God & Golem, Inc. このページをアンテナに追加 RSSフィード

2009.08.13.

[][]「コリント書第一の手紙」第13章01-13節、私家訳

 映画『愛のむきだし』祭り開催中。面白いですよ。

愛のむきだし [DVD]

愛のむきだし [DVD]

 ハイライトシーンでヒロインが長々と朗じた第一コリント書のくだりが気になっていたので、書き起こしてみました。

 個人的には、『1Q84*1のふかえりが『平家物語』の安徳帝入水自殺の下りを暗唱したのに匹敵する名シーンだと思っています。これについては「文系萌え」とタグをはっ付けられても別に構いませんが、*2そう言うのを抜きにしても、別に博学でもない登場人物に特定の古典文学の一節を吟じさせるにはそれなりの周到な準備が必要であると言う意味で、園監督はこの準備に十分成功していると思いました。

 なお、「コリント書第一の手紙」の作者であるパウロは、元パリサイユダヤ教徒だったSaulが回心してPaulと名を変え、地中海沿岸を布教して回った、原始キリスト教成立期の大立者です。史実においては処刑された事実しか残っていないナザレの子イエスと違い、明確な author として名が残っている人物です。彼の書簡が新約聖書中の福音書解釈に大きな影響を及ぼしていることから、キリスト教は時に「パウロ教」と言われることもあります。さらにこの第一コリント書13章13節にある三元徳信仰・希望・愛)は、後に教父アウグスティヌスギリシャ哲学の四元徳キリスト教の徳を比較する際に、重要な役割を果たしました。……と、雑学はこんなもんで。

 なお、日本語訳は新共同訳聖書を参照にしつつ、途中から自分で勝手にやったところもあるので、訳し間違いもあると思います。もし見つけたらご指摘ください。

 このコリント書を朗読した状態のヒロインが、その時に置かれている境遇がものすごいアイロニカルなのですが、その辺は園監督凄いな、と思います。自己言及になってるんですよねえ。

1 Corinthians, 13: 1-13.

01. I may be able to speak the languages of human beings and even of angels, but if I have no love, my speech is no more than a noisy gong or a clanging bell.

(たとえ人々の言葉、天使たちの言葉を語ろうとも、愛がなければ、わたしの言葉は騒がしい銅鑼、やかましいシンバル。)

02. I may have the gift of inspired preaching; I may have all knowledge and understand all secrets; I may have all the faith needed to move mountains-- but if I have no love, I am nothing.

(たとえ、預言する賜物をもち。あらゆる知識と奥義に通じ。必要とあれば山を揺るがすほどの信心を持ち合わせようとも。愛がなければ、無に等しい。)

03. I may give away everything I have, and even give up my body to be burned-- but if I have no love, this does me no good.

(持てる全てを他者に与えようとも。己の身を燃やし尽くそうとも。そこに愛がなければ、わたしに何の益もない。)

04. Love is patient and kind; it is not jealous or conceited or proud;

(愛は忍耐強く、情け深く。妬まず、誇らず、己惚れず。)

05. love is not ill-mannered or selfish or irritable; love does not keep a record of wrongs;

(礼を失せず、利を貪らず、怒りを抱かず。不当に扱われたことをいつまでも恨まない。)

06. love is not happy with evil, but is happy with the truth.

(そして不義を喜ばない。愛は、真実を喜ぶ。)

07. Love never gives up; and its faith, hope, and patience never fail.

(愛は、諦めないこと、信じること、希望を持つこと、耐え忍ぶこと、すべてにおいて過たず成し遂げる。)

08. Love is eternal. There are inspired messages, but they are temporary; there are gifts of speaking in strange tongues, but they will cease; there is knowledge, but it will pass.

(愛は永遠である。しかし預言は人に霊感を与えるも、廃れてしまう。異言による賜物も、いつか已んでしまう。知識は、いつかは過去のものとなってしまう。)

09. For our gifts of knowledge and of inspired messages are only partial.

(私たちの知識はしょせん断片にすぎない。預言もまたしかり。)

10. but when what is perfect comes, then what is partial will disappear.

(もし完全なるものが到来したならば、それら断片的なものは廃れてしまうだろう。)

11. When I was a child, my speech, feelings, and thinking were all those of a child; now that I am an adult, I have no more use for childish ways.

(私が幼子だったとき、わたしは幼子のように語り、幼子のように感じ、幼子のように考えていた。だが今や私は大人となり、幼子であった頃のやり方を棄てた。)

12. What we see now is like a dim image in a mirror; then we shall see face-to-face.

(私たちは今、鏡に映った朧な像を覗いている。だが来るべき時が来れば、私たちは真の像と正面から対峙することになろう。)

13. Meanwhile these three remain: faith, hope, and love; and the greatest of these is love.

(それゆえに。〈信仰〉〈希望〉〈愛〉。この3つはいつまでも残る。このうち最も大いなるものは、〈愛〉。)

おまけ:文語訳はどうなっているか

 手元に日本聖書教会の『舊新約聖書 文語訳』*3があるんですが、Wikisourceにコリント前書のデータがありました。比較するのも面白いと思いますので、引用の範囲内として対応部分だけありがたく転載させていただきます。記述は日本聖書教会のものとまったく同じでした。お持ちの方は255頁を参照してください。

