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2008.09.15.

[][][]仮象論のパラドックス――〈ゲームシステム〉と〈テーブルの合意〉を区別する

 私が〈イマジナリィ・ボード〉ということばを言い始めてから、3年が経ちます。*1

 それから、『ペテン師の戯れ言』で図解を挟みながらより高度な展開をされている玄兎さん、『Scoops RPG』でゲーム論とゲーム理論の区別を行い、そこから「RPGにおけるゲームボードの考え方」について意見をくださった馬場秀和さん他、その他のTRPG論客の方々に時おり参照していただくこの言葉ですが、私は一つ、このモデルに対する大きな困難に直面していました。

 それは、「意味」と「指示」の関係にまつわる問題です。

 その問題はここ1ヶ月くらいでようやく解決を見たのですが、先日TOMEちゃっとでVampire.Sさんと会話した結果、「これで明解に語り直せるかな」という感触を得ました。Vampire.Sさんに許可を頂きましたので、そのチャットの一部を抜粋しつつ、ここにエントリとしてまとめて置こうかと思いました。

 2日かけて仕上げた、ながーい文ですので、お時間のない方は今度ゆっくり読まれることをおすすめします。

 以下の4部構成になっています。

  • 対談の前に(1)――論理学における「虚構の対象」に関する取り扱い
  • 対談の前に(2)――西村清和が指摘する〈仮象論の罠〉
  • 対談の前に(3)――TRPGにおいて、「意味(名)」と「指示(対象)」を結びつけるのは誰なのか?
  • 対談:「同人TRPGシステム『ルーンウォーズ』における形式言語の思想


対談の前に(1)――論理学における「虚構の対象」に関する取り扱い

 「意味と指示」について、具体例をまじえつつお話しします。ここでは、「意味」と「指示」という言葉を、それぞれ「意味(Sinn(独), sense(英))」*2と「指示(Bedeutung(独), reference(英))」*3とほぼ同じ意味で使うものとします。*4

 たとえば、次のような文章があるとしましょう。

「現在のフランス王は禿である。」

 2008年09月現在、「フランス王」という存在はこの地球のどこにもいません。「お話の世界」とか「自称」はあるかもしれませんが、常識的な意味では「この世にいない」わけです。

 さて、「現在のフランス王」です。このフランス王が「禿である」とこの文章は述べています。

  • 主語「現在のフランス王」
  • 述語「〜は禿である」

 というわけです。こうした「主語・述語」で、平易に記された平叙文のことを〈命題〉と呼びます。*5

 さて、論理学というのは、その命題が「真」であるか、それとも「偽」であるかを問うことができます。この「問う」とは、意味を考えて問うのではなく、その形式的な体系それ自体に矛盾があるかないかで問うことになるのです。

 形式的? 意味を考えて問うのではない?

 ちょっとややこしいですね。でも、「意味/指示」を分けて考えるというのは、このややこしさと格闘するということでもあります(わたしもよく混乱しました。今でもそうかもしれません)。もう少しだけいっしょに考えてみましょう。

 二つめの事例を提出します。

「現在のフランス王は禿である。かつ、現在のフランス王は禿ではない。」

 これは、2つの命題が結びついていますね。

  • 〜は禿である。(対象:現在のフランス王)
  • 〜は禿ではない。(対象:現在のフランス王)

 という感じですね。

 さて、これは「対象:現在のフランス王」は同じでありながら、「禿である」「禿でない」と、逆のことを言っています。

 これは、真逆のことを言っているので、同時に成立することはできません。このような「ある命題の肯定と否定が同時に存在することはありえない」という論理的なルールのことを矛盾律といいます。

 では逆に、こういうのはどうでしょう。

「現在のフランス王は禿である。または、現在のフランス王は禿ではない。」

 これは、「または」でつなげていますが、肯定と否定を裏返して、ほぼ同じ文章になっています。

 「現在のフランス王は禿である」を記号Aに置き換えてみましょう。そうすると、次のように書くことができます。

「A。または、非A(Aではない)。」

 このような形式で書かれる複合的な命題のことを、〈トートロジー〉と言います。トートロジーは別名「恒真式」とも言います。この形式で語られた命題は、常に正しいのです。例文で言えば、フランス王が禿であろうと、禿でなかろうと、この文章は常に正しい、ということになります。

 これにならえば、さっきの矛盾律の文章はこんな感じです。

「A。かつ、非A(Aではない)。」

 

 これもわかりやすいですね。どっちも私たちには、ピンと来る内容です。

 さて、ここまで〈矛盾律〉と〈トートロジー〉の2つを紹介しましたが、ここまで長ったらしく説明したのにはわけがあります。

 私は、この〈矛盾律〉と〈トートロジー〉について説明する際は、一度も「現在のフランス王が禿である」という命題が、この現実に照らして正しいかどうかを、一切口にしてはいません。

 これが、論理学のキモです。

 わたしたちは、現実にある「対象(指示)」と無関係に、「そのことば(命題)が意味するところが“形式的に”整合性がとれているかどうかを、検証することができるのですね。

 さらに言い換えます。わたしたちが使っている言葉の世界には、正しさに対する2種類の基準があるのです。

  • 「ことばの形式そのものに照らし合わせて正しいと言えること」
  • 「私たちが生きるこの現実と照らし合わせて正しいと言えること」

 前者では、「ことばそれ自体の形式的な関係」について考えます。

 ところが後者は、「ことば」とは別に、「その言葉が指し示すもの」も含めて考えるのです。

 論理学では、後者のようなものを〈経験命題〉として、論理学の対象から除きます。そして、「現実に存在するもの」と「意味をあらわす名辞」との関係について考えるほかの哲学にその仕事を委ねてしまいます。厳密な論理学は、ことばの形式しか扱わないのです。

つまり、「意味を正しく考える」という時には、以下の2通りのやり方があるのです。

  • 〈意味〉の形式それ自体について考えること」
  • 〈意味〉と〈指示〉の対応関係について考えること」

 前者が論理学の領域であり、後者はもっと広い、哲学(あるいは言語学における「語用論」)の領域となります。

 ……ここまで確認していただいたところで、大急ぎでTRPGの話に戻りましょう(笑)。これは一応、TRPGのためのエントリですからね。

 さてTRPG(=〈ロールプレイング・ゲーム〉)は、「ここではない架空の状況」を想定した上で、ゲーム的規則にのっとって営まれる“ことば遊び”です。

 したがって、そこには自然科学社会科学など、私たちがふつうの日常で接する〈経験命題〉と照らし合わせれば、まったくそぐわない意味をもつ名辞が多く登場します。

 「ドラゴン」「ペガサス」「魔術師」「マンティコア」「異形母神」「ネクロノミコン」「ビームサーベル」「神々の戦争」etc...。

 先ほど述べた「現在のフランス王」どころの話ではありません。科学的考証うんぬんというのもだいぶ難しいものばかりです。TRPGをめぐる言葉には、こうした実際に指示対象を確認することすら不可能な「意味」に充ち満ちています。

