このブログは堂本光一ファンと堂本剛アンチと堂本剛ファンと非KinKi Kidsファンによって乗っ取られました

書いた本人も最早うろ覚えの堂本剛についての記事だけが独り歩きし、まあそれならそれで勝手に羽ばたいて下さいなんてな事を思って、

毎日肛門を見られるデイズをこなしていたところ、文明だね

このブログとGMAILが連動してあるので、なにがしかのコメントがあると私に教えてくれる。

今気づいたところ、一年間完全に放置してあったこの場所も

いつの間にかKinKi Kidsファンの盛り場 という程盛ってはいないのだけども

堂本剛 痛い で検索するとこのブログがトップに来る仕様な模様で

では坂上忍 うざい で検索した際にもこのブログがトップに来る様に記事を書いてやろうか

とはあまり思わず、しかしながら日々色々思うことはあって

例えば、

クリシェを使った作曲では何故名曲が生まれやすいか だとか

ポール・マッカトニーの代名詞であるベースの下降ラインが作曲にどの様に作用するかや

メロディの快、不快が全て対位法に基づくものであり良いメロディの9割程は構成に依存しているという説を打ち立てたり

そういったものに自分なりの答えがやっとこ出て、

作曲に対して興味がある人に対しては面白いレポートが書けると思うのだけども

今日も今日とて、肛門を見れれる事に忙しい。

最近のマイブームは、「味しらべ」なんてな事を言うとこいつはトラディショナルなコンコンチキかと思う人もいるだろうが

炭酸水を苦いと感じるのは私だけでしょうか

読んでくれた人に感謝。

良いお年を

ぎっくり腰を発症した結果、家中に能的空間が出現

かがんだ際に少しだけ腰の辺りが脱力する感じがあって

おやっ と思ったのだけども無視してガンガンに肉体労働していたところ、

なんか様子がヘンです…

となって現在家中に能的空間を演出している。


腰を痛めると、いつあの魔女の一撃が入るかと恐怖に震えるあまり

何をするにもゆっくりと時間を経過させるのだけども

不思議なもので、ゆっくりとした動作をする事により何故だか荘厳な感じ、厳かな感じが部屋中に漂い

ベッドからトイレへの移動という日常のそれが

安土桃山から続く厳粛な儀式かの様に感じられ

ついつい口から

びょびょびょ と出て来て上機嫌の様相を呈しているのだけども

上演しているこちら側サイド、演者の内心は

ごめんなさい 勘弁してください といったもので、

観客と一体になったステージングとは言い難いものがある。


昼には焼きそばバゴォーンを食べたのだけども、

私の静的な振る舞いとは打って変わってバゴォーンのロゴの勢いたるや凄まじく、

普段であれば台所でお湯を入れ、居間に戻り2分程放心して後、わかめスープの準備

箸の準備等をするところ、

流石はアルデンテの魔術師、伝統芸能的なすり足移動の時間も加味し

台所で2分を過ごし、2分30秒には湯切りを済ませ移動開始。

しかし移動がおせえ。

わかめスープを持ったままに魔女の一撃が入ったところを想像すると

思うように足が進まず、ようよう食べ始めた頃には

マイアルデンテはどこへやら。

麺も人も腰が大事だね 

って落語の様な話。

何かこのブログ読んでる人が日本に何人かいるらしいよ

ふと気が向いてしれっとブログを更新してみたところ、いきなりコメントが2件書かれていてすごい驚いた。

そして何故こうも堂本剛の記事にだけコメントがされていくのか

ジャニーズ事務所は私に謝礼か作曲の依頼か損害賠償請求をしなくても良いのか

と考え、洋楽における必聴盤を挙げやがれという声に答えたくこうしてキーボードのJに右手の人差し指を、Fに左手の人差し指を待機させ

現在頭の中の必聴盤と書かれたCDラックを左から眺めているのだけども

まず私という人間を形作ったアルバムをしゅっと並べると

ビーチボーイズ「ペットサウンズ」

レナード・コーエン「ひとり、部屋に唄う」

プリファブ・スプラウト「ヨルダンザカムバック」

レディオヘッド「OKコンピューター」

マイ・ブラッディ・ヴァレンタイン「ラブレス」

スティーリー・ダン「エイジャ」

マイルス・デイヴィス「カインド・オブ・ブルー」

ジョン・コルトレーン「至上の愛」

マルコス・ヴァーリ「サンバ66」

ダニー・ハサウェイ「ライブ」

ザ・ビートルズザ・ビートルズ

ベック「オディレイ」

XTC「スカイラーキング」

ヴェルヴェット・アンダーグラウンド&ニコ「ヴェルヴェット〜」

ティーンエイジ・ファンクラブ「グランプリ」

ランシド「アンドアウトカムジウルブス」

ストロークス「イズ・ディス・イット」


とここまで書いたものは、必聴盤過ぎてもう知ってるよハゲと思われるものですが

必聴盤というのはそもそもそういうものです。

では、ほんの少しだけマニアックにしたものを以下に書き出します。


ビーチボーイズ「サンフラワー」「ラブユー」

ザ・ラトルズ「ザ・ラトルズ」「アーキオロジー

エアロスミス「ナインライブス」

ニルヴァーナ「インセスティサイド」

フェニックス「ウルフガングアマデウス」「ユナイテッド」

ロイ・ハーグローヴ「ハードグルーブ」「ハードグルーブ2」→(今アマゾンで見たら1500円で中古あったのでお買い得です。)

