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2010.08.22.

[]会話型RPGTRPG)における〈プレイング〉の内実(改訂版)

はじめに――会話型RPGという手続きの基礎

 会話型RPGというゲームを、純粋に「手続き・やりとり」の観点から眺めた時、それは

  • ゲームマスターからの(架空の)状況提示
  • プレーヤーからの(架空のキャラクターの)応答提示

 この2つの情報提示のサイクルによって進行するもの、と見なすことができます。

 そして、会話型ロールプレイング・ゲームにおける「プレイング」とは、ゲームマスターから提示される状況提示と、状況の描写のために運用されるゲームメカニズム(以下、単に「メカニズム」)を参照情報(references)としながら、プレーヤー自身(以下、単に「PL」)がプレーヤーキャラクター(以下、単に「PC」)の行動を逐次決定してゆくことです(=本記事における「プレイングの定義」)。

 このことを確認した上で、会話型RPGにおいて扱われる情報と「プレイング」の関係について、詳しく論じます。

 架空の状況についてコミュニケーションするのは、日常生活を送る私たちにとって、通常、大きな情報負荷を与えます。したがって、会話型RPGというゲームは、「架空の状況について想いを馳せることを楽しむ遊び」ではありません。もちろん、その要素はありますが、それだけでは、会話型RPGを特徴づける条件が足りていないことになります(「架空の状況について想いを馳せることを楽しむ遊び」というのは、会話型RPG必要条件ではあるかもしれませんが、十分条件ではありません)。

 では、会話型RPGを会話型RPG足らしめている要素は、ほかになにがあるのでしょうか。

 ホビーの一種として定着したものとしての会話型RPGは、それがつらい作業ではなく、一時の娯楽(エンターテイメント)として成立するように、日常会話から抽出しうる二種類の情報を“抽象化”しています。それは、

  • 量的情報(quantitative information,あるいは「定量的情報」)
  • 質的情報(qualitative information,あるいは「定性的情報」)

 です。

量的情報とその設計――変数定義と行為判定(系)

 〈量的情報〉とは、ある架空の状況に、数値化可能な尺度を与えることによって、その世界に所属する要素の一部を「変数(parameter)」として扱えるよう抽象化した設定情報のことです。(=〈量的情報〉の定義)

 たとえば、世界でもっともメジャーな会話型RPGとされる『ダンジョンズ&ドラゴンズ』(D&D)では、「筋力」「敏捷」「回避」「武器の強さ」といった、ファンタジー的世界の戦闘において考えうる要素を抽象化し、パラメータ化しています。D&Dでは「筋力:18」のキャラクターは、筋骨隆々とした剛腕の持ち主であり、「敏捷:07」の魔法使いはすばやさの点において劣っており、「武器の強さ:3d6」を持つキャラクターは、期待値10.5以上のダメージを敵に対して与えられる潜在能力(potential)を持っている、という風に解釈されます。

 しかし、なんとなく状況にありそうな要素を数値に置き換えたからといって、ゲームとして遊べるわけではありません。会話型RPGにおける数値付与が、単なる数字の羅列で終わらない為には、一貫した乱数処理のメカニズム、すなわち行為判定の系(system)が必要になります。D&Dでは、正20面体のサイコロ(ゲームデザイン用語で、「d20」と表記する)と、能力や技能に応じた修正値を足し合わせて、「必要な難易度以上の数値が出る」と、PCの行為は成功となります(これを「1d20による上方ロール」と言います)。その基準を満たさなければ、失敗です。こうした乱数処理をPCに対して与えるようなルールを実装すること・またはそのルールを、慣例で「(一般)行為判定」と呼びます(=〈行為判定〉の定義)

 つまり、会話型RPGにおける情報を抽象化する際、〈量的情報〉にするということは、

  • 「再現したい架空の状況の各要素を、有限個のパラメータ変数)に置き換えられるよう、個々の変数を定義すること」変数定義)
  • 「その定義された変数の組み合せによって、何らかの一般行為判定(=乱数処理の基本的な指針)ができるようなルールを提案すること」(行為判定)

 この2つの条件を同時に満たすような加工を行う、ということを意味します。変数があるだけではダメで、「行為判定系に放り込めるように調整されている変数」であることが、〈量的情報〉での条件です(100826Thu追記:普通の定量的情報、たとえば「村人の人数」とか「水利施設の数」などでは、ここで言うところの〈量的情報〉と呼ぶには不十分です。〈量的情報〉の条件的定義は、そうした数値化可能な情報よりさらに強い意味をもたせています)

 素朴な自然言語によって記述できる物語的描写を、“量的情報化”(それは同時に、“量化=抽象化*1を意味します)することによって、会話型RPGは、遊び手にとって適度な知的刺激を提供する、テーブルゲームの一種として扱えるようになります。実際、会話型RPGと称して売られているルールブックの大半は、再現したい架空の状況に応じて、適切かつ構造的欠陥の少ない*2“量化=抽象化”を与え、それによってよりシンプルに「(物語的)状況の描写とその感覚の共有」を体験させることができるわけです。

質的情報とその設計――ギミック・マニュアルと、そのための世界記述の集まり

 しかし、会話型RPGメカニズムは、量的情報だけで成り立つものというわけでもありません。一方で、〈質的情報〉というものがありうることも説明しましょう。

 会話型RPGには、「キャンペーン(campaign)」という言葉があります。これは、「同一のキャラクターや背景世界を用いて、会話型RPGを連続してプレイすること」というくらいの意味で使われています。そして、そのセッション(=会話型RPGにおいて、ひとまとまりのゲームを成立させること)の中で採用されるひとまとまりの世界とその設定のことを、「キャンペーン設定(campaign setting)」とか「背景世界(campaign world)」などと呼びます。そして、会話型RPGの書籍は、先ほど述べた〈量的情報〉とは別に、ほとんど自然言語(つまり散文)による記述が続く「キャンペーン・ガイド」「ワールド・ガイド」という種類の書籍が販売されます。時には、ゲームと関係なく“架空世界の博物誌”として読めてしまうような出来のものも、多く出版されてきました。

