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銀幕閑話 Twitter

2016-07-21

第594回「ヒマラヤ〜地上8,000メートルの絆〜」

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 暑い季節にはクールなお話がピッタリ。でも、それがヒマラヤの、しかも8000メートル以上の、いわゆる「デスゾーン」と呼ばれる、真夏でも零下10℃以下の氷壁地帯のお話と聞いたら寒すぎるだろうか。

 ヒマラヤの8000メートル級14峰登頂に成功した韓国登山家オム・ホンギルとその仲間たちの過酷な体験を描いた、韓国では珍しい山岳ドラマだ。

 引退した登山家オム・ホンギル(ファン・ジョンミン)は、カンチェジュンガやK2などヒマラヤ4座をともに登頂した最愛の後輩ムテク(チョンウ)が悪天候のため、エベレスト下山中に遭難死したことを知る。誰もが8750メートルでの遺体回収に尻込みする中、ホンギルはかつての仲間たちと「ヒューマン遠征隊」を結成する。それは凍りついた仲間の亡骸を探すためのチームで、登攀記録にも残らず、名誉とは無縁の過酷な遠征だった。

 ストーリーを追うだけで、吹雪、雪崩、立ちはだかるクレパスや氷壁といったシーンが次々と現れ、まるで現場に立ち会っているような臨場感を得られる作品は、それを見るだけで背筋がゾクゾクしてくることだろう。

 主演のファン・ジョンミンは「国際市場で逢いましょう」「ベテラン」などを次々とヒットさせ、今もっとも信頼されている俳優と言っていいだろう。今作でも地元韓国では記録的興行成績をあげ、彼の存在感に負うところは大きいと言える。それに加えて、仲間や夢、生と死といった普遍的なテーマを濃密に取り込んだ脚本も功を奏している。

 「パイレーツ」も手掛けたイ・ソクフン監督はこう言っている。「登頂の目的は頂上に向かうことではなく人に向かったもの。成功よりも重要な価値のある人と人との純粋な友情と義理人情を描きたかった」(同作品のプレス資料)

 この作品はホンギルの実話を基にしているが、当時、登山界のスーパースター的存在だったホンギルと後輩ムテクの最悪の出会いから説き起こし、運命の皮肉で一度は見放した男が後年、チームに入り、ホンギルの最も信頼する右腕になっていく描写はよくできている。

 このペアでカンチェジュンガ、K2、シシャパンマ、エベレストの8000メートル級の4座を制覇したムテクは、引退したホンギルに「兄貴、俺が足になります」とまで言い、体調が十分ではないホンギルの現役復帰を迫るのだ。その信頼感は、先輩後輩の間柄以上の固い絆で結ばれていたといえよう。

 もしかすると、山というのは平地では起こりえない特別な感情を生み、“奇跡”を演出する空気とでもいうものがあるのだろうか。とりわけヒマラヤでは。

 ホンギルの意思でヒューマン遠征隊が提案された時、一度は参加を断わったメンバーらが翻意していく場面は、「少林サッカー」で人生に負けた中年男たちが友情や夢を選択し再びチームに合流していく場面と重なる部分が多い。実際、人生は山あり谷ありだが、人は映画の中にもそんな共感できる場面を求めているのかもしれない。

 個人的にはホン・サンス作品の常連であるチョン・ユミが後輩のムテクの妻役で強気と健気なところをタップリ見せているのがうれしい。彼女の魅力をまた発見したような思いである。

 さあ、涼しい映画館へ、クールな作品を求めてGo!?

