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博物士

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Sunday, 2005/07/31

[] 大学院はてな :: 合宿(2日目)  大学院はてな :: 合宿(2日目)を含むブックマーク

 ニセコでの研究会合宿。

 平成17年4月13日に厚生労働省から発表された「今後の労働契約法制の在り方に関する研究会」中間取りまとめについて,議論を交わす。

http://www.mhlw.go.jp/shingi/2005/04/s0413-8.html

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Saturday, 2005/07/30

[] 大学院はてな :: 合宿(1日目)  大学院はてな :: 合宿(1日目)を含むブックマーク

 ニセコでの研究会合宿。初日は,社会保障法についての検討会。

http://www.kinrou.or.jp/niseko-ikoi/

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Friday, 2005/07/29

ミラノのスカラ座 (嘘)

[] symphonic rain, rhapsody  symphonic rain, rhapsodyを含むブックマーク

http://d.hatena.ne.jp/hajic/20050724/p2

 「内ゲバって,こういうふうにして起こるんだなぁ」と思った『シンフォニック=レイン*1討論会(と,その後)。

#genesis 「すべてのシナリオ分岐を見渡す「メタな視点」を認めるのが「多世界解釈モデル」なので。▼このモデルを導入すると,hajicさんの解釈を《第10のシナリオ》として打ち出す可能性はあると思う。私は,《フォーニ・シナリオ》が異質なものであることについてはhajicさんに同調します(唯一,音の妖精の存在を“信じる”ことによって成立する分岐だから)。でもhajic仮説は,これとは別の仮定を信じることによって成り立っているものなので,これを第9シナリオの正当な解釈とするには躊躇するわけなのです。▼ 簡単に言うと,フォーニ・エンド後もアルはやっぱり死んでいました(y/n)が,hajic解釈への分岐点なわけです。[n]を選べば原典の文言通りの受け止め,[y]を選べばトルタ至上主義(笑)なhajic解釈,[y]も[n]も両方あり得るだろうとすればメタを気取る私の態度になります。」

http://d.hatena.ne.jp/hajic/20050724/p2#c

 そもそもの発端となった《第10の解釈》ことhajic説は,こちらです。

http://d.hatena.ne.jp/hajic/20050322#p2

 読み返すと,多世界解釈モデル*2の理解と当てはめがダメダメ……。

 ただ,誤解を修正しておくと,このモデルをテクストの読み方として用いる場合,世界の遠近という概念はありますし,重なり合う象限もあります。SFの「パラレル・ワールド」が語源なので並行世界という表現をしていますが,hajicさんのいう「階層的」な読みを否定しているわけではありません。ゲームの解釈において並列世界という場合,東浩紀が『動物化するポストモダン』で理論化する際の柱となった『この世の果てで恋を唄う少女YU-NO』を想起していると思うので。

 フォーニエンドと真トルタは、それらが並立しているが故に、絶対に並立不可能なのです。二つが同時に成り立つ以上、その両方は同時に否定されなければならない。

http://d.hatena.ne.jp/hajic/20050729/p1

 うん,ようやく擦り合わせが可能な程度に用語の差異が収斂してきました。

 ここで説示されていることは,ほとんどに同意するのだけれど,「両立し得ないシナリオを両方同時に否定されなければならない」という点において,私の態度と異なります。否定した結果,否定されたシナリオは消滅するのではなく,止揚(アウフヘーベン)される。私がhajic解釈を《第10のシナリオ》と言うことの意味は,テクストの中には存在しないが《読み手》の中には存在する可能性があるだろうということです。

 hajicさんのこれまでの論旨だと,アリエッタ・シナリオを否定することを強調するあまり,止揚させるという道筋が見えなかった。そこが,他の読み手に誤解を与えた原因でしょう。

 『シンフォニック=レイン』の9つのシナリオの中には「完全な結末」が存在しない。その先に《第10のシナリオ》を置くかどうかの分岐が《信じる》か否か,です。さらに,この点では《作り手=シナリオライター》も信じてはいないでしょう。このスイッチは《読み手》の中にある。これに先だってhajicさんが

機械には、「信じる」という行為はできない

と述べているのは,多分に誤読です。

 ただ,ここでまた訣別する可能性があります。私は,信じていない。もし《信じる》とするならば,という仮定の上に立っています。以前,何も起こらない《第1シナリオ》であればhajic解釈を取り入れることが可能ではないか,と述べたことがありました。あれは,私が《信じる》ことを妨げている要因――1月20日午前9時――が,《第1シナリオ》の場合には存在していないからです。

 なお,

「真トルタを真の結末だと主張しているように一般に理解されている」

という場合の「一般人」に私を含めてはいけません。私を「hajic教のガブリエル」とでも呼んでください。堕天してウリエルになるかもしれないけれど(笑)


▼ 追記(2005/08/01)

 マルチシナリオの形式において複数の分岐したシナリオをまたいで成立させているSFギミックやトリックが、小説で使用されるのとは異なる働きを持ってしまうことに起因します。

http://d.hatena.ne.jp/tdaidouji/20050720#p1(その1)

 id:tdaidoujiさんによる『ひぐらしのなく頃に』評論(未完)の導入部より。比較として『シンフォニック=レイン』を挙げている。興味深い箇所は,上記箇所に留まらない。他にも,シナリオ間の矛盾という事態に直面する

 ゲームだと思うことで、一次元の文章を多層化された厚みのある情報として捉え、ゲームが展開される空間を見出す。だからこそ、それぞれの「○○し編」が同じ時間軸に全く異なる展開が繰り広げられるのに対し、幾つかの階層化と選別によって共通要素を見出し全ての情報を重ね合わせる事に違和感を感じない。

http://d.hatena.ne.jp/tdaidouji/20050723#p1(その2)

といったあたりは示唆に富む。「○○し編」を「フォーニ編」なり「トルタ編」にでも置き換えてみれば,『シンフォニック=レイン』に対する指摘としても通用する。

 この2作品は,いずれも「従来からのノベル系美少女ゲーム」の文脈に沿うかのような素振りを見せつつ,それを誤信した読み手を(良い意味で)裏切っている。多層的・階層的な〈ハイパー・ノベル〉の物語構造と,シーケンシャルで統一的な小説の物語構造との異同を踏まえつつ,《読み手》の存在を考慮に入れて論じなければ議論は混迷しかねない。

*1:初回限定版:ASIN:B0001FG72E,DVD通常版:ASIN:B0001FG72O,CD通常版:ASIN:B0001FG724,愛蔵版:ASIN:B0009RNAT2

*2:この用語法は,量子力学的。言及先で「確率」というのが出てくるのは,「シュレディンガーの猫」に引っ張られているからだと思う。

ELEMENTCROWELEMENTCROW 2005/07/30 06:48 あー、そうか はてなで登録しないと書けないのか…。
こっちのサイトは更新してないというか、色々アレなので見ないほうがいいですよと…。

さて、本題ですが
genesisも含めてみなさんどこまで量子力学を理解していますか?1年間勉強した自分は、まだ入り口を見ているだけな状況におかれてます。リンク先のシュレイディンガーの猫とか多世界解釈と収束についてどこまで理解していますか?
ちょっとそれを知りたかったので書きました。正直言えば文章で説明できるほど量子力学は簡単じゃないと思います。もし私が説明する際に数式を持ち出した場合、どこまで理解してもらえるか心配になってきました。私は多世界論派なのですが…。

BlackPepperBlackPepper 2005/07/30 14:20 取りあえずアカウント作りました。黒胡椒です。
>量子力学は簡単じゃないと思います
その通りです。例えば多世界となると分岐時のエネルギー保存の破れをどのように説明するかが鍵になってきます。(YU-NOでは確か時空が螺旋構造になっているという解釈を用いてこの辺りに折り合いをつけていた記憶があります)。熱力学的な統計の結果としての物理量の収束、非線形方程式の初期値敏感性と鞍点、等々考慮しなければならないことが数多くあります。