 こうしたキャンペーン・ワールドについての情報は、先ほど述べた量的情報ほどには、それほど“抽象化”とは関係ないように思われます。むしろ、考えずに済ませたい情報をむやみに増やしているのではないかとすら思われかねないところもあります。

 ところが会話型RPGでは、こうしたキャンペーン・セッティングについての情報を提供することも、情報処理の負荷を軽減する訳に立つのです。より精確に言えば、キャンペーン・セッティングは、現場のゲームデザインを担うゲームマスターにとっての情報処理を劇的に改善してくれるのです。

 会話型RPGにおけるゲームデザインの花形は、ゲームマスターが駆動・管理する「シナリオ」にあります。シナリオとは、プレーヤーの繰るPCたちが、おおむねどのような状況に置かれており、どのような人・モノ・事件とめぐりあい、どのような課題を解決するのか……といった、一連のゲーム的仕掛けを記した手続き書のことです(=「シナリオ」の定義)。なお、このシナリオのゲームデザイン的加工の面を強調する為、筆者は〈ギミック・マニュアルと呼んでいます(以後は「シナリオ」を指し示す語として、「ギミック・マニュアル」を用いることにします)。

 このギミック・マニュアルを設計するにあたって、先ほど述べた量的情報は、実のところ、それほど決定的な役割を持ちません。確かに量的情報は、特定の物語的状況で活躍するPCの行為を判定できる基準を提供してくれます。ところが、その基準だけでは、具体的な状況の描写には至りません。会話型RPGのギミック・マニュアルには、データだけでなく、パラメータの後ろの側で無数に動いている(と仮定される)、「自然言語によって表現可能な出来事の継起」もまた、沢山必要なのです。

 ファンタジー世界においてある課題が焦点化され、プレーヤーたちにその解決を求める時も、プレーヤーの繰るPCたちの回りには、“その世界における生活”が蠢いています(少なくとも、そのように仮定することが可能です)。現代のコンピュータAIであっても、その全てをそれらしくシミュレートすることはまだまだ困難であるとされています。ましてや、テーブルゲームの審判の一人でしかないゲームマスターに、その厳密な処理を委ねるのは、一種の拷問ですらあります。

 そんな要らぬ苦労をゲームマスターに負わせることがないよう、特定のゲームメカニズムで遊ばれる世界には、特定の(その判定系を適用することが想定された)キャンペーン・セッティングが商品として提供されていることが多いのです。

  • 「街aの人口は10000人余りである」
  • 「地域bの植生は以下のようである」
  • 「種族cのデータは、概ね以下のように数値化することがこの世界では一般的であるが、例外もある。部族単位で行動する場合の傾向は……」
  • 「魔法的次元dにおける魔力の移ろいはルールでも規定されているが、我々の住む世界における現象に引きつけて考えるなら、電話のアナロジーで理解するとよい:すなわち……」
  • 「悪らつな宗教カルトeと魔女狩り集団fは、どちらもその地域の住人からは嫌われているが、同時に反目しあってもいる。二組織の活動範囲は……」

 ……こうした情報のいずれかを、ギミックマニュアル設計時に適宜参照できるように編纂されていれば、ゲームマスターは毎週末までに安心してプレーヤー達にゲームを提供することができるようになります。処理すべき自然言語のデータ量が増えているように一見みえますが、実のところ、「ゲームマスターが自力で考え出さなければならない自然言語処理の量は劇的に減っている」のです。

 このようなわけで、会話型RPGにおけるゲームマスターとプレーヤーは、ゲームのプレイを通じて〈質的情報〉をも共有することになります。改めて質的情報とは何かを定義すれば、それは架空の状況・世界についての整合性の高い記述の束でありながら、同時にいつでも、その背景世界のために設計された特定の会話型RPG変数定義・行為判定によってある程度まで表現・処理が可能なよう記述が工夫された、主に自然言語によって提供される情報のことになるでしょう(=〈質的情報〉の定義)

改めて、〈ロールプレイング〉とは何か?

 ここまで、会話型RPGの手続きと、それを観察する際のおおまかな道具立てについて説明してきました。

 まず、会話型RPGは、ゲームマスターと呼ばれるホスト役(アマチュアのゲームデザイナー兼審判役,GM)が、架空の状況で行動する人格(=プレーヤーキャラクター,PC)をそれぞれ管理するプレーヤーたちと質疑応答を重ねながら、ある特定の状況を共有・体験していく営みであることを述べました。

 そして、そうしたGMとPL間のやりとりは、「素朴な日常言語によって営まれる空想遊び」と規定するだけでは、(決して誤りとは言いきれないものの)かなりの不備があることを述べました。むしろ会話型RPGは、〈量的情報〉〈質的情報〉と僕が述べた“情報の抽象化”アプローチを利用することによって、架空の状況を処理する際の負荷を下げ、それによってより自発的・制度的に営める遊びであるということを確認してきました*3

 さて、会話型RPGにおいて、量的情報と質的情報の2つの抽象化手段があることによって何が嬉しいのでしょうか。筆者は、こうした基本的な理解が、会話型RPGにおけるベスト・プレイングを目指すための基本的な視座(=パースペクティヴ)として有効に機能すると考えています。

