ヴォイス・オブ・ヘドウィグ (監督:キャサリン・リントン 2006年 アメリカ映画)

ヘドウィグ・アンド・アングリーインチ』で一世を風靡したジョン・キャメロン・ミッチェルが、性的マイノリティ・”LGBTQ”*1の子供達の為の学校《ハーヴェイ・ミルク・ハイスクール》へのチャリティ・プログラムとして『ヘドウィグ』のトリビュート・アルバムを作る様子を追ったドキュメンタリー。映画はオノ・ヨーコ、フランク・ブラック、ヨ・ラ・タンゴ、ベンフォールズ、などのミュージシャン達のレコーディング風景と、《ハーヴェイ・ミルク・ハイスクール》に通う4人のLGBTQの子供達の日常にスポットを当て、彼らが何を思い、何を悩み、これからどう生きて行きたいかに迫ってゆく。ちなみにハーヴェイ・ミルクとはアメリカで初めて自らがゲイである事をカミングアウトした公職者である。
4人の子供達もLGBTQといっても様々で、それぞれの環境や資質により、世界的なモデルとして成功する子、家族から最後まで理解を得られないまま家を出てしまう子など、学校を卒業した後の進路も決して全て丸く収まるといったものではない。これはLGBTQがどうとか言う以前に自分の子供をありのまま受け入れてあげられるかどうか、という親の問題であり、逆に子供のいる方なら「自分の子供がLGBTQであった場合にどうそれと向き合えるか」といったことを考えることの出来る映画であるかもしれない。世間を変えるのは容易い事ではないが、少なくとも一番身近にいる自分自身が考え方を柔軟にするのは決して難しいことではないだろうから。
それにしても、一見素晴らしい試みのように思える《ハーヴェイ・ミルク・ハイスクール》が正式な公立高校として新たな一歩を踏み出した時に、プラカードを持って学校の前を埋め尽くした反対者達の数の多さには、何か冷や水を浴びせられたような恐ろしさを感じた。それまで、躓きながらも自らの夢や希望といったものに向き合ってゆく子供達の姿を見せられた後だっただけに、この根強い全否定を訴える者の姿には絶望的なものさえ感じてしまう。実はこれが現実である、と言うことなんだろうな。「LGBTQの学校とはストレートの人間にとっての逆差別である」という訴訟まで起こっているのだそうだ。そんな中で希望を失わずに一歩一歩前に出て行くしかないのだ、というのもこの映画のメッセージなのだろう。
また、映画『ヘドウィグ・アンド・アングリーインチ』を愛して止まない者の一人としては、様々なミュージシャン達によってリメイクされてゆく数々のヘドウィグの曲がどれも感動的に響いた。特にブリーダーズポリフォニック・スプリーが良かったかな。あと参加していたシンディー・ローパーのみ映画に出演していなくて音だけ流れていたのが?であった。

ヒルズ・ハブ・アイズ2 (監督:マーティン・ワイズ 2007年 アメリカ映画)

この間見た『ヒルズ・ハブ・アイズ』の続編。前作の惨劇から一年、軍部の調査基地が置かれたかつての核実験場セクター16の調査隊は”やつら”の襲撃により全滅させられていた。それを知らず訪れた訓練中の新兵達に、またもや”やつら”の魔の手が迫る!といったお話。前作はクレイブン作品『サランドラ』のリメイクであったが、こちらはクレイブンの息子ジョナサン・クレイブンがストーリーを手掛けた完全オリジナル。
まず襲われる兵隊の皆さんがなにしろ新兵ということで、戦闘がへっぴり腰のグダグダ、命令系統もまともに存在せず、機関銃を持ってるだけでシロウトに毛が生えただけの連中なので、観ていて苛付くことがしばしば。緊張感の無い兵隊が何人死んでもそりゃあたりまえだろ、と。「多分仲間撃っちゃうんだろうなあ」と思ってたら本当に撃っちゃうし、単独行動をした人間は必ず死ぬし、お前ら戦場舐めとんのか、と。ヌルいんだよ、と。そんな訳で中盤あたりまでは結構ありがちで退屈な展開である。モグラ穴のように地中に張り巡らされた穴を利用して兵隊達を襲う奇形人間達、というのは、これはベトナム戦争イラク戦争を思わせる砂漠で再話した、という風にも取れるんだが、実際そこまで深く掘り下げたお話でもない。
中盤から兵隊達が奇形人間達の棲む廃坑に潜り込んでからは割と見られるものになるか。男は叩き殺され食糧にされるが、女は生け捕りにされ子孫作りの為に奇形人間達の性的奴隷にされる、という恐怖感が新兵の中にいる女性兵からじわじわ伝わってきて、逆にラストの新兵たちの反撃を一層血生臭く暴力的な復讐劇へと変えていた。全体的にみると、ミリタリーとホラーの融合、という着想は悪くないと思う。次は精鋭兵と化け物との戦いというものを観てみたいような気がする。