ブログへの異常な愛情: または私は如何にしてたいした書きたいことも無いのにしょーもないブログを書き続けるようになったか

自分のブログは映画記事が多く、映画ブログと思われている方もいらっしゃるかと思いますが、実は自分ではそういうつもりもなくて、ただ映画記事は一番書きやすいから書いているだけなんですよ。
自分はもともと世の中なり人様なりに思うことも主張したいこともなーんにも無い人間で、だからブログを書くに当たり「観た映画、読んだ本・コミック、聴いた音楽、遊んだゲームを余さず記事にする」というルールを作ってあれこれの記事を書くことにしているんですね。
その中で、映画記事は90分なり120分の映画を1本観れば1本書けます。映画を観たその日のうちにチャチャッと書けちゃうわけですね。これが本だと、自分は本を読むのがとても遅くて1冊1週間以上はかかります。ブログにするまで時間が掛かるということです。コミックだとさっと読めますから、これは記事で書くのは簡単ですが、例えば続き物だとそんなに毎回書くことはありませんね。音楽は、例えばCD1枚70分程度ではありますが、音楽というのは文章にするのが大変難しいジャンルなんですね、少なくとも自分にとっては(だから音楽ブログを書いている方はとても尊敬しています)。ゲームもよくやりますが、これはそんなに頻繁に買うものでもありません。
というわけで映画の記事が一番すぐ書けて、(レンタルなら)安上がりで、そして一番一般に受け入れられやすいジャンルである、という理由で、映画記事ばかり書いているんですよ。自分は実は、映画や本やコミックや音楽を、まんべんなく記事にして、合間に個人的な(割とどうでもいい)日記を挟んで、1週間まとめて見ると様々なジャンルを網羅した1冊の雑誌みたいなブログにしたかったんですよ。まあ理想通りにはいきませんでしたが!
それと、自分が書いているブログの記事というのは、これは書きたいことがいっぱいあるから書いている、というわけでもないのですよ。ブログを毎日続ける、という大前提の為に記事を書いているんですね。即ち「手段の目的化」した記事でありブログであって、だから書きたいことがたいしたなくても無理やりひねり出して書いてしまっているんですね。言ってしまえば自分のブログ記事のある程度の部分は「手段が目的化した飛ばし記事」ということになってしまうんですね、恥ずかしながら。
そんな記事なのになんであれだけの分量の文章を書いているかというと、ひとつの記事に対して「ある程度の文章量」というルールを決めているからです。自分にとって記事は内容よりも量なんですね。レイアウト的に、パッと見てある程度の文章量がある、そういうふうにしたかっただけです。確かに映画なりなんなりに、感想が無いわけではないですが、そんなのはせいぜい2,3行で事足りるような感想で、そしてその2,3行で事足りる感想を思いっきり水増しし、上げ底し詰め物をしてあの長さにしているんですよ!
そしてもう一つ、相当長文の文章に関しては、ただ単に「何を書くか決めていないのに書き始めた結果まとまりがなくとりとめもないダラダラした文章になる」、ただこれだけです。書きながら考えて、書きながらまとめているんですよ。だから最後まで書いてやっと「ああ、これってこういう結論になるのか!?」と自分で気付いてびっくりするぐらいです。全くなんじゃそりゃ、って感じですよね。結論が分かったんだからダラダラした分を削って簡潔にしたらいいのかもしれませんが、それだとそれまで書いた文章が勿体ないので、あえて削らないんです。だってせっかく時間かけて書いたんだもん!
そんなにどうでもよく思ってるのになぜブログを続けているかというと、10年続けたある段階から、ブログを毎日書くというのが生活サイクルに組み込まれてしまったからです。生活習慣病というのがあって、体に悪いと知ってても、どうしてもダラダラお酒を呑んだり煙草を吸ったり、脂質や糖分の多い食事を摂ったりしてしまう、それはもう好きとか楽しいとかいう問題じゃなく、そういう習慣の生活が楽だからなんですね。習慣になってしまうと、逆にその習慣を止めるのが苦痛だったり不安だったりするから、だから止められない、そういった意味で、自分にとってブログを書くのは生活習慣病みたいなもんなんですよ。人に読まれたいとか評価されたいとか理解されたいとか以前に、ただ書く、ただただ書く、その為のブログなんですね。なんか荒行みたいですね。続けても御利益なんかなーんもありませんけどね!