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モンタニャールおじさんの日記 Twitter

2018-03-21

[][]リーデル批判的歴史解釈としての歴史哲学」(『理解か説明か?』所収)私訳(上) 14:01

今月のリーデル祭りの供養。いわゆる「世俗化テーゼに対する批判がメインであり、すなわち師匠レーヴィットへの批判がメインである。もちろんより大々的な「世俗化テーゼに対する批判は、ブルーメンベルク『近代の正統性』で展開されているわけだが、カントの歴史哲学が近代特有の状況から出発したのであり、これは決して歴史神学の「世俗化」ではないというリーデルの論証には、常々「世俗化テーゼに対する反感を覚えてきた訳者にとって改めて溜飲の下がる思いであった。

※以下[]の中の数字は論集の頁数を指す。〔〕は訳注。ただし全て調査できているかと言われると自信がない。

Manfred Riedel, »Geschichtsphilosophie als kritische Geschichtsdeutung. Kants Theorie der historischen Erkenntnis«, in: Verstehen oder Erklären? Zur Theorie und Geschichte der hermeneutischen Wissenschaften, Stuttgart 1978, S. 189-216.

1. 歴史哲学は何のためにあるのか

歴史哲学、すなわち、人間の歴史の素性と未来を一望できる連関を基礎づけようとする理論の問題は、現状、取り立てて高く評価されてはいない。未来を占う歴史解釈は、かつてはその主要な関心事であったものの、今や、未来学、現在進行している歴史の診断、つまりいわゆる「現在の位置規定」、そして社会学によって取って代わられた。この両者〔未来学社会学〕は経験的・分析的な研究分野として確立されているが、その実践的意図は社会工学、すなわち、工業・技術文明に生きる人間の現在と未来の計画に向けられている。それでは、それが静止しているために計画科学の接近を拒むあの時間次元、すなわち過去はどうなるのだろうか。我々はこう述べることに慣れきっている。過去とは、人間の、近代の歴史的諸学において育成された人間の「歴史意識」の本来的に「歴史的な」次元である、と。
 しかし、他ならぬこの解答が、今日では徹底的な懐疑に晒されている。構造主義に通じた専門家や彼と似ていなくはない未来研究の大家はこう予言する。おそらく、歴史意識の黄金時代はもはや過ぎ去ったのであり、工業文明は歴史後の時代、ポスト・イストワールの時代に入ったのである、と*1。実際いくつかの事実がこのことを示唆している。19世紀の始まり以来、歴史とそれに定位した科学理解は、旧来の哲学部で扱われていた様々な分野を統合する紐帯の役割を果たしていた。その後、それらの分野はこの結びつきから[190]ほぼ完全に外れていった。ビーレフェルト大学歴史学教授R. コゼレックは次のように記している。国民経済学はその歴史学派をほとんど忘却し、文献学は「発生的な問題からますます距離を取るようになり、同様に、文学史はますます精神史という自己理解をしなくなっている。社会学者の間で行なわれた方法論争も、一方では、それに対応する純粋化された学問性を支えるべき反歴史主義的留保から養分を得ている*2」。このような諸学の末尾に哲学が連なっている。今や哲学自体が、ヘーゲル歴史学派によって結ばれた歴史との紐帯を引き裂こうとしているのである。
 歴史は何のために今なおあるのか。これは、歴史家が自らの学問に対して今日投げかけているだけでなく、精神科学・社会科学の近年の発展について思いを巡らす者みなが投げかけるであろう問いである。それでは、歴史哲学は何のためにあるのだろうか。哲学者は、歴史学歴史学的・文献学的分野の上述したような状態を考慮する限り、そのような問いを投げかけなければならないだろう。
 この問いに対する解答が、我々が「歴史哲学」をどう理解し、歴史学と歴史意識の公然たる危機を目の当たりにしている我々がそれにどのような意味と効用を認めようとするのかに左右されることは明白である。歴史哲学というこの分野の代表者、支持者、そしてとりわけ批判者たちの間で、語法のほとんど見過ごせない不明瞭さと人を混乱させる多様さが支配的になっているだけに、この点に関して了解を得ることがますます喫緊の課題になっていると思われる。我々がまず、実際の語法の例に定位してみると、少なくとも四つの異なる意味を挙げることができる。初めて「歴史家にして哲学者として」歴史を議論したヴォルテールの場合、「歴史哲学」とは「批判的な歴史記述」と同じことを意味している。歴史家は――ヴォルテールはこのように言葉を連結することでこう言おうとしている――同時にまた哲学者でもなければならない、すなわち、考えも批判もなく、伝えられた報告から彼が読み取ったものを繰り返してはならず、自らの判断を作り上げ、それに対応する歴史を書かなければならない。次に、歴史哲学は、世界史の推移全体の叙述と解釈を意味する。これは、様々な民族や国家の多くの「個別史」とは異なる、人類の「単一」にして「普遍的な」歴史である。これはカント、ヘルダー、ヘーゲルに見られる語法である。[191]彼らはこれに同時代の普遍史の課題を結びつけ、その課題を道徳教育的で実践的・解放的な期待と結びつける。19世紀、そのような期待が破れた後、歴史哲学は支配的な科学万能主義に迎合する。このとき、科学(物理学生物学経済学など)の装いのもと歴史の推移の普遍的法則を、そして歴史全体の認識を求めることが、直ちに、例の忌まわしい歴史改竄と真理感覚の非道徳化につながる。それゆえこれら動向は、歴史哲学的探究の信用を――正当なことであるが――イデオロギー的に貶めたのである*3
