Hatena::ブログ(Diary)

多弦楽器の暴奏 このページをアンテナに追加 RSSフィード

2018-07-24 コウノトリ このエントリーを含むブックマーク このエントリーのブックマークコメント

コウノトリ

なのだろうか。

f:id:glasstic-blue:20180724073732j:image

大和川沿いの堤防沿いの自転車歩行者の専用道路において、日常的に野鳥が多く見られます。

オオサギやチュウサギカモメウミネコなどの大型の白い鳥。そして、カラスカワウなどの大型の黒い鳥は特に多く見られます。小型の鳥でしたらハクセキレイツバメなど白と黒のモノトーンの鳥って案外多くいるものですね。

そんな中でいつものように仕事に向かう途中、対岸の川の浅瀬を見るとオオサギほどの大きさ、そして白い羽を持つ鳥が1羽目に入りました。大きさ的にオオサギだと思うのがは当然なのですが、体の半分お尻側が黒く見える。きっとその鳥の手前にカラスカワウが立って重なって見えているのだろうぐらいにしか思っていませんでした。

それから、その鳥を追い越すような角度で再び目をやると、カラスカワウもいません、1匹だけなのです。だとするとあれは一体何者なのかという疑問が湧いてくるのです。あの大きさで羽を閉じてお尻が黒い鳥はというと、タンチョウヅル。いや、流石にそれはない。目を凝らすと足が長く赤い色をしている。くちばしも赤く長い。

コウノトリということになってしまう。あの、一時期日本では絶滅してしまい、現在人工繁殖真っ最中のコウノトリ。すごく希少種なのでかなり興奮した朝となったわけです。

しかし、そういうときに限ってカメラがないわけで、仕方なくiPhoneの広角レンズで撮影はしてみたものの、この有様。まだ肉眼のほうが大きく見えていたわけですが、そこが残念でならない。

そこで、「日本コウノトリの会・東京大学中央大学協働プロジェクト」の市民調査員に急遽参加して、資料を作成し判断を仰ぐことにしました。見間違いやよく似た鳥といった可能性も無きにしもあらずですし、ここは専門家の判断に委ねることにしました。(こんな写真じゃだめかも知れませんが。)

f:id:glasstic-blue:20180729185215j:image

これは、天王寺動物園繁殖しているコウノトリ。2年前に撮影したもです。これが、何らかのトラブルで逃げ出したということはないのでしょうか。また、アジア大陸から飛来した線も考えられる。しかし一番濃厚なのは兵庫県豊岡からやってきたと考えるのが一番自然でしょう。兵庫県大阪府のお隣さんなので、大陸からやってくるよりは近いし可能性が一番高いといえるのかもしれまえん。

ズームカメラがたまたま持っていれば、足輪の確認とかできたわけですから悔やまれます。重いしかさばりますが常時携帯していればと、後悔が残るばかりです。

2018-05-26 カニはうまいがツメは無理 このエントリーを含むブックマーク このエントリーのブックマークコメント

カニはうまいがツメは無理


f:id:glasstic-blue:20180526163108j:image

「キキッ、キキキキキッ、キキッ、キキッ。」

攻撃的で気性の荒いケリが猛禽類のトビを追い払うために、まるでサイレンのように甲高くけたたましい鳴き声をとどろかせながら威嚇しています。そしてトビに対して執拗に何度も何度も猛烈にアタックを繰り返す空中戦。海に面した河口に位置するこんなところにケリがいるとは。恐らく、近くに羽化して間もないヒナがいるのでしょう。

「ピピピピピピッー。」

それにすっかり気を取られていたようで、近くにいたペアのチュウシャクシギに気づかず逃げられてしまいました。

長く弓なりに湾曲したクチバシに大きな翼を広げ、二匹の息があったきれいなシンクロした動きをしながら飛翔する姿は実に優雅で美しいものです。そのまま対岸に降り立つかと思いきや、旋回してこちらに戻って来ました。それでも私の姿を感じて左に旋回して、だいぶ離れた堤防の上に着地しました。

f:id:glasstic-blue:20180526162839j:image

ここで距離を詰めるとまた逃げられると思い、このまま距離を保ちつつ無関心を装いながら観察と撮影することにしました。二匹のいろんなポーズをたっぷり楽しむことができました。

