2011年9月04日(日)
■作品の現代性「コクリコ坂から」と「土星マンション」
お盆の頃に「コクリコ坂から」を観てから、なんとか感想を書き付けておこうと思っているうちに随分時間が経ってしまいました。
規則正しい日常、歴史ある学び舎、愛すべき仲間たち、それを見守る大人。それらを舞台に描かれる恋と親子の想い。吾朗監督の作品ということで、多少演出の拙劣な部分もあったのも否めないと思いますが、描かれている世界は愛すべき世界で、自分の過去も振り返りながら強い共感を覚えました。ただ東日本大震災後の日本にあって、「上を向いて歩こう。」のキャッチコピーとともに世に問う作品になりえていたかというと、どうも届いていないような気がしてなりませんでした。確かに登場人物たちはそれぞれの生い立ちや境遇を引き受け、その中で誠実に生きていこうとしています。それはやがて彼ら自身や家族、仲間が困難な中にあるときの確かな力として育っていくのでしょう(映画の中では描かれないことですが)。けれどもいま必要とされるのは、そのような「規則正しい日常」「歴史ある学び舎」「愛すべき仲間たち」「それを見守る大人」を喪失したり、あるいは最初から持たないような環境の中で、それでもなお「上を向いて歩く」ということはどういうことか、それが問われているように思うのです。
そんな中、先日最終巻が発売になった岩岡ヒサエの「土星マンション」は、その問いへの答えを示しているように思いました。
「土星マンション」は、地球全体が保護区域となり、地上35,000mに建設されたリング状の建造物で人間たちが暮らすようになった時代に、中学卒業と同時に窓拭きの仕事を始めた少年ミツの物語です。この作品の凄みは、リング状の建造物の中の社会が上層、中層、下層の三層の階層社会として描かれていることです。ミツが生活するのは当然下層で、窓拭きの職人たちもみな下層の住人なのですが、そこには暗さはなく、窓拭きの職業に誇りをもって暮らしています。窓拭きのお客はほとんど上層の住人で、窓の外から見えるその暮らしぶりは下層とはまったく異なる優雅なものですが、それを見て羨むようなことはなく、彼らはその窓をいかにきれいに拭くかにしのぎを削るのです。ときどき上層のお客がミツたち窓拭きをお客として招いて話をする場面があるのですが、そこにも一切の妬みや嫉妬のようなものはありません。もちろん、ミツの父親は窓拭きの最中に地上に落下し帰らぬひととなってますし(そこから物語は始まる)、宇宙船プロジェクトを進めていたニシマルは下層住人であるということで研究職を追われ、妊娠中の奥さんも下層住人であるという理由で中層の病院で見てもらうことができずに亡くなってしまう(それが層間の対立を煽ろうとした原因になっている)という冷たい現実も出てきます。しかし最終巻では、窓拭きの交流から生まれた上層の住人の協力もあり、少年ミツを地上に送り届けるという下層住人たちのプロジェクトは成功裡に終わります。階層社会の現実、層間の対立という難しい背景を持ちながらも、それでも少年が窓拭きとして成長を成し遂げていくという物語を描ききった作者に僕は拍手を送りたいです。
2011年2月27日(日)
■[読書日記]「20歳のときに知っておきたかったこと-スタンフォード大学集中講義」(ティナ・シーリグ/阪急コミュニケーションズ)
「いま、手元に5ドルあります。2時間でできるだけ増やせと言われたら、みなさんはどうしますか?」で始まるこの本は、スタンフォード大学で教鞭を取るティナ・シーリグが、講演のためにまとめた内容を書き下ろしたもの。主に彼女の授業での課題とそれに取り組んだ学生たちの反応について、また「起業家精神」を体現する何人かの事例を紹介しながら、自分の能力を引き出すためのものの考え方について説いています。実際の起業のための指南というよりは、魅力ある生き方とは何か、という彼女の信念を書いた本、というのが妥当なところでしょう。
普段こういう本はあまり読まないほうなのだけど、たまたま図書館で予約を入れて順番が回ってきたので、これも何かの機会と思い読んでみました。読み進める途中、自分自身の過去の体験も含めて、思いのほか様々なことに思いを馳せることになったので、その中で2つほどを書き留めておきたいと思います。
ひとつは、これから社会に出ようとする学生には良きメンターが必要だということ。
この本を読みながら僕は学生時代にやっていたある活動のことを思い出していました。僕は学生時代、子どもを相手に人形劇や影絵劇を見せるサークルに入っていて、大学の長期休暇中に地方の小さな町の小学校を一週間ほどかけて回る公演旅行をしていました。まずだいたい一週間で回れる程度の規模の小学校を持つ町を洗い出した上で、その町の担当(だいたいは教育委員会)のひとに直接電話するという飛び込み営業さながらのことをやっていました。話を聞いてくれそうなところに対しては、こちらから改めて資料を送ってどういう活動をやるのかを具体的に説明するという流れです。
いまから思えば、どこの誰かもわからないような学生がいきなり電話をかけてきて、授業の時間をつぶして公演をさせろというのですから、よくもまぁ話を聞いてくれたものだと思います。当時、先方に説明するときに僕らが気にしていたのは、主には公演内容そのもので、演目はもちろんのこと誘導や進行までどのような感じでやるかを説明し、学校行事として子供たちの鑑賞に耐えうる公演であることを説明していました。
でもおそらく先方はそんなことは大きな問題としては捉えていなかったでしょう。この学生たちは本当に信頼に応える気持ちをもっているかどうか、重要なのはおそらくその一点だけだったでしょう。
これがわかったのは、自分が会社の採用面接の端っこに座って、実際に応募者に向き合ったときです。まさに立場を変えればなんとやら。もし自分が学生のとき、この本に出てくる授業のように、もう少し社会と自分のかかわりを考えるトレーニングを受けていたのであれば、またちがった見方で公演旅行を捉えることができたかもしれません。当時は候補地がきちんと決まって、それなりの予算で予定どおり公演ができることばかりを気にしていました。でも本当は、小学校以外のもっと別の場所で僕らのような存在を必要としてくれていた場所があったかもしれない。交渉する勘どころさえもっていれば、もう少し自由にやれたかなとも思いました(まさに後の祭りですが)。
もうひとつは、僕らは本質的に贈与の環の中で暮らしているということ。
このことは社会に出てからもしばしば忘れてしまうことですが、自己完結するよりも他人と築かれる贈与の環に強くコミットするほうが、はるかに自由で結果として得るものが大きいのです。ただ贈与の環それ自体は、自分がいてもいなくても回っていくものなので、ともすれば自分というものの存在が価値のないように思えることもあるかもしれません。でも結局のところ「君が落ち込んでも世界は何も変わらない(byミルカさん)」のであって、自分という閉じた範囲だけではなく、贈与の環を流れるものにきちんと目を向けられるかどうかが、楽しく生きるためには必要なのかなと思いました。
2011年2月20日(日)
■[読書日記]「フェイスブック 若き天才の野望」(デビッド・カークパトリック/日経BP社)