あと私自身はhajicさんの、「アルはやっぱり死んでました」については反対(考えたくない……)で私がフォーニシナリオを特別視しているという意味においてはgenesisさんの立場に近いのでしょう。ただし理由付けは異なります。私が特別視する理由は「アルの事故を早い段階で外圧なしに受け入れる」という理由からです。シナリオ分岐については、収束による他ENDの消滅と考えている点が異なっています。おそらく私とgenesisさんのこの違いは、いくつものENDを俯瞰するには多世界解釈が必要とする考え方と不要とする考え方の違いによるものではないかという気がします。

genesisgenesis 2005/08/01 21:16 ご面倒をおかけしております。迷惑広告が散発的にやって来るようになってきたので,投稿制限をかけることにいたしました。どうぞご了承ください。

genesisgenesis 2005/08/01 23:30 物理学については,得意ではない――というか,苦手です。量子力学については,雑誌『ニュートン』等に載っている図を見て,ようやく「何をしようとしているのか」をわかったような気になっている程度だと思ってください(簡単にいうと,中学生程度)。▼ 立花隆は『ぼくはこんな本を読んできた』の中で,「数式というのは関係を記述しているもの」「あるファクターとあるファクターがどういう関係に立っているか,どのようなパターンの関係がそこに成立しているのかを記述しているものなんです」と述べています。例えば E=mc^2 からは,エネルギーと質量がイコールで結ばれる関係にあることを掴むことが重要なのだ,と。そういったことを気に留めつつ数式を出していただけるのでしたら,私も勉強になります。▼ もっとも,シナリオの読み方として多世界解釈というアイデアを取り入れるかどうか(あるいは取り入れない)について論ずる場合,考えるべきことは黒胡椒さんが指摘するように,「シナリオ間で矛盾する事実を,どう整合的に受け入れるのか」がポイントになるでしょうか。

Thursday, 2005/07/28

新現実 vol.2

[] 傷つける性 :: ギャルゲー的セクシャリティ  傷つける性 :: ギャルゲー的セクシャリティを含むブックマーク

 古書店に発注していた『新現実 vol.2』(ISBN:4047213926,2003年3月)が届いた。さっそく,ササキバラ・ゴウ傷つける性 団塊の世代からおたく世代へ――ギャルゲー的セクシャリティの起源』を読む。

ササキバラ論考の要旨

1. ギャルゲーと〈わたしのリアリティ〉

  • ギャルゲーとはどんなメディアか
    • ノベル系ギャルゲーは,〈ゲーム〉としてではなく,〈ハイパー・ノベル〉として理解した方が実情をつかみやすい。それは誰かをめぐる〈物語〉なのである。ゲーム性は表面的部分にはなく,根本的なところに掘り下げられている。
  • ギャルゲーのドラマ形式
    • 〈ハイパー・ノベル〉は基本的にミステリーの形式で作られている。ストーリー進行を支えるのは,〈ぼく〉のモノローグと女性キャラとの会話。女性キャラは,自身にドラマの要素(ミステリー)を抱え込んでおり,ストーリーの進行とともに明らかになっていく。
    • ミステリーの形式であるということは,受け身のドラマということ。主人公自身がドラマを引き起こすのではない。過去に起きたことや,今まさに起きつつあることを,閉じた空間の中で体験していく。
    • ミステリーはコンピューターゲームになじみやすい(原理的に主人公とプレイヤーの同一化を指向しやすい)。ゲームでは,主人公は無色透明(からっぽ)な存在の方が都合が良い。これが,〈第三者的〉に眺めているだけでいいメディアと,〈当事者的〉に進行しなければならないメディアの差異である。
  • ギャルゲーの絞り込まれたゲーム性
    • プレイヤーに〈当事者性〉を発生させる装置として選択肢が存在する。プレイヤーの想像力に訴えかけるシンプルな創作手法は『弟切草』に始まり,『雫−しずく−』『To Heart』で練り上げられていった。
  • 選択するということの意味
    • シンプルなシステムが,最後に残した唯一のゲーム性が選択肢である。これは,シナリオの分岐という単純な役割ではなく,キャラクターに対する自分の態度を選択している(ここで,具体例としてアージュ君が望む永遠』を引用)。
    • ギャルゲーは,プレイヤーに主体性を要求する。私は,責任ある〈わたし〉として自己決定を行い,自分で選んだ〈誰か〉に対する誠実さを実行する。このとき,キャラクターが生き始める。ここに,主体的な〈わたし〉を体験させてくれる,責任という娯楽がある。ギャルゲーの癒しとは,恋愛というドラマを通じて〈バーチャル主体性〉を獲得させることでもたらされる癒しなのである。
    • 主体性の結果として痛みがある(例として,Key『Kanon』を挙げる)。
  • わたしのリアリティ
    • わたしがわたしとしてのリアリティを獲得するためには,あなたという存在が必要である。その手段として恋愛がある。恋愛は目的ではない(新海誠ほしのこえ』にも共通することを指摘)。

2. 傷つける性

  • エロゲーと内面性
    • もともとエロゲーは,女の子を性愛的に征服して充足を得ることを目的としていた。しかし〈ハイパー・ノベル〉では,女の子の内面を探り当て,それを受け止めるという形で物語が進む。それは女の子の側から見ると〈彼に私の内面をわかってもらう〉という形になる。これは,1970年代の少女まんが(おとめちっくまんが)に存在した,リリカルでロマンチックな物語だ*1。ギャルゲーは,女の子の内面を描こうとして,すでに80年代で死滅してしまった古典的な少女まんがから,そのモチーフを得ているように思われる。
    • 女性に対してピュアな恋愛感情という回路でコミュニケートしているとき,愚劣な欲情の出現はコミュニケートを阻害し,男に葛藤を生じさせる。
  • 攻略可能であるということ
    • プレイヤーである私の主体性と思われたものは,実は作り手との共犯性である。さらに,彼女たちが〈攻略可能キャラ〉であるという〈水面下のお約束〉を暗黙の了解とする共犯性もある。ギャルゲーは,女性の内面を描きながら,同時に性愛的な欲望充足の対象として女性を見つめるメディアである。
  • 傷つけうるということ
    • 女の子キャラが〈内面〉を持ち,男がその〈内面〉の存在に気づいたとき,自分の欲を発動させると〈ぼくの好きな女の子〉はそのせいで傷つく。男という性は〈傷つける性〉なのである。
    • 女の子の内面に〈可傷性〉を見出し,自分の暴力性に気づいた男の子は,もはや,無邪気にその子をくどくことはできない。〈傷つける性〉としての自覚は,男の子に性的な抑圧として作用し,葛藤を生む。
    • もっと根本的なところで,受け身の構造がある。女の子の内面に気づかされてしまうという形で,自らの〈傷つける性〉を自覚し,その結果として自分の行動が規定されるからである(根本的な受動性=遅延)。

3. 村上春樹と彼女たち

  • 内面性をもった女の子とつきあう方法
    • 女の〈内面〉という存在を意識し,彼女たちが〈第二の性〉であることに気づいた男は,自分が〈第一の性〉であることに気づかされると同時に,〈気づかされる〉という受動性において〈第三の性〉となる。男は,〈第二の性〉の影響を受けて行動を規定されるという意味で,〈第二〉の後に従う〈第三の性〉となる。
    • それは,その男が〈第一の性〉から〈第三の性〉へと移行したという意味ではない。〈第一の性〉であるというそのことにおいて,〈第三の性〉が自覚されているのだ。〈一〉と〈三〉のふたつの間で身を引き裂かれて,ポスト少女まんが時代の男の葛藤ははじまる。
    • 〈少女まんがをよんでしまった男の子〉が〈内面性をもった女の子とつきあう方法〉の答は,乙女ちっく少女まんがの中にある。男の子がすべきことは,彼女の内面をきちんと〈理解してあげる〉ことのできる自分になることである。その結果,男の子の挙動は,自分の気持ちを基準に行動する〈能動性〉ではなく,相手の気持ちを汲み取って行動する〈受動性〉へと変化する。
  • 村上春樹羊をめぐる冒険
  • 村上春樹風の歌を聴け
  • 村上春樹1973年のピンボール

4. 恋愛という物語をめぐって

  • 伊藤重夫 「踊るミシン」の方法
  • 自分が存在することが,誰かを抑圧する
  • 抱ける男と抱けない男
  • 伊藤重夫と村上春樹

5. 美少女の出現

  • 美少女という概念はいつ生まれたか
  • おたくという言葉について
  • 美少女はなぜ無敵か
    • 男の子は,女の子の中に内面という〈可傷性〉を発見する。男の子は,女の子の内面を壊してしまうことをおそれ,手出しできない。それゆえに,男の子は先回りして敗北する。
    • 〈美少女〉という概念は,男の子が女の子に敵わないことを思い知り,それをマゾヒズム的に自覚することで70年代に作り出した偶像である。
  • 吾妻ひでおが消し去ったもの

