Hatena::ブログ(Diary)

メモリの藻屑、記憶領域のゴミ

20140731(Thu)

[][]普段は善意の人だけど、怒らせちゃうと大魔神!〜映画『Jai Ho』 普段は善意の人だけど、怒らせちゃうと大魔神!〜映画『Jai Ho』を含むブックマーク 普段は善意の人だけど、怒らせちゃうと大魔神!〜映画『Jai Ho』のブックマークコメント

■Jai Ho (監督:ソーヘル・カーン 2014年インド映画)

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現在大ヒット上映中の『ダバング 大胆不敵』で主役を務めたサルマーン・カーンが出演した、2014年公開の最新作『Jai Ho』です。「じゃいほー」といえばオレなんかはダニー・ボイル監督の映画『スラムドッグ$ミリオネア』のラストに流れるA・R・ラフマーン作曲の名曲を思い出しますが、こっちの「じゃいほー」は物語の主人公の名前「ジャイ・アグニホートリー」をもじったもの。ちなみに「Jai Ho」って「バンザイ!」とか「勝利あれ」とかいう意味らしいですね。

さてこのジャイさん(サルマーン・カーン)、元軍人なんですが、今は町のお助け屋をして生活しています。それでどう生計が成り立ってるのかはよく分かんないですが、多分軍人恩給とかが出てるのでしょう。今日もジャイさん、レイプ未遂犯を叩きのめしたり、物乞いの女の子に暴力を振るう男をぶちのめしたりして町の浄化に勤めておりました。ジャイさん、暴力だけでなく両腕の無い女子学生の為に書き取りをしてあげたりもしてるんですよ。泣かせますね。しかしこれじゃあラチが明かん、とジャイさん、「3人の人を助けてその3人がまた3人を助ける善意の連鎖を作ったらどうだろう」と提案します。つくづく善意の人なんですねジャイさんは。そんなジャイさんに立ちはだかるのが腹黒の政治家ダルシュラート・シンとその一家。町で好き勝手する彼らに遂にジャイさんの怒りが爆発するんです。

この『Jai Ho』、主人公ジャイさんの「思いやりに溢れた善意の人」という部分と「怒らすと怖い大魔神みたいな人」のギャップが相当で、どこかちぐはぐに感じさせます。しかも「善意の人」を演出するために女性や子供や身障者を総動員していてちょっとアザトイです。そもそも「3人の人を助けてその3人がまた別の3人を助けて…云々」といういわゆる「善意のネズミ講」、これってハーレイ・ジョエル・オスメント主演で2000年に公開されたアメリカ映画『ペイ・フォワード 可能の王国』でやってましたよねえ。ええっとつまりパク…あああいかん後ろに拳骨を振りかざしたサルマーン・カーンの影がッ!?というわけで命の危険を感じたのでパク…疑惑についてはこれ以上触れません。

しかしなにしろこの「善意のネズミ講」、発想がそもそもコソバユく、「あっちでも善意!こっちでも善意!」とか描かれちゃうと観ていて居心地悪くてたまりません。アクション目当てで映画を観始めたら道徳の時間が始まっちゃうって、これって『エクスペンダブルズ』のDVDだと思ってたら中身が『愛は地球を救う』の録画だったぐらいの落差です。そのくせ言い出しっぺのジャイさんは「多分3人ぐらい助けてる筈だからもういーや」とでも思ったのか、その後はバイオレンスに次ぐバイオレンスの連続、これでもかこれでもかと悪漢たちをぶちのめし、画面一杯に血飛沫を飛ばしまくってくれています。おーいジャイさん!3人助けた後に30人ぐらい殺してないか!?まあサクッと悪モン2,30人ぶっ殺してくれたほうがてっとり早く世の中良くなるかもしれませんけどね。…じゃあ「善意のネズミ講」いらないじゃん…。

そんなですからドラマ部分にはあまり見る所はありません。それとヒロインがなんだかパッとしません。そうするとどうなるかというと、結局サルマーン・カーンさん以外に見る所が無い、要するに「オレのことだけを見てくれ!」というサルマーンさんのしたり顔ばかりが印象に残る、という構造の映画になってるんです。しかしアクションは悪くありません。特に電車まで巻き込んだバイクと車のチェイスシーンは「これ誰か死んでないか」と思わせるほどの派手さです。クライマックスなんて戦車まで出てきたよ!ってかサルマーンさん一人で戦車並みとも言えるけどね!しかしそれにしてもサルマーンさんって「筋肉付けた寺島進」って感じだよなあ。

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20140730(Wed)

[]『SHERLOCK/シャーロック シーズン3』観たよー 『SHERLOCK/シャーロック シーズン3』観たよーを含むブックマーク 『SHERLOCK/シャーロック シーズン3』観たよーのブックマークコメント

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『SHERLOCK/シャーロック シーズン3』全3話やっと観ました。前回の『シーズン2』ラストでなんとホームズがあんなことに!?という物凄いクリフハンガーぶちかまして終わってくれましたが、「いったいどうなっちゃうの!?」という気持ちはあんまりなくて、「いやホームズだからなんとかなっちゃうんだろ」と思いつつ観始めましたけど、やっぱりこのシリーズ面白いですね。なんといってもホームズの鬼畜っぷりとワトソン君の翻弄されまくりっぷりが!ではざっくり紹介と感想などを。

第1話『空の霊柩車/The Empty House』…ホームズ生還!とはいえワトソン君の怒りは収まりません。いや、普通の感情を持っている人間なら誰でもそうなるでしょう。でもなにしろ相手はホームズ、こんなパートナーと付き合っている以上ご愁傷様と言うしかありません。そのワトソン君をさらにおちょくるホームズさん、もう手が付けられません。ファンはこんなホームズの鬼畜ぶりが実は大好物なのではないかと思われます。ええ、オレも腹抱えて笑ってました。今回はこのワトソン君が拉致られ、そんなワトソン君の元に急行するホームズさん、いつもはイケズのクセして相当カッコよく、ここは萌えどころです。でも続くテロ事件解決でもワトソン君に対してやっぱり安定の鬼畜っぷりを見せてくれました。ホームズさんブレがないです。今回はワトソン君の恋人やホームズの両親なんかも登場。ってかホームズの両親、あの兄弟を産み育てた割りには普通過ぎ、というギャップが楽しい。さらに前作で終焉したモリアーティに次ぐ悪漢の登場がほのめかされます。

第2話『三の兆候/The Sign of Three』…ワトソン君の結婚が決まり、結婚式でとても重要な「付添人」をホームズにやって欲しいと頼みますが、ホームズは「何いってんのこいつ?」という態度しかできません。だいたいホームズに一般的な社会生活者の決まり事だの行事だのが分かるわけがないのです。というか分かりたいとすら思っておらず、分かること自体が無意味と思ってるんだからしょうがありません。だって鬼畜だし!そんなホームズですが、皆さんご存知のようにワトソン君にはツンデレです。こっそり付添人の準備してたりします。この「こっそり」ないじらしいホームズにまたもやファンは萌え萌えです。そして当の結婚式、結婚式だっていうのに「えっと僕らの関わったあれやこれやのおぞましい事件を披露しちゃいます」とかスピーチ始めて空気を全く読まないホームズに観る者は「そうこなくっちゃ!」大いなる安心感を得ることでありましょう。ここでも事件が起こったりはするんですが、割とまあどうでもいい事件です。そんなことよりスピーチで語られる「僕は酔っぱらっちゃった事件」のあっぱらぱーなホームズに、悶絶させられること必至でありましょう。

第3話『最後の誓い/His Last Vow…シーズン3最終話は1話目でほのめかされていた悪漢がいよいよ登場です。『シーズン2』最大の敵モリアーティがあれだけイヤラシイ相手だったので、それに輪をかけてイヤラシイことが要求されると思いますが、そこはさすが英国人、イヤラシイ人間を描くことに余念がないようで、実に香ばしいゲス野郎が登場してわくわくさせてくれます。このゲス野郎は相当狡猾な策略家であり、ホームズとの腹の探り合いと裏のかき合い合戦が実に楽しい1作になっています。さらにお互い裏の裏をかいたりするので展開が読めません。さてこの第3話はネタバレになる事がらが多すぎるので、たいした事が書けません。それだけ急展開と驚愕の事実の乱れ撃ちとなってるんです。よくもまあこれだけの展開を90分程度に盛り込んだな、と感心するほどでした。最後の最後まで危機また危機の連続で、「え?え?まだ終わってないぞこれ?またしてもクリフハンガーなのか!?」と思わせますが、実際の所は観て確かめてもらうとよろしいでしょう。ただなにしろこの第3話でもホームズの鬼畜ぶりは揺るぐことが無く、さらにホームズの兄、マイクロフト兄さんも負けずに鬼畜の王道に君臨しており、「浪花の浴衣兄弟」ならぬ「ロンドンの鬼畜兄弟」として堂々たる貫録を見せつけてくれていたことだけは間違いなかったです。

というわけで『シーズン4』が楽しみですね!

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20140729(Tue)

[][]サルマーン・カーンが『ダバング 大胆不敵』に先駆け出演したアクション映画『Wanted』 サルマーン・カーンが『ダバング 大胆不敵』に先駆け出演したアクション映画『Wanted』を含むブックマーク サルマーン・カーンが『ダバング 大胆不敵』に先駆け出演したアクション映画『Wanted』のブックマークコメント

■Wanted (監督:プラブデーヴァ 2009年インド映画)

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現在大ヒット公開中の『ダバング 大胆不敵』で主役を務めたサルマーン・カーンが、『ダバング』に先駆け2009年に出演したアクション映画です。

主人公の名はラーデー(サルマン・カーン)。彼は金の為なら殺しすら厭わないヤクザ者だ。銃の腕も格闘も誰にも負けはしない。ただし一目惚れしたジャーンヴィー(アーイシャー・ターキヤー)にはちと弱い。しかしジャーンヴィーはいつも自分を守ってくれるラーデーには感謝しているものの、ヤクザ者であることを気にしていた。

ところでラーデーはムンバイの街をしきるギャング団に手を貸していたが、ある日そのボスが殺され、替わりにギャング団の大ボス、ガニー・バーイー(プラカーシュ・ラージ)がバンコクからやってくる。ガニー・バーイーはムンバイの街を恐怖に陥れるある計画を持っていた。しかしそのガニー・バーイーがムンバイ入り直後警察に秘密裏に拘束されたため、ギャング団は警視総監の娘を拉致、ガニー・バーイー釈放を要求する。その時ラーデーは「若い娘を誘拐とはやりすぎたな…」と暗く目を輝かせ始めた。

物語だけ書きだすと相当シリアスな犯罪ドラマのようにも見えますが、実際には気は優しくて力持ちな主人公ラーデーの、ちょっぴりコミカルでロマンチックな恋愛模様と、向かう所敵なしの爽快なアクションがメインとなる物語なんですね。そしてそこにマフィアの陰謀や殺しが同時進行で描かれ、メリハリのあるものとして描かれてゆくのですよ。そしてアクション・シーンともなるとサルマーン・カーンが無敵の超人となって暴れ回る!というものなのですね。

もちろんインド映画らしい極彩色の歌と踊りがふんだんに盛り込まれおり、徹頭徹尾エンターティンメントとして仕上がっているんですね。しかもこの映画、監督のプラブデーヴァ自体が、「インドのマイケル・ジャクソン」と呼ばれるほどの名振付師でもあり、この作品でも相当キレのいい振付を施しているばかりか、自身もちょっぴり踊りのシーンに参加して、その素晴らしいダンスを披露してくれています。インド映画の踊りは数々観ましたが、プラブデーヴァの振付は相当早い動きのものが多くて目を見張りますね。

そもそもこの映画はこれまでライトだったボリウッド作品に南インド映画の粗っぽいアクションを持ち込み大流行させた、という先駆けとなる作品のひとつとして功績が高いと言われているようです。その反面、2009年製作の作品なので、最新型のボリウッド・アクションを最初に観てからこの作品を観てしまうと、少々物足りなく感じてしまうかもしれません。それだけこの作品やこの後の『ダバング 大胆不敵』で元型が作られたボリウッド・アクションが、とんでもない高速度で進化していった、という見方もできるでしょう。

映画としてみると構成が若干ドタバタしており、散漫に思える部分もあるのですが、サルマン・カーンの大見得切った立ち姿はやっぱり格好いいし、アクションも保証できます。ただし個人的にヒロインがちょっと魅力が薄く感じたなあ。胸は大きかったけど。

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20140728(Mon)

[][]君よ鬼神たれ、女神たれ〜映画『ダバング 大胆不敵』 君よ鬼神たれ、女神たれ〜映画『ダバング 大胆不敵』を含むブックマーク 君よ鬼神たれ、女神たれ〜映画『ダバング 大胆不敵』のブックマークコメント

■ダバング 大胆不敵 (監督:アビナウ・シン・カシュヤップ 2010年インド映画)

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I.

インド映画を観始めて最初の段階でその評判の高さを知ったアクション映画『Dabangg』。インドでは2010年に公開され、その続編も既に公開済みで、これは是非観なければと思っていた矢先、『ダバング 大胆不敵』というタイトルで日本公開が決定、これは輸入盤DVDではなく劇場で観るべきだ!と首を長くして待つこと数か月、公開初日の7月26日、ようやくその映像を体験することができた。

主人公の名はチュルブル・パンデー(サルマーン・カーン)。幼い頃父を亡くし、継父と腹違いの弟との不和の中で育った彼は、成長して警官となっていた。滅法腕っぷしのいい正義漢ながら、悪漢から金を巻き上げる汚職警官でもあった彼は、ある日ラッジョー(ソーナークシー・シンハー)という名の女性と出会い、彼女を見初めてしまう。しかしアル中の父親を心配する彼女は、チュルブルの願いを簡単に聞き入れることができなかった。一方、チュルブルに事あるごとに煮え湯を飲まされていた悪徳政治家スィン(ソーヌー・スード)は、チュルブルを亡き者にせんと企み、チュルブルと仲違いする弟マッキー(アルバーズ・カーン)を巻き込んである計画を実行しようとしていた。

この『ダバング』、予告編や前評判などから「法律なんてお構いなしの暴れ者デカが、問答無用で悪漢をぶちのめしてゆく痛快B級アクション」と想像していたのだが、実際観てみるとその予想の半分は覆された。まず、主人公チュルブル・パンデーが、勧善懲悪を成すだけの単純なキャラではない、という部分、そして、派手なアクションが大幅に盛り込まれてはいるけれども、その物語は「家族の絆」を主軸として描かれたものである、という部分だ。

II.

主人公チュルブル・パンデーは正義を愛する男だが、だからといって清廉潔白な聖人君主というわけではない。強盗をぶちのめし、二度とするなと言い含めて逃がしはするが、その代わり彼らから取り戻した金の上前をはねる。犯罪者相手の恐喝は当たり前、偽の証拠をでっち上げて逮捕に持ち込もうとするし、法律無視で叩きのめした相手に上司から謝罪を求められても慇懃無礼に返すだけだ。こういった警官仕事だけではなく、チュルブルの金を持ちだして結婚式を挙げた弟の元に乗り込み、その会場を乗っ取って自分の結婚式を挙げたりもする。このチュルブルという男は、奇妙に善悪が混沌とし、時として暗い情念を吐き出してしまう男なのだ。

しかしそれでも、彼はアンチ・ヒーローやダーティー・ヒーローとしてだけ描かれているわけではない。では彼はどんな男なのか?というと、非常に強い信念と情熱を持ちながらも、それを表に上手く出すことができない不器用者なのだ。それは彼のいつも浮かべているしかめっ面によく表れている。喜怒哀楽を上手く表わせないのだ。彼の言動はいつもぶっきらぼうだし、唐突だ。それは、「上手く言えない」からなのだ。それを「男らしさ」と勘違いしているのだ。そして「上手く言えない」彼は、そのもどかしさから暴力的になるし、的外れな正義を振りかざすし、逆にひょうきんにお道化て見せたりもする。

そして『ダバング』の家族を描く映画としての側面だ。それは幼い頃から続く継父と腹違いの弟との確執、そして母親への大きな愛情だ。その確執は悪徳政治家スィンの陰謀の標的にされ、チュルブルと継父・弟との溝は次第に深いものとなり、そして母親はその心労に倒れる。チュルブルは肉親への愛憎がない交ぜとなった複雑な心境に至るも、ここでも彼の不器用さが災いし、その溝を自ら修復不可能なものとしてしまう。もう親でも子でもない、そう言い渡されたチュルブルだが、スィンの魔の手は彼の家族の命まで脅かそうとし始める。そしてその葛藤を振り払い、チュルブルは遂に立ち上がるのだ。

III.

