後天性無気力症候群


 
「涼宮ハルヒ」舞台探訪記事のまとめ
 
本サイト:竜人館/ なんとか維持しようとしているサイト:とある文庫の電子目録
 
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2005-12-31

[]素朴な疑問あるいは抱いてはいけない疑問 21:08 素朴な疑問あるいは抱いてはいけない疑問を含むブックマーク

 なぜ、こんな時期になってまでサイトを更新している人が沢山いらっしゃるのでしょう。

[][]描きおさめ 21:22 描きおさめを含むブックマーク

 コミケとその後のOFFでお話させて頂いた方々、お世話になりました。

 某MLのOFFではオランダAniWayの方お2人に、その場でスケッチブックにイラストを2枚描いて1枚ずつプレゼントしました。インクが切れかかったボールペンしか持っていなかったので大変でしたが。(^^;

 こういうとき、イラストが描けるのは便利だと思います。でもアマチュアのイラストというのは上手下手ではなくて、描く気があるかどうかだと思いますよ。

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2005-12-29

[]物質的数学的ロマンチック 00:02 物質的数学的ロマンチックを含むブックマーク

 たまにはまじめに絵画の話を。

心がつまるところ物質の一形態に過ぎないとしても、そこにロマンを見出すことはできると思います。ひとつには機械の物質的構造のうちにロマンがあるからで、もうひとつにはそれを動かす数学的原理こそ地上でもっともロマンチックな事柄だからです……というのは偏狭な考えでしょうか?

12/28コメント欄、id:trivialさん(安眠練炭さん)のコメント

http://d.hatena.ne.jp/giolum/20051228#c

 なるほどなるほど。そこまで考えが至っていませんでした。ツッコミありがとうございます。私も専門は機械工学ですし(自分でこのブログを読んでもとてもそうは思えないですが)、そういうロマンは分かるつもりです。

 ところで私はそこから3人の画家の絵を連想しました。

 まず「機械の物質的構造のロマン」で連想するのはフェルナン・レジェですね。レジェはこういう絵を描いた人です。↓

Leger (Masters of Art S.)

Leger (Masters of Art S.)

From Millet to Léger: Essays in Social Art History

From Millet to Léger: Essays in Social Art History

 機械好きのレジェは、人間も機械のように描きました。これを美しいととるかどうかは人によるでしょうが、そこには、それ以前に無かった全く新しいイメージがあります。現在の日本のコミックやイラストにも大きな影響を与えていると思います。

 それから「数学的原理のロマン」というので連想するのがワシリー・カンディンスキーピエト・モンドリアンです。

 カンディンスキーはこういう絵を描いた人。↓

カンディンスキー NBS-J (ニューベーシック・シリーズ)

カンディンスキー NBS-J (ニューベーシック・シリーズ)

 モンドリアンはこういう絵を描いた人。↓

モンドリアン NBS-J (ニューベーシック・アート・シリーズ)

モンドリアン NBS-J (ニューベーシック・アート・シリーズ)

 カンディンスキーモンドリアンも最初は具象画を描いていたのですが、カンディンスキーは音楽的な表現を求めて、モンドリアンは自然の情景を極限まで単純化することを求めて、幾何学的な抽象画に至ります。(と、私は解釈しています。)

 どちらの絵にも、もはや現実世界で人間が目にする「カタチ」はありません。けれどもそうしたうわべの形がないからこそ、現実を動かしている原理をかなり純粋に抽出して描くことができているような気がするのです。

  • されど

 とは言うものの、レジェが絵画芸術の前衛として活躍したのは1920年代カンディンスキーモンドリアンも1920〜30年代。人々が機械文明や科学文明でユートピアを築くことができると無邪気に信じていた時代のことです。その理想は今でもロマンとしてあって良い訳ですが、世の中がもっと素直じゃなくなってくると、前衛芸術もそれを反映して行かざるを得なくなるのです。多分。

[]冬コミで回るブースのメモ 02:45 冬コミで回るブースのメモを含むブックマーク

  • 12/29
  • 12/30
    • 「月華茶房・Fs5」東シ-81ab
    • 新月お茶の会」東ピ-56a
    • 「るり」東へ-45b
    • 「三月館」東マ-41a
    • 「りとる☆はむれっと」東ミ-36b
    • 「世界開放環」東メ-49b
    • うみねこ」東ヨ-01b
    • 「caelestis.」東レ-25a
    • 東洋大学SF研」西み-13b

[]ザ・スニーカー長門表紙 03:19 ザ・スニーカー長門表紙を含むブックマーク

 まだ入手できていませんが、「ザ・スニーカー」2月号の表紙は噂通り長門有希です。

the Sneaker (ザ・スニーカー) 2006年 02月号

the Sneaker (ザ・スニーカー) 2006年 02月号

 しかし角川の公式サイト

http://www.kadokawa.co.jp/mag/sneaker/

では「表紙:涼宮ハルヒ」となっているのが残念。そりゃ作品は「涼宮ハルヒ」ですが「表紙:長門有希」と書いて欲しかったところです。

USA3USA3 2005/12/29 17:40 なんかこう書くとグラビアアイドルみたいですね(笑)>表紙:長門有希
それはそうと明日はお待ちしております。お立ち寄りの際はぜひお声をおかけ下さいませ。

giolumgiolum 2005/12/29 18:18 まだ読んでいませんが、コミケ1日目の帰りに入手しました。>表紙:長門有希
よろしくお願いします。>明日

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2005-12-28

[]ヲタクのロックン・ロール 21:45 ヲタクのロックン・ロールを含むブックマーク

 替え歌です。(原曲:ホタテのロックン・ロール/安岡力也

ヲタクを なめるなよ(GO! GO!)

子どもにゃ 負けないぜ(GO! GO!)

イータイ事 言うぜ(GO! GO!)

買いたいもの 買うぜ(GO! GO!)

これがヲタクの これがヲタク

ヲタクのロックン・ロール!


萌えしちゃ いけません(NO! NO!)

鬱しちゃ いけません(NO! NO!)

ロリしちゃ いけません(NO! NO!)

ゲー倫 クソくらえ(GO! GO!)

これがエロゲの これがエロゲ

エロゲのロックン・ロール!


ンー、パパ ロックン・ロール!

ンー、ママ ロックン・ロール!

ンー、妹 ロックン・ロール!

ヲタクのロックン・ロール!


早買い いけないの(YEAH! YEAH!)

積ん読 いけないの(YEAH! YEAH!)

ネタバレ いけないの(YEAH! YEAH!)

とっても さみしいわ(GO! GO!)

これがラノベの これがラノベ

ラノベのロックン・ロール!


…私は今とても疲れているのです。あとで後悔するのです。きっとそうです。

[]テストに出ない数式 19:22 テストに出ない数式を含むブックマーク

小学校の算数の計算問題で「1+1=」という問題が出されたときに、「1+1」とか「5-3」とかそういった答えを書いたら、まず確実にバツにされてしまうだろう。

一本足の蛸 - 1+1=2

http://d.hatena.ne.jp/trivial/20051218/1134860332

 百合BLの試験で「AXB=」という問題が出されたときに、「BXA」という答を書いたら、100%確実にバツにされてしまうと思います。すなわち

 AXB ≠ BXA

なのです。などというしょーもないことを考えてしまった私は多分駄目な人間なんだと思います。はい。(汗)

[]心の物質化 01:12 心の物質化を含むブックマーク

うつ病セロトニン不足病だったり、パニック障害アドレナリン出過ぎ病だったりするらしい。分析学的、心理学的状態から、神経医学へ*1。

(中略)

 *1:書籍を、情報ととるか、紙とインクの実体と取るか、そんな議論ではある

REVの日記-日記の断片:パニック障害

http://d.hatena.ne.jp/REV/20051227#p1

 「心」へのアプローチは、精神分析より神経生理学の方が今は勢いがあるようですね。そこのところは斉藤環さんの「心理学化する社会」

が詳しいです。

 ブギーポップで言うならば、飛鳥井仁よりスプ−キー・Eの方が優勢というところでしょうか。禁書目録(インデックス)で例えるならば教会陣営より虚数学区の方が押してる、みたいな感じ。*1

 しかし神経信号や脳内物質の動きを把握することで人間の精神活動を可視化するのは…医学的に役にたつのはありがたいとしても、それで人間自身を説明できるものなのでしょうか。いや論理的な根拠はないのですが、自分を含めて人間が、生命が、究極的には有機物でできた機械に過ぎないと考えるのはロマンチックじゃないです。なんとなく。そうささやくのよ。私のゴーストが。

*1:非常にいい加減な例えなので参考にしないでください。

trivialtrivial 2005/12/28 22:45 心がつまるところ物質の一形態に過ぎないとしても、そこにロマンを見出すことはできると思います。ひとつには機械の物質的構造のうちにロマンがあるからで、もうひとつにはそれを動かす数学的原理こそ地上でもっともロマンチックな事柄だからです……というのは偏狭な考えでしょうか?