しばらくは向こうも意識してこちらの様子を伺っているようでしたが、退避姿勢を解き片足立ちの休憩の体勢をとりはじめ、終いには気持ちよさそうにその場にうずくまってしまいました。もう一匹も頭を背中に乗せるようにしてクチバシを翼にしまいこみ、時折目を閉じては縁側の猫のうたた寝のような様子。

f:id:glasstic-blue:20180526163456j:image

上空では相変わらず緊迫したケリの威嚇と攻撃で飛びを追い払うべく「キキッ、キキキキキッ」とヒステリックに甲高い警告音が轟いています。それをまるで関係のない対岸の火事を見るかのごとく薄目を開けて眺めながらくつろぎの時間を楽しむチュウシャクシギ。突然、手前のうずくまっているほうが「オエッ」っと何やら茶色い小さな塊を吐き戻しました。おいおい、消化不良化かよ。

ペリット。猛禽類のワシやタカは獲物を鋭いツメで押さえつけて肉を引きちぎって食べるそうですが、基本的に鳥類は餌を丸のみします。しかし、それだけでは栄養を消化吸収できないため、胃の一部が固くなった砂嚢と呼ばれる器官、いわゆる焼き鳥でいうところの美味しく頂いているあの「砂ずり」で細かく食べ物をすり潰して消化を促すようなのです。歯がなければ胃ですり潰す。噛む必要がないというのはすごい発想です。

生物の進化はやはり興味深い。それでもどうしても固くて処理しきれないものは吐き出す習性があり、その未消化物の塊を吐いたということなのでしょう。ということは、やはり消化不良と同義語ですね。休息を終えたを二匹のペアが飛び立ったあと、そのペリットを観察してみることにしました。何を食べているかわかるような痕跡を残しているはずです。

鳥インフルエンザのこともあるし、どんなウイルス細菌が潜んでいて想定外の感染症を引き起こすわかったものじゃないので、決して素手に触れないよう注意を払いながら、足元に落ちていたちょうどお誂え向きの小枝を使い塊を広げて内容物を確認してみます。どれどれ、ふむふむ、これはこれはどうみてもカニの爪。

f:id:glasstic-blue:20180526164942j:image

イソガニ?。なんだろう。先日、野鳥園でも器用にクチバシでカニを採っていたので、かなり好物のようです。そうか、あいつよっぽどカニ好きなんだなあ。比較的薄い甲羅に比べ中空とはいえ頑丈に作られたハサミの先端部分は強靭な砂嚢をもってしても刃が立たないということのようです。

観察結果、「カニはうまいがツメは無理。」

しかし、すり潰せなかったとはいえ、400gも満たない体重の鳥が、胃袋だけでこれほどカニの甲羅をグシャリと粉砕するとか、全くもって驚きの破壊力です。ヒトの歯のついた顎の力と遜色ないのではないでしょうか。

とはいえ、かくいう私もカニには目がなくて、チュウシャクシギと食べ物の好みが同じだなんて。生きたまま丸のみとか、体の内側からハサミでつまんでギュッとされるのを想像するだけで拷問じみていて、かなり嫌すぎてちょっと無理そうですが、そんな共通点を発見することができて何よりでした。

2018-05-19 実家のツバメの巣 このエントリーを含むブックマーク このエントリーのブックマークコメント

実家のツバメの巣

f:id:glasstic-blue:20180519143711j:image

鳥たちは繁殖のシーズン。東南アジアから遥々飛来するツバメたち。毎朝、通勤で通る河川敷でも大阪市内の街中においてもツバメをよく見かけます。すいすい流れるような機敏な動きで飛びながら空中で虫などをキャッチして捕食しています。

先日、よく訪れる植物園内で十数メートルほどの狭い範囲を飛び交うたくさんのツバメに遭遇。

D

なんじゃこりゃって感じで、道行く人々もスマートフォンでビデオ撮影されていまた。餌となる虫が飛び交っているようにも見えないし、なんか遊んでいるというか、戯れているというか。ひょっとするとスピード感のあるパートナー探しなのかなとも感じました。

