西島大介『土曜日の実験室』

 西島大介(にしじま・だいすけ)『土曜日の実験室――詩と批評とあと何か』(ISBN:4900785342)を読む。
 すごかった。
 以前,『世界の終わりの魔法使い』を読んだ際,〈読み込み〉に失敗したのだと思って「なんかヨクワカラナイ」と書いた。
http://d.hatena.ne.jp/genesis/20050502/p1
これには私の認識が不足していたところがあったが,あながち間違いではなかったらしい。西島は,極めて自覚的に「ヨクワカラナイモノ」を創り出そうとしている。既存のカテゴリーに取り込まれることを拒否するかのように。
 まず〈あとがき〉を引こう。『ユリイカ』に寄せて,西島は次のように言う。

これらの作品を書くに当たって,いつも僕の頭の中には「詩と批評」という二つの言葉があったような気がします。だから本書には,「Criticism」を「Poetry」に乗せて疾走させたような作品ばかりが集められています。

これほどまで的確に自己の作品を分析をされてしまったら,読み手たる私が考察すべきところなど無いにも等しい。しかも,西島は次のように続けて言う。

けれど(中略)この二つでは足りない。この二つだけでは息苦しい。大切なのは,詩と批評とあと何か……。

その《何か。》をめぐる模索を集めたのが本書。三部構成になっており,(1)ストーリー的/メッセージ的マンガ,(2)批評的/感想的文章,(3)自省的/実験的イラストで組み立てられている。
 中でも第II部に収録されている「いやほんと、どうでもいいんです実際 『物語る絵画』について」には心底うならされた。いや,打ちのめされたの方が正しいだろうか。ここで西島は,「自分でもよくわかんない」絵に「物語を乗せ」ることができるようになるまで時間がかかったことを吐露している。まず先に自己の技量があり,それから能力をどのように活かしていくのかを戦略的に考えているということが読み取れる。
 西島大介の目論見は,反定立(アンチテーゼ)にある。とてつもない強い力で,それでいてそうとは気づかれぬよう,揺さぶりをかけてくる。

 現在素直に読むのを楽しみにしていて、しかも重要だと思える作家は、大勢いる。(中略)たとえば、極めて意識的な作家、西島大介がいる。彼は、21世紀マンガにおけるゴダールになるのかもしれない。(中略)西島大介は、マンガと批評の融合に決定的な一歩をもたらした、悔しいくらいに重要な作家である。
http://d.hatena.ne.jp/nanari/20060113#p1

この指摘は,実に正しい。もっとも――私は西島大介のマンガ作品が好きなわけではない。好き嫌い以前に,どう認識すればいいのか未だに戸惑っている。それでも,あるいは,それが故に,目が離せない。