2011-08-08
66本目:「デストロイヴィシャス」監督:島田角栄
島田角栄監督といえば、以前「ジャップ・ザ・リップ・リボルバー」というドキュメンタリー映画を見ている。
聴覚障害者のロックバンドを取材したものだった。
それは本作にも少なからず影響を与えているように思う。
ヒロインは聾唖者でパンクバンドのボーカル。
主人公との言葉を介しない交流を続け、互いに惹かれ合うようになるが、物語のラストで彼女は絶叫する。
思いのたけを込めて愛してると叫ぶのだ。
魂の奥底からしぼり出したかのようなその叫びは、虚飾のない極めて純粋なものであり、だからこそ熱く胸を打つ。
とても感動的だった。
と、こういう感想を記すと、本作は素晴らしい作品であるかのように思われるかもしれないが、実際はそんなに単純な分かりやすいものではない。
ストーリーには脈絡がなく、舞台となるネオオオサカシティーの世界観もかなりいい加減だ。
いきなり出現するオブジェも意味不明である。
乳房丸だしの内田春菊を筆頭に各界の著名人が出演しているが、そのあまりに強烈な個性のため、見事なまでに本編をぶち壊している。
だが、駄作と切って捨てるには惜しい、魅力的ななにかを本作には感じた。
その無茶苦茶な混沌のなかから立ち上ってくるなにかがあるように思った。
それは、ヒロインの言葉にならない呻き声のなかから発せられる愛の言葉だとか、イメージシーンのなかだけでは聾唖者ではないヒロインが歌う美しい歌声だとか。
そういうとても切ないものだった。
だから、この映画のことを駄作だとは思えないし、嫌いにもなれない。
少なくとも、そういう真実を描いている映画だと思った。
2011-08-07
65本目:「KG カラテガール」監督:木村好克
武田梨奈の前作「ハイキック・ガール!」は楽しかったので、これも期待していた。
結論から言うと、期待以上に楽しめたいい映画だったと思う。
またしても登場する得体の知れない秘密結社のような組織だとか、所有するだけで覇権を示すことのできる伝説の
黒帯だとか、どう考えてもとんでもない設定が目白押しだし、いい加減な展開はあいかわらずでこの点に関しては弁護のしようもないのだけれど、それでも見ていて面白かった。
それはなにより格闘シーンが楽しめたからだ。
なにを期待して映画を見に行くか、それは人それぞれで違うだろうし、映画によっても違うだろう。
この映画に関しては、それは格闘シーンの楽しさだった。
その点において、期待にこたえてくれたこの映画はとても満足度の高いものだったのだ。
生き別れの妹(笑)との宿命の対決。
その妹との共闘で強大な敵に立ち向かうクライマックス。
この2対1の対決は、さながらショッカー怪人ゴースターとダブルライダーとの激闘を思わせて、なかなかエキサイティングなものだった。
こういう格闘ものやダンスやバレエを題材としたものなど特別な身体能力が要求される映画がある。
その場合、演じる俳優に訓練してもらう方法と、その能力のある人に演じてもらう方法とがあるように思う。
それは、その映画が目指すものによって変わるのだろうが、こういう映画でへろへろな格闘を見せられると興ざめもいいとこである。
その点、本作主演の武井梨奈はその構えも体さばきもとても美しくてとても魅力的な存在だ。
これからもこういう格闘ものに出演し続けて欲しいものだと思う。
最後に補足をひとつ。
大人数が戦う乱戦で互いに面識のないもの同士が出会ったとき、その構えで同門かどうか識別できるということが本作のなかで語られていた。
これはとても参考になったことをつけ加えておきたい。
2011-08-06
64本目:「心中天使」監督:一尾直樹
入場券を購入するときに「しんぢゅうてんし」と言ったら「しんちゅうてんし」だと訂正された。
なにか引っかかるものを感じたが、それは本作を見終わったときに見事に解消された。
これは「心の中」にいる天使の物語とでもいえばいいのだろうか。
三つの家族の情景が淡々とつづられていく。
それぞれになにか空虚ななにかを抱えているが、特別なドラマが起こるわけではない。
それが、終盤にある変化が起こる。
けれども、その変化について登場人物のほとんどは気づかない。
それは、登場人物たちの関係においては極めて劇的なものではあるが、あくまでさりげなく描かれているため、物語の流れのなかに完全に埋没してしまっているのだ。
自然すぎるがゆえの不自然さ。
これは、どう考えても意図的なものなのだろうと思う。
違和感に気づいたあと、しばらくして物語は幕を閉じた。
そして、その最後の最後の瞬間、ラストショットで物語の意味をようやく理解できた。
