Hatena::ブログ(Diary)

メモリの藻屑、記憶領域のゴミ

20140630(Mon)

[]『天ぷら 山の上』でお食事 『天ぷら 山の上』でお食事を含むブックマーク 『天ぷら 山の上』でお食事のブックマークコメント

先日は相方さんのお誕生日祝いということで一緒にお茶の水の「山の上ホテル」にある『天ぷらと和食 山の上』で食事をしてきました。本当は相方さんのお誕生日はもっと前だったのですが、彼女が仕事で忙しかったので、ちょっと遅れてのお誕生日会ということになります。この日天ぷらを選んだのは、天ぷらが好きで好きで堪らない、ということでもなくて、「ちゃんとした和食のお店で食べる天ぷらというのはどういうものなんだろう?」という興味からです。

お店のある山の上ホテルというのは昭和11年に建てられたクラシックホテルのひとつで、旧館の建物はアール・デコ調のクラシカルな内外装が特徴です。クラシックホテルでお食事とか、なかなかオレもやるもんです。

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『天ぷらと和食 山の上』は池波正太郎を始めとする当時の文人・文化人が御用達にしていたらしく、知る人ぞ知る有名店なのらしいですね。

私が「天ぷらは山の上が日本一です」と息巻くたびに、池波正太郎は笑っていた。そして、「きみがそう思うなら、そう書けばいいが、必ず“私にとっては”という一句を入れるのを忘れるなよ」。

その池波正太郎が、晩年、山の上ホテルを仕事場とするようになってからは、すっかり「天ぷら 山の上」贔屓になり、私はもう旗持ちをする必要がなくなった。

「池波正太郎の食卓 佐藤隆介/著、近藤文夫/著、茂出木雅章/著」

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お店の内装はこんな感じ。(お店のFacebookから写真を拝借しました)

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カウンターの後ろにある木製の室は、具材を氷で保存するためのものなんですね。(こちらの写真もお店のFacebookからです。)予約はカウンター席をとったのですが、由緒あるお店のカウンター席、ちょっと緊張しました。そんなわけでこの日は天ぷらを揚げる様子を見ながらのお食事が楽しかったでした。

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この日は奮発して「特選天ぷら定食」を注文しましたが、薄い衣がからっと上がった天ぷらネタはどれも新鮮さといい歯応えといい十分で、美味しい天ぷらを満喫してきました。魚ネタ、野菜ネタ、どれも美味しかったですが、特にアワビの柔らかさと、ブランデーをかけて食べるサツマイモの甘さが格別でしたね。ウニの天ぷらも美味しかったなあ。特に料理写真は撮りませんでしたが、きっと相方さんのブログで公開してくれるでしょう。

というわけで最後のシャーベットまですっかり堪能し、お腹いっぱいになってこの日は帰ってきました。

天ぷらと和食 山の上

東京都千代田区神田駿河台1-1 山の上ホテル本館 1F

lazy-daisy5113lazy-daisy5113 2014/06/30 16:22 私も池波センセのエッセイにつられてココに行きました、大昔だけど。やっぱり天婦羅はカウンターに限ると思った場所です。あと、「天ぷら地のはて」と「天ぷら水の底」もいいですよ(嘘)

globalheadglobalhead 2014/06/30 20:24 おおそうだったかレイジー!確かにカウンター席の隅っこに「礼慈威参上」と彫刻刀で彫った後があったからまさかとは思っていたが、本当にレイジーが来ていたとはな!相方と「これ…レイジーさん?」と話してたら料理人たちの手が一斉にぴたりと止まり、重苦しい雰囲気が流れたので、フロアマネージャーらしきオッサンに「これはなんですか?」と尋ねたら、表情を暗くして「このことだけには触れないでください…」と消え入るような声で言われたのだけれど、いったいここで何があったんだレイジー!?
というわけで次に目指すのは「天ぷら宇宙の彼方」と「天ぷら涅槃の壱丁目」だ!天ぷらの海はネットの如く深く広大なのだ!

20140627(Fri)

[][]デリーの異邦人が体験するインドのアンビバレンツ〜映画『Delhi 6』 デリーの異邦人が体験するインドのアンビバレンツ〜映画『Delhi 6』を含むブックマーク デリーの異邦人が体験するインドのアンビバレンツ〜映画『Delhi 6』のブックマークコメント

■Delhi 6 (監督:ラケーシュ・オームプラカーシュ・メーラ 2009年インド映画)

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イギリスのロック・シンガー、スティングに「イングリッシュマン・イン・ニューヨーク」というヒット曲があるが、この『Delhi 6』は「アメリカン・イン・デリー」ということができるかもしれない。

ニューヨークで生まれ育ったインド系アメリカ人、ローシャン(アビシェーク・バッチャン)は、故郷で死にたいと希望する祖母の為にインドの都市デリーへと移り住むことになる。インドの血が流れているとはいえ、ローシャンにとってデリーの町はあまりに異質な世界だったが、その喧騒と混沌、そしてそこに住む人懐こい人々に次第に魅せられてゆく。そして同時に、隣家に住む美しい娘、ビットゥー(ソーナム・カプール)の現代的でさばけた雰囲気にローシャンは惹かれていった。だがビットゥーには親の決めた相手との結婚話が持ち上がり、二人の関係に暗雲が立ち込める。折りしもその頃、謎の生物「黒い猿」の出現がデリーを恐怖に陥れ、それを巡りヒンドゥー教徒とイスラム教徒の間で緊張が高まりつつあった。

こうして映画『Delhi 6』は、「異邦人の目から見たインドの古い町デリー」を、その驚きと戸惑いを描くことになる。通りに溢れる膨大な数の人、薄汚れた町並み、渋滞の続く道路、並び立つ市。悠久の時を経た建造物、イスラムの礼拝、ヒンドゥーの神像、夕暮れになると開催される神話の神の舞台劇。これら見慣れぬ文化と見慣れぬ習俗は、眩暈のようなカルチャーショックとなって主人公を魅了するが、同時にそれは、この映画を観る者もまた魅了するのだ。こうして映し出されるデリーの様々な光景は、そこに住むインド人には当たり前すぎて気付かないインドの素晴らしさを伝えながらも、インドの現実が抱える、カーストや貧富の差、暴力的な官憲、女性蔑視、宗教対立など、必ずしも明るいばかりではない側面も伝えることになるのだ。

美しいインドと醜いインドの狭間の中で、主人公ローシャンもまた自らの抱えるアンビバレンツに悩まされることになる。それはアメリカ人として育った合理的なアイデンティティと、自らの中に流れるインドの血という気質との葛藤だ。さらにローシャンは、ヒンドゥー教徒とイスラム教徒の父母を持ち、そのような異教徒同士の駆け落ちの中で生まれた男だったのだ。アンビバレンツはローシャンの恋した娘ビットゥーにも存在する。露出度の高い服を着、「TVタレントとして活躍したい」と夢見るビットゥーは、インドの現代的な女性であるが、その彼女は親の決めた相手との結婚、というインドの古い因習に心を引き裂かれてゆくのだ。そして、ローシャンの抱えるアンビバレンツ、ビットゥーの抱えるアンビバレンツは、実はそのまま、5000年の歴史と著しい経済成長の狭間にあるインドそのものが抱えるアンビバレンツを描くものだったのだ。

その中でトリックスターのごとく物語の背後で蠢くのが謎の生物「黒い猿」だ。闇の中を跳梁跋扈し人々に悪さをする、と信じられている「黒い猿」だが、それはデリーの人々の間で囁かれる都市伝説であり、映画に実際に姿を現すわけではない。しかし謎の生物に対する不安と恐怖が、デリーに住む市民たちに次第に集団ヒステリーのようなパニックを引き起こし、いつしかその不安はヒンドゥー教とイスラム教の代理戦争へと摩り替えられてゆくのだ。前半どこかしら長閑な観光映画のように綴られるこの物語が、後半二つの宗教間での暴動へと発展し、そしてそれはやっとお互いの気持ちを確かめ合ったローシャンとビットゥーを巻き込んでゆくのだ。その結末は映画を観て確かめてもらうとして、そもそもこの「黒い猿」とはなんだったのか。それはアンビバレンツの狭間でグジグジと発酵していった、インド人たちの鬱屈が形となったものだったのではないだろうか。

さてこの物語は、高い評価を得ている作品であるという以上に、実は映画『Raanjhanaa』で活躍していたインド女優、ビットゥー役のソーナム・カプールの美しさをもう一度確かめたい、ということから観てみることにした作品であった。いやーやっぱりソーナム・カプール、相当に美しいです。彼女の美しさを愛でる為にだけでも、この作品を観るのは惜しくはない。

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鳩を頭に載せて踊るソーナム・カプールが可愛過ぎる。A・R・ラフマーンの音楽も非常にモダンで素晴らしい。

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20140626(Thu)

[][]嘘に嘘が塗り重ねられて大騒動!? 〜映画『Bol Bachchan』 嘘に嘘が塗り重ねられて大騒動!? 〜映画『Bol Bachchan』を含むブックマーク 嘘に嘘が塗り重ねられて大騒動!? 〜映画『Bol Bachchan』のブックマークコメント

■Bol Bachchan (監督:ローヒト・シェッティー 2012年インド映画)

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インド映画を観ていてたまに目にするのがイスラム教徒とヒンドゥー教徒との対立です。暴動まで発展する事件はあるものの、普段は気の置けない隣人同士として、案外普通に平和に共存しあっているそうなのですが、それでも越えられない一線は確かにあるようです。この映画『Bol Bachchan』はイスラム教徒の青年が、ある事情からその信教を隠し、ヒンドゥー教徒と偽って仕事をしなければならなくなったことから起こるドタバタを描いたコメディ映画です。

主人公の名はイスラム教徒のアッバース・アリー(アビシェーク・バッチャン)。親戚との裁判に負け全財産を失った彼は、住んでいたデリーを離れてラーナクプルに移り住み、地元を治めるプリトヴィーラージ(アジャイ・デーヴガン)の元で働くことになる。このプリトヴィーラージ、大変実直な男で、嘘つきには過激な制裁も辞さないという大の嘘つき嫌い。しかしアッバースはある事件が理由で、自分がイスラム教徒であることを隠さねばならず、自分はヒンドゥー教徒アビシェーク・バッチャンという名だ、と嘘をついてしまう。最初こそ上手く行っていたアッバースだったが、次から次にボロが出て、その度に嘘に嘘を重ねて行くようになり、次第に事態は収拾がつかない方向に行ってしまう。果たしてアッバースの嘘はバレてしまうのか!?

うーむ、こうして粗筋を書いてみたけれど、日本人にはやはり伝わり難い部分がありますよね。主人公の名前アッバース・アリーは、もうそれだけでイスラム教徒だって分かってしまう名前で、だからそれがバレないようにヒンドゥー教徒の名前であるアビシェーク・バッチャンを名乗った、ということらしいのですね。

しかし解り難いのはここぐらいで、その後は結構分り易いムスリムネタが続きます。まずムスリムの断食、ラマダーンをしていたアッバースがプリトヴィーラージに「なんでお前メシ食わんの?」とつっこまれ、「いやいや実は病気の母親の看病してまして!」と嘘ついちゃいます。しかし「ほうほう感心感心、じゃあ君のお母さんのお見舞い行っちゃる!」なんて言われたもんですから大慌て、母親の代役を探すために街中駆けずり回ります。さらにムスリムの礼拝をしていた所を見られたアッバースが追及され、「いやいやあれはオカマダンサーの兄なんです!」と訳の分かんない嘘をついたばっかりに、「じゃあ俺の妹にダンス教えてくれるよう兄さんに言ってくれ!」なーんて事態になり、アッバースは泣く泣くオカマの兄の振りしながらクネクネとプリトヴィーラージのもとを訪ね、「あらいや〜ん」とか言ったりしてるんですな!しかしオカマダンサーを演じるアビシェーク・バッチャン、結構板についていたような気が…ッ!?