 そして、そのような「現実に対象をもたない名辞(なまえ)」や、それによって表される命題のことを、論理学では〈虚構文〉といいます。

 虚構文は、形式的な真偽で検証することはできません。なぜなら、その名辞と対応する「対象」が存在しないからです。

「名・命題」に対応する「対象」が存在しない。

 このことを「ナンセンス」といいます(これは「くだらない」という意味ではなく、「真偽を問うことができない」という意味です)。

 にもかかわらず、TRPGの参加者は、「現実に指示対象のない名を使って、互いに“ある種独特のリアリティ”を共有し、対話を維持する」という、とても不思議な遊びをしています。

 これがどうして成立できてしまうのか? 私たちは、こうした営みをどういう風に把握して遊べてしまえているのか?

 私は、こうしたことについて、うまく説明・解釈を加えることができていませんでした。〈イマジナリィ・ボード〉についてその後につづく議論を展開することができなかったのも、こうした「虚構の指示対象をTRPGはどのように解決しているのか?」を、うまくことばで言い表すことができなかったからです。

対談の前に(2)――西村清和が指摘する〈仮象論の罠〉

 しかし、ここ2年ほど、文献を読みながら考えた末、ようやく私は、何につまづいていたのかに気づきました。

 そのつまづきとは、「現実/虚構」という二項対立にもとづいて、「遊び(play)」や「ゲーム(game)」の意味的な内容を捉えよう、としていたことでした。

「遊びとは、現実とは隔絶しているが、別次元の意味をもった特別なものだ」

 こうした先入観こそが、ゲームを分析する際に大きな偏見をもたらしていたことに気づいたのです。

 ところで、こうした遊び論に関する基本的な誤謬をおよそ20年前にすでに批判し、独自の遊び論・芸術論を開拓していた人がいます。芸術哲学を専門とする学者、西村清和です。

 彼は、古典的な遊びの研究――プラトンアリストテレスカントシラー、ランゲ、グロース、ハルトマン、ホイジンガ、カイヨワ、フィンク、アンリオ、ベイトソン、ガダマーなどの遊び論研究をつぶさに検討しつつ、従来の遊び論の多くが〈仮象論の罠(パラドックス)〉にとらわれている、ということを批判しています。

 従来の仮象論のあやまりは、すくなくともいったんは、仮象がもっぱら、〔傍点〕内容的には〔/傍点〕実物と同一であると混同すること、そしてそのうえで、これが実際には欺瞞であり、影や幻影でしかないとする点にあった。仮象を「たんなる仮象」と見ぬくことは、すでに言及したように、結局は、仮象の蜃気楼をとおして現実を見とおすことであり、もっぱら現実との関説にのみ腐心する論理的仮象をいいたてることである。これによっては、われわれはどこまでも、「実在ではあるが実在ではない」というパラドックスの循環におちいるほかなかったのである。だが、仮象と現実を経験において「混同しない」とは、積極的なかたちにパラフレーズすれば、いわゆる仮象仮象感情、つまり作品やそれがおよぼす心理的効果は、そもそも現実とはことなった特性をそなえた別のもの、独自の存在であるという認識である。(中略)

 ここまでくれば、のこる問題はただひとつ、一方でこの仮象の独自存在と、他方で現実性とを「混同しない」という経験の「事実」の解明である。(西村1989: 197-8)

遊びの現象学

遊びの現象学

 西村氏のこの著作の論旨を整理しますと、おそらく以下のようなものになるでしょう。

  • 「遊び」とは、「労働や生存闘争に対する準備」ではなく*6
  • 「聖なる儀式の堕落」でもなく*7
  • 「現実から虚構からの逃避」でもない*8
  • 「主体が遊びつつ、(遊びに)遊ばれもする、そのような独特の存在様態」である

 最後の「遊びつつ、遊ばれる」という独自の遊びの特徴について西村は指摘しており、遊びが何か他のものに従属したり優越したりするような見方を、論駁してるのが『遊びの現象学』です。

 そして、上の〈仮象論の罠〉の指摘についても同様です。私たちはしばしば「仮象的な何か」に対して「現実/虚構」という二項対立を見出し、その中で「芸術作品と現実の関係」や「遊びと現実の関係」を考え、「遊び=虚構の、現実の外にあるもの」として結論しがちです。しかし、それこそが、「遊び」という現象を見誤る根本的な原因となっているのではないかと西村氏はいうのです。

 先日、ゲーム論研究の参考文献としてジェスパー・ジュールの思想にも少し触れましたが、彼もまた「ゲーム」と「フィクション」の関係についてどう考えるか、という観点からゲーム論を展開しています。最新の著作はその名も "Half-Real" 。

Half-Real: Video Games between Real Rules and Fictional Worlds

Half-Real: Video Games between Real Rules and Fictional Worlds

 ところが、どうもこのジュールや、「ゲームという虚構のリアリティ」みたいな考え方でものを考えてゆく方向はあやしいぞ、というのが、ゲーム論について考えてきた私の、大きな方針転換でした。

 むしろ、ゲームやという行為を「一種独特の、社会的行為」として考える。

 ゲームという行為もまた「社会的現実」の内側にあるものとして捉える。

 こうした観点から、私たちは「ゲーム」について考え直すべきなのじゃないか。

 私は〈仮象論の罠〉にまんまとはまっていたのではないか。

 その罠から抜け出るために、簡単に説明した論理学の話が生きてきます。

対談の前に(3)――TRPGにおいて、「意味(名)」と「指示(対象)」を結びつけるのは誰なのか?

 ここで、ふたたび「意味/指示」の区別について考えましょう。

 論理学では、先ほど確認したとおり、命題同士の形式的な正しさを扱います。

 ところがTRPGでは、形式だけではやってられません。ゲーム内に、〈名〉と合致する〈対象〉をつねに探り続けます。〈虚構文〉をガンガン提示しながら、「架空の状況における、経験的命題」を定量化したり、定性的に考えたりするのです。

 「筋力値」「ヒットポイント」「技能」「アーティファクト」など、判定系に関連するあらゆるものは数値データとして扱われます。

 登場したモンスターやNPCや、PC同士の関係などのうち、データになりきれないものは「コネクション」とか「縁故」とかでそのまま文章的に定義されます。

 さて、これは、果たして「虚構の状況」を指し示しているものなのでしょうか?

