大宇宙大馬鹿大阿呆教

「バカタレ」「アホタレ」「ハナタレ」「シミッタレ」「アマッタレ」「ヘタレ」など、世間一般では”タレる”ことには碌な意義がないと思われているようである。しかし鼻(水)が垂れるのは判るとして、”馬鹿”や”阿呆”が「垂れる」とはいったいどういう事態なのか。それは”馬鹿”や”阿呆”と目される人物のその”馬鹿阿呆成分”が、あまりの量である為体内で飽和し溢れ返り、目や耳や口や鼻や体中の毛穴からじわじわと垂れてくる状態を指しているということであろうか。全身から”馬鹿”なら黄緑、”阿呆”ならからし色の不気味な液体をたらーりたらりと垂らして「グヘヘ」などと笑っている人物などいたらこれはもう既に「バカタレ」「アホタレ」状態であると認めていいということなのであろうか。これではまるで致死率100%の恐ろしいウィルス感染者のような有様である。要するにそれだけ「アホタレ」「バカタレ」は危険な存在である、ということを言い表しているのであろうか。
しかしここでもう一つ語義の違う「垂れる」がある。これは「垂訓」など教えや恵みをもたらすという意味の「垂れる」である。「バカタレ」や「アホタレ」の”タレ”がこちらのほうだとしたら意味が180度違ってくる。つまり馬鹿であることの教えを説き阿呆であることの恵みを伝え、そして馬鹿であることの喜びを分かち合い阿呆であることに感謝するのである。馬鹿の徳を讃え阿呆の慈しみに身を委ねるのだ。
このように「馬鹿の教え」「阿呆の教え」といったどこか宗教的な意味合いさえ持つ言葉になってしまうのである。「馬鹿アホ間抜けは幸福である」とまさにキリスト教でいう”山上の垂訓”に似た教義がここで展開されるのだ。だからもしもあなたが誰かに「バカタレ!」「アホタレ!」などと言われたとしてもそれは叱咤罵倒の類ではなく、「あなたに馬鹿の誉れあれ」「あなたに阿呆の光あれ」といった”大宇宙大馬鹿大阿呆教”の慈愛に満ちた祝福だと思えばいいのだ。そう、お馬鹿の世界には喜びが、ド阿呆の宇宙には安らぎが待っているのだ。だからこそ今、あなたにも”大宇宙大馬鹿大阿呆教”をお薦めするしだいなのである。ちなみに本尊はこのオレである。(勧誘だったのか!?)

13日の金曜日

  • 今日だけ《13日の金曜日》バージョンでお送りする”メモリの藻屑”であります。
  • とか言ってこの映画まともに観たことが無いんだが。
  • 「書く事無い」と言っておきながら夜中に更新しているオレは何者なのか、と。
  • しかし悪趣味だなあオレ…。
  • 今日一日仕事すればあとは3連休だ!…日記も休みたいんですけど…ダメ?
  • 予定としては恍惚と官能のゲーム三昧な日々をおくっていることでしょう。観たい映画も無いんだよなあ。お金も…無いんだよなあ…。
  • 最近アイスティーばかり飲んでいる。
  • あと誰かがカロリーメイトのポテト味が旨いと言っていたので、残業中はこれをポリポリ。悪くないっすねこれ。