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動きを通して自分の心と身体にめざめよう!フェルデンクライス・メソッドをめぐる日記

2015-07-24 このエントリーを含むブックマーク このエントリーのブックマークコメント

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2015-06-28 専門的な話の前にアタマをゆるめる効果 このエントリーを含むブックマーク このエントリーのブックマークコメント

鼻のせいかもしれません

(黄川田徹/著、ヨシタケシンスケ/画、筑摩書房)

鼻のせいかもしれません: 親子で読む鼻と発育の意外な関係 (単行本)

ヨシタケシンスケさんの絵ひ惹かれて手に取った一冊。

構成がとても良く、著者お二人が伝えたい内容がよくわかります。

(ヨシタケシンスケさんは絵+αなご担当です)


本は3つのパートに分かれています。

1)黄色いP9〜40「ほっとかないで!はなづまり

 ―親子で読む鼻と鼻づまりの話―

2)白いP43〜87「気づいてあげて、鼻づまり!

 ―親御さんに知ってほしい鼻の話―

3)グレーのP89〜96「鼻の手術 体験レポート


黄色いパートは、小さなお子さんを持つお母さんに向けて

「お子さんにこんな症状・様子がありませんか?」と訊ねます。

白いパートは、専門家である黄川田先生のお話。

グレーのパートは、ヨシタケシンスケさんご自身の体験談。


Part1でヨシタケさんの絵にクスクス、ワハハと笑って

頭をやわかくしPart2に備えます。(とても素敵な準備体操!)


Part2で鼻の役割とそれが上手く働かない時どうなるか?

そして、どうしたらいいか?の具体的なお話が頭に入ってきます。


Part3で「子どもさんの鼻づまり」だけでなく

「大人にだって当てはまるんだ」と気がつきます。


発育途上にある子どもにとって、呼吸の大切さを知ることができる

発育が完了した大人にとっても「(自分の不調は)もしかして…」と

意識を向けるきっかけになる本です。


ウチの母の睡眠問題もハナにあるのかも。


P13の絵が一番のお気に入り!(笑って脳が緩みました)

どうしてハナってつまるの?

よるねてるあいだに、リスがどんぐりつめちゃうの?

うーん。たぶんリスじゃないとおもう。

(「鼻のせいかもしれません」13頁より)

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2015-06-27 動きの学習はつづく このエントリーを含むブックマーク このエントリーのブックマークコメント

フェルデンクライス指導者養成コースを受講中

たくさんのグループレッスン(ATM)*1を受けました。


いろいろなタイプのレッスンがあり、

レッスンを通して、自分の得意不得意がはっきりします。

 「このレッスンはいろいろ発見がある!」

 「苦しいだけで、こんなのキライ!」

 「そもそもどんな動きなのかイメージすらできない」

…と様々です。


不得意なレッスンの時、ふと周りを見渡します。

 私と同じように四苦八苦している人

 力技でこなそうとしている人

 とても楽そう&楽しそうに動いている人

…いろいろなタイプがあると知ることが出来ます。


はじめは「この動き苦手(嫌い)」と思考停止していたのが

周りを見ることで「あれ?」となるのです。

特に「とても楽そう&楽しそうに動いている人」を目にすると

「ど〜して彼女/彼はあんな風に動けるんだろ?」

「ど〜して私は動けないんだろ?(動くと苦しい/痛いんだろ)」

と次第に疑問を持つようになります。


疑問を持っても、すぐに解決に結びつかないところが

少し悲しいのですが。


でも、この「ど〜してだろ?」は後々まで続きます。

「私もあんな風に動けるようになりたい」という思いがあるから

疑問を持ち続け、答えを探しつづけ、試し続けることができます。


小さな子どもが、動きの発達面で先をゆく月齢の近い子や

1〜2歳上のお兄ちゃんお姉ちゃんの動きを見て

やがてその動きを実現するのと似ているかもしれません。


ただ、彼らに比べると私の学習速度は超おそい!点が

同じ「学習」でも違うところです。


それでも、動きの学習はつづきます。

*1ATM
Awareness Through Movement 動きを通した気づき、の略
これだけでは何のことかわかりませんね…
「動く」ことがメインではなく「気づく」ことの方が大切
…そんな身体の動かし方、といったらいいでしょうか。

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2015-06-25 ほんとーにわかってない・・・似たもの夫婦 このエントリーを含むブックマーク このエントリーのブックマークコメント

思春期を過ぎた頃からだったと思います。

両親のやりとりや行動を見たり聞いて

ど〜して相手のことがわかんないんだろ??

と不思議に思っていました。

これは今も続いています。


特に「それをしたら(言ったら)相手はいやがる(不快になる)」

そんなことを両親は互いに相変わらず繰り返しているので

ど〜してわかんないんだろ?」なのです。


彼らのそばにいる私にしたら、

彼らの一言を聞けば、行動の始まりを見たら

「あ〜あ、(相手が)嫌がるわ」

「あ〜!(相手は)それ好きじゃないのに」

…とすぐ分かるのに、当事者の両親はわからない。


私が言葉でその後展開するだろう様子を具体的に伝えても

どうして相手が不快になるか説明しても

両親は「???」ときょとんとしています。

しかも無意識な行動で、相手を「ムッ」とさせることを

相変わらず繰り返しているので不思議です。


最近、ようやく「(両親は)本当にわかんないんだ」と

腑に落ちたので私自身の「???」が落ち着きました。


いじわるでも嫌がらせでも何でもなく

そうしたことに対する「センサー」が欠如しているから

気づきも学びもなく繰り返すんだ…と。


そんな両親でも仲が良いからまあよしとしましょう。

(この点も不思議といえば不思議)

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2015-06-23 アナタが正しいです このエントリーを含むブックマーク このエントリーのブックマークコメント

  ハイ!アナタが正しいです!

