Hatena::ブログ(Diary)

博物士

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Sunday, 2006/02/26

ロシアについて 北方の原形

[] 『ロシアについて』のはずが,宮崎アニメで『日本文化の基層を探る』へ  『ロシアについて』のはずが,宮崎アニメで『日本文化の基層を探る』へを含むブックマーク

 司馬遼太郎『ロシアについて――北方の原形』(ISBN:4167105586)を読む。

 ソ連が崩壊する前の1986(昭和61)年に上梓されたものであるということに鑑みた時,序文において展開される〈領土問題を考える視点〉の冷静さに,司馬の才能を感じる。

――というのが法律家としての感想に相応しいのだろうけれど,面白かったのは傍論中の傍論。日本には弥生時代に水田稲作が伝来したことに触れた部分。

堆肥と燃料をとるために山に入り,落葉や下草を採って,林間を座敷のように掃除しつづけた。このため,それまで一般に照葉樹林だった日本の山林は,落葉の堆積をうしなって栄養不足になり,かわって松という痩地を好む樹にとってかわられた。(126頁)

 本当にそうなのか? という疑問を持ったので調べていたら,次のような評論を見つけた*1。縄文時代的な狩猟採集を内容とするナラ林文化と,鉄器と稲作によって代表される照葉樹林文化との対比によって宮崎駿作品を分析しようとするもの。

もののけ姫』は、ナラ林文化圏の蝦夷の少年と、照葉樹林文化圏の森林で育った少女が出会う物語である。少年と少女の出会いは、日本人の源流である二つの森林文化の出会いを描いたものでもあるのだ。

http://ghibli-fc.net/rabo/monoke_yo/yomitoku04.html

 ここで言及されているのは,佐々木高明『日本文化の基層を探る』(ISBN:4140016671)ですね*2

 さて,明日は公務員試験予備校で地理学(気候区分・土壌・植生)の講義をしてきます。余計なことを話さないように気をつけなくては(笑)

*1:叶精二「『もののけ姫』を読み解く」『別冊 COMIC BOX vol.2』(1997年,ふゅーじょんぷろだくと) Chapter 3「古代日本の森の文化」所収
http://www.comicbox.co.jp/cbmnnk/cbmnnk.html

*2:調べるという行為そのものが好きな体質だと,このような経過を辿っていくうちに,最初の目的を忘れてしまうことが間々ある。

hajichajic 2006/02/27 23:45 収奪され痩せ地化した里山こそは自然の猛威に対する人間文明の緩衝地帯であり、これを失うと中山間居住地域は早晩自然に飲み込まれて消滅する、という島根大学の北尾先生の説が豪快で好きです。関係ありませんが。

genesisgenesis 2006/02/28 01:10 関係ないですね。しかも私は,「里」という概念すら無い北海道人だ(笑)

hajichajic 2006/02/28 16:41 かくして北海道は早晩自然に…

トラックバック - http://d.hatena.ne.jp/genesis/20060226

Thursday, 2006/02/23

土曜日の実験室

[] 西島大介『土曜日の実験室』  西島大介『土曜日の実験室』を含むブックマーク

 西島大介(にしじま・だいすけ)『土曜日の実験室――詩と批評とあと何か』(ISBN:4900785342)を読む。

 すごかった。

 以前,『世界の終わりの魔法使い』を読んだ際,〈読み込み〉に失敗したのだと思って「なんかヨクワカラナイ」と書いた。

http://d.hatena.ne.jp/genesis/20050502/p1

これには私の認識が不足していたところがあったが,あながち間違いではなかったらしい。西島は,極めて自覚的に「ヨクワカラナイモノ」を創り出そうとしている。既存のカテゴリーに取り込まれることを拒否するかのように。

 まず〈あとがき〉を引こう。『ユリイカ』に寄せて,西島は次のように言う。

これらの作品を書くに当たって,いつも僕の頭の中には「詩と批評」という二つの言葉があったような気がします。だから本書には,「Criticism」を「Poetry」に乗せて疾走させたような作品ばかりが集められています。

これほどまで的確に自己の作品を分析をされてしまったら,読み手たる私が考察すべきところなど無いにも等しい。しかも,西島は次のように続けて言う。

けれど(中略)この二つでは足りない。この二つだけでは息苦しい。大切なのは,詩と批評とあと何か……。

その《何か。》をめぐる模索を集めたのが本書。三部構成になっており,(1)ストーリー的/メッセージ的マンガ,(2)批評的/感想的文章,(3)自省的/実験的イラストで組み立てられている。

 中でも第II部に収録されている「いやほんと、どうでもいいんです実際 『物語る絵画』について」には心底うならされた。いや,打ちのめされたの方が正しいだろうか。ここで西島は,「自分でもよくわかんない」絵に「物語を乗せ」ることができるようになるまで時間がかかったことを吐露している。まず先に自己の技量があり,それから能力をどのように活かしていくのかを戦略的に考えているということが読み取れる。

 西島大介の目論見は,反定立(アンチテーゼ)にある。とてつもない強い力で,それでいてそうとは気づかれぬよう,揺さぶりをかけてくる。

 現在素直に読むのを楽しみにしていて、しかも重要だと思える作家は、大勢いる。(中略)たとえば、極めて意識的な作家、西島大介がいる。彼は、21世紀マンガにおけるゴダールになるのかもしれない。(中略)西島大介は、マンガと批評の融合に決定的な一歩をもたらした、悔しいくらいに重要な作家である。

http://d.hatena.ne.jp/nanari/20060113#p1

この指摘は,実に正しい。もっとも――私は西島大介のマンガ作品が好きなわけではない。好き嫌い以前に,どう認識すればいいのか未だに戸惑っている。それでも,あるいは,それが故に,目が離せない。

はてな年間100冊読書クラブ 〔#091〕

Monday, 2006/02/20

negima!

