Hatena::ブログ(Diary)

メモリの藻屑、記憶領域のゴミ

20140930(Tue)

[][]貧乏村のドタバタ悲喜劇〜映画『Peepli [Live]』 貧乏村のドタバタ悲喜劇〜映画『Peepli [Live]』を含むブックマーク 貧乏村のドタバタ悲喜劇〜映画『Peepli [Live]』のブックマークコメント

■Peepli [Live] (監督:アヌシャー・リズヴィ 2010年インド映画)

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『Peepli [Live]』はインドの貧困農村を舞台に繰り広げられるブラックな社会派風刺劇だ。タイトルの「Peepli」は舞台である「ピープリー村」のこと。また、製作をアーミル・カーンプロダクションが手掛けている。

主人公はピープリー村に住む貧乏こじらせまくった水呑み百姓ナッター(オームカル)。ナッターは憂鬱だった。銀行に借金を返せず、土地を売り飛ばさなければならなくなってしまったのだ。しかし家には年老いた母と兄、そして嫁と3人の子供たちがいる。土地を売ってはもう生計を立てることも出来ない。そんな折、ナッターは政府が貧困農家救済と称して、借金苦で自殺した農民には遺族に多額の見舞金を出すという事を知り、自殺を公言する。そんなナッターを地元の記者が新聞に取り上げたところ大騒ぎ。「こんな社会でいいのでしょうか!?」群がるTV局と目立ちたがり屋の政治家、警備にあたる警察官。さらには物売りやら移動遊園地まで現われ、ピープリー村はお祭り状態に!?でも、ナッターを助けの手を差し伸べる人は誰もいなかった…。

踊り無し、歌もほんのちょっと(「貧乏節」みたいな歌)、104分というタイトな上映時間、主演はどこにでもいそうな地味なおじさん、他の登場人物もまとめてしょっぱい方たちばかり、もちろんヒラヒラサリーのグラマー女優の登場は無し、そして描かれるのは埃まみれの寂しい農村、というインド映画らしからぬ挑戦的な低予算映画である。「自殺農夫への見舞金」というのはあくまでフィクションだろうが、それを中心としてシニカルなドラマが展開してゆく。「自殺して金を手に入れるしかない」と苦渋の決断をした男を相手に、砂糖に群がる蟻の如くマスコミがわらわらと群がり、他局に負けじと報道合戦、政治家たちは選挙利用の為にTVカメラの前で鷹揚に演説をぶち、人が集まる場所は金になるからと屋台がピープリー村に並び立つ。しかしこの狂乱の中で、誰一人として貧困にあえぐナッターを助けるわけでもなく、自殺を止めようとすらしないのだ。この寒々しい不条理感。

物語の中心となるのは困窮するインド農村の実情というよりも、目的化したセンショーナリズムに踊るマスメディアの愚昧な姿だ。そして利己的な政治家と事なかれ主義の政治だ。報道の為とナッター一家にまるでプライヴェートなど与えず、しまいにはこっそり外で用をたそうとしたナッターをカメラで追いかけ、その「用をたした跡」を物々しい口調で報道してしまう。政治家たちはピープリー村で使うことができないポンプや、電気の無いナッター家にTVを贈呈し、勝手に鼻高々になっている。そんなTVクルーの中に『Gangs of Wasseypur』『めぐりあわせのお弁当』のナワーズッディーン・シッディーキーの顏があったのがちょっと嬉しかった。物語はこうしたドタバタを醒めた視点で淡々と描き、誇張や作為的な笑い、突拍子もない展開を入れることなく、生真面目なほど正攻法で描いている。そういった部分で意外性が少なく、娯楽作として観るには難があるが、シニカルで批評的な寓話として楽しむことはできるだろう。

そしてこんな騒ぎの中、主人公ナッターはいつも途方に暮れた顔をして画面の中に佇む。このナッター、インドの佐藤蛾次郎とでも言いたくなるような、失礼ながら不細工なおっさんで、なんともいえないペーソスを醸し出している。そのナッターを取り巻く家族の面々も、どうにも残念な雰囲気が出ていて香ばしい。寝たきりのくせしてやたら喧しい婆さん、ひたすらガミガミうるさいだけの嫁、存在感希薄な兄。ただし子供たちだけは貧乏などおかまいなく元気。兄以外の家族は、「ナッターの自殺宣言」を知ってか知らずか、まともに受け止めることもせず、困窮するナッターをほっぽらかしだ。どうにもショボショボなこの家族の情景に、オレは根本敬の特殊マンガに出てくる「村田藤吉一家」を思い出してしまった。ある意味この『Peepli [Live] 』、サディスティックな現実にただただ頭を垂れ、なすすべもなく耐え忍ぶ村田藤吉を描く連作短編、『生きる』のインド版なのかもしれない。

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20140929(Mon)

[][]神様なんて訴えてやるッ!?〜映画『OMG Oh My God ! 』 神様なんて訴えてやるッ!?〜映画『OMG Oh My God ! 』を含むブックマーク 神様なんて訴えてやるッ!?〜映画『OMG Oh My God ! 』のブックマークコメント

■OMG Oh My God ! (監督:ウメーシュ・シュクラ 2012年インド映画)

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地震で自分のお店が潰れちゃった主人公の男が、「天災なんて起こした神様なんて訴えてやる!」と宗教団体相手に裁判を起こしちゃう、という珍妙奇天烈な映画です。しかしその裁判のさなか、なんとホントの神様が主人公を訪ねてやってきちゃう!?というトンデモ展開が待ち構えているんですよ!

主人公の名はカーンジー・ラールジー(パレーシュ・ラワル)、彼は神像を売る古物商ですが、実は神様なんて全然信じてない無神論者。そんな彼の日常が、地震により彼のお店だけが倒壊することで大きく変わってしまいます。保険に入っているから大丈夫、と思っていたら、契約では「天災被害は保険対象外」となっていることを知り、「だったら天災を起こした天とやらを訴えてやる!神様と裁判だ!」などと斜め上の方向に怒り狂っちゃうんです。そしてその訴状は全国の宗教団体に送られ、かくしてカーンジーと宗教団体との喧々諤々の法廷闘争が巻き起こりますが、そのカーンジーの前に奇妙な男が現れます。どうやらその男、神様のようなんですが、カーンジーは何故か気が付かなくて…。

この『OMG Oh My God ! 』、神様相手の裁判、なーんていうSFチックな寓話を通して、神と宗教にまつわる問題提起をしつつ、きちんと楽しめるコメディに仕上げた非常に秀逸な作品でした。天災を起こしたのは神様なんだから神様を訴える!という発想自体素っ頓狂なんですが、この「天災」という言葉、英語では「Acts of God」という立派な熟語で、「神の成せる業」即ち「不可抗力」という意味なんですね。だから考えようによっちゃあこの映画、テーマ自体がダジャレみたいな発想から成り立っているともいえるんですよ。勿論この映画はインドのヒンディー語映画ですから、ヒンディー語では「天災」がどういう表現なのかは分からないのですが、意外と近い表現だったりするのかもしれませんね。

しかし実際の所、いるのかいないのかわからない神様相手では裁判にはなりませんから、その神様を取り扱う様々な宗教団体を相手に裁判をする、という矛先の転換をしているのがこのお話のポイントです。ですから話の中心となるのは神の存在の有無やその責任、ということではなくて、「宗教って御大層なことばかり言ったりやったりしてるけど、ホントのところ人を救ってるの?」という部分にスポットが当てられるんです。つまり神を否定したり糾弾したりするのではなく、宗教というものの体質の在り方を問い掛けようとするのがこの物語なんです。この辺、神とか宗教とか、非常に扱い難いテーマを実に上手くエンターティメント作品として料理したなあ、と感じました。ただしその各種宗教団体を代表して裁判にやってきた教祖様の面々がどいつもこいつも怪しげで、実に可笑しいのと同時に「こんなやっちゃって大丈夫か!?」とちょっと心配になってしまった程です。

映画は前半カーンジーの演じるドタバタと、後半教祖様相手の法廷劇といった形で進行してゆきます。そしてこんな物語にアクセントを加えるのが天からやってきた神様の存在です。この神様、法廷で何か証言したりということはなく、「宗教の在り方」を論じあう法廷を興味深く見守り、そしてカーンジーに「そもそも宗教ってなんなのだろう?」ということを優しくアドバイスするんです。この会話を通してカーンジーは、無神論者なのにもかかわらず、胡乱な宗教団体相手に「正しい宗教の在り方」を論じることになり、それによりカーンジー自体が一人の教祖のように民衆から支持を集めてしまうんです。こういったどこか皮肉な逆転現象を描くところがまた秀逸な物語です。そしてこの「神様」を演じるのがアクシャイ・クマール。彼独特の鷹揚な演技は、神様役が実に似合っていて素敵でした。人と神と宗教の関わりを描くこの物語は、宗教の国インドらしい物語として高く評価できるでしょう。

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20140926(Fri)

[]サイモン・ペッグ主演映画2本観た〜『変態小説家』『ビッグ・トラブル』 サイモン・ペッグ主演映画2本観た〜『変態小説家』『ビッグ・トラブル』を含むブックマーク サイモン・ペッグ主演映画2本観た〜『変態小説家』『ビッグ・トラブル』のブックマークコメント

■変態小説家 (監督:クリスピアン・ミルズ 2012年イギリス映画)

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ジャック・ニコルソン主演で『恋愛小説家』という映画があったが、こちらは『変態小説家』である。変態の小説家なのか。変態小説を書く作家なのか。気になるところであるが、物語では実際は犯罪小説家ということになっている。主演は『ワールズ・エンド 酔っ払いが世界を救う!』『宇宙人ポール』のサイモン・ペッグサイモン・ペッグはオレのお気に入りの俳優だ。だからこの映画を観ようと思ったのだ。そしてそのサイモン・ペッグが一人部屋に閉じ籠り小汚いブリーフ1枚の姿で七転八倒する、といった映画なので、あながち変態的と見えないこともない。まあ原題は『A Fantastic Fear Of Everything』だから実は変態とは全然関係ないのだが。