突然私の口をついて出てきたこの言葉。

「アナタ」とは「身体」のこと。


この言葉を聞いた私の脳内では

  「(一体誰が言ってるんだ)?」

  「やっとわかったか〜!」

  「ホントかな?」

という声がしています。


歯を治療中の私は、薬を飲む必要がありました。

治療中の歯で物を噛めない、治療にくたびれた…があり

食欲がいまひとつ。

「薬は食後!」「食べないと回復しにくい」を考える頭と

「食べる気しないな…」な身体。


何かしら食べた方が良い、この点で両者は一致。

では、何を食べるのか?

ここで、頭が何を食べるか提案し、身体が「それはちょっと…」と

やりとりを始めます。

面白いのは、いくら頭が理屈であれこれお勧めしても、

嫌なものはイヤとはっきりしている身体のギャップです。


両者、折り合いがついたのが「食パン」。

(ここで、冒頭の言葉が出てきました)

頭にしたら「昨日の晩御飯も今朝も食パンで、お昼も!?」

身体にしたら「食パンは口の中でまとまるから噛むのがラク!」

ここが決まれば、副食では揉めないから不思議。


身体に従う方が葛藤が少なくて合理的なのでは?と

薬のせいでぼんやりした頭は考えています。

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2015-06-21 脳内会話は弾む(参加人数不明) このエントリーを含むブックマーク このエントリーのブックマークコメント

フェルデンクライス・メソッドを学び始めて丸10年経ちました。

飽き性の私にしては、ほんと長続きしています。

いや、そもそも飽きがこない。いつまでも面白い。


毎日、レッスンをしているわけではないのですが

今の私が「これかな?」と思う動きや観察を

日々いろいろな場面で続けています。


どうしてこんなに続けられるのだろう?と自分に問うと

「おもしろいから!」と速攻答えが返ってきます。

私の中にある「子どもな私」「大人な私」が面白がっています。


身体の感覚としておもしろい

ココは「子どもな私」が喜んでいる部分。

自分とコミュニケーションとってる感覚がおもしろい

コレは「大人な私」が楽しんでいる部分です。


レッスンを受けて、身体を感じながら動かして

「身体が楽になった」「動きが変わった」ことも嬉しいけれど

その途中経過の方がずっとおもしろい。

動くことよりも感じる・考えることの方に重さをおくことで

脳内会話が進みます。弾みます。

ここがおもしろいのです。


相手の話を聞かないと会話が弾んでいかないのは

身体の声を聴かないと脳内会話も弾まないのと似ています。

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2015-06-19 輪っかをぐるぐる(フィードバックループというらしい) このエントリーを含むブックマーク このエントリーのブックマークコメント

  動く→感じる→考える→試す(動く)→感じる→考える…

フェルデンクライス・メソッドのグループレッスンでは

この「輪っか」をぐるぐる回します。


ただ、動きが

 ・速い

 ・力が要る

 ・負担がかかる姿勢

だったりすると「輪っか」が作れません。

「輪っか」の始まりと終わり、頭とシッポがくっつきません。


今の自分の身体にラクでない動きやツライ姿勢では

感じるも考えるも顔を引っ込めたまま。

カメが頭手足を甲羅の中に引っ込めている姿に似ています。


カメは安心できる状態でないと頭や手足を出しません。

私の頭も身体も同じ。

安心、安全な状態でないと感じるも考えるも出てきません。


「輪っか」ができる状態になると

少しずつ「輪っか」を回すことができます。

試行錯誤(試考錯御)、頭で考えたことを身体で出力してみます。

(頭でイメージするほど制御できていないことが多いのですが)


で、思ったほど上手く動けなくて「?」となり、また考えます。

この繰り返し。

自分の身体を使って動き、自分の頭で考え、自分の身体で試す。

これが面白いのです。


なんてったって結果がすぐわかるのですから。

感覚が高まれば、結果は即わかります。

動く前から「これは違うだろうな…」の予測もつきやくすなります。


自分の外にあることについて「輪っか」を回すのでなく

自分そのものを「輪っか」にするのですから飽きません。


この「輪っか」を「フィードバックループ」というらしい…と

今日知りました。

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2015-06-17 見る目の高さが上がっていく このエントリーを含むブックマーク このエントリーのブックマークコメント

一〇三歳になってわかったこと

篠田桃紅・著 幻冬舎刊

一〇三歳になってわかったこと 人生は一人でも面白い


今を生きていらっしゃる方が書いた本だと感じました。

仕事柄、多くの高齢者に接し、お話をたくさん聞いてきましたが

その方々とは違う視点を感じます。


  ナニがちがうんだろ?


篠田さんの言葉は、身体も気持ちも「今」から出てきています。

過去の出来事であっても「今の目」で語っていらっしゃいます。

過去に止まっていない。

しかし、歳をとるにつて、自分の見る目の高さが年々上がってきます。いままでこうだと思って見ていたのもが、少し違ってみえてきます。同じことが違うのです。それは自分の足跡、過去に対してだけでなく、同じ地平を歩いた友人のこと、社会一般、すべてにおいてです。

「一〇三歳になってわかったこと」(篠田桃紅・著 幻冬舎刊)26頁

百歳を過ぎて生きるということはどういうことなのか。一つには、別の立場から客観視している自分と向き合うことなのかもしれません。

(同書、29頁)

私がこれまで聞いてきた高齢者のお話の中で、

心惹かれたり、共感したり、気づきを得るのは

彼らの「年々上がった目の高さから見える景色」を

共有した時だったのだと思います。


彼らの話が、繰り返される物語(昔の話)であっても

「今思うとな」「今気がついたけど」と

去年とは違う、前回聞いたものとは違う一言が出てきます。

その時の表情は、過去の感情から距離をおいたものになっています。


客観視したお話であれば、何度聞いても苦にならない。

不思議です。


篠田桃紅さんの男前なお話しぶりが聞けます。

ご著書について語られています。

NHKラジオ第1「マイあさラジオ〜著者に聞きたい本のツボ

2015年6月7日放送分

http://www.nhk.or.jp/r-asa/book.html

(7月上旬くらいまで聞くことができると思います)

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2015-06-15 「好きなことは後回し」の影響 このエントリーを含むブックマーク このエントリーのブックマークコメント

食事時どういった順番で目の前に並ぶ料理を食べるか?