giolumgiolum 2005/12/28 23:23 おお!なるほど。ちょっと長くなりそうなのでレスは12/29のエントリーで書きます。

2005-12-27

パレット

[]はてなリング「視覚文化--Visual Culture」に入ってみる 01:52 はてなリング「視覚文化--Visual Culture」に入ってみるを含むブックマーク

 元々、私は文章よりもイラストや絵画に関心がある人間でありまして、そういうはてなリングがあれば入ろうと探してみたのですが、これが見つかりません。しかし自分で作る気力も無いので、一番近そうなリングに加入してみました。

 はてなリング「視覚文化--Visual Culture」から来られた方は「なんだこいつオタクな話ばかりしやがってこの野郎」と思われると思いますが、えー一応[装丁]などで検索して頂ければオタクな本のデザイン等について妙なこだわりを持って書いていますので、見てやってくださいませ。(笑)

ついでに自分のサイトも紹介しておきます。

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2005-12-24

[]スレイヤーズオーフェンフルメタを日常と非日常から見たメモ書き、または学園について 13:46 スレイヤーズとオーフェンとフルメタを日常と非日常から見たメモ書き、または学園についてを含むブックマーク

  • スレイヤーズ
    • 長編:異世界の旅が舞台。不可逆な物語。
    • 短編:異世界の旅が舞台。繰り返されるドタバタ劇。長編の前日談。
  • 魔術士オーフェンはぐれ旅
    • 長編:異世界の旅が舞台。不可逆な物語。
    • 短編:異世界の学園(プレ編)と都市(無謀編)が舞台。繰り返されるドタバタ劇。長編の前日談。
  • フルメタル・パニック!
    • 長編(ミスリル編):実世界の闘いが舞台。不可逆な物語。
    • 短編(陣高編):実世界の学園が舞台。繰り返されるドタバタ劇。長編に合流。

 スレイヤーズは長編では非日常的、短編では日常的な面を持っています。が、あくまでファンタジーによくある異世界での旅をベースにしています。

 オーフェンになると、短編の舞台が学園や都市という日常的なものになり、長編の非日常性との書き分けがより明確になってきます。

 フルメタでは作品全体の舞台が、スレイヤーズオーフェンの非日常的な異世界から、日常的な実世界になり、その中で長編では非日常的、短編では日常的な面を描いています。

 またスレイヤーズオーフェンの短編は長編の前日談として書かれているものの、長く続くうちに辻褄が合わなくなってきて関連があいまいになっています。ここを、フルメタでは短編をかなりはっきりと長編に合流させて、非日常(学園)と日常(闘い)を対比させています。

 「スレイヤーズ」→「オーフェン」→「フルメタ」と新しい作品ほど、

    • 日常性を重視する
    • 「日常と非日常のギャップ」を重視する

傾向があるのではないかと思います。

  • 「学園」について

 今のライトノベルは学園ものが多いですが、ひとくちに「学園もの」といっても

    1. 日常の学園生活だけを描く作品
    2. 日常の学園生活と非日常的な大事件を描く作品

 (3.非日常だけを描く作品もあるが、これは学園ものの外見を借りたバトルものだと思う。)

があると思います。フルメタは典型的な「2」です。「1」はフルメタの短編だけを独立させたような作品。これはこれでありだと思います。で、「2」の場合(というか1〜3すべての場合?)、学園は日常を印象的に描くための舞台装置になっています。

 そこで思うのですが、よくライトノベルは「異世界ファンタジーから学園ものに舞台がシフトした」と言われますが、「非日常的な異世界」と「日常的な学園」を単純に1か0かで見るのは難しいのではないでしょうか。

 元々作品は日常と非日常を併せ持つことが可能であり、その中で日常の方がクローズアップされるようになった(それは逆に日常と対比される非日常を重視することにもなり得る)から「学園」が舞台装置としてよく使われるようになったのではないかと考えます。考え方が逆流してるかも知れませんが。

  • 榊一郎さんの「学園」に対するメタ視

 「学園」とは何なのかを考える時、榊一郎さんの作品は一歩引いたクールな視点を持っていると思います。例えば「まじしゃんず・あかでみぃ」では主人公が実世界の学校と異世界の学校の両方に通っています。さらに「君の居た昨日、僕の見る明日」になると主人公が通う学園は異世界でしかなく、しかもそれはもはや学園ではなく「学園ごっこ」です。

 私は「君の居た昨日、僕の見る明日」を読むたびに、ライトノベルで繁栄を築いている「学園」というのは実は「学園ごっこ」に過ぎないんじゃないかと、ちょっと恐くなることがあります。

  • 「学園」は安住の楽園なのかなぁ

 今のところ、学園は読者のポジティブな経験もネガティブな記憶も引きうけてくれる強固な日常として機能しているようです。しかし「ARTIFACT ―人工事実― | 第2回文学フリマのレポート」を読んだりすると、5年後10年後に「学園ものが好きだった10代の僕を、どうやって肯定すればいいんですか!」と絶叫する人がいるかも知れないと思ってしまいます。流行作品の受けとめられ方なんて時間が経てばあっさりひっくり返ったりするものなのです。「非日常的な異世界」と「日常的な学園」を単純に比較するのは難しいとしても。

 …クリスマス・イブだというのに、私は何故こんな訳の分からないことを書いているのでしょう。あ、クリスマス・イブだから訳の分からないことを書いているのか。納得。(←納得するな。>自分)

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2005-12-23

[]「神様家族」の表紙について考えること 03:03 「神様家族」の表紙について考えることを含むブックマーク

 「神様家族」の表紙はイラストだけでなくデザインもヤスダスズヒトさんがやられているそうですが、いろいろとユニークですね。

神様家族 (MF文庫J)

神様家族〈2〉発育少女 (MF文庫J)

神様家族〈3〉桃色貯金 (MF文庫J)

 

 

 

 

 

 

  • 著者名が小さい

 ライトノベルは元々著者名の表示が小さいものですが、これはとりわけ小さいです。Amazonの標準サイズの書影では著者の桑島由一さんの名前が読めません。4巻以降はタイトルロゴの中に組み込まれているのですが、知っている人でないと著者名が書いてないと思ってしまうほど小さいです。

神様家族〈4〉シャボン玉ホリデー (MF文庫J)

神様家族〈5〉(MF文庫J)

神様家族〈6〉鉄棒工場 (MF文庫J)

 

 

 

 

 

 

 

  • 巻数表示が大きい

 巻を追うごとに巻数が大きくなってきていまして、7巻ではとうとうタイトルロゴの「神様家族」4文字を合わせたよりも大きくなってしまいました。というか、「はてな」は

「7」もタイトルだと勘違いしているみたいです。(直したみたいです。)

 色は陰影をほとんど用いずにベタに塗りつぶしています。グラデーションではなく色面と色面の組合せで効果を得ようというのでしょう。*1 3巻以外は背景をキャラと同系統の色でベタ塗りしています。キャラにのみテクスチャ(模様)を掛けているのは、短調になるのを避けるため、キャラと背景に質感の差を付けるためでしょうか。

 こうした表現方法は現実の光景や写真ではあり得ない「絵」でしかできないものです。絵画では「写実的」に対して「表現主義的」と言われる技法です。

  • 限られた色をどう使うか

 色相の使い方は4巻を境にしてかなり変化しています。4巻までは活発的です。2巻や3巻は補色をぶつけていますし、1〜4巻をセットでみると赤→緑→黄→青と色相環上の色を満遍なく使おうとしています。

 4巻以降は赤〜紫〜青の、色相環上で暗さを感じさせる色ばかりに限定されるようになります。また彩度の低い、ほとんど灰色のようなくすんだ色も好んで使っています。それでも、色を区切って使っているのであまり濁った感じがしないのかも知れませんね。モノトーン調でいかに鮮やかさを出そうか試しているような感じです。

*1:ヤズダスズヒトさんは普通に陰影を付けても塗れるのですが、「神様家族」では故意にベタ塗りしているのです。念のため。

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2005-12-22

[]負けてるぞライトノベル 01:02 負けてるぞライトノベルを含むブックマーク

 ついさっきのことなのですが、こんな本があることを知りました。

BL小説パーフェクト・ガイド BL小説パーフェクト・ガイド (別冊活字倶楽部

表紙画像のリンク先はbk1です。

 日経BP社が「ライトノベル完全読本」でBL特集をするより2年も早く、いやどのライトノベル解説本よりも早くBL解説本が出ていたとは!

