Hatena::ブログ(Diary)

博物士

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Friday, 2004/07/30

魔法遣いに大切なこと

[] SOMEDAY's DREAMERS  SOMEDAY's DREAMERSを含むブックマーク

 海外在住日記

 今月の新刊は“SOMEDAY's DREAMERS”の第1巻(ISBN:8496325857)。8ユーロにて購入。山田典枝+よしづきくみち魔法遣いに大切なこと』の西語版です。

 日本語版は読んでいません。で、冒頭に出てくる“TONO”っていう単語で困っていました。スペイン語では「調子、色調、トーン」を意味するのですが、それだと通じない。何だろうと思っていたら、「岩手県の遠野」のことだったんですね(笑)

http://www.yume-mahou.com/(アニメ公式)

http://www2.odn.ne.jp/~tuchinoko/(つちのこ準星群)

http://www.NormaEditorial.com/(西語版の出版社)

魔法遣いに大切なこと―Someday’s dreamers (1st) (ドラゴンコミックス)(日本語版)

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Monday, 2004/07/26

[] 心病める人たち  心病める人たちを含むブックマーク

 岩波新書の『心病める人たち ―開かれた精神医療へ―』(ISBN:400430122X)読了。

 著者の石川信義(いしかわのぶよし)氏は精神科医で、自ら精神病院(三枚橋病院)を経営している。著者の主張をまとめると、精神障害者を施設に収容するのではなく、社会の中で生活させ地域で支えていくべきだ――というもの。

 分裂病の発病率は、人口千人あたり8人なのだそうです(25頁)。思いの外に高い数字に驚きました。もっとも、適切な治療を受けられれば、短期の療養で社会に帰っていく。問題の所在は、年に数%ほど発生する「社会に戻れない」患者。面倒を見てくれていた親が死んだりすると、帰る場所がなくなってしまい、病院に留まらざるを得なくなる。それが毎年数人の割合で発生していくと、十数年後には精神病院が慢性患者で埋め尽くされてしまうのです。その解決策が地域化、すなわちノーマライゼーション。

 1990年に上梓された本なため、記述には古いところがあります。その後の動きを、手元にある法学書で補足しておきましょう。

 1993年の改正により、地域生活援助事業(グループホーム)が法定化され……社会復帰施策のよりいっそうの充実が図られた。(中略)これらの施策により、わが国においても、強制入院を中心とした制度から、社会復帰を前提とした地域社会における精神保健福祉体制に移行したといえる。

有斐閣アルマ『社会保障法』旧版より引用(改訂2版は、ISBN:4641122032

このように、法制度の上では、石川氏の主張は実現しています。しかし、現実はどうでしょう。筆者は、身近に精神障害者の姿を見かけること、そして、彼らが危険な存在でないことを直に知ることが、差別と偏見をなくすための道筋なのだと言います。まさしく、その通りでありましょう。では、近頃、精神障害者の姿を見かけるようになったでしょうか? 10年以上経って、何か実態での改善があったのかというと、はなはだ疑問と失望を感じざるを得ません。いくら法律面が整備されようとも、変わったことが肌で実感できなければ、何も変わっていないのと同じです。

 本書を読んでいて、高齢者問題と重なる部分が多いと感じました。痴呆が進んで手に負えなくなり、家族で支えられなくなったところで老人保健施設に送られるというのが、今日もっとも多いシナリオでしょう。私の祖母も死の直前を施設で過ごしました。見舞いに行くと、「事故防止」のための「管理」を優先した冷たい施設と、「作業効率」を考えなければならぬほど大量の老人を看護する職員の姿とを見て、こんな所に来たくはないものだと思ったものです。

 精神病院が気楽に出かけられるようなところになること。それが自殺者を出さないためにも急務です。日本では、2003年度には34,427人もの自殺者が出ています*1。同時期の交通事故死者が7,702人であることに比べると*2、何と多くの人が自ら命を絶っていることか。以前、過労の末に自殺した電通事件*3 を調査したことがあるのですが*4、心が弱っている時に相談できる相手がいることの必要性を痛感したものです。この問題に関わる研究者としては、「ちょっと精神科に行ってきます」と言えるような環境の構築に努めねばなりません。

――精神病院は、刑務所ではない。

――施設と名の付くところは、人の住まう場所ではない。

 なんとも暗たんたる思いで、読み終えました。

http://www.sanmaibashi-hp.com/

http://myshop.esbooks.yahoo.co.jp/myshop/noguchi1109?shelf_id=01(書評)

http://www.asahi-net.or.jp/~pb6m-ogr/qqqqq.htm#q8

*1:警察庁生活安全局地域課の発表による。資料は
http://www.npa.go.jp/

*2:平成16年版「交通安全白書」による
http://www8.cao.go.jp/koutu/taisaku/index-t.html

*3:最高裁第二小法廷判決・平成12年3月24日・労働判例779号13頁

*4http://sowhat.magical.gr.jp/thesis/g_ronbun_03.html

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Saturday, 2004/07/24

[] OVA 成立史  OVA 成立史を含むブックマーク

 何気なく“OVA”の項目を見たところ、本質を明らかにしていない解説文のような気がしてきたので……

 家庭用ビデオデッキの普及が進んだのは、1980年代後半のことである。1988年に普及率は53%に達している。βの敗北が濃厚となり、VHSがデファクトスタンダードとしての地位を確立したことが背景にあると言えよう。

cf. http://www.yomiuri.co.jp/net/feature/20030911fe01.htm

 それにあわせ出現したのが、レンタルビデオ店であった。この時期に、テレビで放映されていない番組をビデオで見る、ということが定着したのである。

 もともと、本質的に収集癖を持つオタクの間では世間一般に比してビデオデッキの普及は早かった。また、観たい作品のためなら出費を惜しまないという消費行動をとる。そこで、お金を払って見るアニメーションとして、OVAが登場したのである。OAVを専門に扱う雑誌『アニメV』(学研)が創刊されたのは1985年6月のことであった。

