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メモリの藻屑、記憶領域のゴミ

20050411(Mon)

[]廃虚としての日常 / 東京するめクラブ 地球のはぐれ方 その2 廃虚としての日常 / 東京するめクラブ 地球のはぐれ方 その2を含むブックマーク 廃虚としての日常 / 東京するめクラブ 地球のはぐれ方 その2のブックマークコメント

東京するめクラブ 地球のはぐれ方

東京するめクラブ 地球のはぐれ方

2回目です。今回は(やっと)内容を紹介します。

●魔都、名古屋に挑む

「馬鹿にしてないよ」と言いつつ、村上は絶対名古屋を馬鹿にしている。結婚式などの名古屋独特の俗習、名古屋独特の食文化、名古屋の広すぎる街並み、どれも十分に異質な感じがして、日本の各大都市と比べても抜きん出た独特さを醸し出している。オレの日記を読んでいる方に名古屋の方がいらっしゃるかどうか分からないけれど、少なくともこの本の文章を読んで名古屋に行ってみたいとか名古屋で暮らしたいとは思わないもの。この本のコンセプトの「ゆるさ」が強力に伝わってくる一章。

●62万ドルの夜景もまた楽し――熱海

ここでは既に熱海は「廃虚」扱い。熱海秘宝館からもう「ゆるさ」大爆発。平易に書かれているけれど「熱海はやる気がない」とはっきり言い切る。でも熱海の町外れには「風雲文庫」なる個人博物館があるらしいんだけど、なんと、ここは、ナチスドイツ関連の遺物、そしてアドルフ・ヒトラーの遺品と言われる展示物が大量に蔵置され、ファシズム礼賛と偏愛が謳われる恐るべき博物館なのだという。これの記述はちょっとポイント高い。

●このゆるさがとってもたまらない――ハワイ

人工楽園ハワイ。実質日本の一部と化したハワイ。逆に日本人入植者がどのようにハワイを変えたかが伝えられるレポートは興味深い。アロハシャツって日本人が生み出したものなんだってね!日本人入植者が使い道の無くなった和服の晴れ着を半袖シャツに下ろしたのが起源なんだとか。アロハシャツの派手なプリントは晴れ着の意匠が元になっているんだとか。あと村上のホノルルマラソンについての観光誘致としての側面を書いた苦い文章が記憶に残る。

●誰も(たぶん)知らない江の島

多分この本の中で唯一「行って見てもいいかも」と思わせた土地江の島。調べたらオレの近所の駅から電車で一時間あまりで行ける。(でも本当に行く事はありまシェン)交通は不便だとか商店街は雨になると閉めちゃうとか坂だらけで散策に体力がいるとか猫の多い町だとか、例によって脱力しまくってますが、天然の洞窟を使った岩風呂とか有形文化財に指定されたと言うローマ風呂って一回見てみたいような。いや、本当に行きはしないけど。

●ああ、サハリンの灯は遠く

サハリンは現在ロシア領であり、旧日本領・樺太のことです。オレの実家の北海道の街から海峡一つ超えた場所にあり、晴れた日は水平線の向こうにその存在を確認する事が出来ます。この本では村上は自分の興味があった土地についての文章が冴えていて、このサハリン篇ではチェーホフの紀行文まで引用しながらサハリンの荒野に想いを馳せます。自然としてのサハリンは荒々しく雄大で、その風景には息を呑むものがあるようですが、町としてのサハリンはなにしろダメダメなのらしい。中央集権下の官僚主義が未だに色濃く残ったまま「ロシアの最果ての地」として放置されている土地で暮らすという事はどういうことを意味するのか。しかし、ここでも韓国人入植者が逞しく生きているという文章に救われる。あと大きな花咲きガニが手掴みで獲れるのだという!しかもロシア人は足しか食わないんだって!ひえぇぇぇっ!トドの居留地のリポートは圧巻。サハリン篇はこの本の中でハイライトだと思う。

●清里――夢のひとつのどんづまり

80年代バブル時代の中産階級の夢と幻想が結実しそのまま行き詰ったもうひとつの廃虚、清里。あの頃の中流という連中が竹下通りの衛星都市みたいなところで暮らすのが夢だったという薄っぺらさが今の清里の凋落ぶりなんだろう。この本の中で一番どうでもいい町だなこりゃ。「やまね」という天然記念物種が生息しているのだそうです。農業はきちんとしているらしく、そういった方面で再生したら?という前向きな意見がナイス。

