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フィアット500大作戦!!

2014-04-27

第7回大人の文化セミナー「高島鎮雄と行く日光クラシックカー撮影旅行」より。

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1924 Delage DI Torpedo Sports

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昼食は「明治の館」で。
日本コロンビアの前身を創設し、日本の「蓄音機の父」と称された米国人 F・W・ホーンの別荘として1890年代以降に建てられたらしい。第2次大戦中は重光葵外相の疎開先として使用されていた。東京湾に浮かぶ戦艦ミズーリでの降伏文書調印式には、この別荘から出かけたとのこと。

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1928 Amilcar CGSS

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日本でブガッティといえば、この場所を忘れるわけにはいきません。

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1928 Riley 9 Brooklands
小林彰太郎さんのクルマです。

2012-09-16

DB (Deutsch and Bonnet) STORY Part 1

 DB (Deutsch and Bonnet)は、若きエンスージアスト Charles Deutschと René Bonnetの頭文字から名付けられている。Bonnetはパリ近郊の街に Citroenのディーラーを経営していたが、CITROEN 11CVをベースにレーシングカーを開発し、レースに出ようとしたのは第2次大戦直前のこと。近所に住んでいたエコール・ポリテクニークの秀才 Charles Deutschは空気力学の知識に長けていただけでなく、レーシングドライバーとして活躍しフランスGPで Amilcarにて参戦しリタイアしている。その彼に Bonnetが声をかけて CITROEN 11CVをベースにしたレーシングカーの制作にとりかかることになった。それが DBの始まりである。


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DB1(Left) and DB2.

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1939 DB2.

 1938年、Bonnetの経営するガレージで完成した Citroen 11CVベースのマシンは、元が Traction avantとは想像もつかないほどボディは別物となり、オープンの空力ボディが架装されていた。特に前面投影面積を可能な限り抑えることを追求し、エンジンは 45hpから 60hpにチューン・アップされていた。この年のパリ12時間で最高速度160km/hを達成。これは Deutschがレース前に Bonnetに約束したものだった。そればかりか、平均155km/h以上で1時間走り抜くという2リッター・クラスの記録を達成したのである。翌39年、より空力を追求した DB2が完成したがナチス・ドイツによる第2次大戦勃発で計画は中止となる。

 戦後、ナチス・ドイツによる戦火の傷跡は、フランスから高級車や高性能なスポーツカーを消滅させることになる。フランス政府は自国自動車産業復興のために、大メーカーに有利な税制を施行し、少量生産の高級車メーカーを結果的に消滅させる政策をとったのだ。
 そんな激動の時代に、DBは戦後の混乱のなかですぐに再開して、1945年には2リッターの F2マシンとレーシング・スポーツを開発している。


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1945 DB Citroen Tank Sport
Citroen 4cyl OHV 1911cc 80hp MAX 190km/h.

いち早くフェンダーとボディは一体化され、腰高のエンジンを空力良く収めるためにエンジンフードが可能な限り低く絞られている。エンジンは60hpから80hpにチューンされ、Citroen製のギアボックスは、4段に改造されて搭載された。あのJohn Cooperが初めてF2を開発した時に使われたのも Traction avantのものであり、2.5リッターF1の時代の1959年まで使われていた。

2012-08-15

Le Mans Classic 2012  1GRID 1923 - 1939+ Entrants Part 9

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1927 Amilcar CG S
Amilcar 1080cc 4cyl.

 Amilcarは 1921年〜1940年まで存在したフランスの自動車メーカー。元々はモーターサイクルの空冷単気筒エンジンを利用した cyclecarを製造していた。
 Amilcar CG Sは、1920年代に 'poor man's Bugatti'と賞された最も成功した軽量スポーツカーであった。4気筒サイド-バルブ エンジンは30馬力を発生。約567kgという軽量ボディがもたらすパフォーマンスは4輪ブレーキ*1と共にライバルを凌駕した。CG Sは数千台が製造販売されたと言われるほどの大ヒットとなった。
 1924年の第2回ル・マンに#48 André Morel / Marius Mestivier組が参戦。13ラップでリタイアとなっている。



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1932 Citroen C4 Roadster
Citroen 1539cc 4cyl.
CITROEN C4 Roadster の改造車で Henri de la Sayetteは 1932年のル・マンにエントリーしたが、電気系統の故障で本戦に出場できなかった。その悲運のクルマを英国で再現したレプリカである。



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1938 Simca 8 Speciale Camerano Le Mans
Fiat 1089cc 4cyl.
 Simca (Société Industrielle de Mécanique et Carrosserie Automobile=自動車部品とボディの製造会社といったところか)は、フランスで製造される FIATとして誕生したのが始まりである。1898年、イタリアの TORINOで生まれたフランス人 Henri Pigozziがフランスの Suresnesで鉄鋼取り引きを開始したのが 1920年代の初め。彼の取り引き先は主にイタリアであったが、その最大の顧客が FIATであった。やがて 1926年になると Pigozziはフランスにおける FIATのインポーターとなる SAFAF (Société Anonyme Français des Automobiles Fiat)を設立。だがフランス国内で FIATを売るというのは楽な商売ではなかった*2。国産車保護を目論むフランス政府は輸入外国車に禁止税的な関税をかけたので、金に糸目をつけない超高級車はまだしも、価格が選ぶ際の関心事となる小型大衆車はこの関税障壁に阻まれ、フランス車とはまともに太刀打ちすることは出来なかった。
 ところが商才ある Pigozziは、たとえ外国のクルマといえども最終組立をフランス国内で行いさえすればフランス車として認められ、関税がかからないという法の穴を発見した。1930年代初頭に SAFAFは Suresnesで僅か30mばかりの生産ラインを設置し、イタリアからほとんど完成品に近い FIATの部品を輸入し、そのラインで最終組立を行い、主にパリ市内で販売を開始した。
  Pigozziが最初に手がけたのは、イタリアでデビューしたばかりの Fiat 508 Balillaだったが、これが成功した。1934年には FIATの資金援助を受けて5万屬旅場を買収。翌 1935年に SIMCAが設立されるまでに3万台ものクルマが製造されたと言われている。1936年には、あのトポリーノのフランス版 SIMCA 5が発売され、フランスでも大成功を収めるほど売れに売れまくった。2人乗りの馬力課税クラス3CVがライバルにいなかったのが幸いしたのだ。
 Simca 8は、その5の成功に乗って 1938年にデビューする。これは FIATの傑作車 Tipo 508C 1100のフランス版である。Dante Giacosaの設計で、ピラーレスの4ドア・ボディは 前輪独立懸架の DUBBONET サスペンションを採用。軽合金ヘッドの4気筒 OHV 1089cc 32hp/4000rpm を発生し、4段ギアボックスを介して後輪を駆動する。
  Simca 8の魅力はライバルに抜きん出たパフォーマンスにあった。Peugeotや Renaultが100km/hそこそこしか出せなかったのに比べ、8は最高速度 110km/hを誇り、欧州最速の1リッター・クラス・サルーンの1つであった。Gordiniは早速8に目を付け、高度にチューンした8で欧州各地のラリーやロードレースで活躍した。
 1938年のル・マンに於いて、Just-Emile Vernetチームの#42のAlbert Debille / Guy Lapchin組により総合9位、1.1リッター・クラス2位でフィニッシュしている。

*1:当時は後輪のみの2輪ブレーキの場合が多かった。

*2:今の日本でフィアットを売るのも大変だが(笑)。