 その初期の作品例としては、『ガルフォース』や『プロジェクトA子』(いずれも1986年)を挙げることができる。この2作品は、劇場版からOVAへと移行してシリーズ化した。それまでの、単発作品の発表の場といえば映画であった頃の名残といえよう。

 テレビ放映作の続編がOVAとして制作された例としては、『きまぐれオレンジ☆ロード』(1989-90年)、『機動戦士ガンダム0080』(1989年)、『機動戦士ガンダム0083』(1991年)など。原作付きのものは多数あるが、さしあたり『ああっ女神さまっ』(1993年)を挙げておくにとどめる。

 ビデオ作品を主軸として展開された、オリジナル性の強い例としては、『ドリームハンター麗夢』(1985-87年)、『戦え!!イクサー1』(1985-87年)、『バブルガムクライシス』(1987-91年)、『魔物ハンター妖子』(1991-94年)、『万能文化猫娘』(1992-94年)、『天地無用!魎皇鬼』(1992-95年)、そして『トップをねらえ!』(1988-89年)がある。

cf. http://member.nifty.ne.jp/teraji/

cf. http://www.anime-int.com/works/

 OVAが成熟をみせた1990年の前後は、連続幼女誘拐殺人事件(1988-89年)の影響でオタク文化が抑圧されていた頃でもある。1991年11月には、性表現を含むゲームソフトウェアがわいせつ物として摘発されるということも起こっている。テレビ放映されるアニメは数が減少し、勢いが無かったということも、OVA発展の要因として考えられよう。もっとも、この時期といえども、アニメが完全に閉め出されたわけではない。『らんま1/2』(1989-92年)、『ふしぎの海のナディア』(1990年)、『姫ちゃんのリボン』(1992年)、『ママは小学4年生』(1992年)、『ミラクル☆ガールズ』(1993年)などが制作されている。しかし、意欲的な作品を発表する舞台はOVAに移っていたこと言って、間違いはなかろう。

 1992年、『美少女戦士セーラームーン(無印)』が大ヒットしたことで、状況は好転。「アニメを見せ、メディアミックスを展開し、関連商品を売る」というビジネスモデルが拡大。1994年の『赤ずきんチャチャ』や『美少女戦士セーラームーンS』で、テレビ回帰の流れは決定的となった。OVAからテレビへの発展も起こりはじめる。

 しかし、OVAの制作が途切れたわけではない。1990年代中期のものとして『KEY THE METAL IDOL』(1994-97年)や『魔法使いTai!』(1996-97年)がある。テレビで放映するには適さない構成の作品をOVAで――という棲み分けが起こった例と言えよう。内容面からOVAに向かったものは、「同級生2」(1994-98年)、「きゃんきゃんバニー」(1996年-)など、ギャルゲーを原作とするものに多い。

 衛星波で潤沢にアニメ番組が放映されるようになったことで、アニメーションをめぐる状況は大きく変化した。本解説は、20世紀における歴史的状況の整理を試みたものである。

――という文章を書き加えておきました。締め切り前の逃避行動ってやつですね。ちょっと自信の無いところが幾つかあるので、不備に気が付かれましたらご指摘くださいませ。

hissahissa 2004/07/24 02:28 やはり1983年12月発売の世界初のOVA「ダロス」に触れて欲しい私は押井ファン。http://www.skc-ir.jp/ir/2004/bandai/bandai2.htm 

genesisgenesis 2004/07/24 02:52 はいは〜い。キーワードの方に加筆しておきました。

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Thursday, 2004/07/22

チャオ ソレッラ! 舞台探訪  チャオ ソレッラ! 舞台探訪を含むブックマーク

 ごきげんよう

 もともとは遺跡と絵画を見に行こうとしてイタリア行きの計画を立てていたのに、いつのまにか「今野緒雪マリア様がみてる』実地見分」になっていました。ローマ篇、フィレンツェ篇、ピサ篇を執筆しましたので、既に発表済みのミラノ(マルペンサ)篇とあわせれば、ほぼ『チャオ ソレッラ!』は解読できることと思います。

 ヴェネツィアは?――と聞かれたのですが、4年前に旅行したことがあるので、今回の訪問先には含めませんでした。内容面にしても、「ため息橋」のエピソードは本文中で説明があるから疑問はないでしょうし。それにしても、あの美しい水の都に半日しか滞在しなかっただなんて、もったいないです〜

マリア様がみてる 17 チャオ ソレッラ! (コバルト文庫)

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Saturday, 2004/07/17 Firenze, Pisa

レリーフ

[] イタリア旅行記 (5/6)  イタリア旅行記 (5/6)を含むブックマーク

 フィレンツェ滞在2日目。

▼ ウフィッツィ美術館

 開場時刻(08時15分)に間に合うよう早起きして、ウフィツィ美術館(Galleria degli Uffizi)へ。フィレンツェがルネサンス発祥の地と言われる証が、ここにあります。14世紀の芸術を支えたパトロン、メディチ家の収集したコレクションが詰まった美術館です。とにかく混むことでも有名なので、事前に予約を入れていきました。

http://english.firenze.net/

 予約確認メールを持って引換所(3番窓口)に行くと、待たずに入場券と交換できました。予約済み入場口(2番窓口)では、10人ほどが列を作っているだけ。それにしても、開場時刻を過ぎているのに入場が始まっていないという、いい加減なイタリア人の所業のせいで待たされているのであって、実質は待ち時間ゼロでした。

 ここの収蔵品の名前を挙げていくと、きりがありません。ボッティチェリの『〜春〜』や『ヴィーナスの誕生』が、有名どころでしょうか。でも私は、第8室のリッピ親子や、第28室のティツィアーノが気に入りました。入場草々、ガイドブックを購入し(16ユーロ)、解説を読みながらじっくり鑑賞してきたのですが…… ここは日本人の団体旅行客が多いので、ほぼすべての名画の前で肉声ガイドを聞くことができます。わざわざ高いパックツアーに参加する必要は無いですね(笑) でも、彼らは名画だけを駆け足で見ていくので、やはり個人旅行の方が気楽でいいな。