私は『苦手なものから食べ始めて、後で好きな物』です。


これは子供の頃、食が細かった私の「戦略」だったのですが

このことが、今も私を縛っている…と本当に思います。

もうビックリするくらい、私の行動のあちこちに顔を出します。

脳の隅々にまで浸み込んでいて、しかも繁殖しているかのようです。

(カビが増えていく様子をイメージしています)


子ども時代の「戦略」、今の自分に合ってる??

その戦略をベースに行動しているってどうなの??


先ずは食事の場面で、少し立ち止まって考えることが

少しずつ出来るようになってきましたが

  「苦手なものから食べ始めて、後で好きな物」→

  「好きなことは後回し」→

  「好きなことを優先するのは良くない」…

と、進化し根深くそして拡大した無意識を意識化することは

なかなか時間がかかります。


「好きな食べ物は後で」戦略は、

「食が細い」という自分の身体と結びついたものなので

浮き上がらせてくる、土台と分けるのが大変です。

(絵画の修復作業をイメージしています)


時間と手間はかかりそうですし

戦略(カビやキズ、上塗りした絵具)を全くなかったことには

できませんが「おお〜こんなところにまで影響してる!」を

発見することは面白いです。


「わかる」と「かわる」が必ずしも結びつくわけじゃないけれど

自分の中に埋め込まれたナゾを探ることは面白いのです。

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2015-06-12 情報量が少ない分、考える工夫する このエントリーを含むブックマーク このエントリーのブックマークコメント

フェルデンクライス・メソッドのグループレッスンでは

BGMもないし、鏡もなし。

動きのお手本もなし。

おまけに寝転がったまま動くレッスンが多い。

何より身体(筋肉、動き)のパワーやスピード、柔軟性…を

求められない(問われない)のが私にとって楽。


五感的にも肉体的にも、量的にも

私の身体と頭に楽なレッスンなのです。


元気いっぱい、好奇心いっぱい、動く気いっぱいだった

小学校入学〜10代の頃にグループレッスンを受けたとしても

フェルデンクライスを気に入ったと思います。


どうして楽なのか?

処理しなければならない情報量が少ないから、です。


子どもの頃から「人の動きを見てまねる」が苦手。

よ〜く観ていたって、わかったつもりになったって

私の身体は私の思うようには動きません。

とにかく身体をコントロールできるようになるのに時間がかかる。


それに加えて身体の柔らかさや筋力を求められるような動きだと

私の身体(と頭)は更に混乱します。

自分の好奇心がリードして動く遊びの時は混乱しません。


ずっと体育の成績は良かったし、大好きな教科でしたが

自分の身体や動きについて「なんだか無理があるな」と

思い続けていました。


動きの量も強さも少なく

指導者による動きのお手本もなく

動きの指示を耳で聞いて、寝転がったまま動く

フェルデンクライスのレッスン。


身体と頭が忙しくならない分

私の身体の得意/不得意、楽/苦痛のちがいが見えてきます。


子どもの頃とは違う種類の「好奇心」に引き出される動き。

内側の動機から動くのはいくつになっても愉しいのです。

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2015-06-11 分解は愉し このエントリーを含むブックマーク このエントリーのブックマークコメント

分解してみました〜現代人のためのテクノロジー解体新書

(トッド・マクラレン/著、金成希/翻訳

(株式会社パイ インターナショナル)

分解してみました

目にも頭にも好奇心にも楽しい一冊です!


空中にほうり投げたらバラバラに分解して落ちてきた…

そんな瞬間をとらえてような黒電話の写真を見て

「これは私のための本だ!!」と直感。

即、借りました。

(図書館の新着図書コーナーに並んでいました)


物の大きさをSからXLまで4つに分けて本は進みます。

例えば

  S シャープペンシル、ホチキス…

  M レコードプレーヤー、フリップ時計…

  L アコーディオン、ミシン…

  XL 自転車…


元の形は示されません。

分解してきれいに並べられた部品を一枚の写真に収めたもの(A)と

分解した部品をばらまいて撮影した写真(B)の

2種類の写真が載っています。

(写真Aの「ばらまき写真B」が全て載っているわけではありません)


写真はとてもきれいに撮影されているし

分解された部品すべてが美しく並べられているし

何より部品それぞれが魅力的で見飽きません。


見開きページの左側に「デジタル腕時計」右に「機械式腕時計」

左側に「iPod2」右に「sonyウォークマン」が並ぶ頁は

その部品の数と形の違いがよくわかり驚きをおぼえます。


上の頁だけを見ていたら

「デジタルが進むと部品は少なくなるんだ」

「部品の形はのっぺりしたものに変わるんだ」

と早合点してしまいそうですが、

「一眼レフカメラ」と「デジタル一眼レフカメラ」の頁にくると

そんな単純でないことが見てわかります。


S〜XLの前と、本の終わりにある文章も

(書き手の)「身体を通って」「手足と頭を動かした中から」

書かれたものだと感じられ

私なりに脳全部で読もうとしていることに気がつきます。

  P12〜11

  WE ALL HAVE ADHD THESE DAYS...

