solo for strings、そしてnexusについて

去年の2月、私はインフルエンザで寝込んでいた。と言っても、なんか熱っぽいなあ、と体温を測ったたら39度あり、人に移してはいけないと思い念のために医者にいったらインフルエンザが判明しただけで、実際に寝込んだのは――というより横になっていたのは1〜2日だけで、私は普通に生活していた(つまり、普通に食事をし、あろうことか酒まで飲んでいた)。インフルエンザが判明した頃はもう回復していたので、もらった薬は捨てたほどである。
横になっていたときに、メロディーの断片がいくつか頭の中に浮かんできた。私はそれらを整理し、それが弦楽器のハーモ二クスで再現可能か否かを検討し、場合によっては音を変え、そうして、そこからふたつの曲を作った。その過程は全て頭の中でおこなわれていたため、忘れないように何回も脳内再生し、翌朝になって――あるいはもう午後になっていたのかもしれないが――それらを五線譜にしたのである。solo for viola 1とsolo for violoncello 1がそうである。
私はこれらの曲を、誰かにどこかで演奏してもらうという具体的なプランを持たずに書いた。ただ作曲したわけである。ではあるが、そのすぐ後に作曲したsolo for viola 2とあわせてsolo for viola 1はJohnny Changと池田陽子、solo for violoncello 1はStefan Thutに送った。そして同時期に水道橋チェンバー・アンサンブルがJohnnyの曲を演奏するコンサートが水道橋のフタリと大崎のl-eであり、そのふたつのコンサートでそれぞれsolo for viola 1とsolo for viola 2は演奏された。solo for violoncello 1のほうは、同年の3月から4月にかけての佐伯美波とのSongsのヨーロッパ・ツアーにおけるシェフィールドでのコンサートにおいて、Ecka Mordecaiによって演奏され、後にStefan Thutのソロ・リサイタルでも演奏された。
こうして、私が"solo for strings"と仮に呼ぶところのシリーズが始まったわけであるが、最初のうちはこのシリーズの曲のそれぞれは純然なソロの楽曲として作曲されていた。ところがこのシリーズにとりかかる少し前にコントラバス/チェロ奏者であるFelicie Bazelaireから、彼女の弦楽アンサンブルのための作曲を私は受けていたのだが、実際にアンサンブルのメンバーの誰がコンサートなり録音のために演奏できるかと言うことが不確定なことも手伝って、私には明確なアイデアがまるで浮かばないという状態が長く続いていた。あるとき閃いたのが、この"solo for strings"を同時演奏したら面白いのではないかということであった。(注1)
弦楽器のチューニングは完全5度、あるいは完全4度(コントラバス)でおこなう。それらが純正にチューニングされるとき、隣り合う開放弦の協和度は高く、それらの弦から発生する倍音はその一部であると解釈すればよいのではないか、またハーモ二クスは純音に近いので、それらから発生する倍音によるうなりを生じることは少くなくなるであろう、というのが"solo for strings"の各曲の同時演奏を実行しよう思い立った理屈である。
このアイデアを後押ししたのが、Songs用に作ったhである。2017年の秋にSongsのツアーをしていたときに、私達は池田陽子、池田若菜、Stefan Thut、Manfred Werderをくわえてのセクステットでのコンサートと録音をおこなった。そのときにStefanが作曲した"amidst"に感銘を受けた(というよりくやしかったのかなあ)私は新たに1曲作ってSongsのレパートリーに入れようと思ったわけである。作曲はデンマークの友人宅で始まったが、多くのパートはそこからフィンランドヘルシンキに行くまでの空港と飛行機の中で書いた。私はギターの2弦をCにチューニングすることで(3弦のGから純正の完全4度に合わせる)、ピタゴラス音律のCメジャーと純正律のAメジャーがハーモ二クスにより同時に演奏可能なことに気がついた。この曲は少なくともギターでは、ピタゴラス音律のCメジャーと純正律のAメジャーによる短い反復するメロディが交互に出てくることで構成されている単旋律の曲である。