 今回の旅では、大韓民国の経済発展をまざまざと感じました。ハングルのガイドブックを手にした旅行客の姿を見るなど、数年前には無かった光景です。特に韓国人女性は化粧の仕方も洒落てきて、見た目では日本人と区別がつきません。かろうじて男性は、髪型とか目元とかで分かりますけれど。解説の声が聞こえる美術館の中では、韓国の存在を強く感じました。

 あまりに名画が多く、U字形になった建物の折り返し点に来たところでヘトヘトになってしまいました。併設のバールに行って休息。ちょっと高いパニーニ(4ユーロ)を食べて栄養補給し、後半をこなしてきました。階下では改装工事が行われており、近く展示スペースが増える予定だそうです。楽しみではありますが、そうなったら昼食持参で行かなくてはなりませんね。

 地上階で絵葉書など買い求めて出口へ向かうと、郵便局がありました。ここで切手を購入。イタリアの郵便局は長蛇の列で、切手を買うにも数十分は待たされます。ここなら客も少ないですから、とても便利。しかも係員さん、「何マイ欲シイ?」と怪しいながらも日本語話しているし。

▼ 教会めぐり

 次に、町の東側にあるサンタ・クローチェ教会(L'Opera di Santa Croce)へ(4ユーロ)。教会としては大したことない場所だなぁと思ったら、右手の中庭の先に付属美術館もありました。通路に彫刻が並ぶ面白い空間があって、ここはいったい何だろうと思ったら墓石の列だったり(^^;) 墓に対する観念の違いがはっきり出ていて、興味深かったです。

 その通路の屋根にあたる部分に、薄衣をまとった少女のレリーフが置かれていたのですが、これが美しい。我を忘れて見とれていました。せめて絵葉書でもいいから欲しかったなぁ……

http://www.operadisantacroce.it/

 近くにある名店ヴィヴィオ(Viviorli)で、ジェラートをたしなむ(2.5ユーロ)。クリーム風味とイチゴ風味の組み合わせにしたのですが、濃厚な味わいに感動。ここのジェラートが、これまで知る中で最も美味でした。

 アルノ川に沿って進み、13時05分、こんどは町の西側にあるサンタ・マリア・デル・カルミネ教会(Santa Maria del Carmine)へ。ルネサンスの幕開けを飾るフレスコ画があるというので、行ってみました。鮮やかで軽やかな色彩は素晴らしいのですが、礼拝堂の入口部分しか見せてくれないので、拝観料(4ユーロ)に釣り合わないだろうというのが、偽らざる感想でした。

▼ ピサへ。

 14時00分発の列車に乗る。動き出したのは定刻の8分後というのは、もはや慣れっこ。およそ1時間で到着。駅前からはバスに乗車――しようとしたら、運転手さんに止められる。これは「空港行きの3番線」なので、道路を渡った向こう側の乗り場から乗りなさい、とのこと。あぶない、あぶない。

 およそ10分ほど揺られていると、いかにも観光地!という場所に到着。ぱっと見て「美しい」という言葉が出てくる場所です。通路に沿って、みんなが斜塔に向かって手を伸ばしています(笑) こういう時、ひとり旅はちょっと寂しい。

 15時20分、券売所で入場券を購入。斜塔への入場時刻は18時を指定されたので、それまでに周囲の観光をすることにします。洗礼堂に入って涼んでいると、突然、お静かに!という声とともに扉が閉められました。前に進み出た警備員のお姉さんが上空に向かって声を発すると、反響して重なりあうのです。最後の方だけ録音してきましたので、聞いてみてください。

http://sowhat.magical.gr.jp/ciao/psa/rosacanina.mp3

 それから大聖堂の内部を見学。しかる後、案内所にあるロッカーに手荷物を預け、いざピサの斜塔に挑みます。これは近くで見ると傾きが大きく見えるなぁ…… 基礎にあたる部分が、ごっそりと沈んでいるんだもん。しかし、中に入ってみると、石段が年月を経て磨耗しているため転びやすくはなっていますが、それほど大変ではありません。時間制限があって、降りる人と昇る人がすれ違うことは無い、というのも大事。フィレンツェの鐘楼では息を切らしてしまいましたが、あっけなく上部に到着。20分ほど眺めを楽しんでから帰りました。

▼ 夕食

 晩ご飯♪ 晩ご飯♪

 駅の西側にある「パスタリート・ピッツァリート」というレストランへ。しばしメニューの伊語と格闘し、野菜サラダとトマトソースのパスタを注文。

 ……ちょっと失敗。このお店、パスタの形状を自由に選べるのですが、いちばん上に乗っていたのを選んだら、まん丸い白玉ダンゴ状のが出てきたのですよ。あのですね、おいしい蕎麦とツユがあったとしましょう。分量は同じまま、ソバを細い麺ではなく、団子にしたらどうなるか、想像してみてほしいん。なんか、味が足りないの(^^;) しかもフレッシュ・パスタにしてみたものだから、食感も団子そのもの。相乗効果って恐ろしいですね〜

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Friday, 2004/07/16 Firenze

ドゥオーモ

[] イタリア旅行記 (4/6)  イタリア旅行記 (4/6)を含むブックマーク

 ローマからフィレンツェへ移動。

 ホテルをチェックアウトし、地下鉄に乗ってテルミニ駅へ。通勤客で混むのではないかと心配したのですが、窮屈な思いはせずに済みました。事前にインターネット経由のチケットレス予約をしてあったので、そのまま08時55分発のES*に乗車。

 所要およそ1時間30分でフィレンツェ着。予約をしておいたホテル・デッレ・ナツィオーニ(Hotel delle Nazioni Firenze)に荷物を預けにいく。駅を出てすぐ右という至便な場所にありました。