 「ヒマラヤ〜地上8,000メートルの絆〜」は7月30日よりヒューマントラストシネマ有楽町、シネマート新宿ほか全国順次公開【紀平重成】

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写真(クリックすると拡大)

  1. 「ヒマラヤ〜地上8,000メートルの絆〜」の一場面 (C)2015 CJ E&M Corporation, All Rights Reserved.
  2. リーダーのホンギル(ファン・ジョンミン)は厳しい判断を迫られる (C)2015 CJ E&M Corporation, All Rights Reserved.
  3. ホンギル(右)は後輩のムテク(チョンウ)を信頼する (C)2015 CJ E&M Corporation, All Rights Reserved.
  4. 8000メートルを超えるヒマラヤは一歩間違えれば奈落の底だ (C)2015 CJ E&M Corporation, All Rights Reserved.
  5. 天候の回復を待つ一行 (C)2015 CJ E&M Corporation, All Rights Reserved.


【関連リンク】
「ヒマラヤ〜地上8,000メートルの絆〜」の公式サイト
http://himalayas-movie.jp/

2016-07-11

第593回「ラスト・タンゴ」


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 スラリとしたマリアと渋味を感じさせるフアン。二人は共に80歳代なのにいつも背筋をピンと伸ばし、足をすっと運ぶ。まるでダンスを踊っているかのように。そう、二人はアルゼンチンタンゴの至宝とも言うべき伝説のダンスペアだ。その名声の陰で繰り返された愛と裏切り、そして和解。彼らの実人生がインタビューを挟んで、華麗なタンゴ・ダンスと心震わす音楽に溶け込み官能的につづられて行く。

 アルゼンチンタンゴを踊るだけでなく見て鑑賞する芸術作品にまで高めた伝説的なペア、マリア・ニエベスとフアン・カルロス・コペスを描いた劇映画のようなドキュメンタリー。「ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ 」のヴィム・ ヴェンダースが製作総指揮に当たり、「ミュージック・クバーナ」のヘルマン・クラルが監督と聞けば、期待は膨らむばかりだ。

 出会いはマリア14歳、フアン17歳の時。結婚してその後50年近くにわたってペアを組んだ二人は、何度となく再会と別れを繰り返しつつ、またいつか元のさやに納まる仲だった。他の相手では納得する踊りができないと分かっていながら、フアンはとうとうマリアの元を去ってしまう。マリアは家庭に憧れ、一方のフアンはステージだけでなく家でも顔を合わせる彼女にウンザリしていた。

 その愛と葛藤を互いにぶつけ合うだけでなく、芸術としてのタンゴ・ダンス作りにエネルギーを振り向けることができたのは、タンゴへの底知れぬ愛情があったからだろう。「彼を負かすのではなく彼を輝かすのよ。この時期、私はダンサーとして成長したわ」というマリアの言葉が、それを証明している。

 随所に挿入される2人の語りも味わい深いが、今が旬の若手ダンサーや実力派の振付師たちを前に2人の愛憎をマリアが自ら語り、その場面を聞き手たちが華麗にして官能的なタンゴの振り付けで再現していく姿は圧巻だ。

 たとえば初恋のダンスは天使のようにみずみずしく舞い、口論する憎しみのダンスは激しく足をからめ合う、さらに優雅で穏やかな暮らしのダンスはゆっくり上品にステップを踏む。人生の様々な局面を雄弁に語るように、文字通りタンゴ・ダンスは人生そのものと言えるだろう。

 心の一瞬の揺らめきまでもダンスで表現できる。そんなタンゴ・ダンスの特性を巧みに取り込んで、ヘルマン・クラル監督はドラマチック・ドキュメンタリーという新境地を切り開いた。

 この黄金ペアには、人気を呼んだテーブル上のタンゴがある。しかしマリアは「テーブルの上で踊るのは落ちそうで怖かった」と振り返る。昔のことを話す時の表情は今もあの時代にいるかのように若々しく可憐だ。そうかと思うと、「(あなたが)聞くのはフアン・コペスのことばかり。もう話さない」と感情を爆発させる。タンゴへの愛とプライドが交錯する。