 それとも、「私たちの世界に通じる、現実の状況」を指し示しているものなのでしょうか?

 ……答えは、どちらでもありません。

 それらのデータや文章が指し示しているものは、せいぜい「ゲームそのもの」であって、何か対象が仮定される(現実の/虚構の)世界ではないのです。「ゲームという行為がもたらす、独特の現実」であって、「よりすばらしい別世界へ行く」ものでもなければ、逆に「現実より現実らしい真理を示したなにか」とかでもない。――〈仮象論の罠〉から脱出しようとすれば、こういう言い方になります。

 このことを裏付ける格好の事例として、先にVampire.Sさんの対談でのことばを引用しましょう。

【Vampire.S】:とりあえず、最初のTRPGであるD&Dにおいて、〈対ドラゴンブレスセービングスロー〉というメカニズムがあるのですが。これの「意味」を説明してみてください。特に、〈対毒・死の光線セービングスロー〉との違いが明白になるように。

 それがもし「現実に意味を問えるもので、コンセンサスメカニズムを生み出すデザイナー達の中に内在的・アプリオリに存在した」と主張するなら……恐らく、TRPGメカニズムには“常に、明白な意味”があるでしょう。

 ただし、私はこの例が“TRPGに対して意味を問うこと”一番簡潔な反例になっているとは思っていますが。

 これを私なりに説明し直してみましょう。

 この二つは、どちらも新和版D&Dにおけるルールシステムの一部です。

 ところが、ここで言われている「ドラゴンブレス」と「毒・死の光線」とは、一体ゲームが記述する〈背景世界〉においてどのような「指示対象」を持っているのだろうか? 本当にそれは、それらの言葉が意味するものと厳密に一致するようなものなのか?

 そういう問いを、ここでVampire.Sさんはしているわけですね。

 実際には、ゲーム中の〈対ドラゴンブレスセービングスロー〉が、厳密に「その世界でドラゴンブレスと呼ばれる現象に対する対抗判定」であるとは限りません。その適用範囲は、ダンジョンマスターの裁量によって決まります。システムデザイナーは、その「裁量」をどこまでも限定することができない。なぜなら、そこにD&Dという「意味のシステム」はあっても、「○○セービングスロー」の適用範囲を厳密に定めるような「たった1つの背景世界」、「対応する対象のシステム」がないからです。

 もし、そんな対象があるなんて言い出したら、それはプラトニズムです。「俺以外のゲームマスターのルール裁量は全部間違っている」みたいなことになります。そういうことを言うゲームマスターは、素朴に「意味」と「指示」の一体一対応を信じてしまっているということになります。ところが、そのような「一対一対応」が可能な背景世界、「指示対象」がほんとうに存在するかどうかを、私たちは知ることができないのです。

 これ言い換えると、次のようなことになります。TRPGというゲームにおいては、システムデザイナーから豊富な「意味」が与えられているにもかかわらず、セッション現場では、その与えられた意味とは関係なく、「指示対象」と「意味」の関係の束をゼロから再構成しなければならないのです。まだどんな指示対象も持たない「意味」を、ゲーム中に語られる「指示対象」を関連づけることで、はじめて私たちは、TRPGというゲームにおいて「対象をもつ意味」を把握することができるわけです。

 そしてVampire.Sさんによれば、そうした「意味」と「指示」を関連づける作業は、どこまでいってもシステムデザイナーにはできない。あくまで〈テーブルの合意〉によってのみ、TRPGセッションの「意味」は「指示対象」を持つのです。

 こうした事例は、D&Dに限ったことではありません。たとえば、FEARの『トーキョーN◎VA』シリーズでは常識化した「相当品ルール」や「データ優先演出後付」なども、これと同じような理解に立って行われているものと言えます。システムは、形式しか扱わない。その意味は、プレーヤーとゲームマスターの合意によって、後付でよい。

 そして、そうした〈テーブルの合意〉は、TRPGにおいて今まで色んな作法にのっとって行われてきました。

 『RPG日本」の鏡さんが継続して構築し続けているような「自由な遊び方」しかり、FEARで定式化された「セッショントレーラ」「ハンドアウト」「ゴールデンルール」といった種々のアイディアしかり。古今東西のカジュアルセッションでつくられてきた数々の「ハウスルール」や「独自設定」しかり。そして芝村裕吏氏の『Aの魔法陣』で提唱された「内包的定義/外延的定義」の区別しかりです*9

 まとめましょう。私たちが「TRPGシステム」と呼んできたものには、2種類の「意味」にまつわるものがあります。

  • 「ある傾向をもったゲーム的状況を提示するための、まとまった〈意味〉の体系」
  • 「テーブル間で〈意味〉と〈指示〉の関係を一つ一つ繋げてゆくための手続き」

 この間に、「どのように〈意味〉と〈指示〉を結びつけるか、というガイドラインが考えられます。

 そして、それが「シナリオ」や「サプリメント」の補填によって与えられるか、「リプレイ」や「セッションログ」という形式で与えられるか、それとも「参考にするべきその他の映画・小説・漫画・アニメーション作品」を列挙することで与えられるかは、そのシステムが生まれた文化的風土によって違ってきます(もちろん、それらの複合であることもしばしばです)。

 その上で、私が〈イマジナリィ・ボード〉と呼んできたものは、事前に「システムデザイナーの意味」が提示されていることはあるかもしれませんが、あくまでそれはゲームマスターとプレーヤーたちの――セッションの現場で再構成される〈テーブルの合意〉の手続きに関するものだったと言い直すことができるでしょう。

 そしてその最初の〈意味〉に対して、何らかの特別な意味をア・プリオリに(=先行する、自明なものとして)仮定することが結局不可能なのは、先ほどの〈セービングスロー〉の例や、F.E.A.R.の「相当品ルール」(というより、指針?)などの例を見てもわかる通りです。

 そのようなわけで、私は「現実/虚構」という区別でTRPGを探求するのではなく、「あるまとまった形式の体系(ゲームシステムの操作)」と、「それらの意味の体系をゲーム的な対象と関連づけ、遊ぶ環境をつくる作業(イマジナリィ・ボードの作成)」が、どのように相互作用しているのかというアプローチに切替えて、改めて〈イマジナリィ・ボード〉について考えてゆくことができるかもしれない――という展望を拓くことができるようになりました。