 日本語で予約できる“Hotel Club”を利用しました。シングル1泊54ユーロ。部屋に入ってみると、本来140ユーロのダブルルームをあてがってくれていました。しかも最上階で、小さいながらもテラスがついています。朝、窓を開けるとドゥオーモが見えると言う最高の部屋。従業員の対応も気持ち良くて、朝食が貧相だったということを除けば、是非お勧めしたいところ。

http://www.terraditoscana.com/dellenazioni/

http://www.hotelclub.net/

▼ イタリア・ルネサンス巡り

 駅に隣接するスーパーで飲み物を購入し、市内散策へと繰り出しました。最初に目指したのはサン・マルコ美術館(Museo di San Marco)。4ユーロ。あまりに小さなところだったので、入口に気づかず通り過ぎてしまいました。階段を昇ると、いきなり正面にフラ(ベアート)・アンジェリコ(Beato Angelico)の『受胎告知』(Annunciazione)がありました。まさか、かくも有名な絵が、廊下の壁に描かれたものだとは思っていなかったので驚きました。ここの所蔵品では、記念品売り場に書かれていた『最後の晩餐』が最も気に入りました。

 続いては、アカデミア美術館(Galleria dll'Accademia)。12時40分に着いたのですが、炎天下で40分待たされました。今回の旅で、唯一入場待ちがあったのは此処です。予約しておくべきだったと後悔。中ではゆったりできるようにという配慮で入場数制限をやっていたようなのですが、制限が厳しすぎですね。ここのお目当ては、ミケランジェロダヴィデ像。保健の教科書の、と言えば誰でもわかるアレです。でもね、男性の裸体像を見ても、あんまり楽しくなかった(^^;) ここの所蔵品の中では、絵画の方が気に入りました。

 手近なバールでパニーニを調達し(2.6ユーロ)、カテドラーレ(Catedrale、大聖堂)へ。白、ピンク、グリーンの鮮やかな色彩が目を引きます。いつも薄茶けた教会を見慣れているだけに、ちょっと奇異な感じがする。内部は外観に負けてしまっていましたね。

 続いてメディチ家礼拝堂(Cappelle Medicee)。うわ、最悪。「君主の礼拝堂」は工事のための足場が組まれていて、祭壇だけが見えるという状態。雰囲気ぶち壊しです。それでいて6ユーロも徴収されるのだから、たまったものではありません。

 15時33分、サンタ・マリア・ノヴェッラ教会。取り立てて言うほどのものでもなし。

 さて、「バカと煙は高い所へ昇る」と言いますが、やはり高所からの眺めは良いもの。それがフィレンツェには、2つの候補があります。1つは大聖堂のクーポラ(丸屋根)ですが、そのクーポラを真横から眺めることのできるジョットの鐘楼(Campanile di Giotto)の方に昇ってみることにしました(6ユーロ)。1334年にジョットが設計した、高さ82mの細長い塔。16時04分、いざ参る。414段の階段は、かなりきつい。降りてくる人のために道を譲らなければならない。ヴァチカンのサン・ピエトロ大聖堂では往路と復路が別ですし、ピサの斜塔は時間を区切っての入場なので、狭い階段で鉢合わせということは起こりません。しかし、息をきらしつつ辿り着いたテラスは、まさに絶景でした。

 へとへとになったので、有名店ペルケ・ノー(Perche NO!)のジェラート(2ユーロ)を食べて休息。そのまま南下し、新市場のイノシシの像、橋の上に貴金属店が並ぶポンテ・ヴェッキオ(Pnte Vecchio)を見る。

 17時26分、パラティーナ美術館(Galleria Palatina)へ。もう素晴らしいの一言。これが他の街にあったのなら、この所蔵品を見るために旅行へ出かける価値があるというほど。ルーヴェンス、ムリーリョなどが「ちょっと出来がいい」程度に思えるくらい、全体の質が高い。また、宮殿の装飾や壁画も見事でした。思わず、ガイドブック(21ユーロ)を購入。存分に楽しんできました。

 夕食はホット・ポット(Hot Pot)にて。定食9.8ユーロで、好きなものを指定するという店。野菜サラダ、スパゲティ、果物、赤ワインを選択。調理済みのものを盛りつけるのでアルデンテなど望むべくもない店ですが、ボラれることもなく、気軽に味を楽しむことができました。

▼ アクア

 帰路、駅前に屋台が出ていたので、水を購入しようとしました。

 「おっちゃん、ミネラルウォーターちょうだい。炭酸入りの」

 「あんた、日本人かい?」

 「うん。そうだよ」

 「本当にガス入りでいいのか? 日本人は、ガスなしの水しか飲まないんだろ?」

 「――いや、私、バレンシア在住だから」

 「そうか、ならいいだろう」

 私は、ガス入りの方が美味しいと思うんですけれどねぇ。

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Thursday, 2004/07/15 Roma

フォロ・ロマーノ

[] イタリア旅行記 (3/6)  イタリア旅行記 (3/6)を含むブックマーク

 ローマ滞在3日目。

▼ ボルゲーゼ

 本日最初の目的地は、ボルゲーゼ公園(Villa Borghese)とボルゲーゼ美術館(Museo e Galleria Borghese)。17世紀の枢機卿シピオーネ・ボルゲーゼが造園した庭園で、彼の収蔵品を公園内にある館で展示しているもの。

 ホテルから歩いて出かけました。途中、トレヴィの泉とスペイン広場を通りかかったのですが、午前9時台だと人も少なく、落ち着いて眺めることができました。スペイン階段を昇り、左手に進むと公園の入口。美術館へは10時ちょうどに到着。ここは予約を取らないと入れないということだったので、ウェブサイトで申込みをしておきました。

http://www.ticketeria.it/

 ところが、窓口に予約メールを印刷したものを差し出すと

「今10時だよ」

――と言われました。えぇ、そうですねと答えると

「入場時刻、過ぎてるんだけど」

 どうも予約確認書の文言の解釈で相違があったらしい。

Time slot ( Entrance - Exit ) : ( 09:00 - 11:00 )