一人のアクション・ヒーローに、ここまで陰影に富んだ性格付けを成した作品があっただろうか。この一言で言い表せない複雑さを持ったキャラクターだからこそ、主人公チュルブル・パンデーは血肉を備えた一人の人間として観客の前に立ち現れ、そして観客は最初戸惑いながらも、次第に彼のそんな人間性を、いびつながらもどこか憎めない部分を愛してしまうのだ。そして、その彼がいよいよ憤怒に燃え最後の戦いに挑むとき、これまでの物語で培われてきた彼への熱い共感が、巨大なる感情の渦となって物語のスペクタクルをどこまでも高みへと持ち上げてゆくのである。

チュルブルは跳ぶ、重力など存在せぬかのように。チュルブルは駆ける、世界で最も早い獣のように。彼の剛力は全てのものをなぎ倒し、石壁さえも破り、敵を高々と宙へ放り投げる。鬼神の如く、という言葉があるけれども、この時チュルブルはまさしく活殺自在の鬼神なのであり、それはヒンドゥーの破壊創造神シヴァそのものだ。そう、インド映画は、その画面の中で疾風迅雷の活躍を見せるヒーローに、ヒンドゥーの神を重ね合わせているに違いないのだ。この時、一介の警察官でしかなかったチュルブルに、鬼神が宿るのである。

神であり鬼神であるチュルブルは無敵であり、ゆえに「恐れるものは何もない(=Dabangg)」、そして悪を成すものは徹底的に叩き潰す、なぜならその勧善懲悪こそが神意だからである。そのチェルブルが愛し愛されるヒロイン・ラッジョーはその美しさと慈愛ゆえにまた女神なのであり、それはシヴァの妻であり金色の肌を持つパールヴァティーと呼びならわすこともできるだろう。そして映画を賑わす勇壮な歌と艶やかな踊りは、そんな神々への祝福であり祝祭なのだ。君よ鬼神たれ、女神たれ。映画『ダバング 大胆不敵』は、一人の不器用な男が一柱の鬼神となって暴れまわり、その神意を顕す祝祭映画だったのだ。

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20140725(Fri)

[][]オレとインド映画〜あるいは如何にしてオレはハリウッド作品を観るのを止めインド映画に傾倒したのか オレとインド映画〜あるいは如何にしてオレはハリウッド作品を観るのを止めインド映画に傾倒したのかを含むブックマーク オレとインド映画〜あるいは如何にしてオレはハリウッド作品を観るのを止めインド映画に傾倒したのかのブックマークコメント

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いつからだろう、映画を観ていても、あまり面白くなくなってきたのだ。新作の話題を聞いても、わくわくしたりもしない。劇場には行くし、レンタルで借りても観るけれども、どうしても観たい、というものではなくて、「一応話題作だったからチェックしておこう」程度の、確認作業じみたものになってきたのだ。そして観始めても、最初の10分ぐらいで退屈している。つまらないなあ、と思い始めている。

思うに、一部のハリウッド映画の、なにもかも説明されている、こちらの想像力の余地の無い物語運びに飽きている、というのがあるかもしれない。それと同時に、欧米白人ならではの、個人主義に裏打ちされた人間関係のキツさ、キリスト教史観にがんじがらめになった世界観にうんざりしてきている、というのもあるかもしれない。そしてさらに、アメリカ固有の、ドメスティックな問題を扱ったテーマが、なんだかもうどうでもよくなってきた、というのもあるかもしれない。総じて、物凄く不遜なことを言うなら、「こいつら、どん詰まってんなあ」と思えてしょうがなくなってきていたのだ。

そんな時、侍功夫さんのブログで、インド映画の記事を見かけたのだ。「最近見たインド映画まとめ〜2014早春〜」というタイトルのその記事では、侍さんが最近視聴されたインド映画が書かれていた。ああ、インド映画か、インド映画は楽しいし、好きだ。侍さんの記事で取り上げている映画も、なんだか面白そうだ。タイトルはどれも輸入盤だが、ちょっと買って、観てみてもいいじゃないか。そう思って、数本の映画を購入し、「ちょっとだけ」のつもりで観てみたのだ。

すると、これが、とんでもなく面白いものだったのだ。

この時観たインド映画のどれもが、これまで知っていたインド映画のイメージを覆し、あるいは深化させたものだった。エスニック映画と呼ぶなんてとんでもない程現代的であると同時に、これまで日本公開されて観たインド映画が日本マーケット向けの当たり障りないものでしかなかったと思えるほど、濃厚な歴史性と祝祭空間と艶やかな色彩美に溢れていた。

今のインド映画はとんでもないレベルにまで達している。そこにはハリウッドの模倣でもなんでもない独自の世界がある。インド映画ならではの、インド映画でしか味わえない、甘美でエキゾチックな匂いと空気感に満ち満ちている。

こんなインド映画をもっと観たい。オレはもっとインド映画を体験したい。

しかし、何から観たらいいのか、どこから手を付ければいいのか、全然分からないのだ。年間1000本もの映画が撮られ、さらに歴史もあるインド映画の、観るべき作品はどれなのか。そこで参考にしたのが年間興行収入トップ10の映画だ。もちろん興行成績が良い映画=面白い映画ということにならないのは、ハリウッド映画で学習済みだが、最初から何も知らない段階から観るのだから、四の五の文句を言わず、とりあえず黙って全部観てみることにしたのだ。そしてそれは2013年の、一番最新のインド映画、ということにした。どうせ観るなら最新型のインド映画がいい。歴史に残る古い名作みたいなのはあとでいい(それに、ハリウッド映画だって、「名作」と呼ばれながらも古い映画は今観ると案外詰まらなかったりするのだ)。

参考にしたサイトはBOLLYMOVIEREVIEWZのボックス・オフィス。しかし最初、2013年度のトップ10を全部観てインド映画を観るのは一旦打ち止めにするつもりだったのに、どんどん面白く感じるようになってきて、結局はトップ10以外の話題作や名作と呼ばれている作品も探して観はじめ、さらに2012年、2011年と遡ってトップ10作品を漁ることになってしまったが。

まずこちらが2013年のボックスオフィス・トップ10。(タイトルにリンクのあるものは視聴済み:リンク先に感想あり)

Top 10 Bollywood Movies in 2013 by Box Office Collection

1.Dhoom 3 (Hindi) / 261.32 Crore

2.Chennai Express / 208.44 Crore

3.Yeh Jawani Hain Deewani / 185.83 Crore

4.Krrish 3 ( Hindi) / 181.11 Crore

5.Ram Leela / 112.67 Crore

6.Bhaag Milkha Bhaag / 108.87 Crore

7.Race 2 / 96.34 Crore

8.Grand Masti / 92.13 Crore

9.Aashiqui 2 / 78.42 Crore

10.Special Chhabis / 66.8 Crore

こちらは2012年のボックスオフィス・トップ10。(タイトルにリンクのあるものは視聴済み:リンク先に感想あり)

Top 10 Bollywood Movies in 2012 by Box Office Collection

1.Ek Tha Tiger (邦題:タイガー 伝説のスパイ) / 186Crore

2.Dabangg 2 / 155Crore

3.Rowdy Rathore / 133Crore

4.Agneepath / 120Crore

5.Housefull 2 / 114Crore

6.Barfi (邦題:バルフィ!人生に唄えば) / 106Crore

7.Jab Tak Hain Jaan (邦題:命ある限り) / 101.25Crore

8.Bol Bachchan / 100Crore

9.Talaash / 93Crore

10.Son of Sardaar / 88.5Crore

そして2011年のボックスオフィス・トップ10。(タイトルにリンクのあるものは視聴済み:リンク先に感想あり)

Top 10 Bollywood Movies in 2011 by Box Office Collection

1.Bodyguard / 140.95 Crore

2.Ready / 121.26 Crore

3.Ra One (邦題:ラ・ワン)/ 114.78 Crore

4.Don 2 (邦題:闇の帝王DON ベルリン強奪作戦) / 106.22 Crore

5.Singham / 97.87 Crore

6.Zindagi Mile Na Dobara / 89.85 Crore

7.The Dirty Picture / 79.76 Crore

8.Rockstar / 67.63 Crore

9.Mere Brother Ki Dulhan / 59 Crore

10.Delhi Belly / 57 Crore

さらにボックスオフィス・オールタイム・ベスト10。(タイトルにリンクのあるものは視聴済み:リンク先に感想あり)

Top 10 Bollywood Movies of AllTime by Gross Box Office Collection

1.Dhoom 3 (Hindi) / 502.67 Crore*

2.Chennai Express / 395 Crore

3.3 Idiots (邦題:きっと、うまくいく) / 392 Crore

4.Ek Tha Tiger (邦題:タイガー 伝説のスパイ) / 310 Crore

5.Yeh Jawani Hain Deewani / 302 Crore

6.Krrish 3 ( Hindi) / 300 Crore

7.Dabangg 2 / 251 Crore

8.Bodyguard / 230 Crore

9.Dabangg (邦題:ダバング 大胆不敵) / 215 Crore

10.Jab Tak Hain Jaan (邦題:命ある限り) / 211 Crore

こうしてあれこれ調べながら、3ヶ月で40作あまりのインド映画を観た。この間は、時間の許す限り、朝から晩までインド映画を観ていた。会社にDVDを持ち込んで、昼休みにパソコンで観るまでした。夜に観ていて途中寝落ちした映画は、早起きして会社に出かけるぎりぎりの時間まで観ていたりした。相方さんにも、そのうちの何本かを「これ絶対面白いから!」と無理矢理見せたりもした。やはりどうしたって敷居の高くなる英語字幕の映画を、それも3時間余りに渡ってつきあってくれた相方さんありがとう…。そうじゃない時間はインド映画の情報をチェックしていた。インド映画DVDショップの「お勧め」DVDは端から全部内容を調べた。休みの日になるとブログ用の感想文をまとめ書きしていた。そして、これまで足げく通っていた、ハリウッド映画のロードショー劇場にはほとんど行かなくなっていた。買ったばかりのプレステ4のゲームも全然触っていない。

だって、どうしたって、インド映画のほうが楽しいのだ。

「浴びるように観る」とはまさにこういうことなのだろうと思う。ただ、どうにもインド映画一辺倒の生活になってしまったので、この辺で一区切りつけて、これからはもう少しゆっくりインド映画を楽しみたいと思う。

実の所、インド映画がハリウッドその他の映画よりも格段に優れている、というふうに思っているわけではない。インド映画もまたハリウッド映画のような続編・リメイクが多く作られているようだし、何本か観ていると同じようなモチーフの作品が多々あったりもする。産業として成熟し多量の作品が量産されることによる弊害は、ハリウッドもボリウッドもたいして変わらない。そしてインド映画もやはり分かり難いドメスティックな内容を描きもする。これはインド映画にそれなりの愛が無ければ「よく分かんない話」で終わってしまう。

インド映画を観てハリウッドよりも優れていると思った点は、まず最初に音楽のレベルの高さと、画質の高さだ。音楽はエスニック調なものにとどまらず幅広いジャンルをカヴァーしており、しかも完成度が高い。DVD画質はBlu-rayがいらないと思うほどの鮮明で美しいのだ。ただし若干残像の多い作品もあることはある。これはデジタル撮影技術の浸透しているからという話なのだが、大量に製作されているからと言ってインド映画が決して粗製濫造ではないといういい見本だろう。

そしてオレがインド映画に最も惹かれた理由というなら、それは画面に現れる習俗の明らかな違いが新鮮で堪らない、これに尽きる。それが単にローカルでエスニックな物珍しさだけではなく、強烈な力強さと、それが度を越した混沌とがある。そしてそれは一見しただけでは理解できない複雑さに満ちている。

その容易に分かり難い"何か"に、分かり難いからこそ惹かれてしまう。

これはどういうことなのだろう?この背景には何があるのだろう?そう考えることで興味が尽きなくなってしまう。そして映画産業が成熟している分、映画作品としてきちんと充実している、ということも挙げられる。同じようにエスニックな国の映画にそれほど惹かれなかったのに、インド映画に突出して興味を惹かれたのは、これまで観てきたハリウッドその他の映画に、ひけもとらず同等であるばかりか、さらにインド映画ならではの素晴らしさが加味されているからと言わざるを得ない。

さらにもう一言いうならば、オレは今インド映画をとても面白く観ているけれども、そもそもオレは、やっぱり映画が好きなのだ。インドもなにも関係なく、面白い映画が観たいし、面白い映画が好きなだけなのだ。というか、SFとホラー、そして多分サスペンスに関しては、やっぱりハリウッド作品がよく出来ていると思うし、面白い。そしてインド映画は、そんな映画好きの心を呼び戻してくれたのだ。だから、インド映画はとっても凄いからみんな観ろ、なんて誰にも言わないけど、面白い映画はインドにもある、いろんな理由で紹介が遅れているだけで、紹介するに能わないジャンルであるなんてことは決して無い(世界でもこんなにインド映画が観られていないのは日本ぐらいなんだそうだ)。だから食わず嫌いしないで、一回観てみたらきっと楽しいよ、ぐらいのことは、ちょっと言いたいかな、なーんて思う。そして最後に、沢山のインド映画を観るきっかけを作ってくれた侍功夫さんに、最大限の感謝と敬意を表したい。

…というわけで。
さあ、明日はいよいよ『ダバング 大胆不敵』の日本公開だ!観に行くぞ〜ッ!!

