ユニヴァーサル野球協会『広島カープ誕生物語』

中沢啓治著作集 1 広島カープ誕生物語

中沢啓治著作集 1 広島カープ誕生物語

現在、色々あって『問題作』になっている中沢啓治の『はだしのゲン』。ここのところ、漫画や映画に対し「俺が気に食わないから」という理由だけでネットの拡散性を利用して問題でもない作品を問題作指定にしたてあげ、一部の識者(と自分で思いこんでいる人々)を煽って気に食わない作品を抑え込もうという流れがある。
どうかとも思うが、それはいまに始まった話しではないのでそれはさておき『はだしのゲン』といえば、冒頭のピカのシーンが問答無用にインパクトを残すのであるが、僕にはピカ以外にも色々と記憶に残っているシーンがある。

まず、イワシが大量に浜に打ち上げられたと聞きつけてみんなで獲りにいくシーン。これは戦後に漁業が一時ストップしてしまった為にイワシがあふれて浜に打ち寄せただかなんだかが原因だったと思う。しかしそんな事情を知るよしもない当時小学生だった僕には黙示録のようで無気味であった。

第二にゲンの弟分がヒロポン中毒になってしまうシーン。ヒロポン自体は実はどうでもいい。僕的にはヒロポンを巡ってみんなが893相手にガチの喧嘩をやっているところが記憶に残っている。「ガツッ」「ギッ」とか893を本気で殴り、後々、刺されてしまうという因果応報というか「893とガチバトルやっちゃうんだ」という強烈なインパクトが残った。

第三に広島カープの募金樽(ドラム缶だったっけ?)にお金を投じるシーン。それまで全く描写されていなかったのだが、ゲンはどうやら広島カープのファンであるらしく、お金を募金樽に入れては「これで選手が芋でも食えればいいのう。走っている最中に屁をこけば走るスピードもアップじゃ」(うろおぼえ)だとかなんとかゲンが言ってて「広島カープ」って貧乏なのか、というイメージを僕のなかに強く残した。

さて『はだしのゲン』を小学校時代に読んでピカの脅威と共に「カープは貧乏」というイメージが僕のなかで生成されてしまった。
それから数年、多感な年頃の時代に『コンプティーク』だかなんだかのパソコン雑誌でアニメーターの赤井孝美

「広島カープは異常に弱いチームなので僕は応援しているんですよ!

とかなんとかを漫画で描いていたのに出くわした。

そこで僕のなかには「広島カープ貧乏」にプラスして「広島カープ最弱」というイメージが付与された。

広島カープは「貧乏」で「最弱」。当時、大進撃を続けアニメや漫画になってチヤホヤされていた巨人軍とは雲泥の差があった。それ故に僕はこの時以来、広島カープになんだか他人事ではないような親近感を覚えた。


前置きが長くなった。復刊された中沢啓治著作集(1)『広島カープ誕生物語』である。
購入理由はカープが貧乏で最弱の上にまたしても別の作家がツイッターで「いやー僕はカープ好きなんす。この本は絶対買いますよ」とpostしていたのでなんとなく「ああ〜ここでも似たようなこと言われてんのか」とこれまで漫画で蓄積されてきたイメージが再結晶したのと「また最弱貧乏だけど応援とか言っているひとがいるので俺も応援の一環として買おう」みたいなものに背中を押されたからである。
や、この本買ったからって広島カープは強くなりませんよ。

ところが読んでみるとこれは普通の「広島カープの物語」ではなかった。同時に「戦後日本の物語」でもあったのだ。

まず、この漫画の特筆すべき箇所はモノローグがほぼ存在しない点である。ダイアローグと描写のみで戦後発足された広島カープとそれを応援する人々の生きざま、戦後日本から高度成長期日本へと発達していく様を描いている。

主人公は進とその仲間たち。彼らは大の野球好き。金も目的もない戦後の廃墟のなか延々と野球練習を繰り広げ、時折進駐軍と試合を行っては彼らに勝った報酬としてアメリカ製のチョコレートや缶詰を手に入れ、闇市で売りさばき生計を立てている。そんなある日、仲間が息せききって駆けてくる。ただごとではない。理由を問い詰めると驚愕の事実が。
なんと地元広島にプロ野球球団が誕生するというのだ。

こう描かれると僕としては「主人公が成人して広島カープに入団するのかな」と思っていたのだが、主人公、友人共々、最後の最後まで一般庶民であり、熱狂的な広島ファンで終始する。語り手は庶民。
それがどういう効果をもたらすか。僕は「この作品にはモノローグが存在しない」と書いたが、庶民目線で広島カープ誕生から一九七五年の広島優勝までを描いているので、いやがうえにも戦後広島の「日常」が入り込んでくる。つまり広島カープを庶民目線で語る行為が、貧乏国日本から高度成長期日本に推移していく日本の日常の姿も自動的に描くことに繋がっていく。