 最後に二人はこう答える。「女ひとり(の暮らし)、それが肝心なの。……復活したの」(マリア)。「引退? あり得ない」(フアン) 。

 濃厚なタンゴ・ダンスの踊りと音楽をじっくり堪能されたい。

 「ラスト・タンゴ」は7月9日よりBunkamura ル・シネマほか全国公開【紀平重成】

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  1. 「ラスト・タンゴ」の一場面 (c)WDR / Lailaps Pictures / Schubert International Film / German Kral Filmproduktion
  2. 「女ひとり、それが肝心なの」と語るマリア(c)WDR / Lailaps Pictures / Schubert International Film / German Kral Filmproduktion
  3. 「引退? あり得ない」と話すフアン(c)WDR / Lailaps Pictures / Schubert International Film / German Kral Filmproduktion
  4. 軽快にタップを踏むマリア(c)WDR / Lailaps Pictures / Schubert International Film / German Kral Filmproduktion
  5. 若かりし頃のマリアとフアンの黄金ペア(c)WDR / Lailaps Pictures / Schubert International Film / German Kral Filmproduktion


【関連リンク】
「ラスト・タンゴ」の公式サイト
http://last-tango-movie.com/

2016-07-04

第592回「世界を救った男たち」

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 いや、勇ましいタイトルに見事だまされました。しかも日本の神輿担ぎを連想させる力強い男たちの神がかり的な表情。さらに担いでいるのが神輿どころではなく古ぼけた本物の木の家一棟というのですから、ただ事じゃありません。見ない訳にはいかなくなったのです。後悔?いえ、全然。面白かった。機会があれば、皆さんも是非!

 横浜のミニシアター「ジャック&ベティ」で6月末に特別上映された本作は2014年の「なら国際映画祭」でも上映されているマレーシア映画だ。

 多民族国家のマレーシアには家を大勢の人が担いで移動させるという伝統がある。今は少なくなったこの風習インスピレーションを得た中華系のリュウ・センタット監督が、日本の結いにも似た互助組織の力を借りて家の引っ越しを挙行するお話をベースに、集団心理の光と影を見事にあぶり出している。

 娘の結婚祝いにマレーハウスをプレゼントすることを思いついたアワンは、村の仲間に協力を求め、ジャングルの中に建つ古びた木の家を運び出そうとする。トラックでジャングルに向かう途中、荷台に立つ大勢の仲間から「あんたの歌が聴きたくて手伝いに来たんだよ」などとおだてられ得意の歌を朗々と歌うアワン。仲間たちも楽しそうに声を合わせる。

 さて、数十人の助っ人が家を囲み、移動させる手順を確認し、「そーれ」と声を合わせると、ゆっくり大きな家が担ぎ上げられる。繰り返すが家を丸ごと一棟だ。足場が悪く、木の多いジャングル内を移動するのは簡単ではないが、見た目は神輿担ぎそっくりの集団が、掛け声よろしくのそりのそりと進んでいく。人が協力し合うことの美しさとパワーが画面からあふれ出る。

 ところが空気が微妙に変わり始める。ある日、若い女性の腕に青いあざができた。夜、黒く光るものを村人が見る。そして祭りのいけにえに用意されたラクダが消える。訳の分からない出来事が続き、それはすべてお化けのせいにされ、「そもそも、あの家がいけない」と矛先はアワンに向かい始める。

 人は見たことのないものを恐れる。これはマレーシアに限らず世界共通の傾向だ。でも、だれかが「そんなことないよ」と良識を発揮すれば、解決できる時もある。しかし集団心理はえてして勢いをまし、恐れがエスカレートしていく。

 マレーシアの伝統文化や料理、映画を紹介するフリーペーパー「WAU」の3月号でリュウ・センタット監督のインタビューが載っている。監督は、「私たちは協働するという社会的な本能で、村、民族、国家をつくり、素晴らしいことを成し遂げることができます。逆にその本能は、悲惨なことの根源にもなります。たとえば、自分たちと違う人を恐れ嫌い、自分たちに理解できないことを憎みます。そして同じ仲間であるにもかかわらず獣と誤解します。本能は我々を団結させもしますが、同時に分裂もさせるのです」と語り、多民族国家における協調の重要性を説いている。