 筆者は、幾つかの先行するTRPG批評の見地を踏まえて、会話型RPGにおけるプレイングを、以下のように規定しています。

■会話型RPGにおける「プレイング」の四大目標

  • ギミック・マニュアルにおいて明示/暗示された課題・目標の解決に、少しでも近づくこと。(課題の解決)
  • 量的情報から考えられる最善の指し手を、プレーヤーたち全員で協力し、資源管理し、意思決定すること。(量的ロールプレイング
  • 「課題の解決」や「量的ロールプレイング」と矛盾しない範囲で、キャンペーン・セッティングと矛盾しない「それらしい」行動基準を各々の担当PCに付与し、破綻のない行動をその都度考案すること。(質的ロールプレイング
  • 以上三点の、しばしば矛盾しそうな課題を突破することによって、そのメカニズムデザイナーゲームマスター、プレーヤーたちが持ち寄った「ゲームの狙い」を、“ゲームデザイン”の観点から味わい、出来るだけ多くの楽しみを獲得・共有・拡張しようとすること。(共同ゲームデザイン

 この4点のうち、2つめと3つめに掲げられた目標が、どちらも「ロールプレイング」と呼ばれていることに留意してください。会話型RPGにおいて、「役割を分担しつつ目標をよりよく達成すること」(役割分担)と、「散文的記述によってあらかじめ定められた条件から逸脱せず、それらしい行動をPCにさせること」(キャラクターの行為描写)とは、どちらも平等に「プレイング」の課題であり、「ロールプレイング・ゲーム」の肝にあたる部分なのです。この“二重のロールプレイングをバランスよく軽やかにこなす、ということがわかれば、実のところ会話型RPGは、ゲーム的にとても挑戦しがいのある要素を多く含んでいることが、よくみえてきます。

 量的ロールプレイングを理解する為には、ゲームメカニズムによって指示されたさまざまなルール、データへの理解と、仲間であるプレーヤー達の持ち寄る管理資源(resources)に対する知見や配慮が必要不可欠です。こうした情報は筆者が本論の前半で述べた〈量的情報〉そのものです。

 ゲームマスターのギミック・マニュアル設計のために必要な〈質的情報〉もまた、プレーヤーたちが自分のキャラクターをより魅力的な「行為の人」として構築してゆくために、役に立つものが多いでしょう。ゲームマスター独自の情報を咀嚼して、新しい設定を逆に提示してみせるというような行いは、そのキャンペーンでの楽しみをより増させるものとなるでしょう。

事例:『ウォーハンマーFRP』におけるプレイング・ワークフロー

 これまでの話を、筆者が参加した『ウォーハンマーFRP(第二版)』リプレイの第二回(http://www.hobbyjapan.co.jp/wh/gamejapan/index.html)を事例に、ワークフローの例を紹介します。

 実際には、これを数秒から数分の間考えて、どういう風にゲームマスターや他プレーヤーに伝えていくかを考えてゆきます。ですが、大事なのは順番に行うことではなく、先ほど述べた4つの目標を無理なく満たした発言ができているかということです。

 魔術師エックハルトが、家庭教師先の屋敷で標的を尾行しようとする際のプレイングです。この部分では“演技”(後述)も最後に付け加わっていますが、特に思いつかない場合は省いても何の問題もありません。

TRPGにおける〈プレイング〉の認知的プロセス─高橋によるエックハルト〈意志決定〉事例(改訂版)

  • 当座の目標を考える:「よし、エックハルトには、黄金の学府の連中を屋敷の中から探し出してもらおう。」
  • 〈課題の解決〉:「坊ちゃんをどうにか遠ざけて、なるべく隠密に情報を集める必要がある。」
  • 〈量的ロールプレイング:「エックハルトは〈姿隠し〉が得意だ。これを使って穏便に済ませよう。」
  • 〈質的ロールプレイング:「よし、お馬鹿な坊ちゃんをしごき倒して、自発的に部屋から逃がしてしまえば設定とも整合してなかなか面白い。我ながら酷いね。うんうん」
  • 〈共同ゲームデザイン〉:「ふだん貴族に言いように使われている魔術師が、ここぞとばかりにこそこそ屋敷の中を嗅ぎまわる。『オールドワールド』の世界らしい振る舞いだ」
  • 上記4点を考慮した〈意志決定〉の吟味
    • 〈葛藤〉:「バレたら命の危険があるかもしれないが、今ここで何もしないのも解決にならない」
    • 〈アカウンタリビティ〉:「行動の叙述については、〈質的ロールプレイング〉の内容をキッチリ伝えれば納得してもらえるはずだ」
    • 〈選択肢〉:「動くか、動かざるか」
    • 〈決断〉:「よし、考えたとおりに動こう」
  • 〈行動申請〉(必須):『エックハルトは坊ちゃんをしごき倒して、彼が逃げた隙に呪文を発動。屋敷の中にいるはずの黄金学府の者を探そうとするよ』
  • 口頭によるエックハルトの台詞描写(optional。効果的でない場合は特に必要ない):〈行動申請〉を終えた後、以下のような台詞をもっともらしく喋り、GMの反応を待つ。「エーデルライヒ坊ちゃま、唐突ですが今日は積分のお勉強を始めましょう*4
  • 〈ゲームマスター〉による裁定「げー、幸運点を使ってもバレてしまった!(笑)」
  • 〈結果に対する責任〉:「パーティに巧く情報を伝えたいし、死にたくもない。ここは社交判定でとぼけるしかないぞ!」
  • (はじめに戻る)

 具体的にどんな流れでこのようなプレイングをしたかは、ぜひリプレイ本文に当たって頂ければと思います。

(この後、当時書いた補論は、趣旨が異なるため、別エントリに切り離しました。)

*1:何らかのありのままの情報を量的表現に移し替えるということは、それがどれだけ科学的な知見に基づいていたとしても、知識の加工・抽象化になる、と筆者は考えています。「ゲームデザインとは、畢竟抽象化である」という格言を目にしたこともありますが、これは現象の量化を考える際に、とても興味深いフレーズです。