正月休み明けの北米出張の飛行機の中で、映画「ソーシャル・ネットワーク」を観ました。映画は映画として面白かったのですが、いったいどこまでが実話でどこが脚色だったのかを知りたくなって、ちょうど日本公開に合わせて出版されたこの本を読むことにしました。著者のザッカーバーグをはじめとする関係者に対する膨大な取材に基づく語り口は、多くの事実を含みながらも非常に刺激的で、映画同様にドラマのような面白さもあり、また個人的には多くの「発見」があった本になりました。
僕は 2 年ぐらい前から仕事上の成り行きでフェイスブックと関わることになったのですが、一緒に仕事をしてサービスをリリースした後でも、彼らのものの考え方(プリンシパルのようなもの)について実は何もわかっちゃいなかったんだと思い知らされました。
僕が個人的に印象に残ったのは以下の一節です。
ザッカーバーグは……フェイスブックが誰かのつくったニュースを追いかけるためのツールではないことに気づいた。フェイスブックはそれ自身の上で、ニュースをつくるためのツールだった。実は、ザッカーバーグはニュースフィードを常にそういう目で見ていた−大切なニュースのリアルな発信源であると。友達のニュースも、世界のニュースも。フェイスブックが2006年にニュースフィードを世に出すずっと前に、ザッカーバーグは正確にどうすればアップデートが本物にニュースになるのかを几帳面に手帳に書き記していた。ニュースフィード「記事」のスタイルシートや文法規則までつくる周到さだった。(p.429)
フェイスブックでは、ユーザインタフェースの根幹をなすニュースフィードに、アプリケーションが記事(ストーリー)を投稿する際に守るべきガイドラインがあります。
Stream Stories - Platform Policies
記事(ストーリー)はいくつかの項目(フィールド)から構成されています。項目(フィールド)は、messasge, picture, link, name, caption, icon, actions などがあり、それぞれ何を入れるべきかが細かく決まっています。
特にアプリケーション自身が自動的に生成する文言を入れるフィールドと、ユーザ自身が入力すべきフィールドは明確に分けられています。アプリケーションが message フィールドに自動生成のメッセージを入れることは禁止されています。またアプリケーション自身がストーリーを投稿する際に、可能な限りユーザが自身の言葉でコメントを添えられるように(つまり message にユーザのコメントが入るように)投稿インタフェースを構成することを要求されます。さらにストーリーを構成するフィールドには「Call to action」という相手に対して何か行動を促すような文言を入れることも禁止されています(actions に入れなくてはいけない)。そしてこれらはフェイスブック上のインタフェースにフェイスブックが決めたように表示されます(投稿側でレイアウトや装飾の指定はできない)。
仕事をしていく中で、彼らはことあるごとにストーリーの内容について、あるいはその投稿のインタフェースについて、事細かにフィードバックを返してきました。時として細かすぎると思えるぐらいにです。
どうしてそこまで細かいことにこだわるのか。僕自身もフェイスブックのユーザで、当時は「Mafia Wars」や「Cafe World」のストーリーがウォールを埋め尽くすのにうんざりしていたので、ニュースフィードをより意味のある読みやすいものにするという意図に基づいたものだとは理解していました。
でもほんとはそんな受け身な話ではなかったのです。
最初からフェイスブックに投稿される記事(ストーリー)は、そのままメディアが作る「記事」と同じレベルになるように設計されていた、ということだったのです。そう考えるのであれば、どれも当然配慮されるべきことばかりでした。「記事」は広告ではないし、そのひとの意思が入ることで、唯一性が生じ、その「記事」の価値が高まるからです。
当たり前のことなのですが、この本を読んでようやく腑に落ちました。
2010年9月05日(日)
■[読書日記]「Cut」9月号「ジブリがアリエッティに託したもの」
遅ればせながら「Cut」9月号のアリエッティの特集記事を読んだ。
最初の宮崎駿へのインタビューを読んで「ああ、やっぱり宮さんはうれしかったんだな」と直感的に思った。NHKの「ジブリ 創作のヒミツ 宮崎駿と新人監督 葛藤の400日」という番組で、初号試写のあとに宮さんが米林監督の手を取って称えたのをみて「これは」と思っていたのけど、それがこの記事を読んで確信に変わった。
「Cut」では昔から何度となく宮崎駿へのインタビュー記事(しかも長文の)が載っているが、決して専門雑誌ではないのにもかかわらずいつも核心に迫る内容で楽しませてくれる。それはひとえにインタビュアーの渋谷陽一のなせる業であると思うのだが、今回も軽快な突っ込みがありつつも決して本質を外さない記事は非常に面白かった。
ただ今回の記事でいつもと違うのは、2万字インタビューと書かれているのだけど、実際のところは要するに宮さんも渋谷さんも待ち望んだ新しいジブリに出会えたことにひたすら賛辞を送っている、それだけが延々と語られているということ。多少の編集が入っていることを差し引いても、こんなに前向きな話ぶりはここしばらくはなかったのではないかと思う。
僕は前作「崖の上のポニョ」についてどう捉えるべきか、いまだに落ち着くところを見つけられずにいる。それは誤解を恐れずに言えば、後ろに見え隠れする宮崎駿の恐ろしい負のエネルギーを感じてしまうからなのだ。本当に僕はあのままの路線でジブリが進んだとしたら、それがどんなに素晴らしい作品であったとしても、とてもついていけないと思っていただろう。
今回「借り暮らしのアリエッティ」という作品の中でも、その片鱗は随所に見て取れた。そもそも二人の主人公が滅び行く小人の種族の少女と重い病を患う少年という設定。しかも舞台となるのは下界からそこだけ取り残されたような古いお屋敷。住んでいるのは老婦人と年老いたお手伝いさんというから救いようがない。いくら花に彩られた庭があり、心地よい風が吹こうとも、死の影が通奏低音のように響いている。
そんな中で繰り広げられる恋愛譚に、宮さんだったらどんな結末を用意していたか。もちろん脚本を書いたのは宮さんだから、話としては同じところに着地したかもしれないのだけど、見せ方や観終わったあとの印象はずいぶん違ったものになっていたのではないかと想像される。
僕が「アリエッティ」を観てうれしかったのは、死の影の通奏低音はそれはそれでありつつも、二人が出会いを通じて変えたのは結局のところ彼ら自身だったというところ。これはぼくはとても今日的だと思った。
彼らにとっても、今日を生きる僕らにとって滅びは既に生活の一部になっている、という言い方をするとちょっと格好良すぎだけど、多くのひとが世紀末的思想ではない明るくない未来についての実際的な予感を持っているのは事実だと思う。それに対してニヒリズム的になるか、世界を革命するか、自分が変わるかみたいなところを突きつけられて状況なのだが、実際に取れる方法論は残念ながら最後のひとつしかないのだと思う。前者二つはまだ滅びが実際の予感として感じられる前の幻影みたいなもので。
「アリエッティ」で言うと、たぶんあの屋敷に残るってのがニヒリズムで、屋敷をぶっ壊すというのが世界の革命で、屋敷を出て行くというのが自分が変わることなのだと思う。そしてそれがすれすれの恋愛譚で構成されるところの美しさ。後の米林監督へのインタビューで少女漫画の話が出てきて、なるほどなぁと思ったのだけど、「美しいものを美しく」という切り取り方でストンと落としている。笑いがあったりスペクタクルやカタルシスがあるわけではないのだけど、確かに心に響くものがありました。
