東京・愛宕 NHK放送博物館 Part2

1926年(大正15年)12月25日、高柳健次郎(後の日本ビクター副社長)が濱松高工にてブラウン管による電送・受像を世界で初めて成功した。此れは、其のテレビ傳送實驗裝置の再現展示。映し出されたのは「イ」の文字だつた。


ヒトラーの伯林オリンピックで世界初のTV中繼が行はれたが、戰前の幻の東京オリンピックでも、其れを實現しようと日本でも實驗が行はれた。此れは1939年にNHKが開發したTVカメラ。翌年の1940年4月13日と14日に、NHK放送技術研究所のスタジオから生放送されに行はれたTV實驗放送であり日本初のTVドラマである『夕餉前』(ゆふげまえ)が放送された。感度の低いTVカメラだつたために、照明があまりにも強烈で出演者の髮や衣裝が焦げてしまふことから、ドラマの時間も15分と決められた。


1939年、日本製反射テレビ。ブラウン管が長いので垂直に置いて、鏡で映し出す仕掛け。



通信機で有名な亞米利加・ハリクラフター社から1952(昭和27)年に發賣された17インチテレビ受信機。1953(昭和28)年本放送開始時、抽籤でのテレビ受信契約第1號のテレビでもある。非常に高價で、大學卒の初任給が5千圓だつた當時、28萬圓もした。今の貨幣價値で1千萬圓を越す。


昭和天皇がTV放送開始時に使つてゐたTV。亞米利加製。


三菱製 6CT-388型 カラーテレビ受信機(1964)
電子レンジのやうな奇妙なデザイン。電子銃ではなく、赤青緑と別々のブラウン管で映し出し、鏡で合成して見せると云ふ代物。勿論、普及しなかつた。


1957(昭和32)年のNHKのTV番組表。まだTVの受信契約は50萬世帶にすぎなかつた。


ブーフーウー』(Boo Foo Woo)は、1960年(昭和35年)9月5日から1967年(昭和42年)3月28日までNHK綜合テレビで放送されてゐた。子供の頃によく見てゐた。おねえさんがかばんの中からブーフーウーの小さな人形を取り出して、舞臺の上の子ぶたたちの小さな家の前にセットする事から始まる。冩眞左隅の大きなハンドルは壁に取り附けられてゐて、此れを廻してネジを卷くと舞臺の上の三匹が動き始める。此處から場面は着ぐるみに變はるが、此の變化は子供心に不思議であつた。


人形劇『ひよつこりひようたん島』の人形と、其の聲優たち。有名どころが一杯だ。
山弦藏、瀧口順平、藤村有弘、中山千夏青島幸男楠トシエ谷幹一、、、。