[] スペイン語版『ネギま!』の呪文がカタカナな理由  スペイン語版『ネギま!』の呪文がカタカナな理由を含むブックマーク

 西語版『魔法先生ネギま!』の紹介記事を目にする。出版社のサイト*1を見てみると,2006/02/24 に第3巻が刊行されるようですね。

http://blog.livedoor.jp/adidas243/archives/50379409.html (隠れオタは夜に萌える)

 ちょうど,日本語版の既刊をすべて買い込んできたところだったのですよ(いずみのさんの『ユリイカ』論考を読むための資料として)。実は,今まで少年漫画を読んだことが殆ど無かったりします*2

 さて,翻訳紹介記事を読んで面白いと思ったのは,呪文の話。ラテン語に添えられたルビが日本語(カタカナ)のままになっているというのを聞いて,なるほどなぁと。どうしてかと言うと,ネギの詠唱している呪文,たぶんスペイン人であれば意味が通じているのですよ。だって,私でも分かりましたもの。スペイン語は,元々は「ラテン語の方言」ですから。

 最初にまとまった文章が出てくるのは7時間目だったかと思いますが,[誓約の黒い三本の糸よ 我に三日間の制約を]を対訳してみると,次のようになります。

【羅語】 tria fīla nigra promissīva, mihi līmitātiōnem per trēs diēs!!

【西語】 tres hilos negros promisorios, me da limitaciones por tres dias!!

 ほら,そっくり。ちなみに,スペイン語で fila は入場待ちの「列」を意味します。ここでは「糸」ですから hilo にしましたが,元のままでも十分通じますね。

 というわけで,よくワカラナイ神秘の呪文なはずが,南欧や中南米の人にとってはありふれた日常会話になってしまうのです。「黒い紐でボクを縛って〜」みたいな。それで,謎めいたニホン語をルビをとして添えたまま残したのでしょう*3

 まぁ,面倒だからそのままにした――という可能性も無いわけではありません(^^;) 修正が大変な「描き文字」である

【羅語】 aer, aer, amplificet mammas!!

【西語】 aire, aire, amplifica mamas!! *4

の方を直していたりするので一貫性が無いようにも見えますから。善意に解釈すれば,これはコマの内側で縦書きが発生するのを嫌ったのでしょうね。日本語の話者は縦書き/横書きが混在していても自在に読み分けますけれど,ヨーロッパ系語族の人たちは縦書きだと視線が誘導できませんから。

 ともあれ,マギステル・マギを目指すなら,詠唱の練習にスペイン語をどうぞ♪ 話者の消滅したラテン語と違って,実際に使えますよ。


▼ 関連

*1http://www.edicionesglenat.es/

*2:これまでの人生で少年向け週刊漫画誌を1度も買ったことがないのです。高校に入ってから白泉社の少女まんがを単行本で読むようになったん。そんなわけで,昨秋の時点では『AI止ま』の第1巻しか3大少年漫画誌掲載作を保有しておりませんでした。これにしても,パソコン通信時代に赤松健が話題になったことがあって買ったものだし……。そのような事情があって,私のマンガ考察はズレたところがあると思うです。

*3:あと,欧州のオタクの間では,ひらがな&カタカナを修得するのが KOOL ですし。

*4:かなり即物的で「空気よ 空気よ おっぱい大きくして」の意。ちなみにお母さんの意味で用いる「ママ」の語源は,ここに乳房の意味で登場している mamma(s) である。

トラックバック - http://d.hatena.ne.jp/genesis/20060220

Friday, 2006/02/17

美少女ゲームの臨界点

[] 葉鍵系の源流を〈1980年代後期少女まんが〉に求めてみる  葉鍵系の源流を〈1980年代後期少女まんが〉に求めてみるを含むブックマーク

 このエントリーは id:genesis:20060215:p1 の焼き直しです。傍論として「ついでに」書いておいたところを id:REV さんに注目していただき,それが縁となって『カトゆー家断絶』でもご紹介いただきました。おそらく関心を持たれたのであろうゲーム論に関する部分を,読みやすいように取りだして書き改めました。

 私の認識不足でなければ,1980年代後期の少女まんがについての考察が,マンガ研究という分野では抜け落ちているようです。時期的には,柊あおいが乙女のバイブル『星の瞳のシルエット』(1985年)を描き始めてから,原作版『耳をすませば』(1989年)を送り出すあたりまで。具体的な作家としては,わかつきめぐみ谷川史子岡野史佳など。

 特徴づけるならば,等身大の少女と少年が日常を繰り広げるなかで関係性を形成していく〈ガール・ミーツ・ボーイ〉もの。

 マンガ研究の中では顧みられることが少なく,カテゴリーに呼び名も付いていないのですが,ギャルゲー表現(特に葉鍵系)の源流は此処にあると思うのです。両者の接続は,更科修一郎に先に言われてしまいましたけれど*1