いやいやそんな嘘すぐバレるだろ!と思いますがさにあらず、嘘をつかれているプリトヴィーラージ本人が、バカが付くほど素直な男なもんですから、簡単に信じちゃうんですね。いつも怖い顔しているくせに、ちょっぴり頭の構造がシンプルなプリトヴィーラージの信じやすさがまたお話を面白くしているんですね。プリトヴィーラージの側近は「親方、こんなもん嘘に決まってますよ!?」と進言するんですが、そんな側近に「てめえこの野郎、真面目で働きもんのアビシェークが嘘つくわけないだろ!?」と逆に側近をその都度ボコにしちゃったりするのがまたまた可笑しいんです。

しかもアッバースはプリトヴィーラージの妹に惚れてしまい、おまけにプリトヴィーラージもアッバースの妹に惚れてしまうもんですから、お話はなお一層ややここしくなっていきます。ギャグだけではなく監督であるローヒト・シェッティーらしい派手なアクションも随所に盛り込まれ、非常に楽しめる娯楽作として仕上がっていましたよ。

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20140625(Wed)

[][]幾多の危機を乗り越えながら固く結びあう友情を描く秀作映画『Kai Po Che』 幾多の危機を乗り越えながら固く結びあう友情を描く秀作映画『Kai Po Che』を含むブックマーク 幾多の危機を乗り越えながら固く結びあう友情を描く秀作映画『Kai Po Che』のブックマークコメント

■Kai Po Che (監督:アビシェーク・カプール 2013年インド映画)

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この作品は3人の青年たちの「様々な困難を乗り越えてなお固く結びつく友情」を描いています。しかしその困難は一筋縄のものではありません。そしてその中で主人公たちの友情は何度も危機を迎え、各々もまた自分自身の問題を抱えているんです。

主人公となるのはまず一人目、ゴーヴィンド(ラージ・クマール)。彼はクリケットの商品を扱うスポーツ店を経営しようと考えています。性格は真面目で頭もよく、家庭教師のアルバイトもしており、教え子の少女と恋に落ちる、なんて展開もあります。二人目はイシャーン(スシャント・シン・ラージプート)。元花形クリケット選手でしたが今はぶらぶらして過ごしています。熱血タイプの性格ですが、時に行きすぎて激高し、様々なトラブルをおこしてしまいます。しかしまた、その真っ直ぐで情熱的な性格が周りを引っ張ってゆくんです。三人目はオーミー(アミト・サード)。ヒンドゥー教司祭の息子である彼は、中庸でおっとりした性格です。いわば三人の中でのムードメーカーといったところでしょうか。資産の潤沢な親戚を持ち、ゴーヴィンドの起業に資金提供をします。しかし後半、この彼の豹変が物語を悲劇的な方向へと導いてしまうんです。

この物語ではクリケット競技が大きく取り上げられますが、これはクリケットが、インドで最も人気のあるスポーツだからということなんです。かつてインドが大英帝国の植民地だった時代に、クリケットは紳士のスポーツとして大いに浸透したらしいんですね。その熱狂ぶりといったら、日本におけるサッカーや野球と同等かそれ以上といってもいいでしょう。だからこの作品に限らず、インド映画を観ているとクリケット観戦をしている様子をたまに目にすることがあります。自分はクリケットのルールは知らないんですが、映画を観賞するのにはそれほど支障ありませんでした。ただオレ、基本的にスポーツに興味が無いので、この作品の内容とか完成度以前にちょっと醒めて観ていた部分はなきにしもあらずでした。

物語は前半までクリケット店の起業、経営、拡張、さらにクリケット学校の運営に対する3人の青年たちの悪戦苦闘の様子が描かれます。しかし軌道に乗ってきた彼らの仕事が、あることで突然の崩壊を迎えます。それは2001年に物語の舞台となっているグジャラート州で実際に起こったインド西部地震です。死者2万人、負傷者16万6千人を出したというこの地震で、3人は多くのものを失います。その絶望の中から再び立ち上がろうと様々な苦労を重ねる3人でしたが、不幸はまたしても彼らを襲います。2002年、宗教的対立によりヒンドゥー教徒が1000人を超えるイスラム教徒を一方的に虐殺したというグジャラート暴動がそれです。これにより3人の友情は大きく引き裂かれていくのです。このようにこの物語は現代インド史に残る大事件をいくつも取り上げながら、その中で翻弄されてゆく人々の姿を描いているんですね。

物語、映像とも全体を通して非常に端正できめ細やかに描かれています。構成も実にしっかりしており破綻がありません。また、主人公となる3人の青年のキャラクターや背景は掘り下げ方が深く、各々の個性も際立っています。これはこの作品がインドの人気作家による原作小説を持つことからなのでしょう。反面、その生真面目さ、はったりの無さから、若干退屈に思えた部分があったことは否めません。それにしても、主人公3人のキャラクターは、それぞれビジネス、クリケット・スポーツ、宗教/政治と、これに映画が加われば現代インドの象徴的な存在であることに気づかされます。彼らは皆インドの現在であり未来なのでしょう。つまりこの作品は、インドが様々な障壁や危機を乗り越えながら、それらを希望ある未来に繋いでいこうとする様子を、3人の青年たちの姿に託して描いたものだということもできるのではないでしょうか。

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20140624(Tue)

[][]偽りの結婚から芽生えた愛〜映画『Ishaqzaade』 偽りの結婚から芽生えた愛〜映画『Ishaqzaade』を含むブックマーク 偽りの結婚から芽生えた愛〜映画『Ishaqzaade』のブックマークコメント

■Ishaqzaade (監督:ハビーブ・ファイサル 2012年インド映画)

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この作品は内容が「ロミオとジュリエット的な物語」という触れ込みがあり、そういった内容であれば『Goliyon Ki Raasleela Ram-Leela』で既に観ているので、特に観なくてもいいかなとは思っていたのだが、ポスターや予告編の、奇妙に荒涼とした雰囲気がなんとなく気になり、やはり観てみることにした。すると、確かに主人公が敵対する二つの家の息子と娘、という初期設定はあるにせよ、なんと物語途中からこの二人が、結託した二つの家から命を狙われることになる、といった独特の展開を迎えるのだ。合わせて、この物語が極めてインドのドメスティックな心情の在り方に基づくものであり、そのインドならではの心情を読み解きながら観る、といった部分に面白さを感じた。今回は少々ネタバレしつつ感想を書く。

物語の舞台は北インドの小さな町だ。今この町で、ヒンドゥー教徒のチャウハーンという男と、イスラム教徒のクレシーという男が選挙に立候補してしのぎを削っていた。チャウハーンには荒くれ者のパルマ(アルジュン・カプール)という息子がおり、一方クレシーには非常に気の強いゾーヤー(パリニーティー・チョープラー)という娘がいた。パルマとゾーヤーもまたいがみ合っていたが、次第にパルマはゾーヤーを口説くようになり、ゾーヤーもまたパルマを受け入れ、そしてある日二人は秘密の結婚式を挙げることになる。

だがそれはパルマの策略だった。ムスリムのゾーヤーがヒンドゥー式の結婚式を挙げている写真をばらまき、彼女の父クレシーの選挙を不利に持ち込もうとしていたのだ。果たしてクレシーは敗退し、原因となった自らの娘を激しくなじる。パルマに騙され、父に拒否され、怒りと悲しみに半狂乱となったゾーヤーは拳銃を片手にパルマの部屋に忍びこむ。しかしそこで待っていたのはパルマの母だった。経緯がどうあれ結婚した以上あなたは私の息子の嫁であり私の娘だ、と諭すパルマの母。そしてやってきたパルマを叱咤し、結婚した以上あなたの妻を守りなさい、と命令する。パルマは自分の責を認め、ゾーヤーを連れて逃げ出す。だが二人の父親とその配下は、彼らにとって裏切り者である二人を殺そうと追跡を始める。

ストーリーだけから見るとパルマは女性の敵ともいえる酷い男なのだが、映画では実際それほど憎々しく感じないのだ。それはパルマが単なるおバカなオコチャマだからだ。誰に頼まれてもいないのに勝手に暴走して選挙相手の邪魔をしその娘を平気で傷つけるが、それは単に父に評価されたいからだった。子供ならではの残酷さと単純さから行動したパルマはしかし、母親に非難され子供らしくしゅんと落ち込み、子供らしくすぐさま改心する。一方ゾーヤーはパルマよりも全然大人だし、勝手に引っ掻き回されただけではあるが、真正な結婚と認められた瞬間からパルマの全てを許しもう一度愛し始める、という奇妙な無邪気さを感じさせる。

偽りの結婚であっても、真正な僧侶の前で結婚した以上、それが厳粛で真正な結婚なのだとされているのは、それだけ宗教の力が強いからなのだろう。騙された結婚であっても、それが認められたゾーヤーが突然パルマを許すようになるのは、結婚というものの支配力が非常に強いものだからなのだろう。あんなに放埓な行動を繰り返していたパルマが、母親の叱咤でしゅんとなり改心するのは、家族主義のインドでは父母はまだ十分な力を持っているからなのだろう。そんなインド的な心情の在り方を想像しながら観るのが面白かった。

映画それ自体はやはりどこか荒んだ雰囲気が全体を覆う。インドのひなびた地方都市、その荒涼とした町並み、そこに住む人々のぎすぎすとした感情、町外れの廃墟。そして主人公パルマのイカレっぷり、もう一人の主人公ゾーヤーのとげとげしさ。古い因習に囚われて生きる事しか知らない人々の、ガサツで頑なな生き方が悲劇を呼ぶ。「ロミオとジョリエット」が下敷きとは言いながら、ロマンチックさは薄く、遣り切れなさだけが生かされている。う〜んでも、いくら「ロミジュリ」とはいえ、あのラストはちょっと承服しかねるものがあったなあ。

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20140623(Mon)

[][]インドの大地を旅しながら描かれる傷ついた魂の遍歴〜映画『Highway』 インドの大地を旅しながら描かれる傷ついた魂の遍歴〜映画『Highway』を含むブックマーク インドの大地を旅しながら描かれる傷ついた魂の遍歴〜映画『Highway』のブックマークコメント

■Highway (監督:イムティヤーズ・アリー 2014年インド映画)

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誘拐犯と誘拐された少女とがインド全土を旅しながら、お互いの間に芽生えた奇妙な感情に気付き始める、というリリカルなロードムービーです。

デリーに住む実業家の娘、ヴィーラ(アーリヤー・バット)は恋人と出掛けた途中のガソリンスタンドで強盗に遭遇し、誘拐されてしまう。強盗の一人、マハビール(ランディープ・フーダー)は身代金を要求すると同時に、捜査攪乱の為、ヴィーラを連れてトラックでインド各地を転々とする。一方、誘拐されたヴィーラは、マハビールらの隙を突いて逃げ出したりもしながら、自分が不思議な解放感に包まれていることを知る。ヴィーラはその時、いかに自分が息苦しい家庭の中でうつむきながら生きてきたかに気付いたのだ。そしてヴィーラは、マハビールと共に行動することを心に決め、そして二人はインド全土を巡るあてもない旅に出る。

誘拐犯は髭モジャのいい年したおっさん、一方誘拐された少女はまだ10代のようにも見えます。当然命の危険は感じるでしょうし、レイプだってあるかもしれません。誘拐犯に心を許す、だなんて考えられないことかもしれません。しかしこの物語は犯罪ドラマというよりも、誘拐をきっかけとして、登場人物たちの内面と心象を掘り下げようとしたドラマなのだろうと思います。少女は誘拐されて初めて、今まで自分が牢獄のような家で暮らしていたことを知ります。また誘拐犯の男は、少女の優しさに触れることで、自分がこれまでいかに過酷な人生に耐えてきたのかを思い出すのです。この物語で誘拐犯の男は決して凶悪な人でなしとしては描かれていません。むしろ犯罪者として生きて来なければならなかった悲しい存在として描かれるんです。

二人の間はお互いの胸の中に開いた大きな空洞を知ることにより、犯罪者と被害者の関係から、ひとつの共犯関係へと変わってゆきます。それは何に対する共犯なのか。それは、それまでの自分の人生を否定したい、拒否したい、という思いです。そしてそこから逃げ出したい、という気持ちです。だからこそ、誘拐犯は自分が誘拐犯であることを忘れ、少女は自分が誘拐されたことを忘れ、ただただ自分をそれまで縛ってきた「現実」という名のしがらみから逃げ出すために、広大なインドの大地をどこまでも旅することになるのです。現実否定と現実逃避の先にある、もしかしたらあるのかもしれない、「もっとまともな筈の現実」、それを求めて、彼らは旅を続けようとします。

二人の旅するインドの大地は刻々と姿を変えてゆきます。近代的な大都市、民家のまばらな田舎道、草一つ生えない荒野、人気のない廃墟、緑豊かな草原、険しい山岳地帯、そして雪に覆われた山中。それら全てを覆う青い空、または漆黒の夜空、そして太陽と月と星。これら美しいインドの光景が、次々と画面の中を通り過ぎてゆくんです。これらの情景は、二人の傷ついた心を露わにし、そしてその痛みを洗い流してゆきます。旅それ自体が、彼らの生まれ変わる通過儀礼だったのです。そして旅路の果てに、二人には愛情とも、恋とも名付けえない気持ちが芽生え始めますが、しかし二人が忘れ去った筈の「辛い現実」も、実はしっかりと二人を付け回していたのです。

インドの広大な土地を眺めることのできる素敵な物語でした。これまで観たボリウッド娯楽作とは違う、瑞々しいしっかりしたストーリーの作品としても楽しめましたね。主演の少女アーリヤー・バットは、役柄が役柄だけに全編ほぼノーメイク(多分映画用のメイクはしているのでしょうが)、化粧ギンギンのインド映画に見慣れていると、逆に妙に生っぽい存在感と幼さを醸し出し、非常に好演でした。この映画観たあと、別の映画に出ていた時のきっちりメイクした彼女を観たらこれがもう別人で…アーリヤー・バットさんには今後もスッピン系ボリウッド女優として活躍してもらいたいような気がしました。

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20140622(Sun)

[]飲み食い日記 飲み食い日記を含むブックマーク 飲み食い日記のブックマークコメント

■某月某日

ピザ2枚注文した。質問は受け付けない。

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■某月某日

XLサイズのピザ注文した。質問は受け付けない。

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■某月某日

今日も美味しくベルギービール

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■某月某日

沖縄料理屋に行ってラフテーとトーフヨー。

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■某月某日

相方さんの誕生日だったがこの日は軽くいこうと二人でタイ料理屋へ。タイ風半生ソーセージってやつに生姜乗せて食べたら絶品。

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20140620(Fri)

[]ナノテク産業の隆盛とテロリズムの狭間で揺れ動く近未来都市イスタンブール〜『旋舞の千年都市』 ナノテク産業の隆盛とテロリズムの狭間で揺れ動く近未来都市イスタンブール〜『旋舞の千年都市』を含むブックマーク ナノテク産業の隆盛とテロリズムの狭間で揺れ動く近未来都市イスタンブール〜『旋舞の千年都市』のブックマークコメント

■旋舞の千年都市 / イアン・マクドナルド

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I.