 今世紀初めの新カント主義ヴィンデルバントリッケルト)もまた、歴史哲学という語がますます過剰に用いられることを――例えば歴史哲学を「文化変態学」として生物学的に誤解したシュペングラーがそうである――食い止められなかった。それどころか、新カント主義によって推進された「歴史認識の論理」への限定、およびその裏面、すなわち歴史学からの実践的目的のフェードアウトは、啓蒙主義において成立した歴史哲学が20世紀になって多かれ少なかれその地盤を喪失することに寄与した。カール・レーヴィットは次のように記している。「「歴史哲学」という言葉は、たしかに依然として用いられており、それどころかかつてよりも頻繁に用いられている。しかしその内容は希釈され、歴史に関する意見は全て哲学と自称できるほどになっている*4」。
 啓蒙主義においてあれほど幸先よく始まった企図が哲学的に挫折したことをありありと示すこのような発展を振り返った上で、レーヴィット自身は、あらゆる歴史哲学が「神学、すなわち歴史を救済史として神学的に解釈することに完全に依存(している)*5」ことを証明しようと試みた。18世紀に生じた歴史哲学は――レーヴィット原則によれば――その素性からして歴史神学であり、それが理性の進歩や人類の教育に対して抱く信仰は、元来はキリスト教的なドグマの「世俗化」である*6。このいわゆる世俗化テーゼは、それに由来する[192]「歴史哲学」と「歴史神学」という語の同一視によって、術語の不明瞭さを除去しなかっただけではない。このテーゼはまた――しかもことさらに――支配的な歴史への無関心を助長し、あらゆる歴史哲学終末論的な救済への期待に断固として還元したために、歴史学の枠を越える歴史理論的問題に関して理性的議論を行う可能性を奪ってしまった。私は、そのような事態は哲学者にとっても歴史家にとっても益にならないが、上述した歴史学の根本的な危機批判的な自省を呼び起こしているという点から出発する。そのため私は、カントの歴史哲学を例にとって、18世紀啓蒙主義におけるその成立と基礎づけの問題を今一度取り上げようと思う*7
 これはまず、哲学史的事実の解明であるように思われるけれども、この問題をそれ自身のために、単に歴史的な重要性の問題として議論してはならないだろう。それどころか、問いというものは、それが歴史的であるだけにとどまらない、すなわち、それが過去の状態だけでなく――どれほど間接的であっても――現在の状態に関連する場合にのみ、歴史的に重要なのである。重要性を測る基準はまさしく、そのような問いが自身で哲学することに課せられ、過去の思想から前もって与えられているだけにとどまらないという点にある。それゆえ我々は、ある問いを歴史的に重要だと称するためには、特定の体系的な先行理解をすでに体得していなければならない。この意味で私は、以下では、批判的歴史解釈としての歴史哲学を、起源がより古い歴史神学の独断的歴史解釈および起源がより新しく最近も見られる歴史イデオロギーの独断的歴史解釈から区別する。その上で、「歴史哲学」はさしあたり、実践的な(哲学によって予め正当化された)意図を軸とした、過去の(歴史研究によって予め確証された)状態、出来事、行為の解釈を意味するものとする。[193]これら過去の状態、出来事、行為は、そのような実践的意図という軸によって、脈絡づけられ、現在や未来の状態、出来事、行為を考慮しながら把握される。このように理解される「歴史哲学」は、独断的歴史解釈の様々な変種とは異なり、一方では実践哲学に、他方で経験的歴史研究に関連する。さしあたり私は、このような体系的先行理解によってカントの歴史哲学理解が少なくともおおよそ敷衍されるということだけは想定できるが、以下の研究でこのような想定を一歩一歩根拠づけるつもりである。これは、区別を考慮に入れて体系的見地からなされる歴史的・批判的解釈である。その際私は、カント自身が定式化し、それは普遍的な解釈規則として哲学のテクストに当てはまるはずだと私が考えているある解釈学的準則を用いよう。それは次のような準則である。「他人の著作評価する際には、人間理性の普遍的な問題に関心を持つという方法を選ばなければならない。人は、全体にかかわることを探し出そうという試みがあると、著者、もっといえば公共の福祉に親切な手を差し伸べ、誤りを副次的な問題だと論じたほうが良いのではないかと検討する。全てを破壊することは、理性全体にとって不幸なことである*8」。

