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博物士

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Monday, 2004/05/31

[] 八月の狂詩曲  八月の狂詩曲を含むブックマーク

 先週に引き続き、フィルモテカで黒澤明作品の鑑賞。今回は『八月の狂詩曲(ラプソディー)』。

八月の狂詩曲(ラプソディー) [DVD]

 おばあちゃんのところにハワイから連絡が来た。70年前に開拓農民として移住した兄からだというが、おばあちゃんには心当たりがない。パイナップル農園の経営で大成功していると聞きつけた父母が一目散にお出かけの間、4人の孫達がおばあちゃんの家で夏休みを過ごす。舞台は長崎、時は八月。おばあちゃんは、ぽつりぽつり兄弟のことを、そして、おじいちゃんの死んだ日を思い出していく――という筋立て。

 分類に当てはめると、反戦反核映画です。といっても、重々しさは感じさせない。声高に叫ぶこともしない。おばあちゃんにとっては、45年前の出来事。怒りとか悲しみといった感情の荒々しさは見せない。穏やかな作品でした。

 青々と伸びる稲穂、茅葺きの屋根、黒光りする廊下の木目、縁側から見上げる月。見たことはないけれど、懐かしい。そんな、美しい夏景色が心に染み渡ります。

 日本語音声+バレンシア語字幕という上映だったのですが、“espiritu de agua”という訳が出てきてのけぞりました。直訳すると「水の精霊」なのですが、元の日本語は何だかわかります? これがファンタジー小説なら「ウンディーネ*1」ですけれど。なんと『河童』だったんですよ。そうか〜 川田もぐる*2も海外ではスピリットの仲間入りかぁ(笑)

 あと、スタッフ・ロールを見ていたら「蟻指導」というのがあって、これまたびっくり。作中、アリの行列を少年が眺める場面があるのですけれど、演技指導付きだったとは。

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Friday, 2004/05/28

乃木希典

Exposicion mundial de filatelia  Exposicion mundial de filateliaを含むブックマーク

 海外在住日記。バレンシアの新しい観光名所になっているCAC芸術科学都市で、「世界切手収集博覧会」というのが開催されているので見に行ってきました。

http://www.cac.es/

http://www.correos.es/(スペイン郵便局)

 新聞を読んだところでは大したことのない催し物だとタカをくくっていたのですが、これがなかなか充実。全長150mはくだらない巨大な展示場(しかも2層)に、ずらりと展示物が並んでおりました。切手は、どう自己主張が強かろうとも、ひとつひとつは手のひらに乗る小さなものです。それが見渡す限り並んでいるのですから圧巻。

 以前、バルセロナのカタルーニャ音楽堂前にある古本屋に入ってみたところ、セピアに古ぼけた絵葉書が売られていまして、路面電車が走っている白黒のものが気に入って買い求めてきました。使用済みのものであろうと、古い絵葉書に芸術的価値を認めて売買するというのが面白いですね。

 じっくり見てまわると数日かかりそうなので、日本のものを探してまわることにしました。面白かったですよ〜 切手が貼り付けられたそのままの状態で葉書や封書が展示されており、どうしてこんなものが?というのが沢山あって。陳列した人は読めない言語で書かれて気にならないのでしょうけれど、プライバシーなど無きが如し。丸善がフランスの商社宛に出した発注書とかいうのならともかく、復帰前の沖縄から「ライオン 奥様プレゼント係」宛に出されたものやら、「近畿大学農学部 高見教授」宛の広告入り葉書とか。自分の出した郵便が、見知らぬ異国で展示されていたら怖いですね〜 というわけで、私が出した郵便物を後生大事に保管しているという方、即刻廃棄処分しておいてください(笑) 国際郵便では、1920年代に入ると欧州向け郵便に“Via Siberia”と朱書きされたものが多数ありました。気を付けて見てみると、それ以前は太平洋を横断して北米大陸を経由する船便になっている。シベリア鉄道の全線開通(1916年)が日本の物流にも影響を与えていたというのが興味深かったです。

 珍しいものでは、乃木希典の署名入り絵葉書がありました。それがなんと、日露戦争の時の写真が刷り込まれたもの。「旅順陥落後水師営ニ於テ一千九百五年一月五日 乃木、ステッセル両将軍会食後ノ撮影」と活字で説明書きがある横に、「御厚情ヲ謝ス」と書き添えて出されたもの。差し出されたのは、奉天会戦終了後の1905年3月28日。司馬遼太郎『殉死』(ISBN:4167105373)で該当する箇所を探し出してみたら、外国人特派員が写真を懇望したので「われわれがすでに友人となって同列にならんだところを一枚だけゆるそう」(文春文庫版91-92頁)ということで撮影されたものらしい。日本戦史のうえでは貴重な資料が、ヨーロッパの地方都市の薄暗い展示場で見られるとは。先日、同じく司馬の『坂の上の雲』を読み、15,000人以上の戦死者を出した乃木(というより、その参謀・伊地知幸介)の無能ぶりに接していただけに、思いはひとしおでした。

Wikipedia - 旅順攻囲戦

Wednesday, 2004/05/26

[] 全日本食えばわかる図鑑  全日本食えばわかる図鑑を含むブックマーク

 椎名誠全日本食えばわかる図鑑』読了。

 さて、いつ頃書かれたものだろうと思ったら、1980年から83年にかけて、小学館ビッグコミックスピリッツ』創刊時から連載されたものであると、あとがきに書かれておりました。

 ということは四半世紀前のものになるわけですが、これが全然古くないのですよ。シーナさん曰く、「ショー油をつけて食うと旨い」「刺身はアツアツの白ご飯と食べたい」「朝食に味噌汁は不可欠である」。何と言いますか、数十年ごときでは変わりようが無いんでしょうね、食文化の基本というものは。

「北の演歌か、ウニ、ホヤ丼、あつあつのオコゲの母恋し、拍手パチパチB級野菜の精進揚げ、正調びちゃびちゃコロッケライス、ソーメンの現状と今後の問題点」などなど。当世流行るグルメとはキビシク一線を画す、正しい高級質素料理とは何か!? 北から南から、町の食堂、家の台所、はては野外の焚火囲りから、選りすぐった50の美味について。シーナ流極秘何でもかんでもうまいもの文化論(エッセイ)。

全日本食えばわかる図鑑 (BIG SPIRITS BOOKS 301) 全日本食えばわかる図鑑 (集英社文庫)

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Monday, 2004/05/24

[] まあだだよ  まあだだよを含むブックマーク

 バレンシアの中心、市役所広場に面してフィルモテカという劇場があります。ここでは世界各地の映画上映を精力的にこなしていまして。昨晩は黒澤明監督の『まあだだよ』だったので、観に行ってきました。クロサワといえば「世界の」という枕詞が付くくらいですからスペインでの知名度も高く、大勢の人が詰めかけておりました。