 これから紹介するVampire.Sさんの文章とは、一部では私の言葉使いと食い違っている部分もあるかもしれません。しかし、私がここ最近でようやく〈仮象論の罠〉を脱出し、そのためにVampire.Sさんとこのようなやりとりが可能になったということは、自分にとって一歩前進したものだと考えています。

 補足のつもりだった説明が、こんなに長くなってしまいました。

 とりあえず、今回のVampire.Sさんとの会話で、以上のようなことを考えていたこと、ここに公開しておきます。

同人TRPGシステム『ルーンウォーズ』における形式言語の思想

  • 参加者
    • Vampire.Sさん
    • 石頭さん
    • 高橋志臣

Vampire.S氏による同人TRPGシステム『ルーンウォーズ』はこちらに紹介があります。石頭さんと私は、Vampire.Sさんをナレータとして、一度プレーヤー参加をしたことがあります(R=Wの専門用語が飛び交っているのはそのためです)。

 なお、Vampire.Sさんは情報科学プロパーであり、TRPGを形式論理の側面から考えている方でもあります。一方で私(高橋)は、ミクロ社会学における社会的知識の取り扱いを学んでいる関係で、TRPGを「社会的相互行為」として捉えています。したがって形式論理よりも、語用論的に意味が形成され、承認されてゆくプロセスの方に焦点を当てて考えることが多いです。

 そのような違いを念頭に置いて、読んでみてください。

【Vampire.S】:ちなみに、R=Wにおいては、《奥義》のみ、相対ルーン強度でR+2に作用します。従って、《奥義》の連鎖でキャラクター間に〈縁故〉を結合すれば、端末からの情報を中枢で処理できます。

【石頭】:そこらへんの解釈が面白いですよね>端末 ちょっちサイバーパンク(笑)いや真面目です(笑)

【Vampire.S】:サイバーっちゅうか、とにかく『ルーンウォーズ』(以下「R=W」)は“言語”及びそれのみに依拠する体系なので。それを形式化すると、必然的に情報用語で定義されていることになります >R=W それが“デジタル”だの“サイバー”だのの印象を与える原因でしょうね。

【高橋(志)】:言語に依拠する、とは、何に依拠していないんですか? やはり「意識」とかでしょうか?

【Vampire.S】:絵画、とか。例えば、R=Wでは、

  1. RPGの範疇に入る『ぴよぷるんストーリー』エミュレートできません。
  2. 同様に、2chVIP板などで見られる「>1がアンカーリクに答えて絵を描いていくスレ」といった遊びも実装できない。

【Vampire.S】:音楽・絵画・動画等のメディアは、クーポン等の単位に分割できないため、的確な量としての達成度を定義できないからです。で、いわゆるTRPGにおいて、キャラクターシートのかなりの大きさを“肖像画”が占めますよね? 従って、厳密な意味においては、R=Wはいわゆる普通のTRPGエミュレートできないのです。

【石頭】:確かに肖像画は重要ですね。なるほど。では的確な量としての達成度を定義するように組み込めば可能ってことですか? 

【Vampire.S】:可能ですが……もし仮に言語的にそれが可能であれば、我々は、同じ形式言語を用いて人工知能を構成可能です。しかるに、そのような人工知能は現存しません。したがって、予見可能な未来において、人類はそのような言語を持つことは無いでしょう。

【石頭】:なるほど ただ個人的には曖昧でよければ、それなりに普通のTRPGとしても遊べそうな気もします。……この場合の普通とは、という疑問もありますが(笑)

【Vampire.S】:もちろん、それはその通りです。そもそも、厳密な意味のR=Wプロトコルは人間要素を〈オラクル〉として実装していますから、そちらの人間力によって解決してしまえば、合法なR=Wメカニズム範疇内でアナログ情報は処理できます。ただ、R=Wが認める最大限譲歩したアナログ情報はいわゆる“物語”なので“物語の存在を否定する意図を持った作品”は、実装が非常に困難になりますが。

【石頭】:すみません、その場合のオラクルとはどういう意味でしょうか?

【Vampire.S】:「現在問題にしている形式言語体系に対して、非構成的に外部から与える入出力関係のこと」を、一般にオラクルと呼びます。数学基礎論及び計算量理論で使用される概念です。

【高橋(志)】:確かにR=Wでは、「素朴な発想をそのまま状況設定に載せる」ってことが難しいですね、そういえば。

【Vampire.S】:はい。より正確には、R=Wは積極的にその行為を禁止しています。ゲームに参加するメンバーは、常に自分の持った“イメージ”を有限の言語列に分解して、テーブルの他のメンバーと共有しなければなりません。そうしなかった“イメージ”は、R=Wでは存在しないモノとして扱われます。ただし、ゲーム中にでちゃんと“発話”できれば、それ以降は(R=Wでは)ルール的に合法なゲーム要素として扱われます。

【高橋(志)】:つまり「事前に言語に表現出来なかったイメージを、ゲームの外から「形をともなった対象」として挿入することができないようになっている。……何回言い換えてもなんとも言いがたい難しさが(笑)。「思いつきでゲームボードを開拓する」という、共同デザイン的な楽しみを禁止してる(そのぶん他のところに注力している)。

【Vampire.S】:いや、「共同デザイン的な楽しみを禁止してる」とは逆ですね。可能な限り共同デザイン手続きになるよう“イメージ”に関するフォーマットを定めているわけです。なので、R=Wの一番中心は、〈R=Wプロトコルと名付けられています。その結果として、例えば、[テーブル]の分裂をメタルール上禁止しています。

【高橋(志)】:「共同デザイン的な楽しみをフォーマット化している」が正しいのですね。「想像したものを、表現としてゲーム上で定義する手続きが非常にタイトに決まってる。テキトーでない」と。……わかってきました。ほかのTRPGがその手続きをどうルーズにしているか、という話と対比させると、少しずつ。私はその手続きによってできるものを〈イマジナリィ・ボード〉と一時期呼んでましたが、だいたい恣意的な手続きなので。

【Vampire.S】:「イマジナリィ・ボード」に関しては、恣意的というか、あくまで当否を論じるための体系だったと思います。即ち、“意味”に束縛されていたように感じました。R=Wは、当否はどうでもよいです。それを決めるのはデザイナーではなく、テーブルのメンバーなので。デザイナーが提供できるのは、あくまで形式であり、その上での真偽に過ぎない。という風にデザインしています。というのも、R=Wで仮にグローランサを記述したとしても、常にグレッグがそれを覆す権利を有しているからですね。

