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フィアット500大作戦!!

2014-05-11

1924 Delage DI Torpedo Sports

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 1905年に創設された Delage。所謂自動車ヴィンテージ期と言われた1920〜1930年代に最盛期を迎え、アール・デコ隆盛の時代に綺羅びやかな高級車や高性能のレーシングカーで世界に名を馳せたメーカー。
 1920年代は Delageの黄金期と言われていて、DEとDIは最も有名なクルマ。直列4気筒 OHV2リッターエンジンはマグネトー点火方式とサイフォン式冷却によるもので、キャブレターはゼニス。ギアボックスは前進4段。
 愛人と愛犬、そして美しいボディを架装したクルマを競うConcours d'Eleganceという遊びを当時のセレブたちは「総合芸術」と称し、カロジエたち(旧馬車職人)がその腕を振るったわけです。

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 この個体はヴィンテージ期に流行した瀟洒な Skiff(小舟)Bodyが流行となったのだけれど、まさに小舟という雰囲気。本物の小舟以上に美しいチーク材で仕上げられた贅沢な造りとなっている。

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本来はラリックによる美しいガラス製のラジエターキャップが備わっているのだが、あまりにも貴重なためにカエルのキャップにて展示された。


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2014-04-27

第7回大人の文化セミナー「高島鎮雄と行く日光クラシックカー撮影旅行」より。

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1924 Delage DI Torpedo Sports

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昼食は「明治の館」で。
日本コロンビアの前身を創設し、日本の「蓄音機の父」と称された米国人 F・W・ホーンの別荘として1890年代以降に建てられたらしい。第2次大戦中は重光葵外相の疎開先として使用されていた。東京湾に浮かぶ戦艦ミズーリでの降伏文書調印式には、この別荘から出かけたとのこと。

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1928 Amilcar CGSS

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日本でブガッティといえば、この場所を忘れるわけにはいきません。

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1928 Riley 9 Brooklands
小林彰太郎さんのクルマです。

2012-08-18

Le Mans Classic 2012  1GRID 1923 - 1939+ Entrants Part 11 Delage & Delahaye

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1936 Delage D6-70 Special
Delage 3000cc 6cyl.

 自動車創成期、顧客であるお金持ちの道楽として始まった「馬なし競争」とも言うべき自動車レースは、メーカーにとって格好の宣伝材料となっておりました。お客さんは日曜日のレースの勝利車を月曜日にはショールームで買うことができる。Louis Delageは、この概念をよく理解し、1905年には自動車メーカー Delageを設立するやいなや、彼は自社のクルマでレースを始めた。 De Dion社のエンジンを搭載した彼の 'voiturettes'は、1906年に開催された Coupe de Voiturettesのようなレースで素晴らしい結果を収めることとなります。

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1908 Delage 'voiturettes'
左端の人物が Louis Delage。


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1911 Coupe de Voiturettes Delage Team.


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Dick Seaman sur sa 15 S8 en 1936

 Delageにより送り出されたレーシング・カーのパフォーマンスと複雑な構造は、1926年にデビューした伝説の 15 S8で絶頂に達した。その名が示すように1.5リッター直列8気筒エンジンを搭載。スーパーチャージャーで過給される洗練されたツインカム・エンジンは170馬力以上を発揮。1927年のスペックで、その年のグランプリに於いてコンストラクターズ・チャンピオンに輝きます。その年のレースでは Monthleryで開催されたフランスGPにおける1〜3位まで独占するという素晴らしいレースも含まれております。しかしながら、予想外の大きな栄光には莫大なレース費用がかかっており、そのシーズンの終わりに Delageはレースから撤退を決断します。生産された4台の 15 S8は、プライベート・チームにより、その後20年にも長きにわたり、レースで活躍することとなります。


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 レーシング・カーが成功し続ける一方で、Delageの経営環境はゆっくりと下っていくことになります。30年代初頭の世界恐慌は Delageに壊滅的な打撃を与えた。他の高級車同様に、洗練された高品質の自動車の需要は激減してしまったのでありました。1935年に同社は精算され、その貴重な技術と洗練された高品質の自動車遺産は Delahayeに引き継がれることになります。幸いなことに Delahayeは Louis Delageの求めていた高品質で洗練された高級車を世に送り続けます。また高級車市場におけるレースの重要さも認識しており、新型のレーシング・カーの開発も怠りませんでした。

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 さて、シングル・シーターのグランプリは、ドイツとイタリアのファシスト政権による国家予算投入によって、莫大な費用がかかるレースとなっており、現実的な選択ではなかったのでした。よって、フランス国民に人気となっていたル・マンや、モンテカルロ・ラリーに集中することになっていきます。Delageは 1923年の第1回ル・マンに於いて13位となったが、そのリベンジとして 1936年のル・マンに参戦することが決定。 Louis Delageからはシャシーとエンジンが Delahayeに供給されることとなり、Delahaye 135CSが参戦する。参加車両として承認されたのはレース開始の数ヶ月前であった。パリ市内の Delageディーラー Walter Watneyと Delahayeから、具体的には3基の直列6気筒レーシング・エンジンと Delahaye 135シャシーが供給された。流麗なボディデザインで有名な Joseph Figoniにエアロダイナミックスなボディの架装が依頼されている。
 Delage D6-70 Specialと称されたレーサーはレースに間に合ったが、フランス国内でストライキが多発するという不穏な社会状況を考慮し、1936年のル・マンは中止となってしまう。翌年、Societe R.Vチームによって参戦した#19 Delage D6-70はJacques de Valence de Minardiere / Louis Gerard組により4位でフィニッシュ。Delahaye 135CSは2〜3位を独占する。優勝は Bugatti Type 57G Tankであった。