 主人公は、内田百先生。ご存知ない方のために説明を加えておくと、名随筆家として知られる作家でいらっしゃいます。昨秋、氏の作品『御馳走帖』を読んだときに感銘を受けまして少しばかりご紹介しております(id:genesis:20031125#p2)。百寮萓献罅璽皀△△佞譴詈絃呂鮟颪、人を魅了してやまないお人柄を持つことは保証します――って、私では信用ないか。先日読んだ京極夏彦狂骨の夢』においても、人に接することを徹底的に嫌う主人公・関口をして「唯一会ってみたいと思う文人は、かの百鬼圓先生*1 くらいのもの」と言わしめるほどなのです。

まあだだよ デラックス版 [DVD]

 本作は、おおむね三部構成。(1)独逸語教師の職を辞し、文筆業に専念することになった太平洋戦争中の話。(2)戦争が終わって新居を構えた時期。迷い込んできた猫が姿を消して悲嘆する随筆『ノラや』の頃。(3)終幕。最初のシーンから17年を経た晩年(ちなみに、百寮萓犬お亡くなりになられたのは1971(昭和46)年で、そう古いことではありません。)。

 率直に言って「悪くはないけれど、名作にはなれない映画」と感じました。際立ったストーリーがあるわけでなく、ほのぼのと、ゆったりと流れていきます。他よりも重きを置いていた(つまり長かった)第1回摩阿陀会*2 のシーンに、「黒澤明の視点からみた内田百」像が現れていたように思います。飲食の場面が延々映し出され、ビールが飲みたくなりました(笑)

 話がずれますが、一緒に観ていた人と意見交換していて一致した「日本の嫌なところ」は、宴会の場でありました。一体何かというと、歓談中だというのに「乾杯!」の声がかかると全員がそれに倣うところ。列を組んで踊るというのもありましたが、こちらは軍国主義を彼ら自身が皮肉っているというふうにも取れるので置いておきましょう。杯の傾け方や酌の仕方など、何気ないことですが日本人の集団志向というのが現れていたように感じました。統率されることに馴れていないスペイン人と過ごす会食に比べると、異様と言ってもいい光景です。

 小学校低学年の時期を海外で過ごした児童が日本に帰ってきた時、とまどいを感じる(疎外される)のは給食の時なのだそうです。「いだだきます」の声がかかる前に食べ始めてしまうのだとか。欧米流だと、改まった場でも無い限り、全員に食事が行き渡るまで待つという習慣はありませんからね。合衆国(US)の軍隊で号令とともに食べ始めるのを見たことならありますけど。そもそもスペイン語には、「たんと召し上がれ」という言葉(Que Aproveche)はありますが、「いただきます」に相当するものが存在していませんし…… 実際私も、留学したての頃、いつ食べ始めてよいのかのタイミングがわからず困ったものです。

 映画に戻ると、弟子の役を演じた所ジョージがはまり役でした。黒澤明の才能を見せつけられたのは、空襲で焼け残った僅か2畳の小屋にカメラを固定し、わずか数秒ずつの描写で季節の移ろいを表してみせたところ。それこそ絵に描いたように美しい秋と冬でした。

 総括。黒澤明の遺作ということですが、老熟した監督による老いの描写が見物でありました。あと、内田百の随筆は面白くてたまらないので、味わい深い文体で編まれた文章を是非お楽しみあれ。

*1:百鬼圓=ひゃっけん=百

*2まあだかい、誕生日会の呼び名

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Sunday, 2004/05/23

Lilian  Lilianを含むブックマーク

http://www2s.biglobe.ne.jp/~shigure/strangelove/str_3100.html#day3104高梁れんさん)

 リリアン一年生ズ わかつきめぐみ風。

 他人の著作物にリンクを張って数行の紹介文を付け加えて終わり――っていうのは私の方針じゃないのですが、これは紹介しておかねばなるまいて。

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Friday, 2004/05/21

[] 狂骨の夢  狂骨の夢を含むブックマーク

 京極夏彦狂骨の夢』読了。ネタバレに近いことを書いていますので、本作をミステリとして読もうという方はご注意ください。もっとも私は、本作を謎解きを楽しむための推理小説として読むのは無理だと判断しましたけれど。

 今回は作品要約はなし。とてもじゃありませんが、数百字でまとめられるようなものではありません。だってですよ、(1)佐田一家焼殺事件、(2)兵役忌避者猟奇殺人事件、(3)宗像民江さん行方不明事件、(4)双子山集団自殺事件、(5)謎の神主事件、(6)宇田川先生殺人事件、(7)金色髑髏(どくろ)事件、(8)逗子湾生首事件が同時進行で進んでいくのですから…… 

狂骨の夢 (講談社ノベルス) 文庫版 狂骨の夢 (講談社文庫)

 本作の主題は「宗教」ということになるでしょうか。今回は、主人公の一人である京極堂安倍晴明を奉じる神主として出演することに加え、新教(プロテスタント)の牧師である白丘らの宗教関係者が多数出演します。私が冒頭で謎解きは無理だと述べたのは、ある宗派についての知識がないと事情を理解できない構造になっており、作者は必要な手がかりを十分に配置していないことによるものです。その点を控除してミステリィとしての価値を判断すると、いささか凡庸な出来です。

 私は、宗教学ないし精神分析学の解説書として興味深く読みました。例えば、教会に身を寄せている降旗は精神神経科の医師だったという設定になっており、夢をめぐるフロイトの見解を簡潔に語らせています。

 日常生活を正常に送るために、人は幼児期より多くのストレスを抱え込むことになる。無意識の奥深くに抑圧されたそれらの体験、特に本能的欲望に関するそれは《フロイトによって》潜在思考と名付けられた。潜在思考は、覚醒時は自我の防衛機能によって制御されている。しかし睡眠下では覚醒時の枠を越えて発露する。《フロイトに拠れば》自我の抑圧が低下する睡眠下では、潜在思考は前意識に存在する過去の経験と結びついて意識化しようと働くのである。

 しかしそれも通常は意識化される際に自我の再抑圧を受けて歪曲してしまう。《フロイトのいう》夢の検閲である。抑圧された無意識的欲望――潜在思考は、意識化する際に圧縮、置換、視覚化、そして象徴により歪曲してしまう。この作業が《フロイトのいう》夢の仕事である。(新書版110-111頁)

 なるほど。潜在思考と夢の仕事の妥協の産物として「顕在夢」が現れると考えるから『夢分析』という手法が出てくるわけですか。今までフロイトのことをあまり意識していなかったのですが、その登場をしてコペルニクスダーウィンと並ぶ「第三の衝撃」とするのは知りませんでした。確かに、人類の自己愛を科学によって破壊した人物といえます。

人類は地動説によって宇宙の中心という玉座を失い、進化論によって神の子の血統を絶たれ、精神分析によって自己の完全支配という幻想も放棄した。(新書版473頁)

