law school

 受信したロースクールに関する疑問。私でも答えられる内容だったのでコメントをつけたのですが、そこから話が進んでいきました。お相手してくださったのは経済学専攻の人。
http://d.hatena.ne.jp/yohkura/20040207#c
http://d.hatena.ne.jp/yohkura/20040210
 最初は議論の軸足が定まっていなかったのですが、再質問で「どうしてアメリカ合衆国に法学部は無いのか?」ということに落ち着きました。そう、米国の大学に法学部は存在しないのです。米国で弁護士を目指す人は、学部で法律以外のことを学び、卒業後にロースクールで法律を学ぶことになります。裁判官は、弁護士の中から推薦を受けた人が就任します。こうした外国の法律事情は、法学部なら徐々に教わることなので「今さら」という話なのですが、日本を基準にして見ると驚くべきことです。その米国から拝借してきて、日本ロースクール法科大学院)を作ることになったのですから、なんとも奇妙な話――
http://www.juris.hokudai.ac.jp/lawschool/faq.html法科大学院FAQ)
 それはさておき。法学部というものが必ずしも万国共通のものではないならば、どうして日本に法学部(そして司法試験)があるのかを知っておくことが、議論のために役立つのではないかと思い、メモを用意しておくことにしました。
 話は1872年(明治4年)にさかのぼります。司法省に明法寮が設置され、司法官(判事と検事)の養成が始まりました。それが1877年(明治10年)には東京大学法学部に合併されています。つまり、裁判官と検察官(それに高級官吏)を育てるために国が法学部を設置したのです。1887年(明治20年)の文官試験試補及見習規則により、東京大学(1896年より帝国大学)の法科大学および文科大学を卒業した者は、無試験で高等文官試補(要は役人)になることができたのです。なお、明治初期に日本が法律の分野でお手本にしていたのは、ドイツとフランスです。アメリカは、19世紀には未だ発展途上国でしたから。
 当初、弁護士は代言人と称されていました。その育成を担当したのは、私立の法律学校です。1886年明治19年)8月25日に制定された私立法律学校監督条規で指定されたのは、
 (1)明治法律学校
 (2)専修学校
 (3)東京法学校
 (4)英吉利学校、
 (5)東京専門学校
の5校。それぞれ、現在の(1)明治大学、(2)専修大学、(3)法政大学、(4)中央大学、(5)早稲田大学に当たります。これらの大学の出身者に司法試験の合格者が多いという事情は、こうした沿革が影響しています。
http://www.moj.go.jp/PRESS/031112-1/15-2univ.html
http://www.moj.go.jp/PRESS/031112-2/031112-2.html
 ついでにいうと、帝国大学の卒業生に比べて色々と不利な境遇に置かれたということが影響して、反骨精神というのが校風に染みついているような気がします。明治大学などは、大学のサイトで辛辣なことを言ってます(後掲)。具体的には、1890年の裁判所構成法では、帝国大学法科大学の卒業生に対して司法官の任用の第1次試験が免除されていました。また、1879年(明治12年)の無試験免許代言人規則により、東京大学法学部の卒業者には代言人試験が免除されるという特権が与えられていました(1914年の弁護士法改正まで)。対して私立の学校は、前述の監督条規により、帝国大学の指揮管理下に置かれるという悲哀を味わっています。これは、自由民権運動の弾圧という意味合いもあったようです。1880年代といえば、自由民権運動*1 が活気づいていた時期ですから。
 ざっとまとめてみましたが、これで法学部の位置が少しは見えてくるのではないでしょうか。なんか嫌なものが見え隠れしていますけれどね。なお、この文章の作成に当たっては法史学ないし法制史の資料を多数使用しましたが、主として黒田忠史教授(甲南大学法学部)のレジュメ「法曹養成制度の歴史的諸類型」を用いました。諸外国の制度について、簡潔にまとめられています。
http://www.juri.konan-u.ac.jp/home/kuroda/(黒田忠史研究室)
http://www.u-tokyo.ac.jp/gaiyou/0809.html東京大学の沿革)
http://www.meiji.ac.jp/koho/information/history/明治法律学校の誕生)



 ちなみにスペインの場合、法学部を卒業すれば弁護士になれるので、とっても簡単。既会員2名の推薦状を添えて弁護士会に登録する、という手続的要件はありますけれど。そのぶん、競争が激しかったり、質が揃っていなかったりするみたいですが。あと、大学を卒業するのが大変だ、とか。
 そんなこともあって、さほど重要でない相手には“Yo soy abogado.”(私は弁護士です)と自己紹介しています(^^;) 正しくは“Master of Law”なのですが、スペインは大学の制度そのものが違っていて修士課程が無いため、説明するのが面倒なのですよ。う、嘘はついてないもんっ。
http://www.nichibenren.or.jp/jp/hp/directory/(世界弁護士会便覧)

*1:憲法を制定し、国会を開設することにより、政府の権限を抑えようとする政治運動。板垣退助大隈重信が主導した。この動きに対抗し、1889年、伊藤博文ら政府側によって起草された大日本帝国憲法が発布される。