2011-07-26
やっぱりね
自転車 |
昨夜の続きです。
第一次世界大戦をきっかけに本格的に始まった日本の自転車製造は、国内需要を一通り満たすと大正10年をピークに勢いを失います。昭和9年ごろというのは苦境に喘いでいた自転車産業が「支那、南洋市場」に新しい販路を見出して再び活況を取り戻しつつある頃だったようです。
そんな状況の中、昭和9年に、大日本自転車*1の社長岡崎久次郎氏が欧米の自転車工業を視察し、欧米市場について語っています。
米国から北欧のオランダ、デンマーク、ノルウェー、ポーランド地方の自転車工業をつぶさに視察して来ました。現在の日本自転車工業は残念ながら欧米と比較するとその進歩が遅れており技術、型、趣味の点ではとても欧洲品には及ばず。量的には英国を筆頭に、仏、独の順序となっているが、その国の人口との比準ではデンマークとオランダが第一だ。ポーランドのごときは街路で一台の自転車が停止するとその瞬間後続の自転車が千台も停止するという豪勢さだ。欧米では商業よりむしろ趣味的に自転車を用いているので日本品は安価だが欧米人の趣味に合わぬので欧米方面への輸出は絶望に近い。(大阪毎日新聞 1934.10.6)
「ポーランドのごときは街路で一台の自転車が停止するとその瞬間後続の自転車が千台も停止するという豪勢さだ」のくだり、いかにもこの時代風の表現で雰囲気がありますね。
やっぱりね、と思ったのは「欧米方面への輸出は絶望に近い」のくだり。全部が全部そうだったわけではないでしょうが、古鉄を伸鉄で再生して作ったチューブ(って言うよりただの"鉄パイプ")で作った自転車ではなぁ。
*1:近年「フジトラ」で注目を浴びた「FUJI BIKES」ブランドの源流、日米富士自転車株式会社の前身
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