 現在において新井葉月山名沢湖が「大きなおともだち」のアンテナに引っかかってしまうことの説明にもなるでしょう。

http://d.hatena.ne.jp/genesis/20060215/p1 の脚注

星の瞳のシルエット (1) (りぼんマスコットコミックス) 耳をすませば (りぼんマスコットコミックス) きみのことすきなんだ (りぼんマスコットコミックス)

 以下,補足です。だいぶバイアスが掛かっていますが。

前提知識 :: 少女まんがの系譜

【0】 未分化な時代

  手塚治虫リボンの騎士』など。

【1】 1970年代初頭――24年組

 一般に「指が細くて瞳が大きくキラキラしていて」というイメージで語られる時期。代表的なものに,大島弓子綿の国星』,萩尾望都ポーの一族』,竹宮恵子風と木の詩』,池田理代子ベルサイユのばら』など。近親相姦/同性愛(少年愛好)/吸血鬼/SFなど特異なモチーフを採用するものが多い。文学性の高さに特色がみられる。この時期に,まんがにおいて主人公に〈内面〉が発見される。参考資料として,大塚英志教養としての〈まんが・アニメ〉』(ISBN:4061495534)第3章。

【2】 1970年代末――乙女ちっく少女まんが

 田淵由美子,陸奥A子太刀掛秀子など。保守反動として「わかりやすいエンターテイメント」を志向し,「少女たちがやがて直面するであろうありふれた恋愛の風景」を描く。そのため,学校を舞台とするものが増える(学園まんがの確立)。〈かわいい〉という記号が消費される。「誰にも理解されない私の内側を理解してくれること」が〈恋愛の成就〉であるとする恋愛観が提示され,「自分探しの手続」がモチーフとして採用される。参考資料として,大塚英志たそがれ時に見つけたもの』(ISBN:4872330218ISBN:4480030174)。

 この潮流は1974年頃に始まって1983年頃に終息。さくらももこが1984年にデビューしているが,〈乙女ちっく少女まんが〉を読んで育った世代である。

【3-a】 1980年代後期

 大塚史観では,岡崎京子紡木たくらを少女まんがのメインストリームとして位置づける。ただし,その終焉として……。前掲・『教養としての〈まんが・アニメ〉』第5章を参照。

【3-b】 1985年から1989年にかけて――[名称未設定]

 これが,先ほど私が提示したもの。次項との関係では,1991年まで範囲を広げた方が良いのかも。

 仮に名付けておくと〈乙女のバイブル〉路線。〈乙女ちっく〉では「空想世界における夢」として恋愛が描かれていたが,こちらでは少女まんがが「現実世界における恋の教科書」として機能している。

【4】 1990年代

 1991年,武内直子が『美少女戦士セーラームーン』の連載を開始。1993年には,CLAMP魔法騎士レイアース』が連載開始。〈あざとさ〉が意識的に取り込まれる。あえて参考資料を挙げるなら,斎藤環戦闘美少女の精神分析』(ISBN:4872335139)だろうか。

 なお,この地殻変動に際して,[名称未設定]に分類できそうな作家の少なくない数が,古巣の少女漫画誌から離れている(その受け皿となったのが〈大きなお友だち〉向け媒体)。新井葉月(1988年に中学生でデビュー)は,空白を挟んで『なかよし』から『コミックハイ!』へ。岡野史佳(1985年デビュー)は『LaLa』の看板作家だったが,いろいろあって『ガンガンパワード』と『月刊ホークス』へ。劇的なところでは,筆を断ってしまった野村あきこ(少し遅れて1991年のデビュー)。『なかよし』が変わってしまったイラ立ちを,救いの無い結末にぶつけて引退……。

倫敦館夜想曲 (講談社コミックスなかよし)

先行研究

 〈80年代少女まんが〉と〈ギャルゲー〉の接続について,与えられていた示唆は以下のようなもの。

 ササキバラ・ゴウが『傷つける性 団塊の世代からおたく世代へ――ギャルゲー的セクシャリティの起源』*2において提示したことをまとめると,概ね次のようになる。

 〈乙女ちっく少女まんが〉を読んだ男の子たちは,女の子キャラが〈内面〉を持つものであることを認識する。〈内面〉の存在に気づいた男の子は,自分の欲を発動させると〈ぼくの好きな女の子〉がそのせいで傷つく。男という性は〈傷つける性〉なのである。

 そして更科修一郎だが,2001年の時点で次のような発言をしていたようだ。

 30代後半の友人に A I R を説明した時、「『綿の国星』と『ポーの一族』を足して、乙女ちっく系を加えて煮詰めた感じの作品」と言ったら、妙に納得されてしまって、逆に困ったことがある。

http://www.cuteplus.flop.jp/works/column02.html 「2001=1978」

 1970年代の末期、主に少女まんがの表現として完成された、乙女ちっくな少女趣味=少女幻想は、当時の少女たちが、性的な自己主張を抑圧されていたが故に発展した特殊な表現だったのだけども、1980年代に入り、「少女」というイメージがメディアに曝され、世の男性たちにポルノグラフィな記号として消費されていった結果、少女たちはそのイメージを逆手に取り、欲望を直接的に表現する強さを身につけていく。