 目移りするのはなぜだろう… トッド・マクレラン

 

  P40〜43

  THE REPAIR REVOLUTION

  修理革命 カイル・ウィーンズ


  P78〜81

  LIFE LESSONS LEARNED THROUGH TINKERING

  人生で大切なことは修理をして学んだ ゲーヴァー・タリー


  P102〜105

  TAKING APART THE PAST

  過去を分解する ペニー・ベンドール


  P122〜125

  FALLING APART:THE FUTURE

  分解の未来 ジョゼフ・チオド博士


眺めても、観ても、読んでも、解いても楽しい本です。

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2015-06-09 やっぱり図書館好き このエントリーを含むブックマーク このエントリーのブックマークコメント

近くの図書館、入口近くには小学校低学年向けの書棚。

奥へ進むにつれて学年が上がっていくような書棚のレイアウト。


書棚とは別に、靴を脱いでカーペットの上で読める

小さい子向けの絵本コーナーもあります。


文字がびっちり並ぶ本も良いのですが

ふりがな付の絵や写真の載った本も良いです。


また、小学校高学年〜中学生に向けて書かれたものは

書かれ方に工夫があり、理解しやすく

手軽に読める新書よりも内容が濃いかも…と思います。

(その上、文字も大きめ、行間も広めで目にやさしい)


なので、最近は絵本やヤングアダルト向けの本も混ぜて

借りています。


図書館、ありがたいです。






最近は


平日の利用者は比較的少ないけれど

土曜日曜は親子来館者の姿を見かけます。

小学校低学年までのお子さんと一緒に

お父さんが、お母さんが、あるいは家族皆でやって来ます。


どの親御さんも手には大きめの鞄。

鞄の中にはいっぱいの本。

(一人最大5冊借りられます)

たぶん子どもさん用にと借りられるのでしょう

絵本などの大型本らしい様子が鞄の口から見えます。

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2015-06-07 おやつの時間に絵本 このエントリーを含むブックマーク このエントリーのブックマークコメント

絵が美味しそう〜♪

和菓子のほん (たくさんのふしぎ傑作集)

和菓子のほん

(中山圭子/文、阿部真由美/絵、福音館書店)


中川李枝子さん&山脇百合子さんコンビ☆

おかし (たくさんのふしぎ傑作集)

おやつ

なかがわりえこ/文、やまわきゆりこ/絵、福音館書店


やっぱりカステラ!

カステラ、カステラ! (たくさんのふしぎ傑作集)

カステラ、カステラ!

(明坂英二/文、齋藤芽生/絵、福音館書店)


大好きなお菓子や和菓子でも

本調子でない時に実物や写真を見ると

気持ちと身体の両方から「今はいらない…」と言われて

自分の調子レベルがわかってガッカリします。


そんな時、絵本だと比較的大丈夫。

しばらく絵本をながめていると、少し調子が戻ってきます。


自分の身体や気持ちが何に反応して上向くか

わからないものです。

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2015-06-04 背中に見とれる このエントリーを含むブックマーク このエントリーのブックマークコメント

去年の5月、玄関先にやってきたツバメ

ホバリングしながら

私に面と向かって口をめいっぱい開けて

鳴いて「アンタ!ちょっと邪魔しないでよ!」と訴える

実年齢は若いけれど、行動は中年女性っぽい

赤いバンダナを首に巻いたような胸元の赤い三角が目立つ

時間をおかず何度も下見にやってきた

鋭角に飛び回る元気いっぱいな一羽でした。


今年やってきたのは大きな曲線を描きながら飛ぶ一羽。

電線や玄関灯の近くに止まる時は鳴くのですが

私の目の前を飛ぶ時は鳴かない。

ホバリングしながら対面で大きな声で鳴くこともありません。

玄関灯近くの狭い場所に止まって何をしているのか

そっと覗き見ていると、どこに巣を作ろうか

物色(思案)している様子。

落ち着きがある40歳前後の男性っぽい雰囲気。

少しゆっくりめに飛ぶ様子を観ていると

背中が少し青みがかっていることに気づきます。

光の加減で玉虫のような青緑にも見えます。

ツバメの羽(?)は黒か濃紺だと思っていたのですが

とてもきれいな色をしています。

しばらく目で追いかけていました。


去年のツバメの胸の赤もきれいでしたが

今年のツバメの背中の青もきれいです。

60〜70cmの高さがある踏み台の上に立っていると

これまで知らなかったツバメの様子を知ることができます。

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2015-06-03 過ぎたるは…ちがいを見失う このエントリーを含むブックマーク このエントリーのブックマークコメント

  一生懸命すぎても

  必死になり過ぎても

  忙しすぎても

  急ぎ過ぎても

  苛立ちすぎても

  落ちこみ過ぎても

  動きすぎても

  食べ過ぎても

  音が大きすぎても

  香りが強過ぎても

  ……


いろいろな「過ぎる」が私の中や周りにあると

いろいろな「ちがい」を感じることが難しくなります。

はっきりしない、あいまい、ささやか、小さい

何よりよくわからない…

でもそこから何かが見えてくるかもしれない「ちがい」。


子どもの頃、ドアや石塀の隙間、土塀にあいた穴を通して

覗き見た世界が新鮮で新しい発見があったように

「ちがい」も新しい視点を得られる隙間や穴なのかもしれません。

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2015-06-02 身体との「対話」から「探検」へ このエントリーを含むブックマーク このエントリーのブックマークコメント

フェルデンクライス・メソッドのグループレッスンを受けていると

「身体と対話する」というより「身体を探検する」という

イメージの方が最近は強くなっています。


以前は「対話型」だったので

  ふ〜ん、ここまで動くのはイヤなんだ

  なるほど、本当は無理があるのね

  この動きだとご機嫌になるんだ

  etc

といったように、身体は言葉を発しないけれど

あ〜だこ〜だとお喋りしていたと感じています。


最近は「探検型」。

私の方からも言葉が出てきていません。

身体は静かにそこに在って、身体のどこか小さな入口から入って

小さく静かに少しずつ先へ奥へと進んでいくような感覚です。

言葉を介さずに何をしているのか?

