掛け声について

 昨日、古本屋で買ってきたばかりの「姿 武原はん片岡仁左衛門」(白洲正子監修、渡辺保著。求龍堂刊)を読んでいたら、気になるところがあった。
P61、平成5年12月、南座の「八陣守護城」御座船で幕になるところ。
「この数分間は、我を忘れる面白さであった。最初は狐につままれたようだった観客も、ここでは熱狂的な拍手で、場内に「松島屋」のかけ声がなりひびいた。」

 そうだよなあ。確かに「かけ声」、又は「掛け声」っていうよなあ、と改めて感じる。

 ぼくが歌舞伎を観始めた頃に買った、「歌舞伎はともだち」[入門篇](柝の会+ペヨトル工房・編。ペヨトル工房刊)の中の「若いのに!歌舞伎フリーク・歌右衛門フリーク」と題されたインタビュー(ぼくはこのインタビューにはいろいろ影響を受けたように思う。)のP173にも「かけ声までできる!」という項があるけれども、「大向う」という言葉は、P174の
「(笑)かけ声屋じゃないんですよ。御祝儀もらってませんから。私、いわゆる、「大向う」って嫌いなんです。何か役者に付く寄生虫みたいで。そう歌舞伎を見る眼もないみたいだし。声だって下手だし。本当に嫌。」というところに、「声を掛ける人」という意味で使われているようだが、声自体はあくまで「かけ声」であって、「大向う」という意味では使われていないように思われる。

 しかし、最近は、ツイッターのタイムラインなどを見ていても、「大向うをやっていい」「大向うがかかる」といった形で、「掛け声」=「大向う」という意味で使われていることも多いように感じる。
 ウィキペディアの「大向う」の欄にも
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E5%90%91%E3%81%86
大向う(大向こう、おおむこう)とは、
1.芝居小屋の三階正面席、またそこに坐る客を指す隠語・通言(歌舞伎座では、構造上3階B席から幕見席あたりを指すものとして理解されている。)、つまり大向うとは、舞台上から見た客席の位置に由来する。主として歌舞伎で用いられ、安価な席にたびたび通ってくる見巧者の客(歌舞伎座が設けている幕見席とは、そうした客のための席だったともいえるだろう)を指す。「大向うを唸らせる」といえば、そういった芝居通をも感心させるほどの名演であることを意味する。
2.1から転じて、大向うに坐った客が掛ける声、またそれを掛ける客のこと。主に歌舞伎の用語。本項で詳述。(以下略)

とある。

 ただ、本当に「掛け声」=「大向う」だったか、これまで歌舞伎を観てきた印象からすると、ちょっと疑わしい気がする。
 そこで、少し調べてみることにした。

 まず、広辞苑。芝居の用語を一般的な辞書で調べて、その意味が正しい、と言い切れるかはちょっと疑問だけれども、iPad miniに入っている広辞苑第六版ではこうなっているようだ。
「おお−むこう【大向う】
 (向う桟敷の後方にあるところからいう)劇場の立見の場所、すなわち一幕見の観覧席。また、その席にいる観客。目の肥えた芝居好きが多かった。転じて、一般の見物人。→大向うをうならす」

 これはちょっと間違っているんじゃないかなあ、やっぱり一般的な辞書だしなあ。当世、一幕見の観覧席に大向うの会の人たちは行かないだろう、たぶん。大体3階の下手か真ん中か上手の通路で声を掛けているか、空いた席に座って掛けている人が多いように思われる。
 まあそれはともかくとして、広辞苑では「大向う」=「掛け声」のことは意味していないように思われる。

 一応ググってみると、コトバンクというところでいろいろ百科事典とかの検索ができる。
https://kotobank.jp/word/%E5%A4%A7%E5%90%91%E3%81%86-39605#E4.B8.96.E7.95.8C.E5.A4.A7.E7.99.BE.E7.A7.91.E4.BA.8B.E5.85.B8.20.E7.AC.AC.EF.BC.92.E7.89.88