 しかし、少女まんがというフィールドに居場所を失ったはずの少女幻想は、男性向けのポルノメディア、特に、おたく男子の愛玩物として、美少女まんがや美少女ゲームという場所で、生き延びることになってしまった。

http://www.cuteplus.flop.jp/ncp/cpg16.html 「システム化された幻想に対する違和感と、誰かを思い出せない理由。」

 また『美少女ゲームの臨界点』(ISBN:4990217705)所収の 「『雫』の時代、青の時代。」にも次のような指摘がある。

 『To Heart』は,オタク的に先鋭化した[物語]たる『エヴァ』に対する保守反動(=1980年代ラブコメの正統な後継者)である。

 『Kanon』までの短い期間に,〈零落したマッチョイズム〉と〈少女幻想〉が融合した「乙女ちっくイデオロギーの楽園」が構築された。

 これらでは,呼び名の付いている〈乙女ちっく少女まんが〉が挙げられています。しかし,もし1980年代後期に現れた系統群に名称が与えられ分析が試みられていたのなら,構造的により近い《名称未設定のあれ》の方が参照されていたのではないだろうか? というのが,冒頭に掲げた拙稿の意図なん*3

 なお,ヤマダトモコ「「萌え」と「乙女ちっく」のあいだにあるもの、あとからくるもの」*4が(マンガ研究側の視点として)私の問題関心と近い。「〈乙女ちっく〉からすこし遅れて,でもその定型を踏まえつつ登場した」作家として谷川史子を挙げているので(142頁)。


▼ 追記

#cubed-l 『この文脈で、葉鍵、とまとめてしまって良いんだろうか』

 あぅあぅ。痛いところを突かれました。正しくは「1990年代後期に隆盛を誇ったギャルゲー表現の特質」ですね(^^;)


▼ 関連

「萌えキャラ」みたいのの基礎付けとして参照される『美少女戦士セーラームーン』が講談社「なかよし」であることは大事だと思います。(中略)

「やおい」に傾倒してきた人たちは一橋系のマンガに影響を受けて育ってきたと明言してますし、実際、「24年組」も「乙女ちっく」も小学館、集英社、白泉社なわけで。

http://d.hatena.ne.jp/tdaidouji/20060220#p1

 言われてみれば〈一ツ橋系〉と〈音羽系〉におけるという対比の構図(作用‐反作用)で有効に語れそうですね。上記の文では野村あきこを半ば強引に押し込んでいるのですが,どうも不自然ですし。

*1更科修一郎「『忘却の旋律』序論――からっぽの概念を忘却することなく、貫く矢を放つために」『「戦時下」のおたく』(ISBN:4048839292)149頁)

*2:『新現実 vol.2』(ISBN:4047213926)所収

*3:知らない人のために。これは〈阿梨さん語法〉なん。

*4:『ユリイカ』2006年1月号(ISBN:4791701429)所収

hajichajic 2006/02/18 00:16 >「To Heart」が1980年代ラブコメの正統な後継者
という主張には反対します。それはむしろラブひな的なラブコメ空間であり、80年代のラブコメは常に修羅場を迎えない程度の三角関係的緊張を孕んでいたからです。もちろん、きまぐれオレンジロード劇場版『あの日に帰りたい』において見られるように、破局は目の前に見えていたわけですが。

genesisgenesis 2006/02/18 02:18 特定の作品を引き合いに出して比べると違和を感じるかもしれませんが,ここは抽象的なストーリー傾向の話だと思ってくださいな。

genesisgenesis 2006/02/18 11:32 hajic さんの異議に答えておくと,これは,id:kaien さんが《仲良し空間》として論じているところだと思います。▼ THだけを考えると志保との関係でしかありませんが,Leaf は《仲良し空間》を徹底的に破壊する“White Album”を次作として送り出しています。これも併せ考えてみればいいのではないでしょうか。
http://d.hatena.ne.jp/show-must-go-on/20040212#1076488380
http://www.tinami.com/x/interview/04/page5.html

hajichajic 2006/02/18 19:51 その意味で、個人的には”80年代ラブコメの後継者”というか、その精算の舞台は、例えばホワイトアルバムかもしれませんし、たとえば君が望む永遠だと思うのです。THは(ラブひなよりも)むしろときめきメモリアルが打ち出した完全な無関心(あるいは第三者との関係性の排除)を許容する世界の延長にあるのではないでしょうか。

touka3touka3 2006/03/01 17:33 名称未設定の85年から90年の区分を、私は「250万乙女」世代と呼んでいます。しかし岡崎京子がメインストリームに顔を出す少女漫画史ってスゲー馬鹿みたいですね。他の時代区分を構成する顔ぶれからみてもその時代は、岡崎京子の後ろに隠れている岩館真理子と、紡木たくの陰に控えているくらもちふさこの二人を正面に引きずりだしておくべきだと思います。それが「少女漫画に見る日本の風俗史」でないならば。

Wednesday, 2006/02/15

テヅカ・イズ・デッド

[] 『テヅカ・イズ・デッド』をめぐる逡巡  『テヅカ・イズ・デッド』をめぐる逡巡を含むブックマーク

 昨秋の発売直後に買って読んだものの,途方に暮れていたのが伊藤剛id:goito-mineral)『テヅカ・イズ・デッド――ひらかれたマンガ表現論へ』(ISBN:4757141297)。

 平易な文章で書かれているのに,どうにも理解できないでいた。昨日,文学部の院生が開く読書会での題材に取り上げられていたので,討議に参加させてもらった。3時間ほど話し合って,ようやく着眼点らしきものが見えてきたので,備忘録として書き残しておくことにします。


