綾辻行人 『最後の記憶』

 綾辻行人(あやつじ・ゆきと)『最後の記憶』(ISBN:4047881732)を読む。
 「おもに本格ミステリを書いてきた作家が書いたホラー」というのが著者の弁ですが,端的に言ってどっちつかずの失敗作。
 思うに,ホラーに含まれる成分は〈不可知性〉〈不可抗力性〉〈不気味性〉であろうか。本作では,記憶を失う未知の病「箕浦=レマート症候群」,「ショウリョウバッタ(精霊飛蝗)が飛ぶと人が死ぬ」言説,「顔のない」加害者,連続切り裂き殺人――などを絡ませている。もっとも,グロテスクな部分は文字情報であるために弱いのが救い(私はホラーが嫌いだ)。
 しかし,これを本格ミステリの手法で結びつけてしまったが故に,作品としての出来上がりは却って悪くなってしまったのではないか。謎を謎のままに放置することができなくなってしまう。「不可知性」に関わる部分を理屈づけようとすると,超常現象を持ち出してくるか,さもなくば〈認識〉を疑え,になる。特に綾辻の場合,傍点が振ってあったら認識問題だ――というのが経験知としてある。それが『人形館の殺人』のように「本格ミステリからの逸脱」として用いられるぶんには効果を上げていたと思う。『暗黒館の殺人』でも,本格ミステリと怪異の融合は果たしていた(筋立てが面白いとは思えなかったのだけれど)。
 ミステリの匂いはするけれど,その実はファンタジーっぽさを纏(まと)ってしまったホラー。『最後の記憶』における〈ミステリ〉と〈ホラー〉の同居状態は,不幸な取り合わせでしかない。何より,骨格となるべきホラー要素が「立っていない」ので,魅力を欠く。

 「『ユリイカ』の1999年12月号に、小谷真里による殊能将之へのインタビュー「本格ミステリvsファンタジー」というのがあるんですが、この中で殊能が両者の違いについて「ファンタジー幻想文学は拡がっていく想像力」で、「本格ミステリは収束していく(想像力)」だと規定していました。結末に向けて想像力を拡散させて書かれるのがファンタジーであり、一方でミステリは予め決まった結末に向けて全てが収束していく。
http://www001.upp.so-net.ne.jp/r-sato/mystery-fantasy.htm ミステリとファンタジーをめぐる感想戦