犠牲者ゼロの奇妙な自爆テロ事件がすべての始まり!?テロ現場に遭遇してから精霊が見えるようになった青年、探偵に憧れてテロの謎を探る少年、政府の安全保障シンクタンクに招かれた老経済学者、一大ガス市場詐欺を企むトレーダー、伝説の蜜漬けミイラ「蜜人」を探す美術商、ナノテク企業の売り込みと家宝探しに奔走する新米マーケッターの6人が、近未来のイスタンブールを駆け回る。キャンベル記念賞・英国SF協会賞受賞、魅惑の都市SF群像劇。

舞台となるのは2027年、近未来のイスタンブール。古い歴史を持ち、東西文化の懸け橋であり、トルコ最大のみならずヨーロッパ最大の都市のひとつであるイスタンブールはこの時、EU加盟を果たし、未来の主要エネルギーとなった天然ガスと、ナノテク産業景気に沸いていた。そしてこの町である日、自爆テロが起こされる。犠牲者ゼロという奇妙なこのテロはしかし、その後イスタンブールに巻き起こる大きな事件の引き金に過ぎなかったのだ。

イアン・マクドナルドの『旋舞の千年都市』。日本語版タイトルにある「旋舞」とは、イスラム神秘主義メヴレヴィー教団の「セマー」と呼ばれる旋回舞踏を指す。スーフィーダンスとも呼ばれるこの踊りは、長時間旋回を続けることによって神に近づく修行なのだという。そしてこの物語は、ヨーロッパとアジアの狭間、イスラムの古い教義とハイテクによって生み出された新社会との狭間とで旋舞を踊る未来世界イスタンブールを描く作品だ。

II.

物語の主要人物は6人。

・ネジェデット…至近距離で自爆テロに遭遇した青年。その後彼は精霊(ジン)を見るようになる。

・ジャン…心臓に障害のある8歳の少年。ナノボットを駆使しテロ事件の謎に迫ろうとする。

・ゲオルギス…隠退した老経済学者。大規模テロの兆候を予見する。

・アドナン…一大ガス市場詐欺を企てる敏腕トレーダー。

・アイシェ…画廊の女主人。伝説の蜜漬けミイラ"蜜人"探索を依頼される。

・レイラ…ナノテク・ベンチャーの売り込みの為に奔走する新米マーケッター。

彼らが"都市の女王"イスタンブールを駆け抜ける5日間の日々を描いたものがこの『旋舞の千年都市』なのだ。この物語では6人の登場人物たちの行動が交互に描かれる。それらは一見関係無いもののように見えながら次第に糸のように撚り合わさってゆく。そしてこの作品の殆どのページにおいて費やされるのは近未来都市イスタンブールの執拗なまでの描写だ。それは悠久の歴史を生き延び、古い街並みが未だ残る、時間と文化と宗教によって磨き抜かれたイスタンブールの、微に入り細にわたる情景だ。描写の執拗さといったら、読んでいて途中から「もういいから話を先に進めてくれ」と思ったほどだ。

しかしそのイスタンブールは古いだけではない。保安用ナノが雲霞の如く空を舞い、人々はジェプテップと呼ばれる携帯端末を常に持ち歩き、スマートペーパーでニュースを読み、服用ナノを飲んで気分を高まらせ、ナノボットが様々な動物に姿を変え街中を探索し、技術者は人の細胞をコンピュータ化するナノの開発を進めているのだ。この物語ではこのように、ナノ・テクノロジーの進歩により変容した社会もまた描かれるのだ。すなわちSFテーマとしてはナノテクSFと呼ぶこともできるだろう。

III.

主要人物6人の行動はそれぞれに新旧イスタンブールの断面を活写してゆく。それぞれがひとつの短編として独立して存在してもいいような物語性とアイディアを持っている。その中でも異彩を放っているのは画廊の女主人アイシェをメインとする物語だろう。彼女がイスタンブールの街で探索する「伝説の蜜漬けミイラ"蜜人"」というのは実際に明朝の記録に残っているもので、それを飲めば不老長寿が得られるという伝説があるのだという。これをアイシェはイスタンブール建設において隠された「都市の暗号」を解読することによりみつけようとするのだ。

最初はこの6人交互に物語られる形式が煩雑だから連作短編にしてくれればいいのに、と思ったぐらいだったが、モザイクとなったこの6人の物語が一つの大きな絵としてカチッとハマる最終章の壮大なスペクタクルと興奮といったら、「あー、この長い物語を読み続けて本当に良かった!」と感激してしまったほどだ。そして全てが終わった後にもこの6人の洋々たる未来を予見させるエピローグが続いてゆく。そしてこれは千年都市イスタンブールの洋々たる未来を暗示させるものであり、同時に、未来世界がこうした人々によって形作られてゆくであろうというひとつの希望の形として示されて終幕を迎えるのだ。見事な作品であった。

IV.

イアン・マクドナルドは既訳の『サイバラバード・デイズ』が非常に面白かったのでこの『旋舞の千年都市』にも期待していた。『サイバラバード・デイズ』が近未来インドを舞台にしていたのに対しこの『旋舞の千年都市』はトルコ、イスタンブール。未訳作品にはやはりインドを舞台にした『Rivers Of God』、ブラジルを舞台にした『Brasyl』があり、『旋舞〜』と合わせて《新世界秩序(ニュー・ワールド・オーダー)三部作》と呼ばれているのらしい(早く訳して下さい…)。

インド、トルコ、ブラジル、これら非白人社会、いわゆる"エスニック"な国々を舞台に選ぶ作者の思惑となる所は、訳者あとがきでは「作者の生まれである北アイルランド・ベルファストとの近似性」が挙げられているが、オレはむしろ、近未来世界を描くにあたって、保守化し疲弊した従来的な欧米諸国などよりも、混沌としつつも秘められた活力を持つこれらの国々のほうが、舞台として相応しいと感じたからではないだろうかと思えた。それはそれらの国々の持つ混沌こそが、人類の未来に待つであろう混沌と高い親和力を持ち、その混沌が新しい世界秩序へと変容してゆく様をよりドラマチックに描写できるからだということは言えないだろうか。

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20140619(Thu)

[]小林まことにより漫画化された日本を代表する劇作家・長谷川伸の名作作品 小林まことにより漫画化された日本を代表する劇作家・長谷川伸の名作作品を含むブックマーク 小林まことにより漫画化された日本を代表する劇作家・長谷川伸の名作作品のブックマークコメント

日本を代表する劇作家・長谷川伸作品の小林まことによる漫画化は『関の弥太ッぺ』を読んでいたきりだったのだが、その後もこのシリーズが刊行されていたことをワッシュさんのブログで知ることになり、早速買い洩らしていた全巻を購入、読破した。「日本を代表する劇作家」とは書いたけれど、長谷川伸のことを知るわけではない。オレが好きな漫画家、小林まことが漫画化した作品だから、というのがあったからだが、これが読んでみると心憎いばかりに"物語"の王道を行く作品ばかりだった。

■【劇画・長谷川伸シリーズ】一本刀土俵入 / 小林まこと

劇画・長谷川 伸シリーズ 一本刀土俵入 (イブニングKC)

劇画・長谷川 伸シリーズ 一本刀土俵入 (イブニングKC)

破門された力士・茂兵衛が、江戸でもう一度弟子入りしようと旅をしていたが、食うや食わずで進退窮まっていた。しかし茂兵衛は旅籠屋の酌婦・お蔦の情けでなんとか飯にありつくことができ、この恩は一生忘れない、立派な力士になると感謝する。そして10年後、博徒となった茂兵衛はお蔦の元を訪ねるが、彼女の旦那がいかさま博打でヤクザに追われており…という物語。この『一本刀土俵入り』、舞台や映像化作品は観たことはないけれど、そういえば食うや食わずの力士に、旅籠屋の2階から娼婦の女が声を掛ける、というシチュエーションはTVで観たことがある。多分コメディや喜劇舞台に取り入れられていたのを観たのだろう。このシーンはきっと当時、誰もが知る名シーンで、それをお笑いに取り入れものだったのだろう。つまりそれだけ長谷川伸は、日本人の心にフィットする作品を生み出していたのだろうことがうかがわれる。しかしこの場面だけは知っているが、その後どうなったのかは知らなかった。そして読んだこの作品。小林まことがどれだけ脚色しているのかは分からないが、主人公である元力士の、痛快な格闘場面に小林まこと漫画の片鱗がうかがえてまず嬉しい!たった一度の恩義の為に命を惜しまずヤクザと戦う茂兵衛が凛々しい。しかしその背中には、力士になれずに博徒に身を落とした茂兵衛の悲哀が漂う。この「果たせなかった約束」が、茂兵衛をあれほどまでに戦いに駆り出せたのかもしれない。その「果たせなかった約束」が鮮やかに実を結ぶ、あのクライマックスの怒涛の泣かせっぷりに、この物語の底知れぬ魅力が溢れている。いやあ、卑怯なぐらい見事な物語だったよ…。

■【劇画・長谷川伸シリーズ】沓掛時次郎 / 小林まこと

劇画・長谷川 伸シリーズ 沓掛時次郎 (イブニングKC)

劇画・長谷川 伸シリーズ 沓掛時次郎 (イブニングKC)

渡世人の時次郎は一宿一飯の義理からやむなくある男を斬るが、その妻子を哀れに思い、やくざから助け出して共に旅に出る。旅籠に落ち着き任侠から足を洗ったはずの時次郎だったが、助けた女は身籠っており、食わせる金欲しさに再びやくざの出入りに手を貸すこととなる。「男を斬る」のは義理であり、「その妻子を助ける」のは人情であり、その「義理と人情の板挟み」を描いた物語である。「義理と人情」なんて今更古臭いかもしれない。それに生き死にを賭けるのはナンセンスなのかもしれない。しかし、「武士は食わねど高楊枝」、なんて言葉があったが、この、男の見栄とやせ我慢、それにより成り立つ「男」というものの沽券、さらに言えば男であることのレゾンデトール、これこそが実は義理と人情なのだということもできる。そしてそれは、いうなれば日本式のハードボイルドの在り方であり、タフであると同時に優しさに満ち、なおかつ不条理な死を厭わないニヒリズムを湛えた沓掛時次郎の物語はすなわち、和風ハードボイルド作品そのものだったのである。

■【劇画・長谷川伸シリーズ】瞼の母 / 小林まこと

番場の忠太郎は5歳の時に母親と生き別れになった。実は忠太郎の母はろくでなしの夫に遊郭へ売り飛ばされていたのだ。それから20年、忠太郎はやくざ者になりつつも、瞼の母恋しさに旅から旅への渡り鳥を続けていた。そして風の便りに母が江戸にいるらしいと知った忠太郎は、僅かな噂を辿って母の所在をつきとめる。ようやく出会うことになった母おはまは、女手ひとつで料亭を切り盛りする女将となっていた。だがおはまは忠太郎が自らの息子であることを認めようとはせず…という物語。「母を求めて三千里」なんて物語もあったが、この『瞼の母』では、大きな期待を抱きながら、せっかく出会えた母親が、その息子を息子と認めようとしない、という予想を裏切る展開にまず驚かされる。艱難辛苦の未母と子がやっと出会えました、メデタシメデタシ、というふうにはならないのである。この辺の焦らせっぷりがなにしろ堪らない。なんでだよ、なんでなんだよおはまさ〜〜ん!となってしまうのである。しかしその、なぜ認めようとしなかったのか、というその理由がまた切ないもので、ああ、分かんねえでもねえんだよなあ…と思わせるのである。この、観る者の心に大きく揺さぶりをかける物語展開が非常に巧みなのだ。けれどもその後にはまた話が展開し出し…となるのだが、あのラストは小林まことのオリジナルなのだろうか。だとしても、やるせない話が多かった【劇画・長谷川伸シリーズ】の中で、このシリーズの終幕に相応しい、実に胸のすく素晴らしい幕引きだったと思う。

■【劇画・長谷川伸シリーズ】関の弥太ッぺ / 小林まこと

劇画・長谷川 伸シリーズ 関の弥太ッぺ (イブニングKC)

劇画・長谷川 伸シリーズ 関の弥太ッぺ (イブニングKC)

ついでに以前読んだこの作品も挙げておこう。感想はこの辺で書いたが、この時は「非常に定番的な人情モノで(なにしろ原作書かれたのは昭和4年だし)、しかしそのてらいの無い直球ど真ん中なオーソドックスさが逆に新鮮な作品となって仕上がっていた」と書いている。

長谷川伸の名はこれまで知らなかったけれども、小林まことのお蔭でその「近代日本市民の心情の源泉」を垣間見ることができた。これらをして「日本人の心に刻み込まれたDNA」などと言うつもりはさらさら無いが、少なくともかつて、大衆がなにを拠り所とし、そしてまた大衆芸能がどうそれに寄り添う形で開花したのかを伺うことができる。浪花節的な「義理と人情」が崇高かどうかは別として、それを古臭いと思っていた自分ですらこれらの「義理と人情」の物語に感銘することができた。それは長年日本で生きてきての刷り込みなのだろうとは思うけれども、かといって完全に否定し難いものがある。これもきっと日本人であることのしがらみということなのかもしれない。