サイモン・ペッグ演じる主人公ジャックは犯罪小説家なのだが、冷酷な殺人者のことを書いてる資料ばかり読み過ぎ、「自分も命を狙われているんじゃないか!?」という誇大妄想に至る。小汚い一人住まいのアパートで物音に怯え揺れる影に恐怖し神経衰弱の一歩手前まで追いつめられるジョン。そんなジョンはある日、ハリウッドの大物と会わなければならなくなったのだが、いかんせん着ていく服がない。「そうだ、コインランドリーに行こう…」意を決して表に出たジョンだったが…。

とまあ要するにパラノイアに取り付かれた男のドタバタを描く物語である。イギリスらしい暗く湿ったブラックユーモアが独特の風味を醸し出しているお話だ。サイモン・ペッグが髪振り乱し表情を歪め目を三角にし、あっちでわあわあこっちでわあわあやっている情けない姿をうっとりと愛でる、というサイモン・ペッグ・ファンにはえもいわれぬ愉しみに満ちた心ときめく映画でもある。逆に言えばサイモン・ペッグを知らない・興味の無い方には「ババッチイおっさんが一人で騒いでる変な映画」としか見えなくもないので注意が必要である。もちろん個人的には大層面白く観ることのできたが。

後半はなんとかコインランドリーに入ることのできたジョンの悪戦苦闘が描かれるが、なんとここでジョンが「殺人鬼恐怖症」ばかりか「コインランドリー恐怖症」であることが明らかになる。まあその原因があれこれ説明されるが、ジョンさんホント難儀な方なのね…。しかもある間違いで強力接着剤で手にナイフをくっつけたままだ!このナイフのせいで大騒動に発展し、さらにとんでもない危機に至っちゃうジョンさん!ジョンさんの明日はどっちだ!?

それにしてもサイモン・ペッグ、この作品もそうなんだが『バーク・アンド・ヘア』や下で紹介する『ビッグ・トラブル』みたいにブラックな味わいのコメディがホントに好きみたいだね。この作品では製作総指揮も務めてるぐらいだし。

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変態小説家 [DVD]

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■ビッグ・トラブル (監督:ジャン=バティスト・アンドレア 2006年イギリス/カナダ映画)

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サイモン・ペッグ作品でもう一本何か観てみようと思い、あれこれ探してみたら『ビッグ・トラブル』という聞いたことのないタイトルが。んーなんか地味そうだなあ地雷かなあなどと思いつつ観てみたら…うわあなにこれ、かなり面白いぞこの映画!?

ジャンルとしては犯罪モノ、それもブラック・ユーモアがたっぷり。主人公は作家志望ながら現在失業中のチャーリー(デヴィッド・シュワイマー)。家計は警察官である妻ペネロペ(ナターシャ・マケルホーン)の収入でやりくりしていたが、それでは情けないと探した仕事がコールセンター。そしてそこで知り合った同僚のガス(サイモン・ペッグ)に、チャーリーは「エロ神父恐喝計画」を持ちかけられてしまう。計画にはガスの元カノであるジョージー(アリス・イヴ)も参加、チャーリーは嫌々ながら引き受ける。計画当日、神父の家に行ったガスだが、そこで待っていたのは拳銃を持った男だった。発射される拳銃、そして家に飛び込んだチャーリーが見たのは血塗れで横たわる男の死体だった。

その辺のしょーもない連中が「絶対上手くいく」と目論んだ”単純な”犯罪計画だったが、不測の事態が次々に起こり、ボロの出まくった計画をなんとか軌道修正しようとして、さらに窮地に至ってしまう。単なる恐喝だった筈の計画なのに、次から次に死体が転がり、ヤバさは天井知らずになっているのに、今さら計画を止めることもできない。しかも警察には嗅ぎつけられ、おまけに仲間が裏切りを企てていたことも発覚し、泥沼の緊張状態は最高潮に達してゆく。

嘘、隠蔽、言い逃れ、裏切り、共謀、対立、攻撃、ギリギリの状況での人間心理が巧みに描かれた物語だが、実のところ同様なテーマを持つ他の作品と比べて優れていると言い切ることは難しい。なにしろオレはこのテの化かし合い騙し合いをメインとしたドロドロの犯罪心理劇映画が苦手なのであまり観ておらず、比較対象を挙げられないのだ。そんな自分がこの作品を面白く観られたのは、まず主人公チャーリーがごく普通の常識と知性と倫理観を持った男であり、なりゆきで犯罪に関わったものの常に良心の呵責を覚えているといった部分だ。描き方によっては「煮え切らない男」になってしまうが、アンモラルに徹した生粋の犯罪者というわけではない、という部分で感情移入が楽なのだ。

そしてガスの中途半端なダメさと小物感だ。ガスは愚か者だが、彼もまたギンギンに生粋の犯罪者という訳ではない。だからどこか哀れでもあり、同時に可笑しくもあるのだ。サイモン・ペッグのコメディ・センスはこんなキャラにぴったりであり、まさに彼だからこそ嫌みなく演じることができたのだろう。さらにもう一人の相棒となる元カノ・ジョージーは、グダグダの男二人の間で的確な状況判断を見せる、という頭の良さがキャラ立ちしていて、実に程よいコントラストを見せてくれるのだ。そして死体の多い犯罪ドラマだが笑いが適度で物語が重くない。適度などんでん返しもある。こういった部分できちんとエンターティメントしていた部分が楽しめた。

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ビッグ・トラブル [DVD]

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20140925(Thu)

[]バンドデシネ2作〜『ルチャリブレ -覆面戦隊ルチャドーレス・ファイブ』『わが名はレギオン』 バンドデシネ2作〜『ルチャリブレ -覆面戦隊ルチャドーレス・ファイブ』『わが名はレギオン』を含むブックマーク バンドデシネ2作〜『ルチャリブレ -覆面戦隊ルチャドーレス・ファイブ』『わが名はレギオン』のブックマークコメント

■ルチャリブレ -覆面戦隊ルチャドーレス・ファイブ / ジェリー・フリッセン, ビル, 原正人

ルチャリブレ -覆面戦隊ルチャドーレス・ファイブ

負け犬ヒーローたちのゆる〜い戦いの日々!?古代アステカ文明のミイラの生まれ変わりを任ずる5人は、メキシコのプロレス・マスクをかぶり、ルチャドーレス・ファイブとして、人々の嘲笑に耐えながらも世界を救い続ける……。突如出現する怪獣、謎の宇宙飛行士、ライバルのフランス人ヒーロー! 覆面戦士たちに休息はない!

メキシカン・スタイルのプロレス、ルチャリブレは覆面レスラーが多いのが特徴だが、そのルチャのマスクを被った5人の自称ヒーローが、ロサンゼルスの街を舞台に活躍する!というコミカルな物語。とはいってもそこはバンドデシネ、アメコミのマスクド・ヒーロー・ストーリーとはかなり趣が違う。

5人のマスクマンはその辺の一般人だが、かなり自堕落な生活を送るしょうもない人たちだ。彼らがマスク姿で活躍する様も、正義をモットーに悪を討つ!といったものではなく、同じくマスク姿の別派閥の連中たちと小競り合いを繰り返している、といった程度のものなのだ。つまりアメコミ・ヒーローの中心的なテーマである「自警団としてのヒーロー」「善と悪の戦い」という要素が全く欠落しているのである。

これはどういうことかというと、様々な人種がそれぞれにセクト社会を持って構成されているアメリカの、そのセクトにあるチンピラ同士が抗争を繰り広げている様子をこの物語では描こうとしているからだろう。そのセクトは彼らのマスクの違いで分かり易く分離されるが、面白いのは彼らに「マスクを被らない表の顔」「マスクを被った裏の顔」という区分けが全くないということだ。なにしろマスクはセクトの象徴だから、表も裏もなくいつもマスクを被っているのは当たり前、ということなのだ(そしてセクトを抜けようとしたものがマスクを脱ぐ)。

敵役になるキャラクターも変わっていて、狼男、半魚人、フランス人怪盗団、宇宙飛行士、怪獣など、バラエティの富み楽しい。こういった具合に、同じマスクド・ヒーローを描きながらアメコミの表現とは違う方向にある、という部分でこの『ルチャリブレ』は面白かった。また、キャラクターもデフォルメが効いていて可愛らしく、色遣いも明るくて、日本のコミック・ファンにも受け入れられやすい作品じゃないかな。

■わが名はレギオン / ファビアン・ニュリ,ジョン・キャサディ,原正人

わが名はレギオン

ナチスが開発した史上最悪の吸血鬼兵器! ナチスがルーマニアのブカレストで遂行していた極秘プロジェクト、コードネームは「レギオン」。それは特殊な能力を持つルーマニア人少女・アナの力を利用し超人兵士部隊を作ろうという計画だった─第二次世界大戦前夜のイギリスと吸血鬼伝説が息づくトランシルヴァニアを舞台に繰り広げられる超一級のサイコサスペンス!