米林監督って同い年なんですよね。新海さんも、柳沼さんも、やっぱりなんか同世代ってものすごく波長が合う感じがして、それは勝手な思い込みかもしれないけど、とても好きです。
2010年7月31日(土)
■[読書日記] 「これからの『正義』の話をしよう」(マイケル・サンデル、早川書房)
NHKの「ハーバード白熱教室」を見始めたのは途中の第7回からだったので、ちょっと残念に感じていたのだけど、元ネタ本の日本語訳が読めるとあって、最終回終了後に早速読んでみた。講義の前半に出て来たと思われる「功利主義」「リバタリアニズム」についてようやく話が見えた。最終回でサンデル教授自身の「コミュニタリアニズム」に関する持論がまくしたてるように展開され、少し消化不良気味だったのだけど、それもなんとか咀嚼出来たように思う。まぁそれはそれとして。
この本の奥付をみると初版が「2010年5月25日」となっていて、僕の持っているアマゾンから買った本は「2010年6月29日」でなんと33版!一回の増刷でどれぐらいの部数を刷っているのかは定かではないのだけど、相当な部数が売れているということになるだろう。しかしこれは驚くに値しない。なぜなら、もう既に多くのひとは気づいているのだと思う。いま、社会の仕組みを考えるにあたって、つまり具体的には行政であったり法律であったり、ひいては政治と呼ばれるものについて、何が必要か。
話を少し過去にさかのぼらせてもらう。自民党が小泉郵政選挙で大勝したときに、にわかに憲法改正の話が現実味を帯びて議論された期間があったように思う。実際僕もその影響で日本国憲法というものに興味を持ち、いろいろ本を読んだ。そのうちのいくつかはこの読書日記でも触れている。その自民党の憲法改正草案での一番の議論の焦点になったのはとりもなおさず第9条であると思うのだが、個人的には自民党が草案を作る過程において一番こだわりがあったのは別のところだったように思う。憲法前文である。実際に試案の付帯資料として「前文作成の指針」が明記されている。その中の一節にはこうある。
現行憲法に欠けている日本の国土、自然、歴史、文化など、国の生成発展についての記述を加え、国民が誇り得る前文とする。
僕はこの主張には一定の理解をしつつも、どこかおかしみを感じずにはいられない。国の成り立ちを決める憲法について、国民が誇らしいと思うかどうかを憲法の実際の条文に対して感じられるようにというのであればわかるのだけど、なぜに前文なのか。また前文に対してそのような役割を課すということは、とりもなおさず国民が誇らしいと思うものと憲法条文の内容については、厳密な意味において関係がないということを認めてしまっているようにも思えるからである。それでもなおこの草案における前文の持つ意味合いは大きい。教育基本法改正で議論になった「愛国心」の問題についても結局根っこは同じところにあるのではないかと思う。それは単なる社会の秩序にとどまらない、サンデル教授の表現を借りるのであれば、誇りや栄誉と賞賛に関する一定レベルの政治の介入である。
しかしこれに対して、日本の少なからずのひとにアレルギーがあることを無視することはできない。戦前の日本がそうであり、講義でも述べられていたが、そのような介入は個人が帰属する文化や価値観に対する権利を制限することにつながるからである。けれどももう多くのひとは気づいている。経済を基軸することより他のことを権利を侵害しないという一点で忘れていられる時期は終わったのだと。それ以外のときと向き合うときが来たのだと。
例えば「子育て支援」を取ってみても、国が直接子育てを賞賛することは、子を持たない・持てないひとに対する価値観を間接的に認めていないことにならないのか、という問いはもう長らくされてきた。それに対して「子育て支援」は「少子化対策」と名前を変えて「人口構造のアンバランスによる経済活動の停滞や年金問題に対応するための経済的な対策」になった。でも、今求められるのは「子どもを持ったり、教育に携わることへの栄誉と賞賛」についての答えなのだ。もちろんそれに対する価値観は多様であり、どれかを選び取るということは難しい。でももうその本質を見ない議論は多くのひとにとって意味がないのだと思う。少なくとも僕にとってこの本は、それに対して理論的裏付けを与えてくれるものでした。
書いていて、ちょっと以下の話につながるところもあると思いました。興味のあるひとは読んでみてください。
2010年5月22日(土)
■[読書日記]「迷走する両立支援 いま子どもをもって働くということ」(萩原久美子・太郎次郎社エディタス)
TwitterのTLで流れていた kobeni さんの日記「ある日、あなたが、長時間労働できなくなったら。〜「迷走する両立支援」を読みました〜」を見て、何か今まで見たのとは違うレベルの子育てと仕事の関係の議論に興味が沸いて読んでみました。
感想を一言で言えば「重い」。既に多くのひとがコメントされているように、丁寧な事例採録から展開される筆致は、読むものを捉えて離しません。そして当事者であればあるほど、そのリアルな言葉が自分の置かれた状況と重なり、「痛い」とまで言わしめるほどの感想を持たせるのだと思います。ただ著者の萩原さんも書かれているように、この本は特に何らかの処方箋を提示しているものではありません。ともすれば陥りがちな安易な提言などは一切排除され、彼女自身が多くのフィールドワークを通じて苦悩したその過程がありのままに描かれています。「迷走する」と形容されるこの本のタイトルは、両立支援の様々な施策のみならず、彼女をはじめとするこの問題に関わる全てのひとたちが感じている思いに他ならないのではないか、そんなふうにも思いました。
できるだけ当事者の声や現場の事実を取り上げている本の感想を一般論で返すのは趣旨に合わないと思い、自分の事例をもって少し感想を書いてみたいと思います。自分は子ども二人(小学生、幼稚園児)で共働きをしているとはいえ、この本で取り上げられてる事例よりははるかに恵まれていると思います。僕はソフトウェア開発という長時間労働の典型みたいな職場ではありますが、今どきめずらしく完全フレックス(コアタイムなし)が許されています(たぶん... 査定はともかく上司や人事からお叱りを受けたことはない)。奥さんは学校関係で勤務時間は非常に厳しく(当たり前ですね)休めない職場ではありますが、残業が発生することはあまりなく(会議がのびるとかその程度)、週休3日で長期休暇中は在宅勤務ができます。手が足りないところは、延長保育、民間学童保育やベビーシッターの方にお願いしたりしています。僕が出退勤時間を調整したり、彼女が時間をかいくぐって用事をしたりもします。そういう意味では職場や地方自治体が提供する両立支援の制度的なものはほとんど利用せずに、なんとかやってこれていると思います。ただ、だからといって、この本が取り上げている問題にひっかかっていないかというと、そういうことでもないのです。