13:1 たとひ我もろもろの國人の言および御使の言を語るとも、愛なくば鳴る鐘や響く鐃鈸*4の如し。

13:2 假令われ預言する能力あり、又すべての奧義と凡ての知識とに達し、また山を移すほどの大なる信仰ありとも、愛なくば數ふるに足らず。

13:3 たとひ我わが財産をことごとく施し、又わが體を燒かるる爲に付すとも、愛なくば我に益なし。

13:4 愛は寛容にして慈悲あり。愛は妬まず、愛は誇らず、驕らず、

13:5 非禮を行はず、己の利を求めず、憤ほらず、人の惡を念はず、

13:6 不義を喜ばずして、眞理の喜ぶところを喜び、

13:7 凡そ事忍び、おほよそ事信じ、おほよそ事望み、おほよそ事耐ふるなり。

13:8 愛は長久までも絶ゆることなし。然れど預言は廢れ、異言は止み、知識もまた廢らん。

13:9 それ我らの知るところ全からず、我らの預言も全からず。

13:10 全き者の來らん時は全からぬもの廢らん。

13:11 われ童子の時は語ることも童子のごとく、思ふことも童子の如く、論ずる事も童子の如くなりしが、人と成りては童子のことを棄てたり。

13:12 今われらは鏡をもて見るごとく見るところ朧なり。然れど、かの時には顏を對せて相見ん。今わが知るところ全からず、然れど、かの時には我が知られたる如く全く知るべし。

13:13 げに信仰と希望と愛と此の三つの者は限りなく存らん、而して其のうち最も大なるは愛なり。

KJV(欽定訳聖書)の古英語も調べてみた

 キング・ジェームズ訳聖書のテキストがネットにあったので、これもみてみました。驚いたのが、ἀγάπη〔アガペー〕の英文訳が love ではなく charity なんですよね。ラテン語訳だとcaritas〔カリタス〕。なるほど、確かにチャリティなら「性愛」とは区別しやすい。むしろ「慈善」と訳せるし、「隣人愛」に近づきますね。調べてみると面白いですね。

 KJVは、日本の聖書で言うところの文語訳に近い位置づけと考えるといいみたいで、もったいぶった英語を学ぶ際に結構役に立つと、どこかで聞いたことがあります。代わりに英辞郎で検索しても出てこない英語もあったりします。専用の辞書が必要ですね。

 それと、現代英語では bell と訳されているところが、ギリシャ語のκύμβαλον 〔クンバロン〕に近く cymbal となっています。なぜ現代英語で bell になったのか、これがよく分かりませんでした。あちらでシンバルってそんなにメジャーじゃないのかしら。

King James Version: 1 Corinthians Chapter 13

01. Though I speak with the tongues of men and of angels, and have not charity, I am become as sounding brass, or a tinkling cymbal.

02. And though I have the gift of prophecy, and understand all mysteries, and all knowledge; and though I have all faith, so that I could remove mountains, and have not charity, I am nothing.

03. And though I bestow all my goods to feed the poor, and though I give my body to be burned, and have not charity, it profiteth me nothing.

04. Charity suffereth long, and is kind; charity envieth not; charity vaunteth not itself, is not puffed up,

05. Doth not behave itself unseemly, seeketh not her own, is not easily provoked, thinketh no evil;

06. Rejoiceth not in iniquity, but rejoiceth in the truth;

07. Beareth all things, believeth all things, hopeth all things, endureth all things.

08. Charity never faileth: but whether there be prophecies, they shall fail; whether there be tongues, they shall cease; whether there be knowledge, it shall vanish away.

09. For we know in part, and we prophesy in part.

10. But when that which is perfect is come, then that which is in part shall be done away.

11. When I was a child, I spake as a child, I understood as a child, I thought as a child: but when I became a man, I put away childish things.

12. For now we see through a glass, darkly; but then face to face: now I know in part; but then shall I know even as also I am known.

13. And now abideth faith, hope, charity, these three; but the greatest of these is charity.

 RPG者では、トールキンの古英語文学研究などに詳しい方は、このKJVなども読まれたことがあるんだろうなあと思います。私はてんでド素人ですけれども。

*1村上春樹,2009,『1Q84』1・2巻,新潮社

*2:私は、『1Q84』は、日本語で読む必要はほとんどなかったな、と思っています。英語で翻訳された後に手に取って、英語でじっくり、時々訳文を確認するくらいで読み進めた方が感動は深かったでしょう。これを日本語で読み流してしまうのでは、あまりにも私たちにとって“近すぎる”。でも、日本語だからどうしても読み流せてしまう。今回は読んでいて、日本語で読める文学としては高水準の面白さをもたらしてくれるにもかかわらず、その感慨が終始まとわりつき、とても歯がゆい思いをしました。……ところで『1Q84』は、自分の読解力に自信のある読み手たちが前のめりになって傑作/駄作を論じるために議論を交わしています。私も、これを諸手で礼賛するかどうかには躊躇しています。しかし少なくとも私は「日本人として、ここで出ている記号、事件、構造、etc...は、当たり前で陳腐であり、従ってつまらない」というような断定でもって『1Q84』を評価するのだけは、見当違いだからやめた方がいいと感じています。

*3

舊新約聖書―文語訳クロス装ハードカバー JL63

舊新約聖書―文語訳クロス装ハードカバー JL63

*4:〔ねうはち〕

トラックバック - http://d.hatena.ne.jp/gginc/20090813/1250191119