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博物士

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Saturday, 2005/04/30

学級の歴史学

[] 柳治男〈学級〉の歴史学 柳治男 『〈学級〉の歴史学』を含むブックマーク

 友人に、夫婦とも学校の教員をしている者がいます。以前、教育論を論議していたところで疑念が湧いてきたので、私はこう言ったことがありました。

 「学級崩壊を無くすためには、クラスなんて無くしてしまえばいいのでは?」

そのあと、彼らは声もなく黙り込んでしまいました。

 こうした思考は、私にとって突飛なものではないのです。老齢年金について議論するにあたっては、米国との比較において「そもそも年金制度を維持する必要があるのか?」という問いかけにさらされてきたからです。

http://www.jil.go.jp/kunibetu/kiso/americaP03.htm#10 (USAの社会保障制度)

 日本の義務教育制度をめぐる論議は、「そもそも論」に耐えうるだけの練度を備えてこなかったように思えます。このような問題意識を、《学級》というシステムの成り立ちに遡って解き明かそうとしているのが本書、柳治男(やなぎ・はるお)『〈学級〉の歴史学――自明視された空間を疑う』(講談社選書メチエISBN:4062583259)。

 本書ではまず、「パックツアー」と「クラス」とが同じ思想的背景から登場したことから話をはじめます。パック旅行は、19世紀の中頃、バプティスト派の宣教師による福音主義的禁酒運動に起源を持つ。その人の名は、トーマス・クック?(Thomas Cook, 1808-1892)。ヨーロッパ旅行をしたことがある人なら、鉄道時刻表の出版社としてご存知かもしれません。

Wikipedia - トーマス・クック社

酒に代わる娯楽として小旅行を安全で安価な提供するにあたっては、それまでの冒険旅行から偶発性を除去し、計画性と利便性を与えることが必要であった。そのために取り入れられたのが事前制御フィードフォワード・コントロール)という発想。この事前制御によって、中世の「学問」は近代の「教育」に変化したのだとする。

 より具体的には、19世紀の英国の学校制度史を参照する〔第2章〕。ランカスター(Joseph Lancaster, 1778-1838)の発案によるモニトリアル・システム(Monitorial system)を丹念に追うことで、学級(クラス)という概念が出現するに至った過程を追う。合理的・効率的に「読み書き計算」を教授するための大量供給システムは、飲食産業(マクドナルド兄弟)や自動車産業(フォード)よりも教育産業の方が数世紀先んじていたことが解き明かされる。

 では、どうして《学級》を支えるシステム(正しくは、システムによって学校という制度が動かされていること)が見えなくなってしまったのか。それにも、英国と日本の近代史を眺めることで答える。モニトリアル・システムが限界点に達したところで、ギャラリー方式(一斉教授法)が考案される。これを全国に普及させていく中で国家による補助金支給が行われるようになり、教育効果を測定する基準を統一するために《学年》というものが生まれる。ここで、事前制御要因は能力別分類から年齢別分類へと変化した。モニトリアル・システムとギャラリー方式が合体することにより、我々が目にする《学年学級制》というものが登場したのだ〔第3章〕。

 こうした学校というシステムは供給先行型であり、「学習意欲が存在しなくとも就学を強制される」ものある(108頁)。学校という装置が機能するためには、子どもが規律に従うことを必要とする。しかし、このような機械的な装置は、子どもを引きつけることはしない。そこで、《学級》にゼロサム競争を導入することで、学習への駆動力とさせた(117頁)。

 さらに、教師を学校というシステムに引き留めておくための言説も必要であった。これを柳はフーコー(Michel Foucault, 1926-1984)の権力論から捉え、教師は迷える羊(=生徒)を導く者であるという司牧関係と説明する。教育言説は宗教と同じ論理構造を備えている、という指摘は興味深い〔第4章〕。

 続く第5章では、日本における《学年学級制》の展開を考察する。児童と教師を学校というシステムに誘引するために組み込まれたものとして、大正時代における「学級文化活動」の展開をみる。そこに入り込んだのが、親鸞の同行(どうぎょう)思想ではないのか、という。《学級》は村落共同体の論理によって解釈され、自己目的化して感情共同体へと至ったのだと柳は考察する〔第5章〕。

 柳の導き出した帰結をまとめると、次のようになろうか。

 《学級》とは自明なものではない。特殊な装置(システム)である。

 《学級》は事前制御された、限界を有する機能集団である。学校には、求めても叶えられないものがある。

言説の呪縛を解き放って思考を自由にしたいとき、本書は有用な手がかりを提供してくれることだろう。学者ならではの客観的な見方が、本書を優れたものに仕上げている。

 難点を述べておくと、終章に追いやられた感のある現状分析は、言葉足らずという感が否めない。これでは批判(現場からの突き上げ)をかわせまい。歴史分析に特化して、視座の提供(どこに問題が所在しているかの指摘)に留めておいた方が良かったのではないか。


▼ おとなり書評

二つの「教師-生徒関係」が併存する制度として「学級」をとらえようとしている。すなわち、ベル=ランカスター方式が先鞭をつけた、徹底的に人格性を廃した(いわばマクドナルド式の)「システムとしての学校」の中での「教師‐生徒関係」と、個人対個人の人格的な結合形式としての「教師‐生徒関係」と。

http://d.hatena.ne.jp/june_t/20050320 (高橋準氏)

hajichajic 2005/05/01 03:02 エヴァンゲ・リッチの『脱学校の社会』という本を読んだことがあります。30年以上前に書かれているにもかかわらず、WWWの概念を展開していたのには驚きました。ともあれ彼の言うところによれば、学校システム、国民皆教育の仕組みとは現代的な神話そのものであって、それが体現する”カリキュラム”が全てを必然的に管理する社会は、人類を再び運命論へと逆行させているのだそうです。文化大革命に期待するなど、少々危険なところもありますが、それなりに面白い本でした。それなりですが。

genesisgenesis 2005/05/01 17:04 エヴァンゲ・リッチって、いわゆる【イヴァン・イリイチ】ですよね(^^;) 『コンヴィヴィアリティのための道具』は読みました。
 古瀬幸広=廣瀬克哉『インターネットが変える世界』(岩波新書、1996年)の説明によると展開された順序は逆だったようです。すなわち、ネットワーク黎明期である1970年頃、最先端にいた在野のハッカー達(ここでは敬意を込めた原義の意味です)を結びつけた思想こそが、イリイチの提示した《conviviality》であった。彼らは、コンヴィヴィアリティ(共愉的)な社会の現出として、インターネットを作り上げたのだ、と。
 だから、イリイチの著作を読むとインターネット社会が想起される――というのは当然といえば当然ですね。ぜんぜん理解できませんでしたけれど。

hajichajic 2005/05/08 00:31 教育はモグリなので、イヴァンかヨハンかはちょっとわかりませんが、たぶんそのイヴァンさんです。構造論と神学とマルキシズムをごった煮にしたようなご本でした。なお、最後はギリシア神話になります。少し面白い。

Thursday, 2005/04/28

The Four Seasons, Green Spring

[] 四季 春  四季 春を含むブックマーク

 森博嗣(もり・ひろし)『四季 春――The Four Seasons, Green Spring』(ISBN:4061823337)読了。

 天才科学者・真賀田四季(まがた・しき)の少女時代。殺人事件も起こるには起こるのだが、これをミステリィと呼ぶことには躊躇する。これはキャラクター小説だろう。私たちが「真賀田四季」として認識するキャラクターの。

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Wednesday, 2005/04/27

EPSON Endeavor AT200

EPSON Endeavor AT200  EPSON Endeavor AT200を含むブックマーク

 処理能力が不足してきたので、コンピューターを買い換えることにしました。とにかく動作音の静かなものを――ということでエプソンダイレクトに注文し、Endeavor AT200 を購入(\74,655)。

  • CPU : Celeron 2.66GHz
  • Memory : 512MB
  • HDD : 160GB

http://www.epsondirect.co.jp/at200/

 カタログスペックでは28dBとなっており、まったく騒音が気になりません。光学ドライブのシーク音の方が大きいくらい。付属品のキーボードも作りがしっかりしている。ソフトウェアも余計なものがなくて、すっきり。パーティションを分割するためにOSを再インストールしたのですが、まったく煩わしさを感じませんでした。そのうえスリムで、場所をとらない。

 小柄で、もの静かで、気品を備えている。よってヘンリエッタと呼ぶことにする。

 難点を挙げると2つ。拡張ベイが PCI×1 で長さ145mmまでのボードしか挿せないので、デュアルディスプレイにする時に苦労しそう。それと、内蔵スピーカーの質が良くなく、ビープ音を出すのが精一杯。

 でも、欠点を補ってあまりある質の高さに満足しています。

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Tuesday, 2005/04/26

[] ガンスリンガー・ガールの《セカイ》  ガンスリンガー・ガールの《セカイ》を含むブックマーク

 http://d.hatena.ne.jp/hajic/20050419 の問題提起を受けて、の続編。次のような書簡が横濱雄二id:kuroyagisantara)氏より送られてきたので、これに応答する*1

kuroyagisantara

 “GUNSLINGER GIRL”のテーマは共同体ではなかろうか。

【本作の構造】
 少女達は兵士になる前に予め共同体から排除されている。最初に共同体の原初形態としての「二人」=フラテッリ(複数形)が少女達に示され、事態の展開に合わせ、それぞれのフラテッリがどのような軌跡で二人以上の多数による共同性へ向かう(あるいは向かわない)のかが描かれてゆく。公社と五共和国派の闘争も同様に共同体の理念をめぐるものと理解できる。一方で担当官達は公社の共同体の理念に対し、自分の周囲の仲間性=パトリアの意識を強く持つ(クローチェ兄弟にとっての妹)し、その意識と公社の理念との闘争すらあり得る(ラバロの事例、彼の正義と公社の正義)。

【愛を描く意味】
 この枠組の中で、まさに「愛」が本作の中心であるということができる。おそらく少女達以外は全て、共同体としてのイタリアを愛している(ドイツ人のヒルシャーでさえも)。けれども、少女達は担当官を愛するしかないのだ。予め共同体から疎外されているのだから。ここで愛で結合するフラテッリそれぞれのあり方を、共同体を参照しつつ明らかにすることができるだろう。