ナチの開発した吸血鬼兵器を巡り、イギリス諜報部、ルーマニア人レジスタンス、ナチス・ドイツ、そして吸血鬼とが熾烈な争いを繰り広げるといった物語だ。そこでは極秘の諜報活動、決死の潜入作戦、奇怪な陰謀、銃弾と爆炎にまみれた戦闘行為が描かれ、その中から「人を自らの血で操ることのできる吸血鬼」の真相が徐々に明らかになってゆく。

ただし登場人物が多く、少々複雑な物語構成であるため、読み進めるのはちょっと根気が必要かもしれない。また、戦闘シーンはあるものの、どちらかというと陰謀術策を中心とした謎めいた展開が主となり、「ナチと吸血鬼」といったテーマから想像するような派手でシンプルな活劇を期待すると肩透かしを食うだろう。

ただどちらにしろ、「人を自らの血で操ることのできる吸血鬼」って軍事兵器としてそれほどのものではない気がするし、これでここまで大作戦が遂行されるかなあ、といった疑問も湧く。同じナチでオカルトならまだクトゥルーの神を呼び出しちゃう『ヘル・ボーイ』のほうが大風呂敷の広げ方では面白かったんだが。

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20140924(Wed)

[]『ベヨネッタ2』やったった!! 『ベヨネッタ2』やったった!!を含むブックマーク 『ベヨネッタ2』やったった!!のブックマークコメント

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待ちに待った『ベヨネッタ2』が遂に発売ですよ!いやー『ベヨネッタ』大好きだったなー、ボンテージ・ルックに眼鏡を掛けた10頭身美女が両手両足に銃を装着し時には黒魔術を使い獰猛な天使たちを狩ってゆく!というお色気魔女っ子アクション『ベヨネッタ』、そのセクシー描写があんまり度が過ぎてて半分ギャグに見えてしまったという「潜在的バカゲー」で、もうプレイしていてこんな楽しいゲームはなかったですよ。

2009年にリリースされたまま続編製作は長らくアナウンスが無かったんですが、2012年遂に続編製作が発表され、この日まで首を長くして待ってましたよ。5年振りの続編ってことなんだもの。いやオレ、ゲーム好きだけどこんなに続編を待望したのは『ベヨネッタ』が一番じゃないかと思いますよ。今回プラットフォームを任天堂WiiUに限定したものですから、この『ベヨ2』をプレイするために持ってなかったWiiUをわざわざ買っちゃいましたよ!もうオレにとってWiiUはベヨ様専用ゲーム機で構わないぐらいですよ。

しかもこのWiiU版、なんと『ベヨネッタ』1作目が同梱です!うおお太っ腹!つまり1作分のお値段で2作のゲームができちゃうんだね!なんてお得!だからあんたもWiiU込みで『ベヨ2』買っちゃいなさいよ!そしてこの『1』をちょろっとやった後に『2』を始めたら、オープニングが舞台を変えつつ『1』と同じ流れにしていたのが分かってまた嬉しかったね。今作での解像度は調べてないんだけど、前作のXbox360版、PS3版と比べても全然綺麗になってますよ。ええ、『1』はXbox360版とPS3版両方プレイしたから分かるもの!WiiU版『1』、『2』含めほぼ60fpsで動くみたいです。

ストーリーは前作から数か月後、平和になった筈の世界でまたもや天使たちが暴れ始めて人々を襲う、というもの。ベヨ様が再びこれを倒しますが、共に戦っていたジャンヌが魔界に引き込まれ、その魂を救う為に魔界への入り口があるという神秘の山へと向かいます。そこで謎のパワーを持つ少年ロキと出会い、共に山脈の高みへと目指すわけです。

前作ではわらわらと現れるザコを次から次に倒すといったものでしたが、この『2』ではザコは控えめで、その代わり章毎にカタい中ボスを配し、それとの死闘を中心にアクションをすることになります。大魔獣の召喚魔法をしょっちゅう出せるようになりましたが、全体的にシステム等でそれほど大きな変更点は無いんじゃないかな。むしろ最も大きな変更点はベヨ様がショートカットになったことと言ってもいいでしょう。いやー、ショートになってもベヨ様素敵だわ。

また、WiiU独特の仕様は、ゲームパットのタッチペンでアクションが繰り出せちゃう、といった部分でしょうか。でもこれだとWiiUゲームパッドの画面と首っ引きでゲームやることになっちゃって、TV画面見る暇がないのね。逆に言うと、かさばるWiiUゲームパッドじゃなくてコントローラーでプレイしても支障ないってことだね。

というわけでベヨ様の華麗なアクションをこれからしばし楽しみたいと思うとります。…で、3作目の発表はまだ?

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ベヨネッタ2 [オンラインコード]

ベヨネッタ2 [オンラインコード]

20140923(Tue)

[]最近聴いたエレクトロニック・ミュージック / The Sound Of DJ International/Underground , Marcel Dettmann , Deetron , FKA Twigs , Faltydl , My Panda Shall Fly , Moire , Modeselektion 最近聴いたエレクトロニック・ミュージック / The Sound Of DJ International/Underground , Marcel Dettmann , Deetron , FKA Twigs , Faltydl , My Panda Shall Fly , Moire , Modeselektionを含むブックマーク 最近聴いたエレクトロニック・ミュージック / The Sound Of DJ International/Underground , Marcel Dettmann , Deetron , FKA Twigs , Faltydl , My Panda Shall Fly , Moire , Modeselektionのブックマークコメント

◆ザ・サウンド・オブ・DJインターナショナル/アンダーグラウンド

おおっとこれは懐かしいDJ INTERNATIONAL、当時はテクノもハウスもジャンル分けが全然分からない状態で勘だけであれこれディスクを買っていたが、このDJ INTERNATIONALモノの幾つかは非常に琴線に触れたのは覚えてるなあ。特にPET SHOP BOYSがカヴァーしたSterling Voidの『It’s All Right』は好きだった。この『ザ・サウンド・オブ・DJインターナショナル/アンダーグラウンド』は85年に設立されたDJ INTERNATIONALレーベルとその傘下UNDERGROUNDレーベルの日本独自編集盤。ディスクカタログ本『ハウス・ディフィニティヴ』との連動CDで、曲数は少ないが当時のレア音源を収録。誰かコンプリート盤とか出さないかな。《試聴》

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◆Fabric 77 / Marcel Dettmann

Fabric 77: Marcel Dettmann

Fabric 77: Marcel Dettmann

Fabricの77番はベルリン・ミニマル・シーンのベテランDJ、Marcel Dettmann。彼の運営するMDRレーベルから未発表作を含む作品がセレクトされ、さらにデトロイト・テクノの傑作曲もフィーチャー、最新フロア仕様のミニマル・テクノ・ミックスを聴くことができる。今回のお勧め。 《試聴》

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◆Fabric 76 / Deetron

Fabric 76

Fabric 76

Fabricの76番はスイスのテクノ/ハウス・プロデューサーDeetron。彼の新作を思わせる歌モノ中心のドラマチックなミックス。 《試聴》

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◆LP1 / FKA Twigs

LP1

LP1

イギリスで活躍する女性シンガーソングライター、FKA twigsのデビューアルバム。アブストラクトなエレクトロニック・ミュージックにエモーショナルでセンシティブなヴォーカルがからむ。 《試聴》

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◆In The Wild / Faltydl

ニューヨークを拠点に活動するプロデューサーDrew LustmanによるプロジェクトFaltyDLのニューアルバム。ロウ・ハウス、ダウンテンポ、ジャングルなど様々な要素を盛り込んだエキセントリックなアルバムとなっている。 《試聴》

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◆Tropical / My Panda Shall Fly

Tropical

Tropical

スリランカ生まれ・ロンドン育ちのSuren Seneviratneによるユニット、My Panda Shall Flyのニューシングル。南米や東南アジアなどの民俗音楽的なアプローチを加味しながらエキゾチックなサウンドスケープを生み出している。 《試聴》

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◆Shelter / Moiré

Shelter

Shelter

Actressにより見出されたロンドンの新進気鋭ベース・ミュージック・プロデューサー、Moiréのデビューアルバム。アシッド/インダストリアル・テイストのディープダブ/ロウハウス。 《試聴》

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◆Modeselektion Vol. 03 #1

Modeselektion Vol. 03 #1

Modeselektion Vol. 03 #1

Modeselektorの主宰する人気レーベル、Monkeytown Recordsからの最新コンピ第1弾。こちらはL-Vis 1990 / Schlachthofbronx ft. Buraka Som Sistema / Illum Sphere / French Friesが収録。 《試聴》

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◆Modeselektion Vol. 03 #2

Modeselektion Vol. 03 #2

Modeselektion Vol. 03 #2

Modeselektorの主宰する人気レーベル、Monkeytown Recordsからの最新コンピ第2弾。こちらはAlex Banks feat. Elizabeth Bernholz/Onra/Henrik Schwarz/Brandt Brauer Frick feat. Vic Mensa & Om'Mas Keithが収録。 《試聴》

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20140922(Mon)

[]バレエ「白鳥の湖」を観に行った バレエ「白鳥の湖」を観に行ったを含むブックマーク バレエ「白鳥の湖」を観に行ったのブックマークコメント

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■マシュー・ボーンの「白鳥の湖」

バレエである。「白鳥の湖」である。なにをトチ狂ったのかこのオレがバレエ「白鳥の湖」を観に行ったのである。とは言ってもクラシックのそれではなく、コンテンポラリー・ダンスと呼ばれる、いわゆるバレエの現代的解釈版というやつだ(多分)。演出・振付はマシュー・ボーンという方。この『マシュー・ボーンの「白鳥の湖」』は、1995年に初演された演目であるらしい。この日は東急シアターオーブへ相方さんと二人で観に行った。

バレエのバの字も知らないオレが、この舞台を観に行くきっかけとなったのは相方さんが興味を示していたからであった。「なんじゃいな」と思って調べたところ、この『マシュー・ボーンの「白鳥の湖」』、男性が白鳥となって踊っているのである。「ほう」とオレは思った。この段階で英国の匂いがぷんぷんする。英国流の批評と皮肉、そして同性愛的な性向が見え隠れする。あにはからんや、マシュー・ボーン氏は英国人だという。それと併せ、オレはデヴィッド・ボウイやペット・ショップ・ボーイズら英国産ロック・パフォーマーの、シアトリカルなステージ構成を楽しんだ覚えがあるので、その原点ともなるイギリスのダンス・パフォーマンスを観てみたいという興味が沸いたのだ。

そして実際に観た『マシュー・ボーンの「白鳥の湖」』は、バレエには門外漢のオレが観ても素直に面白く、そして素晴らしいと思えるものだった。実はオリジナルの物語すら知らなかったし、チャイコフスキーの『白鳥の湖』だってあの有名な一節しか知らなかったオレではあるが。公演時間は休憩時間20分も含む2時間20分、この間たっぷりと楽しんだ。美しく力強く、そして十分芸術的だ。しかも決して堅苦しかったり難解だったりという敷居の高さが無く、むしろ時としてユーモラスであり、当初想像していた通り批評と皮肉がスパイスされ、さらに官能的であるのだ。