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PriyankPriyank 2014/10/09 19:45 Dhoom 3 was amazing movie full of action and thrill.

globalheadglobalhead 2014/10/09 20:06 Well! It was the best movie!

rahul@0907rahul@0907 2015/01/28 04:47 Yeah Finally found some good topic !! Arigathogozaimas :D

globalheadglobalhead 2015/02/01 09:17 namaste!! :D

20140724(Thu)

[][]結婚したくない男女が出会ったら?〜映画『Ready』 結婚したくない男女が出会ったら?〜映画『Ready』を含むブックマーク 結婚したくない男女が出会ったら?〜映画『Ready』のブックマークコメント

■Ready (監督:アニーズ・バズミー 2011年インド映画)

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いよいよ7月26日に公開が迫った『ダバング 大胆不敵』でも主役を務めたサルマン・カーンが、『ダバング』公開の翌年、その旋風の余勢をかって出演したラブコメディです。

主人公の名はプレム(サルマン・カーン)。彼は親戚に、顏も知らないプージャという名の女性との結婚を勧められますが乗り気ではありません。嫌々ながらプージャを空港まで迎えに行き、家族の待つ家に連れ帰りますが、実は彼女はプージャに成り済ましたサンジャナ(アシン)という女性だったのです。一方、ライバル同志であるサンジャナの母方の叔父、アマンとスーラジは、サンジャナを探していました。彼らはサンジャナの家が持つ富を狙い、それぞれの義理の兄弟と結婚させようとしていましたが、サンジャナはガラの悪い彼らを嫌い、逃げ出してきたというわけなんです。プレムはサンジャナの正体に気づきますが、その頃既に彼女の事を愛していました。しかしそんな二人の前にスーラジの一味が現れ、彼女を拉致します。いざ戦いか!?と思ったらさにあらず、プレムはサンジャナにこの騒動をきっと丸く収める、と約束するんです。

この物語、なにしろサルマン・カーンが主演なものですから、結婚を嫌がる女性を無理矢理拉致する悪漢どもを相手に『ダバング』もかくや、といった大立ち回りを演じるのか!?と思ったらそうじゃないんです。アクションシーンも殴り合いもあるけれども、決して力で事態を収める、といったお話じゃないんですね。じゃあどうするのかというと、サルマン・カーン演じる主人公が、巧言令色を巧みに操り、腰の軽さと頭の回転の速さで次々にトラブルを乗り越えてゆく、といったお話になっているんですよ。ある意味あのムキムキのサルマン・カーンが、口先三寸でペラペラまくしたてながら事を収めちゃう、その落差を楽しませる作品ということも出来るかもしれません。物語後半ではサンジャナをさらったアマンとスーラジ両家を嘘八百並べて翻弄し、思うがままに手玉を取っちゃう、という展開を見せたりするんです。

ただし、こういった具合に言葉に言葉を重ねたり、相手の言い回しを変えて答えたり、もってまわった言い方で相手を煙に巻いたりと、言葉の応酬でギャグに持っていくというパターンが非常に多いため、英語力の足りないオレの如き者には相当量の言葉のやり取りについていけてない部分がありました…。いつもなら多少言葉が分からなくとも、その個々の状況やその時のリアクションで理解ができたりもするんですが、この作品は言葉頼みで物語が進んでゆくため、英語字幕をきちんと理解できる人向けかもしれません。また、この作品のレビューを幾つか読みましたが、中盤ダレるという評価があるのも、書割を前に出演者たちがずっと喋くりまくり、カメラがそれを交互に映し出すだけなので変化に乏しいということもあるんじゃないかと思いますね。

とはいえ、サルマン・カーンは脂が乗りきってるし、ヒロインのアシンは小ざっぱりした清潔さが魅力的だし、決して暴力だけで物事を解決しようとせず、きちんと道理を通して事を収めようとするシナリオにはインテリジェンスを感じました。また、この作品はムンバイのみならずスリランカやバンコクをロケーションとして使用しており、よくあるボリウッドムービーと違う雰囲気を醸し出そうとしている部分が新鮮でした。もちろんボリウッドムービーらしい極彩色の歌と踊りも盛り込まれていて、この辺は安心の出来具合です。

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20140723(Wed)

[][]俺はボディーガード!携帯電話の大好きなボディーガード!〜映画『Bodyguard』 俺はボディーガード!携帯電話の大好きなボディーガード!〜映画『Bodyguard』を含むブックマーク 俺はボディーガード!携帯電話の大好きなボディーガード!〜映画『Bodyguard』のブックマークコメント

■Bodyguard (監督:シッディーク 2011年インド映画)

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俺の名はラヴリー・シン!変な名前だけど最強のボディーガード!何があっても顧客は守る!刃向う奴らは地獄行き!でも…女子にはちょっと弱いんだ…(テヘペロ)。という2011年公開のインド映画『Bodyguard』でございます。

『Bodyguard』とは申しましても「♪あんだぁ〜いあぁ〜い」とホイットニー・ヒューストンが甲高い声で歌い上げる『ボディーガード』とはちょっと違います。リメイク等ではございません。主演はいよいよ7月26日に公開が迫った『ダバング 大胆不敵』でも主役を務めたサルマン・カーン、そしてこの作品は『ダバング 大胆不敵』が公開され人気冷めやらぬ翌年に出演したラブコメ(?)アクションなんですね。しかも公開されたその年、インドで最高の興行成績を上げた作品なんだそうです。ちなみに共演は『きっと、うまくいく』のカリーナー・カプール

お話は主人公ラヴリー・シン(サルマン・カーン)が人身売買組織をぶっ潰すところから始まります。ここでラブリーさんの鬼のような強さと、口笛に合わせて胸筋をヒクヒク動かすというお茶目極まりないダンスが披露されるというわけです。そして「人身売買とは物騒な世の中になったもんじゃのう」と思ったとある大実業家が、ラブリーさんに娘の身辺警護を依頼します。娘の名はディヴィヤー(カリーナー・カプール)、大学生の彼女は、トイレにも授業にもしつこく付いてくるラブリーさんが鬱陶しくてたまりません。

そこで思いついたのが携帯電話を使い他人の名前を騙ったラブラブ詐欺。誰とも知れぬ女性から「あなたのことが好き!」という電話を掛け、ラブリーさんをからかおうとしたんです。果たして当のラブリーさん、なんとかなりのウブらしく、電話をまともにとらえてドキドキワクワクしてしまいます。そんなある日、ディヴィヤーさんは暴漢に襲われてしまい、それをあっという間にノシてしまったラブリーさんに本気で惚れてしまいます。しかし今まで騙していたばかりに、自分の本心が伝えられず、嘘の女性になりすましたままラブリーさんにラブコールを送り続けてしまうのです。

えー、なんといいますか、結構しょーもない脚本です。初っ端のアクションで「うおおっ!」と盛り上げ、その後のラブコメ展開、ここまではいいんです。サルマン・カーンとカリーナー・カプールが同じく共演した映画『タイガー 伝説のスパイ』でも、派手なスパイアクションモノと見せかけてラブコメ展開から始めてしまう、という落差が楽しい作品でした。しかしそんな展開が中盤からいきなりシリアスな方向へとシフトチェンジする、というメリハリの利かせ方が物語を盛り上げていたんですね。しかしこの『Bodyguard』では、携帯を使った「ラブラブ詐欺」がただただずーっと続き、その合間にアクションが入っている、という芸の無い脚本なんですよ。

確かに当初のラブコメ展開は、本気で好きになっちゃったばかりに悲恋展開とも呼べるものに変化しているとはいえ、「今まで嘘ついてたの!許して!」って言やあそれで済む話なんじゃないの?と思えてしょうがないんですよ。挙句の果てに嘘の内容はどんどんエスカレートしラブリーさんを傷つけるんです。いったいディヴィヤーさんが何をしたいのかよくわかんないんです。多分素直になれない女なんですねえ。面倒臭いですねえ。そしてこれらが延々携帯電話だけのやり取りで、観ていてじれったいこと甚だしい。おまけにラストはインド映画らしく仰天展開を入れてるんですが、これがあまりに唐突過ぎて「はあ?」ってなっちゃうんですよねえ。アクションシーンがよかっただけに少々残念な仕上がりとなった作品でした。

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20140722(Tue)

[]暴虐と復讐の一大ドラマ、『スパルタカス』サーガ遂に終章。〜『スパルタカスIII ザ・ファイナル』 暴虐と復讐の一大ドラマ、『スパルタカス』サーガ遂に終章。〜『スパルタカスIII ザ・ファイナル』を含むブックマーク 暴虐と復讐の一大ドラマ、『スパルタカス』サーガ遂に終章。〜『スパルタカスIII ザ・ファイナル』のブックマークコメント

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暴虐と復讐、愛欲と陰謀に満ち満ちた一大スペクタクル史劇ドラマ『スパルタカス』がこのシーズンIIIで遂に完結した。

紀元前73年、剣闘奴隷スパルタカスは、30万の逃亡奴隷と共に共和政ローマに反旗を翻した。世に言う「第三次奴隷戦争」である。ローマの陰謀により、村を焼かれ、奴隷にされ、妻を殺され、死と隣り合わせの剣闘士として明日をも知れぬ日々を生きるスパルタカスの、憤怒と憎悪が遂に爆発する時が来たのだ。ローマ軍を次々に打ち破り、牙城ローマへとにじり寄るスパルタカス軍。しかしローマは蛇の如く狡猾、獅子の如く勇猛な武将クラックスを討伐に送り込み、さらにのちにローマ終身独裁官となる若き日のガイウス・ユリウス・カエサルも参戦、スパルタカス軍は徐々に追いつめられてゆく。

物語はスパルタカス軍による城塞都市レギウムの占拠、海賊との結託、レギウムからの敗退、ローマ軍による雪のブルッティウム半島での封じ込め作戦など数々の史実を再現、そして「シラルス川の戦い」と呼ばれる最後の戦いへと、怒涛の如くなだれ込んでゆくのだ。スパルタカスに待つのは栄光か死か、それは史実が既に記すところではあるけれども、そこではいったいどのような熾烈な戦いが繰り広げられていたのか。どのような悲劇が待ち、どのような希望が語り継がれることとなったのか。いよいよ最終決戦の火蓋は落とされる!

堪能しました!血飛沫が舞い肉体が切り刻まれる強烈な残酷描写と、性器も陰毛も露わになった性交描写で、成人指定として放送されたアメリカのケーブルTVドラマシリーズ、『スパルタカス』がこの『スパルタカスIII ザ・ファイナル』で遂に終章を迎えました。これまでスパルタカスが剣闘奴隷となり謀反を起こすまでを描く『スパルタカスI』、その前日譚『スパルタカス序章 ゴッド・オブ・アリーナ』、いよいよローマ制圧へと動き出す『スパルタカスII』と続いてきましたが、この『III』は最後の決戦までを描くところとなります。回を追うごとにスケールが増し、同時に殺戮と血糊と屍の量を増していった『スパルタカス』シリーズですが、今作はもう戦いに次ぐ戦い、殺戮に次ぐ殺戮と、ひたすら戦闘シーンが続くことになります。

それと併せ、『スパルタカス』ならではのゲス極まりない暗黒鬱展開も忘れられてはいません。特にローマ軍を率いるクラッススの執り行う冷徹な軍規と策略、その息子ティベリウスの嗜虐に満ちた反逆など、ゲス過ぎて観ていて頭がトロケそうになるぐらいです。これは、「人間が人間に対してどれだけ残酷なことができるのか?」というひとつの陰鬱な逸話であると同時に、実際にローマ軍が行った戦略と作戦、殺戮行為のひとつでもあるのです。もちろん物語がなにもかも史実通りということはありませんが、調べる程に史実を巧みに取り込んだ物語であることが分かり唸らされます。そしてジュリアス・シーザーことカエサルがこの物語に登場し、スパルタカス軍に罠を仕掛ける様も物語を盛り上げることになっています。ただ、いつものセックスシーン大盤振る舞いは、無理矢理挿入(いや、そっちじゃなくて物語にって意味で!)されてるような気もしましたが。

それにしても、史実で既にスパルタカスの運命を知ってはいても、この物語でまさに戦いの神の如く無敵の強力さを見せるスパルタカスが、このまま破れることなく突き進んでしまうのではないか、という奇妙な幻想が、最後の最後まで何故か頭から離れることがありませんでした。映画『イングロリアス・バスターズ』が行ったような歴史の改編が、この物語にも持ち込まれるのではないか、という有り得ない希望が観ていて常に頭の隅にありました。それはまさに、長きに渡ってスパルタカスという男の悲痛で残酷な運命とその憤怒の核を観続けてきた自分の、剣闘奴隷スパルタカスへの深い敬愛だったのだと思えてなりません。本当に素晴らしい長編ドラマでした。

※前シリーズまでのレビューはこちらで:「復讐!陰謀!愛欲!殺戮!成人指定TVドラマ『スパルタカス』がヤヴァいッ!ヤヴァ過ぎるッ!!」メモリの藻屑、記憶領域のゴミ

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20140721(Mon)

[]で、なんでこんなに暗くて重苦しいの?〜映画『複製された男』 で、なんでこんなに暗くて重苦しいの?〜映画『複製された男』を含むブックマーク で、なんでこんなに暗くて重苦しいの?〜映画『複製された男』のブックマークコメント

■複製された男 (監督:ドゥニ・ヴィルヌーヴ 2013年カナダ・スペイン映画)

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自分とそっくりの男を見つけちゃってサア大変!というサスペンス・ミステリー映画です。監督は『プリズナーズ』(観てません)のドゥニ・ヴィルヌーヴ、原作はノーベル文学賞受賞作家ジョゼ・サラマーゴの同名文学作品(読んでません)。

物語は大学の歴史講師アダム(ジェイク・ギレンホール)がDVD観てたら自分そっくりの俳優を発見、その俳優アンソニー(ジェイク・ギレンホール)の居場所を突き止め会ってみると、顔も声も同じどころか傷跡さえも同じところにあることを知ってしまいます。やがて二人はお互いの恋人、身重の妻を巻き込んでとんでもない運命に巻き込まれちゃう、というもの。まあ要するにドッペルゲンガーのお話なんですが、今更ドッペルゲンガーごときをテーマに作品1本?と思っちゃうけど、この物語、結構謎だらけな上に時折思わせぶりな恐怖ショットが入り、そして唐突かつ投げっぱなしなラストを迎えるもんですから、「こりゃいったいどういう意味なの!?」と観た方が結構頭を悩ませちゃう映画として仕上がってるんですね。

自分も「なんじゃこのラスト?」と思い、一緒に見に行った相方さんとあれこれ頭をひねって「要するにこういうことだったんじゃない?」という結論に一応達したんですが、その辺は殆ど相方さんが思いついたことなんで、ここではその解釈とか結論めいたものは書きません。ただ、登場人物が少ない上に、観ている者に与えられている情報も限られているので、その辺絞って考えれば意外と分かり易いかも。その辺箇条書きするなら、

・アダムとアンソニーはそっくりだが、性格と立場に違いがある。アダムは内向的で、地味な仕事、同じ毎日に倦怠感を覚えている。一方アンソニーは外交的で三流とはいえ映画俳優という派手な仕事、自分の毎日に対して特に文句を言ってない。

・アダムの恋人はアダムとの生活にやはり倦怠感を抱いている。一方アンソニーの嫁は妊娠しており、アンソニーの浮気性に苛立っている。さらに、「アダムとアンソニーがそっくり」と知っているのはこの嫁のほうだけ。

・「セックス」がまずキーワードになっている。最初にセクシャルな秘密クラブが登場する。アンソニーの浮気性もつまりはセックス好きということ。そしてアダムに「お前の恋人とやらせろ」と詰め寄ったりもする。

・蜘蛛がもうひとつのキーワードになっている。秘密クラブにはなぜか大きな蜘蛛が登場する。その後アダムは何度か蜘蛛の登場する悪夢を見る。

・登場人物が少ないこの物語にアダムの母が登場する。

という具合に、「見た目はそっくりだが性格がコインの裏表みたいな二人の男」「その二人の付き合う女の存在」「セックス好き」「蜘蛛」「母と子」あたりで考えてみるといいかもしれない。特に「蜘蛛」がなんのメタファーなのか?を思いつくのが重要かも。

とまあ、謎解きがキモみたいな部分があり、相方さんとああでもないこうでもないと喋るのは面白かった。でもさあ、それよりも思ったのは、この映画、なーんでこんなに重々しく勿体ぶった作りしてんの?って部分が気になった。「自分とそっくりの男」と会っちゃうことがどうしてここまでおどろおどろしいの?この辺、「お、スゲエ、自分とおんなじ顔じゃん!」とか言いながらコメディにしちゃってもいい話だよね。で、「洋服取り替えて別の生活してみようぜ!」というのはアリだとしても、まず思いつくことが「お前の女とやらせろ」って、え、そこなの?身も蓋もないっちゅうか、なにいい年こいてギンギンなっちゃってんの?と思う訳ですよ。要するに「性格くれーな、こいつら」としみじみと思っちゃうんですよね!