マンサン「アタックオブザグレイランターン

ザ・タイムス「ポップゴーズアート」「ゴーウィズザタイムス」

ザ・スミス「ハットフルオブホロウ」

イヴァン・リンス「今宵楽しく」

ミルトン・ナシメント「街角クラブ」

プライマル・スクリームバニシング・ポイント

キッス「ロックンロールオーバー

ジミ・ヘンドリックス・エクスペリエンス「ボールド・アズ・ラヴ」

ジーザス・アンド・メリー・チェイン「キスは罠」

ピクシーズ「サーファーローザ」

スクリッティ・ポリッティ「キューピッド&サイケ85」

スクエアプッシャー「ハードノーマルダディ」

フィルスペクター「バックトゥモノ」

ジョージハリスン「クラウドナイン」

エレクトリック・ライト・オーケストラ「アウト・オブ・ザ・ブルー」「タイム」「ディスカバリー

10cc「愛ゆえに」


段々疲れてきました。

ジミヘンとか普通に入ってるけどどこがマニアックやねんハゲ

そういった声が聴こえてきますが、意外に見落としがちなアルバムであったり

アルバムよりコンピの方が良いアーティストもいたり

必聴というからには必ず聴くべきものであって、世の中には必ずしも聴かなくてもよい音楽が溢れている訳で

さすがに今挙げた全部聴いてるわハゲと言う猛者がいらしましたら

私に何か良い音楽を教えて下さいまし


コメント頂けて嬉しかったです。アディオス

PS これにこりずにたまには更新しようかなと思った

ポケットにイノセンスが入っていない

耳毛を発見した際についでに発見されたのが自分のおっさん化であったのは悲しかったが

先日、ばばあから貰った物の賞味期限をチェックした際にも

いつの間にか失われていたマイイノセンスに気がついてしまって、

子供時代婦人方から食料を与えられた際には、賞味期限という概念さえも曖昧であったのに

折角ご親切で頂いたものであるにも関わらず、賞味期限をチェックせずにはいられないこのマイブロークンハートが寂しい。

そして私のイノセンスが失われた原因は、

実家の土木仕事をしていた頃に、度々食料をくれた小野さんがくれたマロンクリームパンが原因である可能性が高い。

当時、タダで貰える物はゴミでも貰う くらいのハングリー精神溢れる若者であった私は

その時も「サンキュー小野さん」と言ってパクついた訳であるのだけども

一口食べて、おやおやおかしいですよ と思ったというのは

チーズ蒸しパンかな? と思う程に餡と外皮の境目が曖昧であったからで

クリームパンのパンの部分がクリームに侵食されて、それはもうトロトロであった。

賞味期限は4日程過ぎていた。

その後、私はトイレでイノセンスを水に流してしまって

今では疑心暗鬼で日夜不眠、目がギラギラとして筋骨隆々である。

ニルヴァーナをもう1度

チャットモンチーは女ロックというジャンルに風穴を開けたか

シシャモというバンドを見る限り開いたようだ。

というのも、女ロッカーという言葉を聞いてイメージされるものは

それは正しくジャニス・ジョプリン的であるという事だった90年代、

杏里が正しく女ロッカーであり、プリンセスプリンセスもまた女ロックバンドであった日々

最後の女ロッカーは土屋アンナで決まりだなと思っていたところ

私の耳を高畑裕太(22)ばりの強引さで支配したのは黒木渚「ふざけんな世界、ふざけろよ」であった。

ふんわりとした糞をカリッとした糞でコーティングしましたみたい音、

