聞えていますか?『志乃ちゃんは自分の名前が言えない』

漫画志乃ちゃんは自分の名前が言えない感想押見修造

志乃ちゃんは自分の名前が言えない

志乃ちゃんは自分の名前が言えない

帰宅途中の電車のなかで『志乃ちゃんは自分の名前が言えない』を読んでズガーンときてしまったので感想を。
この物語には「言語を信じる」「歌」「書く」という僕にジャストワードな展開がテンコ盛りだからです。

この漫画は、自分自身の経験を下敷きにして描きました。  
       『志乃ちゃんは自分の名前が言えない』「あとがき」より。押見修造

人間の快楽で頂点を占めるのはコミュニケーションだと僕は思っています。
なにもなくてもコミュニケーションさえうまくいけばそれだけで楽しい。
逆に周囲にものが満ち溢れていてもコミュニケーションがうまくいかなければ気分はどん底に落ちる。
思春期は特にそうです。放課後、休み時間、友達と話しているだけで楽しかった天国のようなあの時間。
でも逆にコミュニケーションがうまくいかなかったら放課後や休み時間はもとより授業中だって地獄に違いありません。
押見修造の『志乃ちゃんは自分の名前が言えない』はそんな思春期の地獄と天国を描いています。

この物語には「言語」という、コミュニケーションにおいてもっとも原初的なツールをうまく使いこなせない人物が三人登場します。

志乃は言葉がうまく話せません。日常会話さえおぼつかない程です。その為に周囲にコンプレックスを感じています。
しかし会話もままならない為に友だちも出来ず、相談すら出来ません。その影響で精神的に負のスパイラルに陥り、やることなす事全てがうまくいきません。なにかをする度に必ず失敗し、自己嫌悪が募っていきます。

加代は会話ができます。でも言語を芸術に昇華させる「歌」を唄うのがとても好きなのに、とても下手なので、コンプレックスから心に鬱屈を抱えています。

菊地君は会話ができます。だけれど、常に周囲の顔色を窺っているので、心のどこかに不安があります。彼は不安を隠すためにとにかく喋ります。心を許す友人が傍に居ればタガが外れて余計なことまで喋って失敗してしまいます。

志乃ちゃんは自分の名前が言えない』は「言語」に振り回される高校生の姿を生々しく描いています。
ここには思春期につきものの恋愛友情もあります。だけどそれぞれが言語をうまく扱えない為に行き違いばかりです。
コミュニケートがうまくいかないと地獄、と僕は前述しましたが、志乃の日常は地獄です。
加代や菊地という友人が生まれても結局は「歌」「会話」といった言語に阻害されてしまいます。
この三人は言語をうまく扱えないことからコミュニケートに関しては人一倍敏感になっています。
心が剥き出しのまま日常生活を送っているのです。
こう書けばこの三人の絶望が分かって貰えるでしょうか。

その一方でこの物語の水面下では絶望と同じくらいのスピードで希望がぐんぐん走っています。
僕たちはこの物語を読む途中、幾度もその希望が水面下から少し顔を出してはすぐにまた潜ってしまう瞬間を何度も目撃させられます。それが切ないという感情です。

この物語の中では「言語」をうまく扱えない志乃に、周囲の人間が「病気だから」「緊張しているから」というとても分かり易い言葉で人生を諦めさせようとします。
でも志乃をはじめとして加代も菊地も諦めたくありません。志乃も加代も菊地も人生をある時点で諦めてしまったゆえに孤立することを知っているからです。
だからこの物語は「言語」「コミュニケーション」がうまく使いこなせないひとがどうやって人生を生きていくか、という問いかけにもなっています。
ページを捲る度に、新たな展開が走り出す度に、何度も試行錯誤を繰り返し、その度に希望が水面下から頭を出し、沈み、だけれども徐々にその全貌がゆっくりと、確実に、でもどこか覚束ない不安とともに読者と志乃たちの前に姿を発現させます。それが多分、嬉しいということです。

少しだけネタバレをします。志乃は一度だけ名前を言えます。でも結局、最後の最後は自分の名前をちゃんと言えないまま人生を送ることになります。
けれど志乃はちゃんと自分の名前をひとに伝えることが可能になります。

誰かとコミュニケーションをすることはとても大事です。それは苦い過去から、すこしだけ息をするのが楽な未来に繋がります。
確実な答えはありません。人生は一発で逆転しません。それを志乃はよく知っています。逆転すればいいのに、という甘い幻想を抱きつつもいつも裏切られているからです。だからこの物語には一発逆転はありません
一部の読者は「あるじゃないか」というかもしれません。違います。
それは諦めずにコミュニケーションを繰り返した、思考錯誤の末のひとつの答えなのです。だからこの物語のラストはありうる不安定な答えのうちのひとつでしかありません。
でも、そうやって思考錯誤していれば誰かが傍にいて言語とコミュニケーションで助けてくれる。
それは言語とコミュニケーションを信じていればこその希望です。この物語はそういう物語です。
読み終わった後、最初のページと最後のページを較べて見て下さい。
それが志乃が不安定ながらも思考錯誤を繰り返したからこそ、辿りついた、ありうるうちのひとつの答えなのです。

ウィズ・ティース

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ラスト・フォー・ライフ

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