じっと見ている、静かに観ています。


身体を変えるのでなく、私の方を変えていく


探検していると思うのです。

私から身体に対して期待や要求、欲望、要望、希望があっても

それが身体の鍵穴に合わなければ聴いてもらえないんだな、と。


身体が主で、私(頭)が従

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2015-05-30 睡眠効率をあげる このエントリーを含むブックマーク このエントリーのブックマークコメント

小学校入学してから、ずっとずっと考えていること。

睡眠たっぷりとっても

スッキリしない(気持ちよく目覚めない)

「睡眠をたっぷりとる」は「睡眠時間が8時間」を指します。

小学生の頃から、朝スッキリ目覚めたことがない。

毎朝毎朝「え〜!?起きるの!?まだ寝てたい…」の繰り返し。

前の晩8時に寝ても、夜中トイレに起きなくても、朝の目覚めはうだうだ。


朝起きたては不機嫌、低血圧というわけでもありません。

布団から出てしまえば動くし、家族にあたることもありません。

朝食もとって、家を出ていきます。

でも「まだ寝てたいのに…」から自分を引きはがすのが大変。


こうしたことが、私にとっての「普通」だったので

時々「なんか変だな」と思うもののこの歳まで繰り返してきました。

寝入りが悪いのでも、夜中目が覚めるわけでも、夢見が悪いのでも

身体が適度に疲れていないからでもないのです。

夜寝て、朝起きたら、疲れがとれている…から外れている私の身体。


やっぱりおかしい…


ある日、夜中ふと目が覚めた時、気がつきます。

  あれ?歯を食いしばってる!?

  あれ?手を握り締めている…

  あれ?肩がこる…

  あれ?呼吸が浅い…

  あれ?胸固めてる!?


こんな状態で寝ていたら、睡眠時間が10時間でも

身体は休まらず、毎朝「まだ寝ていたいのに」となります。


睡眠中、私の身体が何をしているかの一端はつかめました。

では、それを解くにはどうする?が次の問題です。


寝る前、布団の中でフェルデンクライスの動きをしながら

観察し、考え、試し…を繰り返しています。

そして、朝目が覚めた時の様子に変化が起こってきています。

まだ寝ていたい…」と身体が訴えない日がポツポツ。

しかも、布団から出た後の身体と頭の動きが滑らか。

最初、あまりの違いに「誰?この人!?」を自分に問うたほどですが

そんな問いも最近は出てきません。

「なめらか」の日を増やしていけばいいんだな考えています。


ただ「なめらか」の出現率はまだ低く、しかも読めません。

これまで長年慣れ親しんだ「まだ寝てたい」と

出てきて年月の浅い「なめらか」とのギャップはまだ大きく

「なめらか」な日が少し続いて、「まだ寝てたい」に戻った時

その落差にまた身体と頭が「なにコレ!?」と驚くので

なかなか大変です。


それでも、これまでと違う朝の目覚めを生み出せたのは

大きな収穫です。

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2015-05-26 私の目と脳ミソは何にクラクラしてるのかにある? このエントリーを含むブックマーク このエントリーのブックマークコメント

  いろんな色の花が咲いている庭を見ても

  くるくる飛び回るミツバチ達を見ていても

  びゅーっと低空飛行していくツバメを目で追いかけても

私の目も頭もくらくらしないのに


  いろんな色の商品が並ぶ商品棚やショーウィンドウ

  駅に着いた電車から降りてくる人の波

  インターネット各サイトの画面

になるとあっというまにクラクラしてくるのは何故なのでしょう?


「たくさんの色」「予測外ですばやく動くもの」という点で

共通しているのに、一方は飽きずに見ることが出来

もう一方は不快さで目を閉じようとする。


ツバメ、スズメ、カラスなどがたくさん集まって

一斉に飛んだり跳ねたりするのを目にしたら

蝶やトンボ、ミツバチがひらひらビュービューぶんぶん

飛び交うところに遭遇したら

私の目と脳ミソはくらくらするのでしょうか?


私の目は何を映し、私の脳は何を見て、どんな癖があるから

くらくら不快になったり、好奇心を掻き立てられるのか…

観察はここでも続きます。


  

  

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2015-05-25 み〜かんの花かな♪ このエントリーを含むブックマーク このエントリーのブックマークコメント

今の時季、外を歩くと、ふわっと少し甘さのあるような香りがします。

国道沿いの歩道や、人家の庭先、コンビニの駐車場で。


とても素敵な香りなので、その元が何処にあるのか

キョロキョロあたりを見回し、花を探すのですが

見つかりません。


香りの出処をたどろうと、鼻をクンクンさせると

香りは姿を消してしまいます。

これが金木犀や沈丁花と違うところ。

そして、彼らよりも控えめな香り。


「もしかしてミカンの花の香りかな?」と考えています。

誰かに教えてもらわなくちゃ。


花の香りは、香りそのものを目にしたくなります。

(目には見えないのですが)

香水は、それをつけている人へと目を向かわせます。

(この香りのイメージと人物が一致するかな?と)

同じ「香り」でも、感覚や行動はちがいます。

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2015-05-24 その一言(態度)が二人の仲を左右する このエントリーを含むブックマーク このエントリーのブックマークコメント

産褥期」(吉田紫磨子、KADOKAWA)

産褥記 産んだらなんとかなりませんから!

でも一番嬉しかったのは、家事全般をやってくれたことより、オムツ替えをしてくれたことより、「夜中のオムツ替えは全部やるから、絶対起こして」と言ってくれたことです。実際にオムツ替えてくれるより嬉しい。

(「産褥期」P44)

著者の夫君が家事全般、オムツ替えをしたことそのものより

「言ってくれた」ことが嬉しい??

