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中西洋一: a.k.a. gintacat

2011-07-29

志賀直哉のノーブレーキピスト

| 21:32

梅雨が明けてから(泥除けが不要になってから)通勤や日常の移動に、シングルスピードの固定ギアバイクを利用しています。今年は、春先から梅雨にかけて天気が不安定で、その間あまり出番がなかったので新鮮に感じます。フリーホイール付きの自転車とは異なる、この面白さをどう表現したらよいのか。固定ギアバイクには麻薬的な魅力を感じます。

晩年の志賀直哉が、半世紀前の少年時代を回想した「自転車」という随筆があります。それによると、少年時代の志賀直哉が「ほとんど自転車気違いといってもいいほどに乗廻わして」いた自転車も、シングルスピードの固定ギアバイクなのです。しかもノーブレーキ。

当時もブレーキの付いた自転車はあったはずですが…

その頃、日本ではまだ自転車製造が出来ず、主に米国から輸入し、それに英国製のものが幾らかあった。英国製は親切に出来ていて、堅実ではあったが、野暮臭く、それよりも泥除け、歯止めなどのない米国製のものが値も廉かったし、私たちには喜ばれた。

ようするに、オシャレな学習院の生徒達には米国製の「ノーブレーキピスト」が人気だったわけです(笑)

急な坂を登り降りするのはなかなかに興味のあることで、今の登山家が何山何岳を征服したというように、私は東京中の急な坂を自転車で登ったり降りたりする事に興味を持った。

中略

私はある日、坂の上の牧野という家にテニスをしに行った帰途、一人でその坂を降りてみた。ブレーキがないから、上体を前に、足を真直ぐ後に延ばし、ペダルが全然動かぬようにしておいて、上から下まで、ズルズル滑り降りたのである。ひよどり越えを自転車でするようなもので、中心をよほどうまくとっていないと車を倒してしまう。坂の登り口と降り口には立札があって、車の通行を禁じてあった。しかし私はついに成功し、自転車で切支丹坂を降りたのは恐らく自分だけだろうという満足を感じた。

スキッドじゃないですか(笑) でもこれで驚いたらまだまだ。志賀少年たちはトリックにもはまっていくんですね。

どれだけかして、往来での競争にも余り興味がなくなると、今度は曲乗りに興味を持つようになった。ある時、仲間の二三人が横浜でバーンという曲乗りの上手な男が、前輪を高く上げ、後輪だけで走っているのを見て来て、驚いて私達に話した。しばらくして、松旭斎天一の奇術の興行の中で、バーンの曲乗りを見、それから私達の間にも急に曲乗り熱が高まった。曲乗りをするためには前の歯車の数を減らし、後の歯車の数を増して、ギアを少なくしなければならぬ。しかし、こうしてしまうと車の動作は敏捷にも、自由にもなるかわり、速度は出なくなるから、もう人と競争をする事はできない。

どこの帰途であったか、私はその車で、上野の清水堂の前から広小路の方に走っていると、背後から来た二人連れの車に挟まれ、競争を挑まれたが、その車ではもう競争は出来ないので、不意に一人の車の前を斜に突切って、相手の前輪のリムに自分の後輪のステップを引掛け、力一杯ペダルを踏むと、前輪が浮いて、その男は見事に車と共に横倒しに落ちた。二人とも私よりは年上らしく、一人と二人では敵わないから、一生懸命に逃げた。広い通りをまともに逃げたのではすぐ追いつかれる。三枚橋から左に折れ、細い路を右に左に、三味線堀の近くまで行き、御蔵橋からようやく柳原の通りに出て帰って来た事がある。

いやはや、なんたる(笑)

随筆は

私は自転車に対し、今も、郷愁のようなものを幾らか持っているのか、そこにあればちょっと乗ってみたりもするが、自転車そのものが昔と変わってしまったために乗りにくくもあり、さすがに今は乗って、それを面白いとは感じられなくなった。

と締め括られています。

でも、もしかしたら「さすがに今は乗って、それを面白いとは感じられなくなった」のは、フリーホイール付きの自転車だから、ではないだろうか、と思ったりするのです。

固定ギアバイクに乗ってみたら、少年時代の感覚が蘇ったかもしれない。なんて思うほど、固定ギアバイクには、独特で、強烈な、魅力があります。

当時の志賀直哉少年の写真が港区のウェブサイトで見れます。あ、もちろん、僕の自転車にはブレーキをつけていますよ ;-)