 さらにこんな本まであるのです。

 駄目です。勝てねぇ、BLには…。orz

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2005-12-21

[]「リリカル・ミステリー 春待ちの姫君たち」を一行で要約しましょう 23:07 「リリカル・ミステリー 春待ちの姫君たち」を一行で要約しましょうを含むブックマーク

 これは物語を作り、物語を消費する物語です。

[]「リリカル・ミステリー 春待ちの姫君たち」についてネタバレでダラダラと書きましょう 23:57 「リリカル・ミステリー 春待ちの姫君たち」についてネタバレでダラダラと書きましょうを含むブックマーク

 友桐夏さんの「リリカル・ミステリー 春待ちの姫君たち

について「物語消費」だの「ゲーム的リアリズム」だのダラダラ書きます。ネタバレありです。

続きを読む

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2005-12-20

giolum2005-12-20

[]はりねずみチクタは何を語る 03:02 はりねずみチクタは何を語るを含むブックマーク

 上遠野浩平さんの「しずるさんとよーちゃん」シリーズに登場するマスコット「はりねずみチクタ」は何を表わしているのでしょう。

 チクタは「止まった時計をお腹に付けたはりねずみ」。まず「はりねずみ」という外見は、

 

チクタって、割りと臆病というか、いつも隅っこで縮こまっていたから、外に出てもなかなか進めなかったでしょうね。


上遠野浩平「しずるさんと偏屈な死者たち」66ページ

という説明からしても、チクタの性質を表わしているのでしょう。一方、「お腹に付けた止まった時計」は、チクタ自身の時間が止まっていることを意味していると解釈できなくもないです。

 ハリネズミのように縮こまって、時間が停止している…いや、時には前向きなんですけれども。時計を直してもらおうと旅もしてますし。そしてこういうキャラを、私は上遠野浩平さんの作品の中でもう一人知っています。それは

自分はもうはっきりと何年も前に卒業していることを知りながらも、しらばっくれて通っているのである。

(中略)

ぼくは「本当はここにいちゃいけないんだけどなー」とか考えながら、教室のすみっこに座っていたりするのである。夢の中で。


上遠野浩平ブギーポップは笑わない」281ページ(あとがき「ブギーポップのいる学校」)

という上遠野浩平さん自身です。

 というわけで実は「チクタ=上遠野浩平さん」なんじゃないかと思うんだけどどうかな?

(おまえ、いつもこんなひねくれたこと考えてるんだな)

(まあいいじゃん)

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2005-12-19

[]陰を赤味がからせることだってできるのさ 00:19 陰を赤味がからせることだってできるのさを含むブックマーク

 osakana.factory-ベッキーの髪の陰は何故ピンクなのかに影響を受けた「理屈が分かると深みにはまるのです」と「色は他の色との関係です 」の続きです。

 「色は他の色との関係です 」で陰が赤味がかるサンプル画像を作ったのですが、クリエイティブコモンズライセンスとのことなので、その画像を公開します。

オリジナル画像(左)未識魚さん作成です。

 左が元の画像。黄色の髪に、明度を落とした黄色の陰を付けると緑がかる例です。右は左の髪の色相をひっくり返したもの。青の髪に、明度を落とした青の陰を付けている訳ですが、この場合の陰は赤味がかるのです。

[]3回転と思っていたら4回転 18:10 3回転と思っていたら4回転を含むブックマーク

 ようやく友桐夏さんの「春待ちの姫君たち」を読み終えました。

 感想は一言で言ってしまうと

 3回転ジャンプかと思っていたら4回転ジャンプでしたよ!

 着地もしっかり決まって素晴らしいです。前作はちょっと苦手でしたが今回は大満足。この人の作品は次も必ず買います。

  • 蛇足かな

 この作品を深層心理学的に解釈するのはかなり容易だと思います。というかユング派をヒントにして作られている可能性が高いですね。シャドーとか自己実現とか。けれどもそれについて深く言及するのは野暮のような気がします。ありのままに読んで感じるのが良いと思います。

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2005-12-18

知恵の実

[]色は他の色との関係です 05:37 色は他の色との関係ですを含むブックマーク

osakana.factory-ベッキーの髪の陰は何故ピンクなのか

http://ofo.jp/osakana/diary20051125.phtml

を読んだことについての追記です。

図1について補色に近づいた陰の部分はなぜ赤っぽくではなく緑っぽくみえるのか。

(中略)

また、明度を落とした同色相の色に補色を重ねても灰色に近づくだけでないのは?


http://b.hatena.ne.jp/ssuguru/20051214#bookmark-1048935

という疑問を持たれている方がいらっしゃったので、手元にあるゲーテの色彩論(ちくま学芸文庫版)で調べてみました。

色彩論 (ちくま学芸文庫)

色彩論 (ちくま学芸文庫)

 この本の135〜137ページに、太陽光を見つづけた後の残像が何色になるかの実験が載っています。結果は、残像を見る時の背景によって変わるそうです。

  1. 暗い背景で見ると、残像は黄→赤→青と変わった後消滅。
  2. 明るい背景で見ると、残像は緑→黄と変わった後消滅。

 恐らく「ベッキーの髪の陰」では「2」に近いことが起こっています。黄色の髪を見ると、網膜上では補色である青が励起されます。ここで陰の明度の低い黄色を見ると、網膜上の青が残像となって混色するのですが、隣に明るい黄色の髪があるので「2」のように緑がかるのです。

 とすると、もし元々のベッキーの髪が色相環上反対に位置する青ならば、明度を落とした陰を付けると「1」のように赤味がかるのでしょうか?思い立ったが吉日と、上記サイトさんの図1をグラフィックソフトに取り込んで編集してみましたら、はい、見事に赤味がかりました。(ここに掲載するのはマナー違反だと思いますのでいたしません。)こちらに掲載しました。

 ををすげーや、ゲーテ!200年前にここまでやってたのか!

 という訳で、

  • 補色に近づいた陰の部分は、周囲の色との関係によって赤っぽくも緑っぽくもなる。
  • ただし陰は普通明るい部分に付けるものなので、その場合は緑っぽくなる。

 のですね。いやー知らなかったです。(待て)

 一方、「明度を落とした同色相の色に補色を重ねても灰色に近づくだけでないのは?」という疑問の方ですが、済みません、私には分かりません。加法混色によて灰色に近付いてはいるのですけれども、近付く「だけ」にならず色相がずれる理由は何なのでしょうね。

 まだまだ知らないことがいっぱいです。(笑)

  • 余談

 陰に緑と赤の両方(最終的には紫)を使うイラストレーターさんもいらしゃいます。高野音彦さんや榎宮祐さんが良い例だと思います。下のイメージでは小さ過ぎて分かりにくいですが…。

The Art of OTOHIKO TAKANO 高野音彦画集 river’s end

The Art of OTOHIKO TAKANO 高野音彦画集 river’s end

山姫アンチメモニクス (電撃文庫)

山姫アンチメモニクス (電撃文庫)

[]イラストを描かせて頂きました 14:40 イラストを描かせて頂きましたを含むブックマーク

とある魔術の禁書目録・キャラクター人気投票企画

 まいじゃー推進委員会さんとある魔術の禁書目録・キャラクター人気投票企画でイラストを1枚描かせて頂きました。投票期間は1/6までとのことです。

 「なんだお前、普段ゴタクを並べている割には自分で実践できてねーじゃねーか」とか言われそうですね。お恥ずかしい限りです。(^^;

 一応コロンと前転することを考慮したのでそんなに不自然にはなっていないと思いますが…右脚と右腕がイマイチでしょうかね?色彩ももっと強調するべきでした。大山さんのイラストなど、その点うまくアレンジされているなぁと思います。

 もし貴方が上の絵を見て、自然と右に首を傾げられていたらとても嬉しいです。それはキャラの動きと同調している、キャラの動きを体感していることになるからです。

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2005-12-17

色相環

[]理屈が分かると深みにはまるのです 02:05 理屈が分かると深みにはまるのですを含むブックマーク

osakana.factory-ベッキーの髪の陰は何故ピンクなのか

http://ofo.jp/osakana/diary20051125.phtml

 素晴らしいですね。小学校の図画工作でこういうことを教えれば良いのに、と思います。そうすれば色を使うのが好きな人が増えてイラストレーターデザイナーを目指す人が増えますよ。

 ところで

彩度の高い色の隣に彩度の低い色があると、彩度の低い色の方は補色に近づいて(補色との加法混色に)見えるのだ。

そのため俺たち絵描きは普通、明度自体はそれほど下げずに、“補色に引きずられる色とは逆の色(色相環の反対側にある色)寄り”に、陰の色を設定する。

とあるのですが、これは「普通」の場合でありまして、このからくりを知ってしまうと逆をやってみたくなるのが人間というもの。例えば「終わりのクロニクル 3上」の表紙を見て下さい。(Amazonになかったのでbk1から持ってきました。)

終わりのクロニクル 3上 AHEADシリーズ

 黄色のハイライトに対し、明度・彩度をあまり変えずに色相だけを緑→青へとずらして陰を描いています。上記のサイトさんとは全く逆のことをやっている訳です。*1しかしこの結果、このイラストは「明るくて鮮やかだけれども冷たい」という表現を成功させているのです。

 まぁ、このイラストは中巻・下巻とセットで考えるべきものでして、単独のイラストでこれをやるのはちょっと考え物かも知れませんけれどもね。

[]アスラクラインの色相バランス 01:09 アスラクラインの色相バランスを含むブックマーク

 電撃文庫「アスラクライン」の表紙タイトルロゴの色は、恐らくイラストとの色相バランスを考えて決められていますね。

アスラクライン (電撃文庫)

