時代の遺跡を見てきました。 初めて見た時は、何千年も前の建物が

残っている石の文化に圧倒されました。

イタリア、シシリー島のあるローマ遺跡の大浴場にあった、女性用のスポーツジムの

壁に描かれている、エクササイズを楽しむ女性のモザイクに感動したものです。

そして、話題のマンガ『テルマエ・ロマエ』も愛読しているので、

お風呂の歴史<世界編>を調べてみることにしました。

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テルマエ・ロマエ』 ローマの浴場) ヤマザキマリ

 古代ローマの浴場と現代の日本の風呂をテーマとしたコメディ

 ルシウス:古代ローマの浴場設計技師が日本の温泉や銭湯タイムスリップ

 2012年映画公開  阿部寛上戸彩

 この作品がつくったきっかけ:「ヨーロッパにはお風呂も銭湯もないから、

お湯につかりたくてもつかれない。でも、そこら中に古代ローマ時代の浴場の遺跡がある。

昔はあったのになぜ今ないのか、それがもどかしくて」

テルマエ---古代ローマの公共浴場

遠くの山の水源から都市に水を供給する技術を持っている

ローマだけでも900の公共浴場があった

古代ローマの多くの都市に少なくとも1つの公衆浴場があり、社会生活の中心の1つになっていた。

古代ローマ人にとって入浴は非常に重要だった。

彼らは1日のうち数時間をそこで過ごし、時には一日中いることもあった。

裕福なローマ人が1人か複数人の奴隷を伴ってやってきた。

料金を支払った後、裸になり、熱い床から足を守るためにサンダルだけを履いた。

奴隷は主人のタオルを運び、飲み物を取ってくるなどした。

入浴前には運動をする。例えば、ランニング、

軽いウェイトリフティング、レスリング、水泳などである。

運動後、奴隷が主人の身体にオイルを塗り、

(木製または骨製の)肌かき器で汚れと共にオイルを落とした。

温水浴、熱浴、冷水浴という順番 全部備わっていての浴場

持ち物:ストイジル、オリーブオイル入れ、ネイルケアセット

垢すり屋さん、マッサージ屋さんがいる。 床屋も

入場料も当時の物価にしても大変安かった。 

奴隷、一般人、裕福な人、皇帝にいたるまで、誰でも入れた。

当時のお菓子、飲み物(水でうすめたワイン)などを飲み食いしながらおしゃべりを楽しんだ。

外では階級や揉め事があっても公衆浴場という場に来てしまえば

みんな素っ裸になってお互いを認め合う寛容さがあった。 

温かいお湯を囲んでの裸の付き合いは平和の証拠。

皇帝が市民を喜ばせ、名声を後世に残すために公衆浴場を築いた

裕福なローマ人は市民からの名声を得たいときに、公衆浴場を1日貸しきって一般に無料開放した

男性用、女性用がある

ハイポーコースト:現代のセントラルヒーティング(全館集中型暖房)の先駆け

“下から熱する”という意味 

床面を柱で持ち上げて壁の中に空間を残しておき、炉からの熱気と煙を床下や壁に送り込み、屋根付近の送管で排気する。室内の空気を汚さず温めることができる。

作業用の部屋 火の面倒をみるための労働力が必要。

床が熱いのでサンダルを履く


アトリウム

中庭、玄関ホール 若者のための運動場 散歩道 入浴料(青銅硬貨)を徴収する管理者もいた

 上流階級の待合室もある 

脱衣所  

 着替えを手伝う奴隷がいる  広々とした部屋で壁に沿って石の椅子がある ひとりひとり衣服が

 かけられるようになっている

 

ガルダリウム:高温多湿浴室

公衆浴場の中でも最も高温な部屋  お湯をはった湯船がある。 オリーブオイルで身体を洗浄し

軽く砂をかけてから、ストリジル(金属性肌かき器)を使って余分なオリーブオイルを取り除いた

テピダリウム:微温浴

 床や壁に接する部分から人体に熱がほどよく伝わることが特徴

 公衆浴場の中でも大きなホールになっている 

 立派な彫刻(裸体像)を置いて、人間の肉体美を眺めながら湯につかる

 浴槽は大理石、純銀製も

フリギダリウム:冷浴室

 熱い風呂を楽しんだあとに入る、冷水のプールがある部屋  泳げるほどのプールがある施設も

 カルダリウムとテビダリウムは皮膚の毛穴を広げ、フリキダリウムで汗腺を閉じる

スダトリウム:蒸気風呂

ラコニウム:サウナ風呂 

ギムナシウム:ジム

 古代ギリシャの公共の競技の選手が訓練をする施設

 「身体を鍛える場所」

 18歳以上の男子が肉体を鍛えて訓練をする場所


バース(Bath) イングランド・・世界遺産

2C頃ローマの支配下で温泉の町をして栄えた さまざまな病気に効用があるといわれていた

カラカラ浴場 ローマ  ローマ皇帝カラカラ帝

 娯楽性の高いレジャー施設 男性同士の同性愛 出会いの場  公立図書館ギリシャ語ラテン語)も併設 


<公共浴場が衰退した理由?>

・疫病が流行った

・木を切り倒したため、燃料になる蒔がなくなった

・浴場は社交場だったため、しばしば反体制派のたまり場になっていたので弾圧された

・赤の他人に裸をさらすのは公序良俗に反するというキリスト教的思想の広がり