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フィアット500大作戦!!

2012-10-12

Le Mans Classic 2012 2 GRID 1949 - 1956 Titleholders Part 5 Cooper T38

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1955 Cooper T38
Jaguar 3442cc 6cyl.


 ある時、Cooperは顧客から C-Type Jaguarの6気筒エンジンを搭載したライトウェイト・スポーツの制作を頼まれた。これは小排気量のエンジンを搭載するライトウェイト・スポーツを売りとしていた Cooperの社風とは相容れないものであった。しかし、そのようなスポーツカーの制作を熱望していた息子の Johnは、父 Charles Cooperを説得し、クルマの制作にとりかかることとなる。しかしながら、大パワーのエンジンを搭載したクルマは Cooperにとって初めてのことであり、多くの新しいデザインと機械部品が必要とされた。例えば、横置きリーフのウィッシュボーン・サスペンションは Jaguarのパワフルなエンジンに対して、余りにも貧弱なものだったのである。

 シャシーは Mark IXに似た大経の鋼管フレームで構成されており、サスペンションは横置きリーフ・スプリングのダブル・ウィッシュボーンで、強固なテレスコピック・ダンパーが備えられていた。タイアは Dunlopで同社の17インチ軽量ホイールと組み合わされており、ブレーキも同社の4輪ディスク・ブレーキが奢られていた。メイン燃料タンクは運転席と助手席の後ろに備えられている。ボディは軽量なアルミニウム製。

 225馬力のパワーを発生するエンジンは、フロント後方にマウントされ、Moss社のギアボックスを介して後輪を駆動する。

 1955年に2台目のオーダーが入る。これが T38と称されてブリュッセルのモーターショーに展示された。エンジンは250馬力に強化されたドライサンプの XKエンジンが搭載された。
 T38は合計3台のみが製作され、その内の1台 Peter Whiteheadがオーダーしたクルマが COOPERのワークスチームで 1955年のル・マンに出場。スタートから3時間後に、エンジンの不調でリタイアとなっている。
 因みに同レースでは、Coventry Climax製の4気筒 1100ccエンジンを搭載したワークスの Cooper T39が総合 21位(S 1.1Class 2位)で完走している。


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2012-09-16

DB (Deutsch and Bonnet) STORY Part 1

 DB (Deutsch and Bonnet)は、若きエンスージアスト Charles Deutschと René Bonnetの頭文字から名付けられている。Bonnetはパリ近郊の街に Citroenのディーラーを経営していたが、CITROEN 11CVをベースにレーシングカーを開発し、レースに出ようとしたのは第2次大戦直前のこと。近所に住んでいたエコール・ポリテクニークの秀才 Charles Deutschは空気力学の知識に長けていただけでなく、レーシングドライバーとして活躍しフランスGPで Amilcarにて参戦しリタイアしている。その彼に Bonnetが声をかけて CITROEN 11CVをベースにしたレーシングカーの制作にとりかかることになった。それが DBの始まりである。


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DB1(Left) and DB2.

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1939 DB2.

 1938年、Bonnetの経営するガレージで完成した Citroen 11CVベースのマシンは、元が Traction avantとは想像もつかないほどボディは別物となり、オープンの空力ボディが架装されていた。特に前面投影面積を可能な限り抑えることを追求し、エンジンは 45hpから 60hpにチューン・アップされていた。この年のパリ12時間で最高速度160km/hを達成。これは Deutschがレース前に Bonnetに約束したものだった。そればかりか、平均155km/h以上で1時間走り抜くという2リッター・クラスの記録を達成したのである。翌39年、より空力を追求した DB2が完成したがナチス・ドイツによる第2次大戦勃発で計画は中止となる。

 戦後、ナチス・ドイツによる戦火の傷跡は、フランスから高級車や高性能なスポーツカーを消滅させることになる。フランス政府は自国自動車産業復興のために、大メーカーに有利な税制を施行し、少量生産の高級車メーカーを結果的に消滅させる政策をとったのだ。
 そんな激動の時代に、DBは戦後の混乱のなかですぐに再開して、1945年には2リッターの F2マシンとレーシング・スポーツを開発している。


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1945 DB Citroen Tank Sport
Citroen 4cyl OHV 1911cc 80hp MAX 190km/h.

