東京珍景録

 林望東京珍景録』読了。
 大学院に入ったばかりの頃、本を読みふけっていた時期がある。買いに行っていたのは、近所のリサイクル書店。古本だと、あらかじめ狙っていたものがあるわけではなく、買い逃すと再び会える保証もない。そんな緊張感があった方が、本探しとしては楽しい。新刊だと「別に今買わなくても……」となり、結局それっきりに終わってしまうことがままにしてある。
 どうにも小説というのは肌に合わない。これはドラマが嫌いなことにも通じていて、「もっと考えて行動しろよ」と腹が立ってくるのだ。そんなこともあって、好きな分野というと随筆。現代日本を代表するエッセイストというと、リンボウ先生であると断言しても差し支えあるまい。なにしろ最初に著したのが、『イギリスはおいしい』である。「うまいものが食べたければ、朝食を3度とれ」とまで言われる彼の国で、食にまつわる話を書くなど出来ようはずがないだろうに―― と、手にとって内容を確認せずにはおられない題名というのは、なかなかに付けられるものではありません。さらに、見かけ倒しではない中身を備えていることには舌を巻きました。
 以来、林望氏の著作は、見かけた折には手に入れるよう努めています。恥ずかしながら、私がスペインへ来てから文をしたためるようになったのも、氏の影響が少なからずあり。そんなわけで、現在ご覧いただいているこのページ、日記ではなくてエッセイなのですよ。私が「日記」を書くとすると、おこづかい帳か、はたまた時刻表になります。
 さて、スペインで日本語の本など手に入るはずもありませんから、しばらく読書から遠ざかっていたわけです。しかし、あまりの淋しさに耐えかね、取り寄せました。2,000円以上の購入で送料無料というのをやっていたeブックオフに発注し、いちど実家に送ってから回送。その中に含めた1冊が、『東京珍景録』(新潮文庫)。

 一気に読んでしまいたいところでしたが、ここでは貴重な本。じっくり時間をかけて楽しんでおりましたが、それも5日目にして読了。
 この本には写真が多数収載されているわけですが、それは薄汚い商店街であり、古ぼけた橋の欄干であり、かすれて読めなくなった看板であり。取り立てて変わったものとは思えません。著者の狙いは、まさにそこにあり。ふだん目に入っているのに意識していない「珍景」が、いかに埋もれているのかを次々と明かしていきます。焦点があてられているのは、大正から昭和初期にかけてのもの。つまり、リンボウ先生が子供の頃に見ていたものということでしょう。
 私の場合、それは「昭和30年代」かな。1年ほど前、福岡市の地図を買ってきて、かつて市電が走っていた時代の痕跡を追いかけていました。姪浜駅から博多駅まで唐津線の旧線をたどってみると、絡み合うように走る2本の道路(城南線)の片方は線路跡であったことがわかったりして。そこから30年前、 50年前、100年前に思いを馳せていたものです。
 奇異なものを集めて喜ぶのでもなく、保存運動に声をからすのでもない。ただ、そこにある「暮れなずむ昔」を、しばし眺めて楽しむ。嗚呼、善きかな。