*2:後述する質的情報の扱いづらさにより、多くのルールブックは、それが傑作か駄作かという評価を超えて、「完璧な状況描写」というものが難しくなっている。会話型RPGメカニズム面での不足を埋めるのは、常にテーブル(=GMとPLによって構築される共同討議の場)である。そこまで加味すれば、「あらゆるルールブックには欠陥などありえない」という過激な主張も可能だろう。

*3:筆者は、会話型RPGのこうした営みの特徴を示すものとして「共同ゲームデザイン」や「イマジナリィ・ボードゲーム」と言った呼称を何度か提案してきた。さらには、Vampire.S氏によるポリシー/メカニズムの区別から、本論で述べた量的情報化と質的情報化、この2つの処理を施した架空のキャンペーン・セッティングに対する表現系のことを(ポリシーの期待する応答を実現するものとしての)「メカニズム」とも呼んでいる。メカニズムは、自然言語形式言語のどちらか一方で記述されるわけではなく、その雑駁な総合によって、会話型RPGにおける応答性を発揮している。

*4リプレイには収録されていないが、このような発言をした。ちなみにエーデルライヒ坊ちゃんはとてつもなくおバカさんという設定。

tastas 2010/08/23 09:08 馬場氏がなりきりを排除しているのを「誤解」と言い続けることは無理があるかと思います。
例えば以下の発言で排除の意図がないとは思えません。
http://www.scoopsrpg.com/contents/baba/baba_19980907.html
「彼らを「虫けらにも劣る連中」などと見なすのは止め、せめて「虫けら同然」くらいにとどめておこう。そう、彼らにも五分の魂があるのだ。たとえ、傷つく以外に用途がないとしても。」
「 コンベンションを主催する人は、キャラクタープレーヤー同士を同じ卓に集めるといった配慮をしてほしい。RPG初心者も参加している場合はキャラクタープレーヤー達のために特別室を用意した方がよいかも知れない。地下3階の物置とか。さらに、彼らが邪魔されず心ゆくまで演技できるよう、特別室に外側からしっかり鍵をかけるといった気配りも求めたい。」
http://www.scoopsrpg.com/contents/baba/baba_19980725.html
「うっかり近づいてしまった初心者も「さあ、君もキャラクターになりきって熱いセリフを叫ぼう」などと言われて、あわてて逃げ出した。そんな気持ち悪いことに快感を覚える××だけが「P」を支えていたが、その数は減少の一途をたどり始めた。」

ggincgginc 2010/08/23 09:59 tasさん:

 ご意見ありがとうございます。
 So what?

tastas 2010/08/23 14:46 so whatと言われますと、高橋さんの書かれたことの間違いを指摘しているわけです。
「その意見は違うと思うので、修正の必要を認めない」
あるいは
「その意見を認めるかどうかは主観の問題である」
ということでしたら理解できますが、
「だからどうした」
とおっしゃるのであれば、つまり高橋さんはご自分の書かれた論や主張において、その正確性については、どうでもいいと考えられているということになりますが、そういうことでよろしいでしょうか?
私は馬場氏の論を評価するに当たって、彼が特定のプレイスタイルを、単に批判するのみならず、上記に引用したように、人格的に中傷し、排除し、また、読者にもそうするように扇動していたことを指摘するのは重要な点であり、それを「誤解」とするのは、客観的にありえないと考えるものです。
馬場氏の論を評価することは可能ですが、だからといって差別的な言辞を無視することは事実の隠蔽でしょう。

ggincgginc 2010/08/23 18:15 tasさん:

 ちなみに「So What?」とは、「そのような意見提示は、“問い”ないし“提案”としていまだ不明瞭であり、特に応答の必要性を感じない」という意味です。なぜなら、僕はtasさんのおっしゃるようなことを文面の中に「意見」として述べたとは全く考えていない為です(むしろ「論」としてはその他の言説の登場によりほぼ過去のものになった、ということを書いており、それについての僕から馬場秀和さんへのコメントとはむしろ合致しているのではないでしょうか。つまり――馬場秀和はもはや2010年時点で、基本的に取り上げるに値しなくなった)。
 僕からは以上です。

tastas 2010/08/23 20:10 文面の中には、以下のような文章が意見として述べられていましたね。
「その一部の発言がSituationismを意図的に排除する言説として取られてしまったことにより、多くの批判を受けた。こうした誤解の根本原因〜」
ここでは馬場氏の言説を「Situationismを意図的に排除する」と理解するのが「誤解」であると明白に書かれています。私が指摘しているのはその点です。
「誤解」があったかどうかと、馬場氏の論考が過去のものであるかどうかは、全く別問題です。
「Aは論考として過去の物である」「でない」
「Aが、なりきりのプレイスタイルを排除していたというのは誤解である」「でない」
両者は全く別のことについており、「過去の物であると述べている」ことから、「なりきり」についての意見は全く取り出せません。
おっと、今見ていたら、文章を修正されていますね。
「その一部の発言が、明らかにゆきすぎたなりきり派だけでなく、キャラクターの疑似体験感覚を楽しみとして見いだす narrativist, situationistすらもまとめて排除する言説として取られてしまったことにより」
ですか。
こちらの意見でしたら、異論はありますが、主観の違いとして納得できる範囲です。
ただ、指摘を受けて文章を変えたのであれば、そのことを言わずに、こちらを批判するのは、アンフェアですね。

ggincgginc 2010/08/23 21:10  そうですか。納得されたのであればよかった。
 
>指摘を受けて文章を変えたのであれば、そのことを言わずに、こちらを批判するのは、アンフェアですね。

 僕から批判ってしましたっけ。「その発言でもって僕に何をしてほしいかがよくわからないので、コメントのしようがない」というのは今も変わりませんが、ともあれ納得されたのであればよかったです。
 ではでは。