ひとつは「均等」の問題。やはり子育てをしていくなかで、母親に具体的に出番を要請されることはものすごく多いです。父親の出番なんてまぁオマケみたいなものです。僕は彼女の代わりにしばしば出向くことがあるのですが、実際問題別に父親だって困りはしないんですよね、多くの場合において。でも「お母さん」を要請されるのはどうしてなのか。また父親が行くと「あらー、お父さんですか。どうもご苦労様です。」なんて褒められたりすることもあります。同じことを母親がすると当然のように思われる。そりゃ僕は悪い気はしないですが、彼女にとっては忸怩たる思いですよね。「どうしてあなたばっかり」「わたしだって子育てを仕事でないがしろにしたいわけではないのに」と。どうしても母親でなくてはいけない場面以外は「保護者」という形で父親にも出番を要請すればいいかというと、そうでもない。僕のようにすちゃらかと仕事を放り出して遠足の付き添いに行ってしまったりすることができればいいですが、職場においてそれが許されないひとは、やっぱり「おれだって子育てを仕事でないがしろにしたいわけではないのに」という思いに駆られる。結局のところ家庭内カニバリズムから抜け出せることにはならないのです。
もうひとつは「自己葛藤」の問題。家庭での「父親」「母親」の思いと、職場での「私」の思いをどう折り合いをつけていくかです。僕は朝、幼稚園に下の子を送ってから職場に向かうことが多いのですが、幼稚園の先生やお友達のお父さん、お母さんと会話しているあの世界と、職場の世界があまりにも違いすぎて、そのギャップにしばしば戸惑うことがあります。冷や水をぶっかけられるような感覚とでもいいますか。でもどちらも自分にとっては大切な場所で、それぞれをそれなりに充実させたいと思うわけです。しかしながら、時間の流れ方も支配するルールも違うその世界を自分の中で矛盾なく繋ぎ合わせていくことは、しばしば困難です。例えば。明日までに直さなければいけないバグを徹夜ならやりとげられるかもしれないが、ここで徹夜しちゃったら朝一で出かける家族の支度は誰がやるのか。しかしだからといってバグ取りしなかったら、確実に誰かは迷惑を被るわけで、そういう態度はプロフェッショナルと言えるのか。そんなことではいつまでたっても管理職になれないのでは。でも自分以外に自分の家族のことを気にかけてくれるやつなどいないのだから、そちらをやるべきだ。キャリアとかそんな大層な話でなくとも、そんなことがわりと日常的に発生します。そしてどちらもうまくいくことは、ほとんどの場合においてないのです。
いずれも、それが何かの法律や制度や施策や支援活動で解決されうるものではないように思うのです。
親のニーズ、企業のニーズ、国や自治体のニーズ。それに応えるサービス、商品、制度。そうしてつぎつぎと「解決策」がくりだされてきた。それはたしかに「ニーズ」にもとづくという説得力をもちながらも、なにかを切り捨て、この社会での両立のゆくえにどこかうすら寒いものを感じさせて走り出している。(p.280)
個々が抱える問題が複雑であればあるほど、それを解くのは最終的にはやはり本人しかないように思います(ちょっと冷たい言い方ですが)。社会はその解決を一足飛びに要請するのではなく、理解をするところからはじめるしかないですし、それは立場がどうであれ可能ではないかと思うのです。それが結果的に解決を支援する、その始まりことになるのではないかと思います。
そして「先ず隗より始めよ」ですね。
2010年1月17日(日)
■「あれから15年」
その頃、僕は大学に通うために横浜で一人暮らしをしていました。その日の朝は、友人からの立て続けの電話で起こされました。とにかくテレビをつけて見ろいうので、NHKのニュースを見てみると、飛び込んできたのは空撮で火事と思われる幾筋もの煙が立ち上る神戸の街でした。その友人はまさに神戸が実家だったので、とにかく行けるところまで行ってみると言い残して電話を切りました。
僕の実家は京都だったので、ひとまずは連絡をつけようと電話をかけましたが、まったく電話はつながりません。ニュースでも電話は大変混み合っているので、不要な電話は避けるようにとのことを言っていました。しかし、そのとき電話をかけていた当人たちにとっては、おそらく不要な電話などひとつもなかったのだと思います。誰もが家族が、友人が、同僚が無事であるかどうかを知りたかっただけなのです。
震源地は神戸付近であることは報道されていたのと、周辺の大阪や京都の様子をみる限りでは壊滅的な被害を受けているという様子ではなさそうでした。親のお金で学生の身分となっている僕は、ひとまずは本業を全うすべくそのあと授業に向かいました。夜には家にも連絡が取れ、その日は終わりました。
結果的には、幸いにして神戸付近に実家のある僕の友人および身内の方に亡くなった方はいませんでした。家が壊れてしまった方はいましたが、とにかくそれだけが不幸中の幸いでした。ただ僕自身は、おそらく現地以外にいたその他大勢のひとがそうであったように、その後も普通の生活が続きました。
僕が現地に赴いたのは3月下旬のことでした。春休みでちょうど京都の実家に帰省していたときに、父親の仕事の取引先の方が震災で亡くなり、その法事(お葬式ではないと思ったが...)で新開地まで行く用事がありました。一緒に来い言われ荷物持ちとして出かけました。当時はJRが住吉まで開通していて、そこからバスに乗るというルートだったように思います。京都駅からJRに乗ると、震災から2ヶ月立つとはいえ、列車に乗っている方のほとんどが現地へ向かう方でした。高槻を過ぎ、屋根にブルーシートがかかった家がちらほらと見え始めました。そのときの列車の中の雰囲気は今でも昨日のように思い出せます。ほぼ満員の乗客の誰もが、じっと押し黙り、あるいはひそひそと会話をし、緊張感と疲れが入り混じったようなそんな重苦しい空気が支配していました。僕はこのとき、過去2ヶ月にわたってテレビや新聞から伝えられたものに決定的に欠けているものを受け取った気がしました。
住吉で電車を降り、さらに三宮方面に向かうバスに乗りました。道路は砂埃が舞い、一見なんら変わらないビルの横で完全に瓦礫になり、さらにそのままになってしまっている場所がいくつも見えました。取引先の方が亡くなった現場は瓦礫は片付けられていましたが、それでも「廃墟」というしかし言いようのない状態でした。その方は火事で亡くなられたのですが、ちょうど道路を隔てて向かいには、普通のおうちが外観に大した傷もなく建っていました。道路を隔ててあっちとこっちでまるで景色が違う。そんな場所が本当にいくつかあったのです。その方がなぜ亡くならなければいけなかったのか、父親が言った言葉に同意せざるを得ませんでした。
法事の間、荷物持ちだった私は法事に出ず、湊川公園の付近を少し見て回りました。ボランティアも何もしない私がここにいる資格はないように思いましたが、たまたま来る機会を得たのも神様のお計らいだろうと思い、恥ずかしながら、本当に恥ずかしいと思いながら、小一時間ほど歩きました。
そのとき僕が得た知見などほんとに瑣末なものといえますが、とにかく震災のときに自宅がつぶれないかどうかは生死や被災後の生活に決定的な影響を持つのは明らかでした。僕らは小さい頃から学校で震災時の火事の危険性について散々聞かされてきたので、それに対する怖さというのはありましたが、本当にすっかり建物が壊れてしまう様を見てしまうと、横浜に戻ってからしばらくは「ここで地震がきたら絶対に生きて戻れないな」という場所が街のいたるところにあることを思い知りました。
僕が阪神淡路大震災について書けることはこれぐらいです。おそらく多くのかたが現地に行かれ、復旧に尽くされたことだと思います。ただあの現場の空気を日本中のひとが共有できたのなら、おそらくもう少し防災に対する感覚が変わるのかもしれないと思い、ただそのことだけを書きたくて駄文を書き散らしました。大変失礼しました。改めて震災で亡くなられた方のご冥福をお祈りいたします。