アスラクライン (電撃文庫)

 1巻のイラストのベースは紫です。対してタイトルロゴは黄色〜緑のグラデーション。この黄色〜緑は色相環上で紫の反対側(補色)にあります。黄色〜緑がベースの紫に対して一番目立つので、この色を使っているのでしょう。

アスラクライン〈2〉夜とUMAとDカップ (電撃文庫)

アスラクライン〈2〉夜とUMAとDカップ (電撃文庫)

 2巻のイラストのベースは青です。これもやはりタイトルロゴは色相環上で反対側になる黄色〜赤のグラデーションです。

 偶然じゃないかって?そうかも知れませんね。2月に3巻が出る予定なので、そこでもこの法則が成り立つか見てみることにしましょう。

[]答は風の中 00:10 答は風の中を含むブックマーク

とりあえず、10代が見当たらない&30代が多いという時点で、そりゃ世間の売り上げとネット上の評価はあわないよ、と思ったり。


好きなら、言っちゃえ!! 告白しちゃえ!!

http://www2e.biglobe.ne.jp/~ichise/TODAY/2005_12.HTM#d15_0

  • 仮説1
    • ライトノベルは10代の読み物。30代のおじさんの感想は参考にならない。
  • 仮説2
    • ライトノベルは10代の読み物だが、20代、30代が読めるものもある。30代のおじさんの感想も少しは参考になる。
  • 仮説3
    • ライトノベルは10代の読み物。しかしそれを読む30代のおじさんの精神年齢も10代なので感想は参考になる。
  • 仮説4
    • ライトノベルは10代の読み物だが、20代、30代が読めるものもある。しかしそれを読む30代のおじさんの精神年齢は10代というねじれ現象が起きていて、感想は参考になるのかならないのかよー分からん。

 さあ、真相はどれだ!(待て)*2

*1:上記のサイト「osakana.factory」さんでも逆のことが可能だと考えられておられると思います。

*2:なお、この中に真相があるかどうかは保証いたしかねます。

ni-toni-to 2005/12/17 01:39 補色の関係ですか、指摘されて納得です。ライトノベルに限らず、モノって色々考えて作られてますね。

minapminap 2005/12/17 13:41 補色って昔は図工で教えてたよ。小学生の頃、この色の輪を見た記憶があるし。最近じゃ教えてないのかなー?

giolumgiolum 2005/12/17 15:04 >ni-toさん
まぁ、偶然かも知れませんし、自信満々に断言しておいて実は偶然に過ぎなかったりすると後で恥ずかしいので、今は可能性を言っておくだけにしておきます(笑)。専門家でもないですしね。
>minapさん
私の小学生の時の記憶にはありませんが、当時は教えられても理解できずに、記憶からデリートしてしまったのかも知れません。(^^;

2005-12-16

[]二次元時間 23:49 二次元時間を含むブックマーク

 「二次元」というと、普通は「二次元距離」を指すようです。さらにそこから転じて

アニメ、ゲーム、コミックの世界のこと。

二次元の女の子というと、キャラクターのことを指すことになる。

また、実際の人間の世界のことは三次元と呼ばれる。

最近では三次元よりも、二次元美少女や美青年に恋をして生きている人達が多いみたいだ。


はてなキーワード二次元

となるそうです。

 しかし私は「二次元」というと、どちらかというと先に「二次元時間」を連想するのですが…。特に最近は谷川流さんの「学校を出よう!」や「涼宮ハルヒ」でちらちらと登場する二次元時間(=時間平面)の設定が気になっていたり。

 それに、いくらイラストが二次元(距離)であっても、自分でイラストを描いている時は、やはり三次元立体として捉えてデッサンする訳ですしね。

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2005-12-15

[]全然まとまってないメモ書き(汗) 03:57 全然まとまってないメモ書き(汗)を含むブックマーク

REVの日記-物語の輪郭

http://d.hatena.ne.jp/REV/20051214#p2

を読んで思ったことをつらつらと。

 前島賢さんの言われている「実存的」というのは、異世界などの架空の舞台を借りずに現実の人間の希望や葛藤を書く、ということではないかと思います。

 例えば、私の好きな深層心理精神分析)的な解釈では、異世界ファンタジーというのは心象世界なんですね。ただのフィクションではなく、作者や読者の「こうだったらいいな」「こういう世界に行ってみたいな」という無意識・深層心理が反映されているものと見なせるのです。もちろん意識的にお約束で作られている部分もあります。

 80年代〜90年代には、ファンタジー作品中の異世界が多くの読者にとって無意識の内の共通認識・共通仮想体験の場として機能していました。しかしやがてお約束的な定形部分、意識的な部分が増え、極論するとファンタジーのためのファンタジーでしかなくなり、無意識の反映が形骸化し、共通仮想体験が機能不全を起こしてしまうのです。

 そんなときに世界の危機を察知したのか「ブギーポップ」が登場してきて「異世界なんていらないんだよ。今、ここを舞台に人間の心理をしっかり書けばそれで良いんだよ。竹田君」と言ったわけです。少なくともシリーズの序盤では。これが「実存的」という意味ではないかと思うのですがどうでしょう。

  • 物語の描きかた

 物語の面で「ブギーポップ」が行なった役割は、「複数の視点と複数の物語の時間的並列」をライトノベルで流行させたことだと思います。

 東浩紀さんの「ゲーム的リアリズム」の出発点の1つがここにあるのかも知れません。(先日は「ブギーポップ」は「まんが・アニメ的リアリズム」ではないかと書きましたが、その後、考えが揺れてます。(^^;)ただ、出発点としては良かったけれども着地点としてはあいまいです。東浩紀さんは「ファウスト Vol.6 SIDE―A」に掲載された「ゲーム的リアリズムの誕生」において桜坂洋さんの「All You Need Is Kill」が「ゲーム的リアリズム」の1つの着地点だとしていますね。

 「涼宮ハルヒ」は物語を積極的にメタ視しようとしている作品だと思っています。元々この作品は単発だったのに、編集側の意向でシリーズ化されました。その結果、最初のうちは苦し紛れに話を延ばしている感じがしていました。が、最近はその経緯を逆手にとって、物語を進めようとする力と停滞させようとする力の押し合いをテーマにしているように思えます。二次元的な時間設定のなかで異常な日常を繰り返そうとするハルヒと、未来のための日常を維持しようとするキョン

 「フルメタ」と桜庭一樹さんの「赤×ピンク」以降の個々の作品は「物語消費だって捨てたもんじゃないさ!要は完成度さ!とことんやってみよう!」としているように見えます。ただ桜庭一樹さんの作品は集合させて見るとゲーム的リアリズムを持っているかも。

 「シャナ」はちょこっとしか読んでいないし、西尾維新さんは読んでいないので分かりません。いや買ってはあるんですけれども。積み上がっていくばかりです。いつ読めるかなぁ…。(汗)

[]猫耳の繁栄と獣人の苦難 00:18 猫耳の繁栄と獣人の苦難を含むブックマーク

そもそもネコミミなどはアクセサリーに過ぎず、獣化の構成要素としては認めにくいものがある。

 獣人キャラの中でも萌え度の高いものとして、獣化変身を行うものがあげられる。映画「キャットピープル」など、獣形態と人間での変身を伴うものはある種の萌え要素を秘めている。

(中略)

ただし、獣人萌えはかなりマイノリティなのは確かだ。


狂詩曲の果てに-獣人キャラ萌え

http://d.hatena.ne.jp/minap/20051212/m2

 あぁ、ようやく東浩紀さんが「動物化するポストモダン」で力説している萌えの「データベース消費」が分かったような気がします。

 千匹皮やキャットピープルは重いです。なにせ「千匹皮」や「キャットピープル」は設定要素を表わす用語でありながら主人公自身を示すものであり、さらには作品そのものでもあります。物語を背負っている訳です。

 それに比べてネコ耳はアクセサリーです。軽いです。物語を背負わせることは可能ですが、なくてもOKです。しかしその軽さ・薄さゆえにネコ耳は他の萌え要素とぶつかりにくく、組み合わせやすいのです。例えば「猫耳メガネ妹戦闘メイドロボ」*1なんてこともできる訳です。獣人ではこれはできないでしょう。

 この時、「ネコ耳」は他の萌え要素と並列の関係にある訳です。互いに優位でも従属的でもなくただただ並列にアクセサリー・パーツが並んでいるのです。たくさんの萌え要素データベース的に並んでいて、そこから「ネコ耳」やら「妹」やら「メイド」やらを選択して組み合わせてキャラを作って消費する。こういう捉え方が東浩紀さんの言う萌えの「データベース消費」なんでしょう、きっと。