tastas 2010/08/23 21:30 「僕から批判ってしましたっけ」と言われますが、意見提示に対して、「そのような意見提示は、“問い”ないし“提案”としていまだ不明瞭であり、特に応答の必要性を感じない」というのは、批判になります。
また日常会話で「so what?」と答えることは、中立の発言ではなく「だからなんだ?」という対立の表明になります。
そして応答の必要性は感じられいままに、ちょうどたまたま指摘された点を編集・修正し、それについて沈黙したまま「応答の必要性を感じない」と答えるというのは前後矛盾しているだけでなく、社会的に問題があります。
老婆心ながら申し上げますが、指摘を受けて修正をしたのであれば、そのように述べるべきです。
「自分では特に直す必要はないと思ったけど、言われたので、一応直してみた」でもOKです。
そうした説明をせずに、批判された箇所をこっそり修正することは、そうすることで、こちらの指摘が最初から的外れであるように見せかけようとした、という風に解釈できるわけですから。
高橋さんは学問をされているようですが、発表した論文において、そのようなことをしたら大問題である、というのは言うまでもないでしょう。

ggincgginc 2010/08/23 21:41 >意見提示に対して、「そのような意見提示は、“問い”ないし“提案”としていまだ不明瞭であり、特に応答の必要性を感じない」というのは、批判になります。

 なるほど、そういう考えもあるのですね。参考になりました。

大先輩大先輩 2010/08/24 01:07 二人とも落ち着いてね。周囲からはどっちもどっちに見えるよ。

>ggincさん
勝手に定義した「俺用語」でTRPGを弄ぶのはもうやめましょう。
<量的ロールプレイング>と<質的ロールプレイング>?
誰がこんなこと言ってるんです?

あとろくに追いきれてもない英語圏での論争を持ち出して、衒うのもやめましょう。みっともないだけです。そんなものは高橋志臣の論の補強にはなりません。英語圏だろうと、日本語圏だろうと、RPGにおいて「パラメーターが強くなることの快感」を無視した議論はもうやめましょう。コンピュータRPGでも「成長すること」がゲームのもっとも核心的な楽しさなんですよ。RPGの本質はどっかのおバカさんが勇み足っちゃった「意思決定」だの、言い訳付きがましい様々な「留保」付きの「ロールプレイ」でもありませんよ。パラメータが世界を表現するためのデータにしか見えない時点で、あなたの見方は一方的なんです。アマチュア視点でのデザイナー(になった気分の)サイドやGMサイドの視点だけでは見えないものがありますよ。

ggincgginc 2010/08/24 05:06 大先輩さん:

 はじめまして。コメントありがとうございます。

>英語圏だろうと、日本語圏だろうと、RPGにおいて「パラメーターが強くなることの快感」を無視した議論はもうやめましょう。コンピュータRPGでも「成長すること」がゲームのもっとも核心的な楽しさなんですよ。

 なるほど、「成長する楽しさこそが会話型RPGの核心」というご意見なのですね。了解しました。そのご意見は、とても明快な立場かと思われます。

 僕も確かに、D&DやShadowrun、あるいはコンピュータRPG(昔ならWiz、DQ、FF。最近なら『世界樹の迷宮』や『P3』など)で成長する楽しみは、何ものにも換えがたいものだと思います。よくできていますよね。

 ただ、デジタルでもアナログでもそうなのですが、「それ以外の楽しみは本当にどうでもいいのか?」というと、中々厳しいところもあるのではないかな、と思います。

 たとえば特に顕著なのが、『クトゥルフの呼び声』(会話型RPG)と『コープスパーティー』(RPGツクール発の怪談コンピュータRPG)です。これらはどちらも、「恐怖を疑似体験しつつもホラーな状況をくぐり抜けること」、つまりメインプレイ中のギミックがとても良くできていますが、実質ほとんど「アフタープレイでの成長」について思考する余地がありません(もちろん、CoCで〈機械修理〉が抜けてたとかはありますけど)。『コープスパーティ』は、RPGのパラメータを活かしつつも、最後までレベルの概念は出てこないんですよね。この辺、とても反D&D的なデザインでありながら、最終的にはPSPに移植されるまで根強い人気を持っている、立派な「RPG」なのです。

 また、会話型RPGのシナリオに例を取っても、

-単発のコンベンションスタイルで遊んだセッションの楽しさ(僕の経験であれば、『墜落世界』『D&D3.5』『エンゼルギア』『女神転生 覚醒篇 RPG』など)
-カジュアル・セッションでほとんど「成長」を行わずにやったセッション(『ナイト・ウィザード 2nd Edition』『デッドマン・ウォーキング』『TORG』『クトゥルフと帝国』『天下繚乱RPG』『ワールド・オブ・ダークネス』『T&T:モンスター!モンスター!!』など)
-キャンペーンだったが、成長要素が希薄でも展開が魅力的だったセッション(『GURPS』の150cp/50cpのキャラを二重人格的にザッピングしたセッション、『Aの魔法陣』日常篇のさまざまなセッション、そして今回Web記事になった『ウォーハンマー』のリプレイにおける成長時以外のさまざまな遭遇)

 と、「レベル上昇が面白かった」だけでは説明の付かない多彩な魅力が、会話型RPGにはあると思うんですね。もちろんこの中には、『D&D3.5』や『ナイト・ウィザード』や『天下繚乱』のように、戦闘を繰り返した末のレベル上昇が巧みに組まれたゲームデザインもあります。しかしその中でも「成長することがゲームの核心的な楽しさ」とは主張していませんでしたし、またD&Dの『ダンジョン・マスターズ・ガイド』では、さまざまな傾向のプレーヤーに合わせてシナリオをデザインしていくことの重要性を指摘してもいるはずです。