【《セカイ》系との関係】
 小説トリッパー笠井潔による「セカイ」系の概念的整理はここでも有効で、大状況を公社対五共和国派の(国家的規模の共同体理念をめぐる)闘争、小状況をフラテッリたちの愛(少女と担当官)と見ると、少女達には予め中状況(両者の橋渡し)が無いように見える。ところが本作では担当官達の(相互の、あるいは担当官と少女、公社、国家との)状況に対する葛藤(ラバロに代表される)、少女達同士の共同性などが、小状況を相対化する中状況となっている。この点で本作は『最終兵器彼女』や『ほしのこえ』に代表される「セカイ」系とは異なり、小/大状況の分裂を回避する優れた作品といえる。 だが一方で、無国籍者を不法就労させて搾取するという話に過ぎないと見ることもでき、そうすると決して新しい内容があるとは言えなくなってしまう。この批判を乗り越える新しい「愛」を描きうるかどうか、これが本作の評価を決定すると言えよう。

セカイ
日常的で平明な現実にいる無力な少年と、妄想的な戦闘空間に位置する戦闘美少女とが接触し、キミとボクの純愛関係が生じる第三の領域。
セカイ系
私的な日常(小状況)とハルマゲドン(大状況)を媒介する社会領域(中状況)を方法的に消去した作品群。

笠井潔 『社会領域の消失と「セカイ」の構造』*2

genesis

 笠井潔の枠組みは、使い勝手が大変に良い。本作“GUNSLINGER GIRL”のようなストーリー作品の物語構造分析には、またとないツールだ。実のところ私も、寄稿した文章を書きながら「GSGは《セカイ系》に近い問題状況にありながら《セカイ系》になっていない」ことを考えていた。

 佐藤心が、本作を評して「〈人類規模の救済〉という虚構の物語(終末思想)がついえた時代=2000年代における〈救済〉とは何か、この問いに作者はよく答えている」と述べるのも、同様の問題関心によるものだろう*3

 小状況として[ヘンリエッタ‐ジョゼ]だけを捉えらると、これはまさしく「キミとボク」の関係である。中状況(社会福祉公社)に位置するエレノラをして「本当に『ここにいると自分が世界の中心』だと感じますね」(第1巻148頁)と言わせているのは、暗喩としては直截的に過ぎるだろう。ヘンリエッタは、この小状況を維持することが幸せであると感じている。

 ところが、本作が《セカイ系》へと流れていかないのは、パターンの異なる複数の小状況が並立して提示されているからである。これを私は「フラテッロの順列組み合わせ」と表現した。例えば[エルザ‐ラウーロ]は、小状況を確立すべく一方当事者が暴走することで生じた《セカイ》の狂気。[リコ‐ジャン]では、小状況から離脱することの困難さを示す。リコは「もし私なんかを 好いてくれる人がいたら 幸せだな」と述べる。しかし、その幸せへの道筋は彼女自身の手で閉じられ、《セカイ》は自己否定される。一つの作品の中に、《セカイ》の志向と嫌忌とが混交して存在しているのが“GUNSLINGER GIRL”の特質であろう。

 そしてもう一つ、本作が《セカイ系》にならない理由がある。少女達の関係性だ。斎藤環は、物語生成システムを[世界‐会話‐関係]と整理したうえで、恋愛が生じるためには「関係性の描写を狭くする」ことが必要であるとする*4。各々の小状況が歪(いびつ)であるため、単独で閉じた世界になることを困難とし、それが小状況を繋いだコミュニティ(中状況)を成立させている。

 これを指して、本作のテーマを「愛」もしくは「共同体」にあると把握することは間違いではない。だが的確でもないように思える。それぞれは、小状況と中状況を縦横につなぐ結線だからである。両者を含んで本作のテーマを提示するならば、斎藤の用法に従うと「関係性」ということになろう。私は「双方向的な意志の交換」と表現したのだが、不達・不成立に終わる関係性も示されていることに鑑みれば、これも的確さを欠いていたかもしれない。

*1:なお、横濱氏から送付いただいた書簡は、将来的に評論もしくは論考として発表される予定のもののアブストラクトである。

*2:『小説トリッパー』2005年春号(ASIN:B0007W9DAY) 所収

*3:『ユリイカ』2003年11月号(ISBN:4791701127)128頁。

*4:前掲『ユリイカ』132頁。ここでは、あずまきよひこあずまんが大王』を素材にし、恋愛抜きの同性集団においては繊細な関係性の味わいが前景化してくることを指摘する。

TitoTito 2005/04/26 22:42 単一のテーマに拘泥した作品には、我々は最早リアリティを感じられなくなっているのではないか。
複雑に絡み合う問題意識を複雑なままに提示する作品を、少なくとも私は、高く評価する傾向にあります。
そうした作品について論じる際にはどうしても、ある切り口を提示せざるをえず、論者のパースペクティブがそこに示され易いのは言うまでもありませんが、その多様性と複雑さが、現状認識の難しさなのでしょうね。

hajichajic 2005/04/26 22:46 こんにちは、トラックバックありがとうございます。

うまく言えないのですが、「愛」と「恋愛」は全く違うものだと思うのです。つまり、後者は「好き」という二者”関係”の中に生まれますが、前者はそうではない。そこに存在するか、しないか、の問題なのです。というよりも、(常に在るのだけれど)その存在に気付くことが出来るかどうか、そしてそれを認めることができるかどうか、という方が正しいかもしれません。

なぜ関係の中に在ってはいけないかというと、それ自体が成立するために、他の何かを必要とするものは、完全ではないからです。

わかりやすく説明するならば(そして嫌悪されることを恐れずに言うならば)、この愛とは極めてキリスト教的な意味を持ちます。そして実際、GSGという作品はそれから切り離せないのではないでしょうか。つまり、作中でも引用された通り、私の言う愛とは、「汝の敵を愛せ」の愛に他なりません。

それは「好き」だの「嫌い」だのを超えた概念で、ひたすらそれを持って、全てを許し、全てを捧げることです。もちろん、それでは必然的に、こちらが殺されてお終いでしょう。しかし、それでも、こう言った人がいました。

「彼らをお許し下さい。彼らは自分が何をしているのか、わからずにいるのです」
彼らは何をしているのか。GSGには、あらゆる意味で決定的にそれが欠けています。彼らはそれを知らないか、知らないふりをしている。あるいは、その疑問自体に気付かないふりを。彼らは何かに背いている。それは何か…。

愛についての物語である、という言葉の意味は、結局その程度の意味でしかありません。が、ふと立ち止まって考えてみると、それは恐るべき意味となって現れるはずです。つまり、「自分が何をしているのか、わからずにいる」のは、本当は誰なのか。トリエラの疑問は、まさにそれを指し示します。

「私の役割は、何?」

hajichajic 2005/04/26 22:51 う、いらない補足が混じってしまいました。四行目は違う文脈の中にあります。極めて重要な点なのですが、少なくとも以上のコンテクストの中においては自己矛盾極まりないので見なかったことに。

genesisgenesis 2005/04/28 20:51 Titoさん、はじめまして。
 《評論する》という立場をとるために、あえて1つの方向性を示してみました。論者によって多種多様な捉え方をすることができるということが、すなわちGSGの作品としての質の高さの現れでありましょう。▼ 続いては、作者たる相田裕が、自身の問題提起にどのような回答を示すのか。それを待って、再び論を進めてみたいところです。

genesisgenesis 2005/04/28 21:19 Hajicさん、コメントありがとうございます。
 そもそも《愛》とは何か。やっかいな問いかけです。例えば、私が少なからぬ時間を割いて GSGについて思考を巡らすというのは、作品に対する《愛情》の表象であったりします。▼ ただ、物語の中での《愛》は内面性に関わるものであり、優劣を比較することはできなくなってしまう。そこで私は、物語構造や物語生成システムを論じるために、客観性の持たせることができるよう少し突き放して《関係性》としてみました。▼ Hajicさんの述べるように「他の何をも必要としない愛」を主題として見ることは十分に可能です。しかし私は、個体の中で完結するものとしてではなく、集合の中で生成しうるものについて考えていたい。バイブルやコーランや風姿花伝と同列の位置に本作を置くのは、もう少し後にしてみようと思います。

hajichajic 2005/04/29 12:23 あはは、ごめんなさい。そんなつもりではなかったのですが、そうとしか読めませんよね。言い訳を許して貰えるのなら、あくまで「概念説明」と理解して頂ければ嬉しいです。

ともあれ、GSGという作品は、様々な方面からの読解のアプローチに耐えうる緻密な構造を持っているらしい、という認識は各読者に共通のもののようです。もちろん、どんな作品であれ、それがことばで記述される以上、無限の読解可能性を持つことになるのかもしれませんが、これらごく限られたいくつかの作品には、確かに別の何かがある。それは何か、というところにこそ、おそらく私たちの探しているものがあるのでしょう。クルクル回る不可知の世界へ。

genesisgenesis 2005/04/30 15:37 実のところ、《愛》を本作の主題と把握することを避けようとしているのは、「物語史」という立場からの視点です。《愛》を読み替えることにより、GSGは新しい地平を切り拓いた作品として位置づけることが可能となるだけのポテンシャルを備えているのです。
 物語を駆動させる機構として〈美少女〉というシステムが登場して四半世紀になります。その出発点では、社会から大きな物語が失われた時代にあっては、もはや物語を動かすものは〈美少女〉しかないという意識が根底にあったとされます(ササキバラ・ゴウ『〈美少女〉の現代史』)。しかし、このシステムは男性キャラクターを戦わない(戦えない)存在と変えていきます。戦闘美少女から恩寵的に下賜される《愛》が、物語の空間すべてを支配するだけの強度を備えたとき、セカイ系という作品群が発生したのだと私は理解しています。
 『ガンスリンガー・ガール』は、こうした《愛》の在り様を主体としてではなく、客体として描いている。《愛》を突き放すという態度から、新たなる地平――言うなれば「ポスト・セカイ系」が生まれるのではないか。それこそが私の関心事なのです。

hajichajic 2005/05/01 04:27 ここでの物語史と言うものが、日本のサブカルチャー文学(オタク的ストーリー群と呼び替えた方が適切かもしれません)構造の変遷を意味するのであれば、私に全く異論はなく、賛成です。それは素朴な伝説の時代から絶対正義の時代を経て、ついに神の否定に至りました。私がセカイ系というものをよく理解しているかどうか私に確証はありませんが、私の認識が正しければ、それは唯我論的なロマン主義の果てにある虚無のように思えます。