2. 古典的な学問理解への批判

 すでにしばしば言われていることであり、またしばしば繰り返されていることであるが、カントの優れた専門家であっても、カント哲学体系の枠組のなかで歴史哲学の位置づけを正確に定めるという課題が課されると、多少困惑することになる*9そもそもカントと歴史の関係はどのようなものなのだろうか。純粋な自然科学はいかにして可能なのかという問いに決して偶然でなく定位する、『純粋理性批判』で基礎づけられた学問的経験のあの一般理論にとって、歴史的経験には正当な意義があるのだろうか。歴史学はいかにして可能なのかとカントが問うたことがかつてあっただろうか。
 [194]以上の疑問に、19世紀の歴史思想によって高められた「歴史理性批判」の期待を結びつける場合、以上の疑問に対する答えは、明瞭な「否」しか存在しない。にもかかわらず、カント哲学は「非歴史的」ではない*10。少なくとも彼にとって、歴史学には依然として何の目的があるのかという疑問の意味が分からなかったと思われるほど、カントは歴史的に思考している。歴史(ゲシヒテ)、すなわち、「様々な時代に起こることの歴史(ヒストーリエ)*11」はカントにとって、全く囚われのない前学問的な意味において、経験、すなわち生活経験と世界経験に関わっている。現代の歴史家とは異なり、カントは躊躇せず実践的・原理的な正当化を行う。何のために歴史は有用なのか、そして、歴史によって媒介された知識は何のために我々に知られるに値するのか、このことを我々に教えるのは、個人生活史の制約性である。歴史のおかげで我々は、他人の経験を領有することを通じて、自身の経験的視角を修正し補完することができる*12。ここでカントは歴史の一つの利点を次の点に見ている。すなわち、歴史の与える経験は「書物というかたちで記録される」、すなわち、歴史的「史料」であるという点である。史料はその信憑性に関して吟味されることができるし、その場合我々自身の経験を、まるで我々自身がかつての世界全てを体験したかのようにして広げるのである。
 この経験が可変的であること、それどころか、そのように経験された世界は固有の、歴史的にみて唯一の可変的な視角を表す(「ほとんどあらゆる世紀には一つの様式が、あるいはそれ独自の形式がある*13」)ということをカントはすでに早い時期に、落ち着き払って明瞭に主張していたが、そこから劇的な結論を引き出してはいなかった。歴史のおかげで――このことは常にこの分野の本来的な正当化根拠である――人間は世界の中での自らの状況に通暁する。それゆえ人間は歴史を[195]原理的な意味で「必要とする」。歴史を「必要とする」のはとりわけ、まだようやく歴史を知り始めたばかりの者たちである。若い学生が「豊かな経験の代わりを果たすことのできる歴史的認識を十分に持つことなく、早くから推論することに慣れる」ことを、カントは彼らを疎かにすることだとして嘆いた*14。我々はこの文章を、哲学者もまた歴史的経験を必要とするという意味にとって良いだろう。このことをカントは、もちろん多少の自嘲を含ませながら、はっきりと書き留めていた。「いくつかの物事に関して、それらは自分には関係ないと信じる者は、しばしば勘違いをして、例えば歴史は哲学者には関係ないと思い込む*15」。歴史なき哲学は常に空疎である。両者は等しく相互に依存しており、等しく不可欠である。老カントの最終的な表現はこうである。「認識能力の修練は全て、二つの分野に分かれる。歴史と哲学である*16」。
 このように述べるカントが、「所与のもの」と「理性的なもの」、事実の認識と原理の認識という古典的な(古代および初期近代の)学問概念の分離を単純に繰り返していると考えることは、誤りであろう。カントは何度もこの分離を用いている*17けれども、同時に彼はこれを批判的に変更した。彼の時代の語法にしたがって、カントはさしあたり、人間の行為に関わるという意味での「歴史的」と、「事実的」という意味での「歴史的〔記述的〕」(この意味にしたがえば、あらゆる物体は重さをもつという命題は歴史的〔記述的〕言明の例である)を厳格には区別していない*18。歴史的認識(cognitio historica)とは、経験に依存する、所与から獲得された認識(cognitio ex datis)に他ならず、ある学問の原理、「上級命題」もしくは原則に基づく、経験から自由な理性認識(cognitio ex principiis)とは異なる。論理学講義では一度次のように言われている。すなわち、あらゆる出来事は歴史的であり、あらゆる命題、例えば理論物理学の命題は、独断的である、と*19。(独断的命題とは、学説命題、すなわち、それぞれの学問の一般命題・規則に他ならない。)[196]18世紀の講壇哲学において維持されていた旧来のアリストテレス的な、学問、経験、歴史の分離を延命させるこのような独断的認識と歴史的認識の区別に、ア・プリオリとア・ポステリオリという周知のカントの区別が連結する。カントによれば、独断的認識は「理性からア・プリオリに発生する普遍的認識である。……しかし歴史的認識は必ずしも普遍的ではなく、起こった物事に関する言明、他人の言明に基づいている。それゆえこの認識はア・ポステリオリに発生する*20」。ア・プリオリな、理性によって根拠づけられた知識が「学問」もしくは哲学であり、ア・ポステリオリな、所与にのみ基づき、知覚や記述、報告によって獲得された知識は全て「歴史」である。ここでカントはさしあたり、自然と歴史を相異なる学問領域とは見なしていない。自然史〔博物誌〕、自然科学における事実の合理的説明とは異なる観察された事実の列挙は、上述の形式的な意味において、「所与に基づく認識」なのである。
 歴史的認識のこのような概念は、「歴史(ゲシヒテ)」という語の新たな意味に通じているわけでもなければ、まして、歴史哲学根拠づけに通じているわけでもない。もしこの概念から出発するならば、1770・80年代に生物進化および『判断力批判』における一般進化論の考察に結実する初期の宇宙進化論と地球史の構想に始まり、科学史すなわち哲学的理性認識に近代の天文学物理学を位置づけるためのアプローチにとりわけ基づく「理性の歴史」の計画が記されている三批判の主著〔『純粋理性批判』〕の末尾に至るカント著作において、歴史的考察が顕著な役割を果たしていること、そしてそれが何故なのかを示すことはできないだろう。実際のところカントは、古典的な分離に多くの点で変更を加えた。その変更点は『純粋理性批判』の問題設定から明らかになる。つまりカントは、個物について学問は存在しない(de singularibus non est scientia)、そして歴史を方法的に論じることはできないという近代合理主義の(彼の手元にある講壇哲学の教科書でも繰り返されていた)偏見*21を共有していない。[197]『純粋理性批判』の中心部――超越論的論理学――が理性の言語的分節構造、すなわち、(単一性、多数性、原因、結果などのような)伝統的にカテゴリーと呼ばれるものをもっぱら経験科学的思考の手段としてのみ正当化し、それらカテゴリーが時間の中で生じ未来に対して開かれている経験的認識のプロセスにのみ適用されうることを示すことができてからというもの、上述のような制約はもはや主張できない。学問は――コペルニクス天文学ガリレイ物理学が教えるように――経験認識として、「理性的なもの」と「所与のもの」を規則にしたがって結びつけることによって、可能となる。合理主義的講壇哲学には知られていなかったこの意味における経験認識は、所与の合理的処理という近代科学の手続に由来するア・プリオリな、非経験的要素を含む。このような拡張された経験概念に基づき、理性的認識と歴史的(=事実的)認識の分離はなお維持されている。しかしそれはもはや形而上学的にではなく、方法的に、すなわち理性の「手続」において根拠づけられている。そして方法的な根拠づけは学問理解の変更の余地を開くばかりか文脈からしてnicht nur nichtではなくnicht nurだけだと思われる〕、その体系的な変更を不可欠にするのである*22