6. おたくと戦後民主主義

  • 自らの暴力性を自覚するがゆえに,その発動を〈一方的に〉抑制しようとする姿勢
  • 〈第一の性〉と〈第三の性〉の間で引き裂かれている男性の自己矛盾は,放棄しようとした暴力の預託先が存在しないことに原因がある

7. おわりに

  • ダッチワイフの〈彼女〉が〈私を受け入れる可能性〉としてそこにあり,所有することに萌え,癒される
  • 傷つく内面を持つメイドロボット=決定的な〈美少女〉。傷つくロボットは萌えキャラとして完成し,〈彼女〉の前でユーザーは決定的に〈受け身〉になる(ギャルゲー的な欲望が夢見る先にある,未来のひとつの姿)。
  • おたく的な欲望の果てにあるものは,内面的に傷つくロボット=鉄腕アトムとして,古典的な手塚治虫のイメージの内に既にある

後続書との異同

 内容の骨格は,翌2004年に刊行された新書『〈美少女〉の現代史――「萌え」とキャラクター』(ISBN:4061497189)と同じ。だが,新書では1980年代に焦点をあてて書かれており,アニメ・コミックに重心がある(本稿の第5章で扱った部分をていねいに論じている)ので,おたく第一世代(昭和30年代生まれ)が自然と検討対象となる。ササキバラは1961(昭和36年)生まれなので,著者自身の意識として語ることができる。

 新書を読んだ際に残しておいたメモには,「第4章(美少女という問題)は精彩を欠く。本書の枠組みで1990年代以降を語れるのだろうか?」と書き残してあった。実のところ,こうした疑問は先に著されていた本稿が説示しているので,見当違いであったようだ。副題にあるように,おたくのセクシャリティ特性を美少女ゲームから解き明かそうというもの。そこでは,性の揺籃期から既にノベル系キャルゲーが身近にあったおたく第三世代(昭和50年代生まれ)が念頭に置かれることになるだろう。

傷つける性〉になる者,なれない者

 そこで新たに生じた私の疑問は,連環が途切れていることである。本稿で取り上げられている作品名を見ると,おたく第二世代(昭和40年代生まれ)が中高生だった頃に影響を与えたものが脱落していることが見て取れる*2。かくいう私自身がこの層に当てはまるだけに,見捨てられたような気がしてならない*3。と,ひがんでおく。

 本稿では『雫−しずく−』(1996年,Leaf)以降の〈ハイパー・ノベル〉を検討対象としているため,それ以前にあった美少女ゲームの系譜は触れられていない。加えて,取り上げている作品数が少なく,偏りがある。これはササキバラ論考の弱点と言っていいだろう。

 elf(エルフ)が登場するのは『Refrain Blue(リフレインブルー)』(1999年,ASIN:B00008HXDJ)のみ。もし,女性を征服するマッチョな男性(すなわち〈傷つける性〉が分化する前の原初状態)の例として「同級生」(1992年,ASIN:B00008HXDK)や「同級生2」(1995年)を,作り手とプレイヤーの共犯性を露わに示したものとして『臭作』(1998年,ASIN:B000065D5U)を挙げていたら,セクシャリティをゲームというシステム内部の系譜としても的確に議論できたように思う。

 明朗快活なナンパゲームに由来する蛭田キャラはそのゲーム性、つまりシステムの要求する能動性ゆえにあきれるばかりにスケベで不遜な、無敵の男として描かれた。……私たちは蛭田キャラの性格設定をハードボイルドヒーロー以後の可能性を示す大変魅力的な要素を備えているとみなすことができるが、他方あまりに男根主義的な価値観の持ち主として(中略)容易に否定することができるだろう。

相沢恵(=佐藤心) 「『同級生3』はなぜつくられないのか」『永遠の少女システム解剖序論』所収)より引用

 AliceSoftアリスソフト)に至っては,登場すらしていないのが痛ましい。こちらから例を挙げるとなると,『アトラク=ナクア(ATLACH=NACHA)』(1997年,ASIN:B00008HUMF)が思い浮かぶ。女性を主人公とした珍しい〈ハイパー・ノベル〉であり,〈傷つける性〉たるプレイヤーの加担を考えるうえで参考になっただろうと思われるところ。ランスシリーズが『Rance4 教団の遺産』(1993年)を最後に長らく足踏みをしていたのも,前掲の『同級生3』問題と同じものに起因すると考えれば,〈傷つける性〉という自覚が生まれてきた時期がいつなのかを探ることも出来よう。

 1989年に刊行された別冊宝島104号『おたくの本』には,「おたくという第三の性」という表題の章がある。この時点では未だ〈第三の性〉については理論化されていないが,土本亜理子『ロリコン,二次コン,人形愛――架空の美少女に託された共同幻想!』には,早くも「性関係の当事者になることより傍観者であることを選ぶ」という指摘が登場している。また上野千鶴子のインタビューでは「こういう男の子たちって,男であることに深く傷ついているんじゃないかな」という発言がある。そこからすると,〈第三の性〉の発見は思いのほか早いようだ。

 ゲームの系譜だけに着目するにしても,恋愛というドラマに関して『ときめきメモリアル』(1994年)からの示唆も織り込んでおく必要がある。

やはり1995年には何かがあったんだろうな……。

http://d.hatena.ne.jp/otokinoki/20050123/p1

 ここまで書き連ねてきて思ったのだけれど,ササキバラの示した方向性(総論)を基にしてミッシング・リンク(各論)を埋めていくのは,おたく第二世代に任された役割,なのでしょうね。たぶん。

 ササキバラ論考がストレートに当てはまるよう,節目となる1995年を15歳で迎えるには,昭和55年より後の生まれでなくてはならない。それより前に生まれてしまった(思春期を過ぎてしまった)世代は,自己のセクシャリティの起源を別なところに求めなくてはなるまい*4

傷つける性〉の居場所

 話を本題に戻しましょう。

 〈傷つける性〉という概念は大変に魅力的です。それがノベル系ギャルゲーを規律していることは,ササキバラの指摘する通りでしょう。けれど,それが物語空間を離れたとき,現実世界での行動までをも規定しているものなのかについてを語るには,私の経験値が足りない。そこで,代わりに2人の有識者の言説を引く。

 あび子あび夫先生が、昔とてもいいことを言っていた。

 「オタクは女の子にやさしいんじゃなくて、やさしくすることしか方法を知らないから、やさしくすることしかできないんですよ…」

http://d.hatena.ne.jp/kanose/20050727/cherryknights

 加野瀬未友氏から。なんか,ササキバラが〈少女まんがをよんでしまった男の子〉が〈内面性をもった女の子とつきあう方法〉として示す「粗暴さ(攻撃性)を捨てて優しくなること」の模範解答のようで,泣けてくるほど。

 オタクという人種は「肉体性」を抜きにして自分の精神活動を捉えがちなので、もっとフェチやSMについて一定の理解を持っておいた方がいいと思います。

 例えば「傷付ける性」だとか、そういったオタク用語を使わなくてもオタクの萌えについて考えることはできる筈でしょう。

http://d.hatena.ne.jp/izumino/20050727#p1

 こちらは,いずみの氏からの興味深い指摘*5。ササキバラは「〈美少女〉という概念は,男の子が女の子に敵わないことを思い知り,それをマゾヒズム的に自覚することで70年代に作り出した偶像だ」という。ここで両者は内容的に接近する。ただ,その発端は男という肉体を忌避することにあるので,鶏が先か卵が先か……。

http://d.hatena.ne.jp/kanose/20050716/otakunohon (関連資料の一覧)


▼ 追記

*1:ここで,先日来取り組んでいる更科修一郎論考の再評価という作業と連結する。2000年の時点で更科は,「美少女ゲームはポルノグラフィの枠組みから発生したものだが、その論理基盤は[男と女]というセクシャリティを巡るものではなく、[自分と他人]という基準で駆動している傾向がある」ことを説いている。『そして、ひとりぼっちのふたりが残った』を参照。

*2:おたくの世代分類には,岡田斗司夫が『オタク学入門』(ISBN:4872332792)で提示した昭和式類型に従った。岡田は,それぞれを[特撮世代]→[アニメ世代]→[アニメキャラ・ガレージキット・ゲーム・声優世代]と評している。