もしエヴァンゲリオンの結末がセカイ系の好例だというのであれば、まさに、あんなに実のないセカイはない。セカイとは世界の否定そのものなのです。そんな、経験論の終着点であるセカイを超えたところに現れたもの、それがGSGやシンフォニック=レインという作品であり、セカイの克服という意味で、それらは物語史上に新たな時代を提示している。そこには両義性、対立しながら共に成り立つ二つ以上の意味が常に存在し、だからこそ、彼らは”二者の関係”だけでは絶対に答えを出すことができない。少なくとも、「ふたりの関係」以外に、その答えを保証する絶対的な何かが必要とされている。

私はそれを「愛」だと呼んでいるのですが、この言葉は極めて誤解を生じやすいようです。それは「好き」とは全く異なり、どちらかと言うと、「信じる」に近い。セカイの行き着く先が、”何でもあり”的唯我の完全なエバーランドだとしても、実際問題として、私たちは間違いなく「この世界」を生きている。それはどうしたって、「唯我」ではない。どう思いこんでも、やっぱり現実は現実で、事実は事実として確かに存在してしまう。セカイが一時的には素敵な隠れ家だったとしても、いつか私たちは世界へ戻らざるを得ません。

つまり、好むと好まざるを問わず、私たちにはいつか、世界の存在を実感し、その意味を信じざるを得ない日が来る。言い換えるなら、世界は在らなければならないし、そこには意味が在らなければならない。他でもない、わたしたち自身の精神的平穏のために。そんな「信じるべき」、あるいは「信じられる」対象、それこそ世界の概念であり、今が存在するということの持つ事実の肯定的な意味です。上記の二作品とは、まさに「”この世界”を生きるわたし」ということの意味、それ自体を(その徹底的な否定を通して)語る物語だと思っています。

といった文脈上で、この私のうなぎの様な文章は、第一パラグラフに戻るのでした。

Monday, 2005/04/25

仕事のなかの曖昧な不安

[] 仕事のなかの曖昧な不安  仕事のなかの曖昧な不安を含むブックマーク

 玄田有史(げんだ・ゆうじ)『仕事のなかの曖昧な不安――揺れる若年の現在』読了。

 つい先頃、文庫版(ISBN:4122045053)が出たのをみて思い出しました。単行本(ISBN:4120032175、2001年12月)が刊行された直後に買い求め、第1章まで読んで感銘を受け……そのままになっていたことを(^^; というわけで、今回はしっかり通読。

 労働経済学の名著と呼ぶに相応しい。労働をめぐる《曖昧な不安》を捉えて対象化し、データを用いて問題の所在を明らかにしていく。惚れ惚れするような内容だ。NEET*1の存在は、すでに本書によって発見されており、一応の対応策も示されている。その後に著された『ニート――フリーターでもなく失業者でもなく』(ISBN:4344006380、2004年7月)は、本書で論じていた対象に名前を与え、具体例を付け加えたに過ぎない。

 本書の第5章「所得格差、そして仕事格差」では、親の社会経済的地位が子の地位に再生産されていることの不平等性を論証している。先月発表された内閣府「青少年の就労に関する研究会」の中間報告*2では、ニートが生まれるのは経済的に苦しい家庭であることを実態調査から明らかにしている*3。この研究会の委員長が、他ならぬ玄田氏。本書で問題提起した労働市場の二重構造を、政策立案に近い立場からNEETに特化して検証しているように見える。それだけ本書は先見の明を備えていたということだろう。

 もうひとつ政策立案に絡んで、こんな出来事があった。4月11日に厚生労働省が、フリーターから常用雇用への移行を進めるための国民会議の開催を打ち上げた*4。これに対する反応として「そもそも何で減らさなきゃいけないんだ、フリーターを」というものがあったのだ*5。ここでの意見は曲解が甚だしかったので、私から苦言を呈した。若年者雇用対策室の広報担当者が意図をきちんと説明しなかったこともいけないし、適切に伝えなかった報道機関の態度にも問題があるので、この件に関しては論者を責めるわけにはいかない。だが何より、このエントリーやコメントで展開されている状況が、本書第3章「フリーターをめぐる錯誤」の冒頭で展開されている(誤解を解こうとしている)ものとまったく同じであることを興味深い。『労働白書』2000年版で示された政府の問題意識は、正社員(常用雇用)にならなければOJT(企業で働くことによって行われる職業能力開発)の機会が奪われることであった。年金財政の破綻などに結びつけるようなことは考えられていない。

 玄田氏の主張はこうだ。「若者は故人の明確な意識にもとづきフリーターを選んでいるというよりも、本人が自覚していない社会や経済のシステムによって知らずしらずのうちに選択させられている」。そして、その根本原因は、中高年の雇用維持を優先するシステムにあると説く(第2章)。

 雇ったところで、すぐに辞めてしまう―― そんな「若者観」にも本書は疑問を呈する。卒業後すぐに正社員になった者の離職率は高くないことをデータで示し、不況期には卒業直後に働きがいのある自分にあった仕事に出会えるチャンスを逃してしまったためなのではないか、と。コホート効果(世代効果)の問題とすれば、「定着しない背景には、働く本人の就業意識の問題だけでなく、学校を卒業した時点での労働市場の需給関係が影響していることを忘れてはならない」と述べる。

 若者が《やりがいの感じられる仕事》に出会える雇用機会を。それが本書で訴えるもの。若年就業のみならず、ひきこもりや成果主義について考えるうえでも必読の書。

▼ おとなり書評

次の世代へ技術なり情報が伝わらない、伝える教育が自分たち自身でできない社会というのは、今はよくても数年後に大きな問題となって現れるのではないか。

http://d.hatena.ne.jp/merubook/20050401/p1

セカイは《曖昧な不安》の中にある  セカイは《曖昧な不安》の中にあるを含むブックマーク

 玄田有史は「コミュニティと個人のあいだで」という箇所において、友人・知人の関係を以下のように論じている。「人に迷惑をかけない」という言葉を、古い世代は見ず知らずの人間に不快感を与えないという意味で用いるのに対し、若い世代では「ひんぱんに電話やメールをやりとりする大事な友だちだけには嫌われたくない」という意味で用いているのではないか、というのだ。これを玄田は「ローカルな存在」になるつつあると表現し、「自分にかかわりのあることにしか興味を示さない」「自分のテリトリーだけに関心が向くこと」と定義している。

 私はここに《セカイ系》の胎動を見た。

Saturday, 2005/04/23

[] 大学院はてな :: 出向労働者の精神疾患と安全配慮義務  大学院はてな :: 出向労働者の精神疾患と安全配慮義務を含むブックマーク

 労働法の研究会にて、A鉄道(B工業C工場)事件*1の検討(会社名は匿名)。

 原告Xは、被告A鉄道の車両技術主任であった昭和35年生まれの男性(昭和62年入社)。

 平成8年11月1日、Xは被告Y社へ在籍出向した。妻子を残しての単身赴任で、B社の寮に入る。B社においては車両の配管作業に従事。毎日3時間程度の残業をしていた。ところが翌12月14日、仕事中に突然土下座をする異常行動に出たため自宅に帰省。風呂に入っていないと見受けられる不衛生な状態であり、「商店の人から悪口を言われた」と被害妄想を推認できる言動があった。15日、仕事に戻ろうと駅まで出かける。16日、診療所から飛び出して行方不明になるが、川土手にいたところを発見される。17日、精神科を受診し「心因性反応等の精神疾患」と診断される。20日に職場復帰したものの、26日に自殺を図る(未遂)。27日、入院。

 このような事実経過のもとで、出向元および出向先企業に対し、安全配慮義務に基づく損害賠償請求を求めた事案。

 裁判所は請求棄却。12月14日以前は「多少元気がなかった程度で異常行動はなかった」のであり、「こうした精神疾患の発生・進行を予見しこれを防止する義務に違反したということはできない」。

 評者は、妥当な結論であろうと考える。本件では、比較的軽い症状の時点で精神医へと引き合わせられており、自殺完遂という最悪の事態に至らずに済んでいる。一般的な予防活動に努めることの必要性を否定するわけではないが、職業生活を営むうえで肉体的・精神的ストレスが生じることは避けられないものであり、精神性疾患は脳・心臓疾患よりも発症の個人差が大きい。職場におけるメンタルヘルスに関しては、何らかの危険な兆候が見られた時点で適切な対応(=専門医への相談)を取ったかどうか、で法律論を論じるしかないだろう。

 高橋祥友『中高年自殺』を読了後、初めての事例研究であったが、ここで述べられていた自殺防止対策は有効に機能しうることを認識した。

http://d.hatena.ne.jp/genesis/20050402

 ちなみに、この事件で介入の労を取ったのは、出向元であるA社の科長。12月15日にXから電話を受けて駅まで迎えに行き、Xの妻に連絡している。身近にいる同僚や家族の対応によって防げる自殺は、確実に存在する。

*1:広島地裁判決 平成16年3月9日 労働判例875号50頁

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Thursday, 2005/04/21

GUNSLINGER GIRL

[] ガンスリンガー・ガール  ガンスリンガー・ガールを含むブックマーク

 ようやく“GUNSLINGER GIRL”のDVD-BOX(ASIN:B00078RR0G)が届いた。発売日前に注文していたのだが、初回出荷分は品切れになってしまったらしく、1か月ほど待たされる羽目になってしまった。ちなみに、箱買いなんてしたのは初めて。11,812円という良心的な価格設定が嬉しい。