私の頭の中は「???」が飛び交います。続く文章

本当に家事する「手」が必要であればお金をかけてでも頼むけれど、「オムツ替えをやる」という夫の気持ちとコミットメントが嬉しかった。

(同書、P44)

ここを読んでもいまひとつピンと来なかったのですが

ウチの母が私の新生児期の父の関わり方について

著者と似た内容のことを口にし喜んでいたことを思い出しつつ

繰り返し読んでようやく腑に落ちました。(気がつきました)


母が喜んでいたことの本質を私は理解していなかったから

上の文章にすぐにピンとこなかったんだ、と。


母の言葉

  (父は)オムツも嫌がらず替えてくれたし

  仕事が忙しい中でもよく(赤ん坊の)面倒みてくれたけど

  3時間おきにミルクをあげないといけない時期に

  「夜中のミルク、ボクがするから寝とき」

  って言ってくれたのは本当に助かった。

  あれには感謝している。


この話を口にする時の母の表情や口調に

当時の思い(感謝の気持ち)が再生されるのを

私は何度も見てきています。


母の感謝は「父が手伝ってくれたこと」(行為)に対してのものだ

と私はずっと解釈していたのですが

母は父の「(手伝いじゃなく)ボクが責任もってするよ」という

気持ち&姿勢(態度)に喜び感謝していたのだと

だから、母の中で、その時の嬉しさが色あせずに保たれているのだと

やっと理解できました。


父のこの一言と行動は

その後の両親の仲にも影響を与えてきたのだろうな、と思います。

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2015-05-23 レッスン後の私 このエントリーを含むブックマーク このエントリーのブックマークコメント

フェルデンクライスの個人レッスンを受けた後

立ち上がり、室内を軽く歩いている時に

指導者やレッスン見学者から聞かれる言葉

「レイコさん(私の名前)らしい歩き方になってる」

「なんかレイコさんらしい雰囲気に変わった」


歩いている私は「???」


レッスンを受けて、私の何が変わったのでしょう?

こういう時は決まって

「私の身体・動きの何かが変わったことは感じるけれど

それが何かはわからない…」のです。


レッスンを受けると大抵の場合

「ココが変わった」「ココが良い感じ」等々

感じるし、言葉にもできます。


「レイコさんらしい」の時は、強いて言うなら

傾きや偏りのない、凪いだような

座標(0,0)に居るような感覚を持ちます。


それをレッスンをした指導者やレッスンを見ていた友人たちは

「レイコさんらしくなった」と表現します。


じゃあレッスン前の私は、普段の私はどんな風なのだろう?

それらは「レイコさん」から外れているのかな?

自分の内と外から観た差。とても不思議です。

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2015-05-22 絵本のどこから不安はやってくる? このエントリーを含むブックマーク このエントリーのブックマークコメント

わたしが外人だったころ

(鶴見俊輔/著、福音館書店/刊、たくさんのふしぎ傑作集)

わたしが外人だったころ (たくさんのふしぎ傑作集)


最近、気になっている佐々木マキさんの絵だったこと

「鶴見俊輔さんの文で絵本?」と気になって借りました。


柔らかい色使いに、柔らかい線、柔らかい塗り方。

濃い色や硬く角張った線、ベタッとした塗り方はどこにもありません。

一見柔らかい内容の絵本をイメージします。


本文を読む前に、ページをぱらぱらめくっていると

はじめの印象と違うことに気がつきます。

やわらかいのに不安、やさしいのに怖い。

気持ちが底の方から落ち着かなくなってきます。


鶴見俊輔さんの文を読んで、一層気持ちがザワザワしてきました。


鶴見俊輔さんの本や記事を読んだことがあり

絵本の中に登場する「姉」の本も読んだことがあるからの

感じ方なのだと思います。


やわらかく描かれた絵とやさしく書かれた文。

文字漢字がいっぱいの本を読むよりも揺さぶられます。


私が小学校中学年の時、この本を読んでいたら

どんな感想を持ったのでしょう?


同じ作者二人の本「言葉はひろがる」も借りてみます。

言葉はひろがる (たくさんのふしぎ傑作集)

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2015-05-21 わからないから探し続ける このエントリーを含むブックマーク このエントリーのブックマークコメント

四六時中ではないけれど、毎日ぽつぽつ

フェルデンクライス・メソッドのことを考えています。

いえ、「メソッドについて」というより

「自分の身体について」考えているという方が正しいでしょう。


最近は腰痛も頭痛にも悩まされることは少なくなりましたが

(「激減」レベルです)

それでも肩こり目凝り歯の噛みしめetcといった

身体の違和感をおぼえることがあります。

また、朝起きてから夜寝るまでの間、身体を動かす中でも

ムダな力を入れていたり、姿勢が崩れていたりして

「な〜んか動きにくい」といったことを感じます。

食事にしても簡単に胃もたれや口内の浮腫みを起こす身体です。


痛みや違和感、動きの悪さ、姿勢の崩れ…

どれも身体に関わることばかり。

病院や薬のお世話になるほどではないけれど

「もう少し、何とかならないかな〜?」と

毎日の生活場面のどこかで思うのです。


自分の動きを、身体をなんとかしたくて

心身ともに、もっと楽でいられるように

休むでなく怠けるでなく、より動けるように

フェルデンクライスのレッスンを通して考え続けています。

「わかんないな〜」とつぶやきながら。

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2015-05-17 座っていることが苦手 このエントリーを含むブックマーク このエントリーのブックマークコメント

  座っているより立っている方が楽

  椅子に腰かけているより畳の上に座っている方が楽

  じっと立っているよりウロウロ歩いている方が楽


これらは本を読むときに特に感じることです。

「座る」という姿勢が私の身体にしっくりこないのか

読書中、30分と経たない内に身体を持て余し気味になり

「居心地悪い…」と訴える身体の方に意識が向き

読むことをを止めてしまいます。


「居心地悪い…」の訴えをごまかそうと

足を動かしたり首を曲げたり色々するのですが

身体は納得しないのかグダ〜〜っと姿勢を崩してきます。


よく考えると、これは今に始まったことでなく

小学校時代からのもの。

授業中は何とかなるのですが、家で机の前に座るとダメ。


  机や椅子の高さと身長が合っていないから?

  椅子が硬くてお尻が痛いのかも?

  背もたれのカーブがフィットしていないのでは?

etcと考え工夫しても解決せず。


文字を書く、パソコン操作をする時は机と椅子を使いますが

読書は室内を歩きながら、モソモソ身体を動かしながら

文字を目で追いかけています。

私の身体を退屈させない、居心地悪くさせないために。


工作や作業で机の前に座るのは大丈夫なのに

お勉強系で机に向かう時、どうして私の身体は落ち着かないのやら?