 かくして、カント学術用語として(事実の記述という意味での)歴史(ヒストーリエ)と歴史(ゲシヒテ)を区別し*23、一定の前提のもとで「歴史的認識」に学問としての地位を認めるという特筆するべき事態が生じる。自然科学の領域における所与のものの合理的処理が、歴史の領域における史料合理的処理に、すなわち伝統の証人と証言に対する批判的な尋問に進行する。これが、過去に対する新たな、確証された認識につながる。カントは学問史的に次のように論じる。「拡大された歴史的で正しい認識を前提とする諸学は全て、近代になってますます完成に近づいている。というのも、[198]周知のとおり、近代の学者たちはますます、歴史的認識を拡張しようと努めているからである」*24。このような事態に鑑みれば、事実を記述的に列挙することという古典的な歴史理解にこだわることは、近代が――自然科学における認識の進歩にしたがって――歴史の領域でなしてきた根本的な認識の前進の一つの萌芽を無視することを意味していた。
 独断的・合理主義哲学の意味では、歴史(ゲシヒテ)は歴史(ヒストーリエ)、すなわち、自ら行う確認や他人の調査によって確証される所与や出来事に関する報告と同義である。これは、体系的で根拠づけられた連関、合理的な処理をはっきりと断念している。カントはこのような意味を完全に放棄しているわけではない。彼にとって、歴史は「個物に関する知識」、すなわち、個別的な事実や事件の列挙と再現、もしくはそのいずれかである。しかしカントがここで言おうとしているのは、それぞれの記述と報告の基礎となる歴史の内容的基礎のことでしかない。歴史が個物を扱うというのは、カントにとっては、方法論には全く関わらない推論に達するだけの認識である――科学的思考の普遍的方法とは区別される「自律的な」(後に新カント主義演繹したような)手続の正当化に関する推論でもなければ、歴史特有の学問的性格に関する推論でもない。歴史は、それが「個物に関する知識」を、大きな時間的枠組みの中で事実と出来事を比較することによって補完し、それどころか歴史家(あるいは自然科学者)を事実と出来事の探求と観察、組み立てに導くべき「原理を予め確定する」場合に初めて、歴史は「学問」となる。カントははっきりと、これは歴史という言葉の通常の語法に反しているということを記している。「歴史(ヒストーリエ)(報告、記述)が――ギリシア語の呼称と同じように――表す意味での歴史(Geschichte)という語は、すでに非常に使い古されているのだから、起源についての自然研究を指す別の意味をこの語に認めるということを、人は簡単に承認することができるだろう*25」。カントは、ここではひとまず――ビュフォンの『博物誌』(1747年以下)に印象づけられて――彼が早くから目の当たりにしていた[199]自然史を念頭に置いている。しかし、この文脈提案される歴史(ゲシヒテ)と(素朴な報告と記述という意味での)歴史(ヒストーリエ)との区別は、それよりもはるかに射程が広い。この区別は原理的な意味を有しており、歴史哲学の問題の中心に関わっている。(自然記述かつ歴史記述としての)歴史(ヒストーリエ)は単なる報告、事実と出来事の列挙と再現に終始する一方で、理性的根拠づけられた原理を指針にして書かれる歴史(ゲシヒテ)は、より長大な時系列を法則と現在経験されることに基づく類推にしたがって考慮したうえで、「学問」という呼称で呼ばれることがもはや否定されえない歴史的認識の新たな領域を開拓する*26。歴史を学術的認識の総体と定義することは誤りである、そのようにカントは再び講壇哲学の著者たちに反論する。というのも、「学術的認識」というのは比喩的な表現にすぎない一方で、認識は複数の個人の学識の問題ではなく、理性的な、万人によって実行されうる根拠づけの問題だからである。歴史(ヒストーリエ)と教説、歴史(ゲシヒテ)と学問は対立概念ではない。歴史は教説、すなわち「様々な認識」の連関を必要とするばかりでなく、この連関をまとめて「一つの方法」にする規律も必要とする*27
 歴史なき哲学は――我々が先に述べたように――常に空疎である。哲学なき歴史は――我々はここでカントの趣旨に完全にならってこのように続けることができる――人を盲目にする。こうして我々は、歴史哲学根拠づけの問題に差し掛かることになる。その出発点は伝統的な歴史神学ではなく、歴史的素材の集積と拡大に終始して(国家や教会という)支配勢力の利害に無反省に仕える同時代の歴史記述の状態である*28。歴史は――カントが論じるところによれば――それ自身のために、すなわち学問的好奇心と虚栄心を満足させるために営まれてはならない。歴史的教養を際限も目的もなくただ量的に増大させることは、破裂して歴史主義に行き着く。そのような術語は知らないとはいえその内実を認識するカントは、「キュクロプス的学識」という言い方をしている。[200]これには目が一つ、すなわち「哲学の目」が備わっていないのである*29。これは、歴史家哲学定説を体得しなければならないという意味ではない。歴史家にはただ――この比喩が表現しようとしているのはこのようなことである――、片方の目が見えない者のように盲目的に振る舞うのではなく、自らのしていることが「目的」を弁明してもらいたいということである。もちろん、弁明を与えること自体が、すなわち様々な目的を定めそれらに序列をつけることは、哲学の課題である。「哲学は第二の目であって、これは、一つの目が見る知識全体がどうすれば目的全体と平仄が合うのかを見る*30」。その他カントは、過去の反復、伝統と迷信に基づく「学識の野蛮」をも批判する。「……この野蛮は、現代でも依然として、主に歴史に見出される。それは、歴史が哲学に援助の手を差し伸べていないからか、もしくは歴史が神学によって縛られているからである*31」。カントはここで、普遍史を救済史のように論じるやり方を念頭に置いている。その論じ方が、アウグスティヌス以来継承されてきた同一の方法にこの学術を限定してきたことは、結局のところ、キリスト教的な君主教育という一つの目的しか見据えていなかった。ボシュエによれば、神の行為の劇場としての世界史は、現世の君主はみな自らの上位に一人の主を持っていることを教える。すなわち、歴史は君主の師であるというわけである。カントには、神学的な普遍史をベールとヴォルテールにならって改めて批判したり、それどころかこれと競合したりしようという意図は全くない。彼はただ、神学者たちがこれらの問題を奪取してしまったと主張するだけである*32。ただしカントがそのように主張するのは、カント自身の根拠づけの試みのために神学者たちを無視するためである。もし彼らに定位するのであれば、それは課題を捉え損なうことと同義であろう。しかし、「世俗的な」歴史も援助の手を差し伸べないのだとすれば、哲学者は何に定位しなければならないのだろうか。