[] ガンスリンガー・ガール  ガンスリンガー・ガールを含むブックマーク

この作品を成り立たせているものは、まさに愛の否定そのものです。

http://d.hatena.ne.jp/hajic/20050419

 大いに触発されたので、稚拙ながら当方からのコメントを送付した。

トラックバック - http://d.hatena.ne.jp/genesis/20050421

Tuesday, 2005/04/19

[] もっけ  もっけを含むブックマーク

 熊倉隆敏(くまくら・たかとし)『もっけ』の1〜4巻を読む。

もっけ(勿怪) 1 アフタヌーンKC もっけ(2) (アフタヌーンKC) もっけ(3) (アフタヌーンKC) もっけ(4) (アフタヌーンKC)

 これは面白い。

 巫覡(ふげき)*1の家系に生まれた姉妹が主人公。妹・瑞生(みずき)は憑かれやすい憑坐(よりまし)。対して、姉・静流(しずる)は見えないものが視えてしまう見鬼(けんき)。そして彼女らが身を寄せている祖父は、農業を営む傍ら拝み屋*2をしている。

 それぞれの要素に分解してしまうと、割と良くあるモチーフです。妖怪を「お題」にして緻密に物語を組み立てていくのは、いやが上にも京極夏彦を想起させます。魂が見えてしまうといえば、紺野キタ知る辺の道*3田中メカお迎えです。*4など。巫女さん萌えな要素が強いけれど、森見明日『結びの杜』*5も。悪意ある存在として「あやかし」を登場させるなら、高田裕三九十九眠るしずめ』『幻蔵人形鬼話』。何気なくそこにある不可思議の描写なら、わかつきめぐみ黄昏時鼎談*6や、『ご近所の博物誌*7も近い空気を持っている。

 さらに。この絵柄は見たことがある。眼差しや脱力感はあずまきよひこ、表情やコマ配置は天原ふおんに似通っている。

 でも、分析なんかど〜でもよくなるくらい面白い。何より、物語の作り方がいい。

 各話ごとに1つの「勿怪もっけ」を登場させ、それをストーリーとしっかり絡めてくる。《妖怪》や《もののけ》を物語の下敷きにすることで、日本の民間伝承を織り込むことが容易になる。それだけに止まらない。熊倉隆敏は、フォークロアが土壌とする季節感、農村社会、家族関係、祖先崇拝、自然への畏怖――といった諸々のものと、それらが内包する切なさや愛しさといった感情を『もっけ』という作品に取り込んでいるのだ。情緒と情景に溢れた秀作。

 難を言えば、もう少しタメを効かせて盛り上げる演出にするか、あるいは、敢えて起伏をつくらないか*8にすると、漫画の構成としては特徴が出てくるように思う。とはいえ、既に第4巻から微妙な作風の変化があるように感じるのだけれど……。この先、熊倉隆敏が何を目指すのか、とても楽しみです。


▼ おとなりレビュー

生活に根付いた風習や現象から作られた妖怪(物の怪という言葉はまさにぴったりだ)というもののルーツを感じ取ることができる稀有な作品です

http://d.hatena.ne.jp/G_CAR_STK/20050327#p1

伝承のなかの妖怪を忠実に写し、また、生き生きとした明るさを持つ点で、非常に好ましく感じる

http://d.hatena.ne.jp/taron/20050328#p1

日常の我々の視界の隅に、辛うじてとらえられるようなモノ、という感覚で異界のモノを描いてきた作品だが、そのやり方がまた研ぎ澄まされたような気がする。

http://d.hatena.ne.jp/goito-mineral/20050324#1111672897伊藤剛氏)

*1:神と人との感応を媒介する者。神に仕えて人の吉兆を予言する者。女を巫、男を覡という。〔広辞苑より〕

*2:除祓師、お祓い師。

*3ISBN:4344804821

*4ISBN:4592177460, ISBN:4592177630, ISBN:4592170202, ISBN:4592170210, ISBN:4592170229

*5ISBN:4785921099, ISBN:4785922133

*6ISBN:4592131509, ISBN:4592882865

*7ISBN:4592131568

*8:女子高生の幽霊とまったりらぶらぶな日常を過ごす、鬼魔あづさ夜の燈火と日向のにおい』なんていうものもある。

Monday, 2005/04/18

浅倉+島田+盛『労働法』

[] 大学院はてな :: 有斐閣アルマ『労働法』  大学院はてな :: 有斐閣アルマ『労働法』を含むブックマーク

 浅倉=島田=盛 『労働法』〔第2版〕(ISBN:4641122393)の謹呈本を頂戴しました。島田陽一先生、ありがとうございます〜。

 餌付けされたからというわけではないですが、これはいい本です。法学部の学生が労働法を学ぶための教科書として、バランスの良い仕上がりになっている。浅倉むつ子教授が「ジェンダー」「セクシャル・ハラスメント」「男女共同参画」の部分を担当しておられるので、類書よりも女性労働に関する記述が手厚いのが特徴。また、盛誠吾教授が「集団的労使関係法」(労働組合法)の解説を担当され、かなりの分量を割り当てているのも近年にしては珍しい構成(さすがです)。

 見比べて選びたいという人に、同じくらいのレヴェルのものを挙げるとすると

  • ISBN:4641122180 浜村=青野=唐津=奥田 『ベーシック労働法』〔第2版〕
  • ISBN:4641143463 中窪=野田=和田 『労働法の世界』〔第6版〕
  • ISBN:4641058415 安枝=西村 『労働法』〔第8版〕

でしょうか。あれれ、みんな有斐閣だ(^^;)

ベーシック労働法 (有斐閣アルマ) 労働法の世界 労働法 (有斐閣双書プリマ・シリーズ)

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Sunday, 2005/04/17

「負けた」教の信者たち

[] なぜあなたは「負けた」と思いこむのか  なぜあなたは「負けた」と思いこむのかを含むブックマーク

 斎藤環「負けた」教の信者たち――ニート・ひきこもり社会論』(中公新書ラクレISBN:4121501748)読了。

 おおっ!と思わせる書名だが、教義がズバリ書かれているわけではない。期待しすぎると肩すかしを食らう。本書は『中央公論』に連載された時評を中心とする26の短編から成っており、それぞれ別個に書かれたものを内容別に並べ替えたもの。それらを統合したときに生まれたのが『「負けた」教の信者たち』なのだと、冒頭で述べる。この序文は本書の内容を凝縮したものであり、一読したところでは理解しかねるのだが、ひととおり読み終えてから読み返すと得心がいくようなものとなっている。

 ひきこもり研究の先駆者である著者は《情報格差》に着目する。若者の勝敗を決定づける軸の1つが「コミュニケーション・スキル」である、と斎藤は説く。コミュニケーションが苦手だと思いこまされてしまった時、「負けた」という自意識が生じて自分を「負け組」に分類する。その果てに「ニート」「社会的ひきこもり」といった問題状況が生じるのだ、と。

 そして、次のような推測をする。現状を否定し「負けた」と思いこむことで守ろうとしているのは、プライドなのではないか。このナルシシズムの産物を著者は「自傷的自己愛」と名付ける。この推論に至るまでの思考過程を、《若者論》《メディア論》《公正論》という3つの文脈に沿って整理し直したうえで提示しているのが本文である。

 時評というものの性質から、少々まとまりに欠けるきらいはある。大きなテーマをめぐって論じているわけでもないので、散漫な印象も受ける。それでも、さすがは精神科医・斎藤環だと思わせる切り口であった。


▼ おとなりレビュー

PreBuddhaPreBuddha 2005/04/18 00:47 はじめまして、整腸亭です。TBありがとうございます。
私の4月14日覚書は、速読して書いたもので、まとまりがありません。その点、博物士さんは「書評」になっていて、内容がよく分かります。
斎藤氏の新書は、結論めいたものはなく、問題提起に終わっているような感じを受けました。

genesisgenesis 2005/04/18 13:39 整腸亭さん、コメントありがとうございます。実のところ私も、本書の序文は無理にまとめあげたもの、という感じを受けました。問題提起に終わっている、というのはその通りでしょう。社会問題を心理学の視点で捉えると、こんな見方もできる――という視座の提供に留め、社会システムの問題に拡散させることを避けているのだと思います。

Saturday, 2005/04/16

[] 大学院はてな :: 保育所利用関係における合意の拘束力  大学院はてな :: 保育所利用関係における合意の拘束力を含むブックマーク

 社会保障法研究会にて、亘理格(わたり・ただす)氏を招いて高石市立東羽衣保育所民営化事件*1の検討。市立保育所のうちの1つを廃止して社会福祉法人に移管したことにつき、転園を余儀なくされた児童らが、当該廃止措置の取消を求めた訴訟。第一審は請求を棄却。

 この事件の鑑定意見を亘理教授が書いておられ、近く刊行される共著 『「民」による行政』(ISBN:4589028301)に加筆のうえ収められている。その内容を御本人から伺った。

 平成12年に児童福祉法24条1項ないし3項が改正され、保育所利用関係が一方的権力的法律関係から双務的な利用契約関係となったことに鑑みて考察を進めている。保護者は保育所を理性的に選択したのであるから、原則として当該児童の保育実施期間中は保育所を存続させるべき義務があるのではないか――というのが主旨。そのうえで、事情の変更を理由として一方的に変更・修正が可能となる場合を論じる。

 どんなに長くても6歳になれば就学して対象者はいなくなるので、保育については移行期間を設けて徐々に対応していこうという大変スマートな議論(手続面を重視した法律論)でした。おそらく運動論としては別のところに主眼があるのでしょうけれど。

[] 大学院はてな :: 国家賠償請求と不法行為の競合  大学院はてな :: 国家賠償請求と不法行為の競合を含むブックマーク

 社会保障法研究会にて、社会福祉法人積善会暁学園事件*2の検討。民間養護施設において入所児童により集団暴行を受けて障害を負った者が、社会福祉法人に対しては民法715条の使用者責任、県に対しては国家賠償法1条1項に基づいて損害賠償の請求を求めた事例。第一審は、国賠請求のみを認めた。〔→判決原文