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1936 Delage D6-70 Figoni & Falaschi
 ル・マンが中止されたために、レースには出場できなかったが、そのコンパクトなボディに架装された華麗なボディは、Concours d'Eleganceの注目の的となった。悲しきかな、その Figoniのデザインよるクーペボディは、1938年に Figoni & Falaschiによるロードスター・ボディに乗せ変えられてしまっている。それが、ル・マン・クラシックに参加している個体である。
 

2011-07-17

Goodwood Festival of Speed 2011 PIONEERING GIANTS

 初期の自動車というものは、馬車よりは多少マシという代物であった。それを先人たちが自動車レースによって技術開発を行い、改良していったのだ。この当時の技術のいくつかは、今日もなお採用されているものが多々ある。
 エンジンの技術に関して言えば、出力を向上するためには、1)できるだけ多量の空気を吸い込ませて、2)効率良く燃焼させ、3)これを有効かつ効果的に機械力に変換することにつきる、これらの条件は20世紀初頭にはすでにほとんど解き明かされていたのである。それを達成するために格闘したのが先人の技術者たちだったのだ。そしてエンジンが良くてもロードホールディングの良いサスペンションがなければコーナーで曲がらないし、それに伴うタイアの性能も、制動力の高いブレーキ、ガソリンの質も向上しなければならない。あらゆる技術の集大成がレーシングカーには要求されたのだ。

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1911 FIAT S74 GRAND PRIX
直列4気筒 14173cc 140ps/1700rpm
 最初のグランプリのレギュレーションはボア(シリンダーの直径)の数値だけだった。そこでフィアットが考えたのはストローク(ピストンが往復する長さ)をとても長くすることで排気量をかせぐことだった。それによりエンジンが高くそびえる怪物となり、ドライバーの視界はエンジンに遮られ、ボンネットごしにチラリと前方が見えるだけになってしまった。チェーン・ドライブで木製ホイール。前輪にはブレーキがない。
 フィアットは自動車の創成期1900年代に於いて、グランプリ・レースの最強のコンテンダーであり、ほぼ勝利を独占していた。そこからは契約ドライバーだった Vincenzo Lancia(1906年に自らの名を称した自動車メーカーLANCIAを設立する)や、アルファ・ロメオに移籍して数々の名エンジンを世に送り出す Vittrio Jano が輩出されている。フィアットのレース活動によって多くの人材が生まれ、彼らがやがてイタリア自動車業界の重鎮となり、その発展に尽力を尽くすことになるのである。現在、イタリアのほとんどすべての自動車会社がフィアット傘下になっているのは、ある意味、当然の帰結ともいえる。
 オーナーはアメリカ人で20年前に手に入れたとのこと。もしかすると、当時フィアットの契約ドライバーであった米国人 David Bruce Brown が操ったマシン(1912年、ACFグランプリにて2位)であろうか? 100年も前のマシンなのにエンジンは一発でかかり調子が良さそうだったのが印象的だった。
 


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1923 FIAT MEFISTOFELE
直列6気筒 21706cc 320ps/1800rpm
http://bit.ly/pMpJUE
 1903年のグランプリ・マシン FIAT S.B.4 のシャシーを延長し、フィアット製航空エンジンを搭載した速度記録挑戦車。1923年7月12日に世界記録234.98/hを達成した。
CENTRO STORICO FIAT による参加。とてつもなく大きな車体で、広角のない自分のデジカメでは、とてもその全長を収めることはできなかった。タイムアタックでは調子が悪く、上り坂でエンストして動かなくなっていた。


動画はスタート地点までトラックに牽引される様子。


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1933 NAPIER RAILTON
W12気筒 24000cc
 FIAT MEFISTOFELE と同様に航空機用エンジンをぶちこんだ、速度記録挑戦車。Reid Railton の設計。「ジェントル・ジャイアント」と異名をとる John Cobb の操縦により、1935年10月7日に英国ブルックランズ・サーキットの永久コースレコード、230.8/hという記録を打ち立てる。W12気筒は航空機用エンジンなので、最大回転数はたった3000rpm。燃費はリッター0.3劼梁膺らい。最高速度265.5/h。クローム・メッキのボディは怪しい凄みが感じられる。ブルックランズ博物館からの参加。写真の朝もやのようなものは、ブガッティが出す燃焼不良の排気ガスによるもの。

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The Napier Railton on the track driven by John Cobb 1935


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1923 DELAGE V12
V12気筒 10600cc
 ドラージュは、いまは無きフランスの高級車とレーサーのメーカー。Louis Delage によって1905年に創業した。Delahaye を1935に併合し、1953年に廃業している。このマシンは Charles Planchon 設計による自然吸気V12エンジンを搭載。グランプリでも活躍した。フェラーリがV12気筒に拘ったのは、エンツォがアルファ・ロメオのドライバーだった時、レースで競ったドラージュV12の性能に感銘を受けたからだとも言われている。1923年には、スピード記録でも229.2/hという世界記録を樹立。その後、カナダ生まれの英国女性ドライバー Kay Petre による操縦で1934年9月26日にブルックランズ・サーキットの速度記録214.7/hを樹立している。
 
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Kay Petre and DELAGE V12


それにしても、この時代のクルマのために、タイアを製造するダンロップやミシュランの懐の深さに、自動車文化を支える欧米企業の存在の重みを感じてしまう。振り返って我が国の自動車産業、自社のクルマの博物館すらないメーカーがあるのは寂しいかぎりだ。その彼らに、そんな気概があるのかと考えると、大いなる疑問を感じざるを得ないのだ。自動車文化の香りが感じられないだけでなく、派遣労働者を奴隷のように使役して生産している日本車はそうとうに薄っぺらなモノに思えてしまう。