「現代的解釈」ということから、物語の舞台は中・近世のヨーロッパの王室ではなく、現代を思わせるものになっている。王室の中こそ古めかしいものであるけれども、そこでは今風のセレブやパパラッチが登場し、車があり携帯電話があり、怪しげなナイトクラブではヒップな客たちがさんざめいていたりする。しかし演じられるのは確かに『白鳥の湖』なのだ。こういった部分がまず新奇で面白い。そしてバレエのことを知らないオレでも入り込みやすい。

物語は、幼い頃から母親である女王の愛に飢えつつもそれを満たしてもらえない王子の孤独を描くものだ。その孤独から死を選ぶ王子だったが、そこで雄々しく舞う白鳥の美しさに心癒され、生きる気力を得る事になる。そんなある日、舞踏会に現れた謎の男にあのときの雄々しい白鳥の面影を見出し、王子は近づく。だが男に拒絶され、さらにその男に愛する母まで奪われ、王子は狂乱したまま悲劇へとひた走ってゆくのだ。

■マシュー・ボーンの「白鳥の湖」を解題してみる

この物語構成は、実のところ奇妙である。この舞台では、白鳥たちを上半身裸の細マッチョな男性ダンサーたちが演じ、それに王子が魅入られ惹き付けられるという部分に同性愛的なモチーフがあり、かの謎の男へと擦り寄る王子の態度も同性愛的である。だからこの演目も、英国流の同性愛的なイメージに満ちたもの、と簡単に片付けてしまってもいいのだけれども、そもそも白鳥は人間ではないし、それに思慕を覚えたところで同性愛へとは至らない。では白鳥とはなんだったのか、そして謎の男とはなんだったのか、というのがこの「現代版・白鳥の湖」の核心ではないのか。

母の愛を得られず苦悩する王子はいわゆるマザー・コンプレックスであるということもできるが、それと同時に、父親の不在は、「予め不発に終わることが運命付けられたエディプス・コンプレックス」ということができないだろうか。即ち王子には、乗り越えるべき父が存在せず、そして父を乗り越えることで獲得できる「男性性」、つまり男として生きるためのロールモデルが無かった、ということなのである。

この舞台で演じられる白鳥たちは優雅で美しくあると同時に、男性が演じることにより、野生の猛々しさと逞しさを備えた生き物として登場するのだ。その中で王子が思慕を覚えるのは白鳥たちのリーダーである。将来王室のリーダーとして期待される王子は、その中に自らの「男性性」のあるべき姿を見出したということができないか。白鳥のリーダー、ザ・スワンの腕の中に抱かれる王子は、別に同性愛に目覚めたのではなく、そこで自分自身のあるべき姿に抱きしめられたのだ。

そして舞踏会に現れた謎の男もまた、王子の理想する「男性性」の権化なのだ。謎の男は自信たっぷりに振る舞い、色気たっぷりに宮殿の女たちを誘惑する。つまり白鳥に見出した「男性性」と同様の「男性性」をそこに見出したからこそ、王子は謎の男に近づいたのだ。これもまた、同性愛の具現なのではなく、自分自身のあるべき姿に抱かれたい、という願望だったのだ。しかし、その男に母を奪われ王子は狂乱する。なぜなら、その母から溢れんばかりの寵愛を受ける筈なのは自分だったからである。つまり、自分がまだそこに至らない、自分自身の分身に、母親を奪われたからの狂乱だったのである。

こうして見ると、ファンタジックで素朴なエロスの物語であったオリジナルの『白鳥の湖』とこの『マシュー・ボーンの「白鳥の湖」』では、そのテーマとするところが180度違うことが判ってくる。このマシュー・ボーン演出は、同性愛も含めエロスの物語ではなく、「男が男であろうとすることの苦悩と悲劇」、これに尽きる。こういった、同じ演目を換骨奪胎することによりまるで違う物語にしてしまう批評性、こういった部分でも、この舞台は楽しめるものだった。

※カーテンコールは撮影してよいということだったので自分も調子に乗って撮影しちゃいました。この日は今公演で最も注目を浴びていたマルセロ・ゴメスという方の出演日だったのでラッキーだったのかも。

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20140919(Fri)

[][]インド70年の熾烈な黒社会抗争を5時間にわたって描く大長編映画『Gangs of Wasseypur』 インド70年の熾烈な黒社会抗争を5時間にわたって描く大長編映画『Gangs of Wasseypur』を含むブックマーク インド70年の熾烈な黒社会抗争を5時間にわたって描く大長編映画『Gangs of Wasseypur』のブックマークコメント

■Gangs of Wasseypur (監督:アヌラーグ・カシュヤプ 2012年インド映画)

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インド映画も割と数をこなしてきたので、この辺でデカいことをやってみようと思ったのである。デカいこと。それはオレがデカいガネーシャ像を購入しさらにもうもうとお香を焚きつめ自らの部屋をインドなテイスト満載にすることであろうか。デカいこと。それは金ピカのインドルックを身に纏いインド映画上映中のマサラナイトに降臨しマハラジャの如く振る舞い鬼神の如く踊り狂うということであろうか。デカいこと。それはインド料理屋に乗り込んでベジタリアン・ノンベジタリアン分け隔てなくスパイスたっぷりのカレーを山のように注文しわんこそばの如く次から次へと飲み干しつつ(注:カレーは飲み物です)さらにうずたかく積まれたもちもちのナンを親の仇の如く貪り食うということであろうか。いやそうではない(というか今まで挙げたこと、全部やることがちっちゃい…)。オレが成し遂げようとしたデカいこと、それは2012年公開、DVD前篇後篇2枚組、上映時間5時間19分に渡るインド映画超大作、『Gangs of Wasseypur』を観ることだったのである(前フリ長い…)。

というわけで『Gangs of Wasseypur』であります。これがまず『PART.1』で160分、『PART.2』で159分のトータル319分、つまりは5時間19分に渡るとんでもない超大作というわけなんでありますよ。ベルナルド・ベルトルッチ監督の大河作品『1900年』ノーカット版が316分といいますからまさにそれに匹敵する長さとなりますな。そしてそこで描かれるのは、インドの小さな炭鉱町ワーセープルを舞台に、1940年代から2010年代にかけての、70年にも渡るギャング同士の抗争です。実はこの作品、現在開催中の『アジアフォーカス・福岡国際映画祭2014』において『血の抗争 Part1, Part2』というタイトルで上映されており、ついでですからそのHPでの紹介文を転載しておきまでょう。

これは、インド版"仁義なき戦い"、"ゴッドファザー"です。Part1とPart2のあわせて5時間20分の大長編ドラマですが、ハマってしまったらやめられない……おもしろくて2部まで一気見してしまいます。実話に基づいて製作された作品で、対立するKhanファミリーとSinghファミリーの三世代にわたる抗争を描いた、超スペクタル復讐劇で、世界中で公開され、評判を呼んでいます。

ドラマは1940年時代から。当時、イギリス植民地支配で炭鉱開発が展開され、その後インド独立でその利権を手に入れたSingh。Singhの手下だったKhanはボスを殺して炭鉱を奪おうと考えるが、それを覚られてSinghに殺される。その息子Shadarは、Singhの弟分に助けられ、孤児として育てられる。そして20年後、大人になったShadarは、父親の敵討ちをしようと、財と権力で地域を牛耳るSinghファミリー(父と息子)の支配する街を血の海にしていく。第1部のラストはShadarが逆襲にあい、撃ちまくられ血まみれになっているが立ち上ろうとする……と、すさまじいけど、カッコいい……そんな場面の連続です。「仁義なき戦い」ファンなら泣いて喜ぶことうけあいです。

●アジアフォーカス・福岡国際映画祭2014 上映作品紹介/血の抗争 Part1, Part2 / Gangs of Wasseypur

物語はまず自動小銃を持った男たちが深夜、とある家を強襲するところから始まります。雨あられと飛び交う銃弾、炸裂する手榴弾、そして次々に倒れてゆく見張りの男たち。襲った者たちは街の有力者にして裏社会のドン、ラマディール・シン(ティグマンシュ・ドゥーリア)の配下。そして襲われている家はラマディール・シンと長きに渡る因縁を持つマフィア、ファイザル・カーン(ナワーズッディーン・シッディーキー)の一家。ここで場面は70年前の1940年代へと遡り、ラマディール・シンとカーンの一家にどのような因縁があったのかが物語られてゆく、というわけです。それはベンガルの小さな炭鉱町を舞台にした、カーン家親子3代に渡る殺戮と報復に染められた抗争の歴史です。そして同時に、イギリス統治からの独立間もないインドの小都市が、裏社会の暗躍も絡められながらどのように発展していったかという歴史を描いたものでもあるのですね。

5時間に渡って描かれる70年の物語をここで細かに説明することはできませんが、この作品を一言でいうならマフィア同士の抗争を軸とした群像劇ということが出来ると思います。映画では対立するシン家、カーン家に関わる膨大な数の人々が現われてはまた消えてゆきます。そこで人々は、争いあうだけではなく、愛しあい家族をもうけ、歓び悲しみ憎みあい、協力しあうかと思えばまた裏切りもするのです。これらの描写はどれも乾いた演出で淡々と物語られてゆきます。血生臭い殺しのシーンですらこの物語では淡々と描かれます。大仰な音楽も気違いじみた怒鳴り声も無く、男たちは無表情に、そしてあっさりと相手を殺してゆくんです。こういった、無慈悲な殺戮と唐突な死、どのような思いも呑みこんで進んでゆく歴史の流れ、その索漠とした無常感こそがこの作品の主役でもあります。