 民間養護施設の職員は組織法上の公務員ではないが、公権力の行使を委ねられた者をみなし公務員として「国家賠償法上の公務員」と擬製するというのは判例の蓄積があり、異論はない。

http://www.ops.dti.ne.jp/~andm/data2/2004k12.htm 〔正木宏長氏の講義録〕

 しかし、国賠請求を認容すれば不法行為請求は排斥される、とは必ずしも言えないのではないだろうか――が議論の焦点となった。たしかに判決では、公務員個人に不法行為責任を負わせないとする最高裁判例*3を挙げている。しかしこれは、社会福祉法人の責任を認めない理屈としてはおかしいのではないか。福祉施設の職員個人と、団体としての福祉法人との差異が整理されていなかったように思える。

▼ 措置制度の法律関係*4

f:id:genesis:20050417011031:image

*1:大阪地裁 平成16年5月12日判決 『賃金と社会保障』1385&86号103頁

*2:名古屋地裁 平成16年11月12日判決 『賃金と社会保障』1387号42頁

*3:最三小判 昭和30年4月19日 民集9巻5号534頁

*4:倉田聡『これからの社会福祉と法』(ISBN:4794440340)24頁より

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Friday, 2005/04/15

[] ポストライトノベルの時代へ  ポストライトノベルの時代へを含むブックマーク

 週刊朝日別冊『小説トリッパー』(2005年春号)の特集「ポストライトノベルの時代へ」ASIN:B0007W9DAY)を読む。友人に「ラノベというものが分からない」とこぼしたら、本書を薦められたもの。読みたい記事は3本しかなかったので経済的事情から躊躇したのですが、読み応えがありました。

小説 TRIPPER (トリッパー) 2005年 春季号

ライトノベルをめぐる言説について

 大塚英志×斎藤環の対談。まず最初に各々の立ち位置を示し、互いに言い合いをして、結局は物別れに終わる。精神科医として、とりあえず対象を肯定してから自己分析を始める斎藤。ライトノベルズを肯定してはならない、徹底的に厳しく接してつぶしにかかるのが文芸批評であり、そうしなければ作家は育たないとする大塚。評価しない作品は無視することも批判になりうるとし、批判がコミュニケーションを切断することを危惧する社会的ひきこもりの発見者・斎藤。それに対して、批判こそがコミュニケーションであり、作家から憎まれてでも文芸批評を展開しなければならないというおたく自虐史観の語り部・大塚。

 軸上では対極にあるけれども、軸線そのものはズレていない。もし、対談相手が斎藤ではなく×××だったりしたらと思うと……(汗)。それぞれの著作を読んで、両者を引き合わせたらどうなるかをシミュレートした通りの結末ではあります。ですが、具体的な作家・作品名を挙げつつ文芸批評のあり方そのものを論じているところからは、大いに知的刺激を受けました。

社会領域の消失と「セカイ」の構造

 笠井潔による評論。久美沙織日日日(あきら)『ちーちゃんは悠久の向こう』の解説で披露した《セカイ系》への違和感を突端にして、恋愛空間と社会領域の接続関係を論じる。ここでは「セカイ」を、「無力な少年と戦闘美少女が接触し、キミとボクの純愛関係が生じる第三の領域」と定義している。

 具体的に取り上げているのは、秋山瑞人イリヤの空、UFOの夏』、高橋しん最終兵器彼女』。私的な日常(小状況)とハルマゲドン(大状況)を媒介する社会領域(中状況)の方法的な消去を徹底したものとして、新海誠ほしのこえ』を挙げる。そして、これらの作品群と1970年代の学園ラブコメあるいは80年代のコバルト文庫を橋渡しするものとして、『新世紀エヴァンゲリオン』や上遠野浩平ブギーポップは笑わない』を置く。そして結びでは、宮台真司が1995年に述べた「終わりなき日常を生きろ」をセカイから振り返る。

 セカイ系の歴史学序説として整理されており、使い勝手がよい。全体の位置関係を掴みかねている者にとって、手頃な案内図になっている。

 笠井の論考を読んでわかったのは、私が《セカイ系》に拒否感を持つのは、どうも根源的な価値観から来ているものらしいこと。だって、労使関係法を専攻し社会中間団体の意義を考えている人間が、社会領域を見ようとしない少年少女に共感なんてしていられないです(^^;)

幼年期は終わらない

 中島梓(=栗本薫)によるラノベ初体験記。ご子息に「面白いもの10冊+ひどいもの2冊」を選んでこさせ、読んでみました――というもの。ライトノベルに慣れ親しんでいない旧世代の読み手が感じる感覚を、小説仕立てで綴る。自分の好きなジャンルに否定的評価が与えられることに耐えられないラノベ主人公的な精神構造の少年(特に、おかゆまさき撲殺天使ドクロちゃん』に萌えている人)は、読んではダメです。

 中島は、『ブギーポップ』や時雨沢恵一キノの旅』を前にして、読み手&書き手の《無力感》《絶望感》に思いを馳せる。そして、複雑で情報過多な社会に適応すべく「シングルタスクのシンプルな思考形式」を選び取ることで乗り切ろうとしているのではないか、と考える。

 評論というより、エッセイとして楽しませていただきました。


▼ おとなり書評

http://d.hatena.ne.jp/megyumi/20050415/p4

hikutunarihikutunari 2005/04/20 13:08 大塚英志を「おたく自虐史観」と書かれてますね。己が感じるところは、文芸の価値観を保つという立場なのではないかとも思います。こんなにも数が増えていく現実に対して「価値観」を守るというのは、そこだけの村社会を築くということと同意ではないかと。村こそ必要やんかと文芸誌「ファウスト」評価する己です。「博物士」という名、良いですね。
雑多な学者というか人物、南方熊楠に憧れる己です。

genesisgenesis 2005/04/21 05:18 コメントありがとうございます。イデオロギーや主義主張を明確にして論じる大塚に対しては、尊敬の念を抱いております。かといって全肯定するのではなく、そこから自分が受容できるものを摂取していくという態度で。▼ 南方熊楠の名前を挙げられましたが、これに平賀源内とダ=ヴィンチの名を加えていただければ本望です。得意分野に特化せず、できるだけ幅広く活動していきたいという意図を込めてみました。

hikutunarihikutunari 2005/04/22 21:56 幅広さに激しく同感します。世の中はますます細分化されて専門家が増えそうですが、幅広い視野と「これから」を担うグランド・デザインこそ、必要に迫られているように感じますので。

Tuesday, 2005/04/12

虚妄の成果主義

[] 虚妄の成果主義  虚妄の成果主義を含むブックマーク

 高橋伸夫(たかはし・のぶお)『虚妄の成果主義――日本型年功制復活のススメ』(ISBN:4822243729)読了。

 成果主義(あるいは能力主義)か、はたまた年功制かというのは、単にブームないしトレンドとして語られてきただけではないのか? この50年間における言説の変化を指摘しながら、経営組織論を専門とする著者は鋭く切り込んでいく。本書の主旨は簡潔明瞭。序文に書かれた次のような一文で明らかにされている。

従業員の生活を守り、従業員の働きに対しては仕事の内容と面白さで報いるような人事システムを復活・再構築すべきである〔4頁〕

 まず「人が働く理由を知っていますか?」*1と問いかける。そして、「人は金のみにて働くにあらず」*2と答えるのだ。高橋は、人は面白いから仕事をするのだと説く*3日本型年功制とは、「次の仕事の内容」で報いる人事システムに本質があるとする*4。仕事に打ち込める環境を用意するための人事評価制度――その1つの模範解が日本型年功制であったのだと高橋は評価する。人件費を「コスト」と考える企業に将来はない、人材へは「投資」すべきであるというのが高橋の主張。

 本書に対する疑問として、「役に立たないお荷物をクビに出来ない制度でいいのか?」という声があるだろう。これは私から言わせてもらえば、解雇法制に対する誤解である。終身雇用の下にあっても、労働法は能力に欠ける者の解雇を許容している。労働法が解雇に対して厳しい態度を取るのは、それで得てして職場内いじめだとか、手続的不備(不意打ち)といった形で行われることを嫌悪しているのだ。著者は、ごく少数の「エース級」と「箸にも棒にもかからない」人はともかく、「どんぐりの背比べ」な「普通の人」に対して客観的な基準(成果主義)を当てはめることの副作用を述べている〔11頁〕。

 この本には、数式やデータといったものが、ほとんど登場しない。これも本書の性格を良く表している。高橋伸夫は、客観によって示すのではなく、主観によって語ろうとしているのだと思う。著者が未来傾斜原理(learning on future principle)と呼ぶ態度――過去を容赦し、紳士的に振る舞うことで、将来の協調関係を構築すること――への共感は、言葉によって喚起されるものだからである。

 本書を踏まえたうえでの検討課題は深刻。企業の中から「面白い仕事」が減りつつある。それ以前に、派遣労働やパートタイム労働の占める比率が増えたことで「面白い仕事」に出会うための機会に不均衡が生じているのではないかと思えるからだ。

 本書は労働について書かれた書物ではあるが、その射程は広い。社会と関わり方についても多大な示唆を与えてくれる。働くということ、評価されるということに関心を抱いたとき、是非とも読んでおきたい一冊。


▼ 書評

この本は世間的に「成果主義的」と呼ばれるあらゆるものはうまくいかない、ということを明らかにした

http://www.roumuya.net/shohyo/kyomo.html (荻野勝彦氏)

*1:第3章の題名

*2:第1章3節の小題

*3:そのために、ブルーム(Victor H. Vroom)による調査研究を示している。簡単に言うと、仕事を達成すると人は精神的高揚(満足)を引き出すということ。これを高橋は職務遂行・職務満足(job performance & job satisfaction)と称している。