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説
大向う
おおむこう
劇場用語。舞台向う正面奥の観客席,およびそこに席を取る観客をいう。料金は安いが,鑑賞眼の高い庶民の観客が集るので,高級な桟敷席よりこの席の反応が重視された。舞台の芸の要所要所で,ここから俳優の屋号やその他さまざまのほめ言葉がかかり,芝居の進行に独特の興を添える。江戸時代には,率直で当意即妙な悪口も飛んだので,役者は大向うに気を使った。椅子席となった現代は,3階正面奥がこれにあたる。

世界大百科事典 第2版の解説
おおむこう【大向う】
劇場用語。向う桟敷の総称。現在では常設する劇場は少ないが,3階の客席後方に仕切られた一幕見の立見席をいう。この席は舞台全体が見やすく,何度も見るには好都合な安価なので常連客が多い。これから,転じて常連客のこともいう。大向うから適宜かけられる掛声は,舞台を盛り上げる。また,大向うの舞台に対する評価は,口コミとなって興行成績,役者の人気を左右する影響力を持つ。【富田 鉄之助】

日本大百科全書(ニッポニカ)の解説
大向う
おおむこう
劇場用語。最上階にある客席、またその席の観客。昔の劇場で2階の後方にあった「大入場」、現代では3階席や立見席がこれにあたる。大衆席であるため、俗受けをねらうことを「大向うを当て込む」というふうに日常語化しているが、反面、この席には芝居好きの見巧者(みごうしゃ)が多いので一種の尊敬も払われ、その意味ではフランスのパラディparadisやドイツのオリンプスOlympsに通じ、日本でも天井桟敷(さじき)とよぶことがある。[松井俊諭]

 これらも客席や観客のことを指す、とは言っているけれども、「掛け声」=「大向う」とまでは定義づけていないように思われる。

 では、専門的な本はどう定義づけているだろうか。
 手元に2冊の事典類がある。
「【新版】歌舞伎事典(服部幸雄・富田鉄之助・廣末保編。平凡社刊)」
「【最新】歌舞伎大事典(富澤慶秀・藤田洋監修、神山彰丸茂祐佳児玉竜一編集委員柏書房刊)」
ほかにも事典関係はありそうな気がするが、とりあえず手元にはこれしかない。
 まず平凡社の「【新版】歌舞伎事典」から。P83。
「おおむこう 大向う 劇場用語。向う桟敷の総称。現在では常設する劇場は少ないが、三階の客席後方に仕切られた一幕見の立見席をいう。この席は舞台全体が見やすく、何度も見るには好都合な安価なので常連客が多いところから、転じて常連客のことをいう。大向うから適宜かけられる掛け声は、舞台を盛り上げる。また、大向うの舞台に対する評価は、口コミとなって興行成績、役者の人気を左右する影響力をもつ。→掛け声 富田鉄之助」

 これは世界大百科事典の解説と同じ。書いている人が同じなので当然と言えば当然か。
 ここでも「掛け声」=「大向う」ではなく、「掛け声」は別途、P110に
「かけごえ 掛け声 舞台の演技に対して、観客が掛けるほめことば。「成田屋」「三代目」「紀尾井町」「待ってました」など、俳優の屋号、名跡の代数、住居などを、人物の出入りや、演技が高潮した瞬間に独特な間合で掛ける。状況に見合った巧みな掛け声は、劇場内の雰囲気を盛り上げ、俳優の演技を際立たせるが、イキが大切。現在では一般の観客がかけることが少なく、舞台を盛り上げるため、掛け声をかける専門家がいる。昔はほめことばばかりでなく、「大根」「引っこめ」などののしることばもあって、俳優も緊張させられたものという。→大向う 高瀬精一郎」
という解説がされている。
 そうですねえ。イキなのか、間なのか。ぼくはイキより間が大切なような気もするが、こういう考え方もあるのであろう。

 次に、「【最新】歌舞伎大事典」を見てみよう。P22.
「大向う[おおむこう]
 劇場用語。江戸時代の劇場で、向う桟敷(二階正面)の後方の立ち見席。舞台からは最も遠い、いわゆる聾桟敷であるが、見巧舎が通う席とされる。近年の大劇場では三階席がこれに相当する。この席の観客から俳優の演技などに対して掛け声がかけられることが多いため、掛け声を意味することもある。中川俊宏」