2010年1月11日(月)
■[読書日記]「日本辺境論」(内田樹・新潮社)
「はじめに」にも書かれている通り、基本的には新しい話はないのだけど、この本を読んで「日本はどうあるべきか」というようについついべき論として語ってしまうところこそ、まさに日本的思考であるということを知覚しておくことは悪いことではないように思う。
若い世代へのアンケートで、一般論として「結婚すべきである」と思っているひとの割合は多いのにもかかわらず、自分のことになると「結婚はしないだろう」と思っているひとが多いのもやはり同じことなのかも。
僕も基本的にラジカルな考えと言うよりは保守的な考えのほうが多いかな。ただ保守かラジカルかではなく、その考えをどうやって消化しているかが重要だと思うので、あまり日和見に流されずに日々消化に専念したい。
2009年11月22日(日)
■[読書日記] 「スカイ・クロラ」シリーズ(森博嗣・中央公論新社)
北半球一周ツアーで飛行機にたくさん載った影響か何かわからないけど、森博嗣の「スカイ・クロラ」シリーズを全部読み直して見ました。最初に読んだときは、「クレイドゥ・ザ・スカイ」で訳がわからなくなり、その前の「フラッタ・リンツ・ライフ」の読み方も間違ってたのでは... と読み直しを躊躇してしまっていました。
なので、今回は「ナ・バ・テア」から順に時系列を追って読み、かつ「本読みな暮らし」にある「『スカイ・クロラ』シリーズの謎解きに挑戦」を参考にさせていただきました。特に「クレイドゥ・ザ・スカイ」の主人公をどう読むかと、「スカイ・クロラ」の位置づけは大変参考になりました。再生技術とか記憶の移植とかそういう話を一切忘れるべきだったのですね。
乱暴に言うと「ナ・バ・テア」から「クレイドゥ・ザ・スカイ」までが本編で、「スカイ・クロラ」は後日談のように考えると、僕の中では矛盾なくつながる感じがします。
特に草薙水素については、本編があるから「スカイ・クロラ」の「私を殺して」がストンと腑に落ちるように思いました。ティーチャとの件はともかくも、「ナ・バ・テア」での比嘉澤に対する邂逅や「フラッタ・リンツ・ライフ」でのクリタとの最後の電話のやりとりなど、確かに文字には何も書かれていないのだけど、彼女自身の前向きな真剣さが痛いほど伝わってきて、僕を虜にするのです。
そう思うと映画のラストで泣いたりするのは、ちょっと違うかなと思ってしまいますね。いまさらですが。
2009年8月12日(水)
■ 「海軍反省会」
先日、書店の店頭で「海軍反省会」なる本を見つけたのですが、帯(だったかな?)に「NHKスペシャルで放映予定」とあり、ちょうど夏休み期間中ということもあり見ることができました。ちなみに「海軍反省会」とはなんだったのかというのは、リンク先のはてなキーワードを見てもらえばわかると思うので割愛します。
NHKスペシャルでは、その膨大な録音資料を3つのテーマにしぼって3夜に渡って放映されたのですが、そこで導かれていた結論(?)が「組織の前でいかに個人が無きものとなるか」というようなもので、非常に陳腐だったのが残念でした。
そもそもこういう会が昭和の終わりから平成のはじめにかけて113回にもわたって開かれていたという事実そのものがやはり驚きで、「海軍反省会」という形でお膳立てを行い、膨大な録音資料として残すという行為そのものが、既に「組織の持つ力」を具現しているのではないかと思うわけです。そういう個人を縛り付けているものは何であるのか、というところにもっと切り込んで欲しかったです。「国家」という巨大組織を基盤とした社会システムが鈍重になっていくなかで、より「個人」を基調とした社会システムへの転換点を迎えているにもかかわらず、やはり「組織」は魅力的なのだと思います。そこに拘泥する人間の本性を明らかにしていくことで、どうつきあって行くべきなのかを考えるような特集になっていれば、と思いました。
2008年12月22日(月)
■[読書日記]「満州事変と政策の形成過程」(緒方貞子・原書房)
緒方貞子氏の代表的な著書ということで図書館から借りて読んでみた。この本は氏がカリフォルニア大学バークレー校大学院政治学部に提出した博士論文がもととなって出版された「Defiance in Manchuria - The Making of Japanese Foreign Policy 1931-1932」の邦訳に加筆修正したものである。したがって、刊行は昭和41年(1966年)となっており、研究書としてはその時代背景を差し引いて読まなくてはいけない。しかしながら、当時はまだこの著書に出てくる関東軍関係者が実際に生きていた頃であり、氏も資料をたぐりながらも何人かの関係者にインタビューをしている。そういう意味では、当時だからこそまとめることのできた論文であったともいえよう。
さて、僕は端からの素人なので、これにいささかの論評も加えるつもりはないが、興味を覚えたのは最終的に軍、政府あるいは天皇およびその周辺によってなされた政策決定に対して、大衆がどのように影響を与えたか、という点である。以下、結論から該当箇所を引用する。
私は、満州事変の原動力となった帝国主義を「社会主義的帝国主義」と定義してみたいと思う。無論丸山真男教授が指摘した如く、「フアシズムの進行過程における『下から』の要素の強さはその国における民主主義の強さによって現定される、いいかえるならば、民主主義革命を経ていないところでは、典型的なフアシズム運動の成長もまたありえない」ことは十分に認められなければならないであろう。日本のフアシズム運動において大衆が占めた比重は決して大きくなく、彼らはフアシズム運動の指導者達の心に幻影として存在したに過ぎないともいえよう。
このような観点からは日本の帝国主義を「社会主義的」と称することは不適当といえるかも知れない。しかし、それにもかかわらず一つの重要な点で大衆が昭和初期の帝国主義に影響を興えた事実にわれわれは注目すべきであると思う。(p.306-307)
本書では軍がどのようにして政策決定の過程に影響を及ぼし、最終的には外交政策の転換を通じて権力を手中に入れたかということを明らかにしているが、軍中央部や政府、天皇およびその周辺以外のプレイヤーとして、大衆の存在は当時ですら無視できない存在であったと思われる。とするならば、やがて破局に至る外交政策の転換点において、例えば大衆はそれを阻止しえたか、という点は大いに興味があるところだ。あくまで仮定の話でしかないのだが、それを考えていくことは、現在の政策決定と大衆動向を考えるのに等しいのではないかという気がする。
2008年11月12日(水)
■[読書日記]「紛争と難民 緒方貞子の回想」(緒方貞子・集英社)
1991年から2000年の10年間に渡って、第八代国連難民高等弁務官を務めた緒方貞子氏の本人自身による活動の記録「SADAKO OGATA THE TURBULENT DECADE - CONFRONTING THE REFUGEE CRISES OF THE 1990s」の日本語訳である。