 このように紹介していくと、この作品は堅苦しいお話かと誤解されそうだが、随所に笑いをとるエピソードが散りばめられ、娯楽作品としても良くできている。マレーシアでは一部の映画関係者からボイコットの呼びかけがあったと聞いているが、15年のマレーシア映画祭で最優秀作品賞、監督賞脚本賞など5部門で受賞している。

 上映後の字幕翻訳者によるQ&Aで、会場から映画の結末についての戸惑いが寄せられた。また、タイトルと結びつかない内容への違和感を表明する声も聞かれた。その解釈は見た人に任されるのだろう。まさに皮肉を込めたタイトルで、娯楽映画でありながら深い映画だった。

 映画はいろいろな見方ができるから面白い。本作も多民族国家マレーシアらしいお話。多様性を認めないと逆に一体感を保てないという思いがあるのだろう。そこには切羽詰まった思いと優しさが併存しているように思う。誰かさんの「この道しかない」などというもの言いが、すごく暴力的に聞こえてくるのはなぜだろうか。【紀平重成】

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  1. 「世界を救った男たち」の上映会チラシ
  2. リュウ・センタット監督のインタビューが載っているフリーペーパー「WAU」の3月号

【関連リンク】
「世界を救った男たち」の上映などマレーシア文化をディープに発信する「Hati Malaysia」
<http://hatimalaysia.com/602>

2016-06-22

第591回「シアター・プノンペン」

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 カンボジアと聞けば、筆者は二つのイメージがすぐ浮かぶ。一つは世界文化遺産の壮麗なアンコール・ワット。そしてもう一つは1975年から3年8カ月にわたり国民の4人に1人の命が奪われたと言われるクメール・ルージュ政権による大量虐殺だ。その陰惨な負のイメージを払拭するのに外国から見ても40年では足りない。ましてや当のカンボジア人自身にとっては……。

 この映画は悲惨な歴史を背景に、あるラブストーリー作品の欠けた最終巻を撮り直そうと決意する若い女性の愛と哀しみの物語だ。

 テーマが重いだけに見る方にもパワーが求められる。しかし、新鋭のソト・クォーリーカー監督は主人公の女子大生に自身を投影させるかのように困難に立ち向かう若い女性を生き生きと描く。「遺されたフィルム」のタイトルで2014年の東京国際映画祭「アジアの未来」部門で上映された同作品は国際交流基金アジアセンター特別賞を受賞した。

 カンボジアの首都プノンペンで厳格な父に反発し遊びに明け暮れる女子大生ソポン(マー・リネット)は、ある日、廃墟のような映画館で1970年代のクメール・ルージュ政権樹立前に作られた古い映画があることを知る。「長い家路」と題されたその作品には若き日の母(マー・リネットの一人二役)が出演していた。病気がちで家から出ようともしない母(ディ・サヴェット)は自分が女優であったことも娘に話さない。どうしてもその映画を見たいソポンは映画のフィルムを探し始め、やがてクメール・ルージュ時代に厳しい弾圧を受けた自国の映画史を知ることになる。

 映画の中で親の世代は、圧政下の恐怖の体験を子供たちに語ろうとはしない。それは監督自身の体験でもあったという。なぜ語らないのか。そんな疑問から自国の歴史を調べ始めたソト・クォーリーカー監督は、かつての被害者だけでなく加害者にも会いに行く。命の保証はないとまで言われるほど調べ歩いてつかんだ事実は大量虐殺だけでなく、その後も苦しみ続ける加害者と被害者双方の簡単には消すことのできないトラウマの数々だった。

 「歴史は繰り返される」とはよく言われる言葉だが、独裁政権の下、あるいはクーデター事件に端を発して世界各地で自国民への弾圧が起きている。デマが飛び交い恐怖が恐怖を呼ぶという形で繰り返されるのだ。ただ、カンボジアの場合は規模が大き過ぎて、本当の被害者数は今に至るまで分からないというのが実態なのだろう。