そういえば実家でも毎年のようにツバメが巣を作っていました。方言かもしれませんが「ツバクロ」と呼んで親しまれていました。翼が黒いからツバクロなのでしょうか。

毎年うちにやってくるツバメはなぜか軒先ではなく家の中に巣を作っていました。我が家で「木屋」と呼んでいた農作業の鍬や鎌など道具を置いたり、一輪車(もちろん運搬用です。)や自転車や私のオートバイなどの置き場ような使い方をしていた建屋がありまして、そこの木の水平梁に巣作りをするのです。それを毎年毎年繰り返していて物心ついたときから、つい数年前まで。だから、当時の大人たち(祖父母もまだおりました。)は気を使って戸を少しだけ開けておいてツバメが出入りできるように配慮してあげていました。田舎なものであまり施錠する習慣もなく、いま思えば平和なものです。

わざわざ人が出入りする場所でどうして営巣するのか。実は民家のほうがが天敵となるカラスが寄り付かないだとか、そういった理由があるそうです。しかし、家では昔から常に木屋でネコを飼っていたし、あろうことか同じ建屋内のツバメの巣からよく見えるに場所に置いたダンボール箱がネコの寝床という状況。そんな環境でツバメたちはなんとも無かったのでしょうか。片時も心穏やかではなかったはずでしょうが、それでも毎年やってきて同じ巣は使わず新しい巣を作って子育てをするのですから、屋外でカラスの襲撃を受けるより不安は残るものの比較的安全な場所だったということかもしれません。

農作物に影響を与える害虫を捕食してくれることから益鳥とされ、農家にとってもありがたい鳥なので軒先を気軽に提供する互恵関係を結ぶ人とツバメの関係性。それを糞害があるからという理由で巣を撤去したり害鳥扱いされている昨今の事情を見ると少し気の毒でなりません。実家では糞が落ちるところにダンボール箱の切れ端を置き、その上に古新聞をのせて、風で飛ばないように四隅を握りこぶしくらいの大きさの石を乗せた「糞受け」をこしらえて対策していました。糞が落ちて汚れたら古新聞だけ交換していました。

逆にスズメ稲穂を食い荒らすので害鳥扱いでした。稲穂が垂れ始めるとそれを求めて穀物に群がるスズメを退治するため、太陽の光を反射してキラキラと光る色付きのテープを張り巡らしたり、時限式で一定間隔で爆発音を轟かしてスズメを懲らしめる爆音機まで登場するのです。農業というものは過酷な重労働に合わせて自然が相手ということで、天気に左右されたり害虫や病気にやられたり。日本の食を支えるために勤勉な両親が額に汗してようやく実り付いたものが、いとも簡単に奪われてしまうのを為す術もなく手をこまねいてただ見ているだけでは済まされない。農家の切実な思いをずっと近くで見ていました。

都会ではというと、のどかな公園のベンチに座り家から持ってきたパンやお菓子などをスズメたちに与え餌やりしている光景をよく目にします。お世話をして集まるスズメたちと戯れていたいのでしょうか。小さな命を育んでいる気持ちになるのでしょうか。ツバメスズメの扱いが田舎とは正反対で最初は驚いたもので、今でも決して快く感じていません。ああ、スズメの話じゃなかったですね。ツバメツバメ

話がまた脱線しましたが、私の実家にはトイレが二ヶ所ありました。住居内のトイレとはまた別に、農作業の途中でも長靴を脱がず土足で使えるようにと木屋の中にもトイレがありました。夜にそのトイレに行くと片方の親鳥が裸電球の配線のケーブルにとまっていてる。もう一匹はおそらく巣の中で抱卵しているのでしょう。人の気配で逃げるかなと思っても逃げない。50cmぐらい横を通っても逃げない。眠っているわけではなく起きていて、ちゃんと注意を払っているというか見張っているというべきなのかもしれません。抱卵するメスを守る勇気あるオス。

f:id:glasstic-blue:20110503190052j:image

なんか懐かしい写真が出てきました。撮影は2011年5月3日。ゴールデン・ウィークに帰省した際に、当時まだ小学4年生だった次女が理科の授業の発表で使いたいのでカメラで撮っておいてほしい、ということで撮影したものです。裸電球のケーブルを巣が飲み込んでいます。そしてこの時もこのツバメの巣の下にはこの子がおりました。幼鳥が誤って落下しようものなら一溜りもありません。