こういうどこか形而上的かなんかしらんがとりあえずややこしい話って、デヴィッド・クローネンバーグデヴィッド・リンチが得意とするところで、映画の雰囲気も似てるところが無いわけでもないんですが、クローネンバーグやリンチとこの作品が決定的に違うのは、この二人が「いや、オレら変態っすから、グヘヘ」と涎垂らして馬鹿な映像紛れ込ますところを、この『複製された男』はなーんかマジぶっこいちゃってるんですよね。気負いが大きいんですよ。そんなもんですから、観てて「だからナニ?」って思えちゃうんですよね。その辺がさあ、まだ青いんだよなあ。そんな訳で監督ドゥニ・ヴィルヌーヴは次回作では全身ラバーに身を包みハイヒール履いてムチ振り回しながら監督してみるといい具合に力の抜けた変態映画撮れるんじゃないかと思いますね。

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複製された男 (ポルトガル文学叢書)

複製された男 (ポルトガル文学叢書)

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20140720(Sun)

[]新江ノ島水族館に行ってきた 新江ノ島水族館に行ってきたを含むブックマーク 新江ノ島水族館に行ってきたのブックマークコメント

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お休みは相方さんと一緒に「新江ノ島水族館」に行ってきました。そもそも江の島自体この日初めて行ったんですよ。

ここ、なにしろ水槽が巨大でびっくりしました。一塊になったイワシの群れ(多分)がうにょうにょと形を変えて泳いでいる姿にはつい見入ってしまいました。あとエイが大きくてね。それとかやる気なさそうに水底に転がってるウツボとかね。この中にダイバーの方が潜って魚の紹介をしたりするんですよ。

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ダイオウグソクムシもいましたよ。やっぱり宇宙生物っぽかったです。全然動かなかったけど。

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実はこの日水族館で一番楽しみにしてたのは「クラゲ」。いや実はクラゲ眺めるの好きなんですよ。あれ不思議な生き物ですよねえ。ナニ考えて生きてるんですかねえ。ていうか何も考えてないでしょうけどね。「クラゲファンタジーホール」と名付けられたホールには球形の水槽もあってこれは綺麗だったなあ。

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「ウミガメの浜辺」というゾーンには子ウミガメがいてとても可愛らしかった。

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イルカショーも観てきました。イルカって思ったよりずっと大きい!あとお姉さんたちが出てきて歌ったりシンクロナイズドスイミング見せたりしてました。

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地階には有人潜水調査艇「しんかい2000」の展示もありました。これも思ってたよりずっと大きかったのでびっくりした。マニピュレーターがロボットっぽくてカッコよかった。

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お土産物売り場ではダイオウグソクムシのぬいぐるみが山と積まれていた…。金のダイオウグソクムシと銀のダイオウグソクムシもありましたよ!

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そしてガシャポンやったらやっぱり出てきたのはダイオウグソクムシだったという、そんな新江ノ島水族館でした。

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新江ノ島水族館HP

20140718(Fri)

[][]実在するアスリートの激動に満ちた半生とその栄光を描く感動の伝記ドラマ〜映画『Bhaag Milkha Bhaag』 実在するアスリートの激動に満ちた半生とその栄光を描く感動の伝記ドラマ〜映画『Bhaag Milkha Bhaag』を含むブックマーク 実在するアスリートの激動に満ちた半生とその栄光を描く感動の伝記ドラマ〜映画『Bhaag Milkha Bhaag』のブックマークコメント

■Bhaag Milkha Bhaag (監督:ラケーシュ・オームプラカーシュ・メーラ 2013年インド映画)

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■インドスポーツ史に残る金メダリスト、ミルカー・シンの半生

まさしく「完璧な映画」とはこの作品のことではないか。映画を観ている間中、主人公の夢と希望の在り様に胸が高まり続け、その挫折と悲しみに心打ちひしがされ、観終った後にどこまでも上り詰める様な高揚と力強い感銘が後を引く。そんな素晴らしい映画体験をさせてくれたのが、この『Bhaag Milkha Bhaag』だ。

1960年ローマ・オリンピック、男子陸上400メートル決勝。この競技で金メダル最有力候補だったインド代表選手・ミルカー・シン(ファルハーン・アクタル)は、先頭を切っていたにもかかわらず、コーチの「ミルカー、走れ!」という檄に思わず振り向いてしまい失速、競技を逃してしまう。ミルカーはなぜ振り向いてしまったのか。そこには、幼い頃までに遡る、忌まわしい虐殺事件のトラウマが存在していたのだ。ミルカーを苛む虐殺事件とは何だったのか、彼はそれを乗り越えてアスリートに復帰できるのか。インド・スポーツ史に燦然と名を輝かす実在の金メダリスト、ミルカー・シンの激動の半生とその栄光を描く伝記ドラマ、それがこの作品なのだ。

物語は3つの時間軸を平行させながら描かれてゆく。ローマ・オリンピックで惨敗したミルカー・シンが再び試合に挑むまでの葛藤を描く【現在】。その彼が入隊したての軍隊でメキメキと陸上競技の才能を表し、挫折を経ながらも華々しい業績を打ち立ててゆく【近過去】。そして、インド・パキスタン分離独立により、悲惨な体験と難民キャンプ生活を余儀なくされた【少年時代】。これらを平行して描きながら、ミルカー・シンが陸上競技において打ち立てた素晴らしい功績とその情熱、彼のトラウマの「核」となっている恐ろしい事件の真相が、徐々に明らかになってゆくのだ。

■少年時代 / 難民キャンプでの日々

ミルカー・シンがまだ幼い頃、イギリス領インド帝国が解体し、インド連邦/パキスタンの二国に分離独立した。この時、パキスタン領側に住むシク教徒だったミルカーの一家は、イスラム教徒によるヒンドゥー教徒/シク教徒を狙った虐殺の犠牲者となってしまう。その虐殺を逃げ延びたミルカーと姉は難民キャンプに身を寄せ、いつしか青年となったミルカーは、移民の街で出会ったビーロー(ソーナム・カプール)と恋に落ちる。

ミルカーの頭はお団子ヘアになっていて、これが時にはドアノブカバーみたいに巾着で包まれたりしている。これはなんなんだろう?と思っていたが、どうやらシク教徒独特のターバンの、その簡易版のようなのだ。そのシク教徒の集落を襲った虐殺事件は、インド・パキスタン分離独立時の混乱に、イスラム・ヒンドゥー双方の衝突による虐殺事件の一端だった。この虐殺は100万人にのぼる犠牲者を出したという。

ミルカーが難民キャンプとして過ごす遺跡となった城壁跡のロケーションがまず目を奪う。そしてその地で、憤怒と遣り切れなさの中にありながら、苦難をものともせず逞しく生きる少年時代のミルカーが眩しい。少年時代のミルカーを演じる子役の力量は目を奪うものだった。また、薄幸な姉とミルカーとの強い絆と情愛の描写に、家族を重んじるインドの暖かい心が伝わってくる。そして青年となったミルカーとビーローとの淡い恋は、苦難の中で生きるミルカーのその生活に、夢幻のような喜びと安らぎを与える。ここでビーローを演じるソーナム・カプールの美しさは、この物語の中でもひとつのハイライトとなるだろう。というかソーナム・カプール、美人過ぎてやばい。

■軍隊時代 / 鍛錬と成長の日々

陸軍に入隊したミルカーはその健脚を認められ、鬼教官ヴィーラッパンディヤン(プラカーシュ・ラージ)にしごかれながらめきめきと頭角を現す。やがて国内チャンピオンとなり、さらに1956年のメルボルン・オリンピック参加を果たすことになる。しかし現地で知り合った女性と度を越してラブラブになってしまい、そのせいで予選落ちという惨めな結果となってしまう。ミルカーは一念発起し、血反吐を吐くほどの過酷な訓練に挑む。生まれ変わったミルカーは1958年、日本で開催された第3回アジア競技大会で見事優勝、ここから金メダリストとしての快進撃が始まる!

この軍隊時代はまさにスポ根モノの王道をゆく展開だ。ミルカーという名はミルク好きということに関係があるのか、「上位成績者はミルクがたらふく飲める」と聞いて鬼神の如く走りをかますミルカーの姿が愉快だ。ここではアスリート同士のイジメや嫉妬、トップアスリートからの見下し、インドと犬猿の仲であるパキスタンのスター選手との確執などを交えながら、それをはねのけて成長してゆくミルカーのド根性振りが描かれるのだ。メルボルン・オリンピックでは最悪の結果になったとはいえ、ここでの現地女性との恋はミルカーの人間的な一面を垣間見せる。そして地獄の特訓を開始するそのロケーションは、砂漠と山岳に囲まれたインドの秘境ラダックを舞台にしており、この荒涼とした光景を眺められるだけでも素晴らしいものとなっている。そして日本大会の描写では当然ながら日本が舞台!こういった部分がなんとなく嬉しかったりする。多くの艱難辛苦を経て金メダリストの階段を駆け上がってゆくミルカーの高揚は、そのまま観る者の高揚となって胸を熱くさせることだろう。

■現在 / 様々な苦難の日々を乗り越えて

ローマ・オリンピックで不可解な敗退ぶりをみせたミルカーに、故国インドでは大きな非難が巻き起こる。傷心の中隠遁状態となったミルカー。そんな彼の元にコーチらが訪れ、インド・パキスタン親善試合に出場してくれないか、と打診する。だがミルカーには幼い頃パキスタンの地で過ごした虐殺のトラウマが大きな障壁となっていた。

この【現在】でのシークエンスでは、ミルカーの精神的障壁の「核」と、その葛藤を乗り越えてゆくことができるのか、どうそれを乗り越えるのか描かれてゆく。ローマ・オリンピックで「ミルカー、走れ!」という声になぜミルカーは振り向いてしまったのか。暗い記憶しか残されていないパキスタンに赴いたミルカーの心を洗い流したものは何だったのか。全てが明らかにされ、物語は怒涛のクライマックスへと上り詰めてゆく。いや、もう、これには泣かされた。こぶし握って声援を送ってしまった。

この作品は、様々な苦難を体験しながら、それを乗り越えて頂点へと立つミルカーという一人の男の姿が描かれるが、その彼の持つパキスタンへの遺恨とその克服は、そのままインドとパキスタンとの遺恨を克服することへの願いに重なっていくのだろう。映画が表現しうるあらゆる要素を詰め込みながら、夢と希望とその大成を描くこの物語は、まさしく映画の中の映画と呼ぶに相応しい堂々たる完成度を持って観る者の胸に迫ってくるだろう。しかもこういったストーリーにもかかわらず、歌と踊りもきちんと盛り込まれ、楽しませることを忘れていない。スポーツにまるで興味のない自分ですら、この作品には十二分に感銘を受けた。これは見事と言っていい作品だろう。

なおこの作品は『走れ、ミルカー・シン』というタイトルで来年日本公開される予定があるという。自分は待ちきれず輸入盤DVDで観たが、英語字幕は非常に平易な英語が使われており、英語音痴の自分ですら苦労しなかった。もしも自分同様待ちきれなくなった方にはDVDでの鑑賞と、その後さらに日本での公開を鑑賞することをお勧めしたい。

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20140717(Thu)

[][]ボリウッド・スターの謎の死を追え〜映画『Talaash』 ボリウッド・スターの謎の死を追え〜映画『Talaash』を含むブックマーク ボリウッド・スターの謎の死を追え〜映画『Talaash』のブックマークコメント

■Talaash (監督:リーマー・カーグティー 2012年インド映画)

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ボリウッド・スターの謎の死を巡り、一人の捜査官が事件の真相に迫ってゆく、というサスペンス・スリラーです。主演はアーミル・カーン、カリーナー・カプール

ムンバイで深夜、海岸通りを走っていた車が突然ハンドルを切り、海へと突っ込んでいった。引き上げられた車から発見された死体は、ボリウッド・スターのアルマーン・カプール。ムンバイ警察のスールジャン(アーミル・カーン)は事件の捜査を開始するが、アルマーンの死体からは酒も薬物も反応が出ず、トップスターの彼に自殺の動機も無かった。しかし当日、アルマーンが多額の金を運んでいて、そしてそれが消えていることが分かった。捜査に行き詰るスールジャンだったが、その彼の行く先々に、謎の娼婦ローズィー(カリーナー・カプール)が現われる。事情聴取目的でローズィーに近付くスールジャンは、しかし次第に彼女に惹かれてゆく。スールジャンにはローシュニー(ラーニー・ムカルジー)という妻がいたが、子供を亡くしたことでお互いが冷え切っていたのだ。一方、とある娼館で一人の男が、多額の金の入ったバッグを隠し場所から取り出し、緊張した面持ちで何者かに電話を掛けていた。

この物語、謎の死を遂げたボリウッドスターが、なんらかの形で娼館に関わっていたのだろうことは早い段階から分かります。スターで娼館で金ですから、それがどういう繋がりなのかは想像が付くでしょう。しかし娼婦とのスキャンダルだけでこれだけ多額のお金が動く理由が分かりません。だから事実は別の部分にあるようなんです。さらにスールジャンに近付く娼婦ローズィーの真意が謎なんです。事件の真相を知るのかどうなのかおくびに出さず、何か思わせぶりのことを言うだけなのですが、それが真実なのかどうなのか疑わしいんです。彼女は真相を伝えたいのか?それとも捜査を攪乱するためにスールジャンを迷わせているのか?こういった部分も謎なんですね。

この物語を奇妙な方向に持っていくのが主人公スールジャンと妻のローシュニーの関係です。二人の間にはかつて男の子がいたのですが、ある事故により湖で行方不明になります。スールジャンはその悲しみを決して表には出さず耐え忍びますが、ローシュニーの心はすっかり壊れてしまっています。二人はこの事件を語りたくないばかりに冷めた関係になっていたのですが、ある日ローシュニーに霊媒師を名乗る女が近づくんです。亡くなった子があなたに語りかけている、という霊媒師の言葉にローシュニーは魅入られてしまい、頻繁に通い始めるようになってしまうんですね。それを知ったアルマーンは激怒、二人は言い争いになり、その溝はさらに深まってしまうんです。

スールジャンと妻のローシュニーのこのエピソードは、物語の殆ど半分ぐらいのウェイトを占めているのですが、事件捜査といったいどう関わっているのか全然描かれないし分からないんです。むしろ最初から関わりは無くて、この物語自体が、実は事件捜査それ自体よりも、警察官夫婦の悲嘆に満ちた人生を描くことが目的なのだろうか、と思えてくるほどです。いやしかし、霊媒師の婆さんはどう見たって怪しげだし、こうして警察官夫婦に近付くのは、なにか魂胆があるからなのではないか…と観ているこっちは疑いたくなってくるんですね。そうこうしているうちに、スールジャンの知らないところでは娼館の男たちが大金を巡って命を落としたり新たな計略を練っていたりするのですよ。

とまあ、悪くはないけどどうも中途半端なドラマだなあ、と思ってラストまで観ていたら、クライマックスでとんでもない真相が明らかになります。ええ、観ていたオレ、マジで鳥肌立ちました。うああそう繋がるのかそうかそうだったのかああ!!なんとなくそういうことなのかと思ってたらホントにそうだったのかあああ!でも普通に怖いって!!ヤヴァイって!マズイって!!