*3:ここで困るのは,1971(昭和46)年生まれの東浩紀森川嘉一郎の存在。躊躇することなく萌えられる彼らのメンタリティは,第三世代のそれである。私(1972年生)のように,萌えを学ぶことによって身につけたオールドタイプな第二世代からすると,東や森川は突然変異のニュータイプに見える。

*4:私個人の問題としてならば心当たりがあるのですけれどね。高校1年生の時に出会ったアニメ『ガルフォース』の影響力は大きかったと思う。どのくらいかというと,しまんだきよの?さん(1972年生まれ)が主宰していたファンクラブに加盟していたくらい(笑) とはいえ,OAV『エターナル・ストーリー』(ASIN:B00005HUZ2)よりもゲーム『創世の序曲』の方に先に触れていたというのは,おたく第2.7世代らしいエピソードだと思う。

*5:いずみの氏は,論者として永山薫の名を挙げている。代表的な文献としては「セクシュアリテクィの変容」『網状言論F改』(ISBN:4791760093,2003年)がある。ここで「女の子になりたい」男の子という指摘があるのだが,これは森岡正博が『感じない男』(ISBN:4480062211,2005年)において述べていることと面白いまでに合致する。その紹介は id:chunyan:20050721:1121928220 に譲る。

hajichajic 2005/07/29 14:26 傷つけるもの=性愛としての男女関係は結局のところ暴力であり、そこにのみ意味を持つ18禁ゲームがどんどんアブノーマル化・サディズム化していった(あるいは行くしかない)のは必然なのかもしれません。恋愛関係の帰結として現れる、「見えるもの」としての肉体関係だけではなく、「見えないもの」が何であるかを探り、描くことこそが、際限なく加虐に走る今日の美少女ゲーム(それが男性の欲求のためにあるものだとして)に求められているような気がします。そしてきっと、今日の日本社会においても。

chunyanchunyan 2005/08/02 11:41 こんにちは。「アトラク=ナクア」は同時に「三人称」で書かれていたことも、珍しい〈ハイパー・ノベル〉でしたね。プレイヤーを傍観者に位置させ、同時に選択肢でキャラクターに対する処遇に対して加担を求め、責任を負わせる点でも、ご指摘されているようにプレイヤーの加担を考えるうえで非常に参考になったと思います。

o-tsukao-tsuka 2005/08/04 02:11 沼崎一郎が「<孕ませる性>の自己責任ーー中絶・避妊から問う男の性倫理」という論考を『インパクション』一〇五号(1997)に載せ、それに対して森岡正博が論考を深めたような経緯があります。わたしはクィアスタディーズの立場から沼崎に反対ですが、御参考までに

Wednesday, 2005/07/27

ボイズンガルズ

[] BOYS n’ GIRLS  BOYS n’ GIRLSを含むブックマーク

 小菅勇太郎『ボイズンガルズ』(ISBN:4758002614)。昨年12月19日に逝去した著者の遺作集。

 小菅の作品には,女のコの泣き顔が付きものでした。そして,女のコが泣き出してしまうような場面を描かせたら,右に出る者はいませんでした。それは《陵辱》という道筋で導かれることも多かったのですが,決して加虐趣味を煽るためのものではなく,女のコの内面性を描こうとした帰結としての涙。

 初単行本『きれいな恋をしよう』に収められている“OVERLAP”では,双子の姉妹と主人公の3人による恋物語が展開される。高い叙情性から,私はこれを氏の代表作として推したい。

▼ “OVERLAP”より楠瀬美由紀(と思わせて,実は姉の美姫) *1

f:id:genesis:20050727235522p:image

この短編をきっかけに,以来ずっと小菅の作品を追いかけてきた。愛おしさと切なさを含んだ物語は,細い線を重ね合わせることで醸し出される潤んだ瞳によって,きらめいたものに仕上がっていた。私はいつも,彼女たちの泣き顔に見とれていた。女のコの泣き顔には,劣情を催す何かが含まれている。

 おそらく今回で,小菅の作品を手にする楽しみの最後となる。

 表題作『BOYS n’ GIRLS』は未完。中盤の山場(第7話)で絶筆となっているのが悔やまれるが,後期の小菅が繰り出していたコミカルなノリは存分に発揮されている。他に初期の短編5本を収録しているが,これらのいずれにしても小菅ならではの味わいがある。

 評論家めいて主観を排して言えば,長編では中盤あたりで物語の主題がぼやけてしまうという弱点はありました。マンガ史を転換させるような目立った業績を残せなかったので,歴史の中に名前が残ることはないでしょう。でも……

 小菅勇太郎さん,あなたの作品が大好きでした。ありがとう,そして,さようなら。

*1:旧版:ISBN:4883860515,新装版:ISBN:4886538185

tanizakuratanizakura 2005/07/28 00:43 あぁ、こういう本が出ていたんですね。アンテナ低くなったなぁ。アマゾンに発注しないと。

genesisgenesis 2005/07/28 01:16 当初の発売予定は6月であったのが延期になったせいで,情報がうまく流れていないみたいですね。

tanizakuratanizakura 2005/07/29 00:13 “OVERLAP”は初めて読んだ作品で一番好きな作品です。
これを読んだときはほのぼのとした作品を書く人だなぁって思ってましたが、それは一面的なものだと後でわかりました。
あらためて小菅さんのご冥福をお祈りします。

Saturday, 2005/07/23

[] 大学院はてな :: 営業譲渡と労働力の承継  大学院はてな :: 営業譲渡と労働力の承継を含むブックマーク

 労働法の研究会にて,東京日新学園事件(さいたま地判・平成16年12月22日・労働判例888号13頁)の検討。

 とてつもなく重要な判例。「この判旨には,深遠な宇宙を感じるよ」という発言が出たほど。

 どういう事案かというと,専門学校Aが経営破綻して解散し,学校経営事業を新法人Bが引き継ぐことになった。Aは,従業員Xらを全員解雇。Bは,旧法人Aの教職員265名中,採用を希望する183名の中から154名を採用。ここで採用されなかったXらが,雇用確認存在確認と不当労働行為に基づく損害賠償を請求した事案*1

 さいたま地裁は,労働者側の全面勝訴とした。

 この事件のどこが画期的なのか。それは,新法人の採用の自由を認めつつ,次のように説くところにある。

 「Bによる教職員の採用は,真正な新規採用とは到底評価することができず,Aと教職員との雇用関係を,賃金等の雇用契約の内容を承継しつつ,事業と有機的一体をなすものとして承継したに等しいものであると解するのが相当である。」

 「事業の全部譲渡に伴い,雇用関係が一体として承継されていると評価できる場合には,事業に現に従事する労働者が事業の譲受人に採用されないということは,事業に従事する当該労働者にとっては,実質的に解雇と同視すべきことであり(中略),事業譲受人の採用の自由を理由に,事業譲渡の当事者間〔新法人B‐旧法人A〕の合意のみ,あるいは譲受人〔新法人B〕の意思のみによって,いかようにもその処遇が決められること,すなわち 事業の譲受人による 事業に従事する労働者に対する労働者に対する完全に自由な採否 を容認するのは(中略)労働者保護に欠けると言わざるを得ない。」

 「労働力と一体として行われたと認められる事業全部の譲渡において,事業の譲受人〔B〕が,当該事業譲渡時点において譲渡人〔A〕と雇用関係にあり,かつ,譲受人との雇用関係のもとに引き続き当該事業に労働力を提供することを希望する労働者〔X〕を,当該事業における労働力から排除しようとする場合には,
解雇権濫用法理に準じ,当該排除行為が新規採用における採用拒否,あるいは雇用契約承継における承継拒否等,いかなる法形式でされたかを問わず,それについて客観的に合理的な理由を要し,
かかる理由のない場合には,解雇が無効である場合と同様,当該労働者〔X〕と事業譲受人〔B〕との間に,労働力承継の実態に照らし合理的と認められる内容の雇用契約が締結されたのと同様の法律関係が生じるものと解するのが相当である(これに反する当事者間の合意は,その限りで効果を制限される。船員法43条参照。)。」