f:id:glasstic-blue:20161030132704j:image

しばらくするとヒナがかえって賑やかになり、親鳥は忙しくなります。ヒナは大きく口を開けては餌を要求し、その旺盛な食欲に何度も何度も親鳥は餌を運び続けます。気がつくと巣に収まらないぐらい成長した雛鳥が巣から溢れんばかりになり、最終的には親と一緒に電球のケーブルにずらりと並んで、羽ばたきの練習を始めだす。成長が早いというか、そうなると巣立ちも間近となります。四六時中餌を運んで食べさすというのは、実は早く成長させてしまうことが天敵から幼鳥を守る最も有効な手段なのかもしれません。

f:id:glasstic-blue:20180529115445j:image

数年前から80歳半ばまで両親二人で営み続けた農業高齢のため廃業してしまい、人の出入りが減るとツバメも巣作りに来なくなってしまいました。足腰が弱くなってきて用心のため施錠するようになったこともあるのでしょう。

そんな両親も去年、今年と続け様に亡くなり、空き家状態となってしまった今ではツバメが出入りどころか、ひと気のない寂しい巣の後だけが残るばかりです。日本に渡ってきて必ず同じ場所に戻ってくるいうツバメ。あの場所で育ったツバメが巣作りのため戻っては来たのかもしれません。きっと、どこか違う家の軒先にでも巣作りをしたことでしょう。私とて、両親がいなくなると誰も待ってくれる人のいない実家に帰省することもなくなってしまいました。

俊敏な動きで大きな弧を描きながら空を舞うツバメの姿に、懐かしい日常の思い出が重なり、深い郷愁に駆られる思いでした。

2018-05-05 蜜蜂とラベンダー このエントリーを含むブックマーク このエントリーのブックマークコメント

蜜蜂ラベンダー

f:id:glasstic-blue:20180430160307j:image

アシナガバチは肉食系なので幼虫には捕まえた獲物の顎で潰して肉団子を作り与えます。

ミツバチは花の蜜と花粉団子。幼虫が食べやすい形に食品加工しているところはアシナガバチと同じのようです。

足のところにオレンジ色の塊が出来ています。花粉ですね。吸った蜜は巣にいる他の働きバチに口移しで与えられ、花粉団子は貯蔵食となります。

食料を生産し蓄える。巣の拡張と保全をするもの。働きバチや門番、掃除係や幼虫の採餌係など。産卵に専念する女王バチを中心とした分業的階層を持つ社会構造。

「余剰食料の蓄積が非生産者階級の専門職を養うゆとり社会を生み出した。」

ジャレド・ダイアモンド博士の「重・病原菌・鉄」で書かれている言葉です。これについては文化人類学というか人間史とかいう文脈で語られたものですが、この言葉だけでもハチやアリの社会にも当てはまっていると思うのです。

f:id:glasstic-blue:20180430161015j:image

最近でもオスのハチやアリは働かずにサボっているということで「働かないアリに意義がある/長谷川英祐著)で話題になりました。決してオスは怠け者なのではなく、社会として余剰戦力を持つことで有事に備えている。つまり、必要に応じて柔軟に労働力を増減できる組織になっているという。

彼らは労働する意味とか等価交換とか通貨というものは持っていないので、「集団」として女王バチの遺伝子を決して自己犠牲ではなく皆で尽力して繋げていくことが「個」としての遺伝子を残しすことが生物としての役割を果たしているのだと思うと、人もまた然りなのかもしれません。

人間の社会の集団を通じて命を繋ぎ遺伝子を残していくことが、生物としての意味なのだとしたら、この社会の中にありなにかを感じている「個」というものは何なのか。

最近はなにを見てもそんなことを頭の中でぐるぐるとまわり、結構考えをめぐらしたりしているのが面白いものです。

2018-05-04 大阪南港野鳥園 このエントリーを含むブックマーク このエントリーのブックマークコメント

ここは大阪南港野鳥園。大阪市埋立地である南港にあり、人工干潟や林などに訪れる野鳥を観察できる施設です。春の渡りのシーズン到来ということで多くの渡り鳥が観察できそうです。

f:id:glasstic-blue:20180504154114j:image

北観察所から遠くを望むとチュウシャクシギが5〜6匹いるのが見えます。目を凝らすと更にその奥に小型のシギやチドリが百匹近くでしょうか、干潟をつついて採餌しているようです。