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2015-05-16 重さは私の外に在る このエントリーを含むブックマーク このエントリーのブックマークコメント

自分の子ども時代のことや

夜9時前後の電車の中や駅改札口を通る子どもの姿を

思い出しながら読みました。

息子の将来、だいじょうぶ?〜教育オンチが考える

(細川貂々/著、平凡社/刊)

息子の将来、だいじょうぶ?  教育オンチが考える

人間は仕組みを理解することで物事を覚えていく。

(中略)

逆に仕組みを見いださないとわからないのは

人間のすごくナチュラルな性質だと思う

(中略)

自分の世界観の中に入っている仕組みは覚えられる

でも自分の世界の外の仕組みは覚えられない

(中略)

仕組みのわかり方はひとりひとりちがうので

その辺がむずかしいのだと思う!

(中略)

回路がいつになったらつながるのかというのは

個人差が大きい

「息子の将来、だいじょうぶ?」P127〜129より

上は「東ロボ君」の新井紀子さんの言葉です。

中略ばかりで何のコトかわからん!という方は

本を手に取って読んでみてくださいね。


私がどうにも覚えられないことがいくつかあります。

それは子供時代からずっと持ち続けています。

その一つが「重さ」。


何か作業をするにも、物を動かすにも

フェルデンクライスのレッスンでも

「自分の体重をつかって」「自分の重みをかけて」

「重さを使えば、もっと簡単にできる」

父から、友人から、先生から何度も聞いて(言われて)きました。


これがさっぱりわからない。

わからないから「力を入れる」になってしまう。

体重を使っていない私の様子を見た人は

「そうじゃなくて、体重を使うの!」と重ねて口にする。

(でもね、それじゃあ全然わかんないの)


上の一文(ページ)を読んで、

長年付き合ってきたこのわからなさに少し納得。

仕組みをつかんでいないから、わからないし使えない。


「重さ」にまつわる仕組みが「自分の外にある」のでは?

スッポリ抜け落ちている?といったような感覚を

ぼんやりと抱きながらきたのですが…。


重さと私、重さと私の身体

このつながりをなんとかつけようと

細〜く弱〜い頼りな〜い線をあちらこちらから生やして伸ばして

……今も回路は未接続。


いつか回路がつながるかなぁ〜〜〜?

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2015-05-15 制約が生むもの このエントリーを含むブックマーク このエントリーのブックマークコメント

買い物に行くと店頭に並ぶ商品の数・種類の多さに

目がチカチカ、頭はクラクラして、何より「選べない女」の私は

あっという間に購買意欲をなくしトボトボ家に帰ります。


珍しい調味料や新商品、他府県メーカーの食材など

気になるものはいろいろあっても、買えずにいるとどうなるか…。

冷蔵庫も乾物入れ、調味料棚も中はシンプルになります。

(別の言い方をすると「寂しい」庫内です)


手元にある材料&調味料でやりくりする中で気がついたこと。


あれ?これって子どもの頃、台所に立った時と似てる!?


小学校低学年のころ、

母のお手伝いでもなく遊びの延長のような感覚で

家にある材料と調味料、そして自分が知っている調理法を使って

「出来上がりは多分こうなるはず」と作り進めて

「結構いけてる♪」と一人で嬉しがっていた、あの感覚です。


子どもの私に馴染みのある材料と調理法はしれています。

そんな制約の中で、自分なりに考え予測し工夫しながら作っていく。

その感覚を思い出したのです。


  ジャガイモがいるんだ…

  バターで炒める…

  コンソメを使った方が…

  仕上げに生クリームかぁ…


レシピに書いてある材料も調味料もなかったのですが

「多分いけると思う…」と調理を進めたら上手くできました!

グリーンピースのポタージュ!


材料は、新玉ねぎ、グリーンピース、水、牛乳。

味付けは塩だけ。


新鮮な食材2種:玉ねぎとグリーンピースに助けられた

というのが本当のところです。


どんな味に仕上がるかドキドキしながら

その一方で「絶対大丈夫!」と変な自信を持ちながら

自分の目で見た舌で感じた小さな記憶だけをたよりに

フライパンを握っていた子どもの頃に戻った気分になりました。

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2015-05-13 エネルギーチャージは旬の食べ物から このエントリーを含むブックマーク このエントリーのブックマークコメント

野菜や果物の旬(一番美味しい時期)は

私が思う(願う)ほど長くはないことを最近よく思います。


「ウチの畑(庭、山)で採れたから」と頂戴したり

農家さんの軒先で買った野菜や果物を口にして

「もっと食べたい!」と私の身体が喜ぶ美味しさがあります。


舌や鼻が喜ぶだけでありません。

身体全体で「これは私の血肉になる!」とわかるのです。

旬の美味しい食べ物は「食べる気しないな…」な私の食欲を

特別な様子をみせるわけでもなく引き出してくれます。


エネルギー不足(気血不足)な私の身体が欲しがる旬の食べ物。

栄養ドリンクやサプリメントよりも速攻で効きます。

一口食べたら「これこれ!」

ムシャムシャ食べたら「さあこれで動けるぞ〜!」

気持ちも前を向きます。

でも、こうした食べ物を得られるのは1週間程度と感じています。

ベストな収穫期はほんとうに短く

それを過ぎると、私に効く美味しさも姿を消してしまいます。


美味しい時期は短くて…です。

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2015-05-12 父とトトロ このエントリーを含むブックマーク このエントリーのブックマークコメント

父は「となりのトトロ」がTVで放映されると見ています。

となりのトトロ [DVD]

「また見てるの?」と言いながら

どんな顔をして見ているのだろうと表情を窺うと

目元口元頬が緩んだ楽しそうな顔をしています。


トトロのお腹の上で飛び跳ねるシーンや

空を飛ぶ場面だけを見にTVのある部屋に来る私と違い

毎回、最初から最後まで見ているようです。


「トトロの何が好きなの?」と訊いても答えはなく

他のジブリ作品は「どんなものかな?」と一度見るだけで

それきりであるのとは対照的です。

好きなものに具体的な理由はないのかもしれません。


こんなことを思い出したのは

コンテンツの秘密―ぼくがジブリで考えたこと (NHK出版新書 458)