具体的には氏の任期中に取り組んだ難民帰還活動、クルド難民、バルカン難民、アフリカ大湖地域における難民、アフガン難民の4つの地域におけるUNHCR(国連難民高等弁務官事務所)の活動について、何を目指し、どのような経緯をたどり、結果として何をなしたのか(なさなかったのか)がまとめられている。日本語訳の題名には「回想」という言葉が用いられているが、この書の目的は過去の事実を明らかすることにより、明らかに現在そして未来の難民帰還活動を望むべき形にするにはどのようにすればよいかというメッセージが込められている。
恥ずかしながら、上記に挙げられたいずれの地域についても、僕自身は紛争があり難民が発生したという事実を新聞の片隅の記事やニュースで得ていた程度で、なぜそのような事態が発生し、現在もなお進行中なのかということについて深い興味を持ったことはなかったように思う。想像の域を出ないが、多くの日本人の認識はその程度であったのではないだろうか。バルカン難民については、冬季オリンピックを行ったサラエボが廃墟と化した映像がテレビを通じて流されていただけあって、多少なりとも関心を引いた面はあるかもしれない。けれどもアフリカ大湖地域に至っては、アフリカ大陸のどの場所でどのような国があって、なぜそのような問題が起きているかを説明できるひとはおそらく限定的なひとに留まるだろう。しかしながら、ルワンダには実際に自衛隊が難民救援を目的として派遣されているという事実がある。ルワンダの人は(たとえ一部であろうとも)日本が実際に難民救援に来たという事実を通して日本を見ているのに、日本にいる多くのひとはルワンダを知らない。このギャップは、絶対に埋めなければならない義務のように思う。
氏は、国際社会が決してあなたたちを見捨てはしていないのだということを示すことで、関係国との関係をつなぎとめ、何とか一人でも多くの命が救えないかと奔走した。限られた予算と人員と状況の中、多くの命は意味もなく失われ、圧倒的なひとたちは本意ではない生活を余儀なくされるなかで、それでもなお良い方向を求めて活動を続けるUNHCRの職員の方のことを考えると、がんじがらめの日本の国連平和維持活動への参加についても、それが明日の誰かを救うことができるのなら続けるべきだし、もっと自分たちがやっているという意識を持たないといけないように思った。それは以前少し取り上げた9条の議論にもつながるものだと思う。
たぶんもう少し突っ込みが必要だが現状を記録しておく。
2008年1月26日(土)
■[読書日記]「恐るべき旅路 火星探査機『のぞみ』のたどった12年」(松浦晋也・朝日ソノラマ)
NRT→LAX→LHR→NRTの北半球一周ツアーのお供に選んだのがこの1冊。文部省・宇宙科学研究所初の惑星探査機PLANET-B(打ち上げ後「のぞみ」と命名)の構想から設計・開発、打ち上げから運用終了までを、関係者へのインタビューも含めてまとめたドキュメンタリー。予算、時間、組織、技術など様々な制約の中での労苦もさることながら、一研究者の発案で「あなたの名前を火星へ」というキャンペーンが行われ、純粋な研究目的の機械が多くのひとの想いや人生を運ぶ星へと変わっていく様は、宇宙開発の見方そのものの根底から変えてしまう力があった。
自分も含めてなんらかのプロジェクトに関わったことのあるひとならば、この「のぞみ」の体験はとても他人事には思えないだろう。途中で道を失って目的地にたどり着けるかどうかかわからなくなったり、ものすごく遠回りをしなければいけなかったり、目的に到達したとしても既にその意味が失われていたり、苦労した挙句に目的を果たせないことは珍しくない、いやむしろ日常茶飯時だから。
この本は読みものとしても十分印象的だったが、今後自分がいろんな仕事をしていく上での重要な知己を示唆してくれたように思う。僕がこの本から得たことは2つ。ひとつはモチベーションを維持することの大切さ。もうひとつはプロジェクトに関わる人々の人生の重さだ。特に後者については今まで深く考えたことがなかった。そのプロジェクトがどうであれ、関わるひとたちの人生の一部を食べることによってしかプロジェクトは成り立たない。逆に言えば、プロジェクトに関わるということは自分の人生の一部を差し出すことに他ならない。
まだ残り時間の計算をするほどの年齢にはなっていないとはいえ、少なくとも今のような立場で仕事に関われる時間は実はそんなに多くないのではないかという考えが頭をよぎった。仕事を選り好みできるほど能力があるわけではない。だから余計に、いまやっていることをより前向きに考えるよりほかない。そしてそれは結果として、同じ仕事に関わるひとの人生もよい方向に導くことができるはず。出張先で読むにはあまりに重い本だったけど、その価値はあった。
2008年1月12日(土)
■[読書日記] 岩村暢子さん3冊
内田先生のブログの紹介で気になったので、原書にあたるべく家族と食卓に関する本3冊を図書館から借りて読んだ(もう随分前の話だけど)。
1冊目「変わる家族 変わる食卓 真実に破壊されるマーケティング常識」は、幼稚園から小学生ぐらいの子どもを持つ首都圏の主婦を対象に、日常の食事について記録及び聞き取り調査の結果をまとめた本で、2冊目「現代家族の誕生 幻想系家族論の死」は、その主婦の母親世代が経験した日常の食卓について、聞き取り調査を行うとともに歴史的背景の考察を含めてまとめたものである。いずれも研究書と呼んで差し支えないほど膨大な調査資料と時間をかけた考察が、ありがちなイデオロギー的現代家族論を一蹴する説得力を持って迫ってくる。
最新刊は「普通の家族が一番怖い 徹底調査!破滅する日本の食卓」で、基本的に1、2冊目の総集編あるいはそれを補完するような本であるが、このタイトルは全く見当はずれであるのが残念と思う。この本のタイトルをつけるような立場の人であれば、著者がなぜこのような本を書くに至ったかという動機は正しく理解しているはずだが、多分のマーケティングの意向でこのようになったのであろうか。受け手に対して恐怖感を煽りつつも自分はその枠外として批評を楽しむような趣向の、いかにも民放がやりそうなドキュメンタリーに名を借りたバラエティ番組にありそうなタイトルである。
誤解しないで欲しいのは、これらの本がそのような現代家族や現代社会の問題を無自覚に批判するような本では決して無いことである。もちろん内田先生のブログに抜粋されていたように、この本の一部を読めば無自覚な批判と取れる(事実を述べているだけであるにも関わらず)向きもある。
「家族揃ってご飯を食べない」「揃っていても食べるものはバラバラ」「買ってきた総菜やレトルト、冷凍食品が大半」「取り合わせや季節感は考慮されない」「子どもは家事を手伝わず、自分も実家に行けば全く家事を手伝わない」などちょっと眉をひそめたくなるような事実が次々と描写される。
が、それを読んで眉をひそめたくなるようなひとや、あるいは何をエラソウにと思っているひとほどきちんと本を読むことを、特に前2作を読むことをおすすめしたい。なぜそうなったのか。社会現象は決して単一の原因で語ることができず、多数の要因と歴史的背景が複雑に絡み合い、まさに今生きている僕らが意識するとしないとに関わらず「選択した」結果として現れているものであるという基本的な事実を確認するための良書と思うからである。