その解釈が正しいのかどうかは分からないが、そのとき、レイ・ブラッドベリのとある掌編のことをふいに思い出した。
お気に入りの物語とこの物語が交わり重なりあった瞬間だった。
それは、とても心地いいものだった。
そういうひとときを感じさせてくれたことがとても嬉しかった。
そういう意味で、物語好きな自分にはとても楽しく見れた映画だったと思う。
2011-08-05
63本目:「We Don't Care About Music Anyway」監督:セドリック・デュピール&ガスパール・クエンツ
エクスペリメンタルな音楽が好みの自分にとっては、ものすごく楽しめる映画だった。
坂本弘道や大友良英は言うに及ばず、かつて新宿タワレコのエクスペリメンタル・コーナーでずっと気になっていた、心音の速さや強さを電球の明滅で表現する音楽(山川冬樹)も実際に見れたのは収穫だった。
ノイズ・ミュージックについて語れるほどその詳細については知らない。
けれど、ノイズとはなにかと考えたとき、それはつまり都市そのものの生み出す活動の音なのではないかと思う。
ノイズキャンセリング・ヘッドフォンを装着してみると気づくことだが、昼間の都市では意識しないほどのノイズがまるで通奏低音のようにずっと鳴り続けているのだ。
それは、わたしたちが生きて活動している証にほかならない。
ノイズは、現代の都市におけるサウンドスケープの極めて重要な構成要素なのだと思う。
さて、門外漢の的外れな講釈はこれくらいにしておこう。
本作はとても楽しめたのだけど、このような音楽に興味のないひとたちにとっては、きっとどうでもいいものなのに違いない。
それでもいいと思う。
逆に、このような映画がシネコンで大ヒットするような状況はなんだか恐ろしい。
だけど、そのようなものを一部の偏屈な愛好家のために作ってくれる監督や上映してくれる映画館はずっと存続しておいて欲しいものだと願っている。
(Trailerはこちら)
http://www.wedontcareaboutmusicanyway.com/ja/special-contents/
2011-08-04
62本目:「SPACE BATTLESHIP ヤマト」監督:山崎貴
本作の原作となったTVアニメ「宇宙戦艦ヤマト」には強い思い入れがある。
だから、正直に申し上げると、本作品はまともに評価することができなかった。
キャスティングについての不満はない。
アナライザーはとても面白かった。
佐渡先生でさえ、あれでいいと思う。
けれども、どうしても学芸会みたいに見えてしまうのはどうしてなのだろう。
以前、正月番組で隠し芸大会というものがあった。
その終盤でドラマが放映されていたが、それに毛が生えた程度のものとしか思えなかったのだ。
メカニックデザインもそれほど魅力的なものではなかった。
ガミラスとイスカンダルについての設定も、何年も前から使い古されたアイデアで目新しさの欠片もなかった。
だけどなにより問題なのは、今現在「ヤマト」が発進する理由を見いだすことができなかったことではないだろうか。
あの時代、「ヤマト」はなんのために旅立ったのか。
それはなにより「鎮魂」と「未来」のためだった。
だから、帰還しなかった「大和」とは違って「ヤマト」は必ず帰還しなければならなかった。
かつて失われた戦友・戦死した家族はどこか遠くの世界で幸せに暮らしていなければならなかった。
二度と戦争を起こさないという誓いのもと、その戦いは防衛のためのものでなければならなかった。
でも、それでも敵国本土を攻撃する展開によって、この国を爆撃された恨みつらみ・うっぷんまでも晴らした。
そして戦時中に受けた大きな傷を癒すために、「放射能除去装置」の獲得が旅の目的となった。
そのすべては「鎮魂」によって戦争を終わらせ、新たな「未来」を作り出すためだったのだ。
軍人としての象徴的存在である沖田艦長が最後に息を引き取り、森雪が目覚めるのも、古き戦争時代の終焉と新しい時代の始まりを演出するためのものだったのだと思われるのである。
では、今回の「ヤマト」はどうだったのか。
悲しいほどにそういうものは感じられなかった。
もちろん、商業的な目論見でリメイクされることを否定したくはない。
だけど、「ヤマト」の場合は、それだけではつまらないとどうしても思ってしまったのだ。
ただ、そのあと3月11日以降、「放射能除去装置」が強く望まれる世界に、この日本が再度、変貌してしまった。
なんという皮肉だろうか。
わたしたちは、この機会にもういちど「ヤマト」の旅の意味について考えてもいいのではないかと思われるのである。