この「イマジナリィ・ボードの議論は〈意味〉に束縛されていた」という指摘は、2007年10月時点でVampire.Sさんから一度お伝えいただいている。しかしその当時の私は、まだVampire.Sさんのこうした言語観を理解しないまま返答してしまっていた。*10

【高橋(志)】:分析哲学的な文脈での「意味/指示」の関係でいいのかしら。

【Vampire.S】:微妙。分析哲学は確かに近い分野ですが、正確には、やはり形式言語の理論を参照してください。

【高橋(志)】:言語学のほうですか? ソシュールの。それともアリストテレス

【Vampire.S】:いいえ。論理学、数学基礎論そして、情報科学です。

【高橋(志)】:論理学といった場合、私はフレーゲの論理学を想像するのですが、それで合ってますでしょうか。

【Vampire.S】:ゴットロープ・フレーゲであるなら、問題ありません。ただ、わざわざフレーゲを読むくらいなら『ゲーデルエッシャーバッハ』(GEB)とか読んだ方が分かりやすいでしょうが。

【高橋(志)】:ああ、GEB読んでないのですよ。そうか、GEBなんですか。『マインズアイ』もでしょうか?

【Vampire.S】:たぶん、そうだろうなと思っていました >GEBを読んでない。マインズアイは、オヌヌメできません。アレは、思索的すぎる。

【高橋(志)】:ホフスタッターはちょっと今の自分には鬼門かなーと思っていましたので。こないだ『論理哲学論考』を読破して、ようやくフレーゲラッセル→前期ウィトゲンシュタインの流れがわかりました。

【Vampire.S】:アリストテレスヴィトゲンシュタインは近傍に存在しますが、哲学文学を見いだすようでは、足りません。技術を見いださねば。そこのキモが分かれば、即ち、手を動かして機械的に論理をおい、無感動に真偽決定ができるようになれば、はじめて、フレーゲ達の“哲学”が分かったことになります。なぜなら、彼らの目標は知性の形式化にあったのですから。

 論理的体系に問えるのは、「その内部における矛盾の有無」、及び「その体系の記述能力」に過ぎません。前者を〈無矛盾性〉、後者を〈完全性〉と呼びます。

【高橋(志)】:うーん、私は「ナンセンスなはずのものに意味が付与される」という逆説に興味があったのですが、それは文学的な読みなのでしょうかね。……また、グローランサ世界は論理学の文脈で言えば、すべて「ナンセンス」あるいは「偽」と判断されそうに思うのですが。ここは長年一人で悩んでいたので突っ込んで聴いてみます。

【Vampire.S】:恐らく、“現実”という論理に対して不要な要素を考慮に入れているのではないかな、と思います。真偽と当否は別の概念です。おっしゃるような“虚構文”は、当否であれば「否」でしょうが、それが論理的に真であることは一向に差し支えありません。

(Vampire.Sさんは、「当否」と「真偽」を区別している。「当否」は、現実と言語の一致に対するものであるが、「真偽」は言語そのものに対する真偽。したがって、ファンタジー世界(のようなもの)を記述した言語が「論理的に真」であっても、それは現実の当否とは何の関係もない、ということを述べていると思われる。)

【高橋(志)】:つまり、「とにかく現実を問わない」わけですね。

【Vampire.S】:その通り。現実を問うのは、当否を問うことになります。それは、人間の仕事であって、機械の仕事ではない。意味は人間が当否に基づいて付与する概念です。機械は、ただ定義に基づいて真偽を決定します。

【高橋(志)】:私は、TRPGを社会的行為の一部、とも捉えていますので、問題を二重化しちゃってるんですよねー。

【Vampire.S】:二重化というか、とにかく、真偽を何を持って担保するかが明瞭になる必要があるでしょう。TRPGについて、真偽が決定できる命題は、現時点においてどれくらい存在しますか?

【高橋(志)】:現段階では、「とりあえず、名辞が語られていることは間違いない」と考えています。ここ2-3年は、〈意味〉と〈指示〉の関係をTRPGの内側に求めていたのは確かです。けれどここ数ヶ月は、「意味そのもの」が「現実に指し示せる対象(意義)」と対応している必然性はないな、という結論が出つつあります。

【Vampire.S】:とりあえず、最初のTRPGであるD&Dにおいて、〈対ドラゴンブレスセービングスロー〉というメカニズムがあるのですが。これの「意味」を説明してみてください。特に、〈対毒・死の光線セービングスロー〉との違いが明白になるように。それがもし「現実に意味を問えるもので、コンセンサスメカニズムを生み出すデザイナー達の中に内在的・アプリオリに存在した」と主張するなら……恐らく、TRPGメカニズムには“常に、明白な意味”があるでしょう。ただし、私はこの例が“TRPGに対して意味を問うこと”一番簡潔な反例になっているとは思っていますが。

【石頭】:なるほどねえ

【高橋(志)】:そうですね。意味は結局、デザイナーが決めるのではなく、プレイグループでその都度付与される。だからシステムは「指示」にまで関わらない。「意味の形式」だけに関わる。そういうことですね。

【Vampire.S】:その通りです。正確には、“メカニズム指示にまで関わらない。形式だけに関わる。”ですね。

【高橋(志)】:そのあたりを……実は『論理哲学論考』の野矢茂樹訳を読み切ってようやくわかったんですよ(笑)。あそこにはラッセルフレーゲの批判もあったので、注釈で学説史を補完出来た。

【Vampire.S】:申し訳ありませんが、私個人はウィトゲンシュタインを薦めませんが、それは、私の思想的立場の問題と捉えて頂いても結構です。

【高橋(志)】:はい。了解です。

【石頭】:ちなみに初学者にお薦めってなんでしょか 『ゲーテル・エッシャーバッハ』とかですか? 面白い本ですよねあれ。

【Vampire.S】:まぁ、あの厚さに怯まないなら。簡単なヤツだと、ブルーバックスゲーデルネタの本が面白かったと思います。あと、個人的には、『メタマジックゲーム』の方がオヌヌメぶっちゃけ、私はGEBを読んでないし(笑)(メタマジックゲームはバイブルなんですがね)