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20140618(Wed)

[]最近ダラ観したDVDなど〜『俺たちニュースキャスター 史上最低!?の視聴率バトルinニューヨーク』『彼女はパートタイムトラベラー』 最近ダラ観したDVDなど〜『俺たちニュースキャスター 史上最低!?の視聴率バトルinニューヨーク』『彼女はパートタイムトラベラー』を含むブックマーク 最近ダラ観したDVDなど〜『俺たちニュースキャスター 史上最低!?の視聴率バトルinニューヨーク』『彼女はパートタイムトラベラー』のブックマークコメント

俺たちニュースキャスター 史上最低!?の視聴率バトルinニューヨーク (監督:アダム・マッケイ 2013年アメリカ映画)

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70年代のアメリカTV業界を舞台にした『俺たちニュースキャスター』の続編です。前作がアメリカで2004年公開ということですから9年ぶりの続編ということになりましょうか。オレは一応前作観てるんですが、そんな前なので「グズグズのグダグダだった」という以外内容はよく覚えていません。

でまあ最初に書いちゃうと今作もぶっちゃけグズグズのグダグダで、日本では両作ともDVDスルーというのもよく頷ける内容です。そんな正篇続篇合わせてグズグズのグダグダな映画をなぜ観るのかというとウィル・フェレル主演だからです。ウィル・フェレル映画がグズグズのグダグダなのはこれはもうしょうがないことなのです。

物語の内容のほうはといいますと、前作と引き続き相変わらずアホアホなニュースキャスターたちのしょーもないバカ騒ぎを描いております。一応説明しますと、前作のTV会社をアホ過ぎて首になったウィル・フェレル筆頭とする大馬鹿キャスターたちが、新しいTV局でメキメキと頭角をあらわしちゃう、といったものなんですが、アホアホのくせにこいつらやれば出来るじゃん、とちょっと思ってしまいました。

ウィル・フェレル以外のキャストとしては前作から引き続きスティーブ・カレル、ポール・ラッド、デビッド・ケックナーが出演、特にスティーブ・カレルがウィル・フェレルとはまた違ったベクトルの頭のおかしさを披露していてこれは結構笑っちゃったかな。前作ではセクハラやりたい放題という眉をひそめるギャグを連発していたウィル・フェレルですが、今作のテーマ(?)は人種差別、恋人になった黒人女性の家に行ってあらん限りの差別的狼藉をはたらいております。いいのかよこれ!?

なおこの作品、カメオ出演の俳優がとんでもないことになっていて、ハ〇ソン・フォー〇、グ〇ッグ・キ〇ア、ウ〇ル・ス〇ス、ジ〇・キャ〇ー、マリ〇ン・コ〇ィヤー〇、リー〇ム・ニー〇ン、サ〇ャ・バ〇ン・コー〇ンなどなど豪華極まりなく、で、みんな楽しく馬鹿やっておりました。グズグズのグダグダとはいえ、このユルイ感じ、オレは割と好きなんだよなあ。

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■彼女はパートタイムトラベラー (監督:コリン・トレボロウ 2012年アメリカ映画)

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「タイムトラベルの同行者募集」という奇妙な新聞広告を発見した雑誌社の編集者たちが、広告の真偽を確かめるために広告主の元へ取材に出かけるが…というSFチックなラブコメディです。これ、実際にそんな広告が出されていたという話を元に製作されたそうですね。

取材に向かう編者者は3人、まず主人公女性であるダリアス(オーブリー・プラザ)、ガサツな先輩記者ジェフ(ジェイク・ジョンソン)、インド系アメリカ人のアーナウ(カラン・ソニ)。実は彼らはそれぞれが心の内に欠落感を抱えていて、ダリアスはイケてない自分のイケてない毎日に失望してるし、ジェフは20年前の恋が成就しなかったことを未だに悔やんでるし、アーナウは実は特にないんですが、強いて言えば非モテの童貞君である、といったところでしょうか。そして彼らが見つけた広告主ケネス(マーク・デュプラス)は胡散臭い上に変わり者で、タイムマシンなんか作っているとは到底思えません。

しかし記者であることを偽って彼に近付いたダリアスは、彼が昔事故で亡くしてしまった恋人を、時間を遡って救おうとしていることを知るんですね。そしてそんなケネスにダリアスは次第に惹かれてゆくんです。一方、取材先の町に20年前の恋人が住んでいることを知ったジェフは彼女の元を訪ね、アーナウはジェフに筆おろしを手伝ってもらうんです。

即ちこの作品、タイムトラベルを巡って、登場人物たちがそれぞれに無くしたものをもう一度見つけ出す、というハートウォーミングな物語だったんですね(アーナウの童貞喪失がハートウォーミングかどうかはわかんないですが)。そして物語は、ケネスは本当にタイムマシンを作っているのか、それとも単なる頭のおかしい山師なのか、という部分に近付いてゆくんです。

タイムトラベルの物語というのは概してセンチメンタルだったりロマンチックだったりしますが、SF味こそ薄いものの、この物語もそういったちょっぴり切なげな雰囲気が漂っていましたね。非常に低予算ぽいですが、サンダンス映画祭脚本賞、インディペンデント・スピリット賞新人脚本賞を受賞したのも頷ける作品(そういう方面でウケる作品という意味も含めて)として仕上がっておりましたね。


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20140617(Tue)

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■ディアトロフ・インシデント (監督:レニー・ハーリン 2013年アメリカ/イギリス/ロシア映画)

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1959年に旧ソ連のウラル山脈北部、通称「死の山」を雪山登山していた9人の男女全員が、不可解な死を遂げたという「ディアトロフ峠事件」。そしてこの事件の調査に乗り出した5人のアメリカ人クルーたちがまたしても異様な死を迎えてしまいます。映画はこの場所で何が起きていたのか?を「死んだクルーたちが残したフィルムを編集した」ファウンドフッテージ形式で描くんですね。監督は『クリフハンガー』『ダイ・ハード2』の監督ながら最近はあんまりパッとしないレニー・ハーリンさんであります。

「ディアトロフ峠事件」というのは実際にあった事件で、Wikipediaでもその経緯を読むことが出来ます。そこでは「一行はマイナス30度の極寒の中、テントを内側から引き裂いて裸足で外に飛び出したとされた。遺体には争った形跡はなかったが、2体に頭蓋骨骨折が見られ、別の2体は肋骨を損傷、1体は舌を失っていた[2]。 さらに何人かの犠牲者の衣服から、高い線量の放射能が検出された」となっていますが、映画はこれを「雪男の仕業か!?それとも宇宙人か!?はたまたソ連の陰謀だったのか!?」と雑誌「ムー」的な大風呂敷を広げて辻褄を合わせ、さらに「フィラデルフィア・エクスペリメント」の話まで持ち出して、有り得ない方向へと盛り上げてゆくんですね。おかげで、ファウンドフッテージという形式ということも合わせ、限りなく胡散臭い話に仕上がっていますが!

しかしこの作品、ファウンドフッテージ形式ながら映像が綺麗に撮られているんですよ。カメラのブレとか画像の乱れも多用してないし、意識しないとこういった方式であることを忘れちゃいそうになるぐらいですね。その辺は一応ベテラン監督のレニー・ハーリンの「ファウンドフッテージだからといってチープにしない」というこだわりのような気がしますし、これはこれで悪くないんですね。だからといって胡散臭いことは変わり無いんですけどね。あと、主演の女優さんが大変残念なルックスをしており、こういった部分で個人的に甚だしく盛り上がりに欠ける結果となったのが非常に悔やまれました。

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■NO ONE LIVES/ノー・ワン・リヴズ (監督:北村龍平 2012年アメリカ映画)

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殺人すら厭わない強盗集団が目を付けたのは旅行中のカップル。カップルを拉致し、あっさり襲撃に成功したはずの強盗団だったが、奪った車のトランクから大量殺人事件の唯一の行方不明者だった女が出てくる。一方、拉致されていた男は突然豹変し、見張りの男の命をいとも簡単に奪ってしまう。さらに男は、強盗団のアジトを強襲し、強盗たちを一人また一人と巧妙かつ残虐な方法で殺し始めたのだ。そう、実はこの男こそが、全米を震撼させた連続殺人鬼だったのである。強盗たちと殺人鬼との人外の戦いが今始まるのだ…というサバイバル・サスペンス・ホラー。

この間観た『サプライズ』でも思いましたが、もうひ弱な若者やら女性やらが頭のおかしい襲撃者に一方的にぶっ殺されてゆくだけのホラーとかなんだか飽きてしまいましてね、『サプライズ』はその点、襲撃者を迎え撃つサバイバル熟練者の女との戦い、という部分がとても新鮮だったのですが、この『NO ONE LIVES/ノー・ワン・リヴズ』も、悪党集団VS殺人鬼という構図が実に楽しく感じましたね。

しかもこの殺人鬼、車の中に各種殺戮武器を備えており、トラップなどを使ってよりテクニカルに悪党をぶっ殺してゆく様が愉快極まりないものでした。もうほとんど殺人マシーンなんですよ。おまけに化身の術みたいなこともしていましたが、要するにこの殺人鬼、ニンジャだったんですね!この作品、監督・北村龍平のハリウッド進出第2弾ということで製作されたものなんですが、「ニンジャチックな殺人鬼ってイケるんじゃないか」とかちょっと思ったのかもしれませんね。

ただちょっと解り難い描写もあって、この殺人鬼、たまにナイフで自分刺しちゃったりするんですが、これの意味が最初分からなくてねー。「一回死ぬことで自分をリセットしてまたどこかで蘇るSFチックな設定ということなのかしらん?というかこれホラーSF?」とか最初思っちゃったんですよ。後で説明はあったけどよく理解できなかったなーでもやっぱりニンジャだから精神面でどうとかいうことなのかなーあとラストも実はオレよく分かってなかったなーこれは監督のせいではなくてオレの脳が軟化してるからかもしれないなーとかなんとかかんとか思ってしまいました!

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20140616(Mon)

[]カルトムービー監督ホドロフスキーによる未完のSF超大作の全貌を描くドキュメンタリー『ホドロフスキーのDUNE』 カルトムービー監督ホドロフスキーによる未完のSF超大作の全貌を描くドキュメンタリー『ホドロフスキーのDUNE』を含むブックマーク カルトムービー監督ホドロフスキーによる未完のSF超大作の全貌を描くドキュメンタリー『ホドロフスキーのDUNE』のブックマークコメント

ホドロフスキーのDUNE (監督:フランク・パヴィッチ 2013年アメリカ映画)

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I.

フランク・ハーハードが1965年に発表したSF小説『デューン 砂の惑星』は、不老不死の妙薬として知られる銀河で最も貴重なスパイス"メランジ"を産出する惑星アラキスを舞台に、敵対する家同士の陰謀術策と、砂漠で覆われた惑星ならではの特異な生態系を描き、ヒューゴー賞ネビュラ賞を受賞したSF史上に残る大作である。翻訳版だけでも全4巻、さらに多数の続編が書かれており、自分も読んでいたがどこまで追いかけきれていたか覚えていない。

その『デューン』がカルト映画監督アレハンドロ・ホドロフスキーによって映画化企画されていたことを知ったのは、SFビジュアル雑誌『スターログ日本版』を読んでいた時だった。『スターログ日本版』は本家アメリカ版を基に1978年から1987年まで刊行されていた(その後1999年から2006年まで再刊行)雑誌だったが、SF映画のみならず、アメリカンコミック、バンドデシネ、さらにフランク・フラゼッタやクリス・フォスなどのSFアート画家の紹介に力を入れていた雑誌だった。メビウスの名を知ったのもこの雑誌からだったと思う。SF好きだったオレがこの雑誌が紹介するめくるめくようなビジュアルに毎月狂喜乱舞していたことは言うまでもない。

スターログ日本版』で紹介されていたホドロフスキー版『デューン』の内容は驚くべきものだった。曰く、メビウスとクリス・フォス、当時映画『エイリアン』で時代の寵児となっていたH・R・ギーガーがビジュアルを担当、配役はオーソン・ウェルズにシュルレアリズム画家サルバドール・ダリにローリング・ストーンズのスター歌手ミック・ジャガー、そして音楽がピンク・フロイド。雑誌には既に製作されていたいくつものイメージボードが並べられ、そのSF心を捕えて離さないえもいわれぬビジュアルの数々に陶然としたのを覚えている。その時雑誌に、この企画が頓挫したものであることが書かれていたかどうかは記憶にないが、だとしても製作中止の事実はその後知ることになったはずだと思う。

II.