 ここでようやく「大向う」=「掛け声を意味することもある。」という解釈が出てきた。ちなみに、掛け声についての項目もあって、
「掛け声[かけごえ]
 演出用語。主として俳優の登場、退場、見得、幕切れの柝頭、セリフの間合いなどに、観客から発せられる声。俳優の屋号、代数、居住地などのほか、「大当たり」「待ってました」「ご両人」「たっぷり」などと称賛を込めてかけられるが、かつては批判的な声がかかることもあった。声をかける観客の席から「大向う」とも呼ばれる。」
とのこと。演出用語なのかなあ?掛け声。まあいいでしょう。

 今度は、実際に掛け声を掛けている人たち、いわゆる「会の人」はどうとらえているのだろうか?残念ながら、2冊しか持っていない。
 まずは、掛け声についてのいろいろな文章を書いておられる山川静夫さんの「大向うの人々歌舞伎座三階人情ばなし」(講談社刊)から。ここには「第二章 大向うの成立」という項目があるが、山川さんは「大向う」と「掛声」は分けているように思われる。
 具体的な文章としては、P86.
「私たち大向うにとっては、掛声の掛からない歌舞伎はなんとなく寂しい。花道の七三で役者が大きな見得をした時など大向うからの掛声は不可欠だと思う。そしてそれは立派な効果音になっているのだと自負したい。芝居を盛り上げる一つの大切な要素なのだ。
 でも、いったい大向うの掛声などというものが、いつ、どうして、どこで生まれたのか−以前から”大向うの成立”についての興味はあった。服部幸雄著「歌舞伎のキーワード」(岩波新書)に、「大向う」の語源についてふれている(傍点筆者=このブログでは略)。

 江戸時代の劇場で、台帳(狂言台本のこと)のト書きに「向こう」とあれば、それは花道への出入口の部屋(江戸では揚幕、上方では鳥屋)を指し、「向桟敷」と言えば二階後方の観客席だった。いずれも舞台の上から眺めて「向こう」に相当する方向にある空間を指し示していた。」
 P88
「この文章を読んだ時、私は、これが大向うの掛声の原点なのだ、と直感した。」
 P100
「この種のほめことばは、明治二十九年に九代目市川團十郎歌舞伎座で『助六』を演じた時に吉原の幇間(たいこもち)がほめたのが、どうやら最後といわれているが、今日のいわゆる「大向うの掛声」に無関係とは思えない。つまり「大向うの掛声」とは、基本的に役者をほめる表現方法の一つなのだ。」

 これらを見るに、おそらく「大向う」=「掛け声」の意味で使っているのであれば、「大向うの掛声」と二重に書く意味はないように思われる。

 もう一つ、「会の人」の本から。いや、これは元「会の人」か。
 昨年出た「歌舞伎大向 細見」(中條嘉昭著、株式会社ブレーン発行、北辰堂出版株式会社発売)は元歌舞伎大向「弥生会」会員の方の著書であるが、いきなり総論として「一 大向とは何か」という項目がある。P21から。
 ここではまず、渥美清太郎の「日本演劇辞典」(著者渥美清太郎、発行所新大衆社)による
「おうむこう(大向)
 劇場用語。ズッと後方の観覧席である※註大入場、立見席等の席、又はそこの看客を指す。「大衆」の意味で使用される。以前は見巧者として、或は適切な掛け聲褒め詞の発生地として一種の尊敬を払われてゐたが、今はそれらも僅少なので、自然無智低級な看衆の意も含まれるやうになった。」
という意味を紹介したうえで、「この定義が、「大向う」の全てを現代的な意味で表現している訳ではない。即ち、大向うという言葉それ自体が、三つの意味を持っている。」と急転回し、
「・第一が、二階或は三階の後方に位置する立ち見席・座席の位置、即ち席の呼び名。
 ・第二は、常連客の人又は集団であって役者に対して声を掛ける個人、グループ。
 ・第三が、役者に声を掛ける行動、即ち掛け声を意味する。」
としている。これを読んでいる限りでは、現代になって語義が変化して、(少なくとも会の人の一部では)掛け声についても大向うの意味に含まれるようになった、といった感じで読み取れる。
 ただ、P25から26にかけて引用されている「カブキ・ハンドブック」(編渡辺保、著者・渡辺保児玉竜一・上村以和於・近藤瑞男・品川隆重・佐谷真木人児玉竜一(ブログ筆者注=と書いてあります。あれ?))の中で児玉竜一さんが書いておられる「大向う」の定義でも、
「「大向う」につきものなのが、掛け声である。」とされているようであり、「カブキ・ハンドブック」本体を読んでいないので何とも言えないが、「大向う」=「掛け声」ではないようにも思われる。
 