しばらくして、これに他の楽器を加えるというということを思いついた。というか、そういう必要が実際に出てきたのである。私は共演者のためにチェロ、コントラバス、サイントーンのパートを書いた。(注2)
このときにいまさらながら気付いたことがふたつある。ひとつはhのためのギター2弦の調弦Cはヴィオラの4弦開放弦のオクターブ上、チェロの4弦開放弦の2オクターブ上と(セント値およびヘルツは)理論的には同じ音程であることと、完全5度で調弦する弦楽器(ヴァイオリン、ヴィオラ、チェロ)ではハーモ二クスによる純正律長音階の演奏が極めて難しいことであった(というか人工的ハーモ二クスを用いずに長音階を奏でることは可能なのだろうか?)。ギターと同じ完全4度で調弦するコントラバスではそれほど高次倍音を使わなくても割合自由な旋律が書けたが、チェロではそうはいかなかったことである。hのためのチェロのパートとコントラバスのパートはまったく違う性質のものとなった。サイントーンはそういった制約から自由であるが――なので使い勝手がよいと言えるが――、私は弦楽器におけるこの制約と縛りがとても面白いと感じるようになった。
歌とギターのヴァージョンでも、それぞれのメロディ(おなじ単旋律を共有する)を完全に縦にあわせることは想定しておらず、それぞれが自分のテンポを維持しながらも相手の音を聴き、むしろところどころで意図的にずれることを望んだ。つまり、A majorのメロディにC majorのメロディが重なってても良かったわけである。チェロとコントラバスもパートもA majorとC majorのメロディーが交互に出てくるようにように書いたが、これらも実際は適度にずれて演奏されることが望ましいので、所謂対旋律とは呼べないものになっていると思う。サイントーンのパートは弦楽器(主にギター)でハーモニクスが弾かれる弦の高次倍音から構成されており、ここに調性的なものはほとんどない。ピタゴラス音律のCメジャーとも純正律のAメジャーともまったく違った音律なのである。これらを同時に鳴らしたらどうなるのか?私はその音が聞きたかった。そして、hのチェロ・パート、コントラバス・パート、サイントーン・パートを書いていた時期が
"solo for strings"を書き始めた時期とちょうど重なっているのである。
次に私は"nexus"というシリーズに着手した。始めたのは去年の8月か9月であったと思う。表向きはソロの曲となっているが――そして実際にソロで演奏されることが多いが――、今度は全ての曲が最初から同時演奏を想定して書かれている。(注3)
このシリーズではあまりハーモ二クスは使われない。今度は逆にハーモ二クスによって失われるであろう倍音に耳をすますことで純正音程(整数比音程)を得ようというのが狙いであった。
私はまず自分の楽器であるギターのために数曲書いた。ギターでどうやって微分音を弾くか、がまず問題となる。ロック・ギタリストであれば大抵知っているテクニックのひとつにベンディング(日本ではチョーキングとして知られている)というテクニックがある。それについて細かい説明するのは面倒なので省略するが、要するに弦を上下に引っ張って音を上げるテクニックである。ソリッド・ギターに張るような細い弦を使えば全音(あるいはそれ+半音)は音を上げられる。だが下げることはできない、と多くのギタリストは思っていることだろう。ところがそうではない。弦のゲージにもよるが、私が使っている12-52くらいの弦でも、20セントくらいは下げられるのである。抑えている指をブリッジ側に引っ張ればよい(ナット側に引っ張れば反対に音は上がり、このやり方を覚えておいてもソンはない)。ただし、どこでもというわけにはいかない。そのやり方で音が下がるは7フレットくらいから先である。
具体的に書くと、nexus 1 (for guitar)で私が使った音律は、1、8/7、5/4、4/3、5/3の5音音階である。まずはシンプルなものからスタートしたかった。1は4弦の開放弦Dにした。それをもとに(つまりその開放弦に含まれる倍音を聞きながら)純正音程をとるには、8/7と5/4を5弦の7フレットと9フレット使って弾かなければならない。(注4)5/4を3弦の開放弦にあてるという手もあるが、私はその開放弦を4/3のためにとっておきたかったのである。そこから音をとるガイドとなるであろうシンプルな整数比音程にはなるべく開放弦をあてたほうがよいと私は思う。