当時オレが監督アレハンドロ・ホドロフスキーを既に知っていたかどうかは、これも記憶が曖昧なのだが、映画好きだったオレは前後どちらにしろホドロフスキー作品をビデオで観ることになる。若い頃って「カルト」と名の付いたものに強烈に惹かれたりしないだろうか?少なくともオレは一部で相当のカルト映画と評判の高かったホドロフスキー作品に興味津々だった。そしてビデオを買ってまで観た『ホーリー・マウンテン』はとんでもないシロモノだった。カルト映画という呼び名から想像する芸術的で高尚だが退屈で難解、といった予想を裏切り、ひたすら煽情的な表現と目の痛くなるようなビビッドな映像に彩られたトリップ映画だったからである。

ホドロフスキーの映画は生と死、聖と俗、清浄と汚濁が強烈なコントラストを帯びながら混沌の坩堝の中で煮えたぎっていた。その表現はアートギャラリーに秘宝館のハリカタと女陰石を並べてしまったような、芸術的であると同時にチープないかがわしさに満ちていた。ホドロフスキー作品を唯一並び比すことができるものがあるとすれば、それはガルシア・マルケスマジック・リアリズム作品群だろう。チリ生まれのホドロフスキーは、コロンビア生まれのマルケスと同じ、ラテン・アメリカの強烈な太陽と、その光の生み出す黒々とした影を作品に内包したマジック・リアリズム作家ということができるだろう。

ホドロフスキーの代表的な3作品、『エル・トポ』『ホーリー・マウンテン』『サンタ・サングレ』は数年前デジタル・リマスター化されBlu-ray、DVDで発売されたが、オレは日本版が出るのが待てず3作品とも輸入盤Blu-rayで購入、リマスターにより驚くほど美しく蘇った映像を堪能した。さらに最近では『アンカル』『メタ・バロンの一族』などホドロフスキー原作のバンドデシネが多数訳出され、これも余すことなく購入し読み耽った。カルト作家をもてはやすのはどこか知ったかぶりの見栄のように思われるからあまりしたくないのだけれども、少なくともホドロフスキーは結構好きな監督だということが出来る。

III.

さて、やっと『ホドロフスキーのDUNE』の話になるのだが、実際の所この映画には既に知っていたこと以上の内容はそれほど無い。強いて言えばかつてデヴィッド・ボウイと浮名を流しロキシー・ミュージックのアルバム・ジャケットを賑わせたモデルのアマンダ・リアもまた映画出演予定だったこと、フランスのプログレッシブロックバンド、マグマも音楽として採用されていたことぐらいか。また、ホドロフスキーの息子が『デューン』の主人公ポウル・アトレイデ役に充てられていたのには流石のホドロフスキーも親馬鹿なんだな、と思えて微笑ましかった。笑ったのはデヴィッド・リンチ版『デューン』が公開された時のホドロフスキーの反応だ。映画監督としてリンチを高く評価していたホドロフスキーは、リンチ版が素晴らしい作品になっているだろうことを予想していた。しかし実際観たその作品はあまりに酷かったので、ホドロフスキーは嬉しくてたまらなかったのだという。うん、分かるその気持ち…。

それよりも、『デューン』がメビウスにより緒端から終端までを完璧に網羅した膨大な量のイメージ・ボードを完成しており、まさにそれを撮るだけだった、ということは驚いた。それだけではなく、そのイメージ・ボードをCGで動かすことにより、幻の『デューン』オープニングを再現してしまっているのだ。これは感無類だった。そして誰もが思うように、「これがもし完成していたら、どんなことになったのだろう…」と果てしなく想像してしまった。しかしこれが完成したとしても、それは「SF史上に残る大作小説『デューン』を映画化したSF映画の大傑作」ではなく、「『エル・トポ』のホドロフスキーの撮ったカルトでオカルティックなマジック・リアリズム映画」になったことは必至だろう。ホドロフスキーはこのドキュメンタリーの中でも「原作レイプ」を公言しており、そのクライマックスも原作とは大きくかけ離れた、スピリチュアル寄りの結末となっていたことが言及されているからだ。それは万人向けではなく賛否両論の作品となっただろう。

ホドロフスキーのDUNE』の中で述べられている、ユニーク極まりない製作メンバーの召喚の経緯、そしてこの作品のイメージ・ボードがその後のSF映画作品に与えたとみられる多大なる影響、それらは実の所それほど興味が無い。映画作りは誰がやるにしても大変なものであるだろうし、影響とは言いつつ牽強付会な感も無きにしも非ずだったからだ。そんな「昔話」やら「功績」なんかどうでもいい。それはホドロフスキーも同じ気持ちなのではないか。それよりも表情豊かで稚気溢れる語り口調を見せる「今」のホドロフスキーを観られること、その表情から見え隠れする彼の想像力の奔放さを感じることにぞくぞくさせられるのだ。そしてこの『ホドロフスキーのDUNE』を切っ掛けに、長年疎遠となっていたプロデューサーのミシェル・セドゥーと再び相見え、23年ぶりの新作『リアリティのダンス』が製作された、ということが嬉しい。ホドロフスキーはとてつもないキャリアを持つ伝説のカルト映画監督だが、それがまだ現役として活躍している。その、『デューン』を経てなお衰えない、ホドロフスキーの活力に拍手を送りたいのだ。

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デューン砂の惑星 (1) (ハヤカワ文庫 SF (76))

デューン砂の惑星 (1) (ハヤカワ文庫 SF (76))

L'INCAL アンカル (ShoPro Books)

L'INCAL アンカル (ShoPro Books)

20140615(Sun)

[]購入コミック覚書 / 久正人の『エリア51(8)』と『グレイトフルデッド購入コミック覚書 / 久正人の『エリア51(8)』と『グレイトフルデッド』を含むブックマーク 購入コミック覚書 / 久正人の『エリア51(8)』と『グレイトフルデッド』のブックマークコメント

■エリア51(8) / 久 正人

エリア51 8 (BUNCH COMICS)

エリア51 8 (BUNCH COMICS)

エリア51全土と全ての神々を巻き込んだ「原初の蛇」と主人公との戦いがいよいよ終結。殆ど不死身の存在である「原初の蛇」を相手に絶体絶命の主人公の下へ駆けつける王子に勝算はあるのか。オーディンとゼウスの神々の威信を賭けた戦いの行方は。物語は最高潮のテンションで怒涛のクライマックスを迎える。いやこれは素晴らしいね。久正人の成し遂げたひとつの到達点と言ってもいい超絶的なドラマ展開だった。もう一度書くが本当に素晴らしかった(パチパチパチパチ)(スタンディングオーベーション)。この8巻後半は事件の後始末とその後の登場人物、そしてインターミッションともいえる小話が挟まれる。だがこの「第2時蛇の動乱」を超えるとんでもない事件がまたしても主人公を待っているのだろう。期待は膨らむばかりである。

グレイトフルデッド(上)(下)/ 久 正人

グレイトフルデッド(上) (シリウスKC)

グレイトフルデッド(上) (シリウスKC)

グレイトフルデッド(下) (シリウスKC)

グレイトフルデッド(下) (シリウスKC)

久正人の幻の処女作が新装版になりやっと発売。物語は清朝末期の中国を舞台に、霊幻道士の少女コリンが仲間(じじい)と協力し合いながらキョンシーを倒してゆく、というもの。しかもこのコリン、普段は娼館の娼婦で、客とコトを行っているシーンや全裸シーンがポンポン入ってくる、というオマケつき。

処女作ということで冒頭は作画・構成とも荒いし、今でも見難いコマ割と絵はさらに見難いものになっているが、これが話を追うごとにどんどん洗練されてゆくのがファンとしても楽しい。霊幻道士ならではの戦闘の仕方や武器のユニークさも久正人らしいこだわりぬいたマニアックさで実に楽しい。

物語は前半はキョンシー退治一辺倒で若干飽きるのだが、これが次第にどんどん変り種キョンシーを登場させ、さらに物語も1話完結ながら巨大な陰謀の存在を徐々に明らかにしてゆく部分に処女作を描きながらの試行錯誤のあとを見ることが出来る。クライマックスなんてキョンシーどころじゃないとんでもない怪物が登場するところなんざ嬉しいね。

さらにラストでは歴史上の人物を登場させ物語とリンクさせてゆくところなどは、この後に描かれる『ジャバウォッキー』の片鱗が既にうかがえる。惜しむらくは打ち切りになったために主人公コリンと母との謎めいた因縁が結局明かされぬまま終わってしまったことだろう。というわけで久正人のエッセンスが沢山詰まったこの『グレイトフルデッド』、ファンなら当然ながら買いだ。

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20140613(Fri)

[][]美しくもまた残酷なミステリアス・ラブ・ストーリー〜映画『Lootera』 美しくもまた残酷なミステリアス・ラブ・ストーリー〜映画『Lootera』を含むブックマーク 美しくもまた残酷なミステリアス・ラブ・ストーリー〜映画『Lootera』のブックマークコメント

■Lootera (監督:ヴィクラマディティヤー・モートーワーニー 2013年インド映画)

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インドは1947年にパキスタンと共にイギリスから分離独立したが、それにより、それまでの大地主は財産を没収され没落の憂き目を見た。映画『Lootera』はそんな、時代の大波に揺れ動く大地主の家から始まる。

物語の舞台となるのは1850年代のベンガルの農村。インドの東ベンガル州は現在バングラデシュと国境を境にする、インドの東端に位置する土地だ。この農村を治める大地主の娘として、何不自由無いお嬢様暮らしをしていたパーキーはある日、考古学者の青年ヴァルンと出会う。ヴァルンはパーキーの父が所有する土地の寺院を調査するために訪れたのだ。パーキーにとって、知的で都会の匂いのするヴァルンは刺激的な存在だった。彼女は早速ヴァルンに近づくも、調査に忙しいヴァルンはあまり興味を示してくれない。そんなある日、政府の役人がパーキーの父の元を訪れ、父の所有する美術品を没収することを通告する。ヴァルンは財産を失おうとするパーキーの父の力になろうと尽力するが、それがきっかけとなり、ヴァルンとパーキーは急速に接近する。そして二人の結婚が決まり、式が始まろうとするその日、考えられないような恐ろしい事件が起こるのだ。

ベンガル地方の長閑な農村、その風光明媚な自然の中で出会う一組の男女のささやかな恋。映画『Lootera』は美しく薫り高い文芸的な語り口調で物語を綴ってゆく。映画前半はつれないヴァルンの気を引こうとやっきになるパーキーの、いじましい恋の行方が中心となる。父親に嘘まで付いてヴァルンに近づこうとするパーキー。悪戯で我儘で、自分の欲しいものは必ず手に入れようと躍起になるパーキーは、実に田舎のお嬢様然としている。パーキーを演じるソーナークシー・シンハーは、古典的ながら微妙に野暮ったいインド美人を好演する。映画の中でパーキーとヴァルンは近づきそうで近づかない。大人の男であるヴァルンにとってパーキーはどこか幼すぎるからだ。パーキーの優しさを愛情だと勘違いし、そのパーキーに邪険に扱われると子供のように喚き散らす。この二人の温度差が、一つの恋愛ドラマとして進行する物語前半を陰影に富んだものにしている。

一方、ヴァルン役のランヴィール・シンは、ここでは知的で清潔感溢れる美青年を抑制の効いた演技で好演していた。なにしろ自分にとってランヴィール・シンは、『Goliyon Ki Raasleela Ram-Leela』の過剰にセクシー全開なオチャラケマッチョだったもんだから、この『Lootera』での180度違う役柄にはびっくりさせらたのだ。髭も剃ってるから最初はランヴィール・シンと気づかなかったほどだ。ひょっとしたら若い頃のレイフ・ファインズとそっくりかもしれない。しかし、この映画でランヴィール・シン演じるヴァルンは、どことなく謎めいた部分もある男だった。確かに妙に気になる描写は前半でもポツポツと描かれてはいたのだ。この「謎めいた男」という部分が実はこの物語のポイントになるのだが、ネタバレしたくないのでどういうことなのかは伏せておこう。なにしろこの物語、中盤で(インド映画らしく)驚愕の展開を迎えるのだ。

いやしかしこの展開には呆然とした。そして物語は後半から切なくもまた悲しい男女の愛と業との物語へと様変わりしてゆく。柔らかなベンガルの自然を描く前半から後半は冷たく厳しい冬山の別荘へと舞台を移す。それはヴァルンとパーキーの二人の関係の変化を表しているかのようだ。しかし緊張感は一気に増すものの、この後半でも文学的な薫りが全編を覆っているのだけは変わらない。実はこの物語、誰もが知るある有名な短編文学を基にしているそうなのだが、タイトルだけで内容がバレるので書かないでおこう。誰もが知る作品だけにクライマックスで陳腐化しないか心配な部分があったが、これは前半でもきちんと伏線が張ってあり、上手く物語の中に消化していたように思う。美しく静かに愛の残酷を描くこの物語は、しかしそれでも、愛は愛であり続けることを謳い上げるのだ。これは存分に打ちのめされた作品だった。

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20140612(Thu)

[][]なんと富山ロケもあり!インドのドタバタ・ラブコメディ映画『Theeya Velai Seiyyanum Kumaru』 なんと富山ロケもあり!インドのドタバタ・ラブコメディ映画『Theeya Velai Seiyyanum Kumaru』を含むブックマーク なんと富山ロケもあり!インドのドタバタ・ラブコメディ映画『Theeya Velai Seiyyanum Kumaru』のブックマークコメント

■Theeya Velai Seiyyanum Kumaru (監督:スンダル・C 2013年インド映画)

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冴えない地味目の青年が、職場の女子新入社員に一目惚れ、彼女の気を惹くために目を付けたのが怪しい恋愛コンサルタント!そしてこの恋愛コンサルタントと主人公の、二人三脚のあの手この手がドタバタを生む、というタミル語のラブコメディ映画です。

主人公の名はクマール(シッダールタ)、IT企業で働く彼は三人並みの冴えない青年。そんな彼の職場に超絶美人サンジャナー(ハンシカー・モトワニ)が入社してきたからさあ大変!サンジャナーに一目惚れしたクマールは、彼女を何とか落そうとしますが自信が無い。そこで見つけたのが怪しい恋愛コンサルタントのモキア(サンターナム)。お金にガメついモキアに料金を毟り取られながら、熾烈なカリキュラムをこなしてゆくクマール!そして貧相なのびた君並みだったクマールは、EXILEの一番後ろで踊ってるヤツぐらいまでかっこよくなります!水を得た魚のようにナンパ野郎になったクマール!しかーし!そんなクマールの前に、会社一のイケメンのキザ男、ジョージが立ちはだかり、なんと衆目の中サンジャナーに結婚を申し込む!絶対の危機をクマールは乗り越えることが出来るのか!?恋愛コンサルタント、モキアの繰り出す次の一手は!?…というお話です。

この映画、なにしろ主人公クマール君が、恋を成就させる為にひたすら精進するする姿が楽しい作品となっています。愛する人の気持ちを掴むためなら、たとえ火の中水の中!ってな感じで、胡散臭い恋愛コンサルタントが指導する無理難題に果敢に挑戦してゆくんです。どこか斜め上っぽくもあるんですが、クマール君、決してメゲたり投げ出したり、自分にゃ無理と諦めたりしない!変なプライド持ち出したり自分を卑下したりもしない!この辺の、恋愛に対するアグレッシブさがある意味清々しくさえあるんですよ。まあお話としては相当コテコテではありますが!しかしそれと同時に、モキアのアドバイスが無いと何もできない「アドバイス中毒」になってしまい、モキアが出張でいなくなった時、自分で何も決められず半狂乱になってしまう!というあまりに情けない姿も見せたりしますが!まあこの辺、聞きかじりでいっぱしになったつもりのヒヨッコによくあることですな!映画はこの辺のドタバタを、様々な映像効果を使ってテンポよく進めてゆくんです。ただしテンポがよく台詞も多いため字幕追うのが大変でありました!