 そのような具体的なプロのデザインからも、幕間の成長だけではなく、さまざまな状況のゲーム的・物語的・疑似体験的の多相的な面白さ(あえて今けっこう流通しているFEARの用語では「プリ・プレイ&アフター・プレイ」だけではなく「メイン・プレイ」においてこそ)を提供しているように思われます。

 僕は以上のような考えから、〈プレイング〉とは結局どういうものなのかを、「成長しないシステム&成長を前提としなかった単発セッション、ロングキャンペーンがなぜこんなにも(成長するゲームに負けず劣らず)面白いと感じさせるのか」という問いを捨てずに整理しようと試みたのでした。

 もちろん、大先輩さんのおっしゃるような「成長すること」の楽しさは、相変わらずヒロイックなTRPGのロング・キャンペーンにおいて重要な要素かと思います。特に最近僕も遊んでいる『D&D4e』などは、やはり成長してゆくことで圧倒的に面白くなりますね。

 それでも、僕はそのD&D4eを遊んでいる時でさえも、ウォーフォージド・ファイターの設定や、そのキャラクターのもつ管理資源をどう巧く使うか、それでどうやって「このセッションで面白さを共有していく」か、ということは、無視できない要素としてあって、成長はその後の楽しみにたまたま来るものかな、という感じなのです。

 セッションの質はともかく、成長するためにとりあえずやるよ、というのは、『アリアンロッド』のランダムダンジョン潜入で体験したことがあるのですが、あれは純粋に「成長することが核心的な楽しみである」ことを前提とした遊び方でした。ただ、友人と一緒にやったその遊び方の延長には、先ほど述べた「それ以外の楽しみ」はどうにも説明しにくいなあ、というのが僕の実感としてあります。

 以上が僕の補足ではありますが、大先輩さんのご意見それ自体は非常に貴重な、力強い立場かと思います。プロのルールブックのデザイナーは、きっとその発想でもってプレイをする方々のことを飽きさせないように、さまざまなデータを組まれているはずです。どんなTRPGのメカニズム・デザインを手がける人も、大先輩さんのおっしゃることを忘れてはいけないだろうと感じます。

 僕からの補足としては以上となります。
 改めて、コメントありがとうございました。

ThornThorn 2010/08/24 10:14  今回のエントリは実に刺激的で、RPGを知らない人にこの考え方を呑みこんでもらい、あとは随時個別のシステムに応用していけばわかりやすいかなと思います。その意味で骨格たりうる、開かれた良エントリを書いていただき、感謝しています。こういう優れた論考がアウトプットされるなにがしかのきっかけを作ることができたのだとしたら、リプレイをしたためた意味もあるというものです。ありがとうございます。
 情報理論の述語に親しみがない向きにも、定義付けがしっかりしているので、パラフレーズして解説するが容易で、応用しやすいところもよいですね。

 本エントリを読んで私が思い出したのは、会話型RPGの例で言うと『トラベラー』ですね。あれはユーザーが動く世界設定を変数を軸にした量的情報として設定し、かつその部分を質的情報として腑分けしていくシステムだと見ることができるということが、この論考を読んでいてわかりました(もちろん、すでに質的情報として提供されている情報も数多いのですが、例え質的情報に重きを置いている『メガトラベラー』でさえ、オフィシャル・シナリオ集ではいずれも量的情報に対する批評的な気配りを忘れていません。例えば『ハードタイムズ』というシナリオ集では、銀河皇帝暗殺後の混乱を表現するために、すでに設定された世界のテック・レベルがランダムで下がるんです)。

 だとすれば、ユーザー間で量的情報と質的情報の差異を意識することで、より洗練されたプレイングに応用できる(それまでブラックボックスとなっていた変換の仕組みがより明瞭になる)のではないかと思います。
 これまでRPGにおける「プレイング」を語るうえでは、平易であろうとするあまり精神論に陥りがちで、そのぶん敷居が上がってしまうことがままあったと思うのですが、何気なく遊んでいるスタイル(の構造)をこうして言語化してもらえると、肩肘張ることなく何をもって上手な「プレイング」が成り立ちうるのかという方向性が見えてくるのでよいですね。

 ここで「成長」について言及しうるとするならば、量的情報を主軸とした世界の中では、変数に対してPCという世界の中での主体がどう介入していくかという拾い上げ方ができるかな、と。つまり、変数に対して影響を与える因子としてPCを理解すれば、その度合いを考えることができるのではないか。PCが成長することは、データ的に強力になるのであれ、社会的に成功する(『トラベラー』ならば、例えばお金持ちになる)のであれ、量的情報としての変数に与える影響力がより大きくなるということを意味しているのではないかと思います。
 『D&D第4版』はこの部分にも意識的なシステムで、具体的には英雄級−伝説級−神話級といった「級」のスケール・アップによって、量的情報への介入の度合いの変容をうまく表現することに成功しているように思えます。幸いながら、『シルヴァー・クロークス戦記 巨人族の逆襲』という伝説級のシナリオが日本語で紹介されました。このシナリオ集は、「級」のスケールを表現するという意味においては、昨今紹介された会話型RPGのシナリオ集の中では図抜けていますので、『モンスター・マニュアル』を買う前にでも見てみてほしい、とすら思ってます(笑)