…というわけで、話の流れにちょっと疑問持ちながら観ていたら最後にびっくりさせられる、とまあそういうお話なんですよ。アーミル・カーンは終始苦虫噛みつぶしまくったような怖い顏して存在感を十二分にアピールしてますし、カリーナー・カプールは実はそんなに好きな女優さんじゃないんですが、妖しくはかなげな娼婦を魅力的に演じていたと思いますよ。この二人を観るだけでも楽しめる作品でしたね。

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20140716(Wed)

[][]失踪した夫を探しにインドに発った女を襲う戦慄のサスペンス・スリラー!〜映画『Kahaani』 失踪した夫を探しにインドに発った女を襲う戦慄のサスペンス・スリラー!〜映画『Kahaani』を含むブックマーク 失踪した夫を探しにインドに発った女を襲う戦慄のサスペンス・スリラー!〜映画『Kahaani』のブックマークコメント

■Kahaani (監督:スジョイ・ゴーシュ 2012年インド映画)

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行方不明になった夫を探しにイギリスからインドに渡った女性が、迷宮のように入り組んだ謎に取り込まれてしまう、というインド産のサスペンス・スリラーです。

舞台はインドのコルカタ。冒頭、100人に上る犠牲者を出したコルカタ地下鉄毒ガス事件が描かれるます。それから2年後、ロンドンから一人の妊婦がコルカタ空港に降り立ちます。彼女の名はヴィディヤー、仕事でコルカタに訪れたまま失踪した夫を探しにやってきたのです。地元警察のラナの協力のもと夫の足跡を辿るヴィディヤーでしたが、夫が宿泊したとされるホテルにも、勤めるはずだった会社にも、彼のことを知る者も、本人の記録すら存在しないんです。その代り現われるのが「ミラン・ダムジー」という名前です。この男が何かの手掛かりになるかと調べ始めたヴィディヤーとラナの元に、インド諜報部の男が現れ、「捜索は中止しろ」と言い放ちます。その頃同時に、ヴィディヤーの捜索に関わった者たちが次々と殺されてゆき、彼女にもその魔の手が迫りくるのです。

ガチです。歌も踊りもなく122分というインド映画にしてはタイトな上映時間の中にみっちりと緊張感を詰め込んだガチなサスペンス・スリラーです。インドのサスペンス・スリラーというのも初めて観ましたが、それがこれだけ完成度が高いというのにもうならされます。映画はヴィディヤーと警察官ラナが、少ない情報から一人の男を探し回るという、探偵推理物語として進行してゆきます。しかし探索を経れば経るほど謎は深まり、国家ぐるみの不可思議な陰謀・隠蔽工作がそこに関与していることがほのめかされ、遂には殺し屋までが登場して冷酷な殺戮が進行してゆきます。さらに冒頭で描かれる地下鉄毒ガス事件がヴィディヤーの夫探索とどう関係してゆくのか殆ど描かれず、観る者もまたヴィディヤーと一緒に事件を推理してゆくことになるんです。果たしてヴィディヤーの夫はどこにいるのか、ミラン・ダムジーとは誰か、国家諜報部はなぜ捜索を中止させようとしているのか、そしてヴィディヤーはなぜ命を狙われるのか。コルカタで今、何が起こっているのか。謎が謎を呼び、サスペンスはいやが上にも高まってゆきます。

そしてこの物語のもう一つの主役となるのがインド、コルカタの街です。インド3番目の人口を誇るコルカタは、インドの他の都市に負けず古いものと新しいものの混在する喧騒と雑踏に満ちた街です。ロンドンからやってきた主人公の目には、このコルカタの街が混沌の支配する禍々しい魔都のように思えたでしょう。折りしもドゥルガー・プージャーと呼ばれるコルカタ最大の祭が催されており、その異界感はなお一層高まります。こうして、それまで知る世界とかけ離れた様相を見せるインドの街に放り込まれた主人公の、異邦人としての不安が物語をさらにスリルに満ちたものにしてゆきます。主人公ヴィディヤーを演じるヴィディヤー・バーランは既婚女性という役柄から落ち着いた魅力を垣間見せ、彼女に協力する警官ラナ役のパランブラタ・チャットーパーディヤーイはひ弱で頼りなさそうなルックスながら非常に情に篤い男を好演します。そして最初はヴィディヤーをピリピリさせていたコルカタの人々が、実はとても人懐こく暖かい人々であることも作品では描かれてゆきます。郷に入ればコルカタは決して禍々しい魔都というわけではないんです。

さらにこの映画、クライマックスに全ての予想を裏切る驚愕の展開が待ち構えているんです!クライマックスシーンでのオレの反応→「え?え?え?…うあああああどういうことだこれええええ!!?」…いやあ、まさかこんなことだったとは…全く想像つきませんでした。しかし物語を遡ると全てに伏線が張ってあったのですよ!凄いです、凄まじいです、心底驚かされました。インド映画としてはもちろん、サスペンス・スリラー作品として第一級の作品としてきっとこの作品は語り継がれることでしょう。またしてもインド映画の恐るべきポテンシャルを見せつけられた思いです。そしてなんとこの作品、続編が今年公開予定だとか。確かにまだ幾つか謎は残ったままだし、これは期待大ですね!

なおこの作品、例によって英語字幕で鑑賞したのですが、錯綜した物語のため字幕をきちんと追おうとセリフが表示される毎にいちいち一時停止して読みつつ、分からない単語をスマートフォンで検索していたぐらいだったんですが、なんとこの映画の字幕を翻訳している方がいらっしゃいました。こちらになりますので、もしこれからこの作品を観られる方は御参考までに。

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20140715(Tue)

[][]俺の名はスィンガム!町の正義は俺が守るッ!!(ガオーッ!)〜映画『Singham』 俺の名はスィンガム!町の正義は俺が守るッ!!(ガオーッ!)〜映画『Singham』を含むブックマーク 俺の名はスィンガム!町の正義は俺が守るッ!!(ガオーッ!)〜映画『Singham』のブックマークコメント

■Singham (監督:ローヒト・シェッティ2011年インド映画)

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俺の名はスィンガム!村の警察署長を務めている俺にとって、守るべきものはもちろん正義!そして人々の平和な生活!それを乱す者は絶対に許さない!もしも悪を成すものがいるならば、この俺がビンタと張り手で制裁だッ!ベルトで鞭打ちもあるからなッ!それでも逆らいたい奴はかかってこいッ!いついかなる時でも、どんな戦いでも受けて立つッ!ガオーッ!!

「正義の警察官」スィンガムの活躍を描くインドのアクション映画『Singham』であります。この『Singham』、もう笑っちゃうぐらい臆面の無い正義一本槍・直球ど真ん中の勧善懲悪映画として仕上がっております。今時ここまで真っ直ぐなキャラクターはギャグにしかならない筈なのですが、あえてそんなキャラを主人公に据え堂々と描いちゃってる部分に、一周回った面白さがある作品なんですよ。また、こういったキャラが主人公として万人に受け入れられる部分にインド映画らしい懐の深さを感じます。

物語の舞台はインド西部マハーラーシュトラ州とゴアの州境にある農村シヴガード。ここの警察署長が主人公スィンガムさんなんです。正義を愛し情に篤く、誰にも尽くすスィンガムは、村中の人々から愛され尊敬される男の中の男です。物語前半はそんなスィンガムさんと村の娘カヴィヤ(カージャル・アガルワール)との微笑ましいラブコメ展開なども盛り込まれます。しかしそんな平和な村がある日、ゴアの悪徳実業家ジャイカント・シクレ(プラカーシュ・ラージ)の登場により暗雲が垂れ込みます。ジャイカントは表向き実業家ですが、裏では誘拐や殺人も行う暗黒街のドンだったのです。そんなジャイカントの鼻っ柱をへし折ったスィンガムですが、恨みを持ったジャイカントは裏から手を回しスィンガムを自らの拠点ゴアに呼び寄せます。ゴアの警察はジャイカントの息が掛かっており、ここではスィンガムの正義が通用しないのです。ジャイカントの嫌がらせによりスィンガムは窮地に立たせられますが、男スィンガムは遂に立ち上がるのです!「正義は俺の側にある!ガオーッ!」

この『Singham』の面白さのひとつは、正義一直線のスィンガムが繰り出すド派手なアクションです。ワイヤーアクションとスローモーションを多用し、人はクルクル宙を舞うわ車はボンボン吹っ飛ぶわ、まるで重力なんか存在しないかのような奇想天外なアクションが描かれます。この限りなく誇張の甚だしいアクションが実にマンガチックで、爽快感たっぷりであると同時になんだか思わず「ぷっ」と笑ってしまいそうな馬鹿馬鹿しさがあり、そこがまたよかったりするんですよ。

敵と戦うスィンガムの強さは殆ど無敵、並み居る敵をバッタバッタとなぎ倒すさまは一騎当千の無双ぶりです。スィンガムの基本戦闘形はまず「スィンガム・ビンタ」!これでまず相手の気勢を削ぎます!そして走行する車にすら追い付く「スィンガム加速」で相手を追いつめ、獣のように跳躍し指を鍵爪のように曲げた掌で相手の頭をひっぱたく「スィンガム張り手」!倒れた相手に最後の成敗を下すのは、ベルトを使った「スィンガム鞭」!さらにこれらの決め技が入るたびに、「ガオーッ!」という吠え声のSEが入ります!なぜってスィンガムの名前の意味は「獅子」だから!そう、戦う正義の獅子、それがスィンガムなんですね!映画の冒頭では鍵爪にした手を交差させ指をわきわき動かすという「スィンガム・ポーズ」も観られます!いやあ、楽しいなあ!楽しいなあ!

そんな無敵のスィンガムを追いつめるのが敵役ジャイカント。ガマガエルみたいな醜い顔をして、闇の権力を使い限りなくイヤラシイ手でスィンガムを陥れます。警察上層部まで浸透したジャイカントの魔の手は警察官としてのスィンガムに捜査するすべを与えません。警察上層部の命令と正義の間で板挟みになるスィンガム!映画後半はジャイカントにより苦渋を強いられ憤怒を抱えたまま耐え忍ぶスィンガムの姿が描かれます。そしてクライマックス、マグマのように煮えたぎるスィンガムの怒りは遂に大噴火を起こすのです!やったれ!やったれスィンガム!ワルモノどもに目にモノ見せたれや!こんな具合に王道のB級アクション路線を突っ走る映画『Singham』、とってもお勧めですよ!

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(追記)

サムライクンフーさんのタレコミで続編公開決定とのこと!この予告編もなんだか凄まじそう!楽しみじゃのう!楽しみじゃのう!

20140714(Mon)

[]象徴と寓意のダンス〜映画『リアリティのダンス』 象徴と寓意のダンス〜映画『リアリティのダンス』を含むブックマーク 象徴と寓意のダンス〜映画『リアリティのダンス』のブックマークコメント

■リアリティのダンス (監督:アレハンドロ・ホドロフスキー 2013年チリ・フランス映画)

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ホドロフスキー少年時代

『エル・トポ』、『ホーリー・マウンテン』、『サンタ・サングレ/聖なる血』、これら圧倒的な映像と魔術的なストーリーテリングを持つ作品で知られるカルト映画監督、アレハンドロ・ホドロフスキーの新作が遂に公開された。これは日本未公開作品「The Rainbow Thief」(93)以来23年ぶりに手がけた監督作なのだという。

映画の元となったホドロフスキーの自伝『リアリティのダンス』は読んでいない。しかし【松岡正剛の千夜千冊 1505夜『リアリティのダンス』アレハンドロ・ホドロフスキー】によると、若かりし頃から「超」が付くほど筋金入りの前衛アーティストであったホドロフスキーの、少年期から青年期に渡るめくるめくようなアーティスト活動と、膨大な人数の思想芸術家との出会いとが書き記されているらしい。しかし映画ではホドロフスキーの子供時代のみが抜粋され描かれることとなる。ただし自伝とはいえそこはホドロフスキー、「実際にあったこと」が綴られているような形式では決してない。ではいったい何が描かれているのか。

舞台となるのは、1920年代、軍事政権下にあった南米チリの町トコピージャ。ここで少年アレハンドロ(イェレミアス・ハースコヴィッツ)は、「男らしくあること」にあまりにもこだわる暴力的な父ハイメ(ブロンティス・ホドロフスキー)、アレハンドロを父の生まれ変わりと信じ、そして常にオペラ歌手が歌うかのように会話する母サラ(パメラ・フローレス)と共に過ごしていた。アレハンドロの一家はユダヤ系ウクライナ移民であり、それによりアレハンドロは常にいじめの対象になっていた。その中でアレハンドロは、小人の呼び込み、町にたむろする不具者の集団、瞑想を教える行者と出会い、一人空想に浸るのが好きな少年となっていた。彼の家族の転機は、度重なる圧政に遂に大統領暗殺に旅立つ父、という形で起こることになる。しかしその父を待つのは、あたかも荒行の如き苦難であった。

■過去を再構築することで描かれる救済の物語

ホドロフスキーの自伝ということから、少年時代のホドロフスキーの出来事のみを描くのかと思っていたがそうではなかった。確かに前半は少年アレハンドロが出会う奇妙な人々と、彼の体験する超現実的な光景こそ描かれるが、後半から描かれるのは、大統領暗殺に旅立った父親が至る数奇な運命であり、その修験者の苦行を思わせる体験から、遂に父ハイメが至る一つの真理が描かれるのだ。そしてその父を待つ妻であり母であるサラの、慈愛に満ちた思いもまた並行して描かれることになる。映画冒頭に現れるサーカスチームや中盤の娼館は『サンタ・サングレ/聖なる血』のモチーフと重なり、父ハイメの体験する神秘的な苦行は『ホーリー・マウンテン』そのものであり、そして真理へと至る血塗れの彷徨は『エル・トポ』を想起させる。

ここでもホドロフスキーの描くものは生と死、聖と俗、清浄と汚濁が混沌となりながら一つの鍋の中で煮えたぎっているかのような情景であり、その強烈なコントラストは観る者の感情をあたかもジェットコースターに乗っているかのように光り輝く遥かな高みと腐臭漂う地の底とに往復させる。この眩暈のするような感情と感覚の揺さぶりこそがまさにホドロフスキーの真骨頂といえるのだけれども、この『リアリティのダンス』はこれまでのホドロフスキー作品の再話、焼き直しなどでは決して無かった。それはかつて論議を醸したカルト作品を制作していた若かりし日のホドロフスキーが持つ熱情とはまた別の、年齢を経て老成を得たからこそ描くことのできる哀感と郷愁、そして大いなる共感と愛情だったのだ。そう、『リアリティのダンス』はこれまでのホドロフスキー作品と似ていながらまた違うのである。

では『リアリティのダンス』は何が描かれていたのか。それは少年アレハンドロと彼の一家とを、自伝という形式を取りながら再構築する、といったものだった。実際のホドロフスキーの父はただ抑圧的な親だったという。しかしその父は映画の中で苦難に満ちた彷徨の未に自らの心の裡にあるデーモンと対峙し、遂に家族への真の愛に目覚める。そして実際の母はオペラ歌手に憧れながらも親の反対で平凡な売り子として生きることを余儀なくされていたが、映画ではその母はいつもオペラを歌い、慈愛の中で神と交信する聖母として描くことになる。そして少年アレハンドロは、これら再構築された両親の間で、最終的に大きな愛に包まれることとなるのだ。すなわち『リアリティのダンス』は、自伝の形に見せながら過去を救済し、幸福の中で完結させようとした物語だったのだ。

■象徴と寓意のダンス

出演者を始めとするこの映画に関わる者にホドロフスキーの縁者が多く関わっているのも興味深い。主人公アレハンドロの父・ハイメはホドロフスキーの長男が演じ、また、半裸の行者や暗殺者となるアナキストホドロフスキーの息子だ。さらに衣装デザインはホドロフスキーの妻が担当しているという。これは単なる家族主義、身内贔屓という部分もあるのだろうけれども、それだけではなく、肉親の血の濃さの中からこそ生まれるバイブレーションをホドロフスキーは作品の中に生み出したかったのだろう。さらに映画の舞台であるチリの町トコピージャは、実際にホドロフスキーの生まれた町であり、映画ではその土地をそのままロケーションとして使っているのだ。撮影に赴いた時ですらトコピージャの町はホドロフスキーが過ごした頃と何一つ変わってはおらず、ただひとつ、今は焼失してしまったホドロフスキーの生家を建て直し、そこで撮影がなされたのだという。

ホドロフスキーの作品が持つ寓意性は、彼が傾倒するタロット・カードに負う所が大きいだろう。タロットはそれぞれに【シンボル(象徴)】を持った幾つかのカードをシャッフルして組み合わせ、その偶然の組み合わせの中から【アレゴリー(寓意)】を読み込む。ホドロフスキーの作品が多様なシンボルに溢れ、なおかつアレゴリカルであるのはこのためだ。偶然性の中に寓意を読み込む、というのはシュルレアリズムでいうところのデペイズマンに当たり、そういった部分でホドロフスキーの作品はシュールである、ということもできる。しかしシュルレアリズムが「偶然性による意味の異化作用」を目指したものであるのに対し、神秘主義者ホドロフスキーは「偶然」ではなくそこに「見えざる意志」を見出す。それは【神性を獲得した無意識】と言うこともできる。ホドロフスキーの作品が一見シュールながら決して難解なものでも衒学的なものでもないのは、そのシンボルの表すところが非常に通俗的であるがゆえにアレゴリーを読み込みやすいからだ。