【石頭】:なーるほど(笑)。

【Vampire.S】:コメントしておくと、ホフスタッターは、一つのことにこだわるより、色々なネタを効いた方が面白いです。

【高橋(志)】:メタマジックゲーム、GEB、マインズアイの3冊でしたか。バイト先に置いてあるんで勝手に読んでみます>3冊

【石頭】:いいなぁ>3冊 バイト先 買ってもいいんですが どうだろうな(笑) 恐らく読み込めはしないだろうなぁと。

【Vampire.S】:まぁ、“ルイスキャロル先生の次回作にご期待下さい”的意味なら、そうですね >メタマジックゲーム、GEB、マインズアイの3冊でしたか。メタマジックゲームは雑誌連載コラムなので、一話完結で一話は短いですよ。

【高橋(志)】:ともあれ、形式の話は了解しました。あと、意味にこだわりすぎてたのもあたりでした。最近なんですよねー「命題」と「指示対象」が分離できたのは。現実/虚構 という区分では一生つまづくなーと思えるようになりました。 ゲーム/物語も躓きますが。

【Vampire.S】:意味を考えるなんて、頭のいい人にまかせておけば良いんです。我々は真偽が決定できる二次元の世界に生きればよい。形式の世界に、知性は不要です。只の技術なんですから。

【高橋(志)】:むしろ形式こそ、という気もしますが(笑)意味の世界は複雑ですねえ。うーむ。ところでまた愚かな質問してよいでしょうか。Vampire.Sさんとしては、可能世界論の評価は? 論理学で様相論理を追求していくと、世界が複数考えられるだろう、という仮説で、確かクリプキあたりから発展していった。

【Vampire.S】:専門ではないので、スルーしています。私は量子計算量理論の人間なので。ただ、数学定理を知ってると(たとえ証明を理解していなくても)、理科系の学問で楽をできますが。それと同じ意味で、多くの局面で手抜きができるでしょうけどね。証明をすること、理解すること、証明付きだと知っている定理を使いこなすことは、全て、別の事象です。プログラムを書くこと、プログラムの書き方を理解すること、ソフトウェアを運用することと等価ですから。

【高橋(志)】:なるほど。そうかもしれません(そうですね、とは経験的に言うことがあまりできない)

【石頭】:なんとなーくそれはわかりますね。

【高橋(志)】:ただ形式……形式、という点でシステムを評価するという姿勢は、あまり普及していないとは感じますね。どうしてもイマージュ先行、物語先行、「再現可能な意味」の水準で評価される傾向があって、それについてはなんとも言いがたいものを感じています。

【Vampire.S】:どうでしょう。なにしろ、これほど電子計算機が普及してますからね。

【高橋(志)】:その場合の「どうでしょう」は、TRPGシステムの評価にシステム評価が含まれていないのでは」という指摘に対して、ですか?

【Vampire.S】:ああ、そういう話でしたか 。そりゃ、当然です。なにしろ、純然とした形式的メカニズムが殆ど存在しませんから。どれもこれも、解釈に“意味”を要求している。汚い。

【高橋(志)】:先日、ラウルブロック氏が「TRPGシステムはフレームワーク以前の、プログラム部品の集合体だ」と言っていましたが、そのことと相通じそうですね。

【Vampire.S】:プログラムかなぁ? なんとなく、「プログラムごっこ」というのが正しそうな気がする。TRPG擬制としてのメカニズムという存在に対して、自覚が足りない気がするんですよねぇ。法律は、もっとずっと自己が犠牲であることに自覚的なんですが。

【石頭】:海外TRPGもそんな感じですかね? というか、個人的に、ヴァンパイアSさんが評価しているTRPGもちょっと興味がでてきます。

【Vampire.S】:海外は開き直ってる感じですかね。GURPSが汚いメカニズムなので、余計にそう感じるのかも。

【高橋(志)】:「部品を組上げる楽しみ」というのがTRPGにおいて把握されたのも、そうした「汚さ」あってこそかもしれませんが、そうじゃない、形式が整ったTRPGシステムもないと、なあとは思いますね。

【Vampire.S】:うーんと。『Ars Magica 4th』は“部品を汲み上げる楽しみ”は多分世界でもトップクラスで、そして、“形式が整って”います。GURPSのアレは、単にメカニズムを直すのがめんどくさいとか、あるいは、基本ルールブックを売らなきゃいけないとか、そういう、特にゲームの品質事態に関与した話では無いと思います。

【高橋(志)】:なるほど、「良質な部品」と「形式の整合性」は両立しうるのですね。

【Vampire.S】:例えば、ArMにはいわゆるGURPSにおける“不利な特徴”に分類されるデータとして〈美神の呪い〉というのがあります。これは、簡潔に述べるなら:「グネヴィアタンに恋するか、グネヴィアタンに恋されるか、あるいはグネヴィアタンなってしまいます」というアトリビュートで。「保有キャラクターは、

  1. 自分の意中の相手からは魅力が低く見える
  2. 自分が嫌いな相手からは、魅力が高く見える

というもの。これと、「反応修正に+xxのボーナス」と、どちらが“良い”か。私は、ArMの方がより“イカした”形式だと思います。無論、ArMの方がイカれていますが。

【石頭】:なーるほど。

【高橋(志)】:ふーむ。なんか、比較しにくいですね。たしかに「イカして」ますが。おそらく後者は、「データバランスがわかりやすい」とかいう理由で好まれそうです。

【Vampire.S】:バランスって、形式内でしか定義できない概念なので、実は、その感想はナンセンスです。まぁ、そもそもAeMはキャラクターが平等ではないことが前提なので、そういった葛藤は軽やかに“終わってる”ゲームなんですけどね。

【高橋(志)】:ふーむ。「完成された形式でもないのに、データバランス云々を言うのはおかしい」と言い換えていいですか>その感想はナンセンス

【Vampire.S】:いや。もっと簡素な意味です。バランスってのは、述語として常に恣意的な定義を余儀なくされます。なぜなら、仮に全ての事象に対して“バランス”を定義できた場合、“全ての中で最もバランスの取れた存在”が存在できますが、これは簡素な意味で矛盾ですね。だって、“最も”って形容がついちゃっているから。したがって、述語の普遍的性質として“バランス”は常に、バランスを考えてはならない除外要素を形式的体系に要求するんですが、形式的体系のデザイナーはこの箇所の定義部分を上手く弄ってやることで、いつでも、いくらでも恣意的要素を形式的体系の中に保存できます。従って、バランスを論じるのは、全ての形式的要素についての構成を完了した後、現実に対して意味を問う段階のみに限定しなければならないのですが、ゲームデザインにおいて“バランス”という用語を使ってる場合、普通、そういう考察が足りてない。そのため多くの場合、色々論理を迂回したあげく、実は、「私の嫌いなモノはダメ、私の好きなモノは良い」。という、列挙的定義を単にトートロジーで回した形の議論になります。これはもぉ、“バランス”って述語が形式的体系の分析にはいってきちゃった段階での宿命なので、なんちゅうか、禁じ手として封印しておいた方が、無駄なことをせんですみます。

【高橋(志)】:なるほど。よくわかりました。ゲーム要素の数え上げも完璧にできねーのにバランスなんて言えないだろうと(笑)〈ゲーム性〉と同じくらい禁じ手かもな。〈ゲームバランス〉

【Vampire.S】:だいたい、GMとPLは“バランスの取れた存在”ですか?