 このあたりについては、『ドリームハンター麗夢』と『トップをねらえ!』で得た以上の知識を持ち合わせていなかったので、大いに参考になりました。

 さらに、新旧キリスト教の相違について。「神父」が旧教(カトリック)で「牧師」が新教(プロテスタント)であることや、プロテスタントは教義の純粋性を重んじるので分派が数多く存在するといったあたりは知っていたのですが、懺悔(ざんげ)に対する態度の違いについては知りませんでした。

 懺悔とは勿論罪を告白し悔い改めることだが、通常 教会での懺悔はそれ以上の意味を持つと考えるべきである。教会で懺悔する信者は罪に対する償いの命令とそれに依る赦しを求めているのに外ならないのだ。これは洗礼後の罪を釈免する《告解》という秘蹟のひとつである。ここが加特力(カトリック)の教会ならそれで良い。加特力は秘蹟を認めているからである。

 しかし新教では、《洗礼》と《聖餐》以外の秘蹟を(基本的には)認めないのである。〔中略〕平たくいえば告解こそが旧教と新教の分裂を促したとも考える。告解の形骸化が贖宥(しょくゆう)を生み、その濫用が悪名高き免罪符を生み、それがルターに『九十五箇条の論題』を書かせて、結果宗教改革が勃興したのは有名な話である。(新書版96頁)

あぁ、そうか。ルターやカルヴァンを、歴史学ではなく宗教学として位置付けようとするとこのような表現になるのか。もう、『狂骨の夢』を小説というよりは教養書として読んでますね(笑)


 さて、ここからがネタバレになってしまいそうな部分。

 出雲では、11月のことを神無月ではなく神有月と呼ぶのは知っておりましたが、それが出雲だけに限られるものではない――諏訪盆地(長野県)と志雄町(石川県)でも同様なのだというのは初耳でした。何でも武御名方富命(たけみなかたとみのみこと)の《国譲りの神話》に由来するのだとか。この情報を開示していないのが、謎解きを成り立たなくしている要因その1。

 そして要因その2が《真言立川流》。男女の和合から解脱に至るとする教義を持ち、金箔を貼り付けたドクロを本尊として奉る宗派なのだそうです。これがすべての事件をつなぐ縦糸になっていたのでは、推理小説になろうはずがありません。

 新書版の背表紙を見ると、『狂骨の夢』は「本格小説」となっています。ここでは深く触れませんでしたが、私は宗教の側面から眺めたうえで、面白い作品だと思いました。ただ、本作を宗教にまつわる小説と捉えるとなると、一部の殺人事件が主題から逸れてしまう。このあたりが、どっちつかずで無闇に長いという印象を与える原因でありましょう。

http://www.ltokyo.com/ohmori/kyoukotu.html(大森望さん)

http://hpcgi2.nifty.com/mysterySAITEN/hyou.cgi?book_key=kyougoku_3(ミステリの祭典)

http://www.h4.dion.ne.jp/~sanryu/b~singon-tatikawa.htm

http://www1.kcn.ne.jp/~kikujo/11.html

http://www.renya.com/suwa/taisya.htm

Thursday, 2004/05/20

UEFA  UEFAを含むブックマーク

 祝!VCFバレンシア、UEFAカップ制覇。これで、リーガ・エスパニョーラの今季優勝とあわせ2冠。

 海外在住日記

 昨晩、家に帰ろうとしたところ、ちょうど試合開始時刻でして。街角には、ほとんど人影が無いの。ほとんどの人がテレビ中継を観ていたみたい。で、道を歩いていても試合経過が聞こえてくるの(笑) 得点が入った時には打ち上げ花火があがったので、報道を確かめるまでもなく2ゴール決めたとわかりましたよ。

Leticia ? Letizia !  Leticia ? Letizia ! を含むブックマーク

 にゃん太さんの日記*1 で「あれれ?」と思ったのですが。

 「レティシア」っていうと、当然のようにレティシアさんが思い浮かぶ私@スペインですが、日本ではレティシアちゃんを思い浮かべる方が優勢なのでしょうか(ここでは秋葉原と有明は日本に含めません)。どちらも社会的身分は「お姫様」なのですけれど…… まぎらわしいので、両方ともキーワード登録しておきました。

http://blog.odn.ne.jp/madrid/archives/000290.html

http://nsidea.com/felipe.htm

Princess Holiday ~転がるりんご亭千夜一夜~

*1http://akebi.sakura.ne.jp/~nyanta/ 5月18日付けDiary

tanizakuratanizakura 2004/05/27 00:39 僕は、レティシアというとアリスソフトのデアボリカのれちこです。

genesisgenesis 2004/05/27 01:14 あぅあぅ。どうしてヒロインをやっている「レティシア」だけでも、こんなにいるのやら。フォローしきれません……

Wednesday, 2004/05/19

トラム

Barcelona  Barcelonaを含むブックマーク

 海外在住日記。たまにはスペイン在住者らしいことを。日帰りでバルセロナまで旅してきました。

 06時40分バレンシア発の高速列車ユーロメッド(Euromed)に乗り、所要3時間でバルセロナ(サンツ駅)に到着。

 10回回数券(T-10)を購入して地下鉄に乗り、10時20分、カタルーニャ音楽堂(Palau de la Musica Catalana)へ。詳しくは後述しますけれど、ここ、入場予約制なもので今まで入ったことが無かったのです。午前中の早い時間帯に行けば大丈夫ということだったので、まずは駆けつけた次第。当日券(14時30分入場)を無事入手できました。ちなみに観光シーズンには早い平日でしたので、午後の分でしたら当日券が残っていました。

 少し時間が空いたので、エスパーニャ広場からFGCカタルーニャ鉄道に乗り、11時03分コロニア・グエルへ。駅からは青い足跡が案内してくれるという、お茶目なところです。名前から分かるように、ガウディ(Antoni Gaudi, 1852-1926)の建築です。「コロニア」というのはコロニーと同じ。この地に建てられた繊維工場に付随する施設群が、ガウディとその弟子達によって造られているところだそうです。が、ちょっと作為的すぎ。もともとは知る人ぞ知る隠れた見どころだったそうなのですが、このところのガウディ旋風に乗って大改装を施している真っ最中。おかげで、なんか嫌みな観光地と化していました。中心になる教会堂にしても、修復修繕工事ならともかく、「ガウディの後に付け加えられたものを取り去る」という狂気じみたことをやっています。それでコンクリートと鉄骨で補強をしていたりするので、年月に見合った風格が消え去っています。おまけに、入場料を払わないやつを近づけないように柵が巡らせてあるというのは考えもの。人が気軽に立ち寄れない教会というのは、宗教の目的からずれているように思うんですよね。そんなわけで、後期モデルニスモ建築を見て回ることができたものの、方向性のずれが気になって仕方がありませんでした。