 カンボジアには「辛い過去は埋めてしまいましょう」「辛い過去は蒸し返さないで葬りましょう」という教訓があるという。それは優しさに満ちた言葉であると同時に、生きていくためにはあえて目をつぶるという現実優先の考え方でもある。一概に優劣はつけられないが、結果として家族同士や社会の中でコミュニケーションが取れないとなれば放置はできない問題だ。

 そこに弊害を感じた監督は、記憶の断絶という社会のほころびをつくろっていく手段として映画の力に期待する。本作品でも導入部分は家族のコミュニケーション問題を取り上げ、やがて過去の歴史に真正面から向き合うという構成だ。しかもメロドラマ風であったり、サスペンスの要素も交えるなど映画としての楽しませ方にも工夫を凝らしている。

 新人ながらソト・クォーリーカー監督は映画の中に映画を取り入れるという映画監督なら一度はやってみたい手法に第一作目からチャレンジした。また本当の主人公は実は古びた映画館ではないかと思わせる“映画愛”ぶりも披露している。

 その映画の力で、たとえ時間はかかっても、いつか人々がトラウマから脱する社会づくりに貢献したいという夢を託しているのだろう。アンコール・ワットの様に力強いプラスのイメージを残してほしい。

 「シアター・プノンペン」は7月2日より岩波ホールで公開【紀平重成】


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  1. 「シアター・プノンペン」の一場面 (C)2014 HANUMAN CO.LTD
  2. 女子大生ソポン(マー・リネット=左)は映画技師のソカ(ソク・ソトゥン)が元の映画監督ではないかと思う (C)2014 HANUMAN CO.LTD
  3. ボーイフレンドと映画に出演するソポン (C)2014 HANUMAN CO.LTD
  4. 母を励ますソポンだが…… (C)2014 HANUMAN CO.LTD
  5. 映画館に通い紛失したフィルムに思いをはせるソポン (C)2014 HANUMAN CO.LTD


【関連リンク】
「シアター・プノンペン」の公式サイト
http://www.theater-phnompenh.com/

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2016-06-04

第590回「海よりもまだ深く」

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 こんなはずではなかった、と人は誰しも思う時がある。見果てぬ夢を追い続け、あがいたであろうかつての自身を投影しつつ、是枝裕和監督が団地を舞台に市井の人々の哀感を優しい目線で描いた最新作だ。

 ヒーローが活躍するわけでもなく、お洒落な場所が出てくるのでもない。それでも2時間近い上映時間にスクリーンに目が釘付けになるのは、登場人物のせりふや仕草が効いているからである。しかもそれは映画館を出た後、ふつふつと鮮やかに蘇ってくる。つまりは作品に力があるということだろう。

 「誰も知らない」空気人形」「そして父になる」「海街diary」などの作品で、いまやカンヌ国際映画祭の常連となった是枝監督だが、今作に主演する阿部寛とタッグを組むのは「歩いても 歩いても」「奇跡」に続いて3度目だ。

 15年前に文学賞を一度とっただけの売れない作家、良多(阿部寛)。探偵事務所で働いているものの、世間には「小説を書くための取材」と言い訳し、書けない自分自身をもごまかそうとしている。妻の響子(真木よう子)には愛想を尽かされて離婚し、ギャンブルにのめり込んで11歳の息子真悟(吉澤太陽)の養育費も払えない自堕落な生活だ。

 それでも別れた妻への未練はまだあり、ストーカーさながらに彼女を張り込んで、新しい恋人と並ぶ様子に衝撃を受ける。

 ある日、団地で気楽な一人暮らしをしている母の淑子(樹木希林)の家に集まった良多と響子、真悟の元家族3人は台風のため帰れなくなり、狭い空間に閉じ込められて、どこか祝祭のようでもあり、切なくもある一夜を共に過ごすことになる。

 感心するのは監督自ら書いた脚本だ。監督は映画にも出てくる東京・清瀬市の旭が丘団地に約20年、両親ら家族と住んだ記憶があり、その姿をいつかちゃんと映画の中に残しておきたいと考えていたという。