この文章、私は「09時から11時の間に入場せよ」という意味でとっていたのですが、正しくは「09時に入って、11時までに出ろ」ということだったらしい。一般に美術館では滞在時間の制限なんてしないので、すっかり勘違いをしておりました。これは入れてもらえないかなぁと思ったら、11時からの入場に取り替えてもらえました(11ユーロ)。ありがとう、お兄さん(うるうる)。

 時間ができてしまったので、公園内を散策。湖の庭園(Giardino del Lago)やゲーテの像を見て戻ってくるだけで1時間かかるという広大な敷地でした。

 さて、朝一番に入場した人達を完全に追い出したところで入場開始。うわぁ…… まず、建物内部のきらびやかさに息を呑む。次いで、飾られている彫刻の美しさに溜め息をつく。カノーヴァの彫刻『パオリーナ・ボナパルト像』などは、本当に石で出来ているのか疑いたくなるほど柔らか。ローマに来たのなら、ちょっと無理をしてでも行ってみる価値があるところです。

 ちょっとお腹が空いてきたので、美術館の地下階にあるバールでホウレン草を挟んだパニーニを購入し(2.6ユーロ)、公園のベンチでぱくつく。

 帰りはピンチョの丘(Monte Pincio)から。高台の上からは、ヴァチカンのクーポラを眺めることのできる、見晴らしの良い場所でした。サンタ・マリア・デル・ポポロ教会に少しばかり立ち寄ったあと、フラミーニオ駅から地下鉄A線に乗車。

▼ 地下鉄よ、お前もか!!

 ところがテルミニ駅に着くと、様子がおかしい。なんと、地下鉄B線が不通になっていたのでした。ぉぃぉぃ。飛行機は遅れるし、国鉄は止まる。そのうえ地下鉄までも運休か。イタリア、《ゆるゆる》すぎです。スペインを知る人に言われるレヴェルがどれほどのものか察してください(笑)

▼ コロッセオ

 仕方なく、目的地と経路を変更。サンタ・マリア・マッジョーレ大聖堂を横目に眺めながら、歩いてコロッセオ(Colosseo)に向かいます。途中、ジェラートを買って活力を補給。思ったより時間はかかりませんでした。

 さて、切符売り場を見てみると、長蛇の列。そこで裏技に挑みます。いったんパラティーノの丘)へ。ここで待つことなく共通入場券(10ユーロ)を購入し、再びコロッセオへ戻ります。で、数百人が並ぶのを横をすり抜けて、すんなり入場。でも、内部は大したことありませんでした。コンサートをやってない音楽堂、あるいは、試合をやっていない野球場へ出かけても面白くないのと同じ。あ、いや、ここで剣闘士に殺戮を繰り広げて欲しいとは、微塵にも思いませんが……

▼ 真実の口

 続いては、チルコ・マッシモ(Circo Massimo:古代の戦車競技場)を通ってサンタ・マリア・イン・コスメディン教会(Santa Maria in Cosmedin)へ。あの「真実の口」がある場所です。途中、右手にパラティーノの丘に立つ遺跡群が綺麗に見えます。

 教会に着いてみると、わずか数人しかいない…… 知名度の割に、随分とひっそりしたところでした。なお、伝説に則り手を入れ、私は嘘つきではないとの認証を得てきました(ぱちぱち)。

 そのまま時計回りに歩き続け、フォルトゥーナ神殿(Tempio della Fortuna Virile:川と港の神を祀る神殿)や、マルケルス劇場(Teatro di Maecello)を横目に見ながら歩を進める。なんだろう?と思って見てみると無造作に紀元前の建造物がある、というのは凄いなぁ。

▼ フォロ・ロマーノ

 階段を昇ってカンピドーリオ広場(Piazza del Campidoglio)の裏手にまわると、眼下にフォロ・ロマーノ(Foro Romano)が広がります。ここが、ローマ時代におけるローマの中心地。だいぶ荒れ果てているとはいえ、歴史に名を残した人々が闊歩していた当時の様子をしのぶことができます。かくも昔のものが残されていた幸運には感謝すべきでしょう。だって、日本で言えば、卑弥呼が登場する前の時代のことなんですよ? 

 先ほど買っておいた入場券を使って、14時23分、パラティーノの丘(Monte Palatino)の高台へ。市庁舎の側からは正面方向に伸びていたものが、今度は左右に広がります。夕陽に照らされて影を落とす遺跡たちを、飽きもせずに眺めておりました。

 その後、ヴィットーリオ・エマヌエーレII世記念堂(Monumento a Vittorio Emanuele II)や、ヴェネツィア宮殿(Pal. Venezia)の前を通って帰還。

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Wednesday, 2004/07/14 Roma

サン・ピエトロ広場

[] イタリア旅行記 (2/6)  イタリア旅行記 (2/6)を含むブックマーク

 ローマ滞在2日目。

 起床後、まずは朝食。地上階の食堂でいただきます。ビュッフェ形式で、パン、チーズ、果物、ヨーグルトを自由にお取りくださいというもの。シロップ漬けのフルーツをたっぷり摂って、体調を整える。旅行中は、どうしても繊維質が不足しますからねぇ……

▼ ヴァティカン

 ホテルを出て、バルベリーニ駅(Barbelini)から地下鉄A線に乗る。ローマの地下鉄は、割と治安が良いように感じました。チプロ駅(Cipro)にて下車。駅を出て右手に進み、正面の階段を昇ると、ヴァチカン市国の城壁が見えてきます。そこから緩い坂道をくだっていき、08時45分、博物館の入口に到着。ところが、順番待ちの列は東方向へと伸びていたのでした。北東の角を曲がっても人の列は続き、最後尾はレオーネIV世通りに達していました。その長さ、およそ200mほど。これは相当待たされるかと思いきや、さくさくと入場していき、わずか20分の待ち時間で中に入ることができました。団体旅行客が押し寄せてくる前に来たのが勝因だったようです。入場料12ユーロ。