 12時29分、エスパーニャ広場の近くにある「カイシャ・フォーラム」で開催されているダリの特別展を見にいく。画家サルバドール・ダリ(Salvador Dali)は、1904年、フランスとスペインの国境に程近い町フィゲラス(Figueres)で産まれました。今年が生誕100周年というわけです。今回の旅行の主目的だったわけなのですが、すぐに出てきました。はっきり言って、全然わからない。フィゲラスのダリ美術館は色々な仕掛けがあって楽しめたのですが、こういう展示会になってしまうと私に近代美術は理解できないというのが明瞭に自覚できます。

 もやもやした気分を吹き飛ばすには食い気でしょう、ということで、いま食通の間で話題になっているチョコレート屋さんカカオ・サンパカCacao Sampaka)へ。店内には喫茶も設けられています。で、お品書きの筆頭に堂々と書かれているチョコラテ・トラディシオナル(2.2ユーロ)を注文――って、仮にもスペイン事情に詳しい人間にあるまじきことをやってしまいました。チョコラテ(Chocolate)というのは、スペイン風ぜんざいとも訳されることがあるほどに濃厚で、かなり固体に近い液状のホット・チョコレートのことです。要は、冬の食べ物。汗ばむほどの陽気が訪れている日に頼むべきものではありません(^^;) 正直なところ、味が抜きんでているとは言い難いです。店のセンスはいいし、飾り付けも綺麗なんですけれどね。

 14時30分、いよいよカタルーニャ音楽堂へ。所要時間50分のガイド・ツアーで館内をまわります。最近は、バルセロナというとガウディという固定観念が出来ていて嫌なのですが、この音楽堂はガウディと同時期に活躍しモデルニスモ建築の雄として並び立つドメネク・イ・モンタネルの作。その華麗さ故に、ユネスコの世界遺産にも登録されています。もう、素晴らしいの一言。バルセロナに来たのなら、音楽堂見学のために日程を調整すべきです。同じくドメネクの手になるサン・パウ病院も、これまた必見。なのに、日本では馴染みがないのが残念でなりません。ところがところが、音楽堂で改修工事をやっていると思ったら、雰囲気を壊してしまいかねない新館が付け加えられてしまったのです。クロークやエレベーターなどが必要なのは理解できるのですが、ちょっとそぐわないように感じました。

 16時、バルセロネータに出て、適当に見つくろったレストランで遅めの昼食。海沿いだから魚介類にしようと、1皿目にメヒジョン(ムール貝)、2皿目に海鮮パエージャを注文。皿にうずたかく積まれたムール貝を食べ終えたところで、パエージャの具として再びムール貝が出てきた時はどうしようかと思いました(笑) デザートはクレマ・カタラン。カスタード・クリームの上に砂糖を振りかけ、バーナーの炎であぶってカラメルにするというお菓子です。言わなくても分かると思いますが、かなり甘いです。食後のエスプレッソ珈琲は必須。ビールとパンがついて、11.1ユーロでした。

 栄養を仕入れたところで、17時18分、アントニ・タピエス美術館(Fundacio Antoni Tapies)へ。わざわざ確かめるまでもなかったのですが、私に現代美術は向いていないみたいです。わずか数分で出てきました。

 18時、今春に開通したトラム(Tram)に乗ってみました。地下鉄3号線の大学地区より北西に向かって伸びています。路面電車の中でもLRTと呼ばれる最近注目の集まっている型です。日中の運行間隔は5分おきで待ち時間が少ない、利用客もそこそこ多い、専用軌道になっている区間が多いうえ交差する道路も少ないので走行は快適、そのうえデザインが良い。信号の調節をしていないようでしたが*1 、それでも次世代交通のサンプルとして参考になりそうです。LRTには、地下鉄より利用者に優しく、建設費が少なくて済み、街の景観に寄与する、と利点は多いです。バルセロナで、路面電車の良さを再認識してきました。

 さて、このトラムが出来たおかげで行きやすくなった場所が「ウォールデン7」です。とんでもなく奇抜な形状の集合住宅。話には聞いていたのですが、実物を見ると、やっぱり変でした。将来、建設中のトラム3号線にその名も“Walden”という停留所が出来るので、見学には便利になりますね。

 トラムの撮影に熱中していたら都市間バスに乗り遅れてしまったので、20時30分サンツ駅発のユーロメッドでバレンシアへ帰還。

http://sowhat.magical.gr.jp/spain/s_es_2004.html〔写真〕

*1:ところによっては、路面電車の走行を優先させるため、車両が近づくと自動車側の信号を赤にするところもあるのです。

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Monday, 2004/05/17

[] 姑獲鳥の夏  姑獲鳥の夏を含むブックマーク

 京極夏彦のデビュー作『姑獲鳥の夏』読了。

姑獲鳥の夏 (講談社ノベルス) 文庫版 姑獲鳥の夏 (講談社文庫)

 「なに? これ?」

 ただひたすら、この未知なるものを前に呆然としました。これが小説の一種であることはわかる。詩集でも写真集でもない。しかしそれ以上の分類ができない。つまり、今までに出会ったことのない新しい代物でした。いろいろと読んできましたが、このような衝撃は数年来ありませんでした。よもや、このようなものが存在していようとは……

 私の本業は法律の研究ですが、何をやっているのかわからないと言われます。いちばん多い作業は、裁判例の比較分析。何か事件が起こったとき、それに近い事例を過去の記録(判例集)から探し出してきて、2つの事件の差分を取ります。で、そこから法則性を抽出して判例法理に仕立て上げるわけです。そんなこともあって私は、新しいものというのに弱い。相対的に比較すべき対象物がないと考察がうまくいかないので考証が「弱い」ことと、既存の概念で計測できないものを前にした興奮への耐性に「弱い」という二重の意味で。

 題名になっている姑獲鳥(うぶめ)とは、伝奇に登場する存在。普通は「産む女」と書き、下半身を地に染めて赤ん坊を抱えた姿で描かれる。曰く、お産で死んだ女の無念という概念を形にしたもの(49頁)。この妖怪をモティーフにして展開される、「ミステリィ仕立て」の小説。これをミステリーと呼ぶのは、違うような気がする。私立探偵は出てきますけれど、「見えないものが見える」という奇々怪々な人物だし、それに何より捜査をしない。ストーリー・テラーを引き受けるのは、精神を病む三文文士こと関口。で、そこに神主で拝み屋かつ古書店の主である京極屋が探偵役を引き受ける。

 で、消息を絶った男についての事件が持ち込まれます。しかし、謎が提示されるからといってミステリーとは限らない。本作に比べれば、叙述トリックなど見破るに容易い。人間の《知覚》作用そして《認識》作用そのものが仕掛けになっている。言うなれば、活字を目で追い脳で考えるという読書活動そのものを題材にしているともいえます。冒頭から長々と展開される会話は、無闇に知識をひけらかしているのかと思いきや、収束に至るための下地であったとは。事件についてのあらましを述べることは出来ても、本作の要訳は出来ません。