さてこの作品、タミル語映画、ということなのですが、ざっくり「南インド映画」ということにしておきましょう。ヒンドゥー語が主となるボリウッドに対してコリウッドと呼ばれることもあるらしい。言語は違うけれども字幕で観てしまうし、インド映画に馴染がないと意識しなければ分からないかもしれないですね。ラジニカーントがタミル映画の人、というのは知ってはいたけど、あの傑作ハエ映画『マッキ―』が、実はタミル映画ということは調べて初めて知りました。このタミル語映画の他にもカンナダ、テルグ、マルヤラム語映画などがあるらしいのだけれど、ええともうついていけません…。しかしタミル映画ということを意識してみると、まず登場人物たちの顔つき・体つきが北インドのヒンディー語族のそれとは結構違う、南インドのドラヴィダ語族らしいポリネシア系を思わせる色黒でふっくらしたものであることに気づきます。また、この映画では主人公がIT関係の職業となっていますが、南インドのチェンナイはバンガロール、ハイデラバードと並ぶソフトウェア産業が盛んな土地で、舞台に取り入れられるのもうなずけました。個人的には『チェンナイ・エクスプレス』で結局出てこなかったチェンナイ駅が見られたのがよかったなあ。

そしてなんと言っても注目すべきところは、一部日本の富山でロケを敢行しているというところでしょう!富山の観光スポット、海王丸パークや富山城址公園、立山の雪の大谷や五箇山の合掌造りの日本家屋などなどをバックに主人公二人が歌い踊るんですッ!しかもバックダンサーは日本人のみなさん!全くキレの無い動きでやる気無さそうに踊ってるように見えますが、きっとこれも演出なのでありましょう!しかし日本の伝統的な家屋の前で濃いい顔のインド人男女がひたすら濃いくラブラブに踊る姿は必見です!この富山ロケは撮影当時割と話題になったらしく、検索したらいろいろと記事が出てきて面白かったですね。「呉羽山公園(富山市)で行われた撮影では、桜が咲き誇る中、主演のシッダールタさんとヒロイン役のハンシカ・モトワーニさんが音楽に合わせ情熱的なダンスを披露」なんて書かれていた記事もありました*1。いやー確かに情熱的なダンスだった!実際の所、物語の内容と富山とは全然関係が無くて、単なる主人公の妄想シーンとして2曲分のダンスシーンが描かれるだけなんですが、なんで富山なのか、というのはよく分かりません!

↓これが噂の富山ロケシーンだッ!?

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こちらは予告編。

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20140611(Wed)

[][]一途過ぎる恋のあまりに悲しい結末〜映画『Raanjhanaa』 一途過ぎる恋のあまりに悲しい結末〜映画『Raanjhanaa』を含むブックマーク 一途過ぎる恋のあまりに悲しい結末〜映画『Raanjhanaa』のブックマークコメント

■Raanjhanaa (監督:アーナンド・L・ラーイ 2013年インド映画)

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インド映画を最近幾つか観てるんですが、その範囲だけでいうと、恋愛描写に共通しているのはまずなにしろ男性が女性を「押して押して押しまくる」ことなんですよね。でまあ、これは映画だからということもあるんだと思いますが、だいたいはそれでなんとかなっちゃうんです。インドの恋愛事情が実際にどうなってるのか知ってるわけではないのでざっくり調べたところ、インドは今でもお見合い中心である、ということと、インド男性は結構ウブイという情報を見かけました。だとするといわゆる「自由恋愛」について、実際のインド男性は案外不得手で不器用であるのかもしれません。そして映画で描かれる恋愛というのは、彼らにとってある種のファンタジーである、と捉えることもできるでしょう。

この映画『Raanjhanaa』は、子供の頃に見初めた一人の女性を、ひたすら一途に愛し続けた男の、その数奇な人生と、越えられない一線があったばかりに迎えた、悲しい恋の結末を描いた物語です。そしてこの男女の間にあった決して越えられない一線とは、男性がヒンドゥー教の家に育ち、女性がイスラム教の一家の出だったということだったのです。

主人公の名はクンダン(ダヌシュ)、そして彼が出会ってしまった少女の名はゾーヤー(ソーナム・カプール)。ゾーヤーを見初めたクンダンは彼女に猛烈なアタックを仕掛け、何度もフラれながらもやっとデートに漕ぎ着けます。しかしそこで分かったのは、それぞれがヒンドゥーとモスリムという相容れない宗教の家庭であったこと。二人の間を知り怒ったゾーヤーの父は、彼女を遠い寄宿学校に送り出してしまいます。それから8年後、クンダンはようやく町に戻ってきたゾーヤーとの再会を果たします。しかしそこでゾーヤーが語ったのは、大学生となった彼女が学生運動に参加し、そのリーダーであるアクラム(アバイ・デーオール)と恋に落ちたこと、しかし今ゾーヤーは親の決めた相手と結婚しなければならない、ということでした。激しく落ち込むクンダン。しかしゾーヤーはそんなクンダンに、決められた結婚を破談に持ち込むこと、そしてゾーヤーとアクラムが結婚できるように協力してくれるように頼みこむのです。

冒頭から主人公クンダンは、ゾーヤーに粘り強くアタックを繰り返します。これがもうほとんどストーカー並みで、観ていてちょっとしつこすぎるかなあ?とは思いましたが、クンダンの純で一途な思いは十分伝わってきます。前半はこのクンダンの、ゾーヤーへの届かぬ思いが、インドの明るい日差しと鮮やかな祝祭空間の中で描かれてゆきます。この前半だけなら「ちょっとイタイ青年の残念だった恋」で終わっちゃうんですが、後半で一気にトーンが変化します。ここからはゾーヤーと彼女が慕うアクラムとの過激な学生運動の様子が描かれ、物語は暗く重苦しいものへと変わってゆき、画面すら黒を中心としたモノトーンの色彩で塗りつくされてしまうんです。そしてそれはクンダンの恋を取り巻く状況がどんどんと暗く重苦しいものになってゆくのと呼応しているのです。

最初は無邪気過ぎるほどの一途な恋であったものが、次第に妄執とすら言えるほどの激しい想いに変質し、にも関わらずその恋はどんどんと果たすことのできぬものになってしまいます。クンダンのゾーヤーへの愛、ゾーヤーのアクラムへの愛、それらはどちらも一方通行のまま、あまりに痛ましい結末へとひた走ってゆくのです。観ている自分もまさかこんな苛烈なまでに残酷な物語とは知らず、中盤の驚愕展開に呆然とし、それに追い打ちをかけるような絶望的な結末にはさらにショックを受けました。インド映画がここまで残酷な物語を描くことがあるとは…。音楽は『スラムドッグ$ミリオネア』のA・R・ラフマーン、この悲劇的な物語に彼の音楽が美しく優しく響き渡るのが妙に皮肉にすら感じさせます。また、ヒロインのソーナム・カプールは並み居るインド美女の中でも相当の美しさを見せつけ、これは一見の価値あり。後半暗い表情ばかり見せていたのが勿体なく感じました。

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20140610(Tue)

[][]ポップ・スターと歌姫との悲しい恋の物語〜映画『Aashiqui 2』 ポップ・スターと歌姫との悲しい恋の物語〜映画『Aashiqui 2』を含むブックマーク ポップ・スターと歌姫との悲しい恋の物語〜映画『Aashiqui 2』のブックマークコメント

■Aashiqui 2 (監督:モーヒト・スーリー 2013年インド映画)

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映画でも苦手なテーマというのがありましてね、その一つが薬物/アルコール依存症モノってやつなんですよ。こういうのって「薬物/アルコール依存でダメになりそう→ダメになりました」っていうそのまーんまやないかい!ってな直線的な展開を迎えちゃうのがなーんか退屈でね。で、依存症である本人が辛いのは重々分かるんですが、「依存から抜けそう→やっぱり抜けない」の繰り返しで、映画として観ていると段々じれったくなってくるんですよ。もう一捻りしてほしいんですよ。まあこういうテーマの作品がそんな多くあるわけではないんですけど、今回久方ぶりにブチ当たっちゃったのがこの映画、『Aashiqui 2』なんですよ。

物語の主人公の名はラーフル(アディティヤー・ローイ・カプール)、彼は満員のスタジアムを沸かせるような大スター歌手なんですが、結構ムラッ気がある男で、その日も客と喧嘩して「もうやってらんねェ!」とか言ってコンサート止めちゃうんですね。そしてフラッと立ち寄った場末の酒場で、驚くほど美声の女性歌手アーローヒー(シュラッダー・カプール)を発見するんですよ。ラフールは「君は絶対スターになれるわ!スターの俺が言うんだから間違いナシ!」とアーローヒーをスカウト、デビューしたアーローヒーはメキメキと実力を発揮し、大スターに上り詰めちゃうんですね。ラフールとアーローヒーには愛が芽生えますが、ムラッ気過ぎて世の中と折り合いのつかない大スター・ラフールはどんどん酒に溺れるようになり、遂には歌手として再起不能にまで落ちてしまうんですよ。

まあね、我儘なスター、センシティヴなスターっていうのも分かるんですが、主人公のラフール、なーんかもうセンシティヴ通り越してオコチャマ過ぎ。ダダッ子過ぎ。酒に溺れて「俺はもう駄目なんだあああ」と暴れるわモノ壊すわ喧嘩するわ、もう始末に負えな過ぎ。で、なんとか酒抜こうとするんだけど、今度はちょっと批判だの陰口聞いただけで「俺は面白くねえええ」とやっぱり酒飲んで暴れちゃうわけですよ。そんなラフールをけなげに支えるのがアーローヒーなんですが、なんかもうインドの「難波恋しぐれ」かと思うわけですよ。やっぱねえ、愛も大事だとは思いますが、アルコール依存症はきちんと専門の医療施設で診てもらったほうがええんちゃうの?とは思うわけですよ。その辺がどうもじれったく感じちゃうんですよね。

さらにこの物語、大スター歌手が主人公ってことでスターの歌っているとされる曲が多数挿入されるんですが、これがどれもこれも胃腸の具合の悪い人が電話で救急車呼んでいるようなマイナー調の曲ばかりで…。これは日本の音楽ジャンルでいうとニューミュージックといいますかポップ演歌といいますか…まあ要するに歌謡曲なんでしょうが、個人的な音楽趣味の問題でしょうけど、どうもオレには苦手でしたねえ。主人公の大スターがギター抱えてステージに立って観客総立ちしてるからギュワァ〜〜ン!とかワイルドなロックでもやってくれるかと思ってたのにどうにもシオシオのパーだったからずっこけちゃいましたよ。インド映画の音楽ってあんなに楽しくて素晴らしいものが多いのでちょっと残念でありました!