3. 実践理性と歴史的理性の関係

 先に進む前に、これまでの考察を一つのテーゼに集約しておこう。それは次のようなものである。すなわち、カントの歴史哲学は、[201]旧来の神学的・形而上学的分野の世俗化に由来するものではない、彼の歴史哲学は、その先行形態とは独立に、彼自身の特殊近代的な歴史・学問理解という地盤があって初めて根拠づけられる、と*33
 こうした根拠づけの試みにはヘルダーの影がある。そして、カントの弟子にして後の敵対者であったヘルダーは、当時口頭でこう述べたという。「もとより我々は、イーゼリン、私、カントの順序で登場した。私はカントからは何も借用しておらず、カントのほうが、彼の名前が示すように、最後の極小の点なのである*34」。私はこの箇所で、この大胆不敵な言葉が文学史的にみて正しいのかどうかを精査することは断念せざるをえない。カントは例えばイーゼリン(およびヴォルテール)だけでなく、スコットランド道徳哲学学派の歴史家、中でもヒュームスミスも読んでおり、この二人を彼は高く評価している。カントとヘルダーの関係については、ヘルダーの『人類史哲学考』(1784年)への彼の書評から知ることができる。この書評はこの企図の欠点を容赦なく暴き立てている*35。ヘルダーの弱点――過去の生活様式に関する大量の着想や題材を概念的に比較的無頓着に、広く伝達することがほとんどできない才覚に頼った主観的なやり方で提示する、直観的・連想的な思考――、この弱点は後にヘルダーにとって、彼の強みとして、すなわち、啓蒙主義の「合理主義的」歴史概念を拒絶し、歴史意識とその「対象」、すなわち歴史的世界を初めて解き放った態度として解釈された。この点に隠れた危険を見て取ったカントにとって、歴史哲学根拠づけの問題はまさしく、従来拘束力を持つものとして承認されてきた世界史神話的・救済史的解釈が終焉した後に、興隆しつつある歴史的世界を主観的恣意の侵入からだけでなく疑似科学的な客観性への引き渡しからも守ることにある。カントが意図するのは、イーゼリンとヘルダーに比べるとはるかに包括的な、「理性、歴史、歴史書批判*36」である。この批判は解釈学的・歴史的知識に、理性的に把握された学問の脈絡の中で、その知識に相応しい地位を割り当てなければならない――もちろんカントは、公刊著作の中ではこの計画を部分的にしか実行しなかった。その計画の断片は、遺稿にある断片を(私がすでに行ってきたように、そしてこれからさらに行うように)そこに付け足し、カント哲学体系の尺度に合わせてそれぞれ結びつける場合にのみ、組み合わせて一つの全体にすることができる。まず、カント哲学の体系構造内部における歴史の位置づけを問わなければならない。
 「純粋理性の歴史」を扱う『純粋理性批判』超越論的方法論最後の(第4)章で、カントは次のように記している。「この表題がここに来るのはただ、体系の中で残っておりこの先埋められなければならない箇所を指すために他ならない」(A 852)。これは歴史哲学についても当てはまる。歴史哲学を難なく、カントの主要著作の脈絡や、『純粋理性批判』の方法論の部が展開する精緻な「諸体系の建築術」の中に位置づけることはできない。歴史哲学が、修正された「形而上学の体系」の思弁的部門における世俗化形態として登場するわけではない(合理的宇宙論の部門にも合理的神学の部門にも登場しない)(A 844 ff.)という点については、以上述べてきたことからすれば、これ以上説明する必要はない。歴史哲学は――このことは劣らず自明だと思われるが――実践哲学の一部なのである。カントは方法論の部でこのことを、少なくとも示唆している。「それゆえ純粋理性は、たしかにその思弁的使用においてではないにせよ、何らかの実践的使用において、つまり道徳的使用において、経験の可能性の原理を、つまり、人間の歴史の中に倫理的規範に相応しいかたちで見出されるかもしれない行為の可能性の原理を含んでいる」(A 807)。[203]我々がカントにならって、可能な経験の総体を「世界」と呼ぶのであれば、こう言えるだろう。道徳的原理は人間の世界がその原理に一致することを要求する、すなわちそれは「道徳的世界」を要求する、と。道徳の問題はその実現の問題でもある。そしてこの文脈、すなわち当為と存在の緊張がある領域において、道徳と歴史の関係という問題が生じる(ここではさらに、「経験」の原理的な意味もその問題に結びついている)。とはいえ、カント歴史哲学の問題は、その根拠づけに際して、実践理性の道徳原理が直接的には使用されていないことにある。
 そこで我々は別の建築術を探すことになる。哲学は、体系的に根拠づけられた知識という要求をまだこれまで十全に実現したことはなく、「可能な科学の理念」として初めて探求されるが、カントによればこの哲学は二つの観点で営むことができる。すなわち、目的から自由に(哲学の「講壇的概念」の流儀で)営むか、それとも哲学の外部にあって万人に(カントの言い方では世界に)関わる目的に関連させて営むか、いずれかである。第一観点に立つならば、諸学の体系的統一性という構想が、「講壇」がすでに設けた理論哲学と実践哲学の区別に変化を加えることはあっても、(科学的建築術(ママ)の内部ですら)万人に関わる様々な目的との積極的な関係を設けることはできないだろう。これは、若きカント自らが共有し、ルソーの衝撃によって彼が放棄した観点である。科学的営為の「最終」目的は、「諸学に由来する快楽」ではない。究極の目的は「人間の使命を見つけること*37」であって、どんな哲学であっても、その研究によって予め、様々な社会的不平等を廃止すること、あるいはカントの表現でいえば、「人類の権利を復活させること*38」に寄与するのでなければ、人間の使命を考え出すことなどできないのである。
 『純粋理性批判』は、哲学の講壇概念と世界概念の区別を行うという点で、カントの経歴を再現し、これに体系的根拠づけを与える。本来の意味での哲学は、「あらゆる認識と人間理性の本質的目的の関係に関する科学(人間理性の目的論(teleologia rationis humanae))」である。この「目的の観点」に立つ理性は、自らが価値を設定し(「規範的」)かつ価値を判断する(「目的論的」)[204]と自己理解する。理性に帰される立法機能という点では、理性は、形而上学批判がなされた後に、実践的に重要で「人間の全使命」を包括する哲学のテーマとして残存する「二つの対象」にのみ関わる。自然哲学と人倫の哲学、そしてそのそれぞれに付随する「純粋な」部門と「経験的な部門」が、カントによって求められる哲学体系の構成要素である。この体系は旧来の建築術とは対照的に開かれており、諸学の体系的統一性という理念を実現する新たな分野の形成を可能にする。その中に(道徳哲学の経験的部門の中に)歴史哲学が入る。これをカントは、「自然の最終目的」としての文化という大々的な理論と関連づけて展開する。この理論が、体系における別の穴、すなわち自由と自然の亀裂を埋め、理論理性と実践理性の原理を方法的に拡張することによって、その適用可能性に関する懸念を乗り越えることになった。

*1Vgl. Claude Lévi-Strauss, La pensée sauvage, dt. Ausg. Frankfurt/M. 1968, S. 293.〔大橋保夫訳『野生の思考』、みすず書房、1976年、306頁。〕

*2:R. Koselleck, Wozu noch Historie? In: Historische Zeitschrift, Bd. 212 (1971), S. 2 f.

*3:この点については、H. Hesse, Das Glasperlenspiel, im Abschnitt: Das Sendschreiben des Magister Ludi an die Erziehungsbehörde〔日本ヘルマン・ヘッセ友の会・研究会編『ヘルマン・ヘッセ全集』15、臨川書店、2007年〕を参照。

*4:Weltgeschichte und Heilsgeschehen. Die theologischen Voraussetzungen der Geschichtsphilosophie, Stuttgart 1953, S. 11.〔山本新他訳『世界史と救済史』、創文社1964年、7頁。〕

*5:Weltgeschichte und Heilsgeschehen, a. a. O., S. 3〔おそらくこれはS. 11の間違い〕.〔同上。〕

*6:A. a. O., S. 60 ff. この点については、H. Lübbe, Säkularisierung. Geschichte eines ideen-politischen Begriffs. Freiburg-München 1965, S. 34 ff.を参照。

*7:この点については、W. Kamlah, Utopie, Eschatologie, Geschichtsteleologie. Kritische Untersuchungen zum Ursprung und zum futurischen Denken der Neuzeit, Mannheim 1969, S. 42 ff.を参照。以下の研究は、あらゆる歴史哲学世界史を救済史として神学的に解釈することに依存しているという世俗化テーゼの根底にある一般命題に対するカムラーの反論に連なっている。カントの歴史哲学の例が教えるように、先の一般命題は、あまりに多くのことを説明するために歴史的連関の囚われのない吟味を困難にするような類の命題の一つである。それは、そのような類の命題は、それらを評価するのに必要な概念的区別をもはや許さないからである。

*8:Refl. 4992, Akad. XVIII, 53 f. (Reflexionen zur Metaphysik).

