朽木ゆり子 『フェルメール全点踏破の旅』

 朽木ゆり子(くちき・ゆりこ)『フェルメール全点踏破の旅』(集英社新書ISBN:4087203581)。映画公開後の人気上昇を当て込んだ便乗本と言えなくもないのだが,長年に渡ってフェルメール(Johannes Vermeer, 1632-1675)を追いかけてきたジャーナリストであるお陰で,良くできた《入門書》に仕上がっている。
 本書の特徴は以下の通り。
 まず第一に,来歴――すなわち,どのような経緯を辿って収蔵されるに至ったのかという観点から,作品を美術館ごとに分類していること。これにより,「絵を訪ねて歩く旅」という主題が明確になっている。とはいえ,来歴「にも触れてみました」という程度のものであるし,ごく浅い触れられ方でしかない。美術館を擁する都市の成り立ちといったところにまで踏み込んでいるわけではないので,来歴紹介は表層的なレヴェルに留まる。また,作品論を展開する叙述の部分では,この手法が欠点として作用していることは否めない。制作された順に並べてみないと《読み解き》は難しいと感じざるを得ない。
 第二に,寓意――すなわち,西洋美術とは切り離しがたいキリスト教との関連性を,無視はしないまでも重視はしていないこと。この企図自体は悪くないのだけれど,その代償として,ジャーナリズムにありがちな論拠に乏しい持論の展開になっている箇所が多々ある。このあたりが,本書を《美術書》や《研究書》に分類するわけにはいかないところ。
 映画を観てしまったがために生じてしまったであろう思いこみを修正すべく,フェルメールを見る視座としてトローニーという概念を強調していることも特徴といえるだろうか。これは,歴史画を描くための人物の習作画から発展したもので,市民の日常生活を描いてはいるが,特定の人物をモデルにしたものではない,というもの。つまり,「あの絵に描かれていたのは,実は……」といった探偵行為の無意味さを戒めている。

 悪く言えば本書は「旅行の自慢話」集なのだけれど,絵の印刷は悪くないし,一人の画家の作品がコンパクトにまとまっているのは魅力。
 しかし,真に全点を網羅した本になっていないズルを犯していることは許し難い。本書で2作品を取り上げていない理由につき,作者自身は「別な機会に見ているから」という抗弁をしているが,少なくとも単行本化にあたって補完しておくのが筋だろう。著者の誠実さ(の欠如)が疑われる。