それにしても『リアリティのダンス』というタイトルにはどのような意味が込められているのだろうか。ホドロフスキーはインタビューの中で「人生もこの世で起こることも繋がったものであり、そしてそれらは常に変化してゆく、即ちそれはダンスのようなものなのだ」と語っている。それは【生々流転】ということなのだろう。このとき【リアリティ】とは、いわゆる「客観性による現実」を指すものではなく、「主観性による現実」を指すものなのだろう。ホドロフスキーの作品の多くは、「客観性による現実」の持つ諸相を「主観性による現実」でもって捻じ伏せた表現となっている。それこそが「寓意化」なのだ。ホドロフスキーの『リアリティンのダンス』はこうして、象徴と寓意のダンスを描きながら、生の秘密とその真実を、そして生きることの喜びと慈愛とを解き明かしてゆくのだ。

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リアリティのダンス

リアリティのダンス

20140713(Sun)

[] 購入コミック覚書 / プリニウス(1)、アイアムアヒーロー(15)、アオイホノオ(12)  購入コミック覚書 / プリニウス(1)、アイアムアヒーロー(15)、アオイホノオ(12)を含むブックマーク  購入コミック覚書 / プリニウス(1)、アイアムアヒーロー(15)、アオイホノオ(12)のブックマークコメント

■プリニウス(1) / ヤマザキマリとり・みき

ヤマザキマリがまた古代ローマに帰ってきた!しかもとり・みきとの合作で!という新作。今回のテーマは古代ローマの博物学者プリニウス。といってもこのコミックで初めて名前知りました。無学でスマン。物語はこのプリニウスの書記の目を通して描かれます。この書記、常にプリニウスについて語っていることを全部記録しているんです。そして物語冒頭はヴェスヴィオ火山の大噴火!地震津波!と日本人なら身につまされるエピソードからはじまりますが、こういった地震の多いローマと日本の近似性を作者も感じてテーマに選んだのだそうです。さらにプリニウス入浴シーン!ときて『テルマエ』ファンをくすぐります。ホントにローマ人はお風呂が好きだったんですね。あと面白いのが、なにしろ古代なんでここでプリニウスが述べる科学的考察が、実の所現代の科学知識に照らし合わせるなら正しいわけではないのを、あえて「当時はこんな具合に考察してたんですよ」とそのまま記載しているところですね。それは正しいとか間違っているというよりも、当時人は自然をどう捉えていたのか、ということを知る部分で面白いんですよね。作品自体は『新潮45』の連載ということで、ちょっと大人しめというか固いんですが、古代に生きた稀代の博物学者、というのは興味をそそられますね。中盤からは皇帝ネロも登場して物語に絡んできます。

アイアムアヒーロー(15) / 花沢健吾

アイアムアヒーロー 15 (ビッグコミックス)

アイアムアヒーロー 15 (ビッグコミックス)

ZQN亜種に咥えられたまま比呂美・小田さんと逃亡する英雄だがさて…という展開のその後。巨大化した合体ZQNが登場し思わせぶりなままスルーされますが、物語自体は主人公3人に焦点を当てたまま進んでゆきます。これって「アイアムアヒーロー」のタイトル通り主人公英雄がどう変わってゆくのか、という物語だと思うのでゾンビものの群像劇なんかよりもこの構成のほうがいいな。ただ、この3人は帯に書かれているみたいな「三角関係」というのとはちょっと違うと思うんだけど。だから「三角関係」にポイント絞りそうな映画化は全然期待してません…。

アオイホノオ(12) / 島本和彦

激情と勘違いで突っ走る、いつものホノオくんです。若さとは熱さでありそして勘違いであるといういい見本だなあ、と思いつつ、昨今の若い方はホントはもうちょっとクールで賢かったりするんだろうなあ。それにしてもホノオくん女子に興味無さすぎ。トンコさんには彼氏がいるから!とまるでその気にならないし、美人ちゃんな女子キャラ現れても全然絡む気ないしなあ。激情はあっても劣情は無いんだろうか。そこんとこどうなんだろうかホノオくん。

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20140711(Fri)

[][]言葉の障壁、人種の障壁、女であることの障壁〜映画『マダム・イン・ニューヨーク』を「女性映画」と決めつけてはいけないこれだけの理由 言葉の障壁、人種の障壁、女であることの障壁〜映画『マダム・イン・ニューヨーク』を「女性映画」と決めつけてはいけないこれだけの理由を含むブックマーク 言葉の障壁、人種の障壁、女であることの障壁〜映画『マダム・イン・ニューヨーク』を「女性映画」と決めつけてはいけないこれだけの理由のブックマークコメント

■マダム・イン・ニューヨーク (監督:ガウリ・シンデー 2012年インド映画)

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ニューヨークに住む姪の結婚式の為、インドからやってきた主婦シャシ(シュリデヴィ)。しかし彼女は英語が大の苦手であり、家族からも笑いの種にされ、ニューヨークの街でも災難続き。しかし彼女は決意した。英会話を習って、立派に英語を話せるようになろうと。

この映画は、一人のインド人主婦が困難を乗り越え自分自身の素晴らしさに気付くという物語であり、その主人公の女性ならではの心の機微を描く作品であり、脚本も務める女流監督ガウリ・シンガーによるデビュー作にして大ヒット作であり、「インド映画史100年におけるNo.1女優」とさえ謳われる美貌の人気女優シェリデビィの、結婚後半ば引退しつつ15年を経た復帰作であり、彼女の着こなす色鮮やかなサリーの美しさが話題の一つとなった映画であり、そういった部分で「女性映画」として人気を集め、喜ばしいことに日本でも大ヒットしているインド映画ではあるが、しかし「女性映画」と一括りにして一件落着するような作品では決して無いのだ。

『マダム・イン・ニューヨーク』はインドからニューヨークにやってきた主婦の物語であると同時に、彼女が英会話スクールで出会う様々な外国人の物語でもある。英会話スクールにやってきた生徒たちは、一人のフランス人男性を例外として殆どはエスニック系の人種だ。彼らもまた、アメリカにやってきて言葉の壁にぶち当たってしまった自分を抱えてここにやってきている。つまり大きな目で観てみるならば、この『マダム・イン・ニューヨーク』はシャシという一人のインド人主婦を代表例としながら、アメリカにやってきた様々なエスニックの姿を、彼らの胸の中に去来する様々な思いを描いているということもできるわけだ。彼らは人種的マイノリティであるが、その彼らを教えるのがセクシャルマイノリティ、すなわちゲイのアメリカ人男性である、という部分が実はこの作品のポイントでもある。

この作品であまりにシャシが家族から軽んじて見られている様子に疑問を持った方もいるようだが、インドにおける女性の立場は、現代でもヒンドゥー教に基づく強烈な家父長制などの理由から、差別や蔑視の中で生きることを余儀なくされていると聞く。そんなインドから言葉の通じないアメリカへ一人のエスニックとして訪れたシャシは、実は【二重の意味において疎外された存在】だということができるのだ。そういった部分を鑑みるなら、この物語が単に英語の苦手な外国人女性が英語を覚えて自分に自信を持つ、という単純な物語ではないことが分かってくる。

この作品で主人公シャシは、アメリカにおける人種的・性的マイノリティの人々と接し、彼らと共に言葉という壁を乗り越え、友愛の情を分かち合う。それにより自らの人種的マイノリティを乗り越えるのと同時に、インド女性という疎外された立場を乗り越える。それは「共感」という感情が育む自己肯定なのだ。それが最も端的に表現されているのが、あの素晴らしいクライマックスなのではないか。そういった、人間の普遍的な感情である自己肯定の欲求を描いているという部分で、この作品を単に「女性映画」の括りに落とし込むことで安心してしまう、もしくは興味が無いと無視してしまうのは大変もったいないことだと思うのだ。

なおこの作品をインドから買い付け上映までこぎつけた方の、上映までの並々ならぬ悪戦苦闘を書いたブログ「ボリウッド映画を買ってみました」が本当に素晴らしい。映画を愛するとはどういうことなのか、そしてある意味マイナージャンルな映画を上映するまでにはどんなことが待っているのか、インド映画に限らず、映画というものが好きな方なら読んで心熱くさせられること必至であろう。そしてこのブログ主の方の次の配給作品は、あの『ダバング 大胆不敵』だ!応援したい!

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20140710(Thu)

[][]デリーの下痢便!?新感覚スラップスティック・クライム・コメディ『Delhi Belly』 デリーの下痢便!?新感覚スラップスティック・クライム・コメディ『Delhi Belly』を含むブックマーク デリーの下痢便!?新感覚スラップスティック・クライム・コメディ『Delhi Belly』のブックマークコメント

■Delhi belly (監督:アビネイ・デーオ 2011年インド映画)

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薄汚いアパートで共同生活するボンクラ野郎3人が、マフィアのヤヴァいブツに関わったばかりにさあ大変!?というスラップスティック・クライム・コメディです。そしてこのお話、なんと「下痢便」が物語のキーワードになっている、という大変キチャナイ物語でもあるんです!だってタイトル自体が「デリーの下痢腹」っていうぐらいですから!

ボンクラ3人の名はライターのターシー(イムラーン・カーン)、カメラマンのニティン(クナール・ローイ・カプール)、グラフィッカーのアループ(ヴィル・ダース)。アリやらGやらが(全然関係ないけど『アリ・G』って映画がありましたな)這い回る汚い部屋に住む3人でしたが、ターシーにはソニア(シーナーズ・トレアスリー)という婚約者がおりました。ソニアはターシーに、空港でどっかのオジサンに頼まれた封筒を宅配所に届けてくれ、と頼むんですが、なんとその封筒、下痢便に悩むニティンが病院に送る筈だった検便の容器と取り違えられて配達されちゃうんです。そしてニティンの下痢便が届いた先は、なんとマフィアのアジト!「なんだこのクソは!?俺等のブツはどこだ!?」そう、空港でソニアが知らずに預かったのは、マフィアに届けられる筈だったヤヴァいブツだったのですよ!ブツを取り戻すためにボンクラ3人を追い回すマフィア!ボンクラどもに明日はあるのか!?

次から次へとトラブルが巻き起こり、それらが連鎖しながらとんでもない大騒動へと膨れ上がっちゃう、というこの『Delhi belly』、大変楽しめました。ギャングとボンクラの応酬、というメインの物語だけでなく、最初から様々な小ネタを盛り込まれてており、終始ニヤニヤして観ておりましたよ。そしてこの物語、トッド・フィリップス監督の『ハングオーバー!』シリーズを思わせるハードクライム&ハチャメチャ・ギャグ、といったテイストを感じさせます。歌も踊りもなく、個性的でボンクラな連中が主人公、危ないマフィア連中との巻き込まれ型ドラマ、絶体絶命のサスペンス、銃弾飛び交うバイオレンス、しょーもないギャグ、お下劣で汚くて4文字言葉多用、100分前後というインド映画にしてはタイトな上映時間、その中にたくさんのアイディアを詰め込んで楽しませよう、といった脚本は実に軽妙で、時々「これホントにインドが舞台なの?」と思ってしまうぐらいでした。これそのままハリウッドでリメイクしても面白く出来ちゃうんじゃないかなあ。

ただし、とても面白く出来てはいるんですが、説明不足だったり無理があったり無駄だったり場面が繋がらないシーンがたまに見受けられます。冒頭でソニアが知らずにヤヴァいブツを預かっちゃうシーンは、よく見てないと分かんないし、そもそもどういう経緯でソニアがこんな仕事を引き受けちゃったのかが説明されません。また、マフィアのブツを後先考えずに売り払っちゃっうボンクラ連中も理解に苦しむし、ドタバタを盛り込もうとしたのでしょうが、売っちゃった後からマフィアから「ブツを返さないとお前の女を殺す」とか言われて再びブツを取り戻そうとする、なーんて物語の流れはテンポが悪く感じました。さらにクライマックスであいつ、いつトイレ入ったの?なんてシーンもあったな。とはいえ、そういった惜しい部分はあるにせよ、実に斬新で意欲的な作品であることは間違いありません

そしてこの作品、インド映画ファンなら「おっ?」と思っちゃう俳優カメオ出演しています。エンディング・クレジットで流れる「ディスコ・ファイター」という曲でプレスリーみたいな恰好で歌い踊るんですが、いやー『トロピック・サンダー/史上最低の作戦』にトム・クルーズが出てきたぐらいにびっくりしたわ…。まあ主演のイムラーン・カーンの伯父さんが製作に関わってるからなあ…。あと多くは語れないのですがニコ動にこの作品が…あ、誰かが訪ねてきたようだ…。

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20140709(Wed)

[][]男4人・女4人・父親4人が、結婚を巡って大騒ぎ!?〜映画『Housefull2』 男4人・女4人・父親4人が、結婚を巡って大騒ぎ!?〜映画『Housefull2』を含むブックマーク 男4人・女4人・父親4人が、結婚を巡って大騒ぎ!?〜映画『Housefull2』のブックマークコメント

■Housefull2 (監督:サージド・カーン 2012年インド映画)

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男4人・女4人・父親4人が、結婚の是非を巡ってくんずほぐれつの大騒ぎを繰り広げる、というドタバタ・コメディです。主要人物がカップル4組とその親父4人、とこれだけで12人なのに、さらにいろんな人物が登場して物語を引っ掻き回してゆきます。ただでさえ登場人物の数が多くてややこしいお話なのに、物語が進むほどに登場人物たちの関係がこじれにこじれ、さらにどんどんややこしくなってゆくというという、「あーもうワケ分からんわ!」ってなっちゃうお話なんです。しかしややこしいから解り難いお話だということでは決してなく、むしろこのややこしさが笑いを生んでゆく、という構成になっているんですね。

ややこしいながらお話を説明させていただきます。

・まず実の兄弟ながら対立している家があるんです。これがチントゥー【オヤジA】、ダッブー【オヤジB】です。そしてそれぞれに、やっぱり仲の悪い娘がいます。これがヒーナ【娘A】、ボビー【娘B】です。チントゥー【オヤジA】は娘ヒーナ【娘A】を青年ジェイ【男A】と結婚させようとします。青年ジェイ【男A】は親の決めた結婚の為、恋人バルー【娘C】と泣く泣く別れます。


・チントゥー【オヤジA】は結婚の為ジェイ【男A】の父親を呼びますが、ある誤解から心臓の悪いジェイ【男A】の父親を病院送りにしてしまいます。仕返しを誓ったジェイ【男A】が考えたのは友人で大富豪の息子ジョリー【男B】とヒーナ【娘A】の結婚を、金持ち好きなチントゥー【オヤジA】にもちかけて破談にし、チントゥー【オヤジA】を破滅させることでした。


・しかしジョリー【男B】はジェイロ【娘D】という恋人がいるうえに、大富豪の父親JD【オヤジC】が怖くてそんなことできないと断り、替わりに大学時代ワルでならしたマックス【男C】はどうか、もちかけます。しかしジョリー【男B】のふりをしてマックス【男C】が出向いたのはダッブー【オヤジB】の家で、そこでボビー【娘B】を口説いちゃうんです。


・これじゃ復讐にならん、とジェイ【男A】とジョリー【男B】は代わりとしてぬぼっとした男サニー【男D】を新たにチントゥー【オヤジA】の家に送り込みます。そしてまんまと騙すのに成功し、サニー【男D】とヒーナ【娘A】はラブラブになります。ちなみにマックス【男C】とサニー【男D】はとんでもない犬猿の仲なんです。


・チントゥー【オヤジA】とダッブー【オヤジB】はそれぞれ「俺の娘が大金持ちの息子と結婚する!」と大喜びですが、お互いの家にジョリー【男B】と名乗る男がいる!ということを知り大慌て。「どっちがホンモノだ!?」とジョリー【男B】の父JD【オヤジC】の屋敷に乗り込みます。


・一方、JD【オヤジC】は旧知の仲であるバトック【オヤジD】の娘と自分の息子ジョリー【男B】を結婚させようしていましたが、それはなんとジェイ【男A】の恋人バルー【娘C】だったのです…。

どうですかこのややこしさ。さらにこれに、イタリアかぶれの変な結婚斡旋業の男(名前がパスタってベタベタやん…)、事態をさらに引っ掻き回す大富豪のずんぐりむっくりした執事、青年ジェイのエロエロなオヤジなども絡み、お話はどんどん迷走しまくってゆくんです。

要するに大富豪の親父の家に、本当の息子を含め「僕が息子です!」と言い張る男が3人集まっちゃうんです。本当の親父の前だったらそんなの簡単にバレちゃうじゃん?と普通思いますが、上手いこと言って大富豪の親父を丸め込み、金に目がくらんだ【オヤジA】と【オヤジB】には最後の最後まで「自分の娘は大富豪と結婚する!」と思い込ませてしまうんですよ。そして【男A〜D】たちは、その嘘がバレないようにバレないようにと、あの手この手の策略を巡らすんですね。しかしなんだか怪しいとにらむ富豪の執事が、今度は事実をあばこうと【男A〜D】を追求してゆくんです。この辺の、「そんなにうまく行くわきゃねーだろ!」というお話を無理矢理納得させるアクロバティックなシナリオがまたよく出来ているんですよ。そしてなんとクライマックスは、嘘に嘘を塗り重ねたまま4組のカップル全員の合同結婚式までなだれ込んじゃいます。おいおい大丈夫なのか!?