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20140609(Mon)

[][]明るく爽やかに描かれるインドの若者たちの恋と友情〜映画『Yeh Jawaani Hai Deewani』 明るく爽やかに描かれるインドの若者たちの恋と友情〜映画『Yeh Jawaani Hai Deewani』を含むブックマーク 明るく爽やかに描かれるインドの若者たちの恋と友情〜映画『Yeh Jawaani Hai Deewani』のブックマークコメント

■Yeh Jawaani Hai Deewani (監督:アヤーン・ムカルジー 2013年インド映画)

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ディーピカー・パードゥコーンとランビール・カプール主演、インドの若者たちの青春群像を描く明るく爽やかなドラマです。

主人公ナイナ(ディーピカー・パードゥコーン様)は勉学に励む真面目な大学生だったが、そんな毎日が退屈に感じていた。ある日ナイナは高校時代の同級生女子アディティ(カルキ・コチェリン)と再会し、同じく同級生男子アヴィ(アディティヤー・ローイ・カプール)、そして世界を旅することを夢見る男子バニー(ランビール・カプール)と一緒にインドの山登りの旅に出ることになる。旅先での様々な体験やハプニングを通して、次第にバニーに惹かれてゆくナイナ。しかしバニーはシカゴに留学する予定であることを告げ、そして彼らはそれぞれの道を歩むことになる。そして8年後、アディティの結婚をきっかけに、4人は再び再開することになるが…というのがお話。

もうねー、バブル期の日本の青春映画でも観せられているみたいに《キラッキラ》でしたね。雪山ではしゃぐ4人の若者、医学生で後にお医者さんになるナイナ、カメラマンとして世界を股にかけるバニー、ゴージャスな結婚式を挙げるアディティ、アヴィだけは借金抱えたバーテンダーなんですが、しかし水も滴るいい男なんだからいいじゃないですか!そしてこの4人の熱い友情、素敵な恋!いやーリア充って呼んじゃうぞコノヤロ!…というのは冗談ですが、この映画、きっと高度経済成長甚だしいインドの若者たちの、憧れや夢が込められた物語ということなのでしょうね。

そんな物語ですが変な上昇志向みたいな嫌味も無く、主演4人がとても屈託が無く真っ直ぐな若者たちとして描かれている部分がとても爽やかなんですね。ドラマそれ自体も狙ったような悲劇や鬱陶しい恋愛の駆け引きが描かれることがなく、とても優しく穏やかな調子で展開してゆくんですよ。

中でも新鮮だったのは、この映画で描かれるナイナとバニーの恋の行方の描き方なんですね。これまで自分が自分が観た範囲のインド映画の恋愛描写って、「押して押して押しまくる男」と「根負けして受け入れる女」ばっかりだったんですが、この作品では、淡い想いが少しづつ高まり、この人好きかも?と思ったところですれ違い、そして何年も経ってから、あの時のお互いの気持ちは今はどうなんだろう?と手探りするという、まだるっこしくはありますがリアルな愛の育み方をするんですよ。しかもインド映画ですからやたら放埓だったり奔放過ぎたりしないところが微笑ましくっていいんですよねえ。

今作でもディーピカー・パードゥコーン様は格段の美貌を誇っていましたが、生真面目な学生を演じるために「メガネっ子」な格好をしており、それがまた可愛かったりするんですよ!一方相手役のランビール・カプールさん、以前観た『Besharam』のC調の軽いイメージが自分に刷り込まれてしまって、「なーんかこいつ信用できねーな」などと思ってしまいました、ランビールさん、あしからず。

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20140608(Sun)

[]超兵器で武装した「アイアン・スカイ」なナチと戦え!〜ゲーム『ウルフェンシュタイン: ザ ニューオーダー』 超兵器で武装した「アイアン・スカイ」なナチと戦え!〜ゲーム『ウルフェンシュタイン: ザ ニューオーダー』を含むブックマーク 超兵器で武装した「アイアン・スカイ」なナチと戦え!〜ゲーム『ウルフェンシュタイン: ザ ニューオーダー』のブックマークコメント

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ナチス・ドイツが第2時世界大戦で大勝し、世界を支配するというパラレルワールドを舞台にしたFPS、『ウルフェンシュタイン: ザ ニューオーダー』であります。

1946年、第二次世界大戦はヨーロッパ中で激しさを増していた。優位に立っていた連合国軍に対して、ナチスは「デスヘッド」――ヴィルヘルム・ストラッセ親衛隊大将による謎の新・高度技術を用い、第二次世界大戦の潮目を変えた。デスヘッドに対する連合国軍による最後の急襲が失敗に終わった時、連合国軍の希望が潰えてしまった。1960年、ヨーロッパ。戦争は終わり、ナチスが世界を征服した。弱まりを見せない彼らの力と脅威は、最強だった国々さえも彼らの前に跪かせた。そして、この独裁体制は今や、軍事力をもって世界を弾圧しているのだった。それら最凶の軍隊に立ち向かうため、ある一人の男、アメリカ人戦士B.J. ブラスコヴィッチとして、この最悪な世界を救うために、立ち上がれ。

この世界でナチスは何故だかなんだか物凄い兵器を持ち、改造人間やら巨大ロボットやらレーザー砲やらがガシガシ襲ってくるんですな。その物凄さといったらトンデモSF映画『アイアン・スカイ』どころではございません(どうも話によるとこの『ウルフェンシュタイン: ザ ニューオーダー』でもナチは月に基地を持っているとかいないとか)。

この最凶の敵ナチスに挑むのがアメリカ兵の生き残り戦士、ブラスコヴィッチさんとその仲間のレジスタンスの皆さんであります。FPSゲームっって世界観だけで完了している部分があって、物語とか案外どうでもよかったりするんですが、この『ウルフェンシュタイン: ザ ニューオーダー』では世界を支配するナチに数少ない味方だけで戦うことができるのか!?という悲壮感が実にドラマチックに物語を盛り上げているのですよ。この辺、マルチの無いシングルプレイに特化したゲームだけに相当力を入れているように感じました。

ゲームの仕様もオールドスクールな作りで、斬新さは無いにせよオレのような昔ながらのFPSファンには妙に懐かしいというかホームグラウンドに帰ってきたぜ、ってな気分になりますな。こういうのこそPCでやりたい気もしますが、最近PCゲーやってないんでグラボが古くてねえ…。

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20140606(Fri)

[][]映画『Gunday』はならず者同士の笑っちゃうほど熱血過ぎる友情ドラマだった! 映画『Gunday』はならず者同士の笑っちゃうほど熱血過ぎる友情ドラマだった!を含むブックマーク 映画『Gunday』はならず者同士の笑っちゃうほど熱血過ぎる友情ドラマだった!のブックマークコメント

■Gunday (監督:アリー・アッバース・ザファル 2014年インド映画)

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熱いぜ熱いぜ熱くて死ぬぜ!!ボリウッド・ムービー『Gunday』は死ぬほど熱い男の友情を描いた映画なんだぜ!!あんまり熱くてホントに死にかけてるぐらいだぜ!!舞台はちょっと昔のインドのカルカッタ!ここに燃えるように熱い友情で結ばれた二人の男がいたんだぜ!ちなみにカルカッタは今はコルカタと呼ばれているんだぜ!これ豆知識な!(…あれ、知らなかったのオレだけ!?)

熱い二人の男の名はビクラム(ランヴィール・シン)とバーラー(アルジュン・カプール)!やつらはカルカッタを牛耳るギャングのカシラ!ナンコツやガツじゃないんだぜ!?でもギャングだけれど弱きを助け強きをくじく男前!そんな二人が一人の女に惚れちゃったからさあ大変!彼女の名はナンディター(プリヤンカー・チョープラー)、キャバレーダンサーの超絶美人!ウキウキワクワクの二人だったがそこに大変な事件が起こり、バーラーは町を去らねばならなくなった!「俺が町に戻るまで、ナンディターのことはオアズケだからな!」「当たり前さ相棒!」カ、カテェ…まるで溶岩石のように凝り固まった二人の友情!!しかしお色気ムンムンのナンディターに、残されたビクラムは辛抱できるのか!?

えー、『Gunday』でございます。熱い友情のドラマだけに文章もちょっと熱くしてみましたが、段々暑苦しくなってきたのでこのぐらいにしておきます。そしてこの『Gunday』、友情だけが熱いドラマじゃないんです。これに彼らを追いまわす地元警察とのド派手なアクションがドッカンドッカン入り、さらに二人を演じるランヴィール・シンもアルジュン・カプールも顏濃いし髭濃いしムッキムキのマッチョ!その暑苦しさはもはやエンドレス、あたかもサウナ風呂に上映時間2時間半分入れられちゃうような、とんでもない熱気に溢れかえった映画なわけなんですよ。もう「観るダイエット、その名は『Gunday』!」なんてキャッチフレーズのひとつも付けたくなる程でありますな!

でもこの二人の固い友情には訳があって、それは幼い頃戦災孤児だった二人が、酷い仕打ちに耐えながら歯を食いしばり助け合って生き残ってきたから、という泣かせる理由があるんですな。だから二人は血よりも濃い信頼と友情で結ばれている、というわけなんですよ。そんな二人が一人の女性に恋をし、「友情と恋、どっちを取る!?」となるのが前半なんですが、そもそも髭モジャマッチョでしかもギャングのくせになに可愛らしいこと言ってんだよこいつら!?という純な部分が可笑しいんですよ。だいたい恋してる気持ちを表さんがために胸元いっぱいにでっかいハートマークがプリントされたシャツ着てキャッキャしてるんですよこの二人!いったいどこで売ってんだよそれ!

この二人は分かり易く性格分けされておりまして、バーラーは瞬間湯沸かし器と言ってもいいほどカッカしやすく喧嘩っ早い、自尊心が高くとても真っ直ぐで自分に正直、理屈より行動、どっちにしろ単純でガサツ。その点ビクラムはもう少し周囲が見えている、もう少し考えて行動する、機転が利く、バーラーよりはクレバーで物腰は柔らかい。こういった部分でビクラムはバーラーの尻拭いばかりしているようにも見えますが、実はバーラーの行動力に引っ張ってもらっている部分がある。だから二人は二人三脚で今まで生き残ってこれたんですね。どちらにしろ、大きい図体に熱すぎる魂と純すぎるハートを持っている、という部分で二人は共通しているんです。

こんな二人が、いざ戦いが始まると、戦車のごとくに次から次へと敵を倒してゆくんですね。そういった、「友情!愛!戦い!」みたいな部分に、なんだか往年の少年コミックを読んでいるような痛快な楽しさがあるんですよ。その分お話が力任せで若干大雑把な雰囲気が無きにしも非ずではありますが、男同士が手に手を取り合い血沸き肉躍る大活劇を見せつけてくれるこの物語、観ていて大いに盛り上がりますよ!

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20140605(Thu)

[][]ピンクのサリーは人権の印!わたしらインドのアマゾネス軍団!〜『Gulaab Gang』 ピンクのサリーは人権の印!わたしらインドのアマゾネス軍団!〜『Gulaab Gang』を含むブックマーク ピンクのサリーは人権の印!わたしらインドのアマゾネス軍団!〜『Gulaab Gang』のブックマークコメント

■Gulaab Gang (監督:ソウミク・セーン 2014年インド映画)

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えー、その昔ピンクのヘルメットをかぶってウーマンリブを訴える「中ピ連」という団体がありましてな、当時は結構派手にメディアに取り上げられていたものですから、ジジイのオレなんかはよく覚えております。さて今回ご紹介するインド映画『Gulaab Gang』、これは「ピンクのギャング」ってェ意味なんだそうですが、こちらはピンクのサリーを着て虐げられている女性や貧しい人たちの為に実力行使する、という女性たちの集団を描いた作品なんですな。

お話はインドのとある農村が舞台となります。田舎ということもあるのでしょうか、アコギな地主による農民の搾取や女性への虐待が後を絶ちません。そこで立ち上がったのがピンクのサリーを着て共同生活を営む女性たちの集団、「Gulaab Gang」なのであります。彼女らは不正や暴力に対して頑として立ち向かいます。そのためには暴力すら厭いません。理屈だの抗議運動だのではありません。彼女らは実際に戦います。実力行使なんです。目には目を、歯には歯をの精神で、日々鍛錬した肉体と、鎌や棒などの武器を頼りに、悪い奴らを徹底的に懲らしめるのですよ!だから冒頭から激しいアクション・シーンが盛り込まれます。勧善懲悪であるこの物語、一見か弱そうな女たちが武器を片手に驕り昂ぶった男どもをバッタバッタとなぎ倒してゆく、というシーンを見せられるのは胸がすくものがあります。

しかしこんな彼女らの活動を面白く思わないものもいます。女政治家スミトラー・デーヴィー(ジュヒー・チャーウラー)がそれです。スミトラーは最初、「Gulaab Gang」のリーダーであるラッジョー(マードゥリー・ディークシト)の影響力を利用しようと、選挙活動へ協力させようとするのですが、利己的で人を人と思わない本性を見抜かれ、協力を拒まれたばかりか、ラッジョーに対立候補として立候補されてしまうのです。面白くないのはスミトラーです。彼女はその傲慢で冷徹な性格を露わにし、ゴロツキたちにラッジョーと彼女の仲間たちへの抹殺指令を出すのです!暗殺!襲撃!物語は次第に血なまぐさい様相を呈し、「Gulaab Gang」たちは次々と倒れてゆく!しかしやられてばかりいる彼女らではない!そしていよいよ、ラッジョーとスミトラーとの頂上対決の火蓋が切って落とされるのです!

