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フィアット500大作戦!!

2017-03-13

Škoda Felicia (1959–64)

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驚いた。
少し前に小林彰太郎さんによるCG創刊前の記事を読んでいたのでクルマは知っていたが、まさか日本で現存していたとは…。
1961年、港区榎坂町にあった朝日自動車が輸入した個体。Feliciaはハードトップと折りたたみ式の幌が選べたが、日本に輸入されたのは幌だけだったようだ。サスペンションは前がコイルのダブルウィッシュボーン、後が横置きリーフのスイングアクスルによる4輪独立懸架。エンジンは4気筒OHV 1,089侫張ぅキャブレターで53HP/5,000rpm MAX 135km/h。4速フロアシフトだがシフトパターンは通常と違って1速が右上となる。
小林さんによれば、エンジンをかけると、高めのアイドリングでボディ全体が揺れるほど振動したようだ。しかしブリッピングするとエンジンは軽く回り、「各ギヤで思わずフルスロットルまで踏み込みたくなる」ような良い印象だったようだ。

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左から燃料計(小林さんは極めて不正確と評していた)、160km/hまでの速度計(オドメーターはキロ単位しかない)、水温計。
シートは当時としては充分にバケットシートの形状。後席は狭く、荷物置き場のサイズ。

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ロードクリアランスがかなり高いことがわかる。これぐらいなければ、当時の酷道といわれた日本の道路ではムリがあったらしい。チェコもそれぐらい酷かったのかもしれない。サスペンション日本車よりも固めで堅牢と小林さん。

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「もちろんスポーツカーではないし、2/4座オープンボディの制約から、完全な実用車でもない。しかし、活発な運動性能と、数々のおもしろい構造的特徴を備えた、丈夫な車であることが、この短いテストを通じて確実に知り得た」
小林彰太郎さんの結論だ。

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2016-06-23

MONACO HISTORIQUE 2016  GORDINI T11/15

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1947 GORDINI T11

 1899年、Amedee Gordini は、イタリアはボローニャ地方の非常に貧しい家庭の四男として生まれた。農園で働いていた父親は彼が8歳のときに亡くなったため、11歳になると学校を辞めて、最初は農業労働者、その後は馬車や自転車の修繕をして一家の生活を支えた。その後、キャブレターで有名となる Eduardo Weberと親しくなり、 Isotta-Fraschini製の航空エンジンの製造とテストに携わっていた Alfieri Maseratiと仕事をすることになる。
 後に、単身パリに移住を果たし、フランス国籍を取得していた。

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 1935年フィアットはフランスでの高課税対策として、フランス国内で製造する目的でシムカ社を設立。SIMCAとは「自動車車両車体工業会社」(Société Industrielle de Mécanique et Carrosserie Automobile )という意味。ゴルディーニはシムカから資金援助を受け、シムカ車のチューニングとレース活動を開始する。
ゴルディーニは大成功を収め、なかでもフィアット1100のフランス版、シムカ8をベースに、ゴルディーニは、当時としては空力的な2シーター・レーシングボディを架装。このモデルは速かったようだ。
 
 第二次大戦後、ゴルディーニはフランスで最初に成功したレーシング・コンストラクターとなった。そのマシンが Simca-Gordini T11である。大戦後の荒廃したフランスで新たなマシンを設計することは困難を伴った。資金もない中でエンジンを新設計するがパワーは望めなかった。そこでゴルディーニはボディの軽量化で挑戦し、資金調達も僅かなもので新型マシンを投入する。それが Gordini T11のあらましである。

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 エンジンの設計は1944年から開始。直列4気筒、1100ccのシムカ製エンジンがベースとなった。ツインキャブレターにより、6000回転で75馬力を叩き出すまでチューンされた。1948年には110馬力にまでパワーアップされている。いずれにしても元は小排気量の小さなエンジンだった。

 シャシーはその小型のエンジンを囲むように構築された。葉巻型のボディのノーズには卵型にデザインされたラジエターとオイルクーラーが備わっている。

 サスペンションはフロントが半独立懸架、リアは古典的なリジッドだった。ブレーキは4輪ドラムで冷却フィンが追加されている。

 ドライバーシートに座るとわかることだが、本当にボディが小さいことを実感できる。ステアリングを握ると、肘がボディの縁に触れる位置にある。シートの後方は丸みを帯びた小さな燃料タンクだ。