お話は細かいギャグや可笑しなエピソードが満載で決して飽きさせません。特に「なんじゃこりゃ!」と思ったエピソードは、険悪な仲であるマックス【男C】とサニー【男D】、そしてヒーナ【娘A】とボビー【娘B】がそれぞれカップルになり、なんと無人島に漂着しちゃう!という仰天展開ですね。カップル2組が無人島に…という所から想像するロマンチックさは皆無、無人島でもひたすら仲違いする4人と、「腹減ったからメシ探してこい!」という何の色気も無い方向にお話が進みまたしてもドタバタが…という具合なんですよ。他にも何故だか【男A〜D】のワイヤーアクション使った派手なアクションまであって盛り沢山なんですね。

インドのコメディ映画はそんなに観ていないんですが、基本的にあまり悪意が無い上に、最終的には傷つく人があまりいない印象ですね。それと、きわどいネタは抑え気味だし、差別ネタも無いし、某国のズルズルグダグダのコメディなんかよりずっと出来がいいと思いますよ。

ちなみに配役は男4人・女4人だけ紹介させてもらうと、

青年ジェイ【男A】…シュレーヤス・タルパデー

大富豪の息子ジョリー【男B】…リテーシュ・デーシュムク

ワルでならしたマックス【男C】…ジョン・エイブラハム

ぬぼっとした男サニー【男D】…アクシャイ・クマール

チントゥー【オヤジA】の娘ヒーナ【娘A】…アシン

ダッブー【オヤジB】の娘ボビー【娘B】…ジャクリーン・フェルナンデス

青年ジェイ【男A】の恋人バルー【娘C】…シャザーン・パダムシー

ジョリー【男B】の恋人ジェイロ【娘D】…ザリーン・カーン

個人的には、まずヒーナ役のアシンちゃんが小顔でメッチャ可愛かったですね。あとジョリー役のリテーシュ・デーシュムクが以前観たコメディ映画『Grand Masti』に出演してたので、同じコメディだしなんとなく馴染み深かったでした。ジョン・エイブラハムは『Race2』で見たなあ。インド映画も何本かこなしていくと見たことのある俳優さんが増えて楽しいですね。そしてなんといってもアクシャイ・クマールやっぱりぬぼっとしてます!そしてことあるごとにキメ顔で「エ〜イ」という声が入るんです!なんなのこの「エ〜イ」っての!?よく分かんないのにこの声が響くたびにゲラゲラ笑っちゃいましたよ!

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20140708(Tue)

[][]家から出たらぶっ殺される!?〜映画『Son of Sardaar』 家から出たらぶっ殺される!?〜映画『Son of Sardaar』を含むブックマーク 家から出たらぶっ殺される!?〜映画『Son of Sardaar』のブックマークコメント

■Son of Sardaar (監督:アシュヴィニ・ディール 2012年インド映画)

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…やっぱりさあ、インドと言えばターバンだよね。

インド人全員がターバンをしているわけではなくて、シク教徒独特のもの、ということぐらいは知っておりますが、やっぱりどうもターバンしたインド人を見ると安心してしまいます(インドの皆さんスイマセン…日本もサムライとかニンジャとかゲイシャだらけだよ!)。これ、もともとシク教徒って教育が高く、イギリス統治時代に官吏などに多く登用され表舞台に立つことが多かったから、「インド=ターバン」というイメージが付いちゃった、ということらしいんですね。

シク教徒豆知識

イギリスでは、ターバンをするため、バイクの運転の時、ヘルメットを免除されている。

さて、そのシク教徒を主人公に据えたハチャメチャ・コメディ、それがこの『Son of Sardaar』なのであります。

主人公の名はジャスィー(アジャイ・デーヴガン)。ターバンを颯爽と巻いた彼は、ロンドンから故郷のインド、パンジャーブに戻る最中、スクミート(ソーナクシー・シンハー)という女性と知り合い、彼女の家を訪ねることに。当主であるサンドゥー家のビッルー(サンジャイ・ダット)はジャスィーを歓迎し、「ときにジャスィーさん、あなたのお家は?」と尋ねます。「はいはい!俺ランダワー家の生まれっす!」するとみるみる顔色の変わるビッルーさん!実はなんと、サンドゥー家とランダワー家は血で血を洗う敵同士、父親の仇だったのです!「すわ復讐!」剣を持って立ち上がるサンドゥー家の人々!しかしすぐにはジャスィーを亡き者にできない理由があった!実はサンドゥー家には「客人は神として敬うべし」とする家訓があり、家にいる間はジャスィーに指一本触れられない!一安心したジャスィーですが、ということは家から出られない!?そんなわけでサンドゥー家とジャスィーとの、一触即発の睨み合いが始まるのです!

もうね。冒頭からターバン巻いたジャスィーことアジャイ・デーヴガンさんがマブすぎます。浅黒い顔に髭面太眉、ぱっちりした目の濃いい顔で、爽やかな笑顔を浮かべてますが、実際アジャイ・デーヴガンさん、目が座ってます。目が笑ってないんです。陽気に歌い踊るオープニングでも、顏が怖いんです。そして顔が怖いくせにビッグベンの時計の針の上に立ってキメポーズしてみたり、なんだかわかんないけど逆さまになって降ってきたりします。そして絡んできたバイカーを腕一本で宙高くぶっとばしたりします。ここで「ああ」と気付きます。凄いマンガチックなオープニングから始まるこの物語、そもそもがマンガチックなものを目指して製作しているようなんですね。だからここから続く物語も、マンガ展開だと思ってリラックスして観ればいいというわけなんです。

さてマンガ展開なだけあってジャスィーさんの命を狙うサンドゥー家の皆さんもマンガチックにコワ〜イ顔した人ばかりです。だいたいみんな刀を空に振りかざしてわあわあ言いながら車に山乗りになって現われます。でも皆さん悪そうな顔している割にはジャスィーさんの嘘八百やフェイントにすぐ騙されて「あれれ?そうだったっけ?」なんて顏しちゃうオマヌケ振りはやっぱりマンガ的です。だいたいぶっ殺す気満々の相手が目の前にいるのに家訓のせいで家の敷地内では丁寧に扱わなきゃならない、なんてルール自体馬鹿馬鹿しくて可笑しいですよね。一方ジャスィーさんはジャスィーさんで、サンドゥー家の敷地内に軟禁状態で明日をも知れぬ身なのに、サンドゥー家の娘であるスクミートさんにデレデレしちゃったりしています。ジャスィーさん顏が怖いくせして緊張感ゼロです。しかもスクミートさんにフィアンセがいたせいでガッカリもしています。お前の優先事項はそっちなのかオイ!?

もちろん家にばっかりいても盛り上がりませんので、策を弄して家から脱走し、それを追いかけるサンドゥー家の皆さんとの大立ち回りも盛り込まれていて物語にきちんと変化があるんですね。しかもジャスィーさん、冒頭でも鉄腕ぶりを発揮していましたが、なにしろ強い強い。こんな強いなら最初っから戦ってりゃよかったじゃん、なーんてことは言ってはいけません。そんなこんなで最後の戦いにお話はどんどん収斂してゆくというわけです。この辺の、やっぱりコミック乗りのアクションシーンも結構楽しめて、全体的に肩の凝らないアクション・コメディ映画に仕上がっておりましたよ。

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20140707(Mon)

[]シーシュポス、あるいはプロメテウス〜映画『オール・ユー・ニード・イズ・キルシーシュポス、あるいはプロメテウス〜映画『オール・ユー・ニード・イズ・キル』を含むブックマーク シーシュポス、あるいはプロメテウス〜映画『オール・ユー・ニード・イズ・キル』のブックマークコメント

オール・ユー・ニード・イズ・キル (監督:ダグ・リーマン 2014年アメリカ映画)

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  • 凶悪な異星人による地球侵略と、死ぬと何度もタイムループしてしまう兵士を描いたSF作品である。兵士は何度もタイムループしながら異星人に対する戦術を身につけてゆくのだ。トム・クルーズ主演のハリウッド大作だが、原作が日本人作家・ 桜坂洋氏のSF小説である(原作レビューはこちら)ことで注目を浴びている作品でもある。
  • 「死によって何度もタイムループしながら身につけてゆく戦術」、これはコンピューターゲームからの着想だという。何度もゲームオーバーとリセットを繰り返しながらその度に新たな戦術を練り直し、失敗したステージに挑む。目の前の状況は以前と同じだが、プレイヤーは以前よりスキルが上がっていて、難局を乗り越えることが出来る。
  • この理論でいくと無限回のリセットを繰り返せば究極のレベルまでプレイヤーの能力が高まることになってしまうが、物事はそんなに甘くない。
  • それは相手が解法困難、バグ満載、クリア不能なクソゲーだったときである。
  • 映画『オール・ユー・ニード・イズ・キル』は、単に「タイムループしてスキルを上げてゆく兵士の物語」ではない。この映画の真に凄まじい部分は、「クソゲー相手に無限回戦闘を繰り返さねばならない」という地獄の労苦のような宿命を背負う、というところにある。
  • これはゲーム云々というより、延々岩を山に運んではまた落とされるというギリシャ神話の「シーシュポスの岩」そのものだし、あるいは同じギリシャ神話の、再生能力があるばかりに岩に縛り付けられたまま延々ハゲタカに肝臓をついばまれるという拷問を受けるプロメテウスそのものではないか。
  • 神話の暗喩するところが人の営む人生の無為と徒労とその苦痛であると考えるならば、映画『オール・ユー・ニード・イズ・キル』が描くものは、そのまま人生の無為と徒労とその苦痛を表しているのだ。
  • しかしこの作品はそれで終わらないのだ。その無為と徒労と苦痛の中ですら、決して諦めず、絶望することなく、たった一歩でも、数センチでも数ミリでも前に進もうとする主人公の姿を描くのだ。その一歩が、数センチ数ミリが果たして意味のあるものでなかったとしても。それは壮絶なものすら感じさせる。
  • 映画『オール・ユー・ニード・イズ・キル』は、そういった【人間的要素】こそが、深い感銘を与える作品だったのだ。
  • 主演のトム・クルーズはこういった作品にふさわしい俳優だったろう。不可能を可能にする男を描く彼の作品は、どれもひたむきだからこそ不可能を可能にするのだ。
  • また、『マイノリティ・リポート』『宇宙戦争』『オブリビオン』とSF映画の傑作に出演する彼は、この『オール・ユー・ニード・イズ・キル』でも「名作SF映画のアイコン」として堂々たる演技を見せる。
  • 共演のエミリー・ブラントの線の細い外見ながら不屈の意思を見せる戦士像もまたいい。殺戮マシーンの如く戦闘を繰り返し、タイムループの中で精神が無感覚となった兵士であるにも関わらず、その中に微かに女性的な部分をうかがわせる絶妙さが素晴らしい。
  • 映画としては『スターシップ・トゥルーパーズ』『エイリアン2』といった傑作ミリタリーSF作品の系譜に燦然たる新たな1ページを書き込んだ作品として支持できる。個人的にはこの2作品と同等か、それを超える部分を持った作品として評価したい。

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All You Need Is Kill (集英社スーパーダッシュ文庫)

All You Need Is Kill (集英社スーパーダッシュ文庫)

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20140706(Sun)

[]『ウォッチドッグス』をやりはじめたわけなんだが… 『ウォッチドッグス』をやりはじめたわけなんだが…を含むブックマーク 『ウォッチドッグス』をやりはじめたわけなんだが…のブックマークコメント

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「おお、PS4の新作ゲームが出たぜグヒヒ」

ということでやり始めたゲーム『ウォッチドッグス』。

主人公は凄腕ハッカーで、そのハッキングのスキルを活かしながらワルモンを追いつめてゆく、

とまあそんなゲームらしい。

冒頭の次々にネットワークを乗っ取ってゆく描写なんかカッコイイではないか。

しかもこのゲーム、シカゴの街並みを使ったオープンワールドゲームなのだという。

しかし、いざゲームが始まってオレは気づいたのである。

「いかん、これオレの苦手なステルスやん…

兎に角突撃して満身創痍になりながら辺り構わず銃弾をブチ込みまくる、

そんなプレイスタイル(それってスタイルなのか?)のみを至上とするオレにとってステルスは鬼門。

あたりの様子を伺いながらチマチマ攻略するなんてとてもじゃないが無理なのである。

…ううむ、プレイ続けるかどうか、果てしなく謎だ…。

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20140704(Fri)

[]アレハンドロ・ホドロフスキー原作の自伝的スペースオペラ 『テクノプリースト』 アレハンドロ・ホドロフスキー原作の自伝的スペースオペラ 『テクノプリースト』を含むブックマーク アレハンドロ・ホドロフスキー原作の自伝的スペースオペラ 『テクノプリースト』のブックマークコメント

■テクノプリースト / アレハンドロ・ホドロフスキー[作] ゾラン・ジャニエトフ[画] フレッド・ベルトラン[彩色]

テクノプリースト

高度な科学技術と利益の追求への盲信が宗教と化したテクノ銀河。神殿に仕える巫女パネファの私生児として生まれ、母から疎まれて育ったアルビノは、ゲームクリエイターになり、この荒んだ宇宙に生きる人々に希望を与えるという夢を育む。日々勉学に励む彼は、ある日、仮想世界でテクノの始祖、聖セヴェルド・デ・ロヨザの精神と出会う。それ以来、彼の夢はテクノプリーストとなり、ゲームを通じてテクノ銀河を救うことに変わった…。約束の地へ!科学技術の発展の結果、人間性が失われかけたある世界のエクソダスホドロフスキー&メビウス“アンカル・ワールド”の永遠の敵役“テクノ”秘話。

先ごろ『ホドロフスキーのDUNE』が公開され、『リアリティのダンス』の公開も待たれるアレハンドロ・ホドロフスキーが原作を担当したバンドデシネ、それがこの『テクノプリースト』だ。

『テクノプリースト』の物語はかつてホドロフスキーが原作担当した『アンカル』『メタ・バロンの一族』と同様に超未来を舞台にしたスペースオペラだ。その未来世界では科学技術が高度に発達しているものの、全宇宙に散らばる人類はその魂を即物的な快楽によって侵され、人類の最高ヒエラルキーであるテクノ教団が享楽的な"ゲーム"を配信することによって彼らを支配していた。その末法の世に現れた救世主が海賊により蹂躙された巫女が産んだ私生児、アルビノだった。アルビノはテクノプリーストになり、真なる精神性に満ちたゲームを作ることにより銀河を救済しようとしていた。しかしそんなアルビノの前にテクノ教団の仕掛ける様々な障壁が立ちはだかるのだ。