【高橋(志)】:いいえ。まったくですね。

【Vampire.S】:役割が違う対象間の分担作業を定義しようとするとき、バランスってなんですか?ちなみに、ArM5ではこの辺のメカニズムはもっとイカレタものになっています。

【石頭】:ほうほう どんな感じなんでしょうか

【Vampire.S】:我がSodalisのページを参照しておきましょう

【石頭】:すーげー

引用「そして、重要なことですが、美点と欠点の最大の機能は、シナリオのネタの提供です。たとえば《暗い秘密》をとるということは、「バレそうになってドキドキのシチュエーションをシナリオに盛り込んでくれ」とストーリーガイドに言うのと同義だってことです。「《地獄の力への感受性》? ふーん、悪魔出してほしいわけ。了解了解」とかね。美点や欠点のコストにもこうした要素が加味されており、物語を作りやすくするものほど、その報奨としてコストパフォーマンスが良くなっています(キャラクターにボーナスを与える欠点が存在するほど)。」…・・引用終了

【Vampire.S】:ちなみに、“ボーナスを与える欠点”の例ですが、《幻視》というのがあります。機能は:魔力により、勝手に情報が脳みそに入ってくる。ボーナスがもらえる理由は:GMが冒険の導入をするのに楽だから.

【石頭】:ふーむ。ずいぶん恣意的すぎてダメ、って話ですか?

【Vampire.S】:もちろん、感覚的に説明していますよ。ただ、加えるなら、(ArM4は)形式的に良くできたメカニズムですが。だからこそ、呪文を形式言語を用いて自由に定めても破綻が発生しない。

【高橋(志)】:なるほどなー。良いほめ方だと思います。納得しますね。

【Vampire.S】:あと、ファー・ローズ・トゥ・ロード『基本セット』+『剣と魔法』がオヌヌメ

【高橋(志)】:なるほど(笑)手に入れてないなあ。

【Vampire.S】:あと、『ソードワールドRPG』かな。ただし、ドラゴンマガジンのQ&Aを通じて思想的背景を十全に把握した上での。

【石頭】:ちなみにS氏から観て、ウォハンとかハーンマスターとかどのような評価をされてます?

【石頭】:ドラゴンマガジンQ&Aは書籍化もされてないので、恐らく手に入れるのは難しいのではないかと

【Vampire.S】:どちらもやってないメカニズムなので、何も言えないです。ただ、まぁ、その。「もう少し簡単にできるんじゃないかな」とは思います >WH or Harn

【石頭】:あーなーるほど。ちなみにRQ3rdとかはどうでしょうか

【Vampire.S】:「頑張った」 > RQ3rdただ、まぁもういいかな。といったところです。

【石頭】:あぁ(笑)>簡単に がんばった(笑)>RQ3

【Vampire.S】:GURPSを評価しないのとRQ3rdを評価するポイントは、微妙。私はRPGの戦闘が面倒なのでそれで、GURPSはめんどくさく、RQ3rdはめんどくさくなかった。RQ3rdの戦闘、割に考える余地が少ないので、なるようになるのです。キャラとカルトさえ決まれば。

【石頭】:なるほど。しっかしストライクランクでの行動とか、面倒でもないですかね?

【Vampire.S】:計算は面倒です。

【石頭】:ですよね!(笑)でも楽しいといえば楽しいですが。

【Vampire.S】:GURPSは、算数という寄り組み合わせ解析なので、めんどい。

【Vampire.S】:25CPのNPC二人くらいいれば、まぁ普通の100CP作成PCは惨殺できますが、それって、私がサークルを通じて解析済みの定理を知ってるからなので。

【石頭】:確かに、あんまCPかんけいないっすよね。特に強さとか(笑)

【Vampire.S】:キャラクターの記述言語量を束縛してるだけですからねぇ >CP

【石頭】:なるほど。ちなみにRuneWarsとかだとどうですかね、いや、100CPというのはないですが、英雄戦争のハレック*11とPCが出会えばPC惨殺ですが(笑)PCにもハレックに勝てる……あーそこでもしかしてルーン強度、いや失敬しました。

【Vampire.S】:いや、それで正しいです。ルーン強度を使って、そういう事態を防いでいるんですよ。ただし、以前志臣さんにはお話ししましたが、R=Wに関する「目ピー鼻スパ定理」ってのがあるので、そこに訴えれば、ハレックをぶち殺したことにすることもできますけどね。

【石頭】:すみません、お教えください(笑)

【Vampire.S】:とりあえず、R=Wのアクションとして「目でピーナッツを噛み、鼻からスパゲッティを食べる」という行為の必要達成度を定めてみましょう。これ、とりあえず不可能――具体的には、“目でピーナッツを噛む”が――なので、1R1以上は要求したとして、しかし、それ以上の決定方法が無いです。……いや、あるかもしれないけど、とりあえず無いことにしましょう。

【石頭】:ほう。

【Vampire.S】:ところが、仮に、我々が『のび太の恐竜』というナレーションを既に所与とした場合、『のび太の恐竜』を記述する言語の量から、構成的に、「目でピーナッツを噛み、鼻からスパゲッティを食べる」という行為の必要達成度を決定できます。なぜなら、「目でピーナッツを噛み、鼻からスパゲッティを食べることは可能である」と、『のび太の恐竜』は、互いに背反なクーポンを生成しますので。

【石頭】:あ、そういえばそんなこといってたような。ほうほうなるほど

【Vampire.S】:これは、R=Wプロトコルにおいてゲーム中に“意味”が“物語”=[ナレーション]の形で組み込まれるフェーズがあるため、あるクーポンの“意味”を、非形式的に決定し(具体的には、「テーブル内の合意」で決定される)、それを前提に既存の形式言語を組み直すことを認めているから発生する現象です。