 なお、「歌舞伎大向 細見」は、児玉さんの文章の引用から、「歌舞伎役者からの大向うに対する評論・発言」に移るのであるが、そこで引いている十三代目片岡仁左衛門の随筆集の題名が「嵯峨談話」となっており、そこを見た段階で、この本大丈夫かよ、という気もする。(正しくは「嵯峨談語」) 


 とここまで、いろいろな本による「大向う」という言葉の使い方を調べた。
 ほかにも文献はたくさんあると思われるので、別の文献に当たればまた別の評価になるのかもしれないけれども、いわゆる「会の人」の意識も含めて、「大向う」=「掛け声」ということもいえなくはないが、通説的に「大向う」=「掛け声」とはいえないように思われる。「大向う」=「掛け声」という使い方をする人もいる、という程度であろう。
 そもそも、「○○屋」などの芝居の中の掛け声は、芝居の中にあるから何か特殊な性格を持つものでもないようにも思われる。「掛け声」は「掛け声」なのではないか。
 そんなことを踏まえれば、他の方の考え方はともかくとして、自分は、「大向う」≠「掛け声」と考えたい。やはり、冒頭の渡辺さんの文章ではないが、声自体は「かけ声」なんだろう、と思う。

 最後に、昨日買ってきた「嵯峨談語」(十三代目片岡仁左衛門著。三月書房刊。新装改訂版)の中からP75「おおむこう」という項目の文章を引用し、終わりにしたい。
「歌舞伎の芝居になくてはならぬのは大向こうの掛け声です。
 役者が舞台へ出る瞬間「○○屋!」と声がかかるのは誠にいいもので、役者はむろんいい気持ですが、お客様もいい気持だそうです。役者がいい役で揚げ幕から出ても声もかからず、シーンとしていては、お客様も気が乗って来ないでしょう。
 例えば、私が「吉田屋」の伊左衛門で、編み笠に紙子姿で揚げ幕から出た時「松嶋屋ッ!」と声がかかると、誠に芝居らしいムードになるのです。この大向こうの声も、東京と関西ではだいぶ違います。東京は早く詰めてかけ、関西はやや延ばして長くかけます。
 また、東京ではよく役者の住んでいる町名をいったものです。「明舟町ッ!」とか「甲賀町ッ!」といったように・・・・・。
 又時には困った声をかける人があります。去年の「顔見世の籠釣瓶」で、高麗屋幸四郎)の次郎左衛門が八ッ橋を一刀のもとに切りおろして、その刀をジッと見て「かごつるべは・・・」というと、大向こうから「よく切れるなあ」といった客がありました。これなぞはとんでもない半畳で、芝居をこわしてしまいます。
 私の父が「名工柿右衛門」を出したときのことです。苦心のすえ焼き上がった赤絵の皿を見て「出来たッ」と大きく一声叫ぶようにいって「おお、出来た(出来た出来た)」というところがあり、いつも大かっさいでした。ある日、父が赤絵の皿をジッと見て「出来た」という寸前、大向こうが「出来たッ」と声をかけてしまいました。そこで父はとっさに「これじゃッ」といいました。大向こうに先を越されて同じセリフをいうことを避けたのですが、次郎左衛門の場合、ほかにいうセリフもとっさには出ません。高麗屋もさぞいやだったろうと思います。
(後略・・・ここは大根という掛け声についての段落です。)」