 ヴァチカン博物館は、美術の宝庫。ここには20近くもの美術館と博物館があり、総体として1つの施設を形作っています。ここはじっくり楽しみたかったので、日本語の音声ガイド(6ユーロ)を借りることにしました。ところがここで一悶着。身分証明書を預けることになっているのですが「パスポート本体もしくはクレジットカードを差し出せ」というのです。ISICの国際学生証が通用しなかったのには閉口しました。

 まずは左側の通路へ。上空から見ると『日』の字の形になっていて、2つの中庭を囲んで建物が建っています。といっても、南側の中庭は駐車場として使われていて、見た目がよろしくないですが。入口は北西端に、南端にシスティーナ礼拝堂があるのですが、その長さ400mほどの回廊が、すべて絶賛ものの絵画やタペストリーで覆い尽くされているのです。ラファエッロの間(Stanze di Raffaello)の壁画はもちろん素晴らしかったのですが、私は「地図のギャラリー」がお気に入りでした。1583年に完成した空間で、天文学者達が描いた世界地図が40点あるところです。当時の地理的認識がわかって面白かった。そしていよいよシスティーナ礼拝堂(Cappella Sistina)へ。正面には祭壇画『最後の審判』、天井画には『アダムの創造』がある場所です。でも、思ったより小さい――というのは正しくないか。大きな絵であるために全体を見ようとすると後ろに下がらねばならず、天井が高いために細部が良く見えないのです。しかも人が多くて、最適な位置に立てないし。これらミケランジェロの傑作は、事前に画集で丹念に眺めておいた方が良かったかも。

 反対側の回廊を通って出口へ向かうことになりますが、こちらの通路も美術品でいっぱいです。途中、たっぷり写真が収録されている日本語版ガイドブックの大型本を購入(25ユーロ)。

 礼拝堂に行って戻ってくるだけで、2時間がかかりました。朝一番ですから、別に混み合っていたわけではありません。気に入った美術品だけを選んで鑑賞するのでも、それだけの時間がかかるのです。オーディオガイドの解説も充実しているので、すべてを聞いていたら日没までかけても時間が足りないでしょう。ここでいちど火照りを冷まそうと思い食堂へ。ピッツァを食べながら、先ほど買った画集を眺めて、休息をとりました。

 続いては「ベルヴェデーレの中庭」を囲んで建つ施設群へ。中でも絵画館(Pinacoteca)は秀逸。面白かったのはクレッティ(Donato Creti)の作品“Osservazioni Astronomiche”。18世紀に描かれたもので、夜間に惑星の観測をする人々を描いた連作です。なんでも、天体観測所の必要性を訴えるために制作されたもので、事実、この絵がローマ教皇に献上された後、観測施設の設置が決定されたとか。

 ひと通り満足して、博物館を出たのが12時40分。心底堪能するには、もっと時間をかけたかった〜

 道すがらジェラートを購入(1.8ユーロ)。郵便局で切手を買おうとしたのですが、長蛇の列で断念。そのままサン・ピエトロ大聖堂へ。ここも待たされると聞いていたのですが、昼食時になっていたせいか、待たずに入場できました。ここに来たら、まずはクーポラ(丸屋根、天蓋)に昇らないと!(入場料5ユーロ) エレベーターを使っても330段は歩かなければならないのですが、その苦労に見合うだけの絶景が楽しめます。

 それから大聖堂の内部へ。ミケランジェロの彫刻『ピエタ』が楽しみだったのですが、これまた離れていまして、質感がわからなかったのが残念です。

 寺院を出たのが15時30分。間食をとったとはいえ、さすがに空腹を覚えてきたので、遅めの昼食に。手頃なバールに入り、パニーニと飲み物を購入(3.5ユーロ)。店の前に置かれたベンチに腰掛け、周囲の景色を見ながら頬張る。

▼ 歴史地区の散策

 16時07分。次は、すぐ近くのサンタンジェロ城(Castel Sant'Angelo)へ(5ユーロ)。

 それからテヴェレ川を渡り、16時58分、アルテンプス宮(国立博物館)へ。古代の彫刻が集められているのですが、鼻が欠けたものが多いのが興ざめ。でも、『水浴するアフロディーテ』は見事でした。下卑た発言で申し訳ないのですが、裸婦像の曲線美は至高のものだと思うん。

 ナヴォーナ広場で噴水を見てから、パンテオン(Pantheon)へ。紀元前27年から25年にかけて建造されたもので、すべての神々を祭る神殿(入場無料)。こんな古いものが、さりげなく残っているところにヨーロッパの歴史の深さを感じます。でね、ここは丸天井になっていて、頂点には採光のために直径9mの天窓があいているのです。たまたま私の隣に立っていた日本人が、係員さんを呼び止めて「あの穴、工事のために空けたんですか?」と聞いていて、吹き出しそうになりました。確かに、雨が多い日本の発想からすると、屋根がふさがっていないのは不安でしょうね。ここは地中海性気候ですから、降雨のことはそれほど心配しなくて良いのです。

 それから、サンルイージ・デイ・フランチェージ教会、サンタ・マリア・ソプラ・ミネルヴァ教会と、歩いて数分の位置にある2箇所を訪ねました。どちらも、美術館と呼んでも差し支えないような絵で身廊が飾られておりました。観光名所ではないため訪れる人の数も少なく、落ち着いて眺めていられます。しかも入場無料! いや、もともと教会は祈りを捧げるための場所ですから、拝観料を徴収することの方が不自然なのですけれどね……

