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フィアット500大作戦!!

2013-02-12

日産とプリンス 合併の裏で。。。Part5 東洋工業との合併話

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 住友銀行は、プリンスの内容を調査、現状はとにかく、近い将来に貿易の自由化が行われ、資本自由化の黒船が到来したときの状態を研究分析した。その結果は、独立困難というものであった。そこで、合併の数年前、同じ住友銀行系の東洋工業(現マツダ)とプリンスとの合併を画策した。しかし、これは失敗に終わった。天才的な経営センスをもっていた松田一族最後の名社長であった2代目の松田恒次が頑強に拒否したからである。
合併するなら、自分のところより弱い会社とはしない。強い会社、たとえば日産自動車となら考えてもよい」と松田恒次は語ったと言われている。
 住友銀行頭取堀田庄三は、経営者としての松田恒次を特に高く評価していた。それだけに、下手に恒次を怒らせると、プリンスとの合併が頓挫するだけでなく、東洋工業との関係も悪化すると考え、プリンスとの合併の強行を行わなかった。
 プリンスと東洋工業合併不調は、まもなく一般に伝えられた。これにより、住友銀行系のプリンスと東洋工業の両自動車メーカーには、当分合併の動きはないという憶測が財界マスコミに支配的となっていった。それがために、突然のプリンスと日産合併のニュースはセンセーショナルに報道されたのである。
 住友銀行に限らず、富士、三菱、三和、東海、第一、三井、興銀、長期信用銀行*1といった当時の大手銀行が、自由化に備えて、あらゆる事態を想定してシミュレーションを行っていた。住友銀行の場合、東洋工業との縁談が断られて、あらたな合併先を模索していた矢先であった。そこに突然、日産自動車という大型合併の話が舞い込んできたのである。
 結局、プリンスは、通産省、石橋正二郎住友銀行という関係者の思惑を絡ませながら、トヨタ東洋工業合併を2度も模索して失敗、3度目の正直で、ようやく日産との話がまとまった。

 問題は、何故トヨタが断り、日産が受け入れたかである。

この項つづく。

*1:これらの銀行の全てが合併統合を繰り返し、名称が変わっている。

2013-01-24

GUIDE to The MOTOR INDUSTRY of JAPAN 1961 edition Part 2

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初代スカイライン。ボディのプレスが貧弱で、新車時から波打っていたという、まるで80年代のフランス車のような品質であったらしい。エンジンは4気筒 OHV1.5リッターでシンクロの4段ギアボックスであった。リアサスペンションはドディオンアクスル(ただしバネはリーフだった)を奢っていたのがプリンスらしいところ。しかしながら悪路だらけの当時の道路事情ではタクシー業界には不評で、クラウンの敵とは成り得なかった。

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写真上から、三菱500、日野コンテッサ、マツダR360クーペ。

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1958年に発売された、日本が世界に誇るスバル360。後に発売されたフィアット500と比べても遜色ない。

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早すぎたステーションワゴン。ほとんどが商用車として使われたのであろう。

2012-12-26

1965 The Mainichi Graphic

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60年代から70年代初頭まで、各新聞社は毎年、新車發表の雜誌を發賣する事が恆例であつた。特に60年代は自家用自動車なんぞ夢の夢であつたために、大衆の憧れとしての側面がクルマにはあつた。


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「YANASE」が「梁瀬」であつた時代。プリンス自動車を賣つてゐた事をご存知だらうか? 其の後ヤナセは「いすゞ自動車」を賣る事に成る。


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1962年の東京モーターショーにて發表されたトヨタ・パブリカ・スポーツの走行實驗の模樣。デザインと制作はトヨタ傘下の關東自動車によるものだつた。最大の特徴は大きくスライドするルーフ。戰鬪機のキャノピーのやうであつた。


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トヨタ・パブリカ・スポーツ、關東自動車での開發の一コマ。ソファーで女性の横にゐるのが開發責任者の長谷川主査。飛行機設計出身である。背後に掲げてゐるプロトタイプのデザインや、卓子に置かれてゐる模型にも注目。


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結局、世に送り出されたものは、似ても似つかないデザインであつた。


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こちらは、マツダのロータリー・エンジン開發時の冩眞。1965年の東京モーターショーでは、コスモ・スポーツのプロトタイプが展示されただけで、發賣は未定と成つてゐた。新聞記者たちは、果たして使ひ物に成るのか疑心暗鬼の状態であつた。開發には情報漏えいを防ぐためにあらゆる措置が行はれた。仕出し辨當も警備員立會のもとで搬入された。


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幻の4ローター・エンジン。



貴重な資料の提供者はAD氏。