拡張現実と遺伝子設計生物の未来〜『Gene Mapper -full build-』

Gene Mapper -full build- / 藤井太洋

Gene Mapper -full build- (ハヤカワ文庫JA)

拡張現実が広く社会に浸透し、フルスクラッチで遺伝子設計された蒸留作物が食卓の主役である近未来。遺伝子デザイナーの林田は、L&B社のエージェント黒川から自分が遺伝子設計した稲が遺伝子崩壊した可能性があるとの連絡を受け原因究明にあたる。ハッカーのキタムラの協力を得た林田は、黒川と共に稲の謎を追うためホーチミンを目指すが―電子書籍個人出版がたちまちベストセラーとなった話題作の増補改稿完全版。

進歩した拡張現実技術と遺伝子設計作物が可能にした未来――ということで、バチオ・バチガルピのSF小説『ねじまき少女』(傑作)に通じるものを感じ、読んでみることにした。
ただ、実際読み進めてみると、「SF小説」というよりは「未来産業小説」ないしは「海外出張小説」といった感触。海外プラントに発生した問題をフリーのエンジニアが解決しに行く、というプロットは、物語で描かれる未来的な科学技術を現代的なものに置き換えることが幾らでも可能で、センス・オブ・ワンダーな飛躍には残念ながら欠けている。まあこれは、SF小説ファンだけに限定しない裾野の広い読者マーケットを確立するという意味では間違いのないプロットなのかもしれない。個人的には最初SFを期待して読み始めてしまい、若干肩透かしを食ったのだが、物語自体は面白く出来てたからまあいっか、と。
作品の作りとしては処女長編ということもあってか若干難がある。物語を事件の発端から逐次的に語りすぎているためにテーマの孕むサスペンスがなかなか盛り上がらない。そのため事件の核心に触れる中盤までは退屈だった。これは事件の発生しているベトナム現地からいきなり始め、その後あらましをフラッシュバックの形で語ってもよかったのではないか。最も致命的に感じたのは主人公が普通の人過ぎてなんの魅力も感じさせないといった部分だろう。脇を固める登場人物がそれぞれに個性を感じさせる描写が成されていた分これは残念だった。
科学技術の進歩とその利用に対してもどこか無邪気というか楽観的すぎる感触があった。科学技術が及ぼす政治的な局面に触れられていないのも片手落ちに感じた。これは作者が技術畑の方だからだろうか。後半明らかになるXXXなども、出所が出所だけに実際であればもっときな臭くなる筈ではないか。
その代り冒頭から進歩した拡張現実技術により可能になるであろうことが余すところなく表現されている。ジャーゴンの踊るその描写は完全に理解できるものではないが、だからこそ逆にめくるめく未来像に胸躍らせることが出来る。そういったジャーゴンの多さから、「意味が分からない」などという書評も幾つか見受けられるが、至れり尽くせりの小説を期待した方の意見だろうから、全く無視して構わない。むしろ作品全体は相当に読みやすく書かれており、作者自身も「乗ってきた」であろう中盤以降は面白さも加速する。あれこれ手厳しく書いてしまったが作者の並々ならぬ意欲を感じさせる小説であることは確かだろう。

Gene Mapper -full build-

Gene Mapper -full build-

ねじまき少女 上 (ハヤカワ文庫SF)

ねじまき少女 上 (ハヤカワ文庫SF)

ねじまき少女 下 (ハヤカワ文庫SF)

ねじまき少女 下 (ハヤカワ文庫SF)