いち早くフェンダーとボディは一体化され、腰高のエンジンを空力良く収めるためにエンジンフードが可能な限り低く絞られている。エンジンは60hpから80hpにチューンされ、Citroen製のギアボックスは、4段に改造されて搭載された。あのJohn Cooperが初めてF2を開発した時に使われたのも Traction avantのものであり、2.5リッターF1の時代の1959年まで使われていた。

2012-06-08

COOPER - JAP 500

 YMRで HASSYさんが持ち込んだ Cooper-Norton。
http://d.hatena.ne.jp/gianni-agnelli/20120417/1334588893

そのJAPモーター・サイクル用エンジン搭載型が茂木の走行会で走っていた。


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前後に覗くリーフ横置きサスペンションは、戦前のフィアット・トポリーノのモノであるが、ロワー・アームを鋼管ウィッシュボーンに変え、所謂クーパー方式を確立している。テレスコピック式のショックアブソーバーも、当時としては珍しい装備であった。このサスペンション・形式は初期型の 1947年当時、簡素な方式で、まだ普及していなかった全輪独立懸架を実現した COOPERの功績は大きい。


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エンジンは単気筒なので、おそらく 497cc,空冷プッシュロッドOHV、最高出力45hp/6000rpm。モーター・サイクル用として定評ある名作である。駆動力はプライマリー、セカンダリー共に露出したチェーン。


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Prescott Hill Climb
4th in class
Cooper-JAP 500 Mk
9 May 1948, Prescott, Gioucestershire(GB)
18歳の Stirling Mossにとって7回目のレース。この日、彼は 50秒01のクラス新記録を樹立。後のグランプリ・ドライバーへの道が切り開かれたのであった。
彼を見守る咥えタバコの白いつなぎの姿は、歯科医だった父 Alfred。その左隣、腰に手を当てているのが、この日の 500ccクラスで優勝した COOPERの協力者 Eric Brandon。


http://www.500race.org/index.htm

2012-04-17

The 500cc Racing Car

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今月のYMRで HASSYさんが持ち込んだ Cooper-Norton。
500ccのバイクのエンジンを搭載した F3カテゴリー。

 そもそもは第2次大戦後のことである。
 
 多くのモーター・スポーツをこよなく愛する者たちは、戦後の法外に金がかかるレースに失望していた。有志によって結成された‘500 Club’(後に‘Half-Litre club’に改名)は、バイクのエンジンを搭載したフォーミュラーという画期的なカテゴリーを考え出した。これにより大幅にレースにかかる経費は削減され、最終的にはモーター・スポーツを多くの人々の手の届くものとした。
 アイデアは大成功し、そのレースの人気をFIAも無視するわけにはいかず、1950年以降、500ccのカテゴリーはF3として国際的な地位を得ることになる。
 F3は財布の軽い若者にとって、レーシング・ドライバーを目指すための画期的な登竜門となった。


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 Cooper親子が最初の Cooper500を完成させたのは 1946年7月のことである。Vauxhallと Fordのディーラーを親子で経営していた Cooper親子は、息子 Johnのバイク友人である Eric Brandonの示唆により、オートバイ・エンジンを搭載した500ccレーシング・カーを造ることになる。シャシーは Fiat Topolinoのフレームと横置きリーフ・サスペンションを利用し、エンジンはスプリント・モーターサイクル用として定評のある JAP500をコクピットの背後に搭載した。性能は素晴らしいもので、そのパフォーマンスは当時の2リッターに匹敵したと言われている。当然のことながらレースでは他を圧倒し、Cooper親子は「量産して欲しい」との要望に応えて Cooper Mk IIを製造する。
http://www.500race.org/Marques/Cooper%20Mk%20II.htm

 このマシンの愛用者は Stirling Moss等、後にグランプリで活躍するドライバーが目白押しの状態であった。Cooperでなければ勝てなかったのである。


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この Cooper-NortonはF3の最終型となる。エンジンは Manx Nortonと呼ばれたマン島TTレース仕様のエンジンで、排気量 499cc 48ps/6000rpm。スプリント・チューンのJAPよりもパワーは落ちるが、はるかに優れた耐久性を備えていた。シリンダー軸を15度後方に傾けて搭載している。これにより 65mmほど取り付け位置を低く抑えている。

 このマシンも圧倒的な速さでレースを席巻したために、F3は 1958年シーズンで幕を閉じることになる。Cooperを凌ぐライバルは事実上皆無となり、Cooperのワンメイク・レースの様相を帯びてしまったのが要因である。ちなみに 1958年シーズンの全18レース中、Cooperが全勝しているだけでなく、内12レースで1〜3フィニッシュとなっているのである。

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2011-07-28

Goodwood Festival of Speed 2011 INDY REAR-ENGINED REVOLUTION

 1961年、Jack Brabham がアンダー・パワーでも善戦したのに、アメリカ合衆国の恐竜たちはミドシップのデザインに反発した。Jim Clark がインディーで勝利するまで。