f:id:glasstic-blue:20180504144908j:image

突然なにかの拍子に一斉に飛び立つ小さな水鳥が大きな塊となり、きらきらと銀色の翼を白色にひるがえし、低空での旋回を左右に繰り返してまた干潟に降り立つ。うごめく群れの同調した動きは壮観で実に美しい光景です。

f:id:glasstic-blue:20180504150214j:image

f:id:glasstic-blue:20180504145731j:image

大型のチュウシャクシギやアカアシシギはのっそのっそと長い脚で浅瀬を渡り歩いている。長いくちばしを上手に使って穴の中に潜んでいた蟹をつまみ出しました。飲み込むのになにかお気に入りの方向でもあるのでしょうか、何度も何度も蟹をくわえなおした後、ぱっくとひと飲み。

f:id:glasstic-blue:20180504154141j:image

大阪湾上には南半球から繁殖のため飛来してきたコアジサシが舞い飛び、その先の遠景には霞がたなびくポートアイランドのガントリークレーンや神戸六甲の山並みも展望できました。シルエットがどことなく首をもたげたブラキオサウルスを思わせます。

f:id:glasstic-blue:20180504144456j:image

野鳥観察に訪れる方が多いので展望塔での席にありつくのが思ったより難しかったですが、そこは譲り合いの精神。珍しい鳥がいると皆でその場所を教え合ったり、和んだ空気がそこにはありました。スタッフの方でしょうかカウンターで個体数の調査もされていました。


大都市の傍らに隣接する人工的なこの湿地環境において、多くの渡り鳥が羽を休め、それを育めるだけの多様な生物たちの織りなす生態系がある。それをこうやって観察したり、情報交換や市民の集う憩いの場として楽しむことが出来るのです。

しかし過去には存続を危ぶまれる時期があった。管理者であった大阪市が「公共の関与する必要性が低い事業」とし存廃を検討し、行政改革プラン沿って見直すとの見解。当然、存続を求め立ち上がる人々がありました。施設や干潟湿地の重要性を訴えるべくして「存続をさせる会」が発足し、様々な活動や討論が行われたとあります。

現在、管理スタッフやボランティア、市民の理解と協力で今もこうして施設が存続し無料で提供されている現状に至るまで、関係者の方々の様々な苦難があったのだろうと思うのです。

干潟湿地の環境を保全と、野鳥の観察ができる貴重な環境学習の場」ということで今後も残すべき環境だと思えますし、確実に私たちの自然や生物対する認識や視点も変わってきたと感じています。また、自分には何が出来るんだろうかと考えるいい機会にもなりました。

2018-04-30 アシナガバチの造形力 このエントリーを含むブックマーク このエントリーのブックマークコメント

アシナガバチの造形力

f:id:glasstic-blue:20180430155718j:image

アシナガバチが巣作りに励んでいます。越冬を終えた女王バチがこうやって巣作りをして産卵をして羽化し、そして成長を遂げたハチが働きバチになり巣を拡張。そして産卵を繰り返しどんどん巣も大きくなりハチも増えていく。

f:id:glasstic-blue:20180430155714j:image

しかし、最初はこの女王一人で巣作りから幼虫の採餌や世話など一切合切すべてやっているんだなあと思うと、後に現れる働きバチ(あろうことかすべてメス)よりも働き者です。

巣の素材はというと女王バチが木をかじって口の中でクチャクチャ噛んで木の繊維質と唾液と混ぜたもので、それを口から出してあのいわゆるハニカム構造と呼ばれる巣を築きあげていきます。

f:id:glasstic-blue:20180430155710j:image

もちろん設計図はありません。学習することなくあの複雑な構造を造形していく行動は、そうするように遺伝子に組み込まれているということなのでしょうか。本能という言葉だけでは説明がつかない。カッコウの托卵やビーバーのダム作りなど興味深いです。リチャード・ドーキンス博士は「遺伝子の延長された表現型」という考えを著書である「利己的な遺伝子」で書かれています。

正六角柱を隙間なく配列させた三次元空間充填した構造を持つ巣。限られた空間を最も効率よく少ない材料で構築でき軽量化を図り、それでいて強度も保てる。鮮やかで妙技ともいえるハチの建築技術と造形力は深遠な自然界のデザインの淵を覗いた気がするのです。

f:id:glasstic-blue:20180430155436j:image

営巣の製作工程を見ていると、六角形の育房室をひとつひとつ順番に作り上げているわけではないようで、部分部分を少しづつ作り上げているように見られます。裏に回って接合部を気にしたり、各部屋の修正をしたりしている様子をうかがえました。