*4:一見したところでは近似しているが、日本型年功制を「年功序列」とは異なる意味で用いられていることに留意する必要がある。28頁を参照。

o-tsukao-tsuka 2005/04/15 10:04 成果主義については、柳下公一氏の『武田「成果主義」の成功法則』(日経文庫)
http://www.nikkei-bookdirect.com/bookdirect/item.php?did=19274
をお勧めします(柳下の著書は「成功」とか「勝ち組」とか品がありませんが、これはたぶん編集者のせいです。本文は違いますので)。先駆者として、「成果主義」は人事制度ではなく、会社文化の変革であることを、実例を元に述べています。
したがって、人事制度としてのみ捉えている荻野勝彦氏の指摘はあてはまらないと考えます

genesisgenesis 2005/04/15 22:04 o-tsukaさん、ご紹介ありがとうございます。まだ考察しきれていないのですが、どうも《成果主義》という概念そのものにブレがあり、著者によって支持ないし批判している部分が一致していません。本書は人事処遇制度に焦点をあてて論じており、荻野氏は著者の意図を汲んで書評にしたものだと理解しています。▼ ちなみに荻野氏は、某大手自動車会社の人事労務を担当しておられる方です。「実務的な観点から」という段落を深読みすると、先述のことに目配りが為されているのがわかります。▼ 高橋伸夫氏は、このほど新刊『〈育てる経営〉の戦略』を刊行しております(私も昨日買い求めてきました)。そのうちレビューを書きますので、続きはまた改めて。

o-tsukao-tsuka 2005/04/18 09:22 わたしも自動車業界で禄を食む人間ですが、大手自動車会社の労働環境を肯定的には見れませんね〜

roumuyaroumuya 2005/06/13 13:40 はじめまして。私の書評をご紹介いただき、ありがとうございました。
「〈育てる経営〉の戦略」の書評も書きましたので、ご参考までにお知らせいたします。
http://www.roumuya.net/shohyo/sodateru.html
現実に人事労務管理をやっておりますと、「成果主義」で企業文化や風土が変えられる、というのはずいぶん大それたことのように感じます。私は武田薬品さんのことはよく知りませんが、文化が変わっのだとしたら、医薬品の規制緩和によるショックが大きく影響したのではないかと想像します。
余談ながら「スペインにおける従業員代表制」興味深く拝聴いたしました。内容ももちろん、応援団の多さにも感心しました。

genesisgenesis 2005/06/14 01:12 roumuyaさん、コメントありがとうございます。そちらの記事からは刺激を受けることが多く、こまめに目を通しております。そんなわけで、ご紹介いただいた文章、掲載された直後に拝読しておりました。うわ、積み上げたまま2か月も経っていたのか……。そろそろ〈育てる経営〉も読んでおかなくては。内容面からの応答は、その時にさせてください。▼ 学会での拙い報告をお聞きいただき、ありがとうございました。会場の最前列で写真撮影会をやっているのが居たりして、何事かと思われたことと思います(汗) 現在、北海道大学の社会法講座は、助手と院生あわせて17名の大所帯。労働法&社会保障法が大人気という、全国的にみても変わった現象が起こっております。これから順次、季労や労旬の誌上に登場していくことと思いますので、後輩どもも併せましてお引き立ての程お願い申し上げます。

Sunday, 2005/04/10

ぺとぺとさん

[] ぺとぺとさん  ぺとぺとさんを含むブックマーク

 木村航(きむら・こう)『ぺとぺとさん』(ファミ通文庫ISBN:4757717474)読了。

 転校生・藤村鳩子は妖怪ぺとぺとさん(通称・ぺと子)。おっと、ここでは「妖怪」は差別表現なので、特定種族と言い換えなければならない。それはともかく、ぺと子はかわいいものと触れあうと、ぺとってしまう体質なのだ。

【ぺと・る】
 〔動詞〕 特定種族ぺとぺとさんと触れあって体表面が融合した状態となること。どちらかが眠ってしまうまで離れることはできない。効率よく配偶者を確保するための進化と考えられる。

 少年シンゴは、水泳の授業中、よろけたぺと子(スクール水着着用)を助けようとしたところ、ぺとってしまい……

 コンセプトの勝利、です。

 思春期にある中学2年生の男の子が、女の子に手を触れたときの悶々とした《思い》。触感のもたらす効果を設定の段階で作中に組み込んでいる。妖怪と一般人の共生というと、岡野史佳が『ラブリー百科事典』でコミカルに描いていました。本作は、登場する妖怪そのものを萌えの対象とするとどうなるか、という発展的応用例。ぬりかべのぬりちゃんは、おでこに表示される文字で会話する。これなども、「無口少女」という萌え要素がキャラ設定として組み込まれている。

 萌え攻撃は、もう1つ仕掛けられている。この町では、第二子以降はすべて女子という現象が長年にわたって続いている。すなわち、妹率100%。そこで町役場は、村おこしに「にょみの里」というキャッチ・フレーズを喧伝する。ちなみに「にょみ」とは、漢字表記すると女未である。

 擬音の効果的な使用も特筆に値する。これは、題名からしてお分かりだろう。

 イラストレーターにはYUG(ゆぐ)を起用。はうぅ、かわいいなぁもう。

 設定の勢いで読ませるのが前半。ところが後半、いきなり失速してしまう。「川底のオブジェ」から、カッパ娘沙原くぐる(と、その妹・ちょちょ丸)が中心となる。ところがこちらは、設定のレヴェルで面白味を内包するキャラではない。そのうえストーリーが練られていない。活劇風に描写することで場を持ちこたえているのだが、空回りしている。もったいないおばけになりたい気分。

http://www.petopeto.com/ (アニメ化情報)

http://www.enterbrain.co.jp/fb/special/200402_01.html (「ぺとぺとさん」ってなーに?)

Saturday, 2005/04/09

[] 大学院はてな :: 違法争議行為と懲戒処分  大学院はてな :: 違法争議行為と懲戒処分を含むブックマーク

 研究会にて、東京郵政局(全逓怠業・懲戒免職)事件の検討。公共企業体等労働関係法により争議行為が禁止されていた郵便集配人らが、昭和53年から翌54年にかけての年末年始に闘争を実施。これにより郵便物の滞留が発生した。郵政省は闘争参加者に対して懲戒処分(戒告1,425名、減給1,457名、停職286名、懲戒免職58名)を発令。本件は、このうちの懲戒免職となった7名が、免職処分の取消・無効確認を求めたもの。

 第一審*1 は、請求を棄却。これに対し、控訴審*2 は請求を認容するという、反対の判断が示された。

 考えるべきは争議行為における個人と集団の関係。本件では、闘争が大規模に展開されたことで業務に支障が生じたが、争議行為は怠業(スロー・ダウン=作業能率の低下)という形態であった。ここで判断が分かれた。

第一審
 「組合役職者(原告らのいう単純参加者)のした争議行為であっても、その程度、態様によっては、反社会性、反規範性が強いものも十分あり得るというべきであり、反社会性、反規範性が強い場合には、他の事情をも考慮して その者を懲戒処分にすることも、それが裁量権の逸脱ないし濫用にわたらない限り、懲戒権者の裁量権の範囲内のものというべきである。」
控訴審
 「このような態様及び性質の争議行為を、執拗に、かつ長期間実施したとしても、違法な争議行為への参加という職場秩序違反の行為に対する非難として懲戒処分を免れないものの、個々の組合員の行為として見る限り、もたらされる職場秩序の阻害の程度は、たかが知れており、これに対する非難としての懲戒の内容及び程度にも、おのずから限度があり、これを理由として懲戒処分を課す判断は、その合理性に重大な疑いがある。」

 控訴審判決が妥当だろう。違法な争議行為であれば懲戒を課すのは差し支えないが、本件事案のもとにあっては懲戒解雇ではなく、軽い処分に留めるのが適切であった事案だと思われる。

[] 大学院はてな :: 長期間経過後の懲戒解雇  大学院はてな :: 長期間経過後の懲戒解雇を含むブックマーク

 研究会にてネスレジャパンホールディング事件についての検討。7年半前に発生した管理職に対する暴行傷害事件を理由としてなされた諭旨退職処分の可否について。このように長期間が経過したのは、警察および検察に告訴状が提出されていたものの、不起訴処分という判断が示されるまでに6年を要したため。これまた、判断が分かれた事案。

仮処分*3
 解雇無効。「懲戒権を行使する時期については自ずから限界があるというべきであり……懲戒処分をする目的と事案に応じた社会通念上相当な期間内に行使されることが必要かつ相当」。
本案一審*4
 解雇無効。
本案控訴審*5
 解雇有効。「控訴人は、いたずらに被控訴人両名に対する懲戒処分を放置していたわけではないといえるし、被控訴人両名も、被控訴人会社から処分されることはないであろうとの期待を持ったわけではない」。」

 議論は紛糾し、研究会を二分しての討論となった。

 私は、原審の立場を支持。おおよその目安として2年ほど経過してしまうと、もはや懲戒処分をする必要に欠けると考える。起訴処分となったのであれば、長期間が経過していたとしても懲戒処分を検討することは差し支えないだろう。しかし、不起訴処分となった場合、数年後には事件は《風化》してしまったものとして扱うのが妥当ではないかと考えている。検察の判断を待たずとも、使用者は独自に懲戒処分を検討することが出来る。判断間違いのリスクを避けようとして警察・検察の判断を待ったのであれば、そこで生じる《時間の経過》というリスクは使用者が負担すべきではないだろうか。

*1:東京地裁判決 平成6年12月14日 公務員関係判決速報317号2頁

*2:東京高裁判決 平成16年6月30日 判例時報1878号146頁

*3:水戸地裁龍ヶ崎支部決定 平成13年7月23日 労働判例813号32頁

*4:水戸地裁龍ヶ崎支部判決 平成14年10月11日 労働判例843号55頁

*5:東京高裁判決 平成16年2月25日 労働経済判例速報1890号3頁

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Friday, 2005/04/08

[] はてな年間100冊読書クラブ  はてな年間100冊読書クラブを含むブックマーク

 id:chachakiさん主宰の「はてな年間100冊読書クラブ」に参加します。誕生日である4月8日を起算点とし、1年に100冊以上の書物に親しむことを心がけます。とは言え、この数値目標にはあまり重きを置いていません*1。はてなダイアリーは、wikiライクなシステムのおかげでユーザー同士の接続が容易であり、書評の「交換」に適した構造であると思います。この試みが、より密な交流のきっかけになれば、と考えた次第。