●あとがき

都築響一氏のあとがきがいい。「急いでるからとか、今度またとか、自分に言い訳はいくらでもできるけれど、そこであえてジャンプするかどうかで、人生が(失敗に多いけれど)発見に満ちたものになるのか、安全で退屈なものになるのかの分かれ目がある」「幸せの敷居を低くするのが、人生をハッピーに生きるコツなのかも」など、いちいち頷いて読んでしまった。まあオレの敷居は低すぎるけどな…。オレは他人から見ればいつも楽しそうに見えるらしいがな、それはオレが自分の人生にたいしたものを望んでないからであります。いや、素敵な女子との出会いとかあればもっとええとむにゃむにゃ(強引に終了)。

[]オレと村上春樹 オレと村上春樹を含むブックマーク オレと村上春樹のブックマークコメント

ちょっとだけ村上春樹の事を書きたい。オレは村上は《羊をめぐる冒険》出版時からの好きな作家だった。そしてデビュー作《風の歌を聞け》を読んでさらにはまってしまった。酔っ払うと村上の本を読んだ。《ノルウェイの森》は全編酔っ払って読んだ。どこかで村上は80年代の「時代の気分」な作家だったのだと思う。あの頃、文芸誌の新人賞応募には村上モドキの作品ばかり集まって選考者はうんざりさせられたという。オレは《国境の南、太陽の西》まで読んだが、その頃出ていた短編集はなんだか違和感を感じて、このあたりから読まなくなってしまった。村上への違和感は生硬なカタカナ横文字の多用と、四回に一回失敗している比喩、少しも面白くないダークファンタジー趣味だった。「こいつ、自分を賢く見せたいんとちゃーうんか?」と思った。また、なんでもかんでもセックスシーンがクライマックスなのが嫌だった。AV女優のインタビュー本で、あるAV女優が「村上春樹はセックスを汚いものだと思っている、そこが嫌い」と言っていたのがあって、ああ、女性はそういう風に感じるのだな、オレの違和感もそこにあるのかな、と思った事があった。村上のリベラルさは所詮あの時代のリベラルさだったのかな、と思う。

村上の文章の底にあるのは「失われた世代」*1と呼ばれたフィッツジェラルドヘミングウェイ、そしてチャンドラー的ハードボイルドへと受け継がれる情緒を廃したドライな描写の生むアメリカ文学的モダニズムだった。彼の文章の持つある種の喪失感は近代アメリカの至ったアメリカンドリームとデモクラシーの終焉とどこかで繋がっているのだ。だからこそ飽食の80年代バブルの時期にいち早く滅びの予感を漂わせた文章を突きつける事によって支持を得たのだと思う。

実を言うとオレも一頃村上的文章を一所懸命書いていた時期があった。オレの缶ビール好きも村上の影響だ。そしてどこかでオレも自分の中の80年代的リベラリズムに落とし前をつけようとしているのかもしれないと思う事がある。だって、あの時代はオレの青春期だったのだからさ。

ちなみに大ベストセラーになった《ノルウェイの森》でさえ頑固に映像化を拒んだという村上だが、処女作《風の歌を聞け》は当時ATGと呼ばれたインディペンデント製作によって映像化されている。(出演:小林薫、真行寺君枝、 監督: 大森一樹) これがまた原作の雰囲気がよく出た秀作で(全然違うという話もある)、興味のある方は探して見るといい。ビーチボーイズの「カリフォルニア・ガールズ」が流れるラストは、泣けますよ。

*1:失われた世代(Lost Generation)は、第一次世界大戦後にアメリカに登場した、旧来の価値観とは一線を画す芸術家たちを総称する文学用語。ロスト・ジェネレーションとも。命名の由来は、ガートルード・スタインヘミングウェイに対して言ったことば "You are all a lost generation(あなたたちはみな、失われた世代なのよ)" に因る。出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

通りすがり通りすがり 2018/01/29 23:31 この本の名古屋の情報は、歪曲されていたり、捏造がありましたね。わりと名古屋本ってそういうの多いんですけど、この本も例外じゃありませんでした。ちょっと回ってイメージをつぎはぎしたのでは、と思っています。

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