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2009.08.10.

[][]架空のカルト教団「0教会」における宮台真司の似非説教全文――映画『愛のむきだし』より

 90年代カルトの情勢にコミットした社会学者・宮台真司が、大作映画『愛のむきだし』で7分間ノーカットの説教を演じていました。

 ところが本編では、最終的な4時間版ではほとんどカット。6時間でも既に削られていたらしい。非常に残念です。

 幸いおまけDVDにノーカット版が収録されており、それを観ました。これは宮台さんが実際に即興で作り、一発収録でOKが出たものだそうです。その作りの巧みさに、私は大笑いして、あまりに笑ってしまったので全部書き起こしてした次第です。

 もちろん理屈それ自体はバカバカしいのですが、プラトンアリストテレスカントと(あからさまな宗教家ではない大学者の)大名行列をまき散らした上で、突然聖書外典の話をもっともらしくねじ込むあたりは、なるほどいかにも新興宗教の手法らしい、手堅いやり口だと思ってしまいました。資料からどういう風に珍奇な解釈をひねり出して教義を正当化するかは、昔の(今やまともだと認められている多くの宗教を含めて)大事な作業の一つですからね。

 というわけで、宮台神父(?)のヨタ話を応援するため、スクリプト全文を貼っておきます。

愛のむきだし [DVD]

愛のむきだし [DVD]

 あなた方は〈ケイヴ〉。地下洞窟に潜った状態です。

 かつてプラトンが、こういう比喩を述べています。

「われわれ人間達は、洞窟の中に居て、光を見ることがなく、光によって映し出された、壁面の影を見ているだけ」。

 みなさんも、まさしくそう言う、状態です。みなさん方の多くは、欲望のままに振る舞うことを、〈自由〉だという風に思っていらっしゃるかもしれません。欲望に近づくことが、欲望を、自由自在に叶えられることが、光に近づくことでしょうか。

 アリストテレスは……欲望や感情のことを、〈パトス〉と呼んでいます。〈パトス〉とは、これすなわち、「降りかかってくるもの」という意味です。

 雨や霰も降りかかってきます。さらに、目の前に木があったり、森があったり川があったり山があったりするということこれも〈パトス〉だという風に言います。モノも〈パトス〉。感情や欲望もパトスです。

 カントという人は、今のアリストテレスの、議論を踏まえた上で……「欲望のままに振る舞う人間は、〈自由〉の対極にある存在、全き不自由な存在だという風に言います。なにゆえならば、欲望は……性欲は、さまざまな、金銭欲や物欲は、みなさまに、降りかかってくるものです。欲望のままに振る舞えば、降りかかってくるもののままに、なってしまうということ、これすなわち、不自由そのものです。降りかかってくるものに負けるのではなく、降りかかってくるものにも関わらず、自分自身を自由自在にコントロールできること。これが、真の自由ということに、なるでしょう。

 それでは、真の自由を得たあなた方は、どこに向かえばいいのでしょうか。

 皆さんは……旧約聖書その他で、ユダヤ教キリスト教の、〈原罪〉の観念を学んでいるはずです。……しかしこれは、旧約聖書の時代に、存在した、さまざまな宗教的な観念のごく一部にしか過ぎません。

 たとえば〈原罪〉とは何ですか? エデンの園で、ルシファーすなわち悪魔の唆しに応じて禁断の果実すなわち「智慧の実」を食べてしまったということ。これが〈原罪〉の源だという風に皆さんは教わって来たはず、です。

(遠くで車両が走る音。)

 しかし、旧約の外典、すなわち、旧約聖書として纏められた話の、そのまた別の話、によれば、まったく逆のことが語られています。

 ルシファー、みなさん悪魔だという風に教わっていますが、これは「光の人」という意味です。

 たとえば、なんとかルクス、ていう風に言いますよね。ルクスとか言いますね明るさを示すために。ルクスとかルシとかいうのは、「光」という意味です。ギリシャ語で言えば、プロメテウス、「火をもたらした人」という、そういう言葉とほとんど同じ意味になります。

 すなわち、旧約の外典によれば、ルシファーは、アダムとイヴをそそのかした悪魔ではなく、むしろ、エデンの園の管理人、主宰者、であるところの、ヤーウェ。このヤーウェのもとで……単なる動物的な存在に押しとどめられていた、彼らに、智慧を授け。自分たちの置かれている状態について自覚をさせ。ヤーウェよりももっと上にある、全知全能の神に近づくように、唆したというよりも、奨励した、励ました。そういう存在だという風に、語られて、います。

 みなさんが向かうべき光。それは、欲望を自由自在に、思う存分果たすという意味での自由、ということではありません。それは全き、不自由。皆さんは自らの主人となって……ルシファーすなわち光の人の、励ましに応えなければいけません。

 さらに。この教団にいらっしゃった皆さんは……世間の、普通の方々に比べれば、むしろ欲望を存分に果たしてきた人が多いでしょう。欲望を単に断念しただけの人間は、自分が、もし、自由自在に欲望を果たせていればなあという風な、妄念を抱きがちです。

しかし、皆さんのように、ありとあらゆる……ま、邪な、あるいは猥褻で猥雑な、欲望にまみれた、人生を送ってきた方々は、むしろ……ま、「気が済んでいる」というか。こんな状態が、こんな人生が、いつまで続くんだろう。こんな欲望や、煩悩にまみれた生活が、いつまで続くんだろうと。そういう風に思ってきたはずが、そういう方々が多いはずです。

 そうしたあなた方こそまさに、光に向かうべき、資格を持っていると言う風に言えます。その意味で、みなさま方はまさに、「選ばれた存在」だと言えるでしょう。

 こんな台詞をわざわざ用意しているような、ものすごく気合いの入った映画でした。素晴しい映画です。ヤン・シュヴァンクマイエルを初めて観た時以来の強い衝撃を受けました。日本の映画にはこんな可能性があったのか。

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