複雑な構造の巣をひとりで築き産卵をし、幼虫の羽化後は狩りと餌やりの毎日。風雨をしのぎ、天敵のスズメバチから幼虫をひとりで守る女王バチの営み。人に見つかって駆除される時が来るかもしれないと思うと複雑な気分になります。

※後日談

二週間後に同じ場所に訪れ、巣の様子を見に来たのですがその姿はありませんでした。人為的に駆除、撤去されたと思うのが妥当でしょう。大変残念でした。

2018-04-22 藤の花 このエントリーを含むブックマーク このエントリーのブックマークコメント

藤の花

f:id:glasstic-blue:20180421093844j:image

ウメから始まる花の開花のリレー。今年はいつもより時期が早まっている。そうニュースや新聞でよくいわれています。

ソメイヨシノが例年よりも8日早い開花発表があり、観測史上最も早い開花だったそうです。

それで桜に関するイベントも軒並み前倒しで行われたり、スケジュールの変更ができないような場合は、もうすっかり散って決まった桜のもとで行われる町内会やグループでのお花見をよくみました。アレはちょっと残念な感じで。

ゴールデンウィークに見頃を迎えるはずのツツジも満開時期をもう迎えてしまい、観光地の主催者側としてはゴールデンウィークのかき入れ時に見物に訪れる客足が減るのが心配されるようです。平年より2週間も早いということで少し異常な早さのようです。

例にもれず藤の花の見頃も例年よりも10日早いということで、気になったので調べてみると見頃は今日となっている。では見に行くかと思い立ち藤井寺市紫雲山葛井寺に藤の花を見に行くことにしました。

f:id:glasstic-blue:20180421085803j:image

天気もよく最高のサイクリング日和。大和川沿いの道は人気がないので最高でした。河川敷のいたるところには黄色い菜の花(カラシナ)の海が広がり、ムッとする特有の香りがして、所々に濃いピンクの花のナヨクサフジが差し色になっています。繁茂する雑草たちもツツジや藤と同様にこの陽気で元気モリモリで圧倒されます。

f:id:glasstic-blue:20180421092558j:image

藤棚からシャワーのように降り注ぐ薄紫色の藤の花。その幻想的で美しい花はその佇まいと淡い色合いがとてもあでやかで日本的だと思います。

f:id:glasstic-blue:20180421093611j:image

花札では四月の札としてはホトトギスと一緒に描かれています。また、一般的にフジと呼ばれるノダフジヤマフジは日本の固有種で樹齢が1000年を超えるものもあるそうです。白い花も美しい。

f:id:glasstic-blue:20180421094120j:image

あまり実感はないですが、私の名字にも「藤」が入っています。花の名前が名前に入っているというのはよく考えるとなかなかいいものだなあと感じました。

2018-04-21 苺ミルクのマーブル模様 このエントリーを含むブックマーク このエントリーのブックマークコメント

苺ミルクのマーブル模様

f:id:glasstic-blue:20180503153919j:image

どこに行っても生け垣や植え込みツツジが満開。街中に季節の花が溢れているって、今更ながら素晴らしいことであります。

去年買った鉢植えのアザレアが今年も花をつけました。去年より花が多いような気がします。

アザレアは西洋ツツジといわれ、ツツジより豪華絢爛に花を飾り立てます。葉はツツジより小さくて満開の花に対しほとんど葉が見えないぐらい。

白とピンクの混ざった苺ミルクのマーブル模様。乾ききっていない水を張った画用紙に赤い絵の具を吹き付けて滲んだようなヒョウ柄模様が5枚の花びらの星型に開いた天方向に必ず位置している。この模様は何を示しているのか。

これは「蜜標」というそうで、吸蜜に来た昆虫に蜜腺の場所をほのめかしていると考えられています。この花弁のみ奥に繋がってその先に蜜があるのが分解するとわかります。

f:id:glasstic-blue:20180428105611j:image

5枚(極希に6枚のものもあります)の花びらは根本でくっついているので分類上は1枚の花びら。長い雄しべがピンと反り返り、その中でひときわ長く突き出ているのが雌しべ。理科の授業を思い出します。