 分類は、これまで用いていたものを流用します。小題に [Libro] あるいは [Manga] を冠しているものが該当します*2。前者はいわゆる「書籍」で、文芸誌を含めます*3。後者は「漫画」ですが、少なくともレビューが書ける程度にまで読み込んだ単行本だけを記録しています。どうでもいいと思ったものは、これまでと同じく無視。

 なお、職業的に論文や学術書を読む行為は、読書として扱いません(興味深いものについては [大学院はてな] で取り上げます)。

*1:目標管理というものに嫌悪感があるので、数値を固定したくないのです。この企画のレゾンデートルに関わるところですが……。結果として何冊読んだかを数えてみる、という態度で臨みます。

*2:ちなみに“libro”は、本を意味するスペイン語です

*3:総体としての雑誌に言及する場合と、個々の記事を取り上げる場合とがあります。

Thursday, 2005/04/07

笙子ちゃん

[] 妹オーディション  妹オーディションを含むブックマーク

 今野緒雪マリア様がみてる』第20巻《スールオーディション》読了。

 急展開(当社従来比)。

 笙子さんの準主役抜擢を、心よりお慶び申し上げます。ちなみに「内藤笙子」をキーワード登録したのは私。

マリア様がみてる 20 妹(スール)オーディション (コバルト文庫)

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Wednesday, 2005/04/06

ちぃちゃんのおしながき [1]

[] ちぃちゃんといっしょの風景  ちぃちゃんといっしょの風景を含むブックマーク

 『ひまわり幼稚園物語あいこでしょ!』の大井昌和(おおい・まさかず)が放つ新シリーズ3作を読み比べ。

▼ 『ちぃちゃんのおしながき

ISBN:4812460077

 お酒が大好き、料理は出来ない、それでも小料理屋「みづは」の女将なママ・有坂三葉(29歳)。母親のダメっぷりに奮起して調理場に立つ板前娘・ちぃちゃん(千夏、10歳)。母子による繁盛記。

 悪くないです。ただ、キレというか、冴えがない。4コマ漫画という表現技法と、大井昌和のスタイルとが咬み合っていないように感じる。

 比較対象として、後藤羽矢子を挙げます。「ストーリー4コマの女王」という異名を取る後藤は、『どきどき姉弟ライフ』『パブロフの犬』など絶妙な味わいを感じさせる作品を世に出しています。しかしながら非4コマになると、ぼやけた作風になってしまう。思うに後藤羽矢子は、単調なコマ構造に親和性が高いのでしょう*1

 これと逆のことが、大井に当てはまる。巻末に収められた特別編「ちぃちゃんの秘密の魔法」では自由なコマ割りをしているのだが、これが実にのびのびとしていて気持ちが良い。ほのぼのとした作品で、ポテンシャルは十分にある。

▼ 『いつもいっしょに』

いつもいっしょに 1 (バンブー・コミックス)

 凸凹姉妹物語。表紙左側のちんまい方が姉で高校教師な里宮茜。お間違えなきよう。そして、右側の長身美人が妹の葵(高校1年生)。こちらも4コマ漫画。

 こちらは、キャラクター設定に難がある。妹をいぢわる天然小悪魔に仕立てようとしているのだけれど…… 大井昌和は人柄が良すぎて、「悪人」が描けないのではないだろうか(苦笑) 頭身が低くて目はくりくりっとした少し勝ち気な女の子なら得意みたいだけれど。

▼ 『風華のいる風景

風華のいる風景 1 (まんがタイムきららコミックス)

 オムニバス形式。こちらは非4コマ。個々の短編は独立した話なのだけれど、前の話に出てきた登場人物が次の物語に影響を与えることで、少しずつ関連性を有して繋がっていく。

 相対的に、というわけではなく、良くできた作品だと思います。

 本作が秀逸なのは、ストーリー・テラーたる女子中学生・風華(ふうか)の登場のさせ方。風華は、物語にさしたる影響を与えません。例えばバス停に佇んでいるだけ。あるいは、店内に居合わせるだけ。とはいえ、我々《読み手》と同じ単なる傍観者ではない。風華がそこに《居る》ことにより舞台は統一され、視点が与えられる。そうした趣向が題名に表象されています。

 展開は、ベタな人情芝居。世界は情愛に満ちあふれている。第1話にて「まいは うまれられて しあわせです」にホロリとなってしまいました*2

みんな、どこかで

つながっている。

初版の帯より

*1:コマ割りが上手くない、とも言える。

*2:うあぁ、またもや4歳児に萌えてしまった……

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Tuesday, 2005/04/05

空想少女綺譚

[] 空想少女綺譚  空想少女綺譚を含むブックマーク

 海野螢(うんの・ほたる)『空想少女綺譚』(宙出版ISBN:4776713942)。

 奇譚ではなく、綺譚ね。

思春期ゆえの不安定さで 危うい一面を見せる少女たち……。

遠い日の約束、秘密のカンケイ、あの日覗き見たオトナの世界……、

そんな「少女の日」のノスタルジーを 甘く切なく描いた「海野螢」待望の作品集。

少女とロボット、ショートカット&貧乳娘、教師と生徒、兄妹or姉弟、人妻○学生!?……。

 裏表紙の紹介文に、クラクラっと当てられて購入(そんなわけで、今回は裏表紙を書影として引用します)。なんかもう、これ以上に付け足すべきものは無いのではなかろうかというくらい、的確な内容説明。アオリ文句が、良い意味で煽っていない。

――引っ越し荷物から転がり出てきた玩具。

――幼い頃に別れた隣家の「お姉ちゃん」。

――うち捨てられたロボットとの恋。

――夕焼けの土手。

――最後の授業。

 さんざん使い古されてきた、郷愁を掻き立てるためのシチュエーションを次々に繰り出してきます。描き方に目新しさもない。けれども、暖かみがある。純朴な絵柄や作風と、描こうとしているテーマとが調和しているせいでしょう。「ヒトヅママルインチュウトウブ」では相当にメタなことをしているのに疎ましさはなく、赦してあげたくなってしまう。性表現は「含まれています」という程度。感情との結びつきを大切にしようという態度は、評価したいところ。

 惜しむらくは、物語進行の窮屈さ。短編集ということを差し引いても、詰め込みすぎという感が否めない。もっぱら読み切りを手がけているようですが、海野螢には、ある程度まとまった分量の中長編に挑んでみてもらいたい。きっと、いい作品を描いてくれることでしょう。

http://homepage2.nifty.com/unnoya/ (作者)

空想少女綺譚 (ミッシィコミックス)


▼ おとなりレビュー

エロも大事だけどちゃんとした話がないと嫌だって人にお薦めできる漫画だと思います。

http://d.hatena.ne.jp/bandai/20040924/1096033359

一般誌で書く時にどんなテーマを持ってくるかが読んでみたい。そんな作家。

http://d.hatena.ne.jp/blackrain/20041215#p2

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Monday, 2005/04/04

内向エロス [4]

[] 内向エロス  内向エロスを含むブックマーク

 陽気婢(ようきひ)『内向エロス』(ワニマガジン社)。

 知る人ぞ知る――つまり、あまり評価の高くない作家。それも、これから成長が見込まれる期待株ではなく、下降線をたどりつつある枯れた存在。新刊が出たというのに、さっぱり見向きもされていない。作者にしても、ウェブサイトには「謹賀新年」の文字が躍っていたりして、活力が鈍っているのは明らか。

 でも、素敵な作家なのです。

 トレンドから外れているのは、残念ながら認めざるを得ません。「キャラクター」というものにさほど関心を向けていない。その代わり、ストーリーに傾ける意気込みは並々ならぬものがある。着想が豊かで、奇抜な状況を次々と繰り出し楽しませてくれる。四角い吹き出し(ト書き)が多用されるのも、シチュエーションを重要視していることの表れ。予定調和に向けてシナリオを収束させようとするため、自然と説明が長くなる。

 私の思い描く理想の作家像に近い。と言いますか、私は陽気婢に《読み方》を習ったようなものです。それだけに、現況は物悲しい。

 『内向エロス』では、高校教師でエロ漫画家である竹井が、ひょんなことで漫画同好会の顧問になる。ところが、女子生徒・典子に裏稼業の顔がバレてしまって…… というお話。作中作として「竹井のマンガ」が挟み込まれる意欲作。

――だったのは、2001年刊行の第1巻だけ。読み返してみて、こんな設定があったのかと驚いてしまった(^^;) 第2巻以降は、ただの短編集になっています。《迷い》があったことは、容易に感じ取れる。それが今回の第4巻では、だいぶスッキリしたものになりました。この巻だけを取り出して読んでも楽しめる作品です。相変わらず甘ったるさ満杯だし、主人公は気弱な美少年だし、ブサイク男も出てくるし。自己模倣といえばそれまでなのだけれど、安定した枠組み(フレーム)の中での心地良さを陽気婢には描き続けてもらいたい。

 憑き物も落ちたのでしょうか。これをもって「第一部・完」とし、新たに出直すようです。


▼ 書評

http://www1.odn.ne.jp/kamiya-ta/hs&naikoueros.html (紙屋研究所)

o-tsukao-tsuka 2005/04/11 17:48 はじめまして。陽気婢って評価されてないんですか?非常に良心的な作家さんだと思うのですが……。あ、こちらには「りりばーす」の検索から来ました

genesisgenesis 2005/04/11 22:26 はじめまして。「能力があること」と「評価されていること」とは別でしょう。ブログ界隈における言及数が多くないということは間違いなく指摘できるかと思いますよ。

o-tsukao-tsuka 2005/04/12 09:41 新刊のペースが遅いので、20代以下にはあまり知られていないのは確かだとは思います。30代にはメジャーかつ評価も高い作家だと思っていたのですが……古本屋にもわりと出てますし

genesisgenesis 2005/04/12 21:45 年齢層を限定する必要があるというのは、幅広い支持が得られていないということ。古書店で見かけるというのは、手放す人が多いということ。どちらも人気の度合いを測る上では、マイナス指標だと思うん。

o-tsukao-tsuka 2005/04/13 09:17 なるほど、確かに

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Sunday, 2005/04/03

小説「エマ」

[] 小説 エマ〔1〕  小説 エマ〔1〕を含むブックマーク

 久美沙織(くみ・さおり)による『エマ』第1巻(ファミ通文庫ISBN:4757722095)読了。森薫による漫画『エマ』の小説化。原作の第1巻(ISBN:4757709722)におけるエピソードを追う。