〔 〕内は筆者による

 上級審での行方が気になるところ。

 本件のような事業譲渡パターンの事案について理解するためには,以下の論文が参考になる。

  • 野田進「企業組織の再編・変容と労働契約――営業譲渡に伴う採用拒否問題を中心に」『季刊労働法』206号(2004年秋号)52頁
  • 本久洋一「営業譲渡に際しての労働条件の不利益変更について」『季刊労働法』210号(2005年秋号)掲載予定

*1:正しくは,新法人が雇用関係の「不存在」を確認する請求をし(本訴),労働者らが反訴を提起したもの。

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Friday, 2005/07/22

たそがれ時に見つけたもの

[] 『りぼん』のふろくと乙女ちっくの時代  『りぼん』のふろくと乙女ちっくの時代を含むブックマーク

 先日,とある評論を読んで大いに刺激を受けた。更科修一郎id:cuteplus)が著した《萌え》を巡っての論考である。そこでは美少女ゲームという表現が,1970年代末期に成立した乙女ちっく少女まんがに依っていることを指摘している。

 かねてから私は,乙女ちっく少女まんがとギャルゲーのドラマツルギーとが連結した構造を持つことを説明できないかと考えていただけに,これを明確に説く更科に我が意を得た思いである。

 1970年代の末期、主に少女まんがの表現として完成された、乙女ちっくな少女趣味=少女幻想は、当時の少女たちが、性的な自己主張を抑圧されていたが故に発展した特殊な表現だったのだけども、1980年代に入り、「少女」というイメージがメディアに曝され、世の男性たちにポルノグラフィな記号として消費されていった結果、少女たちはそのイメージを逆手に取り、欲望を直接的に表現する強さを身につけていく。

 そして、90年代に突入すると、不可視のポルノグラフィとしての少女幻想は、自己表現の媒介として必要とされなくなっていった。結局、少女幻想という概念を、当の少女たちは80年代に置いてきてしまったのだ。

 しかし、少女まんがというフィールドに居場所を失ったはずの少女幻想は、男性向けのポルノメディア、特に、おたく男子の愛玩物として、美少女まんがや美少女ゲームという場所で、生き延びることになってしまった。

「システム化された幻想に対する違和感と、誰かを思い出せない理由。」より引用

 30代後半の友人にA I Rを説明した時、「『綿の国星』と『ポーの一族』を足して、乙女ちっく系を加えて煮詰めた感じの作品」と言ったら、妙に納得されてしまって、逆に困ったことがある。

「2001=1978」より引用 *1

 評論家としての更科修一郎は,もっと注目されてしかるべきだと思う。そんなこともあって,思想的背景を確認すべく関連しそうな文献を取り寄せてみた。最初に届いたのが,今回取り上げる大塚英志たそがれ時に見つけたもの――『りぼん』のふろくとその時代』*2

 大塚の切り口は,彼の十八番である「少女民俗学+消費社会論」。それを,これまた大塚が得意とする,大きな仮説を小さな事象の積み重ねで明らかにしていく手法で解き明かしていく。仮説とは,1974年から83年まで時期に『りぼん』のふろくにおいて起こった動きが,1980年代に花開く消費社会の前史(=始まりの風景)である,というもの。書名の「たそがれ時」とは,〈モノ〉に価値があった高度経済成長期が終わりを迎え,〈少女〉が〈記号〉を〈消費〉する社会へとパラダイムシフトしていく情勢を指している。さすがにわかりにくいと大塚は考えたのか,文庫化に当たっては主題と副題を入れ替えて「『りぼん』のふろくと乙女ちっくの時代――たそがれ時にみつけたもの」に改題されている*3

 具体的に言及される作家は,陸奥A子田淵由美子太刀掛秀子,篠崎まこと?らである。密接な関係にあるものとして,『アンアン』創刊(1970年),サーティワンのアイスクリーム(1974年),それにサンリオ*4といった社会状況を挙げるあたりが大塚ならでは。これらはいずれも《かわいい》あるいは《ファンシー》というキーワードで接続される。

http://www.tinami.com/x/girlscomic/tachikake-hideko/page1.html (TINAMIX「青少年のための少女マンガ入門」)

 この〈乙女ちっく〉路線は1982年に創刊された『オリーブ』に継承され,消費社会のイニシアティブは移っていく。そして『りぼん』は幼年向け少女誌に戻った,というのが大塚英志の史観である。

 マンガ評論*5では,1970〜80年代の少女まんがについて顧みられることは驚くほど少ない。それを大塚は,24年組が「革命」的に「文学性」を志向していたのに対し,「保守反動」として「わかりやすいエンターテイメント」たる〈乙女ちっく〉少女まんががあったことに由来するものではないか(それ故に評論家から軽んじられたのではないか)と考察している。少女まんが論を説くうえで,重要な文献といえよう。

*1:念のため補足しておくと,後者(1978)は「乙女ちっく少女まんが」が隆盛を極めた時期の表象であり,前者(2001)はこの論考が世に出された年である。

*2:1991年,太田出版,ISBN:4872330218

*3:1995年,ちくま文庫,ISBN:4480030174

*4:1973年に社名改称,1974年にハローキティを開発している。

*5大塚英志に依拠する場合には「まんが」「おたく」と表記するのが作法(というか義務)。ここではあえて「マンガ」としている。

Tuesday, 2005/07/19

マンガ学への挑戦

[] マンガ学への挑戦  マンガ学への挑戦を含むブックマーク

 夏目房之介(なつめ・ふさのすけ)『マンガ学への挑戦――進化する批評地図』(ISBN:4757140843)読了。

 著者は「BSマンガ夜話」への出演などで知られるマンガコラムニスト。夏目氏の著作を何冊か買い込んできて,まず最新のものから読んでみたのだけれど,どうも読む順番を間違えたようだ。マンガ批評の基礎を固めていない私が読むには早すぎたように思う。

 この本は,言ってみれば《学界回顧》なのです。

 学問の世界だと,だいたい年に1回,実力のある人によって学界回顧というものがまとめられる。これにより最近は誰がどのような論文を発表し,それによって何が解明されたかを確認する。こうした営みによって,我々は何が未だ分かっていないのかを確かめ合う。門外漢が読んでも価値はないが,その意味を知る人には重要なもの。

 本書によって,マンガ批評の到達点(=限界点)が見える。著者は「マンガは誰のものか?」と問いかけることによって,マンガ批評のあり方を問おうとしている*1。このような広範な問題提起は,本来であれば日本マンガ学会あたりが掬い上げていくべきことなのだろうけれど。

http://www.ringolab.com/note/natsume2/archives/002438.html宮本大人氏による指摘の紹介*2

http://www.ringolab.com/note/natsume2/archives/003334.html (砂澤雄一氏による指摘の紹介)

 夏目房之介は,自分自身が営んできた批評活動を地図として書き残した。それが本書である。著者自らが言うように「ボロボロの地図」なのだが,むしろマンガ批評にはあちこちに手つかずの場所があることを伝えたことに意味がある。もっとも最初に述べたように,「メタのメタ」の位置にある著作であるから個別の作品論・作家論には投影しがたい内容であり,あまり一般向けではないことには留意しておくべきだろう。

*1:私見だが,この問いかけには危うさを感じた。著者個人の態度に留まるうちには差し支えないのだが……。学問としてのマンガ批評は,論者によって視点が異なる構造である方が好ましい。現状は,複眼的にマンガ批評を展開するに足るだけの人材が揃っていないという危機意識の現れなのだと,私は理解した。途中,著作権について英米型と欧州大陸型の単純な二類型による整理が行われているが(第8章),ここから導かれる帰結はかなり粗雑な議論になっている。まずは日本の国内法の問題として考えるべきだろう。『キャンディ・キャンディ』裁判を巡り,法律学の見地から様々な検討がなされていることは,当所の2005年3月16日付け記事で紹介している通りである。夏目氏の見方が乱暴であることは,マンガ批評に携わる内部の人材によって批判されることを期待したい。念のため申し添えておくと,このような視座を提供する夏目氏には敬意を表する。

*2:より詳しくは,http://ya53.jugem.jp/?eid=1

Sunday, 2005/07/17

現代マンガの全体像

[] 呉智英 『現代マンガの全体像』  呉智英 『現代マンガの全体像』を含むブックマーク

 呉智英(くれ・ともふさ)『現代マンガの全体像』(ISBN:4575710903)読了。

 著者は1946年生まれの評論家で,2005年4月には日本マンガ学会の会長に選出されている。

 本書は1986(昭和61)年に上梓されたもの*1。20年近く前に書かれたものであることが意義深い。本書によって本格的なマンガ評論の幕が開けたと言っても良い。マンガを論ずるにあたって参照しておくべき基本書の一つである。労作。