花は人にとって鑑賞の対象ですが鳥や昆虫に受粉を促すために蜜を与えるためのサインでもあります。それでいて植物にとっては受精の場でもあるわけですから、花というものは取り扱う対象ごとに意味が違ってくるのだと気付かされます。

サイエンスジャーナリストの森 昭彦さんの著書で読んだのですが、

「なによりもまず、植物の花は誰がなんといおうとも生殖器であります。それをあなたは穴があくほどのぞき込んでは、キレイだなんだと撮影したり、匂いまでかいだりするわけで・・・」

という印象的な一文を思い出しました。

2018-03-03 大阪城の白い梅とコンビニごはん このエントリーを含むブックマーク このエントリーのブックマークコメント

大阪城の白い梅とコンビニごはん

3月3日桃の節句大阪城の梅が見頃ということで桃ではなく梅を見に自転車を走らせました。天気もよく気持ちが良いポタリング日和です。

f:id:glasstic-blue:20180303113416j:image

途中自転車を降りてコリアンタウン散策道草したりはあったものの、すぐに着くぐらいの距離なのでサイクリングとまでは呼べない距離

大阪城梅林は有名で多くの人が訪れて賑わいを見せていました。皆さん一眼レフのカメラを多く持たれているので驚きました。カメラを持ってきていない人は別として、一般的なコンパクトタイプのデジタルカメラスマートフォンで撮影されている方たちより、一眼レフやミラーレスといったレンズ交換型のカメラを持っている人のほうが多いように思います。すごいなあ、発見です。そのうち買おうミラーレス。

f:id:glasstic-blue:20180303123004j:image

梅林は梅の種類がたくさんあって面白かったのですが、白い梅の花がきれいだなあと感じることが今年始めて感じました。どうしてもピンク色の梅が青い空に映えて、というのが私の感覚だったもので新しい自分の中のものをまた発見したような。

f:id:glasstic-blue:20180303123553j:image

もう一つ思ったのことがあります。昼もだいぶ過ぎてしまったのでなにか食べようと思い梅林近くにあるコンビニエンスストアに入ったのですが、レジに並ぶ人が多く20人ぐらい並んでいる。おにぎりやサンドイッチにお弁当の類はほとんど完売。おでんも残りわずか。なんだか買う気がすっかり消え失せてしまい店を後にすることにしました。

梅林の近く以外にも大阪城公園内にはいくつか小さい店舗というより売店的な規模の某コンビニチェーンのお店が数箇所あるのですが何処も品薄状態でレジは混雑している。海外からの観光客は多いし梅林目当ての人や団体も多い中、休日ということもあるのでしょうか。

結局、買いそびれて遠く離れたコンビニエンスストアでおにぎりとサンドイッチと温かい缶入りのコーンポタージュを人気のない公園で食べました。それでも外ごはんはおいしいのですが。

これほど過密化し競争の激化となり過剰なほど乱立するコンビニエンスストア。いつでもどこでも欲しいものが手に入る事はいいことなのでしょうが、それが故にお弁当を自宅で作って行楽地に持っていくということが減ってきているように思いました。

梅林の袖で花見をしながらレジャーシートを広げている人々。天気が良く梅がきれいで美味しいものを食べて。たいへん楽しいひと時です。でも、あきらかにコンビニごはんが多いようです。現地でお弁当調達すれば前日にお弁当用の食材買わなくていいし、朝にこしらえることもしなくていいし、持っていかなくて荷物にならないし、食中毒の心配ないし、めんどくさくないし。

小さい子供さんがいるところは、かわいいお弁当箱広げてそれは和やかで微笑ましくて。娘達が小さかった頃は家内が用意してくれたお弁当食べて娘達と一緒に食べて休日はよく過ごした。懐かしい。でも、そういうのがなくなるとコンビニごはんに自分もなっていた。いやいや、ひとつの理由として利便性よりも美味しさがあると思うのです。ツナマヨおむすび大好物だし、エビカツサンド最高だし。

で、そうなるとどうなるかというと、集中的に人が集まる観光地やイベント開催地近くでは混雑が起きてしまい、品薄でコンビニごはんが食べられないことになりかねない。こまった。これから、少し気を付けないといけないな。