*9Vgl. F. Medicus, Kants Philosophie der Geschichte. In: Kant-Studien, Bd. 7 (1902), S. 6.

*10カント哲学が非歴史的だというのは、19世紀の「歴史学派」の、とりわけ、F. Meinecke, Die Entstehung des Historismus, Werke, Bd. 3, München 1959, S. 288〔菊森英夫・麻生建訳『歴史主義の成立』下、筑摩書房1970年、5頁〕が強めた評価である。L. Landgrebe, Die Geschichte im Denken Kants. In: Phänomenologie und Geschichte, Darmstadt 1968, S. 46はこれを援用して次のように述べる。「……カント哲学が「非歴史的」であって、とりわけ彼の歴史哲学が、啓蒙主義とその理性的楽天主義地盤から抜け出ていないというのは、かねてから言われている定説である」。

*11:Physische Geographie, Akad. IX, 161.〔宮島光志訳『自然地理学』、『カント全集』16、岩波書店、2001年、23頁。〕

*12:A. a. O., 159. 「もしかすると、我々は自身の経験にだけ携わるべきなのかもしれない。しかし自身の経験だけでは全てを認識するには十分でない。それは、人間は時間という点でそのわずかな部分しか体験せず、それゆえこの点でほとんど自ら体験することができないからである。……それゆえ我々は実際のところ、必然的に他人の経験を利用しなければならない」。〔同上、19頁。〕

*13Vgl. Kants Vorlesungen, Bd. 1: Vorlesungen über Logik, Akad. XXIV, 1, I, 172 (Logik Blomberg).

*14:Nachricht von der Einrichtung seiner Vorlesungen etc., Akad. II, 312.

*15:Reflexionen zur Logik, Nr. 1967, Akad. XVI, 177.

*16Opus postumum, Akad. XXI, 115.

*17:K. Weyand, Kants Geschichtsphilosophie. Ihre Entwicklung und ihr Verhältnis zur Aufklärung. Kant-Studien Erg. Hefte Bd. 85, Köln 1963を参照。しかしこれは、カントが企図した修正に留意していない。

*18Vgl. K. Weyand, a. a. O., S. 8.

*19:Kants Vorlesungen, Bd. I: Vorlesungen über Logik, 1. Hälfte, Akad. XXIV, 4. Abr., 398 (Logik Philippi).

*20:a. a. O., 99 (Logik Blomberg).

*21:Akad. XXIV, 1, II, 891にあるマイアーの『論理学』に対する批判的な言及を参照。「この著者が学問を単に理性認識とだけ理解しているのは、よろしくない」(Wiener, Logik)。

*22:F. Kambartel, Erfahrung und Struktur. Bausteine zu einer Kritik des Empirismus und Formalismus. Frankfurt/M. 1969, S. 94 ff.を参照。これは、経験概念が学術用語の中で二重化したことを適切に指摘しているけれども、歴史の概念については、類比的な拡張が生じたことを誤って否定している。

*23:Über den Gebrauch teleologischer Prinzipien in der Philosophie. Akad. VIII, 162. もっとも、カントの実際の語法は全く一貫していない。にもかかわらず、彼がした区別の重要性は同時代人に気づかれていた。Vgl. Campe, Wörterbuch (1813), S. 33.〔「歴史(Geschichte)と記述(Beschreibung)とにカントが設けた妥当な区別にしたがうならば、我々はこの先もはや、博物誌(Naturhistorie)を自然史(Naturgeschichte)と呼んではならず、自然記述(Naturbeschreibung)と呼ばなければならない。つまり、記述は物事をあるがままに提示する。これに対して歴史は、それとともに起きた変化を語る」。Joachim Heinrich Campe, Wörterbuch zur Erklärung und Verdeutschung der unserer Sprache aufgedrungenen fremden Ausdrücke, Braunschweig 1813, S. 33.〕

*24:Vorlesungen über Logik (Logik Blomberg), a. a. O., 184.

*25:Über den Gebrauch teleologischer Prinzipien in der Philosophie, a. a. O., 162.〔望月俊孝訳「哲学における目的論的原理の使用について」、『カント全集』14、岩波書店、2000年、124頁。〕

*26Vgl. H. Heimsoeth, Studien zur Philosophie Immanuel Kants II, Kant-Studien Ergänzungsheft Bd. 100, Bonn 1970, S. 76 f.

*27:Akad. XXIV, 1, I, 483.

*28:この点をL. Landgrebe, Die Geschichte im Denken Kants, a. a. O., S. 48は適切に強調しているけれども、彼はこの点を敷衍する段になると、この観点の真価を適切に説明していない。

*29:Logik, Akad. IX, 63.

*30:A. a. O., 197.

*31Vgl. Reflexionen zur Logik, Nr. 2018, Akad. XVI, 197.

*32Vgl. Reflexionen zur Anthropologie, Nr. 1471 a, Akad. XV, 2, 651.〔盒狭醋虧「人間学遺稿」、『カント全集』15、岩波書店、2003年、420頁以下。〕

*33:この点に、物理学と歴史哲学との無視できない類似性が存在する。もっともそれは、学問体系の上で直接姿を現すわけではない。けだし、合理的自然科学の対となるものは、歴史哲学的議論をただ(注釈における)「解説」のためだけに利用し証明のためには利用しない、合理的法学倫理学だからである。物理学根拠づけの成果については、J. Mittelstraß, Neuzeit und Aufklärung. Studien zur Entstehung der neuzeitlichen Wissenschaft und Philosophie, Berlin/New York 1970, S. 569を参照。

*34Vgl. K. A. Böttiger, Literarische Zustände und Zeitgenossen, Leipzig 1838, Bd. 1, 133. (1799年12月12日、口頭で)〔訳者が入手した版では、S. 130に引用箇所がある。〕

*35: Rezension von J. G. Herders Ideen zur Philosophie der Geschichte der Menschheit (1785), Akad. VIII, 45. ヘルダーの「歴史哲学」は、カントが歴史哲学として理解しようとしていたものとは顕著に対照的なものを意味している。「……概念を規定する際の論理的な几帳面さや、原則の慎重な区別と論証では決してなく、一点に長々とこだわらず、多くを包括する視線類比の発見に長けた敏感さ、しかし類比の使用となると大胆になる想像力であって、以上には、遠くにあって判然としない自らの対象に感情と感覚によって好感を持たせる手腕が結びついている……」。〔福田喜一郎訳「J・G・ヘルダー著『人類史哲学考』についての論評」、『カント全集』14、37頁以下。〕

*36:Reflexionen zur Logik, Nr. 1997, Akad. XVI, 188.

*37:Akad. XX, 175.

*38:A. a. O., 44.