 だから「獣人萌え」というのもあっても良い、というか「十二国記」の麒麟さん萌えとかあるようですし、「月と貴方に花束を」とか「我が家のお稲荷さま。」「レディ・ガンナー」「ラグナロク」のように獣人が出てくる作品は少なくないので「獣人萌え」という需要(属性)はあるのでしょう。けれども、その背負っている物語性と他要素との相性の悪さが災いしてポストモダンデータベース消費には合っていないのです。そのために獣人は苦戦しているのではないでしょうか。

 逆にネコ耳は意味はペラペラだけれどもガンガン他の要素と組み合わせられるために薄く広く繁栄することができたのです。ネコ耳はデータベース消費時代の申し子なんです。

 をを、なにか凄く綺麗に説明できました。でもどこか落とし穴があるかも知れません。疑って掛かりましょう。(笑)

 …というかこの手の議論は恐らくやっているところではやり尽くされているのでしょうね。私はそれを遅まきながら追体験しているだけです。

*1:実際にやると外すと思います

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2005-12-12

これはネコ耳萌えじゃない。多分。

[]千匹皮(千枚皮)にネコ耳属性のルーツはあるか 02:04 千匹皮(千枚皮)にネコ耳属性のルーツはあるかを含むブックマーク

千匹皮はグリム童話最高の萌えキャラだと思うんですよ。千匹の動物の皮を身にまとってる美少女っつーのは、現代の猫耳とかにも通じると思わね? しかも近親相姦キャラだし。

http://d.hatena.ne.jp/mizunotori/20051211/1134295576

 私が千匹皮(千枚皮)を読んだ時にそういうことは思いつきませんでした。グリム童話では珍しい近親相姦の話なので強烈に印象には残りましたけれど。ちなみに千匹皮がどういうお話かは次のサイトに詳しいのでご覧下さい。

「円環伝承」よりグリム童話「千匹皮」

http://enkan.fc2web.com/minwa/cinderella/10.html#5

 で、「千匹皮」についての解釈が載っている本がないかと自室の本棚から探してきたら、2冊ありました。

新版 白雪姫コンプレックス―コロサレヤ・チャイルドの心の中は…

新版 白雪姫コンプレックス―コロサレヤ・チャイルドの心の中は…

 まず由良弥生さんの「大人もぞっとする初版『グリム童話』」の解釈から行って見ましょう〜。

 王女は一度身を隠し、別の人間として現れることで、近親相姦の事実を隠蔽しようと考えたというのです。

 毛皮を着ることで、その動物が持っていた力を手に入れることができる、そんな信仰があるといいます。「千匹」分の力を得た王女は、力を超えた「魔」力に魅入られていたのかもしれません。


由良弥生「大人もぞっとする初版『グリム童話』」217ページ

 要は「千匹皮=変身マジックアイテム」という解釈ですね。

 しかし、佐藤紀子さんの「白雪姫コンプレックス」での解釈は全く異なります。

 <動物の毛皮、または灰で全身を覆われたおぞましく汚れた姿>とは、近親姦により、「もう、自分は全身が汚れてしまった。父も自分も、もう人間だか、けだものだか、わからなくなってしまった」という、少女の混乱や、バラバラに破壊された心、心的外傷を受けたさまを、象徴しているようにみなされます。


佐藤紀子白雪姫コンプレックス」167ページ

 と、精神分析から「千匹皮=心的外傷を視覚化したもの」と解釈しています。ただ、精神分析というのは分析家によって見解が異なる性質のものですから、上記が精神分析による統一した解釈という訳ではありません。

 という訳ですが、どうでしょう?ネコ萌えにつながるでしょうか?(笑)

 え?ネコ耳についての解釈もないと比較にならないって?いやでも、それはさすがにちょっと知りません(汗)。参考までに東浩紀さんの「動物化するポストモダン」では

 でじこ猫耳をつけて「そうだにょ」「疲れたにょ」と話すのだが、それは猫耳や「にょ」そのものが直接に魅力的だからなのではなく、猫耳萌え要素で、特徴ある語尾もまた萌え要素だからであり、さらに正確に言えば、九〇年代のオタクたちがそれを要素だと認定し、そしていまやその構造全体が自覚されてしまっているからなのである。


東浩紀動物化するポストモダン」70ページ

として、「萌え」の本質は自覚的な認定作業であって、要素の内容は重要ではないとしています。これはこれで正しいと私も思いますが、いきなりこの考えまで進んでしまっては「ネコ耳」そのものの魅力がないことになってしまうのでちょっとさみしいですね。

 いや、違いますか。所詮童話というものは時代と共に解釈が変わってきたものなのですから、「千匹皮」を敢えて現代的に萌え要素に分解して消費することそのものに意味があるのかな?人はなぜ萌えるのか?そこに萌えがあるからだ!ってそれこそ思考停止動物化?よく分からなくなってきました。もう寝ます。あとはもっと頭の切れる人が考えて下さい。(爆)

 ところでこのグリム童話の「千匹皮」、有名なペロー童話の「シンデレラ」(≒グリム童話の「灰かぶり」)の原型をよく留めている話のようです。「千匹皮」と「シンデレラ」は今ではだいぶ違う話になってしまっていますが、初版グリム童話の「千匹皮」では王女が千匹皮の上から灰をかぶったり顔にすすを塗っていますし、シンデレラの原型といわれるイタリアの童話「灰だらけのメス猫」

「円環伝承」よりバジーレ「灰だらけのメス猫」

http://enkan.fc2web.com/minwa/cinderella/29.html#1

では王女の行動が千匹皮とシンデレラの両方に良く似ています。ちなみに

イタリアのバジーレの「灰だらけのメス猫 La Gatta Cenerentola」となり、簡略化してペローのCendrillonになり、イギリスのCinderellaになったというのだ。


「円環伝承」より「灰まみれの尻」

http://enkan.fc2web.com/minwa/cinderella/column.html#3

だそうですから、「千匹皮」から「ネコ耳」を連想されたmizunotoriさんはあながち間違っていないのかも知れません。(笑)

2005-12-11

ミーシャ=クロイツェフ

[]構図だけでもなるべくオリジナリティを入れたいもの 13:38 構図だけでもなるべくオリジナリティを入れたいものを含むブックマーク

 右は、とある企画で発注を受けた2次創作イラストのラフです。実際にはこのラフは使わずに他の案を進めて提出しました。でも、これはこれで使い道があるかなと思っていたのですが…

 http://r-s.sakura.ne.jp/ilp/mw8.jpg

 本家でも同じ構図を使われているのですね。

 重ならなくて良かった〜(汗)。2次創作と言えども構図が重なるのはトレースしてしまったみたいで嫌なものなのです。私の目指している方向は灰村キヨタカさんとは違うのです。

 なんて偉そうなことを言っておいて、他の作品の2次創作では本家とほとんど同じ構図のイラストも沢山描いてますけれどもね。(←墓穴)

[][]電撃hpの表紙から作家名が消えた 03:02 電撃hpの表紙から作家名が消えたを含むブックマーク

 電撃hp Volume39

電撃hp (Volume39)

電撃hp (Volume39)

を買って来たのですが、リニューアルした前号より、表紙に作家名を書かなくなっていますね。それどころか作品名(シリーズ名)さえも短縮して載せています。「半分の月がのぼる空」が「半分の月」、「終わりのクロニクル」は「終わクロ」ですよ、奥さん。文字数を少なくし、その代わりに文字サイズを大きくしてインパクト勝負ですか?高橋メソッドですか?

[][]マンガ的イラストを挿絵に使うことは不安定か 14:28 マンガ的イラストを挿絵に使うことは不安定かを含むブックマーク

極近い部分で見るならば、マンガ的イラストはマンガに、絵画的イラストは本の挿絵にその源泉を見ることができる。

ライトノベルなど、挿絵として用いられているマンガ的イラストは、本来絵画的イラストがあるべき場所に納まっている。それはとても不安定な状態に思われる。

http://d.hatena.ne.jp/N31/20051203#1133575195

 その結論は少し時間が経ってみないと分からないと思います。「今までに無かった=不安定」と言うならば、マンガそのものが絵画や絵画的イラストに比べて不安定です。

  • 未来予想図その1

縁側でご老人方がお茶をずずーっとすすっている設定。

老人A「そういやぁ、わしらの若い頃は一時期流行ったアニメみたいな絵のついた小説があったのう」

老人B「たしかライトノベルとか呼んでたかのう」

老人C「いつの間にか消えたのう。あれは何だったんじゃろう」

老人A「触れてはならない黒歴史じゃのう。はっはっはっ」

  • 未来予想図その2

老人A「最近は小説にアニメ絵がついてるのが普通じゃのう」

老人B「思えばライトノベルがその始まりだったんじゃのう」

老人C「じゃが、ばあさんはBLばかり読んどったがのう」

老人A,B,C「かっかっかっ」

 なお、上記予想図は極論かつフィクションです。実在の人物、団体、事件などにはいっさい関係ありません。(をぃ)

 未来が「予想図その1」になるならば、マンガ的イラストが挿絵におさまっていることが不安定だと言えますが、「予想図その2」になるならば実は安定していることになります。いずれにしろ安定しているか不安定かは、それなりに時間が経たないと分かりません。

 とは言うものの、ライトノベルの真髄とは「不安定なこと」のような気もします。マンガ的、アニメ的絵柄は流行の波が激しくて静的には不安定(動的には安定?)ですし、どこまでをライトノベルと呼ぶかも「不安定」ですから。

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2005-12-10

[]レイヤートリック 02:12 レイヤートリックを含むブックマーク

minapさん、http://d.hatena.ne.jp/minap/20051208/b1

N31さん、http://d.hatena.ne.jp/N31/20051208#1134001524

REVさん、http://d.hatena.ne.jp/REV/20051203#p8

の記事をたどって見つけた「半現実」という用語から膨らんだ妄想です。

Half-Real(半現実)

The duality in video games of a real set of rules governing how the game is played and a fictional world that the player imagines.