 この本が提示したマンガの分析枠組みは,次の2つ。

後者については,別な参加者が論文のネタにしているところのようなので,ここでは触れないでおきます。

 端的に言ってしまえば,概念の不確定性射程範囲の不明瞭さが本書の分かりにくさを生んでいる理由でしょう。

 例えると,鍛冶師が多機能スイスアーミーナイフを売り出したけれど,刃の取り出し方に悩む構造をしているうえ,いったい何を切るのに使えばいいのか対象がわからない――という感じ。竹林の熊さんは取扱説明書を書き,東方の賢者は「コンニャクだって切れますよ!」と助言をくれているのだけれど,当の職人は「刺身包丁です」と言って譲らない……。でも私は,とにかくこれでケーキを切ってみたいん*1

 あぁ,かえって分からなくなりましたね(笑)

 つまり,分析枠組みに用いるツールとしては魅力を感じるが,非常に使い勝手が悪いのでツールの強度を再検討する必要があり,そのうえで実際に使ってみないとツールの有効性は検証できない,ということです。

【1】

 まず適用しようとする範囲が狭すぎることについて,から。伊藤は「キャラ/キャラクター」は図像に由来するものであるとの見解を取っていることが問題となります。『ユリイカ』2006年1月号(ISBN:4791701429)掲載のトークイベント(2005年10月29日)にて東浩紀がこの点を指摘し,「キャラ/キャラクター」をライトノベルに適用できるのではないかというのは順当な批判でしょう*2。しかし,この時点で伊藤は反応を返しておりませんでした。『論座』2006年2月号掲載の対談においては「マンガのような図像だけでなく,文字表現などが喚起するものもある」と態度を軟化させているようですが……

【2】

 さて,そうなると「キャラ/キャラクター」が拠って立つものが疑われてきます。「キャラ/キャラクター」概念は,本当に図像から生じてくるものなのでしょうか? 考えてみると,伊藤がマンガの構成要素を

「キャラ+コマ+言葉」

にしたことが分かりにくさをもたらしている根源的な原因なのかもしれません。マンガの構成要素については従来的理解である「絵+コマ+言葉」のままで良かったのではないでしょうか。こちらは紙の上にインクで表される物質的な要素として,すっきり整理できます。

 これを映画で考えてみます。映画の構成要素は「映像と音声」ですが,伊藤の提起する「キャラ/キャラクター」であるとか「キャラの自律化」というのは起こりうるのではないでしょうか。構成要素のレヴェルにおいて,無理をして「キャラ」を持ち込む必然性は感じられないのです。小説との比較では,これがより顕著に意識されます。「キャラ/キャラクター」で伊藤が論じようとしているのは,構成要素とは別な次元での事柄だったのではないでしょうか。他の表現媒体と比較して眺めることによって,「マンガ固有の独自性」である部分と「マンガ表現の現代的特色」である部分とが相対化できます。

【3】

 伊藤がマンガの構成要素の変更について述べている箇所(63頁)を,もういちど読んでみます。すると,極めて強い物語の忌避が見て取れます。これがあるがために,マンガという領域の内側でもツールとしての使い勝手の悪さが生じるのです。「キャラの自律化」は,物語からも生じるからです。例えば,決めゼリフや特有の語尾などは図像に由来しない〈記号〉であり,物語の中に存在するものと思われます。

 ある参加者からは,キャラとキャラクターを切り離しがたい私小説的な作品(例として挙げられたのが吾妻ひでお失踪日記』)であるとか,絵(キャラ)が戯れているだけで物語(キャラクター)を持たない実験的な作品を本書の枠組みでは把握できるのだろうか,という疑問提起があったことを書き添えておきます。

【4】

 このように考えてみたときに発生する課題は,図3-5(117頁)に典型的に現れます。「時間継起性を図像が保持」するとありますが,保持する主体は〈キャラ=記号〉ではないでしょうか。ただ,そうするとキャラを論じるためにキャラを用いるというトートロジーになってしまいます。

 付言しておくと,「時間継起性」とは何なのかについて意見交換したのですが,分からずじまいでした……。

【5】

 キャラは「プロト(前)キャラクター」である,というのも良くわからないところです。「キャラ前置」があるならば「キャラ後置」もあるだろう,という疑問が湧いてきます。すなわち,「データベース→物語」「物語→データベース」という双方向性との関係がわからない。

【6】

 ツールの実証的適用についても若干の疑問を呈しておきます。『GUNSLINGER GIRL』のトリエラを引き合いに出しているのですが,「人間/キャラ」を説明するために義体を持ち出したのは分かりやすい例ではあります。しかし〈亜人間〉という形で論を進めてしまうと,「キャラ」についての理解を狭めてしまいかねないことが危惧されます。例えば,変装(例に出たのは怪人二十面相)であるとか多重人格であるとかを論じようとする場合です。やはりここでも,キャラの由来を図像に依拠しているために,「内面」や「感情」を俎上に載せられなくなっているように思われます。

【7】

 最後に「手塚治虫という円環」について触れておきます。円の「起点/終点」を「モダン/ポストモダン」という形に対応させて論じているわけですが,そのせいで〈円周の向こう側〉についての検討が手薄になっています。本当に円環になっているかどうかは,途中を繋いでみなくてはわかりません。例えば,テヅカ後期(1980年代前半)の出来事であるが,手塚治虫という軸線上では登場しない〈乙女ちっく少女まんが〉の分析において,本書の示した分析枠組みは有効に機能するものなのでしょうか?