そういった、過度にドラマチックな演出を廃し、カタルシスを抑えることで、逆に登場人物たちの息遣いが間近で聞こえてくるようなリアリズムがこの作品にはあります。そしてそのリアリズムにより浮き彫りにされてゆくのが、インド小都市の歴史の変遷と、そこで生きそして死んでゆく名も無い多くの人々の生活です。この作品は非常に生々しく生活感を描いたものでもあります。そうして描かれる人々の生活の様子を彩るのが、実は音楽なのです。この作品ではありとあらゆるジャンルの音楽がBGMとして流されます。エスニックテイストの長閑な歌が流れてきたかと思うと、次にはロックが、エレクトリック・ミュージックが、さらにはダブステップまでが流れます。その多様性は驚くばかりです。インドの音楽はジャンルではなく「インドの音楽」という一括りになったもの、という話を聞いたことがありますが、このごった煮になっていながらも統一した世界観を感じさせる音楽性、そういった部分でも楽しめた作品でした。

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20140918(Thu)

[][]人生は2度無いから。男3人、スペイン旅行。〜映画『Zindagi Na Milegi Dobara』 人生は2度無いから。男3人、スペイン旅行。〜映画『Zindagi Na Milegi Dobara』を含むブックマーク 人生は2度無いから。男3人、スペイン旅行。〜映画『Zindagi Na Milegi Dobara』のブックマークコメント

■Zindagi Na Milegi Dobara (監督:ゾーヤー・アクタル 2011年インド映画)

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友人同士である3人のインド人男性が、共にスペインを旅しながら自らの人生を見つめ直す、といった物語だ。タイトル『Zindagi Na Milegi Dobara』は「人生は2度無い」という意味。

スペインを旅行する3人の男はカビール(アバイ・デーオール)、イムラーン(ファルハーン・アクタル)、アルジュン(リティック・ローシャン)。深い友情で結ばれた3人だったが、この中の1人カビールの結婚が決まり、3人揃って旅行が出来るのはもう難しいだろうから、ということでこの旅行は計画された。彼らは車に乗り、数週間スペインを見て回ることになっていた。風光明媚なスペインの光景、旅先で待つ様々な体験、そして美しい女性との出会い。それらは忙しい日常の中で見失っていた多くの物事を、3人の心に呼び覚ました。しかし、独身最後の旅行なのに、カビールの婚約者ナターシャ(カルキ・コチェリン)が途中から合流したいと言い出し、微妙な空気が流れ始める。

平たく言ってしまえば、そのまんま、観光映画である。主人公3人はスペインにやってきて、様々な観光体験をする。ダイビングで海の美しさを実感し、インストラクターの女性レイラ(カトリーナ・カイフ)とアルジュンが恋に落ちる。スカイダイビングで命懸けの痛快さを味わう。さらに大量のトマトを投げ合うトマト祭りのトマティーナ、牛追い祭りで知られるサン・フェルミン祭りを体験する。オープンカーで旅を続け、スペインの空気を胸いっぱいに味わう3人。宿泊は清潔で落ち着いた瀟洒な宿。そういった中で起こるドラマも、ちょっとした衝突や出会いや別れ、悪戯が過ぎて警察のお世話になったりなど、殆ど想像のつくようなことばかりで、何か突飛な事件が巻き起こる、ということはない。殆どの場面は、出演者が「観光旅行楽しいー!」とやっているだけだ。

旅行好きとかスペイン好きとかならまだしも、こんなありがちともいえる観光ドラマが楽しいのか?と思われるかもしれないが、オレは結構楽しんで観ていた。確かに物語はオーソドクス過ぎるぐらいオーソドクスだが、退屈することが無いのだ。これは主演の3人の抜群に息の合った演技が功を奏しているからなのかもしれない。3人のキャラクターはそれぞれ魅力的だし、彼らの背負った人生と、それが旅を通してどう変わっていくのかも、とても丁寧に描かれていた、というのもあるだろう。総じて、実に手堅く誠実なドラマ作りが成されていた。一歩間違えると嫌味になってしまう題材を上手く料理していたと思う。もちろん、美しく撮影されたスペインのそこここの光景が実に魅力的に映えていたということも忘れてはならないだろう。強烈に惹き付けるものはないにせよ、端正な作りが好印象な作品だったということができるだろう。

また、ほぼ全編スペイン・ロケということで、ロケーション的にはインド映画臭さを匂わせるものは皆無なのにもかかわらず、結婚を巡るストーリーであること、友情についての物語であること、そういった点においてスペインが舞台でもインド映画らしさがぷんぷんしている、といった部分が面白かった。個人的には『Agneepath』で強烈な存在感をアピールしていたリティック・ローシャンを再び画面で観ることが出来たのが嬉しかった。意外とこの俳優好きかな。カトリーナ・カイフは現代的な美人女優だが、カジュアルな雰囲気がとてもいい。ただ、カルキ・コチェリンだけはどうも苦手で、『Yeh Jawaani Hai Deewani』にも出演していたが、その時も画面に妙な違和感を抱きながら見てしまっていた。

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20140917(Wed)

[][]愛はまたしても二人を引き裂く〜映画『Rockstar』 愛はまたしても二人を引き裂く〜映画『Rockstar』を含むブックマーク 愛はまたしても二人を引き裂く〜映画『Rockstar』のブックマークコメント

■Rockstar (監督:イムティヤーズ・アリー 2011年インド映画)

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2012年インドで公開されて大ヒットを飛ばした映画『Rockstar』である。タイトルが「ロックスター」である以上ロックスターの物語で間違いない。

しかし、インドでロックスターというのがピンと来ないのである。もちろんこれはオレが無知なだけな話で、検索するとあれこれ出てくる。ただ、インド映画のサウンドトラックを聴いても、それは〇〇調、みたいなものではあっても、細かくジャンル分け出来るものではなく、むしろ様々なジャンルが融合した「インドの音楽」としか言いようのないものとして出来上がっているのだ。そして、それがまた素晴らしいのだ。だから逆にあえて「ロック」みたいな形でジャンルに押し込めると、「インドの音楽」としての素晴らしさが殺されちゃわないかな、なんて危惧もあった。それと以前、アル中ポップ・スターの悲劇を描いたインド映画『Aashiqui 2』(レヴューはこちら)が音楽も含めかな〜りつまらなかった(音楽が日本のニューミュージックみたいだった)というのもあり、この『Rockstar』も少々敬遠していたのだ。

主人公はデリーの大学に通う青年ジャナルダン(ランビール・カプール)。ロック好きで自らもロックスターになりたいと憧れる彼だったが、大学で歌ってみてもパッとした反応はなく「たいした人生経験の無いヤツにいい音楽なんか作れない」とまでたしなめられる。じゃあめくるめくような体験をしてやるぜ、とばかりに大学のマドンナ、ヒール・カウル(ナルギス・ファクリー)に恋の特攻作戦を挑むも「そもそも私もうすぐ結婚するんだけど?」とあえなく撃沈。しかしそんな彼を気に入ったヒールは、結婚前にちょっぴり羽目を外したいと頼み込む。そんなうちにいつしか恋に落ちる二人だったが、ヒールは結局結婚してしまう。ジャナルダンはその後様々な地を転々としながら歌を歌い続け、いつしか才覚を現し、ロック歌手「ジョーダン」としてデビュー、喝采を持って受け入れられる。そしてツアー中のプラハでヒールと再会するが、この時彼女は重い病に罹っていた。

映画『Rockstar』はこんな具合に、ロック・ビジネスの中で頭角を現してゆく青年と、彼が道ならぬ恋をしてしまった女性とのラブ・ストーリーに比重を置いて描かれる。そういった点で、主人公が「ロックスター」である必然性はあまり感じないのだが、ロックを題材にしているだけあって音楽に関してはひとつ突出した出来となっている。これは音楽担当がA・R・ラフマーンであるところに負う部分が大きいだろう。ロックだけに限定した音楽を使っているわけではないのだが、それでも山奥の寺院でギターをつま弾く主人公のシーンなどはなかなかに雰囲気が出ており、ここから徐々に音楽的に大成する主人公の姿には説得力がある。勿論ロックスターとなり轟音でギターを掻き鳴らし、音楽ホールの観客を大いに沸かすシーンも実に”らしい”ものだった。要するに主人公が「ロックスター」であることが嘘くさくないのだ。この辺は監督の演出と、主演のランビール・カプールの力量によるところが大きいだろう。

一方ラブ・ストーリーのパートは実に情感豊かに描かれている。二人がバイクで訪れる雪のカシミール地方や、古城の見えるチェコの草原など、二人が愛を育むロケーションもしっとりした美しさで撮影されていた。主人公が愛した女性は既婚女性であり、これは不倫ということになるのだが、インド映画ではこの不倫を描くというのが非常に珍しいことで、ある意味挑戦的な物語だと言えるかもしれない。そしてこういった瀬戸際のシチュエーションだからこそ切なくもまた鮮やかに燃え上がる愛の形を描くことに成功していた。特にクライマックスでの、もはや逃れる場所も無い程に追い詰められた二人が「二人だけの場所」について語り合うシーンの美しさはかなさは白眉と言っていいかもしれない。物語自体は後半いわゆる「難病悲恋もの」の様相を呈するが、これは意外と嫌味なく語られていた。そしてこのヒロインを演じるナルギス・ファクリー、透き通った美しさと寂しげな表情が心惹く女優だった。

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20140916(Tue)

[]南インド料理店ダクシンでバースデー 南インド料理店ダクシンでバースデーを含むブックマーク 南インド料理店ダクシンでバースデーのブックマークコメント

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誕生日前後には相方さんといつもどこかで食事して祝ってもらっているのですが、最近インド映画にはまっているオレは今回迷わず「インド料理食べに行きたい!」とリクエストしました。そして先日出掛けたのが八重洲にある「南インド料理ダクシン」。インド料理はまあまあ食べたことはあるんですが、南インド料理となると初めてだったんですよ。そんなわけでちょっとわくわくしながらお店に入りました。