 ところで、今、ゲーム中において「目ピー鼻スパ」の後に『のび太の恐竜』が成立した場合、事後的に、「目ピー鼻スパ」の持つ“意味”(正確には、「目ピー鼻スパ」が準拠する〈キーフレーズ〉が増加する)が増大するため、前段階における裁定を覆し、結果として、事後においては不可能なハズのことが、事前には「起こっていた」と主張できます。

【Vampire.S】:あとは、適当に可愛らしい少年なりをぶち殺した上で、どうにかしてそれがハレックだったと物語内で挙証すれば、「R=Wでハレックをパンピーが惨殺」はできるわけですな。

【石頭】:なるほど(笑)勉強になります(笑)

【高橋(志)】:あー。意味の〈定義〉を〈テーブルの合意〉で厳密にやってるってことですか。〈テーブル〉という言葉を重んじているのは、そうした意味定義の重要性を見てるからなんですね。「目ピー鼻スパ」という名が「目ピー鼻スパ」という対象を持つためには、〈テーブルの合意〉が必要不可欠と。

【Vampire.S】:正解。>“「目ピー鼻スパ」という名が「目ピー鼻スパ」という対象を持つためには、テーブルの合意が必要不可欠”

【石頭】:ふーむ

【Vampire.S】:逆に、テーブルの合意が存在すれば、述語の意味は変えて良いのです。R=Wは、ある瞬間の述語集合内に一貫性を要求しますが、それが、ゲームやセッション中に一貫性を失っても構やしないのです。

【石頭】:なるほどねえ 勉強になります 面白いです まりおんさんのHW1.1もすばらしいですが、R=Wでオンラインセッションしても回りそうな気もするんですけどねえ 正直。

【Vampire.S】:まぁ、もともとオンラインセッション向けに調整した部分がありますからねぇ。例えば、メンバー間のコミュニケーションが最小にできるように。自発的アクションの解決は、(ボキャブラリー間が論理的結合を有さない限りにおいて)PL単体で出力しても(サイコロのいかさまの問題を除けば)実行可能にしてある、とか。ちなみに、R=Wでオンラインセッション、というモノなら、既に実験済みですよ。ログはこっちにあります。

【石頭】:ログどーもです。そこらへんをばまりおんさんに開陳されて、PBemできんもんですかね

【Vampire.S】:それは、まりおんさんがお決めになることなので、何とも。

【石頭】:残念です。

【Vampire.S】:あと、先日ご一緒した『湯煙捜神記』ってのは、もともとVoIPチャットのオンラインセッションを、私以外のマスターが企画したときに使ってもらったシナリオです。

【石頭】:はーなるほど

【Vampire.S】:なので、あのシナリオは私だけのオリジナルではありません――まぁ、アイディアは結構出してますが、細かい実装は最初にGMをした人物がやってます。

【石頭】:ほーう なーるほど もういろいろな意味で目からうろこでしたね(笑)。なんというか自分がいかに小さい人物かと(笑)

【高橋(志)】:〈テーブルの合意〉は、今までゆるゆるシステムに依存せずにやってきたもんだなと改めて思いますねえ。『月夜埜綺譚』(つくよのきたん)という同人TRPGシステムもありますが、あれもまた「テーブルの合意」をどうやってプレーヤー側に委譲するかという発想から作られたシステムで、コンセプトに類似性があります。もちろん数学的な処理はまたR=Wとはまったく違うのですが。

【Vampire.S】:これがあるので、従来のTRPGではパーティアタックが難しいかったんですよ >従来のRPG>「テーブルの合意」は、もっとゆるゆるシステムに依存せずにやってき【石頭】:まぁ考えてみれば、今回のHW1.1も異界にいって「ゆっくりしていってね!」女神様から子供たちを救い出す話なので、どことなく似ているといえばにているのかも。最後温泉ピンポンですからねえw ああこうしていいのかと(笑)シャドウランでも恐らくここまではできねえ(笑)

【Vampire.S】:R=Wは、

  1. あるPLが叙述に用いて良い述語を厳密に決定する
  2. PCの行動にテーブル内非公開行動を認めない

二つから、別にパーティアタックしようと何だろうと、さっぱり関係ないです。

 以上

*1http://www.scoopsrpg.com/contents/hakkadoh/hakkadoh_20050529.html

*2:「意味の内包的側面」にあたる。

*3:「意味の外延的側面」にあたる。

*4:歴史上、意味と指示を初めて区別したのは、論理学者・数学者のゴットロープ・フレーゲとされています。さまざまな解説本がありますが、ひとまず原典に触れてみたいという方は、こちらを読んでみてください。

フレーゲ著作集〈4〉哲学論集

フレーゲ著作集〈4〉哲学論集

*5:もう少し意味が厳密な〈命題〉の定義もありますが、とりあえず今回はこれくらいの意味で用います。なお、この「禿のフランス王」の事例は、バートランド・ラッセルというイギリス哲学者が提出した便利な喩えですので、使わせていただきました。

*6:とある現役シナリオライターは、この世界観にもとづいてゲームの面白さを説いているが、それは西村氏の批判対象となる。

*7:この見方は、ホイジンガやカイヨワなどの、遊び論の古典的論者がはまっている誤謬である。カイヨワは今でも重要な論者であるが、この点に関しては否定的な態度を取らざるを得ない。

*8:これは、TRPGに限らず、ゲーム・レジャー・趣味・遊び・芸術といった、労働としばしば比較される社会的行為全体に対する俗な批判である。しかし、その二項対立図式自体がはたして社会に生きる私たちにとって本当に自明なのだろうか? ゲームについて考える人たちは、このことについてまず疑ってみる必要がありそうだ。

*9:厳密には少し違うものの、この内包/外延の区別はほぼ意味/指示の区別と同じと考えてよいのではないでしょうか。Aの魔法陣における「外延近接戦」とは、Vampire.S氏が今回の会話で述べている〈テーブルの合意〉をどのように形成するか、ということを論理学用語で厳密に言い換えようとしたものと読むことができます。

*10:さらに言えば、孔子の正名論を掲げた『ロールプレイング・ゲームの批評用語』は、やや意味と指示の関係に対して素朴な対応関係を期待しすぎている向きがある。しかし、用語の混乱がすさまじかった当時において、この活動は一定の意義はあったと考えている。

*11グローランサ世界の英雄。超つおい。