今度は真空断熱の保温ポットに熱湯入れていって、カップめん作ろうと考え中です。持ってはいませんがキャンプ用の小さなバーナーとかそろえるの大変だし、自転車に載りきれないのは困る。ポットに入れればサドルバックに忍ばせて持ち運べる。お湯さえあればなんとかなるし、温かい外ごはんに期待が高まります。

2018-02-23 梅の開花とメジロの目 このエントリーを含むブックマーク このエントリーのブックマークコメント

梅の開花とメジロの目

f:id:glasstic-blue:20180223155429j:image

2月も後半残りわずかの寒空の元、梅が咲き始めています。

桜のように一斉に咲いて僅かな見頃の後、またたく間に散り落ちていくのも壮観な情景ですが、梅の花は長く見れるので楽しめます。枝には小さな丸い蕾がリズミカルに並び、花ひらく順番待ちをしているようです。

スイーツ好きなメジロがやってきて蜜をついばんでいます。かわいいな。ちっこいな。

f:id:glasstic-blue:20180223155455j:image

メジロの目の周りのあの特徴的な白い輪っか、実は白い羽毛で出来ているそうです。写真を拡大すると実際の目があって普通の目をしている。少しがっかりする。でも、遠目から見ると無表情な大きな目で可愛く見えるのです。

f:id:glasstic-blue:20180223152845j:image

人間の女性でも目の輪郭を大きく見せる化粧をするし、最近では瞳を大きく見せるコンタクトレンズや、目の位置を自動で検出して大きく加工するプリントシール機やスマートフォンアプリケーションも人気があります。

また、マンガやアニメやその他キャラクターの顔も同様、顔と瞳の大きさの対比を変えることで「かわいさ」を表現しているものととれます。

よく考えてみると、人間も含めて動物の赤ちゃんが可愛く見えるのは、顔(頭蓋骨というべきか)に対して眼球の大きさの対比が成人よりも大きいので目が大きく見える。そこに「かわいい」という感情がなぜか生まれ、対象を可愛がる行動として母性本能のようなものがあるのではないでしょうか。

f:id:glasstic-blue:20180223152317j:image

逆に「かわいい」は作ることが出来るものなので、先にあげた方法で可愛がられることも可能なわけなので、そこに人気が集まっているのでしょう。また、時代背景や文化的影響もあるとは思いますが、一般的に二重まぶたで目の輪郭が大きい顔立ちを魅力的だと思う傾向があるようなので、画一化された同じ方向性に向かうべく、それに近づけるように加工したり工夫を凝らしたりしている。二重まぶたにする美容整形もたぶんそうですね。違った方向性もあってもいいようなものですが。

遺伝的な要因で目の大きさや形状が、画一化された一般的に魅力的とされるものとかけ離れていることでコンプレックスが生まれ悩んだり、それで内向的な性格になってしまったりもする。そんな視点でみても目は他の器官とはかなり違った存在感である

f:id:glasstic-blue:20180223152333j:image

「目は口ほどにものをいう」、「目は心の鏡」などのことわざを筆頭に「目が笑っている」、「目が怒っている」、「目に光がある」、「うつろな目」、「よどんだ目」、「目を三角にして」、などと目の表情にまつわる言葉の表現が多くありますね。「目が死んでいる」とか「腐った魚のような目」とか、極端にひどい例もありますが、うまい表現でおもしろいですね。

それぐらい、目という器官は単に光を取り込んで画像を認識するだけではなく、相手の僅かな目の表情から様々な情報を読み取ることが出来るわけですから、顔の魅力にとどまらず対人コミュニケーションの重要な器官として働いているように思えます。

例えば、対人関係において気に触ることがあり、顔では笑顔の表情を呈していても心の奥底では怒りを感じている、とか、平静を保っていていうつもりでも挙動不審意に陥っている。そんな目の微妙な表情が意外と多くの情報として発信していて、深読みしたり、気づかなかったり、的外れだったりする。その、「読み取る」とか「汲み取る」というのが、極めて高度で複雑な処理をその場の状況に応じて瞬時に対応しているんだなあと思えますね。

大きな目に小さな瞳がきょとんとした表情を見せるかわいいメジロ。実はその中にある本来の目でいろんな処理しながら小さい脚で枝をうまく捉えながら次々と蜜を吸っている。愛くるしく無表情に見える瞳の内側では「蜜うま」とか「人が多くてやりにくいなあ」とかいろいろあるのでしょう。