特に歌詞の譜割りの糞さに私がゴッホであれば即耳を切り落とし、

全身にお経を書いて貰ったうえで厄を払い、しかしながら和尚さんのおっちょこちょいで耳だけお経を書き忘れ

無念にも耳だけ悪霊に持っていかれた みたいな気分で心は一杯になったというのも

黒木渚のロック観が90年代で完全にストップしていたからで、

そういえば90年代は ニルヴァーナの時代よなあ と詠嘆。

ニルヴァーナが正しく音楽的に評価される日はまだ来ないのか と驚嘆。

ブルースやモードジャズ以降、最も音楽的な謎の残る物件であるというのは

つまり、

省略された何かしらがあった際、それを元の形に戻したのであれば

それは正しい形に戻った 復元された と言えるはずなのに

ニルヴァーナの「スメルズ・ライク・ティーン・スピリット」に代表される楽曲では

省略された形がそのまま完成形になっている という謎である。

ギターで弾かれるコードは全て3度の音が省略されたパワーコードであり

弾き語り用のコード進行では

Em−A(Am)−G−C

なぞと表記され 2番目がAの表記とAmの表記どちらも見られる点から

西洋音楽理論的にもメジャーかマイナーかを同定され得ないコードであって

これだけでも研究の価値があるのだけども、

この曲をKEY=Gだと過程した際にGのコードの部分で

本来AmからGに以降した場合に感じられるトニック感が薄い事から

あーそうか、

結局のところ、FもF♯もコードの中に無いんだなと気付き

そもそもKEY=G もKEY=Cもどちらも同定出来ないのだなという事で、

ニルヴァーナを語る際に浮遊感という言葉はあまり使われ無いのだけども

KEYを同定出来ない事から来る浮遊感は確実に発生していると見て間違いない。

また

コードをある程度の早さで展開しリフとするニルヴァーナの楽曲は、

コードの本来持つ機能が失調している可能性があって

これにより、よりモーダルな作曲が可能になっている気がする。

そして、その部分にこそカート・コベインの作曲の本質があると私は睨む。


ほえる犬は噛まない のレンタル落ち中古DVDを300円で買った夜に

良い音楽、悪い音楽

去年あたりから菊地成孔信者としての活動をしてきたのだけれども

菊地成孔大谷能生の「アフロディズニー」まで読み、また日々様々と思考し思った。

良い音楽とは何か という事の答えは、

自分は何を良いと思うか を突き詰めていった果てにしかない。

楽家もまた、音楽家の自負があるのであればエントロピーから逃れる事はできず、

歴史の破壊を声高に叫んだパンクロッカーも、

パンクロックが歴史になってしまった時には、パンクロックを破壊するしか無い訳で

そうやって、ジョン・ライドンジョニー・ロットンになり

ジョニー・ロットンジョン・ライドンになってきた。


私がまだ10代のストリートギャングだった頃、

良い音楽とは、良いメロディーの事であった。

故に良い音楽にはB'zやBOOWYといった音楽が含まれ、ただただ受動的にそれを受け入れ

何も考えずにBOOWYの下敷きを使っていたのである。

それから、ベースという楽器を始めると

良い音楽とは、良いベースの事を指すようになり

ビリー・シーンからジャコ・パストリアスを経てフリーに至った後も

ジェフ・バーリン、ジョン・パティトゥッチ、ジャマラディーン・タクマといったテクニカルな面々に魅入られ

現在、