 せめて伊藤剛には,手塚治虫スターシステム*3を論じてみていただきたいと思うところ。私のように理解力の乏しい者にとっては,考察を進めるための手がかりが足りないのです。


▼ 関連資料(直接に言及していただいたもの)

*1:私の認識不足でなければ,1980年代後期の少女まんがについての考察が,マンガ研究という分野では抜け落ちているようです。時期的には,柊あおいが乙女のバイブル『星の瞳のシルエット』(1985年)を描き始めてから,原作版『耳をすませば』(1989年)を送り出すあたりまで。具体的な作家としては,わかつきめぐみ谷川史子岡野史佳など。特徴づけるならば,等身大の少女と少年が日常を繰り広げるなかで関係性を形成していく〈ガール・ミーツ・ボーイ〉もの。マンガ研究の中では顧みられることが少なく,カテゴリーに呼び名も付いていないのですが,ギャルゲー表現(特に葉鍵系)の源流は此処にあると思うのです。両者の接続は,更科修一郎に先に言われてしまいましたけれど(更科「『忘却の旋律』序論――からっぽの概念を忘却することなく、貫く矢を放つために」『「戦時下」のおたく』(ISBN:4048839292)149頁)。現在において新井葉月山名沢湖が「大きなおともだち」のアンテナに引っかかってしまうことの説明にもなるでしょう。

*2:現時点では,「[キャラ/キャラクター]概念の可能性」が,最も有効な本書のサブテキストです。東が『動ポモ』の枠組みに載せて構築した修正モデルの方に魅力を感じます。

*3Wikipedia - スター・システム

hajichajic 2006/02/17 17:42 手塚さんがどれほど偉大なのか良くわからない部外者ではありますが、少なくともこういうタイトルがあまり好きではないということだけは、はっきりと言えます。せめてこう「Tedsuka is Dead?」。

Sunday, 2006/02/12

さっちん

[] 吸血鬼伝承――「生ける死体」の民俗学  吸血鬼伝承――「生ける死体」の民俗学を含むブックマーク

 平賀英一郎(ひらが・えいいちろう)『吸血鬼伝承――「生ける死体」の民俗学』(ISBN:4121015614,2000年)を読む。

 好著の称号を献ずるに相応しい本だった。その良さは,冒頭の第I章を読むだけで伝わってくる。第I章「フォークロア的前提」は簡潔にして要を得るもので,わずか20頁ほどに本書の趣旨がまとめられている。

 以下,後続する読者から楽しみを奪うという無粋な真似になってしまいかねないのだが,内容を紹介させてもらうことにしよう。これから読もうという予定のある方は,ここらでお引き取り願いたい。

 著者の経歴は良く分からない。東欧の大学を渡り歩き,ハンガリーの大学で Ph.D を取得したことが記されているが,学術論文DBを開いても業績らしきものが出てこない。学問的系譜としては柳田民俗学に倣うものであることが序文で示されている程度である。しかし生い立ちの不明瞭さが,この著作の面白さを減じるものではない。

吸血鬼伝承―「生ける死体」の民俗学 (中公新書)

 まず最初に,バーバー(Paul Barber)を引用して次のように衝撃的な宣言がなされる。

「民間伝承の典型的吸血鬼が こんどのハロウィーンに訪ねてくるとするなら,ドアを開けたときそこにいるのは,肉づきのよいスラヴ人であろう。爪が長く無精ひげを生やし,左眼をあけている。顔は血色がよくふくれている。くだけた服装で,どう見てもだらしない恰好をした農夫である。それが吸血鬼だとわからないなら,それはあなたが――今日ではたいていの人はそうだろうが――黒マントの長身で上品な紳士を予想していたからである。」

ということは…… 由緒正しき東欧の吸血鬼としては,こんな姿を想像すればいいのでしょうか?

新フォーチュン・クエスト〈10〉キットンの決心 (電撃文庫)

▲ 代理出演:キットン(フォーチュン・クエスト

 本書では,時代が大まかに3つに区分されている。

  • [1] フォークロア(民間伝承)としての吸血鬼。東欧ないしバルカンの土俗的信仰に登場する妖怪。
  • [2] 1725年にセルビアで起きたプロゴヨヴィッツ事件が紹介されたことによって生じた,18世紀西欧での〈吸血鬼〉発見。
  • [3] バイロン/ポリドリ『吸血鬼』(1819年),ブラム・ストーカー『吸血鬼ドラキュラ』(1897年)以降。フィクションの産物としてのヴァンパイア。

 [3]は「むしろアメリカ合衆国の民間信仰である」として,切り捨てている。そのような形で吸血鬼が存在していることすら忌々しいとする態度は,あまりに潔く天晴れ。トランシルヴァニアワラキアなども,ヴァンパイアの故郷として担ぎ出されてしまった被災地域として,ごく僅かに登場するのみ。

 本書の中心は[1]にある。幾十もの民族が語り継いできたフォークロアを資料としてあたりながら,〈吸血鬼〉の原初状態を掘り起こしていく。分量では大分を占める第II章と第IV章は,その実証のための資料提示である。ここでは,柳田国男が好んだ名彙アプローチが取られているというのも面白いところなのだが,ここでは割愛する。教会に残る記録や,埋葬にあたって施された死者が吸血鬼にならないようにするための予防策などからも,伝承の有無が探られていく。

