映画 『栄光への 5000キロ』


 最近、NHKのBSで放送されたので觀た方も多かつたのではないだらうか。
原作は1966年の同ラリーに於て日産チーム監督としてクラス優勝、チーム優勝を經驗した笠原剛三の「榮光への5000キロ―東アフリカ・サファリ・ラリー優勝記録」。撮影は1969年の第17囘サファリ・ラリーで行はれて、撮影者で最後尾でのスタートにも拘らず綜合5位に入賞してゐる。

 扨て、肝腎の映畫の内容だが、抒情的な描冩が長く感じられダラダラとした印象。特にサファリ・ラリーが始まるまでが長いのなんの。上映時間が3時間近い175分だが、同じ3時間のF1グランプリ・レース映畫「グランプリ」が、途中でだれる事もなく感じられるのは何故なのか。

 映畫公開時の石原裕次郎の年齢は35才。日活アクションのファンとして言はせてもらへば、ブクブクと太つて二重顎と成つたかつてのヒーローに夢を追ひかけるのも無理と云ふものである。





 映畫の翌年1970年、過酷なサファリ・ラリーに優勝した日産のブルーバードだつたが、誇らしげな技術者の滿足とは裏腹に、ライバルのトヨタ・コロナは、レースは勿論のこと技術的にもブルーバードに劣つてゐたのだが、ブルーバードよりも賣れてしまふ。一寸太いタイアと良いラジオがついてゐるだけで消費者はコロナを選んだのであつた。其の後、日産はトヨタの猿眞似をする事と成り、凋落が始まるのである。



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