2018-02-01

[]書ききれない本・論文の感想 17:05

天野知恵子「ことば・革命・民衆――フランス革命下におけるグレゴワールのアンケート調査分析――」、『社会史研究』第6巻(1985年)、184-206頁。
――ブラウニングの『フランス革命』の翻訳から著者の名前を知る。この研究では、第一身分にもかかわらず国民議会で重要な役割を果たしたグレゴワール師の方言に関するアンケート調査から、言語の統一を図る革命政府と多様な言語習慣が残る地方の実態との緊張関係が描き出されている。

・ヨアヒム・リュッケルト(耳野健二訳)「サヴィニーの解釈学――病理なき法律学の核心部」、『Historia Juris 比較法史研究』第12号(2004年)、未来社、97-151頁。
――近年のサヴィニー研究では必ず目にする著者。『Historia Juris』には彼の論文の翻訳が多く掲載されているが、そのうちの一つ。サヴィニーが「解釈(Auslegung od. Interpretation)という営みを、法文の曖昧さを取り除き明確な理解をもたらすこととは考えなかったという話。そこから、同時代の解釈理論として、シュライエルマッハーの哲学との関連が、必ずしもサヴィニーが具体的に言及しているわけではないけれども、指摘されている。

・Johann Wilhelm Archenholz, Die Jacobiner. Eine historische Beschreibung, nebst genauer Kenntniß derselben, o. O 1793.
――『七年戦争史』や雑誌『ミネルヴァ』の編集で知られるアルヒェンホルツ。盒彊存の『旅・戦争・サロン』でちらりと取り上げられた時にこの本(ほぼ30頁ぐらいなので、パンフレットとも言えないくらいの小著)を思い出す。ペティヨンやロベスピエールを基本的に貶める人物描写も興味深いが、1792年に著者自身が参加したジャコバン・クラブの模様を描き、その民衆熱狂のさまをみて、古代アテナイ共和政ローマはこのような状態だったのかと納得したと述べているのを見ると、古典古代のイメージをイデオロギー的に動員したジャコバン派に対する皮肉を感じずにはいられない。

・Johann Georg Schlosser, »Fragment über die Aufklärung«, in: Kleine Schriften 4, Basel 1785, S. 84-147.
――ゲーテの義弟にしてアリストテレス政治学』の近代ドイツ語訳の翻訳者ヨハン・ゲオルク・シュロッサーの啓蒙論。啓蒙の目的を個人の幸福を促進することと定義したあと、政治、神学司法薬学(!)における啓蒙のあるべき姿を論じる。

・Joachim Heinrich Campe, »Anzeige und Beurteilung einiger durch das preuß. Religionsedict vom 9ten Jul. 1788 veranlaßten Schriften«, in: Braunschweigischer Journal (1788), S. 129-152.
――18世紀の著名な教育家ヨアヒム・ハインリヒ・カンペの書評。といっても、ソッツィーニ派や自然宗教論者、「啓蒙」を狙い撃ちにしたプロイセン宗教令を批判する内容が大半。18世紀末ドイツにおける宗教令の問題は、カントの『単なる理性の限界内の宗教』との関連でも興味深いが、こうした雑誌論文書評においてどう扱われていたのかという問題は、思想史的にはより興味深い。とくにカンペの場合、翌年以降『パリからの手紙』を連載して、基本的にはフランス革命を言祝ぐ世論形成に大きく寄与した人物なだけに、神学的急進主義と政治的急進主義の関係を検討するうえでも(イスラエルバールトについて検討してくれているように!)重要な事例であろう。

2015-05-15

[][]E. F. クライン立法権裁判権の関係について」 00:05

・↓の文献表をきっかけに。

Hans Martin Sieg, Staatsdienst, Staatsdenken und Dienstgesinnung in Brandenburg-Preußen im 18. Jahrhundert (1713-1806)





Ernst Ferdinand Klein, Ueber das Verhältnis der gesetzgebenden und richterlichen Gewalt, in: ders., Kurze Aufsätze über verschiedene Gegenstände, Halle 1797, S. 141-145.

大半の新しい国法学者、および彼らと並んでカントは(『永遠平和のために』12ページ)、自由な国制の本質を立法権執行権、とりわけ裁判権の分離に置いている。彼らが自由を民主政にのみ属する長所だとは考えずに、それどころか人民集会は自らを法律に拘束しないために、自由にとって非常に危険であると主張するならば、彼らが正しいことは明らかである。その恣意法律自体が左右されるところの人民全体が、なぜ自らを法律を超えたものと考え、よく考えずに法律を遵守することから逃れてしまうのかもよく分かる。
 これに対して、法律適用できる者が、自らが適用することになる法律を自身で制定しないことは本質的に不可欠であるように思われる。カントによっても受け入れられているこのような見解に対立するいくつかの重要な根拠フィヒテはその『自然法の基礎』序論で挙げた。つまり彼の考えによれば、群衆というものは、第一次集会に集合しているのであろうと代表者の集会に集合しているのであろうと、立法の役にはほとんど立たず、法律適用することになる者以外には誰も立法に相応しい者はいないのである。少なくとも、その際に法律適用することになる者に重要な影響力が、少なくとも拒否権が与えられなければならないということは全く確かである。
 実際には、カント立法権執行権の一体化について懸念する専制もまた、このような一体化そのものにあるのではなく、このような一体化から生じうる濫用にのみある。法律を制定した者がまさに私に対しても法律適用することは、私がそれにしたがって自分の行為を整えてきた、あるいは整えるべき所与の法律をその者が実際に遵守してくれさえすれば、私に何ら害を与えない。むしろ、立法者でない者よりも立法者自身こそ良く自身の法律の名声を保つだろうと私は前提することができる。
 私の自由が危険に晒されるのは、裁判官恣意的な手続を行う場合、すなわち、裁判官法律に拘束されない場合に限られる。つまり、立法者は自身が制定した法律を常に遵守すると私が確信できさえすれば、立法権裁判権の一体化は有害というよりもむしろ有益であるはずである。それゆえ危険は、恣意的法律を制定することができる者はまた容易に、彼が制定された法律適用しようとするかどうかも他ならぬ彼の恣意にかかっていると思うように誘惑されるということにしかない。いずれにせよ、立法者は、新たな法律ですらも現在の事件に適用しないのであれば、任意に法律を変更しようとするだろう。しかし、自らの法律を任意に変更できる立法者はまだ制定されていない法律を現在の事件に適用し、最後には彼の恣意以外には法律を全く認めないだろうと懸念することには根拠が無いわけではない。
 このような害悪を上手く予防するには、第一に、あまりに速すぎる法律の変更が防がれること、第二に、立法権裁判権行使が、たとえそれらが最終的には国家元首において一体化されることになるとしても、それらが表明される場合には、慎重に区別されることによる外はない。
 第一の目的に役立つのは、たとえ票決権は認められていないとしても、新たな法律全てについて事前に聴取されなければならない法律委員会の訓令(Anordnung)である。
 第二の目的は、1) 最高国家権力を有する者が、確かに裁判官を極めて厳正に監督するが、しかし裁判官職を自らは担わないならば達成される。少なくとも、最高国家権力の保有者はそうする暇を持たない。
 幸せなことに、この二つの事情はプロイセン司法において結合している。ランデスヘルのみならず、国務顧問(Staatsrat)もまた直接的に法を執行することはしない。この両者はただ法執行を監督し、現在の事件においてはただ確認を通じてのみ働きかける。それどころか、同一人物が時には、一つは立法に関わり、もう一つは裁判権行使に関わる相異なる職務執行するとしても、こういう事態は、異なる官庁(Collegien)において、そして、立法権裁判権行使そのものにおいては分かれているという仕方で生じているのである。
 しかしさらに、このような分離はいかにして保障されうるのかという問いが提起されるならば、その解決はここでは必要ではない。なぜなら、様々な種類の国家権力の単なる分離は、いまだなお均衡を生み出さず、特定の国制はいかにして確立されうるのか、そして、国家権力をそこに含まれる権利の反作用によって弱めることは有用なのかどうかという問いは、全く別の問題だからである。立法者が裁判官恣意的手続を制限できないならば、そして裁判官が悪しき法律を防ぐ手段を掌握していないならば、別の立法者、別の裁判官がいたところでそれが何の役に立つのだろうか。公共に対する羞恥が十分ではなく、公衆がエフォラートの役を引き受けようとせず、また引き受けてはならないならば、何が濫用を防ぐことになるのか、また防ぐことができるのか。
 第三の権力が監督しなければならないとは! しかし誰が全能のエフォラートをその制約内に留めることになるのか。シュレーツァーのいう自由な諸身分(freywillige Stände)が黙らなければならないとすれば、民主政においてであろうと君主政においてであろうと、私には何の救済手段も思いつかない。とはいえこれについては別の機会に譲ろう。ここでは、立法権裁判権国家元首において単に一体化していることは、人が思うほど不都合ではないが、しかし、司法執行が悪しきものになる、あるいは司法の平穏で確実な進行が妨げられるならば全てが失われるということを示しただけで十分である。