(「プレイヤーが想像するフィクションの世界」と、「どうプレイするかを司る現実のルール」が同居する、ビデオゲームの二重性のこと。)

Half-Realよくコンピューターゲームに関して「仮想現実」だの「ヴァーチャル」だのと言われることがあるが、違和感を感じてならなかった。その理由として、「仮想現実」・「ヴァーチャル」と言う言葉が「現実っぽい仮想」というぐらいの意味でしかなくて、ゲームそれ自体も現実の一つである、という理解がすっぽりと抜けていたからだ。

それに対して、この「Half-Real(半現実、半分現実)」はずっとスッキリする言葉だ。プレイヤー達は仮想の世界を想像して遊ぶ一方で、それを実現する厳密なルールがもう一方では確実に存在して初めて、ゲームが成立する。「現実っぽい仮想」ではなくて、「半分現実・半分仮想」なのだ、と言うわけだ。


羨望は無知 - ビデオゲーム論小辞典「Half-Real: A Dictionary of Video Game Theory」

http://d.hatena.ne.jp/ConquestArrow/20051203/1133591121

 この「半現実」は、ゲーム的リアリティとか仮想現実を使ったミステリーのトリックを見つめる上で便利そうな考え方ですね。

 「ゲーム」や「仮想現実」は、それ単体では成り立ちません。それ以前に「現実」があって初めて成り立ちます。だから仮想現実に入っている人は、実は片足を「現実」に残したまま、もう片足を「仮想現実」に乗せているのですね。仮想現実に居ることの特殊性は「仮想」であることではなく、現実と仮想現実という「多層」のレイヤー構造に居ることなのです。

 この特殊性をトリックに使っているのが森博嗣さんの「すべてがFになる」や清涼院流水さんの「みすてりあるキャラねっと」ですね。済みません、今の今まで気付きませんでした。

 以下、「すべてがFになる」に使われているあるトリックのヒントを含みます、が、決定的なネタバレではない(と思います)し、メインのトリックでもないので、まぁ多分未読の方が読まれても問題ないと思います。

 「すべてがFになる」は現実と仮想現実の両方が舞台の作品です。今はこの2つを「現実レイヤー」「仮想現実レイヤー」と捉え、レイヤーが重なって作品世界ができていると考えます。

 ます現実レイヤーを見てみます。

現実レイヤー

境界条件A(密室)

境界条件B(密室内密室)

 この作品では何重もの密室が登場します。この時点でメタな構造がある訳ですね。ここでは何重もの密室構造の内、2つを抜きだしてを便宜的に「境界条件A」「境界条件B」と呼ぶことにします。

 さて、この現実レイヤーにはコンピューターネットワークが存在します。ところがご丁寧にも、作中ではこのネットワークは外部との自由な接続が絶たれています。つまり「コンピューターネットワーク仮想現実レイヤー」でも密室的な境界条件が存在し、しかもそれが「現実レイヤー」の境界条件と同じになっています。これらを「境界条件A'」「境界条件B'」とします。

仮想現実レイヤー

境界条件A'(孤立ネットワーク

境界条件B'(孤立ネットワーク

 こうして書くと作中には、密室内密室のようなメタ構造とは別次元のレイヤー的メタ構造があることが分かります。これ自体は実は現実生活ではよくあることです。特に今これを見られている方はインターネットをやられている訳ですから、こうしたメタ構造を実感することがよくあるでしょう?

 ただし、であります。「すべてがFになる」では「境界条件A」と「境界条件A'」、「境界条件B」と「境界条件B'」が全く同じ位置に設定されているために、読者からはこのレイヤー的メタ構造が見えないのです。つまり「現実レイヤー」と「仮想現実レイヤー」があるのに、ぴったり重なっているので「仮想現実レイヤー」が隠れていることに気付かないです。

 ここで作中ではあるイベントが発生します。このイベントにより現実レイヤーの「境界条件A」は「境界条件C」に変化します。

現実レイヤー

境界条件A→境界条件C

境界条件B

 一方、仮想現実レイヤーは現実レイヤーとは違うルール(原理)で動いているので、「境界条件A'」は「境界条件C」とはまったく違う「境界条件D」に変わってしまいます。

仮想現実レイヤー

境界条件A'→境界条件D

境界条件B'

 こうして「境界条件C」とは異なる「境界条件D」が出現することにより、現実レイヤーの裏に潜んでいた仮想現実レイヤーが見えてきます。しかし、読者は仮想現実レイヤーを意識していなかったので、このことにすぐに気が付けないんですね。仮想現実レイヤーでも「境界条件C」が成り立っている思い込んでしまうorそもそも仮想現実レイヤーがあることを忘れているのです。

 そして犯人は「境界条件C」と「境界条件D」のずれを利用してまんまと捜査陣を出し抜いてしまうのです。両足とも同じ「境界条件C」にあると思っていたらそこにあるのは片足だけ。もう片足は仮想現実レイヤーの「境界条件D」にあったためにすっ転ばされてしまう、この意外性。ここまできて読者は「やられた!現実と仮想現実はルールが違うんだった!」と叫ぶのであります。

 現実と仮想現実の多層性、およびそれらによって生まれるルールの多重性を利用したこのトリック、素晴らしいアイデアだと思いますが、ミステリーでは結構ポピュラーなのでしょうか。

2005-12-08

[]深層心理を描くためのファンタジー〜アンダカの怪造学 03:13 深層心理を描くためのファンタジー〜アンダカの怪造学を含むブックマーク

 日日日さんの「アンダカの怪造学II モノクロ・エンジェル」

を読みました。1巻を読んだ時に世界観がユング心理学っぽいな〜と思っていたのですが、2巻もこれまたユングですね。

 ファンタジーを深層心理の描写に使うという考え方は、どうもファンタジーというジャンルが成立したのとほぼ同時期にできていたようです。ところが日本にファンタジーが輸入されてきた際には「ファンタジー=深層心理」という考え方は一緒に入ってきませんでした。別にそのことは良くも悪くもないのですが、結果的に日本でのファンタジー作品は、ファンタジーであることの意味付けや必然性は二の次で、ファンタジーのためのファンタジーになりやすい傾向があると思います。

 その一方で、ファンタジーを深層心理と結びつけている作家さんも決して少なくはないのです。日日日さんもほぼ間違いなくその1人だと思います。日日日さんの他のシリーズではあまり明確ではないですが、この「アンダカの怪造学」では「ファンタジー=深層心理」という構図がはっきり見えています。

 「アンダカの怪造学」における異世界「虚界(アンダカ)」は、ユング心理学における普遍的無意識に置き換えて読むことが可能です。虚界への探索は意識から無意識へのダイブであり、怪造生物は無意識が具現化したものと言えます。

 例えば「魔王」は主人公の伊依(あるいは人類全体)自身の心の影ですし、伊依が首から提げている「滅作」は、父親への劣等感をキャラクター化したものですね。2巻の「モノクロ・エンジェル」は解体された自我の融合・再生を象徴するものです。

 伊依は「怪造生物との共存」を理想としていますが、これは「意識と無意識の共存」を目指していると言えます。逆に怪造学会の怪造生物を支配しようという傾向は「意識による無意識の抑圧」を暗示させるものです。

 まぁ、そこまで難しく考えなくても、この作品に登場する怪造生物たちが伊依や舞弓たちの心理を結構ストレートに反映していることは、読んでいる方なら薄々感づかれているでしょう。そこには、ファンタジーであること自体を目的とはせず、ファンタジーを「伝えたいことを表現する手段」としている日日日さんのスタンスが見えます。ファンタジーを書くのではなく、その先にあるもの、ファンタジーだからこそ書けるもの書く。このクールなスタンスを、創作作家として忘れないでいて欲しいです。例えライトノベルというお手ごろな作品媒体であったとしてもね。

ni-toni-to 2005/12/08 17:34 確かにユング的ですね、集合的無意識とかそんなモノを連想させられます。日本のユング派な河合隼雄もファンタジーを扱った著作をいくつか出してるし、ファンタジーと心理を結びつける日本的な傾向にも得心しました。

giolumgiolum 2005/12/10 00:50 河合隼雄さんは童話や児童文学の解説本も沢山出してますよね。私も大いに影響を受けたクチです。ただ、深層心理学や精神分析ってどうにでも解釈できるところがありまして、批判や慎重論も多いようです。