を読んだからです。

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2015-05-09 食欲と体力(体調)の関係 このエントリーを含むブックマーク このエントリーのブックマークコメント

私は体調がパッとしないと、すぐ食欲にあらわれます。

食べる気がなくなってしまうのです。

「食べるより他のコトしてよ」と身体からの合図なのかどうか…。


熱があっても、少々しんどくても

食欲があれば、食事ができたら回復が早い

母が時々口にする言葉。これを聞くと

同じ水疱瘡になって、高熱を出しているのに

いつも通り口をモグモグさせながら食べている当時2歳位の妹の姿と

妹の方がさっさと治ったことを思い出します。


「食欲なくても食べた方がいいだろう」と思うので

自分の好物を次から次へと思い浮かべるのですが

どれにも反応しません。


たぶん、食欲がないといっても1〜2日のことですし

体力を消耗するような熱があるわけでもないので

「食べなくちゃ」と思わなくてもよさそうなものですが

母の呪文の影響は大きいようです。


カブトムシのように砂糖水でも舐めて、食欲の回復を待ちましょう。

SS 2015/05/11 10:56 初めまして。FPTP京都3を受講中の者です。
セグメントに参加されていたNKさんにこちらを紹介していただいてお邪魔しました。
そしたら、最近読ませていただいていたブログで、びっくり。ご縁を感じました。

今日からハテナさんで、私もフェルデンクライスについてのブログを始めました。
じわりじわりと更新しますので、良ければお越しください。

消化酵素を使いすぎると免疫酵素が働きにくいような気もします。多分からだが勝手に食べられるものや量を選びとってくれてるように思いますが…〈母の呪文〉って、何歳になっても強力ですよね(笑)

geko_sishibuhuogeko_sishibuhuo 2015/05/11 12:36 S様
はじめまして。
コメントをありがとうございます。
FPTP京都3を受講中とのこと。
第1セグメントの会場のどこかで
お会いしていたのですね。
(前半、顔を出しました)

フェルデンクライスに加えて「はてな」仲間
嬉しいです。
よろしくお願いいたします。

母の呪文は色々な意味で強力です☆

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2015-05-08 上手くできたレッスン このエントリーを含むブックマーク このエントリーのブックマークコメント

  無理をすると

  力技でねじふせようとすると

  感じ、考えないと

  適度に休まないと

  必死に取り組むと

  急ぐと

  身体の軟らかさを過信していると

  ……


目的の動きができなかったり、後で身体の何処かが痛かったり

何よりおもしろくなくなる…のが

フェルデンクライス・メソッドのレッスンです。


レッスンの動き、展開、構成など本当によくできています。


身体(筋肉)を動かすことに一生懸命になると

「感じる」「考える」が隅に追いやられてしまいます。

「動く」「感じる」「考える」のバランスがとれていると

動いていて楽しく、気持ちも思考も愉しく

レッスン後、身体と脳内が整理されたような感覚になります。

「よく動いた!」でも「よく考えた!」でもない

身体の各部位の緊張がならされたような

頭の中の波風が少し穏やかになったような

そんな感想を持ちます。


レッスンの度にそうなる保証がないところも

フェルデンクライスのおもしろさであり手強さです。

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2015-05-07 ゴボウとタワシを持ち代えて このエントリーを含むブックマーク このエントリーのブックマークコメント

利き手でない方の手(私の場合、左手)を使って

簡単な家事の動きをしてみると驚きがあります。


簡単な家事の動きの具体例

  ・タワシを使ってゴボウの皮をこする

  ・炒める、お味噌をとく

  ・雑巾がけ

  ・ほうきで掃く、掃除機をかける

  etc


ポイントは「どうするんだっけ?」と考える必要がないくらい

動きも道具操作も簡単なもの。

曲線や弧をえがく動きはコントロールが難しいので

直線的、単純な動きの繰り返しが中心のものを選びます。


特に、左右の手がそれぞれ違う動きをすることで成り立つ動作は

驚きがあり試すことが楽しくなります。


私は何に驚き面白がっているのか…

左右の手の動きを交代しても、出てきた動きは同じにならない!

この点です。


どう動いたらいいのかな?と考える必要もないくらい簡単な動作。

これまで利き手を使って何度も繰り返ししてきた動き。

だから、左右の手を交代したら

左手は右手(利き手)がしてきた動きを真似るだろうし

右手は左手と同じ動きをするだろう、予測するのですが…。


左右の手それぞれが左右反転でない動きをします。


例えば、ゴボウの皮をタワシでこする動き。

普段の役割、右:タワシ 左:ゴボウを固定 を交代すると

右手はゴボウを固定しながらもクルクル回しながら

こする面を移動させていきます。

(左手の時、ゴボウは回していない)

左手はタワシ引くでも押すでもなく力を均等にこすっています。

(右手の時、「手前から向こうへ」と力の加減がはっきりしている)


ゴボウとタワシを見ながら

「この動きをしてるの誰??」と少し混乱するほどの驚きです。

左右の手の動作を交代したら、

「皮をこする」目的を達成しながら

そのプロセスはこれまでと違う別の動きだったのですから。


ゴボウの皮は順調にこそげとられていきます。

私の頭の中では

  「今まで左手は何やってたん!?

  「このやり方の方が賢いやん

  「道理で右手はすぐくたびれるわけだ

  「こそげるのに、そんなに力は要らないんだ

いろいろな声が飛び交いにぎやかに。


そして、もう一度左右交代。

すると、更にちがう動きをし始めます。

よほど、互いのマネをするのが嫌らしい。


おもしろいのは「こうしてみよう」と考えたわけでもないのに

身体が自分でアレンジして動いているという点です。

(頭が介在していないような感覚です)

だから、頭の中の私がビックリするのでしょう。


左右交代、お勧めします。










  

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