 しかしながら――いかんせん古い。

 第一部では先行する4人の論者をメッタ斬りにしているが,お世辞にも品があるとは言えない。なんというか,全共闘世代による人格攻撃アジテーションなんですよね。当時ならば必要だったのかもしれないけれど,今読むとアナクロ石子順に至っては,断罪されるべき最初の理由が「石子順造と酷似しているから」なのですが,それは批判になってない。著作の内容を検討して,評価すべきものでしょう。私は,[keyword:石子順]を作成するため大学の図書館にあった著作に目を通したのですが――黙殺される理由は良くわかりました。今となっては,それで足りるのでは?

http://www1.odn.ne.jp/kamiya-ta/kokorowosodateru-manga.html紙屋研究所

http://d.hatena.ne.jp/goito-mineral/20050715#p1伊藤剛氏)

気になるのは,ここでの議論の行方。紙屋研究所は「石子順的なるもの」として人的属性を排し,リスト化することについての議論へと純化していこうと試みている。それに対するトカトントニズムからの応答はこれから,というところ(上掲の文では正面から応じていない)。この《選ばれるべきものは何か》という問題提示は,本年の手塚治虫文化賞に際しての疑義*2と共通するもののように思います。この場合,選考委員であった呉智英は攻撃される立場に回るのですけれど。

 第二部では,1945年から86年までを5つに区分して時代状況を論じる。図らずも「手塚治虫の生きた時代」で終わってしまっているので,中野晴行マンガ産業論』等でその後の状況を追いかける必要があるだろう。気になるのは,少女マンガへの目配りが殆どなされていないこと。24年組への言及が僅かにあるだけなのである。本書から「乙女ちっく少女まんが」と,それに続く《内面性》を巡っての取り組み(1980年代)という波を掴むのは難しい*3

http://www.cuteplus.flop.jp/ncp/cpg16.html更科修一郎

 第三部は,20の作家論・作品論。マンガ評論の様式(フォーマット)を提示する。これは今読んでも,否,今読むからこそ面白い。

*1:なお,文庫化に際して追補が行われているが,大幅な変更はない。

*2http://d.hatena.ne.jp/./goito-mineral/20050608#p1

*3大塚英志教養としての〈まんが・アニメ〉』(ISBN:4061495534)第3章および第5章を参照。

Saturday, 2005/07/16

[] 大学院はてな :: 近親婚と遺族厚生年金  大学院はてな :: 近親婚と遺族厚生年金を含むブックマーク

 社会保障法の研究会にて,遺族厚生年金不支給処分取消請求事件の検討。 

 原告Xは,茨城県の農村地帯に居住する女性。叔父Aとの内縁関係が42年間継続していた。Aの死後,Xが遺族厚生年金を受給しようとしたところ,民法734条の禁止する近親婚であることを理由に,社会保険庁(被告)によって不支給とされた(厚生年金保険法59条にいう遺族に該当しないため)。本件は,その取消訴訟。なお,Yの昭和55年通達「事実婚関係の認定について」*1では,民法734条に違反するような内縁関係にある者については,これを事実婚関係にある者と認定しないとしている。

 第一審*2は,不支給処分を取り消した。

 この種の事案のリーディング・ケースとしては,1985年最判(最高裁第一小法廷判決・昭和60年2月14日・訟務月報31巻9号2204頁)がある。こちらは,養親子関係(養子‐継母で,血縁関係はない直系姻族)にある者の内縁関係が,厚生年金保険法3条2項にいう事実婚にあたるかどうかが争われていた。反倫理的な内縁関係にある者を包含しないのが相当であるとして,これを認めていない。

 それが本件第一審では,どうして請求が認められたのか。まず裁判所は,厚生年金制度(生計の維持)と民法(婚姻秩序の維持)では目的を異にするものであって,民法734条をそのまま適用すべき論理的必然性な無いと一般論を説く。そして,諸般の事情を総合考慮して「年金的保護の対象となり得るものであるかどうかを判断する必要がある」とした(昭和60年最判は本件事案を規定するものではない,と斥けている)。具体的には,以下のような事情を考慮する。

  • 叔父‐姪の内縁関係は,近親婚関係の中では最も親等が離れた関係である*3
  • 両者の婚姻は,Xの祖父が決定し,親族の賛同に基づくものである*4
  • 42年間に渡って地域社会に受け入れられてきた

 それが控訴審*5では覆り,社会保険庁の不支給決定を支持している。共同通信が伝えたところによれば,「民法が禁止する3親等内の近親婚は法秩序を害する」とした上で、女性と叔父との関係について「遺族厚生年金制度が定めた公的保護にふさわしい内縁関係とはいえない」と判示したようである。

 議論したところでは,控訴審の判断が妥当であろうというところに落ち着いた。その理由は,第一審のように一般論において「婚姻秩序の維持」を除外するのは無理がある,というもの。それが地域社会では許容されるものであっても,法として容認するわけにはいかない*6。本件のような事案を救済しようとするならば,「特段の事情」にあたるものとして,国家賠償請求や不当利得返還請求によって解決を図るべきであろう,と。

 この議論の延長線上には,同性婚関係にある者の遺族厚生年金という問題も浮上してくる。いろいろと考えさせられる素材である。


▼ 追補

 控訴審判決の原文を入手して読んでみたところ,新聞記事を読んで考えた上記の意見とは反対の結論に至りました。

*1:昭和55年5月16日・庁保発第15号・社会保険庁年金保険部長から都道府県知事あて通知

*2:東京地裁判決・平成16年6月22日・判例時報1864号92頁。本件については,二宮周平教授による判例評釈がある(判例タイムズ1173号)。

*3:筆者補足。「アメリカ26州・フランス・ドイツ・ソヴィエト(現ロシア)・中国においては,直系姻族間の婚姻禁止規定は削除または改正」されている(前掲・訴月解説)。また,傍系3親等の血族間での婚姻もドイツ婚姻法(4条)やスイス民法(95条)では認められている(判時1882号)

*4:筆者補足。当該関係については,昭和35年当時の町長が「結婚証明書」という謎の文書を発行している。

*5:東京高裁判決・平成17年5月31日・判例集未登載

*6:農村では近親婚が認められるとすると,都市部在住者との間で法の下の平等に反する事態を招く。

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Friday, 2005/07/15

バレンシア

[] Hatena::Map  Hatena::Mapを含むブックマーク

 このたび搭載された新機能『はてなマップ』は,面白くて困ります(時間リソースを大量に消費する)。新しい記法も追加されて,使い道も広がったし。例えば,バレンシア留学中に住んでいたアパートも

map:x-0.3691y39.4871

で示すことができる。

 スペインやイタリアについては空白域になっていたので,少しずつ位置情報を書き入れて楽しんでいます。

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Thursday, 2005/07/14

ローマ人の物語〔3〕

[] 勝者の混迷  勝者の混迷を含むブックマーク

 学会誌への投稿原稿に目処が付いたので,塩野七生ローマ人の物語――勝者の混迷』を読み始める。

ローマ人の物語 (6) ― 勝者の混迷(上) (新潮文庫) ローマ人の物語 (7) ― 勝者の混迷(下) (新潮文庫)

 扱っているのはグラックス兄弟の時代(BC133〜),マリウスとスッラの時代(BC120〜),ポンペイウスの時代(BC78〜)。建国から600年ほど経過したローマは覇権を手にしていたものの,社会システムが耐用年数を過ぎ,共和制に「ほころび」が生じていた――というあたり。