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2005-12-07

[]お母さま方にお勧めできるライトノベル 02:34 お母さま方にお勧めできるライトノベルを含むブックマーク

お母様方にも受けそうなライトノベル作品が数多くあれば、ライトノベル全体の読者層の幅を広げることにもつながるのではないかと。

玲朧月の気分次第で何か書/描こう

http://d.hatena.ne.jp/reyoborozuki/20051206#1133880946

 どうも(放送禁止用語)な方向に話題を振ってしまったらREVさんのところとかでそっち方向に盛りあがってしまって「え?私が原因?(おろおろ)」な状態なのですが、私は健全系も好き(←人格が解離している典型的な例)なので玲朧月さんの方に反応します。

 はい、今さらですが玲朧月さんの意見に賛成ですよ〜。話題性は乏しいですが、健全で面白いライトノベルも沢山ありますし。

 という訳でお母さま方にお勧めできそうな優等生な作品を紹介します。

 ひたすらに清純な少女の心理が描かれています。「萌え〜♪」などという邪念とは無縁の世界(笑)。できれば夜にゆっくりお読みください。

 前田珠子さんの作品には暴走して愛憎ドロドロのものもありますが、このシリーズは最後まで静かな情熱で貫かれています。どこまでも澄みわたる幻想の物語。

 追記。記憶を掘り起こしてみると、この作品は多少バイオレンスな面もあるかも(汗)。思い出は美化されるものですね。

  • 一条理希さんのスーパーファンタジー文庫「ネットワーク・フォックス・ハンティング」

 災害&パニックものなんですが、いや〜考えさせられる話なんですこれが。10年前の作品ですが、扱われているテーマは今でも十分通用します。

  • 冴木忍さんのスニーカー文庫「流れゆく河のように」

 タイトルがすべてを語っている作品ですね。「結局何が言いたいんだよ?これ」とか言ってはいけません。ただただ、たゆたう流れを味わいましょう。

 一応学園超能力バトルものなのですが、ラブコメ成分の方が楽しめます。時折「はっ」と考えさせられるテーマもあり。当時はこれでも過激なレベルだったのかも知れませんが、今となっては安心して読める健全ラブコメですね。ハートにきゅん♪と来ます。(爆)

(ただし中盤までしか読んでいないので、それ以降は定かではありません。)

 電撃文庫というと尖った流行の作品という印象がありますが、一番長く続いているのはこのお子様からお母さんまで安心して読めるほのぼのファンタジーであることを見逃してはいけません。(とういうか電撃文庫ができる前からありましたね、このシリーズは。)ほとんど話題になりませんが今でもちゃんと売れています。

 しかし古い作品ばかりになってしまいました。入手しやすいのは「ハイスクール・オーラバスター」と「フォーチュン・クエスト」くらいかも。私もいい加減年寄りですな。(汗)

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2005-12-06

[]メモ:新月お茶の会『本当はこのライトノベルがすごい 2006』 02:20 メモ:新月お茶の会『本当はこのライトノベルがすごい 2006』を含むブックマーク

コミックマーケット69(冬コミ)に参加します。

12月30日(金) 東京ビッグサイト 東5ホール ピ56a

西尾維新特集本鋭意製作中。

『本当はこのライトノベルがすごい 2006』も進行中です。

是非お越しくださいませ。


新月お茶の会

http://www1.cds.ne.jp/~tp/

 うわ、今度はどんなすごい本を作られてくるのでしょう、新月お茶の会さん。当日は是非お邪魔したいと思います。

[]15日発売に勝負を掛けてきたか?GA文庫 00:53 15日発売に勝負を掛けてきたか?GA文庫を含むブックマーク

 「のべるのぶろぐ」さん

http://novel.no-blog.jp/minkan/2005/12/post_7b75.html

によるとソフトバンク・クリエイティブの「GA文庫」が来年1月に創刊されるとのことですが、その発売日が毎月15日だそうです。

 毎月15日発売。これはライトノベル業界ではちょっとした意味があります。主要ライトノベルレーベルの発売日を並べてみましょう。

  • 5日前後
    • X文庫ホワイトハート/ティーンズハート

 一目瞭然ですね。そう、

 15日前後は主要レーベルの発売がない

のです。いや、二次元ドリーム文庫美少女文庫は15日前後の発売ですけれども、お子様も安心&毎月4〜5点以上まとまって配本されている主要レーベルでは15日前後はぽっかり空いているのです。流通ルートの都合などもあるのでしょうが、ともかくもこういう状況が出来あがっています。

 こうした状況で新レーベルが参入してくる場合、発売日の設定には2つの選択肢があるはずです。

  • 既存レーベルと発売日を合わせる
    • 便乗してそれなりに売れるかも知れないが、目立たない。
  • 既存レーベルに埋もれることを嫌って、発売日をずらす
    • 目立つかも知れないが、自力で売るしかない。

 後者の方がハイリスク・ハイリターンでありましょう。そしてGA文庫は後者を選んできたのです。無謀かも知れません。あるいはそれだけ自信があるのかも知れません。それとも、ただの偶然?しかし偶然であっても、GA文庫の発売日が他の主要レーベルと重ならないという事実は変わりません。その発売日がGA文庫の売上に少なからず影響するはずです。

 ともかくも、わんさかやって来る新規参入レーベルの中でも、GA文庫には内容とは別の点でちょっと注目したくなりました。

USA3USA3 2005/12/06 12:51 はじめまして。(……では正確にはないですね、ライトノベルフェスティバルでお会いしましたので)「本ラノ2006」編集長の宇佐見です。
取り上げていただきありがとうございます。うちのサークルのサイトを見てる方なんてほとんどいないと思っていましたのでびっくりしました(笑)
私の日記の方でも慌ててエントリを立ち上げましたので、よろしければそちらも併せてご覧下さい。そちらでは最新情報についてもお伝えしていく予定です。
では、冬コミ当日にお会いできるのを楽しみにしております。

giolumgiolum 2005/12/07 00:47 あう。ご本人が来られるとは思いませんでした。(汗)
あちこちで偉そうに書いてしまっていますが、私は一読者に過ぎませんのでおてやわらかにお願いいたします。(汗)

トラックバック - http://d.hatena.ne.jp/giolum/20051206

2005-12-05

[]母ちゃんたちには内緒だぞ 02:49 母ちゃんたちには内緒だぞを含むブックマーク

親御さんが安心して子供に読ませられるようなライトノベルを集めて紹介したり、あるいはPTA推薦図書みたいなアプローチがあっても良いと思う。

玲朧月の気分次第で何か書/描こう

 逆に「これを読んでいるところを親御さんに見られたらマズイ!」とか「レーベル装丁も健全だけど中身は(放送禁止用語)なライトノベル!」というのを集めて紹介するのも面白いかも知れません。人間として間違ってるかも知れませんが。(爆)

 見た目からしていかにもNGなものではなくて「見た目だけなら親御さんを騙せるもの」というのがポイントです。(笑)

2005-12-03

[]パラレルな「私」 13:56 パラレルな「私」を含むブックマーク

 ファウスト Vol.6 SIDE―Aに掲載されている、東浩紀さんの評論「ゲーム的リアリズムの誕生」を読んで、谷川流さんの作品も東浩紀さんがいうところの「複数の私と複数の物語で現実を捉える」ゲーム的リアリズムを持っているんじゃないかなぁと思いました。

 谷川流さんの現在休止しているシリーズに「学校を出よう!」というものがありますが、この作品にはしばしば「複数の私と複数の物語」が登場します。

  • 「学校を出よう!2」
学校を出よう!〈2〉I‐My‐Me (電撃文庫)

学校を出よう!〈2〉I‐My‐Me (電撃文庫)

では、時間跳躍(タイムトラベル)によって同じ時間に主役の神田少年が3人存在することになります。このうち2人は同じ「物語」を共有していますが、3人目は別の「物語」を持っています。つまり「複数の私と複数の物語」があるのです。

  • 「学校を出よう!3」
学校を出よう!〈3〉The Laughing Bootleg (電撃文庫)

学校を出よう!〈3〉The Laughing Bootleg (電撃文庫)

では主役の茉衣子が茉衣子(水)と茉衣子(桃)に分裂してしまいます。ここで物語は2つの可能性を持つことになります。(その結末がどうなるかはネタバレになってしまうので書きません。)

  • 「学校を出よう!4」

学校を出よう!〈4〉Final Destination (電撃文庫)

では量子的な並行世界(パラレルワールド)を持ち込むことによって、それぞれ微妙に違う数百人のヒロイン仲嶋数花を登場させています。

  • 「学校を出よう!5」「学校を出よう!6」

学校を出よう!〈5〉NOT DEAD OR NOT ALIVE (電撃文庫)

学校を出よう! (6) VAMPIRE SYNDROME 電撃文庫 (0996)