2015-05-10

[]週記(5/4-5/10) 03:00

五月四日(月)
・某読書会。権威的国家と独裁はどう違うのか問題。

五月五日(火)
・大久保健晴『近代日本の政治構想とオランダ』(いまさら)読了。

近代日本の政治構想とオランダ

近代日本の政治構想とオランダ



五月六日(水)
・クエンティン・スキナー『近代政治思想の基礎』(いまさら)読了。



そろそろ生きててすいませんレベル。

五月七日(木)
・某授業にてバンジャマン・コンスタンについての発表を伺う。『政治の原理』の「破綻」を強調した理由を伺うことができて、個人的には非常に収穫の多い時間を過ごせた。
もちろん、同時代や後代への影響の大きさという点で『政治の原理』は無視し得ないテキストだと思うので、↓のはそろそろ読みたい。



こちらのPolitical Writingsには、『征服の精神と簒奪』、『政治の原理』、『近代人の自由と比較された古代人の自由について』の三つの著作が収録されている。
もっとも、『政治の原理』以外の著作については、いずれも邦訳(『征服の精神と簒奪』は慶應の『法学研究』、『近代人の自由〜』は『中京法学』に掲載されている)が存在するので、あえて英訳を読む必要はないかもしれない。
ただ、B. Fontanaによる序論は、コンスタンの生涯、理論の特色を概観するうえで便利だと思われる。

五月八日(金)
五月九日(土)
読書会にてヘルダーを扱う論文の続きを読む。作品を「木Baum」、作品を取り巻く歴史的伝統やその当時の状況を「水Saft」に例える論法は非常に面白い。

五月一〇日(日)
読書会にてパウルティリッヒキリスト教思想史』を読む。扱われている内容は主として、古代神学から宗教改革(ルター、カルヴァン)まで。



・Condorcet, Political WritingsのEditors' introductionを読む。略歴、『人間精神進歩史』の内容紹介、コンドルセの政治理論、受容が主な内容。特に、「「革命的」という言葉の意味について」の内容紹介は、この著作がコゼレックに引用されていることを何となく覚えていた人間からすると非常にありがたい。



・永見瑞木「コンドルセにおける公教育の構想--科学と権力の関係をめぐって」、『國家學會雑誌』 120(1・2), 121-186, 2007-02を読む。コンドルセ公教育論を、彼の政治観・社会観、科学観などに触れつつ、しかも特にシィエスとの対比で論じる研究。国民統合のために情念的なものを動員しようとするシィエス(ラボー・サンテチエンヌ)と市民の理性的思考を重視しそれを可能ならしめるための公教育を構想するコンドルセという対比は、フランス革命期のイデオロギー多様性を改めて認識させてくれる。

2015-05-05

[]週記(4/27-5/4) 01:11

四月二七日(月)


四月二八日(火)
・シュタイン『フランス社会運動史』のコード・シヴィルについての部分を日本語に直しながら読む。けっこう読みやすいドイツ語なのだけれど、集中力が続かなくて全て読みきれなかった。

四月二九日(水)
・サヴィニーとシュタインのお勉強。今から『使命』すべてをドイツ語で読むのは無理だと判断したので、急遽図書館で↓を借りる。



・水田珠枝『女性解放思想史』読了。

女性解放思想史 (1979年)

女性解放思想史 (1979年)



四月三十日(木)
ロールズ『政治哲学史講義』第三回目。本日はホッブズの人間性論について。おそらくロールズは、人間はただエゴイスティックに行動するだけだと説いたというようなホッブズ理解を正すべく、ホッブズもまた人間が利他的に行動することもできると説いていることを強調していると思われる。

・『精神現象学』第三回目。ついに生命の話が出てきてまいりましたが、この当時の自然観をある程度踏まえないとあの部分を具体的に理解することは難しいのではないかなあと思ったり。

五月一日(金)
・授業内発表。サヴィニーの話でだいぶ議論が盛り上がったのだけれど、時間の都合上いささか不完全燃焼で議論が終わってしまったので、とりあえずサヴィニー研究の追跡はこれからも続けていきたい。さしあたりは『比較法史研究』によく載っているリュッケルトの論文のコピーから。

五月二日(土)
五月三日(日)
・特筆すべきことなし。