席に通されると壁には木彫りの像が。斧を持っているのでこれはビシュヌの変身した姿のひとつパラシュラーマ(斧を持つラーマ)かな?お店には他にも形の木彫りが置いてあったので、それぞれがビシュヌのアヴァターラ(化身)なのかもしれません。

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なにしろこの日は「南インド料理をあれこれ食べてみたい」と思ってたので、コース料理ではなく単品で幾つか注文してみることにしました。まずスパークリング・ワインのハーフボトルで乾杯し(とても美味しかった)、最初に出てきたのがカリフラワーを揚げてソースで和えた「カリフラワー・マンチュリアン」。揚げてあるのでカリフラワーっぽくないところが面白い。

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次に細長く切ったチキンを甘辛く調理した「バンガロールチキン・フレーク」。ソース的には「カリフラワー・マンチュリアン」とかぶっちゃったんですが、これはこれでスパイシーで美味しい。

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そしてエビをやはりスパイシーに炒めた「エラ・チェティナード」。これはクミンが効いていてまたしても美味しかった。

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やっぱりインド料理店に来たならカレーも食さねば!と、「カッタリカ・カラ・コヤンブ (南インド風なすカレー)」とチャパティを注文。カレーは「南インドタミル地方のなすやスパイスとタマリンドの辛いカレー」ということです。実はチャパティってちゃんと食べたことがなくてちょっと感激しました。

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もうそろそろお腹もきつくなってきたんですが、いや、まだまだ南インドを堪能しておらん!と最後に「マトン・ビリヤニ」を。これは「マトンを秘伝の香辛料で混ぜたインド風チャーハン ヨーグルトのサラダ付き」ということなのですが、バスマティ・ライス (長粒米)も実は初体験で、その初めての食感を堪能しました。

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そして最後はチャイで〆。こうして泡立つチャイを飲むのも初めてでしたよ。

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全体的に、北インド料理とはまた違う、いい意味で洗練されていないとでも言うのでしょうか、野趣溢れる味わいがあるのが楽しかったですね。そしてなによりもスパイスの効き方が違う!辛いのとはまた別のピリッとした刺激に満ちていて、その薬効からでしょうか、途中から頭に変な汁が湧いてきているのを感じました!また行きたいなあ。今回は量的に断念したんですが、今度はドーサも食べてみたい。というわけで相方さん、ご馳走様でした!

◎南インド料理ダクシン 八重洲店 食べログ ぐるなび

それと、誕生日のプレゼントには靴を買ってもらいました。これ、「コブラヴァンプ」という種類の靴なんですよ。重ね重ねありがとう。

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20140912(Fri)

[]最近ダラ観したDVDなどなど〜『俺たちスーパーマジシャン』『リディック:ギャラクシー・バトル』 最近ダラ観したDVDなどなど〜『俺たちスーパーマジシャン』『リディック:ギャラクシー・バトル』を含むブックマーク 最近ダラ観したDVDなどなど〜『俺たちスーパーマジシャン』『リディック:ギャラクシー・バトル』のブックマークコメント

■俺たちスーパーマジシャン (監督:ドン・スカーディノ 2013年アメリカ映画)

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スティーヴ・カレルスティーヴ・ブシェミジム・キャリーが出演、という個人的にはお得感満載のコメディだ。

物語はというとラスベガスの売れっ子マジシャン・コンビ、バート(スティーヴ・カレル)とアントン(スティーヴ・ブシェミ)がバートのわがままでコンビ解消、すっかり落ちぶれたバートは再起を目指すが、これを変態パフォーマー、スティーブ(ジム・キャリー)が邪魔をする、といったもの。

「ラスベガスの売れっ子マジシャン」という設定なのに映画で登場するマジックがどれもありきたりのしょぼいものばかり、というのが逆に可笑しい。だからこそラスベガスから放逐されちゃう訳なのだが。

物語はその後、高慢な性格だったバートが老人ホームでボランティアをしながら「真に人に喜ばれるマジック」の在り方に気づく、という流れになるのだが、この辺はハリウッド・コメディのセオリーである「底辺まで落ちた者の起死回生」をなぞる形になっている。

こういった「再チャレンジとその成功」というモチーフは本当にアメリカ人って好きなんだなあと思う。これは「成功」だけの物語ではなく、敗者復活戦といった形の弱者救済の物語でもあるのだと思う。このバイタリティと不屈さがこそがアメリカ人をアメリカ人たらしめているのだろう。いろいろ文句はあるけれども、アメリカ人のこういった部分は素直にスゲエよなあ、と感嘆するし、同時にハリウッド映画の強さなんだろうとも思う。

こんな物語を乱調させるのがスティーブ役であるジム・キャリーの怪演だ。マジックとは名ばかりの危険なパフォーマンスを演じるスティーブだが、これがどれもドン引き必至のマゾプレイで、物語をあらぬ方向へ向かわせる。だがいつものジム・キャリーだと思えばこれもまた楽しい。

他にもヒロイン、ジェーン役のオリヴィア・ブライト、主人公らの心の師であるマジシャンを演じるアラン・アーキンなど、脇も充実している。定番タイプのアメリカン・コメディで、このジャンルの好きな人ぐらいにしかお勧めはしないが、個人的には満足だった。

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リディック:ギャラクシー・バトル (監督:デヴィッド・トゥーヒー 2013年アメリカ映画)

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ピッチブラック(2000)』『リディック(2004)』に続く「宇宙悪党リディック・シリーズ」第3弾。しかしこの前作2作、観てはいるんだがどうにも退屈だった記憶がある。どこがどう退屈だったのかは、なにしろそれぞれ10年近く前の作品だからよく覚えていないんだが、物語が大雑把に感じたとか美術がチャチかったとかなんかそういうことだったのだと思う。思うが全然違う理由だったかもしれない。

なにしろそんなつまらなかった記憶しかないシリーズの新作をまたしても観ることにしたのは、SF映画だからとりあえず押さえておこう、という気持ちからだった。で、結論から言うと、これが非常に面白かったので逆にびっくりした。全然期待していなかったというのもあるが、今まで『リディック』シリーズに抱いていたネガティヴな感想は実は間違いだったんじゃないのか?と自分を疑いたくなるほど面白かった。だから前2作も、もう一度観返せば感想が変わるかもしれない。別にSF映画史に新たな1ページを記したとかそういう大層なものではないにせよ、「B級アクションSF」という括りの中では十分な完成度ではないか。

考えるに、今作の『リディック:ギャラクシー・バトル』を面白く観ることができたのは、まず基本的な舞台となるのが一つの惑星の狭い範囲、という限定したものであることが挙げられるだろう。大宇宙を股にかけてます、といったスケール感を出すためにガチャガチャとロケーションを変え、逆に散漫なイメージに貶めてしまうことがないのだ。そしてリディックと敵とがあらかじめ固定で、これがひとつの場所でじっくりと腹の読みあい探り合いをしつつ戦いを繰り広げる、といった展開が物語の没入感を深めるのだ。この敵との遭遇までに、未知の惑星を彷徨うリディックの姿をきちんと描き、この惑星の不気味な様相を観客にしっかり植えつけた、という構成も功を奏している。

物語自体も神出鬼没のリディックとやさぐれ者の賞金稼ぎ集団との戦い、といったもので、SF的な奇想天外さというよりは西部劇やギャング同士の抗争を異世界を舞台にやってみました程度のものなのだが、これが逆に分かり易く親しみ易いアクション展開を生んでいて楽しめた。ただしクライマックスはきちんとSF的だ。それと個人的にはSFTVシリーズ『バトルスター・ギャラクティカ』にカーラ・スレイス中尉役で出演していたケイティー・サッコフを再び見ることができたのが非常に嬉しかった。

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リディック:ギャラクシー・バトル Blu-ray

リディック:ギャラクシー・バトル Blu-ray

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20140911(Thu)

[]『爆発星雲の伝説』 ブライアン・W・オールディス 『爆発星雲の伝説』 ブライアン・W・オールディスを含むブックマーク 『爆発星雲の伝説』 ブライアン・W・オールディスのブックマークコメント

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「そういえば、『地球の長い午後』以外のブライアン・W・オールディスの作品ってどうなんだ?」と思ったわけである。

『地球の長い午後』。SF小説は多々読んだが、『地球の長い午後』ほど痺れるほどに想像力の限界に挑戦した作品はそうないだろう(レビュー)。太陽が赤色巨星化しつつある遠未来、地球を支配するのは意志を持ったかのごとく動き回り捕食しあう植物だった。文明は既に消失し、人類は小人のような姿となって植物の襲撃を恐れながら細々と黄昏の時代を生きていた。物語は、この緑の地獄ともいえる世界を生きる、そんな人類たちの姿を描くのだ。オールタイムSFのベスト10を選べと言われたら迷わず入れる名作である。

そんなオールディスの作品だが、この『地球の長い午後』しか読んだことが無い。というわけで古本を探して『爆発星雲の伝説』という短編集を読んでみることにした。するとこれが、実にバラエティに富んだ作品が並ぶ短編集だったのだ。