 はっきりわかったことが一つ。本作は小説における大きな潮流を産み出した始祖であります。

http://sv2.humeco.m.u-tokyo.ac.jp/~minato/cgi-bin/bookres/0409145447.html(中澤港さん)

http://www.aurora.dti.ne.jp/~takuma/book/book2000-5.html#ubumeぐうたら雑記館

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Friday, 2004/05/14

[] 冷たい密室と博士たち  冷たい密室と博士たちを含むブックマーク

 森博嗣冷たい密室と博士たち ‐Doctors In Isolated Room‐』読了。

 シリーズ2作目です。舞台は、隔絶された場所に造られた大学施設。う〜ん、1講座(教授+助教授+助手)に技官1+事務官2+司書1+守衛2がついて単独の建物を占有しているなんて、いったい科研費を幾らせしめているのだろう――という、大学関係者の妬み嫉みはこのくらいにしておいて(笑) ここで二人の大学院生が実験中に殺されるという事件が起こります。背中から刃物を突き立てられているので、他殺なのは間違いない。ところが遺体が発見された場所は密室で、しかも出入りの様子はすべて録画されていた、という筋立ての推理小説です。

 実験室内の気温は氷点下20℃に冷却されているため、宇宙服のような防寒スーツを着込んでいるというのがポイント。いつ殺害現場への出入りがあったのかはわかっても、中に入っていたのは誰なのかというのが考察箇所になります。でもね、出題の意図を理解することと、適切な解答を用意することとの間には、深くて広い溝があるのです。

 もう、まったくお手上げでした(泣)


 本筋から離れて。作者の気質を感じところがあったので、何箇所か列挙してみましょうか。

  • 部屋を出たとき、彼はクーラを止めなかった。(文庫版12頁)
  • すべての防火シャッタが次々に下りたようだった。(文庫版23頁)
  • 極地環境研究センタ(文庫版43頁)
  • 彼女のジェスチャの意図をすぐに理解したようだ。(文庫版45頁)
  • ミルクのパックとシュガーのスティック(文庫版54頁)
  • 誰も泣かないレポータには不満のようだった。(文庫版171頁)
  • スニーカを履いてきた。(文庫版242頁)
  • イレギュラなことが三つほど起きました。(文庫版353頁)

 おわかりになりますか? 外来語の表記に長引き(ー)を使っているところが少ないのです。といっても嫌いだから付けていないわけではなく、ある法則に従っているのが見て取れます。

 これは、「コンピューター」と「コンピュータ」の使い分けを知っていると気づきます。前者が文系、後者が理系での書き方なのです。語尾が“-er”となる英単語をカタカナ表記するとき、文系では最後に「ー」を付けるのが一般的です。ですから、私(=法律専攻)が書く文章では専ら「コンピューター」で、「コンピュータ」にすることはまずありません。学問を文系と理系で二分することに意味があるとは思えないのですが、翻訳の時には所属する学問分野による違いが如実に現れてきます。

http://www.teu.ac.jp/kougi/tukamoto/ipsj/9906/ie9906.html〔文系と理系の用語〕

 この法則から外れて長音記号が加えられているのは、気付いた限りで「シュガー」だけ。森氏は、“irregular”については“-er”と同じく処理したものの、“sugar”の場合に限って一般的に定着している「シュガー」とすることに譲歩したものと推測できます。

冷たい密室と博士たち (講談社ノベルス) 冷たい密室と博士たち (講談社文庫)

[] 封印再度  封印再度を含むブックマーク

 完封負けのままだと悔しいので、続けて森博嗣封印再度 ‐Who Inside‐』を読了。こちらはシリーズ5作目。入手しそびれたので、3作目と4作目を飛ばしています。推理小説だから単体で読んでも構わないハズなのですが、この作品では探偵役の助教授と助手役の大学生との煮え切らない関係が全体を通しての物語を構成しています。最近のミステリィは、トリックだけじゃないから大変だなぁ。

封印再度 (講談社ノベルス) 封印再度 (講談社文庫)
 

 岐阜県恵那市の旧家、香山家には代々伝わる家宝があった。その名は、「天地の瓢(こひょう)」と「無我の厘(はこ)」。「無我の厘」には鍵がかけられており、「天地の瓢」には鍵が入っている。ただし、鍵は「瓢」の口よりも大きく、取り出すことが出来ないのだ。五十年前の香山家の当主は、鍵を「瓢」の中に入れ、息子に残して、自殺したという。果たして、「厘」を開けることが出来るのか? 興味をもって香山家を訪れた西之園萌絵だが、そこにはさらに不思議な事件が待ち受けていた!

(表紙見返しより内容紹介を引用)

 事件の概要。帰省してきた娘が夜道の運転を誤って河原に投げ出され、病院に運び込まれた。ところが夜が明けてみると、交通事故現場のすぐ近くで父の死体が発見されたのだ。死因は、胸に突き立てられた刺し傷による出血。ところが血が流れていた場所は遠く離れた蔵の中であり、そこには血痕のついた「天地の瓢」が残されていた。しかし、凶器と思しき刃物は見あたらない――

 考えてみて、一箇所だけ解けたんですけれどね。土蔵の扉が閉じられていた理由なら。あとは×。というかですね、可能性までは思い当たっても特殊知識が無いと解けないっていうのは、釈然としないです〜。犀川氏から「理科年表にだって、ちゃんと載っているから調べてごらん」(新書版378頁)と言われてもなぁ……

 それはさておき、娘が父の死に関わっていたのか否かを判断するために必要な資料の提示が遅かった。そういうことが医学的にあり得るのかどうか知らないので強くは非難できませんが、これまた釈然としないです〜。

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Wednesday, 2004/05/12

ネタバレあります

[] Fate/stay night  Fate/stay nightを含むブックマーク

 TYPE-MOONFate/stay night”の最終ルート[Heavens Feel]を完了。総所要時間は、58時間ちょうど(タイガースタンプとCGの回収も同時に済ませています)。このルートについて述べようとすると、どうしてもネタバレになってしまうので、そこのところご了承を。

http://www2s.biglobe.ne.jp/~shigure/(ネタバレありますよバナー)

Fate/stay night 通常版 Fate/Stay night 初回版

 さて、間桐桜シナリオ。うぐぅ、重いですね…… 二次創作の動向は見ていませんが、間桐桜と真っ正面から向き合って書こうという意欲を持つに至る人がどれだけ居るやら……

 私は、このシナリオを送り出してきたことを評価すると同時に、冷徹にテーマを追い切れなかったことに一抹の物足りなさを感じました。

 このシナリオにおける主題は、価値観(自分が信じる正義)に従った生き様の有りようであったといえるでしょう。いうまでもなく、衛宮士郎が父・衛宮切嗣から引き継いだ「すべての人を救う」という望みを放棄し、「ある人を救う」へと転換したことについてです。第2シナリオ[Unlimited Blade Works]において抽象論を展開したうえで、第3シナリオでは具体論として「ある人」に間桐桜を代入します。