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1961 COOPER-CLIMAX T54‘THE KIMBERLY SPECIAL’
直列4気筒 DOHC 2Valve 2750cc 270ps/6750rpm

 ロンドン郊外の Serbiton でガレージを営んでいた Cooper 親子はオートバイ用500ccエンジンを使ってF3マシンを製造していた。最初からエンジンはミドシップ・マウントであった。その後、消防用ポンプ・エンジンのメーカーであった
Coventry社から売り出された Climax FPF 市販エンジンを使用し、F1に参戦することになる。最初は2リッターの非力なものだったが(規定は2.5リッターであった)、Stirling Moss の操縦でライバルのフェラーリやマセラティーのワークスを相手にたびたび優勝、1958年のコンストラクターズランキング3位となる。
 これにより Cooper 親子は、ミドシップの操縦性の絶対的な優位を示し、フロント・エンジンを葬ったのである。また、大企業が特別に造ったエンジンではなく、 Coventry社の市販エンジンを使っても、小規模であるが情熱をもったプロの集団により、グランプリを勝ち得るマシンが造れることを実証したのである。
 1959年、 Climax エンジンは2.5リッターに格上げされ、 Jack Brabham は1959〜1960年の2年連続世界チャンピオンを獲得。COOPER-CLIMAX も2年連続コンストラクターズ・チャンピオンを獲得したのであった。
  1959年のUSグランプリ。この時、この年のインディーで優勝したRodger Ward はKurtis Offy Midget で参戦していた。彼は予選走行で COOPER-CLIMAX がカーブを速いスピードで走り抜けるのを見て、 このマシンでインディーに参戦すれば、良い成績でかなりの賞金を稼げるとクーパーに進言した。

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1959 US Grand Prix for Formula One - Roger Ward in a Kurtis Offy Midget


 翌年の1960年、クーパーはUSグランプリの直前にインディーのトラックを試走。すると、その年のインディーの11列のグリッドのうち3列目に並べる好タイムが出た。そこでクーパーは1961年のインディーに Jack Brabham の操縦でインディーに出場することにした。 Climax エンジンは2.5リッターから2.75リッターに拡大、アルコール燃料仕様に改造してある。リア・バンパーの取り付けなど、車体もインディー用のものとなっている。
 クーパーはアメリカの大排気量の恐竜相手に善戦。小排気量にもかかわらず、ミドシップ COOPER-CLIMAX T54 のコーナーリングスピードの速さは目を見張るものがあった。また絶対的な車重が軽いので、燃料消費も少なく、タイアの摩耗も少なかったので、レース中のピットインは2回で済んでいる。しかしながら、ピット作業の不手際により結果は9位となった。クーパーのインディー挑戦は、これで終わりとなった。

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MOTOR RACING YEAR 1961 より。右上の写真を見る限り、いかに COOPER-CLIMAX がインディーの Roadster よりも小さいかがわかる。

このクルマの保存状態はバラバラという最悪のモノだったようで、レストアには苦労したようだ。
http://www.tsrfcars.com/toys-full_size_cooper.htm


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1964 S-C CORP'N‘HURST FLOOR SHIFTER SPECIAL’
直列4気筒 OHV 4.1リッター
 この奇抜なマシンは、‘BEST DAMN GARAGE IN TOWN’(街で一番の糞ったれガレージ)のキャッチコピーで有名な Smokey Yunick が仕立て上げた珍車。運転席がサイドカーのように横に付いた双胴船のような左右非対称というマシンはコレぐらいだろう。これほど馬鹿らしいモノだと愛着も沸くってものさぁ。ビンビンのマシンだったようだが、ハンドリングの調整に悩まされ、最終予選時に後ろから壁にクラッシュしレースには不参加となった。
  Smokey Yunick はNASCAR Mechanic of the Year を2回、インディーでは1960年に優勝し、Mechanical Achievements Awards も受賞している、北米の自動車レース界の功労者として新技術の発明者として有名な男だ。1962年のインディー予選ではダウンフォースを稼ぐための大型ウィングを取りつけて出場。史上初のウィングカーとなったが、予選ですぐにウィングは禁止となり、インディーにウィングカーが登場するのは1972年以降となってしまった。
 今回、展示されたインディーの中で自分が一番気に入ったマシン。やっぱり、アメリカ車は、これぐらいバカバカしいものでなくてはならない。
 INDIANAPOLIS MOTOR SPEEDWAY HALL OF FAME からの参加。
http://www.smokeyyunick.com/