 ここで、物語論の伝統に引き戻して考えれば、これは一人称、三人称という人称の変容と、それによって語られる世界観の質の変容、という部分に接続することができるでしょう。
 人称の問題も込み入っていて厄介ではありますし、人称に着目すると問題は情報理論から表象理論の方へ近付いていきます(例えば一六世紀を舞台として「一人称」を説得力のあるものにするのは困難だという考え方もできます)。そして問題なのは、『D&D』でも、伝説級や神話級に比べて、英雄級のセッションは別につまらないものではないということ。『D&D』のユーザーには昔からスウィート・スポットという考え方がありまして、これは『D&D』をいちばん楽しめるレベル帯、言うならばシステムの性能を最大限に引き出すことのできるレベル帯のことを意味するユーザー側から生み出されたタームです。もちろん人によって若干の異同はありますが、例えば『クラシックD&D』の場合は、エキスパートセット(「青箱」)で表現されるレベル帯が、スウィート・スポットとみなされてきました。『D&D第3.5版』の場合も、5〜8レベルくらいがだいたいスウィート・スポットと見なされているようです。でも『D&D第4版』の場合、いまだ確固たるスウィート・スポットはないんですね。試行錯誤の段階と言ってもよいかもしれませんが、これは「級」ごとのゲーム・スケールの変容を明確化したことで、かえってスウィート・スポットに限定されない、ビッグゲームならではの魅力を引き出し得たのではないかと考えています。

 演技についても面白い手がかりがありますね。ライブRPGの例が出てきましたが、あのようなスタイルで「没入」を考えるうえで難しいのが、おそらく確たるロール・モデルがないことです。 演劇の場合、「没入」を判定する基準は、情報理論とは質が異なるかもしれませんが、或る程度判定はできる。それは古典的な演劇の場合はロール・モデルがきちんと設定されているからです。ある人物がハムレットらしいかということは、ハムレットというロール・モデルが、深遠でこそあれ明確である以上、まったく異なるロール・モデルは排除することができるわけです。ハムレットと言って、ドン・キホーテを演じることは「没入」していないことになるのでしょう。しかしRPGの場合は「没入」を客観的に判断しうる審級が欠落している。このためにどこまでも「没入」は主観化せざるをえないのではないかと考えています。たとえドン・キホーテでも、本人がハムレットといったらハムレットになってしまう。おまけに、自分で作成するキャラクターにロール・モデルがあるにしろ、それは神話的な祖型でしかない場合が多い。「ジークフリートを演じる」のではなく、「ジークフリートの〈ような〉英雄を創造し、演じる」という、神話の原質そのものを再現することが多くなってしまうのではないかと思います。
 神秘化に近付く以前に、こういう段階が存在するのが厄介なのかもしれません。翻って情報理論を軸に考えるのであれば、ライブRPGよりも、平田オリザが『演劇入門』で行くような対話劇の方向から、情報理論に接続させていくことができるのではないかと思います。『演劇入門』の「対話」概念は、ここで語られていた質的情報を主体が解釈したさまを、台詞のうちで変換させ、別の演技者にとっての量的情報として提示するといった形にできるのではないかと思っているます。その方がおそらくは本エントリであるような「企画会議」のようなロールプレイに近い部分があるのかもしれません。私は新版『ローズ・トゥ・ロード』を非常に高く評価していますが、その理由は対話劇としての「質的」→「量的」→「質的」のサイクルを明確化することで、無名の跪拝の対象となりがちなロールプレイにおける「対話」を、さらに踏み込んだものにできるだけの突破口を切り開いているという部分にあるのです。

大先輩大先輩 2010/08/24 10:21 その本来多彩なはずのRPGの楽しみをスポイルするのが衒学的なTRPG論考に費やす空虚な虚栄心と時間なのです。
ggincさんや論考諸氏は俺分析用語を自作する前に、シナリオとマイキャラを自作しましょう。
フォロワー零のTRPG論考とか、コンべで真面目に話したら100%警戒されるような俺論考は無意味でしょう?
フィクションの話しではありますが、QuickStartというTRPG愛好少女を描いたコミック作品があります。
TRPGゲーマーの多くが共感できろと思われるなかなか面白い作品ですが、もしこの作品の登場人物である少女たちが現在遊んでるキャンペーンの話もそっちのけでブログでTRPG論考をはじめたらどんなに興ざめでしょうか。俺分析用語で理論武装するスノッブなサクラコなんて醜悪なだけです。

tastas 2010/08/24 10:28 以下のような誤解があったので、もう一度。
>ロジカルシンキングの術語を共有していない人に「So what?」というと、元々整理されていない状態に見下されたという感情が上書きされて更にややこしいことになるので、あまり使わない方がいいみたい。単に「それで、どういう提言になるのか」という意味になるんだけど。


まず提言をしているつもりの人間に対して、それは提言になってないよ、というのは、批判要素ですね。
そしてここで私が言ってるのは「批判をするな」という話ではなくて、「指摘を受けたところの文章をこっそり変えておいて、指摘を批判するのはないだろう」という話なわけです。
時系列をまとめます。


1.高橋さんが、馬場氏の理論を「Situationismを意図的に排除する言説」とするのは誤解だと書きました。
2.tasは、「文中、馬場氏がなりきりを否定してないという言明は間違っている」という指摘を行いました。
3.高橋さんは、文中で馬場氏は、明らかにゆきすぎたなりきり派は否定していたが、それ以外も否定したとするのは誤解だという風に書き替えました。
4.書き替えたことを言わずに、「So what?」「提言になっていない」という返信をしました。


相手の指摘を受けた箇所を編集しておいて、「提言になってない」と言い返すのは、どう考えてもおかしいでしょう。
これについては前回はっきり書きましたが、関係のないところのみ返信されましたので、もう一度はっきり聞きます。
高橋さんは、「相手の指摘を受けて文章を編集したにもかかわらず、そのことを隠して、相手の指摘に「提言になってない」ということ」を、どのように思いますか?
私は、問題がある行為と思います。

ggincgginc 2010/08/24 14:41 Thornさん:

 読んでくださってありがとうございます。パラフレーズの件はこれまでより自然になるよう、できるだけ努力したつもりです。
『トラベラー』についてはその通りだと僕も思いました。宇宙SFの要素を定量化しながら、同時に歴史を提供することで非線形の物語的脈絡にもしっかり対応できる、優れたメカニズム(ルール群×設定群)だと思います。また、成長要素と演劇の件については、今後も論点として大変興味深いと思います。また折りに触れて、文章に反映できればと考えています。

ThornThorn 2010/08/24 16:06  あ、書き方が悪かったようですみません。
 パラフレーズについては、必要にして充分なものになっていると思います。別に小難しいとも思いません。このエントリをはじめとして、現代版『Shared Fantasy』のような本があればよいのに……と思うところしきりです。微力ながら私も色々やってはいるわけですが、必要性は強く感じる。いつか一緒に書きましょうよ(笑)
 ただ、平易に書かれたルールブックでも、ゲームマスターがその内容を呑みこんで自分なりに整理してプレイヤーに伝えなければならないように、いったん現場では自分の言葉に置き換える必要があり、その際に目をつけるべきポイントにもなるかなと。
 先の例では情報理論を受け付けない人と書きましたが、それ以外でもこうしたごく基礎的な設計図を他の分野を専門にしている人に伝えなければならないケースは多々あります。
 私は物語表現の一分野としてのRPGには大いに可能性があると考えますが、それを物語論の人へ具体的な言葉で伝えられないのでは問題ですし、実際に苦労しています。「やってみればわかるよ」、「とにかく楽しいから」だけでは、なかなか通用しない。その構造を伝えられないので。私も「楽しさ」を強調しますが、ではいったい、何がその「楽しさ」を生み出すのかを放棄しては駄目でしょう。
 共感によって生まれる認知的な協和/不協和以外にも、既存のジャンルを理論的に越境しうる観点は常に必要であり、それがなければ創作者はバックボーンを失います。私はSF評論賞優秀賞というのをいただきましたが、評論賞というのは、むしろ作家側の要請によって生まれたものなんです。
 創作と論考というものは、常に車の両輪のようにバランスを取ることが、優れた作品を生み出す鍵となる。あるいは批評自体が一個の作品として成立することも、近代の歴史を遡るとたくさん事例はあるわけです。RPGにおいてもそれは同じでしょうし、現に私は刺激を受けています。
 と言っても、私のは単なる感想というか所感のフィードバックなので、別にそれを踏まえて「直せ」というわけではありません(笑)
 自作について言いますと、『ガンドッグゼロ』のシナリオで、南オセチア共和国を舞台にしたシナリオを書いたのですが、やはりこれも「量的情報」と「質的情報」を問題意識に組み入れずにはおれませんでした。そのうえで、南オセチアでの紛争という、それこそ『虐殺器官』ばりに表象を拒否する現実をどうシナリオ的に構造化するのか、と言う問題も考えさせられましたね。
 このあたりの仕事はとあるプロのミステリ作家の方から、問題意識も共鳴するといった丁寧なお手紙をいただいたこともあるくらいなので、やはりジャンルは越境できるのだ、と希望を感じた次第です。
 いずれにせよ、文学の定義にせよ、SFの定義にせよ、ミステリの定義にせよ、定義問題というのは反感を生みやすいものです。しかしながらそうした反感を生み出すことが本質に近づいている(日本におけるSF評論を成立させたのは論争史です)。「浸透と拡散」があれば、サイクルとして「抽出と凝固」も必要になる。今回のエントリは、そうした茨の道を分け入って何か立派な宝物を見つけ出すことができるのではないか、そうした手応えを感じさせられるものでした。

 まあ、こういうことを言いたかったわけです。

ggincgginc 2010/08/24 16:16 Thornさん:

 コメントありがとうございます。

>現代版Shared Fantasy

 そうですね。今Kamm氏が調査されていることが、もしかすると僕よりF.A.Fineの仕事に近いのではないかと感じています。日本ではそうした調査自体が(ゲーマーの側から)疑問を呈じされかねない状況ですから、僕などでは研究計画を進めるのがとても困難です。今後状況が改善してゆけばよいのですが。
 日本版Shared Fantasyは、ぜひ書きたいですねえ。その際はぜひお誘いください(笑)。

 別件で進めているindex-symbol cycleの話もまた、実は今回の量的/質的なものの話と緩やかに関連すると考えています。今回それを用いなかったのは、index-symbolが、「物語を認知的に理解するモデル」としては有用だけれど、いざゲーム論として話そうとするとけっこうめんどくさい突飛な用語になるかなと思ったためです。量的/質的(あるいは定量的/定性的)ならば、社会科学一般でも普通に共有されている区分ですし、極端に専門用語というわけでもないです。会話型RPGには確かに適用されてこなかった言葉ですけれど、パラフレーズした内容であれば誰もが言ってきたことですし、僕としては「ベタ文をさくっと引用する時のタグみたいなもの」くらいの感覚で定義を行いました。

『アゲインスト・ジェノサイド』の問題意識がミステリ作家など別のnarratorの方へも伝わったというのは、とても興味深い出来事だと感じます。会話型 RPGの面白さは、いったん数値に抽象化したはずの変数が、挙動を繰り返す中で「成長」や「英雄的行為」や「挫折」といった、自然言語に翻訳しうる何らかの手応えとして感じられてくるところにあると思います。それはもうすでに「ベタに語られた表現」では決して表現できない凄みではありますが、それでもそうした凄みの何割かでも、「こういう面白さがあるんだよ」とフラットに伝えられる語彙をつくっていくのが、「会話型RPGについて批評する」という営みではないかと思う次第です。

 改めて励みになるコメント、ありがとうございました。茨の道でぶっ倒れないよう頑張ります(笑)。