 1気筒当たり点火プラグは1本、マグネトーひとつ、そして4速ギアボックスと、拍子抜けするほど本当に何の変哲もないエンジンとメカニズム。しかしながらマシンは軽く、回頭性は高かった。実際にマシンはファンジオを含むレーシング・レジェンドたちによって無視できないポテンシャルを現していった。天候の良いサーキットでは、よりパワフルなアルファ・ロメオと競り合うことができたのだった。
 1948年のモナコGPではJean-Pierre Wimilleにより2位となっている。


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1952 GORDINI T15

 1950年に新しく組織されたFIAによるF1グランプリレースが設定され、その規定に沿ってT11のエンジンをアップデートしたのがT15である。すなわち直列4気筒エンジンは排気量1500ccとなり、スーパーチャジャーにより過給されることにより160馬力と大幅に戦闘力は高められた。
 ゴルディーニのチームはプリンス・ビラやポール・フレールをドライバーに迎え入れた。しかしながら結果はかんばしくなく、F1最初の開催年である1950年の勝ち点3ポイントが最高得点であり、その後は走るシケインと化していたのである。

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2015-11-01

FBM 2015 PEUGEOT 404

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1,618 cc KF2 injection 96 PS / 5,700 rpm

 日本ではコロンボ警部のボロボロの愛車で有名な Peugeot 403。地味なクルマだったが、実はピニンファリーナによるものだった。プジョー自体はそのことを隠していたが。そして1960年5月に後継車の404を発表。その時初めてピニンによるデザインとプレス発表したのだった。
 さすがにピニン黄金時代の作品だけあって美しいボディライン。今回、初めて現車を観て納得した。この個体は元カーグラフィック誌のチーフテスターで有名だった笹目二朗さんの所有していたクルマとしても有名なものだ。

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 ボディーは初め標準的なベルリーヌのみであったが、1962年12月には、豪華装備のシュペル・リュクスが加わり、62年4月からは洒落た2+2カブリオレと4座クーペが加わった。もちろんボディはピニンのデザインで、「f」のエンブレムが付いている。

 足回りでは、伝統の前輪の横置きリーフが廃止され、コイルによるマクファーソンと大変身。プジョー自製のダンパーもレバー型からテレスコピックに改められた。このフロントサスペンションは、ラジアル・タイヤ装着を前提として安全基準を満たしたヨーロッパでも最初のクルマとして知られている。
 すべてに最新の技術が盛り込まれた 404であったが、ブレーキは4輪ドラムであったことには驚いてしまう。1962年に登場したルノー8が最高速度が120/hにすぎなかったのに4輪ディスクがおごられたいたのとは対照的だ。さすがに1969年には前輪にディスクブレーキが装備された。なおステアリングは伝統のラック&ピニオンだ。
 ピニンのデザインは左右のフェンダーよりも低いボンネットを特徴としていたので、エンジンは右へ45°まで傾けて搭載された。4気筒エンジンは1618CC(9CV)で、はじめは3ベアリングのままで、圧縮比7.4と1基のソレックス・キャブレターで72psとされていた。

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 もちろんエンジンは改良されて、チューンにもいろいろある。1962年4月には3ベアリングのままクーゲル・フィッシャーのポートタイプ燃料噴射と圧縮比8.8で85psに強化されたものがカブリオレとクーペに搭載され、同年9月にはベルリーヌにも注文できるようになった。1964年にはブロック、クランクシャフトともに新設計されて5ベアリングとなったが、性能はそのまま! しかし翌65年にはソレックス付きが88ps/5700rpmとなった。さらに1967年にはベルリーヌのソレックス付きも圧縮比が8.3に引き上げられ、74ps/5600rpmと強化された。
一方、1963年2月には 403 D の1816侫妊ーゼル・エンジンを48psから55psに強化して搭載した 404 DAが登場。5か月後にはボアアップした1948(8CV)60psに強化された。5か月前に買った人は文句タレたろうなぁ。
 ミッションはトップが直結の4段フルシンクロ・コラムシフトが標準だったが、1960年6月からはイエガー製電磁自働クラッチが登場。65年12月からはプジョー初のZF製3速ATも設定された。
車重はベルリーヌの1070圈船妊ーゼルの1150圈最高速度はディーゼルの130/hからインジェクションつき88psの160/hまで。ガソリン仕様は最初期の72psでも142/hまで達している。