ざっくりと紹介。「一種の技能」は遠未来の、超科学を持ち、今の人類の概念からはかけ離れた存在となった人間たちの宇宙冒険譚。しかしその器が変わっても孤独や喪失感といった感情からは逃れられない、といった独特の陰鬱さがこの物語のテーマとなる。コードウェイナー・スミスばりのきらびやかな遠未来描写が印象的。
「心臓とエンジン」は終わりなき戦争が行われるいつとも知れぬ未来を舞台に、新薬によって超戦士と化した兵士たちの悲哀を描く。ここで描かれる現実/非現実の認識論的な錯誤は、どこかP・K・ディックを思わせるものもあるが、実はオールディスのほうが早かったのかもしれない。
「恵まれないもの」は宇宙移民として異星に降り立った異星人の不安を描く。これは現実の移民たちの不安をSFに置き換えたものかな、と思わせて最後に皮肉なオチが付いてくる。
「神様ごっこ」はあまりにも異質な異星文化の中で暮らす土着民族を調査しに来た人間たちが出遭うものを描いた短編。アメリカSFを思わす拡張主義的な冒険SFを匂わせながら次第に消えた古代文明の謎に迫ってゆく。これなどはジャック・ヴァンスを血なまぐさくしたかのようなエキゾチシズムに溢れた作品となっている。
「断片」はあたかも言語遊戯のような錯綜した文章がクライマックスまで続くが、最後にその錯綜の理由が明かされる。奇妙に挑戦的な構成はハーラン・エリスン的といえるかもしれない。
表題作である「爆発星雲の伝説」は物質転送機の不具合で未開惑星に実体化された男が、現地に住む異様な知的生物たちをあの手この手で出し抜きながら帰還を果たそうと奮闘する冒険ファンタジーSF。次から次に襲うトラブルをものともせず、知力と運で乗り越えてゆく主人公をユーモラスで生き生きとした文章で描いてゆく。こういった古典に分類されるようなSF作品でもまだまだ全然新鮮に読めることを教えてくれる作品だ。
「ああ、わが麗しの月よ!」は植民惑星で貧しい生活を送る住民たちを巡る陰鬱な物語だ。これもまたディック的な重苦しさがあるが、しかし悲劇的でドラマチックでもあるのだ。
ラスト「讃美歌百番」、ここに来ていよいよ『地球の長い午後』を思わせる稀有壮大な作品の登場だ。遠未来、人類は超物質空間化装置の中に複製されて消滅し、地球の動植物はその装置の余波を受け様々な形に変異して地上を闊歩していた。主人公は巨大化したナマケモノの知性を持った裔であり、彼女は人類の残した音楽の痕跡を探しながら旅を続けていた…というこの物語は、時空が歪み全てが変容した地球を幻想的な筆致で描いてゆくのだ。短編ながらめくるめくようなイメージに溢れた作品であり、この短編集の白眉であると同時に、古今のSF短編のベストに入れてもいいような素晴らしい作品である。

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20140910(Wed)

[][]『ピナコテーカ・トレヴィル・シリーズ』全10巻コンプリート 『ピナコテーカ・トレヴィル・シリーズ』全10巻コンプリートを含むブックマーク 『ピナコテーカ・トレヴィル・シリーズ』全10巻コンプリートのブックマークコメント

『ピナコテーカ・トレヴィル・シリーズ』は今は無き出版社トレヴィルから1995年から1997年までかけて出版された全10巻のアート全集である。取り上げられている画家は決して有名ではないが、どれも偏執的なまでの様式主義と耽美的な頽廃に彩られた作品ばかりが収められ、そのどこか【狂っている】とさえ思わせる異様さは、《【裏】近代西洋美術史》とでも表現したくなるような体裁となっているのが特徴的であろう。

出版当時は気に入った巻を5冊ほど購入し所蔵していたが、全巻購入までには至らなかった(高かったからなあ)。それがつい最近書棚を整理していた時に、ムラムラと全巻制覇の野望が頭をもたげ、現在古書でしか手に入らない残りの巻をポツポツと買い揃えていったのである。いやあ、どれもプレミア価格付いていて痛かったけど…。

というわけで全巻制覇の野望は達成され、ここに書影と簡単な紹介を記することにした。

■第1巻 モンス・デジデリオ画集 / 第2巻 ジョン・マーティン画集

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《第1巻 モンス・デジデリオ画集》「世界の終りの画家」と呼ばれ、偏執狂的な緻密さで倒壊する聖堂や亡霊のような廃墟ばかりを描き続けた17世紀ナポリの謎の画家。
《第2巻 ジョン・マーティン画集》聖書等のテーマに基づいた壮大な構図と精緻な細部の中に、激烈な天変地異や悪魔の君臨する地下世界を現出させた19世紀英国の画家。

■第3巻 カルロ・クリヴェッリ画集 / 第4巻 フォンテーヌブロー派画集

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《第3巻 カルロ・クリヴェッリ画集》澁澤瀧彦が溺愛した「マグダラのマリア」で知られる、過剰な装飾性と冷艶な官能性を湛えたイタリア・ルネサンスの異色の画家。
《第4巻 フォンテーヌブロー派画集》16世紀フランソワ一世の宮廷に一夜の夢の如く華開いた、優美な官能性と知的な寓意に満ちた、極めて洗練されて耽美的な独自の様式。

■第5巻 ティントレット画集 / 第6巻 リヨン派画集

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《第5巻 ティントレット画集》ヴェネツィアで16世紀騒然たる注目の的であった巨匠が、劇画的なまでの大胆な構図と強烈な明暗表現で幻視させる奇跡譚の神秘。
《第6巻 リヨン派画集》19世紀フランスの古都リヨンで独自に展開した神秘的な象徴主義絵画、フランドラン、シャヴァンヌ等を含む、ラファエロ前派の先駆。

■第7巻 ハドソン・リヴァー派画集 / 第8巻 ティエポロ画集

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《第7巻 ハドソン・リヴァー派画集》ヨーロッパでは失われた手つかずの自然、神の意志が普遍する旧約聖書的な世界の崇高美を描いた、19世紀アメリカのロマン主義的風景画群。
《第8巻 ティエポロ画集》18世紀イタリア・ロココ、ヴェネツィア最後の黄金時代を華麗に飾った巨匠の天井画・壁画群が、軽やかに官能的に、見る者を天界に誘う。

■第9巻 イタリアのマニエリスム画集 / 第10巻 北方のマニエリスム画集

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《第9巻 イタリアのマニエリスム画集》澁澤瀧彦、ホッケ、ハウザーらに多くが語られてきたものの、カラー図版の紹介が限られていた16世紀の綺想的・観念的美術を豊富に収録。
《第10巻 北方のマニエリスム画集》ハプスブルク家の宮廷に開花した、スプランゲルらの危うく官能的な絵画、アルチンボルドの綺想、その他の北方画派も収録。

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20140909(Tue)

[]52 52を含むブックマーク 52のブックマークコメント

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というわけで本日で52歳になるオレである。

52歳…半端な歳である。50歳になったときは「うおお大台だああ!!」などと恐慌をきたしていた。51歳ともなると「わしもすっかり爺さんじゃのう…ぐふふ」と脱力しまくっていたものだった。しかし52歳。脱力気味の人生がさらに大幅に脱力してゆくだけである。なにしろとことんひたすら老いさらばえていくというだけの話である。他に何も思い浮かばない。ことほどさように52歳というのは茫洋とし索漠としたものなのである。

そんな52歳であるから、特に抱負も目標もない。そもそも毎年誕生日になると何か抱負や目標を考えようとするのだが、何も出てこない。健康で美味い物食えて美味い酒飲めていればそれでええじゃないか。相方さんといつも楽しく過ごせていられればそれでええじゃないか。もちろん人生はままならないものだが、それでもあえて幸福であろうとし続けることを忘れない、それだけを念頭に置いて生きていられればいい。要するに無病息災、ということである。

しかしこれは毎年そう思っていることだしこれからもそう思い続けるだろう話だ。健康が次第に衰えていくのは感じるが、それに見合った生活態度でいればいい。無理に若い頃のコンディションでいようとは思わない。そもそもオレは若い頃が身も心も一番コンディションが悪かったからな!20代とか30代の頃の話だがな。だからある意味段々健康になっているような気さえするよ。比較の問題だけど。今は健康ったって普通の50代のコンディションなんだろうが、オレとしてはたいしたものだと思ってるよ。あんだけ暴飲暴食してさらに睡眠時間も短くておまけにいつもカッカしてたもんな。まあ今もたまにカッカしてるけど、昔ほどじゃない。

健康といえば何か月か前に胃の調子がずっと悪くて、こりゃちょっとヤヴァイんじゃないか?と思って医者行って胃カメラ飲ませてくれ!って頼み込んだよ。で、結果としては「若干荒れてないこともないですがほぼ健康ですよ?」ということ。写真も見せてもらったが、随分前ピロリ菌の治療した時に撮った胃の写真よりも綺麗だったぐらいだよ。でも痛かったんだよなあ、いったいなんでだろうなあ、胃カメラとかでも出ないオッカナイ病気なのかなあ、なんて思ってたんだが、ある日ね、いつも使ってる歯磨き用のコップがたいそう汚れていることに気が付いてね、それ捨てて新しいのにしたら治ってさ…。ってことはなにかい、オレは不衛生なコップ使ってたからずっとお腹が痛かった、ってそういうことかい!?と安心したのと同時に自分の衛生観念の無さに自分で怖気だってさあ。いやああれから気を付けるようにしてるよ…。

というわけで誕生日の抱負を書くつもりが自分の不衛生極まりないだらしない生活ぶりを暴露し周囲をドン引きさせる文章を書くことになってしまったオレであった。いやまああんまり書くことないし。

久々にまとまりなくダラダラと独り言書いたな(まあいつもの日記もダラダラだが)。ええと、最後に、こんなしょーもないオレでもいつも相手にしてくれる相方さん、それとオレとたまにおつきあいして下さってる皆さんに、最上級の感謝を込めて終わりにしたいと思います。いつもありがとね。また楽しく過ごしましょう。

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20140908(Mon)

[]Xbox One買った Xbox One買ったを含むブックマーク Xbox One買ったのブックマークコメント

Xbox One買った。

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ついこの間WiiUを買ったばかりだというのに(そしてその時一緒に買った『ゾンビU』がまだクリアできていないというのに)、マイクロソフトの最新ゲームマシン、Xbox Oneを発売日に予約購入してしまったオレである。

Xboxというハードはそもそも好きだった。セガがハード事業から手を引いて寂しく思っていたその後に登場したXboxは、プレイステーションとは違うヤンチャさやパワフルさを感じさせてくれた。その後出たXbox360は、購入してから1度故障し、買い直したという経緯があるくらいだ。Xbox360とPS3で同時発売されたゲームは、Xbox360のほうを買っていた。PS3はというと、専用タイトルの時と、それとBlu-rayを観る時に使用していた。PS3はリモコンを購入してあったのでBlu-ray視聴が楽だったのである。