ベースが巧い人はチェックのシャツを着がち という説を立証する為

寝る間を惜しんでチェックシャツを検索していたところ、

いわゆるA-BOYファッションとの類似性を発見。

そこから思考を更に進めると、A-BOYというものが持つ因果

即ち、誰もA-BOYに憧れてそういった格好をするのではなくして

ファッションに興味が無いからこその結果的チェックシャツであり、

逆に言うとファッションを気にする暇と手間を全て楽器の練習、

具体的には音階を速く弾く等の事に費やしている訳で

チェックシャツのベーシストは、基本的にベースが巧い。


私が17歳の頃は、

良い音楽とは、良いアレンジで良いメロディーが良い音で鳴っている事を指していて

これは今もあまり変わっていない。

それから良いメロディーとは何かを突き詰めていった結果、

エルヴィス・コステロの作曲術

ハルカリのラップ

エルメート・パスコアールの大統領演説

が私の中で混ざり合い

それに更に

ビートルズの作曲術

ビーチボーイズの作曲術

テーム・インパラのアレンジ術

アヴァランチーズの新譜を聴いて考えたのは、音楽の未来である。


テームインパラの Let It Happen という曲は、非常に革新的な楽曲構造を持っていた。

ドミナントモーションという言葉があり、音楽は基本的にこの構造から逃れられない。

Ⅱ−Ⅴ−Ⅰ という直接的なコード進行だけでは無く、

ドラムのフィルイン、ベースのオカズ、ブレイク等

時間芸術は娯楽の割合が高まる程、起承転結という構造から逃れられなくなっていき

結果、大なり小なりドミナントモーションは起こり続ける。

ではテームインパラの曲はどうかというと、

フェードインとフェードアウトで楽曲が繋がっているのであって

AとBというパートが切れながらに繋がっている。

AからBパートに行く際のドラムにはフィルターがかけられ

高音が少しずつ減り、音もフェードアウトしていく。

つまり、このフィルターがかかったキックがドミナントモーションとなっているのだけども

ドミナントモーションというのは楽曲にメリハリをつける為にあるものなのであって

普通であればフェードアウトしたキックをもう1度ガツンと頭から鳴らすべき部分で

ぬるんと歌が入ってきて曲が展開する。

これだけであれば、ビーチボーイズ「グッド・ヴァイブレーション」にもこういった展開があるのだけども

BからAに戻る部分でも、フェードインが使われていて

意図してドミナントモーションを起こさない様にしている事が分かる。

これは革新的な音楽的挑戦であり、頼もしい。

こういったアプローチがかつて全然無かったかと言えば、

たぶん 10cc「I'm NOT IN LOVE」のBパート部分の入りとかがそれであろうし

影響も受けているのだろうけども、どちらも素晴らしい。


アヴァランチーズの新譜は、前述のパスコワール理論からはみ出る部分が少ないものの

1曲目は、長い周期メロディーを狙った実験作で大変良かった。

楽家の日々の目標は、いかに長いメロディーを書くか という事である。

そんな事を考えていた最近。

現在オリンピックを見ている。

オリンピックの競技は、基本的に戦争で使う技術が元になっていると聞いたことがある。

槍投げ砲丸投げレスリング どれも原始的である。


そんな中、男子板飛び込みという名の

エクストリーム飛び降り自殺を今ぼんやりと見つめている。