8/7を得るには、開放弦Dをガイドにして、その第7倍音が5弦7フレットをベンディングした音の第8倍音と近くなれるようにすればよい。そのふたつの倍音間に生じるうなりを注意深く聴き、そのうなりがなくなるようにすれば、望んだ整数比に近い音程になる。5/4は5弦9フレットを使って、先述のテクニックで音を下げる。4弦D以外にも2弦開放弦B-18もガイドになる(そういうところもこの曲にはある)。この音程はとりやすいと思う。
しかし、私はそれとわかるダブル・ストップ(重奏)をこの曲では使っていない。音程をとるためとは言え。これ以上の制限を設けたくなかったのと、他の曲との同時演奏が頭にあるので、まずはなるたけ単純な曲をまず作りたかったのである(後に作ったnexus 6 for guitarではダブル・ストップがフィーチャーされている)。その代わりに、隣り合うふたつないしみっつの音をなるべくオーバー・ラップさせることで音程をとるやり方を選んだ。
nexus 2はヴィオラのために書いた。今度はギターとは違い、低い弦をガイドとして鳴らしながら隣の高い弦を弾くようにしたが、それはその方が指使い的にも楽になるからでもある。この曲では全編にわたってダブル・ストップで奏されるがこれも楽器の特性と弾きやすさ(音程のとりやすさ)を考慮した結果である。そしてすべてのダイアド(2音の和音)は完全5度より広いものとなった(しかし、そのほうが協和度が高くなるケースも多い)。
短い解説を書くつもりが長くなってしまいました。続きはまたの機会ということで、最後に、去年の11月にベルリンで私の弾くnexus 1、Denis Sorokinの弾くnexus 3、Johnny Changの弾くnexus 2の同時を試みたが、大変に満足できる結果となったことを報告しておこう。


(注1)
これまで書かれた"solo for strings"の曲は、solo for viola 1、 solo for violoncello 1、 solo for viola 2、 solo for the E string of guitar、 solo for violin 1、 solo for contrabass 1、 solo for the G string of vc or cb 1、 solo for the G string of vc or cb 2、 solo for the G string of vln or vla、 solo for sine-tonesであるが、同時演奏のアイデアが浮かんでから書いたのはsolo for contrabass 1以降の曲になる。またsolo for the E string of guitarとsolo for sine-tonesはいわば番外であるが、"solo for strings"各曲との相性は良いはずである。
ギターが弦楽器であることとハーモ二クスの音色がサイントーンに近いからである。実際に、Felicieによるsolo for violoncello 1、Stefanによるsolo for violoncello 1、私によるsolo for the E string of guitar、Léo Dupleixによるsolo for sine-tonesの同時演奏はとても興味深いものとなった。
(注2)
しかしこれまでにチェロ、コントラバス、サイントーンがそろったことは一度もない。
(注3)
これまでに書いたのは、nexus 1 for guitar、nexus 2 for viola、nexus 3 for guitar、nexus 4 for voice and guitar nexus 5 for guitar(s)、nexus 6 for guitar、nexus 7 for violin、nexus 8 for viola and/or voiceである。ギターや弦楽器のための曲が多いが理由は本文に書かれていると思う。
(注4)
発言楽器は弦の長さが短くなると減衰も早くなる。例えば1弦開放弦Eのほうが3弦9フレットを押さえてだすEよりも減衰が遅い。このことは考慮にいれなくてはならない。