ブロークバック・マウンテン (監督アン・リー 2005年アメリカ)

ワイオミングの山で羊番の仕事を始めた二人の青年の間に芽生えた友情はいつしか愛に変わり…そして月日が流れ、二人はそれぞれの生活の中に埋没してゆくが、心の中にいつもあったのは二人で過ごしたブロークバック・マウンテンでの日々だった。

■男と男の世界
むう。友情が濃すぎる羽目になった二人の男の悲劇のドラマです。男同士が仲良くするのは男社会の結束を強めますが、あんまり仲良くしすぎると家庭は破綻し世間からは後ろ指を指される、ということなんでしょうか。でもホモ関係になってなくてもこういう「遊びの過ぎる」大人のオトコというのは実際いるわけで、オレはホモの愛がどうこういうよりそういう”困ったちゃん”の映画として見ました。


折角結婚しても家庭にいるよりゃア仲間と飲みに行ったり遊びに行ったりするほうが断然楽しくて、反面家に帰っても女房とは口をきくのも面倒臭い。結婚も年数が過ぎると愛情がどうとか言うよりも義務と責任が付いて回りますから、段々と”お仕事”みたいなもんになってきて、それはあんまり面白いもんじゃないんでしょう。結婚というのは義務と責任の果たせる大人だからするものなのでしょうが、誰もがそんな大人だというわけではない。例えば浮気が何故悪いのかというとそれは倫理、ということも言えるのでしょうが、それと同時に結婚という制度はそもそもそういう”契約”の元に成り立っているわけですから、これは”契約不履行”という状態なのでいけない、ということになるわけです。しかしそんなことばっかり言っていると堅っ苦しくてしょうがない。だからオトコは逃走する訳です、責任や契約なんて存在しなかった子供の時代、楽しい男の子同士の秘密の世界へと。


■イニスとジャック
主人公の一人イニス(ヒース・レジャー)は無口で不器用な男です。そして妻と避妊具を付けずにセックスしようとして「子供が出来たら経済的に無理だからやめて」と言っている妻に対して「オレの子供が生みたくないと言うのならセックスなんかしない」とか言っちゃうような、男性主権的な前時代性も持っています。つまりは”遅れた男”でもあるんです。そんな男だからこそ”男”であることが賜物のように自由であることを判ってくれる男、何も言わなくてもそれが自明の理であることを理解してくれる男、即ち彼と束の間の情事=濃いい男の友情を分かち合ったかつての友人=男の恋人へとのめり込んで行きます。


一方もう一人のジャック(ジェイク・ギレンホール)はその生い立ちから孤独の影を背負い続けている男のようです。かつてのロデオの栄光は過去のものとなり、今ではカミサンの親父の後光りでしがない営業マンを続けている毎日。ただ彼の場合は家庭に対する不満と言うよりも、純粋に孤独から逃れたい渇望があったような気がする。それがたまたま、かつてのびのびと羊番をしていたときに愛し合った男=イニスへと心が収束してゆくことになったのでしょう。つまり彼にとってブロークバック・マウンテンでの日々だけが明るい陽光に満ちた人生の1ページだったのです。


でもオレには二人が”楽しかったあの頃”にしか現実を見つけることが出来なかった後ろ向きで不幸な人間にしか見えません。日々は移り、人との関係も変わって行き、そして自分というものも成長してゆきます。人は変わってゆくものなのです。今目の前にある現実を肯定できなければ、それを変えてゆく、または自分を変えてゆくのが正しい道なのだと思います。そうせずに消えてしまった過去に囚われてそこに逃げ込むことしか出来なかった事、これが二人の不幸なのであり、そして悲劇だったのだとオレなんかは思います。


■”ホモ・ソーシャル”
ゲイの映画は結構好きです。それは彼らが自分らしく生きたい、と思いながら生きること、そしてその為に戦ったり負けたりすること、それらに同じ人間として普遍的なものを感じるからです。ただこの『ブロークバック・マウンテン』ではむしろホモ・ソーシャルな男たちが”男”であろうとして敗北する姿を見てしまいます。この映画がなぜアメリカで絶賛されたのか、というのは、アメリカの原風景の中で育まれた”男として生まれたことの愉悦”が現実の中で無効になってゆくことが、アメリカ男たちには身につまされたからなんではないでしょうか。だからそういった意味で、これは”同性愛”の映画というよりも、”男”というものの悲しさを描いた映画なのではないかと思います。


あと関係ないのですが羊というのはああいうように苦労して放牧させなければ生きられないものなのですね。そういった羊番の仕事の描写、という面も興味深かった。でもアメリカの自然の光景は、まばゆ過ぎてオレは美しさを感じなかった。もっと暗くて妖しい自然の姿のほうが好きなのでしょうな。それとカウボーイ、ロデオといったアメリカを象徴するキーワードがオレにはどんどんどうでもいい異文化の事の様に思えてきてしまった。西部アメリカ白人の生活様式も気持ち悪い。オレにはアメリカはどんどん遠いものになりつつある。


参考:「ホモ・ソーシャルな人間関係の陥穽(かんせい)」 http://www.tachibana-u.ac.jp/official/iwhc/essay/index.html