 考察を通じて見えてくるのは,禍をもたらす生ける死者という俗信が,バルカンから東欧にかけて(ハンガリーを除き)形態を変えながらも広く分布しているということである*1。そして,東欧の〈吸血鬼〉が「血を吸うことは決して多くはない」ことが明らかにされる。

「吸血への拘泥は 西欧近代の病理というべきだ。」

とさえ著者は言う。なお,以下のような考察が紹介されていることは付言しておいてもいいだろう。

「血は体液のひとつであり,したがって夢魔(寝ている人と性的に交わる淫魔を含む)や魔女が 乳や精液を奪うのと 同列で等価である。「生気を奪う」の比喩的具象化と考えてもいい」〔132-133頁〕

f:id:genesis:20110208202248p:image

 最後のまとめにあたる第V章は,前述の時期的分類でいうと[2]に該当する時期を扱う。著者にとっては,東欧のフォークロアが奇談として西欧に移入されたことからして面白くないというか,関心が向かないらしい。端的に結論だけを述べて済ませているのだが,それでも十分に興味深いことを言っている。

 まず,〈吸血鬼〉信仰の由来は「一種の文明の衝突であり摩擦」ではないかというのだ。すなわち,古代ギリシアやローマでは,火葬が一般的であった。しかしキリスト教には土葬イデオロギーがある。最後の審判の日に死者たちは墓から起き上がることになっているからである。スラブ人やゲルマン人は,キリスト教を受け入れることにより,「死という人生の重大な局面での習俗の変更が行われることになった」。〈生ける死体〉という観念は,土葬されながら腐敗しない死体が生じた際などに形成されたものであり,禍をなすとみなされる〈生ける死体〉に対しては昔の習俗である火葬を施すことにしたのではないか――というのが著者の見方である。

 他方,古くはヨーロッパの東西に広く信じられていたであろう〈生ける死体〉という死霊観念が,東では保持されたのに西では消失した理由として煉獄を挙げている。12世紀にカトリックが「煉獄」を教義として唱えたが,ギリシア正教では認めていない。「煉獄」が東欧と西欧の分岐点のひとつではないか,ということが述べられている。

 そして,西欧が〈吸血鬼〉を発見した18世紀前半は,ハプスブルク帝国(オーストリア)がオスマン帝国と軍事的に戦い,トルコの側からもたらされるペストという疫病とも闘っていた時期であった。〈吸血鬼〉事件は,これら2つの戦いの前線付近から現れてきたものであることから,著者はそこに恐怖(フォビア)の存在を読み取ろうとしている。

 残念なのは,これら歴史的な観点についての叙述は,先述の理由から示唆に留められているところであろうか。それでも,「フォークロアの吸血鬼」と「フィクションのヴァンパイア」との違いを知らしめてくれるには十分なインパクトを持った書物である。

 何しろ今,私の脳内では,アルクェイド*2が,Evangeline.A.K.McDowell*3が,真紅果林*4が,それに葉月*5が,見るも無惨なぶくぶくとした姿へと変貌を遂げているのだ……*6


▼ 関連資料

*1:ハンガリーは,地理学的に言うと人種島である。周囲をヨーロッパ系人種(インド=ヨーロッパ語族)に囲まれているが,ハンガリーはアジア系のマジャール人が大部分を占めている。ハンガリー語は,アジア系のウラル=アルタイ語族に属する。

*2TYPE-MOON月姫

*3赤松健魔法先生ネギま!

*4影崎由那「かりん」

*5有馬啓太郎月詠

*6:スラヴ女性の容姿を想像できないという方への助言。『のだめカンタービレ』のターニャを思い起こしてください。『GUNSLINGER GIRL』からでしたら,オリガ/エリザヴェータ/トルスカヤ校長がお選びいただけます。

Friday, 2006/02/10

皆殺し編

[] ひぐらしのなく頃に [7]  ひぐらしのなく頃に [7]を含むブックマーク

 07th Expansionひぐらしのなく頃に解』第7話「皆殺し編」。

 A.D.M.S.が進化した。並列世界に散らばるシュークリームを集め,H.A.N.Y.U.に奉ぜよ。君は,昭和58年6月を越えることができるか―― 

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Wednesday, 2006/02/08

最終兵器彼女

[] 映画『最終兵器彼女』 The RUSTIC LOUSY Story on This Little Planet.  映画『最終兵器彼女』 The RUSTIC LOUSY Story on This Little Planet.を含むブックマーク