驚くべきは、404の製造期間の長さで、1978年11月までじつに18年間も製造され、2,885,377台もの生産台数を記録したロングセラーだったのだ。

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2014-12-14

1963 PRINCE Skyline standard

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直列4気筒 OHV 1862cc 91HP/4800rpm 15.0mkg/3600rpm Max 140km/h

 63年型のスカイラインはグロリアのフルモデル・チェンジに対して、ボディ各部のマイナーチェンジにとどまったが、フロントマスクを始めとしてボンネット、フロント・フェンダーなどのデザインを大胆に改め、前から見た印象はオリジナルとかなり違ったものとなっっている。その一方でスカットルより後方は日本車初のテールフィンなどほとんど変っていない。
 インテリアはメーターまわりがスカイライン・スポーツに似たデザインになり、ステアリングをコーン・タイプにするとともにパネル全面にクラッシュパッドを設けた。

 リア・サスペンションは先進的なド・ディオンアクスルを採用していた。もちろん櫻井眞一郎氏によるものである。しかし、この試みは失敗に終わる。当時の日本の道路は「極悪非道」と言われた未舗装路ばかりで舗装率はなんと14%でしかなかった。都内でさえプリンス本社のあった荻窪から先は砂利道だった。複雑な機構のド・ディオンアクスルにとっては過酷すぎたのだ。スカイラインは、メインの顧客であるタクシー業界からすぐに「足回りが弱い」というレッテルを貼られてしまう。
 ギアボックスも他社の3速に比べて4速となっていたが、いかんせん1速のレシオが低すぎて、事実上の“for emargency”。オーナーが1速発進することはなかった。
 一番の問題はボディのフィニッシュである。新車の状態から波打っていたり、明らかにライバルであるトヨタ クラウンよりも質感が悪かった。

 技術者の自己満足とも言えるスカイラインの販売は低迷、プリンスの経営の足を引っ張ることになる。

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2014-10-13

Saab 92 1951

 スウェーデンの SAABは、 Svenska Aeroplan AB(スウェーデン語で"スウェーデン航空機会社")の頭文字を並べたもので、スウェーデン政府の意向により、国防のための航空機製造会社として、機関砲で有名なボフォース社の傘下で1937年に設立された。ユニークな設計で有名な飛行機が多い。

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SAAB B17(1941)
最初に生産された航空機は単発の爆撃機 B17。ユニークなのは主脚カバーが急降下爆撃時のダイブブレーキとして作動すること。

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SAAB J21(1943)
SAAB初の戦闘機は意欲的な推進式。しかも脱出装置付き!

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Saab J35 Draken(1955)
スウェーデン初のマッハ2級戦闘機。2つの三角形を二重に組み合わせたデルタ翼という他に例のない独特な主翼を持ち、高速道路から離陸できる短距離離着陸性能と高速性能両立させた傑作戦闘機だ。

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ドラケンのプロモフィルム。映像に出てくるクルマはもちろんSAABだ。


さてクルマの話に戻そう。SAABは戦後を見据え1944年から、SAAB 90旅客機とSAAB 91軽飛行機の開発にとりかかっていた。90、91と続く92。それは同社初の自動車だった。
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SAAB 92 001(1947)
1947年に完成した試作車001は、水冷2気筒2ストロークのエンジンを横置きに搭載し、3段ギアボックスを介して前輪を駆動するFWDという当時としては珍しいレイアウトで、たぶん同じレイアウトの先駆者である戦前の DKW F9を徹底的に研究した結果であろう。それを如何にもヒコーキ屋が設計したと思わせる理想的な流線型の先進的なモノコックボディでくるんでいた。ボディのデザインは風洞実験もして確かめている。ラジエターはウォーターポンプを省略したサイフォン式。サスペンションはトーションバーでリアは独立式だった。

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DKW F9 Prototype(1939)

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Saab 92 (1951)
水冷直列2気筒2ストローク 764cc 25ps/3800rpm MAX 100km/h
試作車発表から3年、1950年に発表された生産モデルは、さすがに試作車の理想主義的なスタイルは崩れてしまっているが、当時のヨーロッパの小型車の中で最も空気抵抗の少ない乗用車であったはずだ。Aピラーの角度が45度というのに注目。この当時の一般的な乗用車が垂直から30度未満であったのに対し、如何にも空力の良さそうなデザインだ。
その後92は足回りの良さもあって、ラリーで活躍することになる。