 最近,労働を支える基層*1のことをずっと考えていた。現在の日本だと,器を移し替えて守るべき《葡萄酒》は何なのか。《古い革袋》をいったいどう扱えばいいのか。

 歴史を眺める目で,もういちど考え直してみよう。

*1:日本的雇用慣行,正社員と基幹的業務,最低賃金,労働組合,解雇制限などなど。

Saturday, 2005/07/09

[] 大学院はてな :: 私傷病休職  大学院はてな :: 私傷病休職を含むブックマーク

 研究会にて,横浜市学校保健会(歯科衛生士解雇)事件の検討――というか,私が研究報告。

 原告は,市立の小学校を巡回して歯科巡回指導を行っていた労働者。頸椎症性脊髄症で休職し療養していたが,休職期間を満了した時点で(a)左上肢を一時的に上げることはできるものの,左上肢を上げたままの姿勢を長く保持することが困難であるばかりか,左上肢を上げ下げする動作を繰り返していると左手に震え等の不随意運動が生じてしまう状態にあり,(b)補助具を用いても自力で立つことができず,常時車いすを使用する必要のある状態であった。そこで心身の故障を理由に解雇された事案。なお,診断書では「移動,通勤に補助があり(車いすその他),左上肢に負担をかけなければ勤務は可能と考える」となっていた。

 第一審*1,控訴審*2いずれも請求棄却。復職を認めなかった。

 裁判所は,歯口清掃検査の実施に当たって最低限必要な動作は,(1)歯科衛生士が,検査対象児童の口腔内をのぞき込むことができる適切な視線の位置(高さ)を確保することと,(2)歯を覆っている唇あるいは口付近の肉を検査の邪魔にならないよう押し広げるなどし,歯をむき出しにすることである――という判断基準を定立。(1)車いすに着席しての就労については,地裁は可能であるとしたが,高裁はこれを否定。(2)左腕については,いずれの裁判所も業務に堪えられないと判断した。

 私見では,判旨が妥当と考える。

 類似の事案としては,北海道龍谷学園事件*3がある。これは,保健体育の教諭が身体障害を負った事案。地裁では,学校内に分掌できる仕事はあるとして解雇無効とした。他方,高裁では「保健体育教諭として」就労することはできないことを理由に解雇有効としている。本件では,原告が歯科衛生士としての現職復帰に拘泥しているため,配置転換の余地はそもそも検討のしようがない。アイデンティティの問題はわかるけれど,雇用確保という観点からすれば,むしろ不利に働いている。

 労働者の側に立った判断ができないかどうかをあれこれ検討してみたのだが,この枠組みでは難しいと断念せざるをえなかった。労働契約論からは,私傷病休職からの復職といえども,健常者と同じ能率で仕事をこなせる(もしくは段階的にでも復帰できる)状態にまで回復していることが求められる。左手を自在にコントロールできないという障害を持った状態にある以上,解雇有効との判断を覆すことは困難。解雇無効というためには,歯科衛生士としての職務遂行に左手の状態は影響を与えないことを,労働者側においてしっかり反証しなければいけなかった。ここは,控訴段階における代理人(弁護士)の弁論活動が失敗しているところ。就労可能性を示していた診断書が主治医のものではなく産業医からのものであったら,あるいは同等の職務に従事している歯科衛生士から肯定的な意見が引き出せていたならば,また話が違ってくるのでしょうけれど。。

 障害者雇用の促進というのも主張されているのですが,これは裁判所に訴えても無理。国会の立法によって解決すべきものなので。

 『季刊労働法』という法律雑誌から,この件について評釈を書いてくれと依頼を受けているのですが……。う〜ん。

http://www.shooroo.npo-jp.net/ (原告労働者の支援団体)

*1:横浜地裁判決 平成16年2月13日 労働判例890号63頁

*2:東京高裁判決 平成17年1月19日 労働判例890号58頁

*3:第一審:札幌地裁小樽支部判決・平成10年3月24日・労判738号26頁,控訴審:札幌高裁判決・平成11年7月9日・労判764号17頁

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Thursday, 2005/07/07

フォーニ

[] symphonic rain, 5th movement  symphonic rain, 5th movementを含むブックマーク

 工画堂スタジオくろねこさんちーむ)『シンフォニック=レイン*1の進行状況報告(第5楽章)。

 アリエッタ・フィーネ(Arietta Fine)シナリオ。

(この先には,ネタバレがあります)

続きを読む

*1:初回限定版:ASIN:B0001FG72E,DVD通常版:ASIN:B0001FG72O,CD通常版:ASIN:B0001FG724,愛蔵版:ASIN:B0009RNAT2

エレエレ 2005/07/08 02:22 幸せはその先に…。
フォーニは存在しますよ、そして彼女の行為は報われます。
続きをどうぞ…

genesisgenesis 2005/07/08 03:28 これが「フォーニ・シナリオ」とも呼ばれることのある最終シナリオに対する私の見解です。たぶん,一般的な受け止め方とは異なっていると思いますけれど。“al fine”が,字義通り「本来の結末」だと考えるわけです。

エレエレ 2005/07/08 11:20 al fineという意味を始め、アルの視点と思って受け止めました。トルティニタが報われないと言われますが、それはないでしょう。トルタはクリスとアルの両方を愛していた、そしてアルは目覚めトルタの苦労は報われた、しかし、クリスに対する思いは報われてはない。だが、クリス自身はトルタの思いに気づいてるでしょう。al fineとこのシナリオは本来の結末であると考えるが、どちらも同じ価値であって優劣はつけられません。

エレエレ 2005/07/08 11:44 書き忘れ、
奇跡が起きてないエンドについての見解は同じです。また、おきてない場合は「あなたの傍でフォルテールの…」を無視しますからね…。
物理学科の自分が言うのもなんですが、心理学の分野は物理的解釈が難しいです。

hajichajic 2005/07/08 21:21 二つのfineは同時に存在し得えない。にもかかわらずそれが存在するということは矛盾です。故に、グランフィナーレのみならず、alfineそれ自体もまた否定されるべきだと私は考えます。

”テクストとして描かれた”全てのfineが否定された時、本当のfineはどこにあるのか。私がシンフォニック=レインという作品を別格に扱う理由は、つまるところこの点に存在します。

hajichajic 2005/07/08 21:36 なお、alla fineではなくal fineと書かれていることは注目に値するでしょう。あの言葉が意味するところは「終わりまで」ではなく、「アルのfine」または「アル・フィーネ」です。それはトルタによって語られるアルの物語であり、同時にアルの――の物語でもある。彼女の――は避けられない。これは悲しいけれど、どうしても受け入れないといけない事実です。そして”グランフィナーレ”(と、それでも旅立つ彼女の姿)が示したとおり、何よりアル自身が、最もそれを望んでいる。

genesisgenesis 2005/07/08 23:01 それよりも,フォーニを観測する方法を考えてください。発見次第,お持ち帰りしたいので(笑)▼ テクストを信用しないとなると,いかようにも解釈しうるので議論のしようがないです。ただ,発音のことを問題にしますと,LとRの区別をしないというのは,ラテン系言語を学んだ者としては採用しがたいのですよ。おっしゃることは分かるのですが,ちょっとね。

エレエレ 2005/07/08 23:32 フォーニの観測方法は赤外線観測しかないでしょう…。クリス曰く暖かいらしいので。二つのfineとはどういう意味でしょうか?テクストを信用して一応立てた意見ですが、イマイチどこに齟齬があるかわかりません…

hajichajic 2005/07/08 23:54
>genesisさん
LとRではなく、maschileとfemminileの違いです。fの(つまりAllaの)Fineは”終わり”を意味しますが、mの(alの)fineは通常”目的”や”意図”を指します。

>エレさん
駄目です。クリスは存在しない雨に濡れて冷たくなる男です。彼の五感は一切信用なりません。(`・´ω`・´)

hajichajic 2005/07/08 23:58 もしテクスト(=あのあまりにもあまりな虚偽に満ちていた、クリスの主観をですよ?)を信用するとすれば、グランドフィナーレにおいても空を飛ぶ光をどう説明するか、が問題となります。「あんなのただの使い回しの演出です」と断言されてしまえばそれまでなのですが。

エレエレ 2005/07/09 00:03 (´・ω・`)ではトルタが虫と勘違いした現象を利用して、空気の動きを観察する。虚偽に満ちていたか…やりすぎるとマトリックスになりますよw使いまわしって考えもありますが。
一応ブログでは殻とか存在変換時の垢見たいな物って解釈してるんですが・・・。

mkzmkz 2005/07/09 02:25 虚偽に満ちていたというのは、言いすぎな気が。クリスの認識で、誤っていたのは、雨に関することと、事故の記憶の2つだけなわけですし。彼の五感がそれほどまでにおかしかったのなら、それ以外の幻覚症状などの描写が伏線として無いと、おかしいと思います。