僕がこれら本の一番面白いと思った箇所は実は本編ではなく、あとがきのように書かれている付章の部分である。1冊目では「付論 家庭科で習った通り」で中学・高校で教えられている家庭科の教科内容の変遷が少なからず家庭の食卓のあり方に影響を与えていること、2冊目では「現代家族の誕生−そして必然的に食は崩れた」として1冊目の調査対象の主婦の母親世代の歴史的体験が50年の時を経て現在の食卓のあり方に大きな影響を与えていること、3冊目では「エピローグ 現実を観ない親たち」として理想とする食卓と現実が大きく乖離しているにも関わらずそれをまったく問題としない思考について書かれている。時間がなければここだけでも読んでも面白いと思う。
2007年10月28日(日) 「株式会社という病」
■[読書日記]「株式会社という病」
内田先生のブログで書評が載っていたときから気になっていたのだけど、ようやく読む機会を得た。基本的にはビジネス書の体裁になっているので物語を読むような没入感はなかったし、書かれていることもそれほど独創的といえるものではなかったけれど、内田先生が触れた平川氏のバックグラウンドを知れば、平川氏がこの本を書かねばならなかった理由が理解できるといえよう。
前回の日記で「徳川慶喜の子ども部屋」を取り上げたけれども、それと「株式会社という病」を同時に読んだのは偶然ではあったとはいえ、確かな繋がりを感じずにはいられなかった。つまり旧来、日本の「会社」というのは「お家」そのものであり、社長は主人で社員は奉公人だった。なので、要職が世襲されるのは当然であり、そこに疑問をはさむ余地はなかったのだ。また「会社」は常に社員にオーバーアチーブを要求する。それは雇用契約によって社員という立場にあるという事実からは到底理解できない行為である。さらに要求されるだけならまだしも、社員自らがそのように行動することが美徳とされたのだ。
このことを「お家」からみると、例えば継ぐべき男子が居ない場合はよそから養子を取って家督を継がせた。現代を生きる僕にとってはそんなに簡単に他人を養子に取れるものだろうか、と思ってしまうのだが、これを「会社」の社長と読み替えれば、別に「お家」を赤の他人が後を継いだっていいわけである。
しかしながらそういう「会社」が「株式会社」となった場合に何が起きるか。例えば「お家」が赤の他人のよって売買される商品となり、ある日突然主人を変えられ、血縁者や奉公人が「お家」からまるまる追い出されるとしたら。もちろん「会社」は「お家」から変わらなければいけないのだろう。けれども、もし「お家」も「会社」と同じように変わるべきだといったら、どう思うだろう。それがそこに住まうひとを幸せにするといえるのか。
もちろんこの問いは二者択一ではない。けれども僕はその答えをまだ見つけられずにいる。多くのひとにとっても同じではないかと思う。
2007年10月13日(土) 「徳川慶喜の子ども部屋」
■[読書日記]「徳川慶喜の子ども部屋」
これもベッキーさんシリーズの参考文献。徳川幕府第十五代将軍徳川慶喜の孫娘である著者・徳川喜佐子さんが幼少時代を過ごした小石川第六天町での生活描写を中心とした回想録。ちなみに著者の姉は高松宮妃喜久子。彼女も女子学習院に学んでいて、前回取り上げた朝吹登水子さんとの近い時代、近い社会的地位の下で生活しつつも、その暮らしぶりやものの考え方が異なるのが面白い。一方は実業家の娘で外国人との交流が日常的にある環境で育ち、もう一方は武家の末裔とはいえ宮家の影響を色濃く残した環境で育っている。軽井沢での生活描写の違いや太平洋戦争に対する記述もかなり異なっている(著者の夫は旧帝国陸軍の軍人であることも影響しているとは思うが)。現在の世を生きる我々が想像する上流階級というのは朝吹さんのような生活かもしれないが、おそらく大半は徳川さんのような生活だったのではないかと想像されうる。
家は一種の会社であり、それぞれに職務が有り、それを全うすることが義務とされた。会社の中で生活しているような感覚。しかしそれを窮屈なことだと思うのは正確ではない。このあたりの生活感覚は、商売をしている家も似たり寄ったりなのだが、事実自分もそういう環境で生まれ育ったから、殊更そう思う。それを窮屈だと思うのは、おそらく「会社」の定義が異なるからなのだろうと、もうひとつ読んだ平川克美さんの「株式会社という病」で思ったのだけど、それはまた次回に。
2007年9月30日(日) 「私の東京物語」「私の軽井沢物語」/沖縄での「集団自決」教科書検
■[読書日記]「私の東京物語」「私の軽井沢物語」
ベッキーさんシリーズの参考文献になっていた朝吹登水子さんの本2冊を読了。物語に挿入されている女子学習院にまつわるエピソードや軽井沢での生活描写の大半は、この本から借用されている模様。ということは、とりもなおさずそういう生活をしていたひとがいらっしゃる、しかもそれなりの数、しかもそれほど遠くない昔に、である。本当に70年ぐらい前までは、物語で書かれているような上流階級の世界があり、しかもそれが社会的常識として存在し、別の世界として成立していたわけです。その是非はどうであれ、しかも形を変えて今も残っているかもしれないけれど、確かに幾ばくかのものは失われてしまったという事実はあると思う。もう昔には戻れないけど。残念ながら。
話に出てくる高輪の朝吹邸(現東芝高輪倶楽部)が、大学時代の友人の自宅のすぐ近くということがわかってちょっとびっくり。桂坂あたりはよく歩いていました。友人の部屋からも高輪プリンスホテルの庭(元北白川宮邸)が見えるし、昔の地図を見ると品川駅の向こう側(港南口)は海なので、東京湾が見えるという記述も納得。
■[読書日記]沖縄での「集団自決」教科書検定に対する11万人集会
今朝の朝日新聞(東京版)の1面を見て、ある本の感想を書いていなかったことを思い出したので、ちょっと書いてみる。
以前に取り上げた本の1つ「新憲法の誕生」を書いた古関彰一さんの近刊。日本国憲法が持つ平和主義の歴史的意味と国際情勢から見た立ち位置を、自衛隊、安保条約、集団的自衛権の問題など戦後日本がたどってきた安全保障政策から読み解いている。2002年の著作ということで、9.11後の世界の安全保障の有り様についても触れられているのが興味深い。
この本を見つけたときに図書館の書架を眺めていて感じたのだけど、結局日本国憲法の問題の行き着く先がいわゆる9条の問題に集約されてしまうのはなぜなのかというのは、憲法の本を読み始めようと思ったときの最大の疑問でした。しかしこの本を通じて、それは他でもなく、当時の国際情勢から日本が独立した国として認められるには、とりわけ9条のような条項を持たざるを得なかったという憲法の成り立ちによっていることを理解しました。また同時にそれは現代においてもやはり変わっていないということも。日本国憲法とは日本における最高法規であるという国内のメンタリティとは独立して、世界とりわけ東南アジア地域において日本が他国とどのように関わっていくのかを宣言する側面も持ち合わせていて、日本自身がどうしたいかということだけで憲法を考えるのでは全く足りないのだということに気づかされた、というのが正直なところです。以下、引用。
改憲構想の根本には、まず、第一に、一貫して日本が国際社会において、米国の要請に応えられる経済力に見合った軍事力による協力をしたいという願望、一言で言えば「普通の国」になりたいという願望がある。しかし、戦後も半世紀を過ぎた現在、それはもはや幻想でしかないことを知るべきである。本書で既に述べたごとく「日本を守る自衛隊」は、有事の際には米軍の指揮下にある。米軍の指揮下にあるが故に、自衛隊は国際社会で認知されている。この事実である。憲法を改正して「国防軍」を創ったとしても、有事の指揮権を日本が独自に持つことはできない。一国の指揮下で、一国のための行動する軍隊は、もはや米軍を除いて、先進国に存在することは不可能なのである。(p.244)