いやあこれは面白かったですね。「Gulaab Gang」の戦いの基本は「報復」です。女性や貧しい者たちが酷い目に遭った時、彼女らが報復するその様は「必殺仕置き人」のようですらあります。しかしそれだけではなく、教育の行き届いていない近所の子供たちに勉強を教えてあげたりもするのです。共同生活を営む彼女らは、それぞれに辛い過去を抱えてここに集まったのでしょう(この辺ちゃんと字幕を追えていない)。中に一人武闘派の女性がいるのですが、これがミシェル・ロドリゲスぽくてカッコよかったですね。一方敵の親玉スミトラーもキャラが立ってます。女優さん自体は結構な美人さんなんでが、これが冷たい眼差しを光らせて口の端を上げながら憎々しく喋る様は悪モンの貫録十分でしたね。

インドにおける根深い女性差別は聞き及んだことがあるにせよ、自分はその全貌を知るわけではありません。伝統的に家父長制が強い社会であること、ヒンドゥー教の教義が影響を与えていること、などが挙げられているようですが、どちらにしろ、欧米諸国並みの平等が女性に与えられているわけではないという印象を受けます。都市部と地方とではさらに女性の立場に格差があるでしょう。そういった中で、エンターティメントに徹しているとはいえ、このような物語が作られるのはある種快挙なのかな、とちょっと思ったりもしました。

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20140604(Wed)

[][]俺たちインチキ捜査官!〜映画『Special 26』 俺たちインチキ捜査官!〜映画『Special 26』を含むブックマーク 俺たちインチキ捜査官!〜映画『Special 26』のブックマークコメント

■Special 26 (監督:ニーラジ・パーンデー 2013年インド映画)

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映画は冒頭から物々しい雰囲気で始まります。捜査官らしきいかつい顔した男たちがとある豪邸に立ち入り、令状のようなものを見せたあと家宅捜索をし出すんです。棚という棚を調べ、引出しという引き出しを開け、遂には天井まで壊します。すると、出てくるわ出てくるわ札束の山。捜査官たちはその札束を険しい表情で確認し、家主を問い詰めた後、激しく叱咤してそれを押収します。おお、この映画はマルサの男たちの過酷な職務を描く社会派ドラマなのだな!?と固唾を呑んで見入ってると、車に札束を積んだ男たちはどこかの汚い空家に入り、札束を山分けした後、にっこり笑って別れていくではないですか!?そう、実はこの映画、「捜査官を騙って裏金を騙し取る詐欺師たち」の話だったんですね!

いやあこれは面白かった。物語はこの後、中央捜査局を騙る詐欺師たちと、事件を捜査する本物の中央捜査局との攻防を追ってゆくんですが、これが実に緊迫感たっぷりに、なおかつ非常にテンポよく描かれてゆくんですよ。80年代インドという時代設定からもうかがえるように、昨今よく映画で描かれるようなハイテク詐欺ではなく、詐欺師たちがいかにも本物のようなデカい態度と、口八丁手八丁の話術と、その場その場を巧みにしのいでゆく頭の良さで、次から次に現金を奪ってゆく、というもので、その泥臭さが逆に小気味いいんですね。しかもこの詐欺師たち、ニヒルでクールな犯罪者集団というわけではなく、素に戻るとどこにでもいる普通のオッサンたちばかり、という落差がまた面白いんですよ。ちなみにこの物語、インドで実際にあった事件を元に製作されているんですね。

一方、詐欺師たちを追いつめてゆく本物の捜査官ワシーム(マノージュ・バージパーイー)も、蛇みたいな目つきをしたコワモテ親父で、彼の登場時では別の犯罪を追うシーンが描かれますが、ここでもやはり蛇のように執念深く犯人を追ってゆくんですよ。捜査方法もインドというお国柄でしょうか随分荒っぽく、詐欺師たちの敵役として申し分ないんですね。詐欺師たち自身はヤクザな稼業もそろそろ潮時と、最後の大仕事を計画し、なんと新聞に「捜査官募集」の広告を出して人を集め、26人の捜査官チームを組ませます。この26人は自分たちが本当の捜査局に雇われた、と勘違いしたまま詐欺師たちに使われることになるんですよ!これがタイトルの『Special 26』ということなんですね。詐欺師たちの計画する最後の大仕事とはどのようなものか、ワシーム捜査官はどのように詐欺師たちを追いつめるのか、最後に笑うのは詐欺師か捜査官か、大詰めに向けて物語はどんどんサスペンスの度合いを深めてゆくのですよ!

主演の詐欺師アジャイを演じるのはアクシャイ・クマール。以前『Rowdy Rathore』という映画も観たのですが、この時と似たような七三に撫でつけたお堅そうなヘアスタイルをしていて、オレの中では「アクシャイ・クマールといえば七三」というイメージがついてしまいました。そんなアクシャイ・クマールの、真面目そうに見えて何考えてんだかわかんない表情が役柄に合っていましたね。映像はフィルム撮影だったのか微妙にイエローがかったレトロ調の色彩をしており、これが80年代インドという時代設定にマッチしていて雰囲気が出ていました。またその映像表現も素早いカットや画面分割を使った技巧が効果的に使用されており、こういった緻密さがハリウッド映画に近いテイストを感じさせました。派手さは無いんですが、映像を積み重ねることでじわじわと興奮を生んでゆくんですよ。この監督の作品、他のも観てみたくなりました。

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20140603(Tue)

[][]あらまあお下劣!インドの下ネタ全開コメディ映画『Grand Masti』 あらまあお下劣!インドの下ネタ全開コメディ映画『Grand Masti』を含むブックマーク あらまあお下劣!インドの下ネタ全開コメディ映画『Grand Masti』のブックマークコメント

■Grand Masti (監督:インドラ・クマール 2013年インド映画)

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この『Grand Masti』、インドの下ネタ全開コメディ、と聞いて「割とお固めのインドで下ネタ全開ってどの程度やっちゃってくれてるのかしらん?」と興味が湧いて観てみました。インドでは割とヒットした映画だとか。ちなみにタイトルには『Masti2』という副題が付けられていて、2004年に製作されたコメディ『Masti』の続編らしいです。

お話は所帯持ちの3バカ男が3人揃って浮気の虫が湧きまくり、アバンチュールを求めて大学の同窓会で羽目を外すが…といったストーリー。しかし彼らが馳せ参じた大学にはかつて「勉学も忘れスケベにウツツを抜かすバカ学生には恐怖の制裁が待っておるのじゃ!」と言ってはばからない伝説の堅物校長がいて、その校長がある学生に行った羞恥プレイの制裁を見た3バカのトラウマになっています。しかしバカなんでそんなトラウマも忘れなんとかそれぞれ浮気の相手を見つけた3人、彼女らの家でいよいよベッドインという時に突然の来訪者が!?そう、その来訪者こそがかの伝説の堅物校長だったのです!

いやー想像以上に面白かったでした。冒頭から「AはAss、BはBust、Cは…言えねえ言えねえもう言えねえ!そしてオレたちが求める究極のアルファベットは…F!!」とかもうバカと下ネタ全開です。モロな言葉や映像は全くありませんが(キスシーンすらちゃんと見せません)、それでもしょうもない下品さと子供っぽい下ネタ振りは十分に頭悪くてしょーもありませんでした。そしてこの物語、実はバカ垂れ流してるだけではなく構成も上手い。まず前半は妻との夜の生活に飽き飽きした3バカのグダグダ加減が面白おかしく描かれます。この前半はショートコント的な短いネタが連発され飽きさせないんですね。

そして中盤での堅物校長登場から物語にドライブがかかってきます。なんと、3バカが手を出した3人の女性というのが、実は堅物校長の嫁・妹・娘だったのですよ!いやーなんなのこの有り得ないシチュエーション!それだけではなくて、そこに3バカの3人の嫁が乗り込んできて、3バカ+6人の女、さらに堅物校長入り乱れての大騒ぎとなるんですね。物語はさらに広がり、かつて堅物校長に羞恥プレイ制裁を受けた学生が、堅物校長の命を奪おうと迫りくるんですよ!下ネタバカコメディとはいいながら、意外と練られたシナリオなんですね。

こんな思わぬ技ありのシナリオに、「うん、インド映画だけど頑張って下ネタしているね」などと最初余裕で観ていたオレも、中盤からは「ありえねー!」とかツッコミながらゲラゲラ笑って観ていました。3バカ連中のしょうもない下品の妄想や、浮気発覚を恐れたひたすら嘘と逃走を繰り返す様はどうにも情けなくて可笑しかったし、それに対する女性6人はしおらしいどころかなんだか常に欲情しまくって3人に迫ってくる、という嬉しいんだか恐ろしいんだかわかんない状況というのも笑いに繋がっていました。ギャグも下品とはいえ生々しいものではなく、日本のTVでも流せそうなぐらいのレベルなのがまた微笑ましくてよかったですね。

D

20140602(Mon)

[][]愛と復讐に生きる男の数奇な運命を描く怒涛の名作〜映画『Agneepath』 愛と復讐に生きる男の数奇な運命を描く怒涛の名作〜映画『Agneepath』を含むブックマーク 愛と復讐に生きる男の数奇な運命を描く怒涛の名作〜映画『Agneepath』のブックマークコメント

■Agneepath (監督:カラン・マルホートラ 2012年インド映画)

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最近結構なペースでインド映画を観ているんですが、良作・快作・珍作・名作数ある中で、「うぉおぉおぉ〜〜ッ!!きたきたきたぁ〜〜ッ!!」と思わず身を乗り出して絶叫してしまった(心の中で)のが2012年公開のこの作品、『Agneepath』です。タイトルは"火の道"といった意味の言葉なのだそうですが、その内容は暗い絶望の中でまさしく火のように赤々と燃える、愛と憎しみに彩られた一人の男の大復讐譚だったのですよ!

物語の舞台は1970年代のインド、ボンベイ沖にある小さな島。教師の父を持つ少年ヴィジャイはこの島で幸せに暮らしていましたが、その生活はコカを栽培して大儲けを企む村長の息子カーンチャー(サンジャイ・ダット)の登場によって脆くも破壊されてしまいます。カーンチャーの企みによってヴィジャイの父が少女レイプ犯の汚名を着せられ、村人たちにリンチ同然の仕打ちを受けた後吊るし首にされ殺されたのです。島を逃げ出したヴィジャイとその母はボンベイのとある娼館に身を寄せますが、そこでヴィジャイは悪徳警官を殺害、そしてそのまま地元の麻薬マフィアに匿われることになるのです。そして15年後、マフィアボスの左腕として生きるヴィジャイ(リティク・ローシャン)は、ついに復讐に向けて動き出すのです。

もう冒頭から怒涛の展開の連続です。悪鬼のような形相の敵役カーンチャーの登場、狂気に駆られ暴徒と化した村人、豪雨の中目の前で殺される父、ボンベイ黒社会の恐ろしい人身売買の描写、心身喪失状態のまま警官を殺してしまう主人公少年、黒社会に足を踏み入れたばかりに母や妹と離れて生きる主人公の孤独、その家族との絆、娼館の娘カーリー(プリヤンカー・チョープラー)との切なくささやかな愛、陰謀と殺戮、突然襲い掛かる悲劇、そして年月を経てもなお決して消えることのない、父を殺した男への深い憎悪。物語はこうして、ただただ復讐だけを誓って生きる一人の男の、嵐のように揺れ動く数奇な運命とその行方を、圧倒的なまでの情感で描いてゆくのです。そしてそれらに、インドならではの土俗と自然、文化と宗教が荒々しくもまた鮮やかな色調を加えているのですよ。

しかし、こうした暗くドロドロとした情念を描いた物語ではあっても、インド映画らしい歌と踊りは決して忘れてはいません。しかもそれはとりあえずお約束で挿入されているというものでは決して無く、物語のシチュエーションにきちんと則った形で入れられているんですよ。だからあまり数も多い物ではないんですが、だからこそ恐ろしく効果的に使われているんです。最初に登場する踊りは物語が始まって1時間位経ってからやっと、というものなんですが、それまでギリギリまで張り詰めて進行していた物語が、この踊りで一気にその緊張感を開放し、そこだけ夢のように儚くもまた美しい映像として花開くんですよ。そして主人公を取り巻く現実が陰惨なものだからこそ、この愛に満ちた美しい映像が、実はとても切ないものである、ということも分かるのです。

そしてこの作品は配役が非常に充実しています。まずなんといっても悪役の親玉、カーンチャーを演じるサンジャイ・ダットです。熊のように大柄でずんぐりむっくりの体躯、髪も眉も剃り落した海坊主のような頭、どんよりと曇った虚ろな瞳、そして常に哄笑しているかのような歪んだ口元。はっきり言ってバケモノ、そしてだからこそ敵役としての存在感が格別なんですよ。いやしかしこんな俳優よくいたもんだなあ。一方主人公を演じるリティク・ローシャンは精悍なマスクにクールな緑の瞳、鍛え上げられ引き締まった肉体と、色男の貫録満載です。そしてヒロインを演じるプリヤンカー・チョープラーの美しいこと美しいこと!しかし美しいだけではなく表情が豊かで、時として見せるおどけた顔がまた愛らしいんです。リティク・ローシャンとプリヤンカー・チョープラーは以前観たスーパーヒーロー映画『Krrish 3』でも共演していましたね。

これら素晴らしい配役に恵まれ、そして復讐譚という非常に感情を揺さぶるテーマを持ったこの物語、インド映画の枠を超え、世界マーケットでも十二分に通用する作品であるばかりか、インド映画に興味の無い方が観られても、その面白さは衝撃を持って伝わることでしょう。お勧めです。

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20140601(Sun)

[]ピザLサイズ2枚。 ピザLサイズ2枚。を含むブックマーク ピザLサイズ2枚。のブックマークコメント

ピザLサイズ2枚を

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一人で完食した。

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オレは何を目指しているのであろうか。

オレはどこに行こうとしているのであろうか。

少なくともオレは今、猛烈に胸焼けしている。

いやー実は「ピザLサイズ2枚でお値段1枚!」ってキャンペーンやってたもんだからつい…。ここのピザは大きさ的に他のピザ屋のMサイズな上にナポリ生地だから薄くて全部食べられちゃうか、と思ったんだが、ホントに食べられちゃったので自分でびっくりした!ビールも3個飲んだよ!一人で!

ここで一言:「真夏に負けないデブになる!」

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