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メモリの藻屑、記憶領域のゴミ

20080225(Mon)

globalhead2008-02-25

[]トゥヤーの結婚 (監督:ワン・チュアンアン 2006年中国映画) トゥヤーの結婚 (監督:ワン・チュアンアン  2006年中国映画)を含むブックマーク トゥヤーの結婚 (監督:ワン・チュアンアン  2006年中国映画)のブックマークコメント

中国内モンゴル自治区。砂漠化の進むこの草原で羊の牧畜を糧に生活する女トゥヤー(ユー・ナン)は、二人の子供と事故で歩けなくなってしまった夫を女手一つで養わなければならなかった。今日もモンゴルの荒野を駱駝にまたがり羊を追うトゥヤー。しかしそんな生活に疲れ切ったトゥヤーはある決断をする。現夫と離婚し新たな夫を迎える。しかしその条件は、今の夫も共に養ってもらうこと。

モンゴル高原を舞台に、この地で生活するモンゴル人達の姿を描いたドラマということで興味が沸き観てみました。モンゴルという国(厳密には自治区ではありますが)にはなにかオレの生まれた北海道に通じる雰囲気があったからです。羊の牧畜っていうのもいいですねえ。羊といえばアナタ、ジンギスカンですよ!昼は羊を追って草原を駆り、夜はテントみたいな住宅でジンギスカンをしながら酒を酌み交わす。素敵じゃないか!なんて単純な発想で憧れてた訳です。ところが、モンゴルといえば遊牧民、そして移動式住宅ゲルだ、とばかり思っていたのですが、この映画ではそんな光景は登場しない。観終わってから調べたら、現在モンゴルには遊牧もゲルも殆ど見当たらなくなっているということらしいんですね。

広大な草原と羊や馬の群れ、そして、移動式住居「ゲル」といったモンゴルならではの風景と暮らしは、いま急速に失われつつあります。内陸アジアのステップでの遊牧は、モンゴル高原の北部に位置するモンゴル国でわずかに残されているだけ。内モンゴルをはじめとした他の地域では、すでに遊牧がほぼ消滅しているのが現状です。中国領である内モンゴルの場合、改革開放政策後、土地の使用権を牧民の家族に分け与えたために、同じ場所で家畜を飼う定着牧畜に移行。遊牧をしなくなったことで、移動式のゲルも不要となり、いまではゲルに暮らしているモンゴル人を見つけることさえ難しくなりました。

■WASEDA.COM 風前の灯にあるモンゴルの遊牧 消え行く文化に想いをはせる 

そしてここには、単に生活様式として遊牧が廃れてきた、というのではなく、砂漠化する草原を保護するという名目により施行された、中国政府の『生態移民』と呼ばれる遊牧民定住化政策があったようなんです*1。しかしこれは多大な問題を孕んでおり、移民問題、少数民族への迫害、文化破壊などが起こっているだけではなく、遊牧民の『生態移民』政策は砂漠化抑止の対策になってさえいないという声も上がっているようなんですね*2。映画ではこういった背景は全く描かれませんが、この問題を知っているのといないのとでは全く見方の違う映画になってしまいますね。オレは全く知らずに観てしまいましたが…。

普通に日本人の頭で考えちゃうと、「身障者の元旦那の扶養もコミで私を嫁に貰ってくれ」なんて、確かに有り得ない話ですよね。映画でもトゥヤーに求婚した男が、そんな馬鹿な話があるか!と怒っているシーンがあったので、文化の違いとかそういう話でもないんです。もう、そこまでしないと、愛する夫と共倒れになってしまう、モンゴルの牧畜民はそこまで追い込まれている、ということのようなんです。そして、そこまで追い込まれながら牧畜を止めないのは、これまで自分達が培ってきた文化を失くしたくない、という願いがそこにあるからなのでしょう。

映画として観ると、最初に政治的背景が分からなかった分、個人的にはどこか家族メロドラマのように見えてしまったところが残念です。ただ、各エピソードにはどこかコミカルなものも差し挟まれ、決して困窮や貧困をクローズアップした映画ではないということが出来るでしょう。それとモンゴルという異文化の人々が生活する姿は、やはりとても興味深く見えました。そしてモンゴルの高原の映像がとても美しい。青い空、どこまでも続く高原、そこに群れる羊の姿と、駱駝に乗りそれを追う一人の女。これだけでも一つの絵として切り取ってみたいほどでした。

■『トゥヤーの結婚』予告編

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