 18時30分を過ぎて薄暗くなってきたので、ここらで観光を終えることにしました。トレヴィの泉から少し離れたところで飲食店を探し、「中意飯店」に入る。野菜炒め、チンジャオロース、炒飯、ビールで夕食。やはりここでも食後酒を上乗せで置いていくというイタリア方式の会計でしたが、それでも12.7ユーロで済みました。中華料理店は安く食べられるので、旅行者の強い味方です(はぁと)

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Tuesday, 2004/07/13 Roma

トレビの泉

[] イタリア旅行記(1/6)  イタリア旅行記(1/6)を含むブックマーク

 乗り継ぎ無しで出かけられるところ――ということで、イタリアまで旅してきました。ヴォラーレ航空のVLCバレンシア発FCOローマ(フィウミチーノ)行きで出発。さすが《ゆるゆる》なお国の航空会社、1時間遅れでの離陸です。混み合っていたのか上空で40分ほど旋回し、14時にローマ到着。荷物がなかなか出てこなくて、20分ほど待たされる。

 無事に預託手荷物を回収したあと、空港からは鉄道で市内に向かおうとしたのですが…… なぜか突然に照明が消える。出発時刻になっても発車しないので聞いてみたところ、予告なく運休になったらしい。案内放送くらいしてほしいものである。

 そんなわけで無駄に30分ほど空港駅で費消したのですが、この《ゆるゆる》が私にも伝染していたらしく、降りる駅を間違えるというドジをしでかしました。20分待って後続便に乗り、今度は間違いなくオスティエンセ駅で下車。連絡通路を通って地下鉄B線のピラミデ駅へ。バルベリーニ駅で降り、予約していたホテル・ユリアにチェックイン。日本語の予約サイト“Rates to Go”を通じ、1泊45ユーロで手配しました。便利な場所でありながら静かで良いところでした。

http://www.hoteljulia.it/

http://www.ratestogo.com/

 いよいよ観光に。17時25分、まずはホテルのすぐ近くにあるバルベリーニ宮(国立古典絵画館)へ(Eur 5.0)。いい絵がたくさん見られました。

 続いて、ローマ国立博物館 マッシモ宮へ(Eur 6.0)。ここはガイドツアー形式で30分ごとの入場なのですが、ちょうど18時15分の回に参加できました。紀元前2世紀から紀元前4世紀にかけての、フレスコ画、モザイク画、彫刻が所蔵品の中心。ローマ時代のものばかり。ローマに来ているから、当たり前なんですが。『リヴィアの家のフレスコ画』は美しいものでしたが、その他の展示物は傷みが激しく、いま一つというところでした。

 テルミニ駅から地下鉄に乗り、スパーニャ駅で下車(Eur 1.0)。スペイン広場&スペイン階段へ。あまりに人が多く、階段が階段としての用を為していません。

 初日の締めくくりは、トレヴィの泉。すでに薄暗がりになっていましたが、美しくライトアップされており奇麗でした。

 夕食は、ホテルの近くのトラッテリア(食堂)へ。野菜サラダ、ピッツァ、ビール、果物、それにエスプレッソを注文。勘定を頼んだら、食後酒を置いていきました。うわ、これがイタリアで悪評高い「注文していないものを出してカネを巻き上げる」ってやつですね。ここは毅然と断るべきなのですが、それが、よりによってリモンチェッロ(Limoncello)だったのですよ〜 レモンから造られた甘ぁい酒です。釈然としないながらも、好きなものが目の前にあると、飲んでしまう意志薄弱さが恨めしい。結局、29ユーロを払ってきました。

http://www.arianna.co.jp/topics/0225.html

http://www.kanshin.jp/italia/index.php3?mode=keyword&id=149786

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Monday, 2004/07/12

[] あの空は夏の中  あの空は夏の中を含むブックマーク

 銀色夏生あの空は夏の中」(ISBN:4041673062)読了。

 淡い恋と、儚い愛情を主題に歌い上げた詩集。

 モノトーンに仕立て上げられた写真に言葉が添えられていく。

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Friday, 2004/07/09

Tren Italia  Tren Italiaを含むブックマーク

 新コンテンツを作成しました。イタリア鉄道(fs線)のインターネット予約について、です。昨日、ローマ発フィレンツェ行きの手配をした時の手順を再現したものです。

http://barcelona.sociallaw.info/

 ウフィツィ美術館(Galleria d. Uffizi)の予約も済ませてあるし、「チャオ ソレッラ!」も再読してあるし。あとは、出発前に仕事を片付ければいいだけ……(汗)

Wednesday, 2004/07/07

リーゼリット

[] Fate /franc  Fate /francを含むブックマーク

 俺がした事はただの両替で、この子が持ってる外国の紙幣を、手持ちの千円札二枚と交換しただけである。

(中略)

「え? いや、さっきので十分だって。10フラン紙幣、ちゃんと二枚もらったから」

TYPE-MOONFate/stay night遠坂凛ルート 8日目より

 どうも気になったので、昔の為替相場を調べてみました。1995年3月の時点で、1仏フラン=19JPY。ということは、衛宮士郎は380円を受け取り、2000円を渡したことになります。

 ――損してますね(^^;)

 ん? 待てよ。アインツベルン(Einzbern)ってドイツ系の名前なのに、どうしてフランなの?? 変だよ。id:ton-boo:20040702#p3 で紹介されていた「凛の呪文詠唱はデタラメ」問題よりも明瞭なだけに深刻。

http://www3.plala.or.jp/takayuki/fate/fate.html

 あ、もしかすると、ベルギー・フランだったのかも〜 ベルギーならドイツ語地域があるし。1BF=3JPYなので、これなら60円……

 ――考え直そう。アインツベルン城が深い森の奥深くにあるのは、シュヴァルツバルト(Schwarzward:黒森)にイリヤスフィールの故郷があるからでしょう。それならライン川の上流側だから、スイスに近い地域の出身なのかも。チューリッヒ(Zurich)の辺りならドイツ語圏だし、通貨はスイス・フランだし。だとすると、1SF=85JPYなので、士郎はちゃんと1700円を……