あと、al fineですが、ライターはalla fineかal fineか
は特に考えていたようには思えないです。DPC収録
のクリエーターズトークでも、音楽用語のアルフィーネ
(意味:終わりまで)が語源と書いてあります。

genesisgenesis 2005/07/09 06:17 私も“al fine”は音楽用語としてのものだと理解しています。ですから,hajicさんの言われるような「前置詞+定冠詞」の語形選択(m/f)に意味があるという主張は前提を欠きます。▼ 仮に,イタリア語文法に意味があるというならば,RとLの相違を無視するわけにはいかなくなります。“Arietta”からくる「アル」と“al fine”の「アル」は別なものです。

genesisgenesis 2005/07/09 06:33 hajicさんの説は《空を飛ぶ光》を最大の論拠としていますが,私はこれに同調しません。エンドロールがテクストの一部だとするのは構いませんが,それならば本文中で《光》についての叙述があってしかるべきです。

hajichajic 2005/07/09 09:53 光は最大の根拠ではありません。それは単なる状況証拠の一つです。言ってしまえば、そもそもの話、アリエッタは何を望んでいたのでしょう? そして、クリスの思いはどちらを向いているのでしょう? つまり、誰が本当のヒロインなのですか? それに対する認識が、根本的な差異を生み出している気がします。

genesisgenesis 2005/07/10 15:04 その問いかけは,不適切です(私に対するものとしては,ですが)。▼ 私は,リセルシア,ファルシータ,トルタ,アリエッタを平等に《ヒロイン》として扱っています。それらを統合し,唯一の真実を探り当てることは考えていません。ですから私は「トゥルー・エンド」といった表現を用いてはいないのです。

genesisgenesis 2005/07/10 15:20 では,私が「グラン・フィナーレ」あるいは「本来の結末」という表現で述べていることの意味は何なのか。▼ それは,『シンフォニック=レイン』という物語の主題(テーマ)は,《トルタ=クリス=アリエッタの関係性》であると理解したからに他なりません。▼ この三者の関係性について明示的に言及しているものは,唯一,トルティニタ・シナリオの“al fine”ルートだけです。ですから私は,これを他とは違うものとして重要視しているわけです。

Tuesday, 2005/07/05

トルティニタ

[] symphonic rain, 3rd and 4th movement  symphonic rain, 3rd and 4th movementを含むブックマーク

 工画堂スタジオくろねこさんちーむ)『シンフォニック=レイン*1の進行状況報告(第3,第4楽章)。

 トルティニタ・フィーネ(Tortinita Fine)シナリオ。本作は彼女のために捧げられた物語である,といっても過言ではない。

 トルタが恋い慕う相手クリス(Chris)は,双子の姉アリエッタの想い人。しかし今,クリスの近くで共に音楽を学んでいる――

(この先には,ネタバレがあります)

続きを読む

*1:初回限定版:ASIN:B0001FG72E,DVD通常版:ASIN:B0001FG72O,CD通常版:ASIN:B0001FG724,愛蔵版:ASIN:B0009RNAT2

hajichajic 2005/07/05 20:50 そこには二人の”Fine”がいるんですよね。でも、”Fine”は一つしかない… ああ (`・´ω`・´)

エレエレ 2005/07/05 23:59 ここが真のエンディングではないことを祈ってます!
ここからが…。
オレは信じてるよ…。

genesisgenesis 2005/07/06 11:11 これもまた,一つの幸せな結末でしょう。少なくとも私は,そう思います。

Monday, 2005/07/04

薔薇のミルフィーユ

[] 薔薇のミルフィーユ  薔薇のミルフィーユを含むブックマーク

 今野緒雪(こんの・おゆき)『マリア様がみてる〔21〕薔薇のミルフィーユ』(ISBN:408600609X)読了。

 短編集。黄・白・紅,三方面の現状を描写するという位置づけ。

 割を食ったのが紅薔薇。「今さら」という気がしないでもない。黄薔薇側の動きに連動しないように,という配慮はわかるのだけれど。これが今後に展開される小笠原祥子シナリオに向けた足場作りというなら,そちらにかなり紙幅を取られそう。いったいシリーズは何冊になるの?(^^;

Sunday, 2005/07/03

kitara

[] Three resident organist in Kitara Birthday Concert  Three resident organist in Kitara Birthday Concertを含むブックマーク

 14時から,札幌コンサートホールKitaraにて「3人のオルガニストによるKitaraのバースデイ」。出演者は,次の通り。

  • パスカル・マルソー*1
  • ファッサン・ラスロ*2
  • マテュー・マニュゼスキ*3

 私の大好きなJ.S.バッハの曲を,私の大好きな楽器オルガンで演奏してくれるというので,楽しみにしておりました。本日の曲目は次の通り。

第1部 「大作曲家バッハの世界」

  • BWV552 前奏曲 変ホ長調
  • BWV676 いと高きにある神にのみ栄光あれ
  • BWV678 これぞ聖なる十戒
  • BWV680 われらみな唯一の神を信ず
  • BWV684 われらの主キリスト,ヨルダン川に来たれり
  • BWV552 フーガ 変ホ長調

 前半の見どころは,始まり&終わりのBWV552でした。3人の奏者がパートごとに,バケツリレーのように交代しながら演奏を繋いでいくの。引き継ぎの瞬間には,比喩じゃなく,本当に肩を寄せ合って……。なんか「やおい」っぽかった(笑) 目を閉じて聞いてみても,差がまったく感じられないほどの仕上がりでした。

第2部 「名曲をオルガンで」

 後半は,オルガン「のためではない」曲を,オルガン向けにアレンジしての演奏。BWV1068は違和感まったく無し。『カルメン』には,思わず笑ってしまいました。あの演奏,また聴きたいのだけれど,CDに収録して売り出してくれないかなぁ。

http://www.kitara-sapporo.or.jp/

*1:Pascal Marsault,フランス出身。初代Kitara専属オルガニスト

*2:Fassang Laszlo,ハンガリー出身。第3代Kitara専属オルガニスト

*3:Matthieu Magnuszewski,フランス出身。第7代Kitara専属オルガニスト

トラックバック - http://d.hatena.ne.jp/genesis/20050703

Saturday, 2005/07/02

[] 大学院はてな :: 不更新条項付き有期雇用契約  大学院はてな :: 不更新条項付き有期雇用契約を含むブックマーク

 研究会にて,近畿コカ・コーラボトリング事件(大阪地裁判決 平成17年1月13日 労働経済判例速報1900号9頁)の検討。

 Y社は,自動販売機に商品を補充するオペレーション業務を,100%出資の子会社Zに業務委託することを計画。従前,この業務に従事していたパートタイム労働者(1年単位で契約を更改していた)に対し,平成13年11月20日に次のような説明を行った。

  •  平成14年1月1日以降,当該業務は子会社Zに委託する
  •  当該業務に従事している従業員は,次年度についてはY社で雇用を継続するが,年度末をもって満了とする「不更新条項」を入れる(以後の継続雇用をしない)
  •  子会社Zでの新規採用については未定である

原告労働者らは,同年12月13日ころ,上述の不更新条項が挿入された労働契約書に署名押印している。翌14年10月中頃,子会社Zは面接を行ったが,原告らは採用されなかった(当該営業所所属の33名のうち,子会社に採用されたのは25名)。原告らは,年度末に雇用期間満了を理由に雇止めされている。そこで原告らは,Y社の従業員たる地位の確認を求めて訴えを提起したもの。

 裁判所は,請求を棄却。

 Y社は情報を的確に伝えておらず,「だまし討ち」とも言えるような対応をしたことは正義に反する――という感情論での非難は出来ても,法律論として雇用の継続を求めることは難しいように思われる。労働者にしてみれば「子会社で雇用が継続されるのは当然だ」という期待を抱いていたことは理解できるが,事実認定からすると,会社側はそのようなことを明言していない(どうなるかは決まっていない,としか述べていない)。そうなると「動機の錯誤」とは言えないので,当該不更新条項が無効というのは難しい。従業員たる地位の確認ではなく,損害賠償の請求であれば認められる余地はありそうなところなのだけれど……。

 色々考えてはみたけれど,政治運動ではなく法律論としては上手い手だてが思いつかない。これが「権利濫用」だと言い切れたら楽なのだけれど。う〜

 「そんな契約書には判子をつくな」としか言えないのが悔しい。

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