 こうなると、行き着くところまでいってしまうのが当然の成り行きです。それを作為で歪めるのは、かえって不自然。もし、セイバー遠坂凛イリヤ間桐桜も生き残って主人公と幸せに暮らしました、めでたしめでたし――などというシナリオを出してきたら、私は今頃TYPE-MOON宛に抗議文を書いていたことでしょう。多くの読者が期待していたであろうし、私も心の底では望んでいた夢のような結末を否定してみせたことは、十分に意味のあったことだと思います。

 ただ、ここは批判点でもあります。“True End”における衛宮士郎は、ちょっと御都合主義が行きすぎていて合点がいかない。遠坂凛の独白は、白々しくていけません。“Normal End”にしても、テーマに沿って物語を組み立てるなら、生き残るべきは間桐桜衛宮士郎の二人であったような気がします。幾多の人々を殺めたのみならず、もっとも身近にいた遠坂凛すら失って、それでもなお価値観を貫けるのかどうかが語られるべき話題であったのではないでしょうか。“Fate”で間桐桜シナリオが追いかけていた主題を突き詰めていくと、《櫻の木の下に唯2人だけが居る世界》に辿り着いてしまうのです。第1ルートを終えたところで私は『新世紀エヴァンゲリオン』との類似構造を指摘しましたが(id:genesis:20040430)、その劇場版は《浜辺に横たわる碇シンジと惣流・アスカ・ラングレーの姿》で幕を閉じていたことは、ここで述べていることと無関係ではないでしょう。とはいえ『エヴァ』の真似をしろというつもりはない。主題の指し示すままにシナリオを組む“Normal End”においては、遠坂凛の存在は阻害要因ともいえるのではないかということです。

 あと、いずれの幕引きにしても「赦し」を時間の経過に委ねてしまっており、衛宮士郎が存在していること(不在であったこと)を重要視していないことは残念です。まぁ、これは語るべき物語では無いのかもしれませんが。


 前作との関係について。桜は、自立に至らぬ幼い少女の内に親の庇護を失い、行動の自由を奪われ、性的な陵辱を受け、絶望を受け入れ、感情を押し殺して行動しつつ、主人公に秘かな救いを求めます。お気づきでしょうか? これ、『月姫』における琥珀と同じ位置付けなのです。そのような視点で眺めると、遠野秋葉遠坂凛を「若くして父の跡を継いだ当主」という役回りで括ることもできます。同じテーマを反復していながら、それを間桐桜シナリオへと発展させたことは、本作を評価する理由の1つに挙げても良いでしょう。もっとも、これを次回作でも繰り返したら、それしか脳が無いのかと批判しますけれどね。

 “Fate”では間桐桜の視点(独白)をふんだんに織り込んでいますから、彼女は嫌われる一方かもしれません。人間、誰しも善悪両方の側面を有しています。内心の告白を聞かされるということは、醜い部分もありのままに見せつけられてしまうということに他なりません。読み手から好意を集めようとするなら、あまり良策ではないです。ですが、外面だけをなぞって「可哀想な女の子」属性を付けるよりも、反感を受けることを承知の上で間桐桜に語らせたというのは、萌えに走るのを未然に防いで物語に徹したというところでは有意義です。仮に『月姫』で弓塚さつきシナリオが実現していたら、これに近い構成になっていたのかもしれません。

 さらに間桐桜にとっては不幸なことに、琥珀が有していた「暗躍」という特殊技能(?)が差し引かれています。料理技能についていえば琥珀も対等だし。妹属性はイリヤに取られているので、持っているのは「朝起こしに来てくれる女の子」属性だけ。本編での物語性を無視した二次創作(たとえば『月茶』*1 のようなもの)だと、使い勝手が悪くて敬遠されるのではないかと心配してしまいます。集まってくるのは、同情票だろうし。そういった意味では、番外編でも報われない哀れなキャラクターかも。ううっ、不憫(ふびん)だ。救いがあるとしたら、翡翠と同じく「耐え忍んだ後の反転が恐い」要素を持っているので、最後の最後には出番が用意されていることですか。


 総括。面白かったのですが、いったい延べ何人が死んだのかを考えると気分が滅入ります(^^;)

 ゲーム史上における位置付けですが、力作かつ大作ではあっても新しい領域を開拓したわけでは無かったように思います。奈須きのこの構築する架空世界が充実した、ということに留まるでしょう。

 構成ですが、各々のルートに入ってしまえば分岐が無い一本道であることからわかるように、3巻に分かれた紙の本に近い組み立てを取っています。むしろ本作は、本として執筆した方が主題を明確化するのに相応しい。私は“Fate”を、ゲーム(ビジュアルノベル)としての側面よりも、衛宮士郎の自己追求を描いた物語であるという点で評価します。惜しまれるのは、間桐桜シナリオの最後で無理な救済策を講じてしまったこと。そして、極限状況における決断なので、読み手が主題を一般化できないこと。後者は分かりにくいですね。つまり、本作では正義の原理原則として一般に通用している「最大多数の最大幸福」の採否を生死の問題に帰結させているので、読者が何か感ずるところがあったとしても、これを日常に当てはめて考えようとはしないだろう――ということです。

 TYPE-MOON固有の問題としては、「同人から商業へ」の移行が成功するかというのがありました。先述のように間桐桜シナリオに見るべきものは数多くあるものの、『月姫』の焼き直しといった側面があることは否定できません。大成功したシリーズの行方は3作目から先へ進めるかどうかで決まるものだと思いますので*2、ここで慢心なさらぬようにとの忠告を添えておきます。言い換えると、失点が見当たらないということ。

id:ton-boo:20040316, id:ton-boo:20040513#p1

id:antecedent:20040424#p3

http://homepage2.nifty.com/nori321/〔批評欄〕

cf.: http://www.vt.sakura.ne.jp/~ccc/〔→T-MOONの項〕

cf.: 批評空間

*1:PLUS-DISCおよび『月箱』所収。

*2:『空の境界』は未読なので、独自のタイトルに数えるべきなのか判断材料を持っていません。

Monday, 2004/05/10

Valencia

Campeones  Campeonesを含むブックマーク

 昨晩、リーガ・エスパニョーラ(サッカーのスペイン・リーグ)で、VCFバレンシアが優勝を決めました。

 21時20分頃、通行中の車両がクラクションを間断なく鳴らしはじめたので分かりました。当然のように打ち上げ花火も炸裂。テレビ中継を見ると、市役所前広場に群衆が集結。