 まず、この作品を知らない人のために。ヴィクトリア朝のロンドンを舞台とした、ラブ・ロマンスです。上流階級(ジェントリ)の青年・ウィリアムは、かつての家庭教師(ガヴァネス)ストウナー婦人のもとで働くメイド・エマに恋をする。しかし時は19世紀末。英国では、階級の差は抗いようもない壁であった――

エマ (1) (Beam comix) エマ (2) (Beam comix) エマ (3) (Beam comix) エマ (4) (Beam comix) エマ (5) (ビームコミックス)

 メディアミックスをしてなんぼ、という昨今。人気マンガをアニメ化するなら、同時にノベライズもしちゃおうというのは自然なこと。ただ、他媒体で先行する作品を小説化すると、大抵は上手くいかない。次元が下がるから(次元が低い、ではないですよ)。マンガなら「絵+コマ+言葉」で構成されているものを、小説では「言葉」だけにする。削ぎ落とされてしまう要素が出てきてしまうため、どうしても魅力を欠いてしまいがち。それだけに、作家の力量が試される。

 さて、この小説版『エマ』です。

 まず、原作とは、まったく別のアプローチをしていることは認識しておかなくてはなりません。森薫は「絵」に語らせています。例えば第1話の最後3頁では、セリフがひと言もありません。これをそのまま小説化したのでは、情景描写ばかりになってしまいます。そこで久美は原作の視点に囚われず、独白(モノローグ)によって物語を進めるという手法を採りました。冗長なまでに言葉を重ねているのも特徴でしょう。原作では、5頁目に「どうしたの? エマ」というストウナー女史の台詞があります。それが小説版では、34頁目。冒頭部の緩慢な展開が、もっとも如実に本書の特徴を示しています。

 この手法が効果的に活かされているのが、第2話「眼鏡」でありましょう。原作は、ともすれば若い二人が惹かれあう一過程に過ぎません。しかしこれをエマによる内面からの語りに変更することで、小説では豊かな感情を表現することに成功しています。視覚にまつわるエピソードですから、絵を用いるマンガの方が有利であったはずです。しかし久美は、鳥瞰する森薫の視点では取りこぼしてしまった《心》を丹念に追います。私は、第2話に関しては、原作よりも小説版の方が優れていると評価します。

 ですが、本作を通してみたとき、それほど高く評価することは出来ません。理由は2点。

 まず第1に、漫画を知らずに小説を読んだ時、面白みが伝わらない。原作は、言ってみれば「ヴィクトリア時代メイドさんを描くための口実としてマンガを描いた」ようなものです。村上リコによる副読本『エマ ヴィクトリアンガイド』(ISBN:4757716435)もまた、原作に肉薄し凌駕せんとする熱意がみなぎっています。社会風俗史の入門書として、単独で楽しめるほどに仕上がっている。原作ファン必携の書です。

エマヴィクトリアンガイド (Beam comix)

 先人2人に迫るだけの気迫は、残念ながら久美沙織にはない。それはそれで良い。しかし、原作に忠実であろうと腐心するあまり、ダイナミズムに欠ける展開になっていることは否めない。特に第5話、父・リチャードが「イングランドは二つの国民からなっている」と告げる場面の迫力不足は致命的。

 第2に、文章表現力。これは私の感性と合わない部分があったということで、批判としては不適切かも。『エマ』は、多分に懐古趣味的(レトロ)な作品です。それを意識してなのか、久美は随所に「堅苦しい」言葉を散りばめています。眉墨、清拭(せいしき)、疼(うず)く、梳(くしけず)る、睥睨(へいげい)、莫連(ばくれん)女―― ですが、どうして漢字を当てないのか不可解な場所も多数。ひらがなが続くうえに読点(、)も打たれていないので、読みにくい。三点リーダー(……)や感嘆符(!)の多用も見苦しい。会話文での言葉遣いは、くだけすぎとの印象を受ける。

 久美沙織の力量は見せてもらった。素晴らしいところもあった。でも―― というのが感想。ノベライズは難しいです。

 最後に恨み言。アニメ『英國戀物語エマ』、どうして北海道地区では放映しないのでしょう(泣)


▼ おとなり書評

▼ おとなり書評 :: 追記

久美沙織はひとつの想いや情景をあらわずためにいくらでも言葉を費やせるという小説の長所に的を絞って勝負している。

http://d.hatena.ne.jp/kaien/20050409/p2

本書の長所を的確に述べている。良い書評の例。対する私は、ひねくれてるなぁ。読み返してみると、「原作至上主義者」などと糾弾されても反論できない内容だ。

吉兆吉兆 2005/04/05 22:10 はじめまして。リンクを貼っていただいた吉兆と申します。

あとがきでも書いていましたけど、久美沙織はあまりビクトリア朝を描こうという気持ちは無くて、あくまでも恋愛小説としての側面を描いているのかも知れません。漫画と同じものを書いてもしょうがないと思うのでこれはこれでありかな、と思っています。

文章については、昔から久美沙織はこういう文章だったような気がするので、もはや受け入れられるかどうかの問題になってしまいますね…。

難しいところです。

genesisgenesis 2005/04/06 00:24 吉兆さん、コメントありがとうございます。▼ 久美沙織の著作を読むのは始めてで、文体の捉え方に戸惑っていたもので、参考になりました。▼ ご指摘のように、マンガと同じものになるなら小説にする必要はないので、《恋愛小説》にしようとする久美のアプローチは適切だと思います。であればこそ、第5章の「迫力不足」に私は物足りなさを感じてしまったのですよね。巻末の解説で村上リコは「へだてられた二人」には「深く広い溝」がある、と説明しています。原作では、そのような社会背景は読者が基礎知識として知っているものとして触れていないのだと、私は理解しています。『エマ』を一般の《恋愛小説》に解釈し直す際に求められていた作業は、この部分を補うことだったのではないか、と。こんなことを言うのは、無い物ねだりでしょうかねぇ(^^;)

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Saturday, 2005/04/02

中高年自殺

[] 中高年自殺  中高年自殺を含むブックマーク

 高橋祥友(たかはし・よしとも)『中高年自殺――その実態と予防のために』(ちくま新書ISBN:4480061126)読了。

 著者は、自殺予防を専門とする精神科医。「自殺は防止できる」とし、インターベンション(intervention;危機介入)よりもプリベンション(privention;事前予防)に力点を置いているのが特徴。また、不幸にも自殺が起こってしまったあとには、遺された周囲の人々がPTSD(心的外傷後ストレス障害)になることがあるのみならず、自殺を選ぶ危険が高まるとして、ポストベンション(postvention;事後対策)にも紙幅を割いているのが特徴。

 まず自殺の実態を把握することから始める〔第1章〕。本書は2年前に上梓されたものであるため、ここでは最新の統計(警察庁『平成16年 警察白書』*1 )を用いる。これによると、2003年の自殺者は34,427人。このうち、40歳代の男性が4,388人、同じく50歳代は6,899人。女性も含めると、自殺者のうち40.7%を働き盛り世代が占めている。人口構成に比べて中高年は高い自殺率を示すことは、先進国に共通する傾向なのだそうだ。

 日本では、自殺者が増大したのが景気が悪化した時期と重なっていたため、年齢層に関心が払われてこなかったことを著者は指摘する。そして、現在自殺者が多い層となっている50歳代(団塊の世代)は、かつて20歳代であった時にも高い自殺率を示していたことから、コホート効果(同じ時期に生まれた人口が、世代を超えて同様の傾向を示すこと)があるという。だとすると、第1次のベビーブーマー達は、年老いても高い自殺率を示すことになるのではないかと危惧する。さらに、この世代は精神科を受診することに強い抵抗感(偏見)を示す。自殺の急増は、こうした要因が複合したものだというのが著者の見方である。そこで本書は、危険性をはらむ中高年に焦点を当て、自殺予防の取り組みを訴える。

 日本の状況として、親子心中、引責自殺、群発自殺を検証する〔第2章〕。著者は、マスメディア報道が与える影響を強く非難する。センセーショナルな報道、極端な一般化(子どもが自殺すれば、とにかく「いじめ」に結びつける)、過剰な報道、ありきたりなコメント。これらによって自殺が誘発されてしまう。著者はマスコミに対し、自殺報道の最後には医療機関・相談機関*2 の連絡先を示し、普段からメンタルヘルスに関する啓発記事を載せるなどの取り組みを求める。

 自殺の危険が高い人が発する信号を、著者は十箇条にまとめている*3〔第4章〕。これを紹介することが、何よりも価値があるだろう。

  • 感情・思考面にうつ病の症状が現れる(自分を責める、仕事の能率が落ちる、決断が下せないなど)
  • 身体の不調が長引く(不眠、食欲不振、体重減少、頭重感、性欲減退など)
  • 飲酒量が増す
  • 自己の安全・健康が保てなくなる(服薬を止めてしまう、突然の失踪、大喧嘩、無謀な借金・投資といった自己破壊)
  • 仕事の負担の急増、大失敗
  • 孤立して、周囲からのサポートが得られない
  • 喪失体験(降格、失業)
  • 病気
  • 自殺をほのめかす
  • 自殺未遂(リストカットなど)

自殺とは自らの意思で選択した死というよりも、絶望に圧倒された人が 他に何らの解決策も与えられずに強制された死である〔7頁〕

 著者は、自殺予防教育の重要性を説く。本書の知見が広く知らしめられることを願う。

▼ 関連資料

http://www.mhlw.go.jp/houdou/2002/08/h0813-1.html (厚生労働省::自殺防止対策有識者懇談会中間とりまとめ)

*1http://www.pdc.npa.go.jp/hakusyo/h16/index.html

*2:例えば各都道府県に設けられている精神保健福祉センター

*3:厚生労働省の小冊子『職場における自殺の予防と対策』収載。

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