例えば主人公たちが移動に利用する鉄道はSLであるが、広島カープ結成から二十六年後の東京での巨人×広島戦では新幹線を利用する。
なんだか日本史も同時に描くのであればモノローグ付きで一コマ「1964年新幹線開通」とか入れそうなものだが『広島カープ誕生物語』はそう言う事を一切しない。東京まで応援しに行くから新幹線に乗る描写をする。
広島球場も然りである。最初は「廣島カープ紅白第三戦」と書かれた垂れ幕が下がっているしょぼい球場の周囲にバラック小屋ともいえないような屋台のテキヤが並ぶが、後年の広島球場(初代広島市民球場)は夜間試合用のライトやら観客席が大幅に増えるやらで壮観である。当然ながら広島カープの表記は廣島カープではなく「広島カープになっている。
野球狂の主人公は足しげく広島球場に通うが、仕事が忙しくなり、時間は無いが金は手に入る状態になると普及をはじめたラジオで応援し、物語の終盤では「昭和の三種の神器」である「テレビ」での野球中継にかぶりつきになる。
主人公の親代わりである豆腐屋オヤジの豆腐の販売方法は自転車であるが、後半では軽トラに変わっている。
ルーツ監督が広島カープを退団して帰国すると聞けば感謝の言葉を叫ぶ為に広島空港に足を運ぶ。

こうの史代の『この世界の片隅に』では戦闘パートはほぼ皆無でひたすら戦中日常のディティールだけを積み重ねて第二次世界大戦中の広島を描いた。『広島カープ誕生物語』は同じ手法で戦後の広島を描いている。その点では『広島カープ誕生物語』とは『この世界の片隅に』の「その後の物語」とも言えよう。もっとも中沢啓治の『広島カープ誕生物語』の上梓が圧倒的に早いのであるが。

僕は冒頭に「広島貧乏」「広島最弱」を連呼したが『広島カープ誕生物語』では「何故広島が貧乏なのか」「何故弱いのか」をきちんと説明してくれる。この辺はモノローグなしのダイアローグのみなのでやたらと説明科白が多くなるのが難点だが(ということは矢張り中沢啓治はモノローグを意識的に外しているのだ)、野球に詳しくない僕でも「あ、なるほど」と納得してしまう。
ちなみに広島カープが生まれたのは読売新聞の正力松太郎アメリカにならって二リーグ制にしようという発想が原点にあるので「広島カープ」を追い掛けることは軽く日本の近代野球史を振りかえることでもある。

ところで戦後日本といえば昭和である。最近『のたり松太郎』のテレビアニメ放映がはじまって、昭和世界のおおらかさというか、いい加減さ、ガツガツしたモラリティ無視の格差社会、暴力社会が平成生まれのぼっちゃん嬢ちゃん達を震撼させているのだが、昭和時代は「よき思い出」のオブラートに包まれてこそいるものの、実はモラリティ無視の格差ガンガン、差別ガンガン、暴力ガンガンの現代社会に負けず劣らずの時代だったのだ。

『広島カープ誕生物語』でもこんなシーンが……


これ今やったら確実にツイッターで拡散されて懲罰もんやろ……

またこんなシーンもある。


「剥き身の刀の上を歩く石本監督のすごさ」的な都市伝説のエピソードである。いまなら確実にトンデモ扱いだが、昭和という時代はこういうウソっぽい自慢まがいの都市伝説をファンが熱く語る時代でもあった。高橋名人毛利名人と『スターソルジャー』で対決する為に西瓜を指で割る練習をしたとかね。

ところでまた冒頭の話に戻るが『はだしのゲン』では募金樽の描写があったが『広島カープ誕生物語』でも主人公が募金の樽を抱えて球場を練り歩くシーンがある。
さらに蛇足だが『はだしのゲン』では893とのガチバトルがあったが『広島カープ誕生物語』でも広島が負けて悔しい主人公、進がヤケ飲みしていると893にからまれ、親代わりの豆腐屋のオヤジ共々ガチで893と殴り合うシーンがある。やっぱり広島と福岡は893おおいんや……(映画の影響)

広島カープ誕生を描く『広島カープ誕生物語』とは昭和の高度成長期日本を描く物語でもある。中沢啓治の描くごった煮の消毒されていない昭和。しかしこの物語は戦後の苦境やピカの影響、高度成長期を描きながらもとことんブレない。
一重に作者含め登場人物全員が、生粋の広島カープキチ(褒め言葉)の為、視点が「戦後日本」に逸れてしまうことなく、最後の最後まで「広島カープ」を徹底的、熱狂的に追い掛けているからだろう。

この世界の片隅に(前編) (アクションコミックス)

この世界の片隅に(前編) (アクションコミックス)

吉原花魁日記 光明に芽ぐむ日 (朝日文庫)

吉原花魁日記 光明に芽ぐむ日 (朝日文庫)

夏彦迷惑問答 誰か「戦前」を知らないか (文春新書)

夏彦迷惑問答 誰か「戦前」を知らないか (文春新書)