そして、この状況がそのまま反映されているのが今の沖縄の現状で、9条の持つ「平和憲法」というある種の理想を国民に対して担保するために沖縄が捨石にされているのではないかとすら思えるのです。9条を「平和憲法」として守るという主張に沖縄の現実をどうすべきかということが過分にして触れられない。今回の11万人の集会は多くの日本人が持つ沖縄に対する無理解の現れのような気がしてならないのです。
2007年9月19日(水) 「女子学習院五十年史」他
■[読書日記]「女子学習院五十年史」他
先週末、地元の図書館に寄った折にダメもとで「女子学習院五十年史」を検索してみると、書庫に蔵書されていることがわかり、早速図書館のひとに頼んで書庫から出してもらう。表紙には八重櫻の校章が捺されていて、発行は昭和十年となっている。もちろん非賣品。なんでこんなものがあるのかと頁をくると、やはり某氏からの寄贈となっていた。紙は随分と日焼けていたが、状態はよい。表紙からしばらくは皇后陛下をはじめ宮家の女性の方々の写真が載っている。その後は華族女学校からの歴史がつづられていて、最後には卒業者の名簿まで載っていた。時代が時代なればおよそ市井のものが見られるような代物ではなかっただろう。なんだか妙な感慨を覚える。
聞くと特に貸し出し禁止というわけではなく借りられると言われたたが、さすがにこれだけの歴史的資料をおいそれと借りるのもはばかられたし、ここにくればいつでも見られることがわかったので、とりあえず女子学習院長の序と巻末にあった校内見取り図をコピーする。
ついでに東京の古い地図を探すと明治、大正、昭和の一万分の一地図の資料があったので、ちょうど同時代と思われる大正十四年を選択。早稲田、上野、四谷、日本橋、三田、新橋、品川の七葉をコピー。このころの地図は見ていてとても面白い。
また「街の灯」の参考文献に載っていた朝吹登水子さんの「私の東京物語」「私の軽井沢物語」が書架にあったので、これを借りて辞去。大収穫だった。
2007年9月06日(木) ベッキーさんシリーズ妄想
■[読書日記] ベッキーさんシリーズ妄想
2冊を通して読んでいろいろと思いを巡らせる。
特に英子の父、花村氏。ベッキーさんの身元からするに、これを娘のシャプロン兼運転手として引き合わせたところを見るとなかなかの人物といえよう。別宮先生とは友人のような台詞があり、英子がベッキーさんに英語を教えた話で笑ったところから、英国滞在中に何らかの関係があったのかも。形上は雇い入れたことになっているがが、実際は匿ったというのが本当のところだろう。別宮先生から自分に何かあったときにはというような話が交わされていてもおかしくない。また息子(英子の兄)に対して、本来であればとっくに会社の仕事をやらせていてもおかしくないのに、大学院へ行かせているのは当然わけありだろう。
こう考えると3冊目がすんなりとこれまでと似たような展開になるとは思えない。特にベッキーさんの身元が英子にも割れてしまったので、これまでどおりの穏やかな関係は望むべくもないか。さらに舞台となっている時代が時代だけにどうしても暗い想像になってしまう。
ただ北村薫の作品は、そういう暗さを背負っていても根底には絶対的な生への肯定がある。「幻の橋」で「死なないでください。」と言った英子。「秋の花」で「救うことはできる。そして、救わなければならない、と思います。」と語る円紫さん。待ち遠しいです。
2007年9月05日(水) 「街の灯」再読
■[読書日記]「街の灯」再読
たまらずベッキーさんシリーズ1冊目を再読。「玻璃の天」を読んでからこちらを読むと、やはり物語の序盤という感じが否めない。過去の感想では「銀座八丁」を推していたが、表題作「街の灯」の方が英子の成長過程を垣間見るようで楽しい。
それはそうと作中に「村上開新堂」の菓子の話が出てきたのだけど、この夏に帰省の折に親戚のうちへ遊びに行ったときに帰りにお土産で「村上開新堂」のロシアケーキをいただいた。もちろん京都のものなので、はてどういう関係かとぐぐると、東京(こちらが作中の舞台)と京都にそれぞれ店があって、お互いに同じ名前を名乗りつつも交流はなくなかなかわけありっぽい。「幻の橋」の内堀家みたいなもの?まぁ帰ったら聞いてみよう。ともかく東京の方の「村上開新堂」は一見さんお断りでいまも変わらぬ商売をつづけているというのはすごいことだ。
そういえば作中の女子学習院は青山となっていて、青山表参道商店街のページを見ると今の秩父宮ラグビー場付近にあった模様。毎日ごく近くを通る身としては、この通りを英子を乗せたベッキーさん運転するフォードが通っていたのかと思うとなんだかドキドキ(フィクションだってば)。作中には昭和初期の東京の地名や風景描写がたくさん出てくるので、そのうち古い地図や写真を見ながら追ってみようと思う。
2007年9月03日(月) 「鉄道」×「蒼井優」
2007年9月02日(日) 「玻璃の天」(北村薫・文藝春秋)
■[読書日記]「玻璃の天」(北村薫・文藝春秋)
先週は出張でNRT-SFOを往復してたのですが、機内の楽しみにと思ってとっておきの一冊を持参。しかしこれがベッキーさんシリーズの一冊とは読むまで知らず、、、いやー至福のひとときでした。お酒が入って落涙。「幻の橋」で英子が海老塚さんに「死なないでください。」という場面と、「玻璃の天」のラスト、ベッキーさんが英子に声をかける場面。特に後者は「お嬢様−」の台詞と「−参りましょう。」の間が偶然とはいえページを跨いだ形になっていて、この行間、ページをめくるその間にすべてが凝縮されているように感じられました。呼びかけ、つむぎだされた言葉がいつも通りの「参りましょう」という言葉だったことに、きっと英子もベッキーさんの置かれた立場の儚さを思い知ったことだと思います。
前作ではベッキーさんは謎の人物のままでしたが、今回ははっきりとその輪郭が現れると同時に、主人公の花村英子が随分と話の主導権を握るようになってきたように思います。「円紫師匠と《私》」シリーズと同じく、推理小説、時代小説の形を取りながらも主人公の成長物語をしっかりと織り込んでるところが僕にとっての北村作品の最大の魅力です。や、戦前の上流階級のお嬢様モノというのも十分魅力的なのですが。
ちなみにYahoo!ブックスのインタビューを読むと興味深いです。実は参考文献になっている「女子学習院五十年史」というのを読んでみたいと思いましたが、やっぱそんなに簡単に手に入るものではなさそうですねー。
前作の感想はこちら。読み直したくなって夜に散髪に出かけたついでに地元の書店に寄って文庫版を購入。
2007年9月01日(土) 引っ越しました。
■引っ越しました。
naucon.orgでMovable Typeでやっていた日記がどうにも記事の追加ができなくなってしまいました。再構築はできるのだけど記事の追加ができない。いろいろ調べるとBerkeley DBの問題っぽいのですが、他のDBへの変換もうまくいかなくて、どうにもならなくなってしまったので、これを機会に自前でやるのを捨てました。
しかしいまさらはてなって3週ぐらい遅れてる気もしますがw。ともあれ2007年9月からはこちらということで。





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