 ちせはかわいくない。 仕上がりは想像以上にシンコクで…… それ以上にサンタンだったんだ。 札幌シネマフロンティア爆撃 毎週日曜朝07時30分 なにもかもを根こそぎにしてしまった。 ごめんね おかしい……おかしいよぉっ! 破壊されたセカイ系 体が兵器の女の子って普通ですか? 吹き出しそう まぬけ時空 ごめんなさいごめんなさいごめんなさい ぼくはあいかわらず いろいろな事を甘く見すぎていた。 ISBN:4091856829 やっちゃったよ 滅ばぬ地球 いったい何を評価すればいいのか せめて,映画らしく 学芸会 東映は一体どこで引き返すべきだったのか 前田亜季がワイド画面のように幅広で 須賀大観監督を問いつめたい 知らないほうが知っているより幸せなことがある。 アツシはどこへ消えた だめっ。笑わせないで! これを読んだあなた,どうか褒め方を教えてください。それだけが私たちの願いです。 私の頭の中に消しゴムを これって……変ですよね? ごめんね 観たヤツは全部笑い死ぬって。 正視に耐えない うぐぅ,この脚本(清水友佳子)のこと忘れさせてください なんだか,痛々しいよぉ…… スタッフは,ただ不器用で。 惨状を嗤え ぶっちゃけありえない 核汚染物質に近寄ったらダメだよシュウジ ISBN:409185687X 痴女ふゆみ ……うん。ダメ。 過剰な現実感,リアリティの不在 ISBN:4091856810 札幌駅から大通公園へ向かって逃げるシュウジ(そっちが爆心地なのに) 比べてみれば劇場版AIRは良かった ちせ語を話さないちせなんて 黒歴史 アケミ,死亡(なぜ?) ISBN:4091856837 知らずにいたほうが,なんて幸せだった ISBN:4091856861 みんな変になっていく…… 幼稚園のおゆうぎ 誰にも制御不能 誤作動しちゃった 感動率1% もうすぐ打ち切りかなぁ ISBN:4091856845 観なければ良かった…… 昭和50年代のメロドラマ もう,終わりにしてくれ 暴走をシステムのせいにするなよ あのジエータイ,おかしいぃ! ぽんぽこタヌキさん ISBN:4093876282 テツ先輩のエピソードいらない なぜ砂丘で終わる その謎は解かないほうがいい。 ISBN:4091856853 アニメ版DVD-BOX(ASIN:B000CEVX1Y)を買っておいて良かった

The Last Rustic Love Lousy Story on This Little Planet.

この星で,一番野暮なひどいストーリー

 「ごめんなさい」 


【追記】

 物語論の観点から少しだけ言及しておきます。

 原作との比較では大きな改変があるのですが,これが致命的な変質をもたらしています。[1]原作は〈僕たち〉をめぐる話題に終始していたものが,映画では〈大人〉を代表する自衛隊側の視点(思惑)が強く前面に出てきていること,[2]敵対する存在が固有名詞として語られていること,[3]ちせについての結末が,主題「ぼくたちは,恋していく」に結びつかないものになっていること,などです。

 すなわち,

  • [1]私的な日常(小状況)とハルマゲドン(大状況)を媒介する社会領域(中状況)として「軍隊」が機能している。
  • [2]中状況を通すことにより,大状況が認識可能なものとして提示されている。
  • [3]最終戦争に対して「最大多数の最大幸福」原則が適用され,そもそも破滅的な大状況が回避されることで質的な変化が生じている。

 つまり…… 《セカイ系》というジャーゴン(専門用語)を用いて論じてきた言説が,映画版ではすべて無効化されているわけです。

hajichajic 2006/02/09 11:30 もう笑うしかないってコピーにしましょう

genesisgenesis 2006/02/09 22:21 苦笑い,かな

hajichajic 2006/02/10 20:11 笑えませんね

genesisgenesis 2006/02/10 22:31 そのくせ,この「サイカノ文体」はものすごく手間がかかっていけません。

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Monday, 2006/02/06

危機と克服[中]

[] 危機と克服[中]  危機と克服[中]を含むブックマーク

 塩野七生(しおの・ななみ)『ローマ人の物語――危機と克服[中]』(ISBN:4101181721)を読む。北方防衛の再編と,ヴェスパシアヌス帝の時代についての章。

 興味深く読んだのは,ローマにおける社会保障施策(215頁以下)。小麦法(Lex Frumentaria)によって首都に住む市民(10歳を超える男子)には毎月30kgの小麦を無料で受給できる。法文上は受給者に限定が付されていないところ,本当に福祉を必要とする貧困層だけが受け取るようにする妙案――受給者本人の出頭を条件とし,行列に長時間並ばせるという策は,なるほどなぁと思った。上手いことを考えたものだ。

Saturday, 2006/02/04

[] 大学院はてな :: 連合北海道  大学院はてな :: 連合北海道を含むブックマーク

 大学院生が持ち回りで,労働組合の機関誌に判例紹介を書いているのですが,今月号は私が担当いたしました。

http://www.rengo-hokkaido.gr.jp/siryou_hanrei_0602.htm

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Thursday, 2006/02/02

ひぐらしのなく頃に 罪滅し編

[] ひぐらしのなく頃に [6]  ひぐらしのなく頃に [6]を含むブックマーク

 07th Expansionひぐらしのなく頃に解』第6話「罪滅し編」を読む。

 劇中で流れる“you”は実に良い曲ですね。作者(dai氏)のサイトから頂いてきて,先ほどから流し続けています。

http://www.geocities.jp/iwamud/

以下,ネタバレを含むかもしれません。

続きを読む

hajichajic 2006/02/02 22:37 何となくAIRっぽい曲ですね。

hajichajic 2006/02/02 22:39 AIRと言えば「AIRARIA」の夏影は無駄に素敵です。なんとなく思い出しました。

genesisgenesis 2006/02/02 22:39 菊次郎の夏とか言うのも禁止だよ

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Wednesday, 2006/02/01

メロンブックス

[] サッポロめろん  サッポロめろんを含むブックマーク

 買い出しに中心街まで出かけたのですが,「メロンブックス札幌店」移転のお知らせが張り出してありました。移転先は……

 「とらのあな」の隣の建物で,

 現在「アニメイト」と「らしんばん」と「livret」が入っているビルの地下1階

だそうです。集積度は加速していく(^^;

http://www.melonbooks.co.jp/

hajichajic 2006/02/03 08:41 都市経済学のお勉強ですね。

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