2012-04-12
映画 『栄光への 5000キロ』
最近、NHKのBSで放送されたので觀た方も多かつたのではないだらうか。
原作は1966年の同ラリーに於て日産チーム監督としてクラス優勝、チーム優勝を經驗した笠原剛三の「榮光への5000キロ―東アフリカ・サファリ・ラリー優勝記録」。撮影は1969年の第17囘サファリ・ラリーで行はれて、撮影者で最後尾でのスタートにも拘らず綜合5位に入賞してゐる。
扨て、肝腎の映畫の内容だが、抒情的な描冩が長く感じられダラダラとした印象。特にサファリ・ラリーが始まるまでが長いのなんの。上映時間が3時間近い175分だが、同じ3時間のF1グランプリ・レース映畫「グランプリ」が、途中でだれる事もなく感じられるのは何故なのか。
映畫公開時の石原裕次郎の年齢は35才。日活アクションのファンとして言はせてもらへば、ブクブクと太つて二重顎と成つたかつてのヒーローに夢を追ひかけるのも無理と云ふものである。
映畫の翌年1970年、過酷なサファリ・ラリーに優勝した日産のブルーバードだつたが、誇らしげな技術者の滿足とは裏腹に、ライバルのトヨタ・コロナは、レースは勿論のこと技術的にもブルーバードに劣つてゐたのだが、ブルーバードよりも賣れてしまふ。一寸太いタイアと良いラジオがついてゐるだけで消費者はコロナを選んだのであつた。其の後、日産はトヨタの猿眞似をする事と成り、凋落が始まるのである。
Special thanks to Mr Ueno.
2011-03-18
American Graffiti
16歳の時、デートで初めて観てから、数え切れないほど何度も観た映画“American Graffiti”
大体のセリフを憶えているほど大好きな映画だ。この映画のクルマは第2の主役というべき重要なもので、クルマなしにはこの映画は成り立たなかった。
大阪のUSJには、映画に出てくるドライブインを再現した場所がある。
'1956 Thunderbird
白いTバード。劇中、謎の美人が乗っている。実は……というオチがつくのだが。
'1951 Mercury
地元のチカーノによる不良グループ「ファラオ団」のクルマ。チョップドルーフになっているのが格好イイ。
'1955 Chevy
無名時代のハリソン・フォードが劇中乗っていたクルマ。スーパーチャージャーで武装し、ロールバーも入っている。
'1932 Ford Coupe
ジョンの愛車。所謂ホットロッドというやつだ。ナンバープレートの“THX138”に注意。これは監督ジョージ・ルーカスの処女作“THX1138”からとられたもの。
スティーブの恋人、ローリーが乗っていたのがこれ。Ford Edsel。まさかこのクルマのグリルが女性器と揶揄されていたとは、16歳の自分には知る由もなかった(笑)。
2011-02-23
007 You Only Live Twice - TOYOTA 2000 GT
邦題『007は二度死ぬ』は、映画007シリーズ中で最も荒唐無稽で、当時の欧米の日本に対するステレオタイプのイメージ(芸者ガール、相撲レスラー、忍者、空手、ちょん髷御殿様)が色濃く反映された爆笑アクション物となっている。懐かしいトルコ風呂のような風呂で数人のお姉さんに身体を洗ってもらうシーンもあったりする。途中、赤坂の「世界の社交場」キャバレー・ミカドが出てくるが、学生の頃、系列のミカドでアルバイトしたことを思い出す。
ほぼ全編が日本でのロケ撮影で、ボンドカーは初めて日本車が採用された。トヨタは2000GTのプロトタイプをオープンに改造して提供、1966年5月、トヨペット・サービスセンター綱島にて突貫作業で2週間で制作されたとのこと。
実際の性能はともかく、2000GTはトヨタとは思えないほど、素直に美しいと思う。写真はトヨタ博物館所蔵の個体。現在は倉庫に収容され非展示。撮影で使用されたものとは別物らしい。
ナンシー・シナトラによるテーマ・ソングはジョン・バリー作曲による傑作。レコーディングの際にナンシーは曲の難しさに閉口し、スタジオから逃げ出したかったようだ。