 日付けが変わっても自動車によるファンファーレは続き、26時を過ぎても思い出したように演奏がありました。夜中の騒音に関しては寛容すぎるような気がするです(^^;) 

http://vcfmania.velvet.jp/

http://www.spainnews.com/news/

http://sportsnavi.yahoo.co.jp/soccer/eusoccer/spain/

http://www.valenciacf.es/

http://www.lfp.es/

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Friday, 2004/05/07

[] すべてがFになる  すべてがFになるを含むブックマーク

 森博嗣すべてがFになる』読了。

 きっかけは、TINAMIX。原田宇陀児氏がゲームとミステリーについて述べたくだりで「ミステリは、もう新本格の次の世代に踏み込んでいるんじゃないでしょうか」という箇所の具体例として、京極夏彦と並んで出てきていたのが森博嗣でした。1990年代の動向も知っておこうと思い、取り寄せてみた次第です。

http://www.tinami.com/x/interview/04/ 〔第10節を参照〕

 本作は、1996年に発表されたデビュー作。

14歳のとき両親殺害の罪に問われ、外界との交流を拒んで孤島の研究施設に閉じこもった天才工学博士、真賀田四季(まがたしき)。教え子の西之園萌絵(にしのそのもえ)とともに、島を訪ねたN大学工学部助教授、犀川創平(さいかわそうへい)は一週間、外部との交信を断っていた博士の部屋に入ろうとした。その瞬間、進み出てきたのはウェディングドレスを着た女の死体。そして、部屋に残されていたコンピュータのディスプレイに記されていたのは「すべてがFになる」という意味不明の言葉だった。

――表紙見返しより引用、読み仮名は引用者による

という密室殺人です。特徴的なのは、密室を作りだしているのもアリバイを立証しているのも、すべてコンピューターであるということ。研究施設のあらゆる機能が、真賀田四季の独自開発したUNIXにより制御されているのです。建物の扉は手のひらの光学スキャンで開け閉めされるし、事件の起こった部屋への出入りはカメラにより監視されキャプチャー映像として保存されているし、外部との交信もネットワークを介して行われる。

 確かにこれは、1990年代にならなければ生まれ得なかったものです。列車時刻表を用いたトリックは鉄道網が発達しなければ用いることが出来ないように、コンピューターを用いたトリックは情報処理技術が進展しないと仕掛けることが出来ません。コンピューターを初めて効果的に用いたミステリィという点で、記憶されるべき作品でしょう。

 表題にもなっている「すべてがFになる」。真賀田四季が残したメッセージですが、これは特定の知識がないと解けません。逆に言えば、ある読者層に対しては謎でも何でもないですね。『刑事コロンボ』のように謎が明かされていく過程を見るのが楽しみな人にはどうでもいいことですが、「読者への挑戦」に挑むことをミステリーの真骨頂と考えている場合には不公平に働く部分です。本文が始まって6頁目、殺人事件はおろか探偵役の犀川創平が登場すらしていないところにある四季の台詞、

「私だけが、7なのよ……。それに、BとDもそうね」(新書版15頁)

がリトマス試験紙でしょう。これを疑問と思わないだけの素養があれば、ミステリィとして読むことが出来ます。OSの異常動作の理由についても、「パッチを当てた形跡はまったくないんです」(新書版105頁)のところで、にぶい私ですら仕掛けに気づいてしまいましたし。ちなみに私ですが、近時の本格ミステリを代表する綾辻行人だけは、◎h!FMで谷山浩子さんが紹介していたというきっかけで読んでおりますが、一度たりとも解けたことがありません(泣)

 それでも、殺人動機の部分はわからなかった。本作では動機の探求こそが要であるので、またしても破れたと認めるべきでしょう。事件の発端は【倫理観を備えた理性】を取り払わない限り考えつかないですね。う〜ん、犯したい衝動を掻き立てる対象を目の前にしたら、簡単に野性に帰ってしまうものなのかもしれませんけれど、まだそういった境遇になったことないからなぁ。

 コンピューターをふんだんに使って仕掛けを講じておきながら、肝心なところは人間の物語として描いているところは評価に値します。いや、本作の舞台となった研究所は過度に人工的な空間だったもので、「犯人は手製の殺人ロボットでした」という落ちも受け入れてしまうような気分になっていたのですよ(^^;)

 謎が明かされたところで最初に戻り、冒頭の真賀田博士の発言を読み返してみると、摩訶不思議。最初は支離滅裂に見えた戯言だったのに、すべて論理的に正しいことを語っているではありませんか。まったく、実に美しく仕上げられたパズルです。

 面白かったと思いながら本を閉じ、表紙を見たところで愕然としました。副題が“The Perfect Insider”だったとは……。やられた。完膚無きまでにやられました。

すべてがFになる (講談社ノベルス) *1

http://www.asahi-net.or.jp/~WF9R-TNGC/subetef.html (リウイチさん)

http://cross-breed.com/archives/200403281936.php (ayuさん)

id:asedaruma:20040118

http://sv2.humeco.m.u-tokyo.ac.jp/~minato/cgi-bin/bookres/1223124718.html (中澤港さん)

http://www.sancya.com/book/book/liter_01.htm (フジモリさん)


 ミステリとしての部分を離れて、もう少し。事件の起こった研究所は、情報はすべてネットワークを介して行き来し、物理的な接触はほとんど行われないという場所が舞台なもので、【現実】について示唆的な議論を幾つか展開しています。例えば犀川は、分散社会となった未来において、「個人の現実」とは他人に干渉を受けないものに向かうだろうとの予測を立てる。そのうえで、萌絵の反論に対し、次のように述べている。

「ほとんどの人は、何故だか知らないけど、他人の干渉を受けたがっている。でも、それは、突き詰めれば、自己の満足のためなんだ。他人から誉められないと満足できない人って多いだろう? でもね……、そういった他人の干渉だって、作り出すことができる。つまり、自分にとって都合の良い干渉とでもいうのかな……」(新書版260頁)

 文中では、自分と戦って負けてくれる都合の良い他人の例としてゲームを挙げています。しかし考えてみると、現在のネットワーク社会の人間関係は、「都合のいい干渉」で組み立てられています。名前(真名)を明かさない、アドレスも秘匿する、面倒なことになったら「逃げる自由」を盾に取って消える。そのくせ、ブログ(weblog)のリファreferer)が返ってくるのを心待ちにする――

 犀川助教授の言う未来は、すでに現実として此処にあるのでしょうか。

*1:文庫版(ISBN:4062639246)も刊行されている。

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Wednesday, 2004/05/05

Fate

[] Fate/stay night  Fate/stay nightを含むブックマーク

 第2部[Unlimited blade works]まで進行。俗に遠坂凛ルートと称されていますが、その内実はアーチャーを主軸に据えたシナリオです。導入部で示されていた手がかりから予想できた展開でありましたが、きれいに筋道をつけたなと感心しました。知名度が英霊の強弱に直結する、という判断基準に照らすと気になるところはあるのですけれど、気が付かなかったことにしておきましょうか。