 ――まずい。アインツベルンがスイスに本拠を構えているとすると、イリヤの歌が「ローレライ」ではなく、ヨーデルになってしまうです。

 あとは「CFAアフリカ金融共同体フラン」というのがあるけれど……

 ねぇ、メイドさん。その「10フラン紙幣」って、衛宮切嗣が10年前の旅行途中に使い残して置いていったものを、価値も分からずに使おうとしてません? 素直に考えると、ユーロ導入後にフランを持っているのが奇妙だし。

http://kamakura.cool.ne.jp/chaccu/(画像の出典)

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Monday, 2004/07/05

柏木四姉妹

[] 細雪 (3)  細雪 (3)を含むブックマーク

 谷崎潤一郎細雪(ささめゆき)」《下巻》(ISBN:4101005141)読了。

 久方ぶりに、三女・雪子のもとへ縁談がやってくる。対する四女・妙子には、暗い影が落ちる。妙子の気をひくために実家の店から宝石を持ち出していたことが発覚した奥畑は勘当。妙子も赤痢に罹患。そして、妊娠。それというのも、奥畑に愛想をつかした妙子が一計を案じ、バーテンダーをしている男・三好を誘惑したものであって、別れる口実を作りあげようとかかったものであった――

 物語は、やや唐突に幕を閉じる。その余韻の持たせ方が良い。

 全体を通じての主人公は雪子であり、次女・幸子がストーリー・テラー。長女・鶴子は旧時代の、そして妙子が新時代の象徴という位置づけになろうか。一見すると、ヒロインを演ずる雪子が大団円を迎え、妙子は日陰に転じたかのようであるが、それはある一瞬における現象に過ぎないのかもしれない。終幕直前、二人の間にコントラストがあるから、そこに「幸福」と「不幸」があるように見える。しかし最後の一段落は、人生の流転の激しさを暗示しているのではなかろうか。などと、色々に思いを巡らす。

http://kamakura.cool.ne.jp/chaccu/(イメージ画像の出典)

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Friday, 2004/07/02

柏木四姉妹

[] 細雪 (2)  細雪 (2)を含むブックマーク

 「細雪(ささめゆき)」《中巻》読了(新潮文庫ISBN:4101005133)。

 この巻は、四女・妙子を中心に物語は展開される。中巻の冒頭部は、1938年に実際にあった大水害に沿っている*1。妙子は洋裁学校に居たところ、この災害に遭遇したのだが、救助に馳せ参じた写真屋・板倉に助けられる。この出来事がきっかけとなり、妙子の想いは、かつて駆け落ちしたことのある相手・奥畑から板倉へと移っていく。しかし、板倉は貧農の出で、奉公人あがりであるから家の格が釣り合わない、と姉たちは反対する――

 ここで注解の「自由結婚」を引きます。曰く「父母の同意を得ないでする結婚。戦前の民法では、男子は30歳、女子は25歳に達すると、父母の同意なしに結婚することも出来た。が、親の意思に背くことは、すべて親不幸であり、道徳的な非難の対象になった」。昭和元年の流行語であったとありますから、その頃から価値観が揺らぎつつあったということでしょう。

 妙子は、新しい社会世相の体現です。時代が下り、自由結婚が一般化してしまった今日の目から見ると、珍奇な遣り取りに見えます。しかし作品が世に出た当時は、職を身につけ自立しようとする女性に対しては、批判的な声も多かったであろうことが察せられます。

http://mint.cutegirl.jp/(イメージ画像の出典)

*1:以下、細江光による注解を引用する。「昭和13年7月5日、神戸市内の山津波をはじめ、阪神地方に大きな被害をあたえた大水害のこと。3日から5日にかけて600mmを越える豪雨が降り、そのため河川の氾濫・堤防の決潰が相次いで、死者200人、行方不明者400人の犠牲者が出た。」

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Thursday, 2004/07/01

Rebaja Rebajaを含むブックマーク

 海外在住日記

 月が変わりました。7月の風物詩といえば、バーゲンですね(はぁと)

 留学も残すところ三箇月なので買い込むわけにいかないのですが、夏物衣料に支障が出てきたので、仕事帰りに買い物してきました。

 現在、半袖シャツが7枚あるのですが、汚れが目立ってきたものを退役させることにしました。私は旅行に出るとき、傷んできた服や靴下を持っていき、毎日捨てていくことにしています。そうすると、旅の後半には身軽になるし、何より洗濯物に旅行鞄を占領されるという事態を避けることができます。

 それがですね、襟の具合で2枚を取り除くと、残りが全部同じ色になってしまったのです(笑) 私は誕生日色でもある薄緑色が好きなので、持ち物にもペール・グリーンのものが多いのですが(この画面にも配してます)、さすがに毎日代わり映えのしない服を着ているのは、あまりよろしくない。パタリロじゃあるまいし。それで、色の補充に出かけたわけです。

 うまい具合に半額(10ユーロ)になっているものがあったので、2枚購入。ひとつはセイバーとお揃いで、濃紺にしてみました。もうひとつは濃緑。同じ例えで表すなら…… キャスターのかぶり物とお揃い?(笑)

 それからベルトも買おうとしたのですが、困ったことに85cm以上のものしかない。私はウェスト79cm。長いのは110cmとか色々種類があるのに。スペイン人、太りすぎ〜 毎度の珈琲に、砂糖を三杯くらい入れて飲むのは、よした方がいいと思う。

 自分で穴を空けようにも、一度きりの作業のために工具を買うのは馬鹿らしいし。ようやく短めに出来ているものを探し出してきました。こんなことで悩まされるとは思わなかったなぁ。

 帰りがけ、藤島康介さんがキャラクター原案を手掛けたアニメDVD“Casi 15 an~os”*1 を購入。25ユーロ。

cf. http://www.kids-station.com/minisite/piano/

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