では<アスタリスク>という現実より高次元のキャラに現実を繰り返しリセットさせることで、主役たちを同じ時間に複数回登場させています。

 というように「学校を出よう!」では、「私」は「ひとつの物語を生きる、確固たるひとつの私」ではなく「複数の物語を生きる、複数にばらけた私」として描かれることが多いのです。ただ単に視点や世界がばらけているのではなく、物語の主役である「私」がパラレルであるところがポイントですね。そこには桜坂洋さんの言われる

「『線』だった小説が、量子的に拡散しています」

京フェスリアル・フィクションとは何か?」レポ

http://d.hatena.ne.jp/giolum/20051012#1129053212

と相通じるものがあります。

[]「涼宮ハルヒの消失」のゲーム的リアリティー 13:56 「涼宮ハルヒの消失」のゲーム的リアリティーを含むブックマーク

 「学校を出よう!」と同じ谷川流さん著の「涼宮ハルヒ」シリーズも、時間跳躍や並行世界を用いたパラレルな構成になっています。ここでは「学校を出よう!」ほど明確な「複数の私」が描かれていません。しかし

ゲーム的リアリズムは、キャラクターの死を複数の物語のなかに拡散してしまうかわりに、その複数性に耐える解離的な生を描き、キャラクター・レベルとプレイヤー・レベルの二重構造を導入することで現実を作品化する。

ファウスト Vol.6 SIDE―A 301ページ、東浩紀ゲーム的リアリズムの誕生

であることを考えると「涼宮ハルヒの消失」などはなかなかに「ゲーム的リアリズム」な作品に思えます。

涼宮ハルヒの消失 (角川スニーカー文庫)

涼宮ハルヒの消失 (角川スニーカー文庫)

 この作品は

  • 主人公キョンが並行世界のなかで「プレイヤー」として行動する。
  • 並行世界の他の登場人物は「キョン=プレイヤー」に命運を左右される「キャラクター」である。
  • キョン=プレイヤー」はひとつの物語を選択することで、「キャラクター(とりわけ長門有希)」が他の並行世界の中に持っている可能性を絶つ。「キョン=プレイヤー」は「キャラクター(しつこいようだが、とりわけ長門有希)」の「絶たれた可能性」もしくは「絶たれた可能性を生み出した可能性」を背負い込むことで、自分で選択した物語の中を解離的に生きていく。

と解釈することができると思います。これは「All You Need Is Kill」ほどクリアではないものの、やはり「ゲーム的リアリズム」を満たしているように見えます。

 ちょっと「ゲーム的リアリズム」を鵜呑みにし過ぎてる感じが自分でもしますが、このアングルは面白いですね。上遠野浩平さんや時雨沢恵一さんの作品は「複数の私」が明確でない点で「ゲーム的リアリズム」というよりまだ「まんが・アニメ的リアリズム」に近いですし、対して谷川流さん、桜坂洋さん、桜庭一樹さんの作品はぐっと「ゲーム的リアリズム」に近いです。

 というか桜庭一樹さんの「推定少女」「砂糖菓子の弾丸は撃ちぬけない」「少女には向かない職業」などは、個々の作品は「まんが・アニメ的リアリズム」だけれども、最後に全部集めると「ゲーム的リアリズム」になると言えそうですね。

 まぁ、解釈なんてなにが絶対的に正しいという訳でもないですし、こうしたアイデアを楽しみたいと思います。

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2005-12-02

[][][]まんが・アニメ的リアリズムを集めるとゲーム的リアリズムになるのか 04:08 まんが・アニメ的リアリズムを集めるとゲーム的リアリズムになるのかを含むブックマーク

 ファウスト Vol.6 SIDE―A

に掲載されている東浩紀さんの評論「ゲーム的リアリズムの誕生」を読みました。東浩紀さんによると

という2つのリアリズムがあり、そこに3つ目として

が提唱できるとしています。そして桜坂洋さんの「All You Need Is Kill」をゲーム的リアリズムによって解説しています。

 この「All You Need Is Kill」の解説自体も大変面白いのですが、私の関心は途中から別の可能性へと向かっていきました。それは

 まんが・アニメ的リアリズムを集めれば、それは「複数の私と複数の物語に開かれた素材を用いて、複数の私と複数の物語で現実を捉える」=「ゲーム的リアリズム」になってしまうではないか

 ということです。そう考えたのには、それに該当する作品として思い当たる節があるからです。それは桜庭一樹さんのいわゆる「地方都市シリーズ」です。

 桜坂さん曰く「ギャルゲー的シナリオやマルチエンドが読者に受け入れられるようになっています」

 桜庭さん曰く「マルチエンドを全て含めて1つの話を作りたい」「それがゲーム的にとらえられるかも知れません」

京フェスリアル・フィクションとは何か?」レポ

http://d.hatena.ne.jp/giolum/20051012#1129053212

 「地方都市シリーズ」は設定に共通点が多く、特に「推定少女」「砂糖菓子の弾丸は撃ちぬけない」「少女には向かない職業」の3作はほとんど同じと言っていいほどです。恐らくは共通の原型から分岐して生まれた作品なのでしょう。そして結末は作品ごとに異なる訳ですが、シリーズとしてのそれらは「マルチエンドを全て含めた1つの話」になることを目指しているらしい訳です。

 そしてその「マルチエンドを全て含めた1つの話」を(<虚構>ではなく、東浩紀さんの言う所の)ゲーム的に捉えると、それは「ゲーム的リアリズム」になってしまう。

 …なにかあまりにも上手く話が噛み合い過ぎて、重要な欠点を見落としているような気がします。ちょっと都合が良過ぎて恐いです。あとで落ちついて考え直したいと思います。

[]探偵の物語 01:47 探偵の物語を含むブックマーク

 海燕さんのお薦めで、法月綸太郎さんの「頼子のために」

頼子のために (講談社文庫)

頼子のために (講談社文庫)

を読んだのですが、おぉなるほど、これは森博嗣さんの「すべてがFになる」とはかなり違いますね。

 「すべてがFになる」も「頼子のために」も探偵が事件を一歩引いた位置から観察する作品であることに変わりはありません。すなわち多くのミステリーがそうである(と思われる)ように

 作品世界


  探偵

  ↓(観察)

事件という物語

という構造を持っています。ここで「すべてがFになる」の探偵である犀川&萌絵は、事件をほぼ一方的に観察し、事件という物語からはあまり影響を受けません。無論、犀川&萌絵もキャラとして人生を背負っていますが、それは事件とは深く関係があるように見えないのです。

 一方「頼子のために」の「探偵法月綸太郎」(作者の法月綸太郎さんと区別するためにこう書きます)は事件を観察すると同時に、事件を自分自身の人生として背負い込んでいます。そのため、作品を「探偵の物語」として捉えたとき、「頼子のために」は「すべてがFになる」と大きく異なるのです。

 試しに作品世界から「事件」を取り除いてみましょう。すると「すべてがFになる」は

 作品世界

  犀川&萌絵

となります。これはもうメインの事件がないので「すべてがFになる」とは言えません。しかし「犀川&萌絵」の物語としてはこれでもまだ成り立つのです。

 ところが「頼子のために」から「事件」を取り除くと

 作品世界

  探偵法月綸太郎

これは「頼子のために」ではないだけでなく、もはや「探偵法月綸太郎」の物語ですらありません。(少なくとも「頼子のために」に関する限り)「探偵法月綸太郎」は事件と関わることによって「探偵法月綸太郎」になっているのです。

 上の図では分かりくいかも知れませんので、具体的な例をイメージしてみましょう。

 例えば私がコミケで「探偵法月綸太郎シリーズ」の同人誌を入手したとしましょう。もしその中で「探偵法月綸太郎」が事件に苦悩することなくのほほんと生きていたら、私は「こんなの探偵法月綸太郎じゃないやい!」と泣き叫んで打ちっぱなしコンクリート壁に投げつけると思います。

 しかし同時に「犀川&萌絵シリーズ」の同人誌を入手して、その中で西之園萌絵が事件などそっちのけで犀川助教授にラブラブであったとしても、私は「ま、それもありか」とつぶやいて通路に座り込んで読み始めると思います。*1

 それくらい、両者は「事件に関わる探偵の物語」として違うのです。

[]銀盤カレイドスコープ6巻が今までと違ったこと 00:56 銀盤カレイドスコープ6巻が今までと違ったことを含むブックマーク

 銀盤カレイドスコープの6巻

には、今までの1〜5巻とは大きく違う点があります。それに言及している方は非常に少ないです。非情と言っても良いでしょう。みなさん忘れていませんか?あのレギュラーキャラを?

 そう、「銀盤カレイドスコープ」のライター、新田一也を。

 主役が変わろうとも、毎回必ず登場してラストを締めていた新田一也。しかし6巻に登場しないばかりか、登場しなかったことが話題にもなりません。どうした、新田一也!頑張れ、新田一也!

 次巻、新田一也のリベンジなるか、に注目したいと思います。

*1コミケで通路に座るのは迷惑です。やめましょう。