神無き世界は地獄なんじゃあああ(どんつくどんとく)〜映画『悪の法則』

■悪の法則 (監督:リドリー・スコット 2013年アメリカ映画)


『悪の法則』、劇場公開時にはリドリー・スコットが監督ということで若干注目はしていたんですが、予告編を観ても何の映画だかさっぱり分からない、というのと、脚本があのコーマック・マッカーシー(以下コマちゃん)、というのでなーんとなく観る気を無くしていたんですな。結局DVDで観ましたが、観始めて30分ぐらい経過してもやっぱり何の話だか分かんない!というのでびっくりしましたね!しかし、なんだべ、なんだや、と思っている内に段々登場人物たちの身辺が怪しくなってきます。で、どうやらこの映画、やっぱりまたぞろコマちゃんの《神無き世界》事例の焼き直しだということにようやく気付くというわけです。ボクって鈍いね、テヘ(はあと)。
コマちゃんっていうのは映画『ノーカントリー』や『ザ・ロード』の原作者としても知られている作家ですが、その作品に底流するテーマは「神無き世界は暗黒なんじゃあこの世は地獄じゃあ地獄なんじゃあ」とか言ってるような、いわゆるヨハネ黙示録的終末論者のモノの見方なんですよ。例えてみるならS・キング原作の映画『ミスト』に出て来る予言者ババアみたいなヤツで、青い目をキラキラさせた純情朴訥な欧米知識人あたりはそのとってもコワ〜イ宗教観倫理観に簡単にキンタマ握られてきゅううってなっちゃうわけなんですね。まあインチキ教祖がよく使う手です。
コマちゃんはよく荒野を舞台に選びますが、当然それはキリストが悪魔に誘惑されたというあの荒野です。荒野は魂の次元を推し量るメタファーなんです。コマちゃんの作品というのは万事が万事こんな調子なんですよ。そんなですから、信仰篤い欧米人に、なんか高尚な事を言ってると勘違いさせ、挙句の果てにピューリッツァー賞までとっちゃうってんですからたいしたタマだとは思いますが、こういう輩を有難がっちゃあいけません。
で、『悪の法則』ですが、この物語は一人のキチガイキャメロン・ディアス)と雑多な愚か者で構成されています。そしてこのキチガイとは反倫理の象徴であり、それはすなわち《反キリスト=悪魔》というわけです。キャメロン・ディアス扮する女がわざわざカトリック教会まで出向いて告解するふりしながら神父に「淫らなセックス」の話を持ち出し愚弄するシーンがありましたね。宗教性の薄い日本人には「ドスケベすぎて頭がクルクルパーなった婆さん」程度にしか見えませんが、欧米人にとってはあれは「涜神行為」なんです。ある意味ちょっと『エクソシスト』入っていると思ってください。信者でなく洗礼すら受けていない者が神父に淫らな言葉をかけるのってそういうことなんです。
そして愚か者たちというのは《反キリスト=悪魔》に誘惑された子羊という訳です。罪のあるなしは関係ありません。《反キリスト=悪魔》の誘惑に関わった者はみんな地獄に落とされる。それがこの物語の構造です。マフィアがどうとか麻薬取引がこうとか、実はカンケーないんです。逆に言えばただそれだけの話で、キリスト教とかやってねーしと思ってるもんとしてはどうでもいいお話ということでいいんです。さらにその《反キリスト=悪魔》を出し抜ける者、互角に相対することのできる者が一人もいないという点で、このお話はドラマですらなく、コマちゃんの陰気な訓戒が垂れ流されるというだけのお話なんです。なんなら《反キリストホラー》というジャンルということでホラーマニアの方が見るといいのだと思います。
またぞろ例によってひたすら救いの無いオハナシに見えますが、それはこの世が実際に救いの無い世界なのでは決して無くて、ただ単にこれを書いたコマちゃん自身がひたすら救いようのない性格の暗いヤツだからなので、皆さんはお気になされなくていいのだと思います。この世界を決して明るいとは言いませんが、救いようの無い地獄のようなものでもないでしょう。なんとなれば現実は、世界の諸相はそれを見る者によって決定される。それを神無き世界にとりつかれたコマちゃんはひたすら陰鬱に描くしかできない、ということです。全くうんざりさせられますね。こんな芸の無いコマちゃんって、ビチグソ野郎も甚だしいですね。やっぱり、えんがちょ切るのが正しい接し方でありましょう。

悪の法則

悪の法則