 奈須きのこは、「幼少時に死の渕に立った経験」を繰り返しモチーフにしていますが、徐々に強烈さを極めています。(1)『月姫』本編の遠野志貴、(2)『歌月十夜』収録「ななこちゃんSOS!」の乾有彦、そして今回は(3)“Fate”の衛宮士郎、と。特に今回は、そのモチーフが主人公の生き様に直結していますから、切り離していられません。目を背けていたい、考えずに済ませておきたいことをぶつけられて、かなりまいりました。

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Monday, 2004/05/03

[] 動物化するポストモダン  動物化するポストモダンを含むブックマーク

動物化するポストモダン オタクから見た日本社会 (講談社現代新書)

 東浩紀動物化するポストモダン オタクから見た日本社会』読了。

 本書は、三部構成となっている。第1章は、「オタク系文化」を、ヘーゲル的近代の後にくる「ポストモダン」の存在であるとして解き明かしたもの。オタク文化の源流は、アメリカ的なるものの換骨奪胎にあるとする。

 中心となるのは、第2章。近代からポストモダンへの世界像の移行を、ツリー・モデルからデータベース・モデルへと取って代わられたのだとして論証を試みている。すなわち、ポストモダンにおいて消費されるものは、作品(小さな物語)でも世界観(大きな物語)でもなく、文化全体のデータベースを消費することにある(77-78頁)とする。その実証例として、「萌え要素の匿名的集合体」として『デ・ジ・キャラット』、「ウェルメイドな物語=萌え要素の組み合わせの妙」の例としてKey“Air”を挙げている。

 思うに、この箇所が本書の難点であろう。でじこや神尾観鈴については的確な分析がなされている。それは、特定の作品論からデータベース・モデルが構築されているということではなかろうか。ブロッコリーVisualArt’s/Keyの手法をポストモダン的に分析するものとして適切であっても、それがポストモダン社会すべてに通底するものであるとは言えないだろう。東の説くモデルは指向性が強すぎるため、同様な性格を有する『シスター・プリンセス』あたりには応用が効くだろうが、その外に対しては何らかの修正が必要となりそうである。それがデータベース・モデルがそもそも持つ欠陥のせいなのか、現在現れている事象が完全にポストモダン化していないせいなのかは不明だが……

 第3章では、データベース消費の観点から多重構造を説明しようとしているが、どうにも精細さを欠く。中心の不存在ということがWWW(ウェブ空間)の最大の特徴であり、それがポストモダンに通じるものであることは間違いない。しかし東的なデータベース・モデルとは、その名前から明らかなように、インターネットの構造から組み立てたモデルではなかったのか。必要十分の関係に成り切れていないように思う。

 そして、『この世の果てで恋を唄う少女YU-NO』の作品論へと向かう。しかし、ここでまた先述した本書の問題点が生じている。たしかに“YU-NO”が持つ「システムとして組み込まれた二重構造」を指摘した作品論としては秀逸だが、それを文化全体(汎用的なギャルゲー構造論)に広げようとするところには無理があるのではないか。前章との関係では、剣乃ゆきひろの手法は「萌え要素」の効率的な消費を旨とするデータベース・モデルから遠いところにあるように感じられる。

 本書は、随所で実に興味深い指摘を行っており、私が抱えていた積年の疑問にも答えてくれている。例えば、TYPE-MOON歌月十夜』において原作者(奈須きのこ)のシナリオと公募作品(二次創作)が同列に扱われていたときに覚えた「不安感」は、私の視座にシミュラークル*1 という概念が無く、ポストモダンに到達していなかったためだとすれば理解が可能になる。また、現代芸術家・村上隆に対して持っていた「反感」は、

村上のその実験は、萌え要素のデータベースを理解することなしに、デザインというシミュラークルだけ(まさに表層だけ)を抽出して模倣した、不完全な試みでしかない(94頁)

との説明により氷解した。さらに、先日『マリア様がみてる』を読んでいて「違和感」を感じたのも、多層構造という指摘から自己分析ができる。作者の役割を、深層(設定)と表層(個々の作品)にわけてみれば良い。充実したデータベース(深層)への評価と、目の前にある文章の質(表層)への評価に落差があったにも関わらず、それを同一の作者(今野緒雪)で括ろうとしたから生じたのだろう。

 総じて言えば、東浩紀の提起する主張そのものを疑っているわけではない。ただ、東モデルでは1990年代後半における「綾波レイからでじこへ」という表層的な流れの一部しか捉えきれていないように感じられる。そもそも、ポストモダンを表現するモデルが、単一のものであるとは限らないのだし。

 正直なところ、東理論の当否を判断するのは私の能力に余る。そこで、極めて主観的な感情を述べておくことにする。ポストモダンな将来がでじこで出来ているのだとしたら、もうしばらく近代が続いていてほしい。

cf.: http://media.excite.co.jp/book/special/bk1/ (ベストセラー本ゲーム化会議)

cf.: http://homepage3.nifty.com/kuroyagisantara/thesis/ (現代日本におけるアニメーションとエンターテイメント小説)

cf.: id:genesis:20031231#c

*1:フランスの社会学者ジャン・ボードリヤールが提起したもの。ポストモダンの社会では、オリジナルとコピーの区別が弱くなり、そのどちらでもない「シミュラークル」という中間形態が支配的になるとする。本書41頁を参照。

yamazakurayamazakura 2004/05/04 01:45 あれ、まだ読んでなかったですか、ってそっちに持って行かなかったのね。オイラはかなり前に読んだのですがそのときオイラが気づかなかった点を幾つも指摘しているのがすごいぞと。

genesisgenesis 2004/05/04 01:59 ヲタク文化論を専攻している十年来の友人が文学研究科にいまして。彼が修士論文を書いている時に大筋として聞かされていたので、位置づけについては知識として知っていました。ウェブで発表されているものにも目を通してあったので、後から入門編を読んだようなものです。

kuroyagisantarakuroyagisantara 2004/05/05 03:55 その彼です(笑)。genesisさんの主観には同感です。genesisさんが例示されている『マリア様がみてる』シリーズの流行とその背後の表層/深層モデルへの視線そのものが、非「東的ポストモダン」(近代の生存=残存)を傍証していると見ることもできますし。近年の映画復権・アニメーション興隆・ラノベ量産体制を「動物化」として論じるのは、却って難しいとも思います。

genesisgenesis 2004/05/07 01:39 第2章の後半部は、長期的な転換についての話をしていたのに、短期的な変動の観察が混在してしまったように思いました。経済循環の波にも、キチン/ジュグラー/クズネッツ/コンドラチェフとがあるのですから、すべての現象を【動物化】に結び付けるのは無理があるでしょうね。

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