『テクノプリースト』は1998年から2006年まで全8巻で刊行された。グラフィックを「メビウスの精神的な息子」とも呼ばれるゾラン・ジャニエトフし、またその彩色をフレッド・ベルトランがCGを駆使することで、よりSF的なアプローチの作品として完成させている。

物語は以下の8つの章に分かれる。

第1章 テクノ予備校

第2章 ノーホープ感化院

第3章 プラネタ=ゲーム

第4章 処刑人惑星アルカトラズ

第5章 テクノ司教セクト

第6章 テクノ=ヴァティカンの秘密

第7章 完全なるゲーム

第8章 約束の地

『テクノプリースト』の物語はこれまでのホドロフスキー原作バンドデシネと同じく、全宇宙を揺るがすような破壊と暴力とに満ち満ちている。ホドロフスキーの描く宇宙はどこまでも野蛮で残酷だ。そこには血に飢えた蛮族と冷酷な宇宙生物らがはびこり、傲慢な権力者と腐りきったシステムが存在し、異形の神と異形の文明が悪意に満ちた宇宙に散らばるのだ。そしてそれら異様で醜悪な世界を、冷たく遠大な宇宙を、ゾラン・ジャニエトフとフレッド・ベルトランとによる卓越したグラフィックでもって創出しているのだ。

「ゲームにより支配された宇宙」というとどこかP・K・ディックの描くSF作品のような不条理めいた世界を想像するが、この物語がホドロフスキーの自伝的色彩の濃厚な作品であることを考えると、その暗喩されているものが理解しやすい。すなわちこの『テクノプリースト』、物語における"ゲーム"を、"映画"と読み変えると、たちどころに物語の描こうとするものが見えて来るのだ。人々の精神性を高めるためのゲームを作ろうという野心に燃えた青年が戦うのは、宇宙を支配するテクノ教団が製作する即物的で享楽的なゲームだ。これはそのまま革命的で深くスピリチュアルな映画を撮ろうとしたホドロフスキーと、彼を取り巻いていた映画産業の即物的で享楽的な映画製作態度との戦いということができるのだ。

そしてこの物語は同時に、主人公とその彼の家族との、苛烈で残酷な運命とを描いた作品でもある。物語では主人公のテクノ教団との戦いとはまた別に、生みの親である母親と、彼の腹違いの兄弟たちが辿るグロテスクな復讐譚が平行して描かれているのだ。ホドロフスキーの生い立ちやその家族については実は詳しいことを知らないのだが、多くの労苦がホドロフスキーの家族にあったのだろうことはこの物語を読むと想像に難くない(まあ全然関係ないのかもしれないが…)。

そういった部分で、ホドロフスキーの描く華麗でグロテスクな宇宙絵巻と、ホドロフスキーの歩んできた数奇な運命のその両方を味わうことができるという、二重の楽しみがあるのがこの物語ということができるだろう。そして物語は、あたかもホドロフスキー作品である『ホーリーマウンテン』の如く、精神的なものこそが尊ばれる『ホーリープラネット』を探す旅として語られてゆき、ホドロフスキーのスピリチュアルなイメージが炸裂するクライマックスへとひた走ってゆくのだ。

リアリティのダンス

リアリティのダンス

L'INCAL アンカル (ShoPro Books)

L'INCAL アンカル (ShoPro Books)

20140703(Thu)

[]最近聴いたエレクトロニック・ミュージック / Sascha Dive、Brownswood Electr*c、Maya Jane Coles、Enjoy the silence、Hyperdub 10.1、Plaid、Cv313、Pablo Valentino 最近聴いたエレクトロニック・ミュージック / Sascha Dive、Brownswood Electr*c、Maya Jane Coles、Enjoy the silence、Hyperdub 10.1、Plaid、Cv313、Pablo Valentinoを含むブックマーク 最近聴いたエレクトロニック・ミュージック / Sascha Dive、Brownswood Electr*c、Maya Jane Coles、Enjoy the silence、Hyperdub 10.1、Plaid、Cv313、Pablo Valentinoのブックマークコメント

◆Dark Shadow / Sascha Dive

Dark Shadow

Dark Shadow

ジャーマン・ディープ・ハウスのプロデューサー、Sascha Diveの2ndアルバム。ディープ・ハウス、ミニマル、テックハウス基調としながらダークでありファンキーでありメロウでもあるバラエティに富んだフロア・チューンを展開している。 《試聴》

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◆Brownswood Electr*c 4 / V.A.

Brownswood Electric 4

Brownswood Electric 4

ジャイルス・ピーターソンが主催するBrownswoodレーベルよりリリースされているエレクトロニック・ミュージック・コンピレーション第4弾。全体的にポスト・ダブステップ寄りのセレクト。というかこのシリーズ知らなかったな。 《試聴》

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◆Fabric 75: Maya Jane Coles

Fabric 75

Fabric 75

人気MixCDシリーズFabricの75番はロンドンをベースに活躍する日英ハーフの女性DJ/プロデューサー、MAYA JANE COLESが登場。ディープ・ハウス&ミニマル・ハウス中心のセレクト。 《試聴》

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◆Enjoy the silence vol.3 / V.A.

Enjoy The Silence vol.3

Enjoy The Silence vol.3

日本発ドイツ経由のダンスミュージックレーベル、Mule Musiqアンビエント・コンピレーション・シリーズ最新作。静謐で清浄な空気の中での囁くような電子音が心地よい。《試聴》

◆Hyperdub 10.1 / V.A.

今年10周年を迎えるダブステップ/ベースミュージック・レーベルHyperdubが記念として4部作のコンピレーションアルバムをリリースすると発表、そして第1弾である『Hyperdub 10.1』はよりフロア向けの作品を集めた2枚組となる。 《試聴》

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◆Reachy Prints / Plaid

Reachy Prints [輸入盤CD] (WARPCD250)

Reachy Prints [輸入盤CD] (WARPCD250)

Warpレーベルのベテラン・ユニットPlaidが結成25周年を記念してリリースしたニューアルバム。美しくもまたエモーショナルなサウンドで構成された作品が並ぶ。 《試聴》

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◆Live Excursions / Cv313

Live Excursions

Live Excursions

デトロイトのミニマル・ダブ・ユニットCv313が、作品をリリースする以前にレコードショップで行ったライブ音源をCD化した初期作品。ドローン系のぶわぶわとした残響音が1時間半にわたり鳴り響く。 《試聴》

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◆Live at Primary / Cv313

Live at Primary

Live at Primary

同じくCv313が昨年8月にシカゴのクラブPRIMARYで行ったライヴ音源のCD化作品。前出『Live Excursions』と比較すると遥かにビートを押し出したダンサンブルかつディープなミニマル・ダブを展開している。 《試聴》

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◆Pablo Valentino Presents Japan Tour 2013

Pablo Valentino Presents Japan Tour 2013

Pablo Valentino Presents Japan Tour 2013

フランス出身のDJ、Pablo Valentinoが自身のレーベルFACES RECORDSからセレクトしたデトロイト・ビートダウン系のコンピレーション。黒いヴァイヴスとグルーブ感溢れる1枚。 《試聴》

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20140702(Wed)

[]キジ・ジョソスンのSF短編集『霧に橋を架ける』を読んだ キジ・ジョソスンのSF短編集『霧に橋を架ける』を読んだを含むブックマーク キジ・ジョソスンのSF短編集『霧に橋を架ける』を読んだのブックマークコメント

霧に橋を架ける (創元海外SF叢書)

不思議な別れと出会い。危険な“霧”の大河に初めて橋を架けようとする人々の苦闘と絆―表題作を始め数々の賞に輝く11編を厳選。ヒューゴー賞ネビュラ賞世界幻想文学大賞受賞作収録。

《創元海外SF叢書》、第1回配本の『旋舞の千年都市』が面白かったので第2回配本となったキジ・ジョンスンのSF短編集『霧に橋を架ける』を読んでみた。作者キジ・ジョンスンの作品を読むのはこれが初めて。でまあ、先に書いちゃうとオレにはちょっと合わなかったな。ちょっと観念的過ぎるし、妄想が妄想のまま完結していて地に足がついておらず、そこで起こるシチュエーションに対して湧き上がる情動が中心に描かれ、物語の理由付けが唐突で説得力が無い。女性作家だからなのかなあ。

収録作品はSF的な作品といわゆる「奇妙な味」的な文学寄りの作品が半々。 猿が舞台で消える、という演目をする女を描く「26モンキーズ、そして時の裂け目」は消えることの謎よりも猿との心の交流と喪失の寂しさばかりが描かれて奇想が奇想のまま終わっている感。「スパー」は宇宙船の事故により不定形の異星人と狭い救命艇に閉じ込められる女の話。女と異星人は密着したままいわゆる「ファック」している状態が延々と続く。どこかセックス忌避の臭いがする。「水の名前」は誰からともなく掛かってきた海の音がするだけの電話の話。これも雰囲気中心。「噛みつき猫」は不仲な親のいる子供が噛み付いてばかりいる猫を飼う、というお話。噛み付き猫はやるせない子供の攻撃心の暗喩なのだろうが、ドラマが足りない。

「シュレディンガーの娼館(キャットハウス)」はタイトル通り「シュレディンガーの猫」と「娼館(キャットハウス)」をかけたもので、その不確定性の娼館に閉じ込められた男の話。ここでもセックスが汚いもののように妙に客観的に描かれる。「蜜蜂の川の流れる先で」では大量の蜜蜂が川となって流れる様が描かれ、主人公の女はその川の上流を目指そうとするが、まず蜜蜂である必然性が感じられない。ラストは女の飼う病気の犬と生と死の秘密が関わってくるが、この設定も牽強付会。「ストーリー・キット」では一人の女性作家が古代ローマ叙事詩『アエネーイス』に登場する悲劇の女王ディドーと自らを重ね合わせる。女性作家には浮気のせいで離婚した旦那がいたらしいが、自分の心を代弁するのにいちいち古代ローマ叙事詩とか持ちだすような女だから男も鬱陶しかったんじゃないかと思うけどね。「ポニー」は架空の生物ボニーを巡る少女たちの確執を描くドラマ。少女の持つ意地悪で残酷な側面が実にシリアスに描かれて、これはこれで悪くないんだが、作者は苛められっ子だったのか…などと邪推してしまう。

タイトル作である中編『霧に橋を架ける』はどことも知れぬ惑星のどことも知れぬ土地が舞台。そこでは毒性を持ち人を襲う魚のいる霧が川となって二つの街を分かち、そしてその霧に橋を掛けようとある男がやってくる、というお話。タイトル作だから一抹の期待を掛けたがやっぱりこれもダメ。異様な「霧」の設定が最初にポンと投げ出されるだけで、あとはドラマらしいドラマが全く構築できていない。「橋を架けることの苦難」についての想定内のことしか起こらないのだ。だから異様な霧、という設定の必然性が無い。

ラスト「《変化》後のノース・パークで犬たちが進化させるトリックスターの物語」は動物が喋るようになっちゃった世界で、捨てられて行き場の無くなった飼い犬に主人公が助けの手を出す、というお話。これまでの作品も動物三昧だったし、多分作者は動物好きで、殺処分への抗議としてこんな作品が書かれたのだろうが、まずそれだけ捨て犬が増えたんなら行政がどうにかしなきゃならない話だし、さらに喋るとなると知的生物として扱わなけりゃならないから国家ぐるみできちんと考えなきゃならない事態の筈なんじゃないだろうか。それを犬大好き主人公は果敢にも一人でなんとかしようとするんだよな。個人的な問題に置き換えたいのは分かるが、結局問題を個人へと矮小化してはいないだろうか。



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20140701(Tue)

[]そして殺す。〜映画『300 <スリーハンドレッド> 〜帝国の進撃〜』 そして殺す。〜映画『300 <スリーハンドレッド> 〜帝国の進撃〜』を含むブックマーク そして殺す。〜映画『300 <スリーハンドレッド> 〜帝国の進撃〜』のブックマークコメント

■300 <スリーハンドレッド> 〜帝国の進撃〜 (監督:ノーム・ムーロ 2014年アメリカ映画)

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  • 紀元前480年、100万のペルシャ帝国軍勢にたった300人のスパルタ人兵士が挑み、そして殺した「テルモピュライの戦い」を描く歴史アクション映画『300 <スリーハンドレッド>』の続編です。IMAX3Dで観ました。
  • 実は今回の映画、前作で【変態大王】の名をほしいままにしたペルシャ帝国王クセルクセスが主人公となり、ギリシャの腰抜け諸国を蹂躙し殲滅しそして殺す映画だと思ってたんですよ。いやあクセルクセス、ハゲで半裸でクネクネしてて面白かったよなあ。
  • でもそうじゃなくて前作『300 <スリーハンドレッド>』と半ば物語を交差させながらもうひとつの戦いを描く、という作りになってたんですね。どちらにしても殺したり殺されたりそして殺すのは変わりありませんでしたが。
  • 今作で中心となるのはアテナイのテミストクレス将軍(サリヴァン・ステイプルトン)と、ペルシャ帝国軍の女豹アルテミシア(エヴァ・グリーン)との大海戦です。なにしろ殺します。「まあもともとコミック原作の映画だしこの辺創作だろ」とばかり思ってたんですが、「サラミスの海戦」というれっきとした史実を基にしているんですね。もちろんアルテミシアの運命等史実通りではないにせよ、これはこれで十分なスペクタクルでした。そして殺してましたしね。
  • それと併せ、クセルクセスがどのようにしてハゲで半裸でクネクネした【変態大王】となったのかが描かれていて愉快でした。個人的にはもっとクセルクセスを出ずっぱりにしてその変態さを心行くまで堪能したかったんですが。まあとりあえず殺してましたから満足ですが。
  • なにしろ敵役であるゴスっ子・アルテミシアが女だてらに戦闘能力が高くて残忍なのが今回の見所でしょう。ただ、物々しく登場した割には最初の海戦で立て続けに破れる所はちょっと期待外れでしたが。でもそのあと破壊神の如く盛り返すよ!そして殺すよ!
  • それに対してテミストクレス将軍は格好いいことばかり言ってますが少々精彩に欠けます。前作の主人公だったスパルタのレオニダス王が非常にカリスマ性の高い描かれ方をしていたので、地味に見えちゃうんですね。それでも殺す時は殺します。
  • あと、アメリカ資本の映画らしく、主人公が「民主主義がッ!!」とか「自由がッ!!」と吠えまくってたのが前作に引き続きシラケました。確かに古代ギリシャの時代から民主主義の概念はあり、それは奴隷の存在が前提だったり女性に市民権がなかったりという瑕疵こそあれ、先見的なものであったでしょう。ただこの映画で使わるとどうにもアメリカ覇権主義の臭いがするんだよねえ。
  • 今作は前作の監督であったザック・"「エンジェル・ウォーズ」のことを黒歴史ってゆうな"・スナイダーさんではなく、ノーム・ムーロさんという方が監督を務めておりますが、ザックさんに及ばずともなかなか頑張っていたと思います。そして殺してましたし。
  • とりあえず、殺すシーンがたっぷりあり、殺されるシーンもたっぷりあり、大量殺戮の様子をたっぷり堪能できる映画としてなかなか良い出来栄えだったのではないでしょうか。なにしろ殺して殺してそして殺す映画でしたね。そして殺す。
  • なお前作『300 <スリーハンドレッド>〜新たなる希望〜』今作『300 <スリーハンドレッド> 〜帝国の進撃〜』に続き、3作目として『300 <スリーハンドレッド> 〜スパルタの帰還〜』が予定されているというのは嬉しいですね。その後時間を遡り『ファントム・ペルシャ』『クセルクセスの攻撃』『ギリシャの復讐』とサーガは作られていくようです。すいません全部スターウォーズネタの冗談です。そして殺す。

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300(スリーハンドレッド) (Shopro world comics)

300(スリーハンドレッド) (Shopro world comics)

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