Fate/stay night

 TYPE-MOONFate/stay night”の最終ルート[Heavens Feel]を完了。総所要時間は、58時間ちょうど(タイガースタンプとCGの回収も同時に済ませています)。このルートについて述べようとすると、どうしてもネタバレになってしまうので、そこのところご了承を。
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Fate/stay night 通常版 Fate/Stay night 初回版
 さて、間桐桜シナリオ。うぐぅ、重いですね…… 二次創作の動向は見ていませんが、間桐桜と真っ正面から向き合って書こうという意欲を持つに至る人がどれだけ居るやら……
 私は、このシナリオを送り出してきたことを評価すると同時に、冷徹にテーマを追い切れなかったことに一抹の物足りなさを感じました。
 このシナリオにおける主題は、価値観(自分が信じる正義)に従った生き様の有りようであったといえるでしょう。いうまでもなく、衛宮士郎が父・衛宮切嗣から引き継いだ「すべての人を救う」という望みを放棄し、「ある人を救う」へと転換したことについてです。第2シナリオ[Unlimited Blade Works]において抽象論を展開したうえで、第3シナリオでは具体論として「ある人」に間桐桜を代入します。
 こうなると、行き着くところまでいってしまうのが当然の成り行きです。それを作為で歪めるのは、かえって不自然。もし、セイバー遠坂凛イリヤ間桐桜も生き残って主人公と幸せに暮らしました、めでたしめでたし――などというシナリオを出してきたら、私は今頃TYPE-MOON宛に抗議文を書いていたことでしょう。多くの読者が期待していたであろうし、私も心の底では望んでいた夢のような結末を否定してみせたことは、十分に意味のあったことだと思います。
 ただ、ここは批判点でもあります。“True End”における衛宮士郎は、ちょっと御都合主義が行きすぎていて合点がいかない。遠坂凛の独白は、白々しくていけません。“Normal End”にしても、テーマに沿って物語を組み立てるなら、生き残るべきは間桐桜衛宮士郎の二人であったような気がします。幾多の人々を殺めたのみならず、もっとも身近にいた遠坂凛すら失って、それでもなお価値観を貫けるのかどうかが語られるべき話題であったのではないでしょうか。“Fate”で間桐桜シナリオが追いかけていた主題を突き詰めていくと、《櫻の木の下に唯2人だけが居る世界》に辿り着いてしまうのです。第1ルートを終えたところで私は『新世紀エヴァンゲリオン』との類似構造を指摘しましたが(id:genesis:20040430)、その劇場版は《浜辺に横たわる碇シンジ惣流・アスカ・ラングレーの姿》で幕を閉じていたことは、ここで述べていることと無関係ではないでしょう。とはいえ『エヴァ』の真似をしろというつもりはない。主題の指し示すままにシナリオを組む“Normal End”においては、遠坂凛の存在は阻害要因ともいえるのではないかということです。
 あと、いずれの幕引きにしても「赦し」を時間の経過に委ねてしまっており、衛宮士郎が存在していること(不在であったこと)を重要視していないことは残念です。まぁ、これは語るべき物語では無いのかもしれませんが。

 前作との関係について。桜は、自立に至らぬ幼い少女の内に親の庇護を失い、行動の自由を奪われ、性的な陵辱を受け、絶望を受け入れ、感情を押し殺して行動しつつ、主人公に秘かな救いを求めます。お気づきでしょうか? これ、『月姫』における琥珀と同じ位置付けなのです。そのような視点で眺めると、遠野秋葉遠坂凛を「若くして父の跡を継いだ当主」という役回りで括ることもできます。同じテーマを反復していながら、それを間桐桜シナリオへと発展させたことは、本作を評価する理由の1つに挙げても良いでしょう。もっとも、これを次回作でも繰り返したら、それしか脳が無いのかと批判しますけれどね。
 “Fate”では間桐桜の視点(独白)をふんだんに織り込んでいますから、彼女は嫌われる一方かもしれません。人間、誰しも善悪両方の側面を有しています。内心の告白を聞かされるということは、醜い部分もありのままに見せつけられてしまうということに他なりません。読み手から好意を集めようとするなら、あまり良策ではないです。ですが、外面だけをなぞって「可哀想な女の子」属性を付けるよりも、反感を受けることを承知の上で間桐桜に語らせたというのは、萌えに走るのを未然に防いで物語に徹したというところでは有意義です。仮に『月姫』で弓塚さつきシナリオが実現していたら、これに近い構成になっていたのかもしれません。
 さらに間桐桜にとっては不幸なことに、琥珀が有していた「暗躍」という特殊技能(?)が差し引かれています。料理技能についていえば琥珀も対等だし。妹属性はイリヤに取られているので、持っているのは「朝起こしに来てくれる女の子」属性だけ。本編での物語性を無視した二次創作(たとえば『月茶』*1 のようなもの)だと、使い勝手が悪くて敬遠されるのではないかと心配してしまいます。集まってくるのは、同情票だろうし。そういった意味では、番外編でも報われない哀れなキャラクターかも。ううっ、不憫(ふびん)だ。救いがあるとしたら、翡翠と同じく「耐え忍んだ後の反転が恐い」要素を持っているので、最後の最後には出番が用意されていることですか。

 総括。面白かったのですが、いったい延べ何人が死んだのかを考えると気分が滅入ります(^^;)
 ゲーム史上における位置付けですが、力作かつ大作ではあっても新しい領域を開拓したわけでは無かったように思います。奈須きのこの構築する架空世界が充実した、ということに留まるでしょう。
 構成ですが、各々のルートに入ってしまえば分岐が無い一本道であることからわかるように、3巻に分かれた紙の本に近い組み立てを取っています。むしろ本作は、本として執筆した方が主題を明確化するのに相応しい。私は“Fate”を、ゲーム(ビジュアルノベル)としての側面よりも、衛宮士郎の自己追求を描いた物語であるという点で評価します。惜しまれるのは、間桐桜シナリオの最後で無理な救済策を講じてしまったこと。そして、極限状況における決断なので、読み手が主題を一般化できないこと。後者は分かりにくいですね。つまり、本作では正義の原理原則として一般に通用している「最大多数の最大幸福」の採否を生死の問題に帰結させているので、読者が何か感ずるところがあったとしても、これを日常に当てはめて考えようとはしないだろう――ということです。
 TYPE-MOON固有の問題としては、「同人から商業へ」の移行が成功するかというのがありました。先述のように間桐桜シナリオに見るべきものは数多くあるものの、『月姫』の焼き直しといった側面があることは否定できません。大成功したシリーズの行方は3作目から先へ進めるかどうかで決まるものだと思いますので*2、ここで慢心なさらぬようにとの忠告を添えておきます。言い換えると、失点が見当たらないということ。
id:ton-boo:20040316, id:ton-boo:20040513#p1
id:antecedent:20040424#p3
http://homepage2.nifty.com/nori321/〔批評欄〕
cf.: http://www.vt.sakura.ne.jp/~ccc/〔→T-MOONの項〕
cf.: 批評空間

*1:PLUS-DISCおよび『月箱』所収。

*2:空の境界』は未読なので、独自のタイトルに数えるべきなのか判断材料を持っていません。