 かつては高度経済成長下の新しい住まい方のシンボルでもあった団地が、建築後50年近くを経て老朽化し、単身高齢化も進んでいる。主人公の良多が夢見た未来とは違う人生にもがいている姿と、一戸建てや新しいマンションに移るまでの仮の住まいと位置付けられた団地の思わぬイメージの変わり様を重ねあわせた脚本が、妙にしっくり感じられるのである。

 監督は作品を撮る動機について、プログラムの中でこう語っている。「最初に浮かんだのは、台風の日の翌朝、芝生が綺麗になった団地を歩く風景です。小さい頃から、なぜ台風明けの団地は美しいのか、ずっと気になっていたんです。何も変わっていないのに、一晩たって何かが大きく変わって見える。その瞬間を描きたいという思いがありました」

 映画の後半は、まさにその台風の最中でいくつかのエピソードがあり、翌朝、台風一過の団地を後にして、清瀬の駅前で妻と息子を見送るシーンへと続く。何も変わってないのに団地がまばゆいほどきれいに見え、2人を見送る良多も心なしか吹っ切れたように見える。

 映画はそこで終わっているので、3人のその後は見る人がそれぞれ想像するしかない。一方、くすんで見えた団地は変わらないのだろうか。最寄りの駅からほどほどの距離で交通は便利。「羊羹型」と揶揄されながらも南面3室の間取りは、むしろ恵まれている方に属する。しかも低層で棟と棟の間の余裕ある空間は人間の感性にも合う。もちろん耐震化への備えは欠かせない。後は住人同士の交流によってそれぞれの物語を紡ぎ出していくことができれば、「こんなはずではなかった」という思いはしなくて済むかもしれない。いや、どんな道を歩もうとも、「これはこれでいい」と楽しむことができるならば、何も問題はないのだが……。

 映画館を出た後、何度も蘇ってくるシーンの一つに、母親がつぶやいた名言を息子の良多が小説に使うかもしれない材料としてメモに書いて壁に貼る姿がある。監督も同じことをやったのではと思わせるリアル感があった。同様に嵐のよる、母親が布団を敷き、元家族の3人に狭い部屋で寝かせようとする場面。離婚しているのだから、それはまずいよと言う良多に、母親は「いいじゃないの。3人川の字に寝れば」と押し切る。妙に現実感があって監督の脚本の冴えを感じる。

 テレサ・テンの「別れの予感」が劇中に使われ効果を上げている。映画のタイトルは、その歌詞の中から使われたものだ。

 「海よりもまだ深く 空よりもまだ青く あなたをこれ以上愛するなんて わたしには出来ない」

 息子を愛する母親なら、良多の場合のように「出来の悪い子ほど可愛い」と笑って済ませるが、男女の仲だと、そんな軽口をたたく余地はないのかもしれない。

 「海よりもまだ深く」は全国公開中【紀平重成】


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  1. 「海よりもまだ深く」の舞台になった東京・清瀬市の旭が丘団地 (C)2016 フジテレビジョン バンダイビジュアル AOI Pro. ギャガ
  2. 弟の良多を心配する姉の千奈津(小林聡美=右)と母の淑子(樹木希林) (C)2016 フジテレビジョン バンダイビジュアル AOI Pro. ギャガ
  3. 良多(阿部寛)には狭すぎる団地の浴槽 (C)2016 フジテレビジョン バンダイビジュアル AOI Pro. ギャガ
  4. 響子(真木よう子=左)に恋人のことを聞き出そうとする良多 (C)2016 フジテレビジョン バンダイビジュアル AOI Pro. ギャガ
  5. 父親らしさを見せようとする良多に顔をほころばせる息子の真悟(吉澤太陽) (C)2016 フジテレビジョン バンダイビジュアル AOI Pro. ギャガ



【関連リンク】
「海よりもまだ深く」の公式サイト
http://gaga.ne.jp/umiyorimo/