さてこのXbox One、日本では発売時期が伸びたが、基本的にPS4と同じ時期の発売ということで、あれこれ競争や比較が成されていた。個人的には今回、PS4だけあればいいかな、とは思っていたのだが、専用ソフトが特に魅力が豊富という感はなかったのだけれども、「新しいハードに触れる」という楽しみがどうにも捨てきれず、ついついこのXbox Oneを買ってしまった。買ったのはキネクト無しのバージョン。いや部屋狭くてさ…。

話には聞いていたがハードはPS4と比べると2,3割増しぐらいにデカイ。しかし収納に困るといったものではないから気にすることは無いだろう。「羊羹かこれは」と思わせる電源ユニットの大きさも相変わらずだ。一方コントローラーは以前よりも若干小振りになったように感じた。操作感は軽快になっており、この辺は嬉しい。

インターフェイスはXbox360のそれをWindows8的に進化させたもので、Windows8ユーザーとしてはこれはこれで馴染み深いのだけれども、初めての方はちょっと使いにくく感じるかもしれない。この点はPS3のインターフェイスをさらにシンプルにしたPS4のほうが分かり易く、軍配はこちらに上がるかも。あと、煩雑にコントローラーキーを押すと固まることがあってびっくりしたが、これは今後のアップデートでなんとかなるのだろう。PS4にあるキャプチャ画面をSNSに投稿する機能はちょっと欲しかった。動画は投稿できるんだけどもね。

今後はPS4との兼ね合いをどうするかだなー。

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■同時購入ソフト

◎ RYSE:SON OF ROME

さて、今回の同時購入ソフト。まず『RYSE:SON OF ROME』。Xbox One専用ソフトである。ローマ帝国を舞台に、ローマ兵士マリウスとなって臭くて小汚い蛮族をバッサバッサとぶち殺しまくる、という痛快アクションゲームなのである。

まずローマが舞台、っていうのがいい。ついこの間まで『スパルタカス』というTVドラマにハマっていたが、これは叛乱奴隷スパルタカスといやらしいローマ軍との戦いが描かれていた。この『RYSE:SON OF ROME』では、そのいやらしいローマ軍となって、その権勢と武力を誇示しまくる、といういやらしさに実に惹かれたのである。戦いは熾烈ではあるが、なんといってもこっちはローマ軍、相手は蛮族。カッコイイ鎧を着てババッチイ毛皮をまとった連中を圧倒する、という構図がとってもいやらしくていい。

ゲームシステムは蛮族を殺して殺して殺しまくるアクションゲーム。ただ、相手を倒すのにテクニカルポイントがあって、これを上手く運用することでヒットポイントの回復や経験値の獲得、そのポイントによるスキルの習得ができるようになっている。発売前の開発画面ではこれが目押しのスタイルになっていて、「あー、目押しはやだなあ」と思ってたのだが、製品では改良され、目押しは目押しなんだけれどもボタンが表示されるのではなく相手がボタンの色に光る、といった形になっており、これだけで印象が随分違うゲームになった。また、目押し失敗してもポイントが低くなるだけでゲーム進行には影響ないんだよね。これって『デビメイクライ』のスタイリッシュランクに似ている気がする。

グラフィックが綺麗なのはまあ当然として、この綺麗なグラフィックでローマ時代が再現されている、というのが嬉しいね。ムービーとゲームとの境も当然シームレス。そしてゴア表現が高く、血飛沫飛びまくりだし相手の喉を切り裂いたり腕切り落としたり体をザクザクと剣が貫いたりする。ポイントを貯めて残酷度(処刑ポイント)をアップさせ、より残酷な倒し方ができるようになる、というのも、開発者の皆さん分かってらっしゃる!って感じ。そんなわけでCERO「Z」、18歳以上推奨ゲームとなっております。

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◎ タイタンフォール

Xbox Oneといえばタイタンフォールだろ!!」とハードと同梱版のを購入したんですが、あ…これXbox Liveのゴールドメンバーシップに加入しなきゃできないんだよね…。ゴールドシップで課金してまでプレイしたくないんだよなあ…。

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◎ ズータイクーン
ZooTycoon - XboxOne

ZooTycoon - XboxOne

動物園の経営者になって自分だけの動物園を作っちゃおう!というシミュレーションゲーム。100種類の動物たちが登場!というのでわくわくしてやってみたのだが…。

え?カピバラいないの!?(ガーーン)

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20140905(Fri)

[][]5億ルピーの密輸ダイヤを巡り上を下への大騒動!〜映画『Apna Sapna Money Money』 5億ルピーの密輸ダイヤを巡り上を下への大騒動!〜映画『Apna Sapna Money Money』を含むブックマーク 5億ルピーの密輸ダイヤを巡り上を下への大騒動!〜映画『Apna Sapna Money Money』のブックマークコメント

■Apna Sapna Money Money (監督:サンギート・シヴァン 2006年インド映画)

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マフィアが無くした5億ルピーの密輸ダイヤを巡り、あれやこれやの人々がてんやわんやの大騒ぎを繰り広げちゃう!というインドのスラップスティック・コメディです。ちなみに5億ルピーは日本円にして8億5千万相当。この映画、登場人物が多く、それぞれが集団を成しながら別個に行動しつつ時に交わり合う、といった形で物語が進んでゆきます。しかし決してややこしいわけではなく、大勢の人間がいつもドタバタしまくっている、という部分が可笑しい作品です。ちょっと長くなりますが粗筋を紹介してみましょう。

◎主人公の名はアルジュン(シュレーヤス・タルパデー)。彼は隣家の娘シヴァーニー(リヤー・セーン)に恋していたが、シヴァーニーの父、サティヤボール(アヌパム・ケール)はシヴァーニーの縁談を勝手に決め、花婿の父を呼び寄せてしまう。こんな縁談は破談にしちゃる!ということでアルジュンが呼んだのがペテン師の従兄弟、キシャン(リテーシュ・デーシュムク)。


◎一方、5億ルピーもの密輸ダイヤをハイヒールに隠し列車に乗っていた運び屋の女サーニヤーは、検問をやり過ごす為にダイヤの入ったハイヒールを同室の男の荷物に忍ばせた。しかし実はその男、アルジュンの元に向かう途中だったキシャンだった!結局サーニヤーはその場で連行されるが、ハイヒールの中身を知らないアルジュンはそれをシヴァーニーにプレゼントしてしまう!


◎キシャンは花婿の父になりすまし、メチャクチャをやらかしてまんまと破談に持ち込む。さていざ帰ろうとしたキシャンの前に現れたのが以前キシャンが騙したネパール人ギャング御一行様。こりゃヤバイ!と咄嗟に隠れた家で女装したキシャン、その場は何とかやり過ごすが、今度はたまたま通りかかったシヴァーニーの父サティヤボールに「うおおお、こんな美人ちゃん見たことない!」と見初められてしまう!!


◎紛失したダイヤを取り返す為、インド人マフィア御一行様がムンバイに乗り込む。ネパール人マフィアもダイヤの存在を知りこれを奪おうとする。さらに運び屋の女は警察官に脅され、やはりダイヤを探し始める。他方、主人公アルジュンもダイヤの存在を知り、近所に住む重病の女の子の手術費用になれば…と考えた。というわけで、主人公アルジュン、インド人マフィア、ネパール人マフィア、運び屋の女、その他もろもろが入り乱れ、ダイヤの争奪戦が始まる!

…とまあこんな具合に物語が進んでゆくわけですが、いやあ、インド・コメディはそんなに沢山観たわけじゃないけど、これまで観た中で一番ドタバタ指数が高かった作品ですね!物語それ自体よりも、登場人物たちがなーんだかオカシい人たちばかりで、彼らが常に忙しなく変なことをやりまくってくれているんです。この映画の【おかしい】見所をちょっと並べてみましょう。

【1】ネパール人ギャングがおかしい
ネパール人ギャングという段階でいろいろおかしいです。変な服着てます。変な喋り方してます。変な歌うたってます。動きもおかしいです。なぜだか時々踊ったりもします。もう完璧にイロモノ扱いです。

【2】インド人ギャングがおかしい
とってもコワ〜イ登場の仕方するんですが、だんだんおかしなことになってきます。ムンバイから来るのになぜかコンテナに入ってやってきます。ムンバイに来てからは、なぜだかずっと墓場に居座っています。なんでだか分かりません。

【3】花婿の父がおかしい
キシャンがなりすました花婿の父のホンモノのほうは、キシャンの策略でネパール人ギャングに拉致されていました。で、この花婿の父が映画が始まってからず〜っとボコられているんです。何かあるたびにボコられ、後半はもうボロボロなんですが、意外と元気がいいのが気に食いません。あといつもキーキー甲高い声で喋るので鬱陶しいです。基本的単なる小汚いジジイです。

【4】ムンバイのギャングがおかしい
インド人ギャングの協力者として登場します。でもギャングのくせに牛舎経営してます。牛のウンコだらけです。もうなんだかひたすら田舎者の雰囲気を漂わせているのが悲しいです。

【5】ダイヤを追う警官がおかしい
運び屋の女サーニヤーを捕まえた警官はヘボで名が通っていて、捜索の度にお約束のようにガセを掴まされます。上司からは「どうせまたガセだろ」と新洋されず、留置所に入ってるチンピラからは「いつもヘボかます愉快な警官」として大笑いの種となっています。

【6】キシャンの女装がおかしい
おかしい、というよりも似合いすぎだ!大丈夫なのかキシャン役のリテーシュ・デーシュムク!?その後の人生に影響なかったのか!?女装したまま拉致監禁され、あわや貞操の危機が!?というシーンはバカバカし過ぎて頭が壊れそうでした。

【7】シャーストリーの親父、サティヤボールがおかしい(おかしすぎる)
しかしキシャンの女装すら食ってしまったのがこのおっさん、サティヤボール。女装姿のキシャンに大いにベタベタしながら愛を語る姿はそれだけで笑わさせてくれますが、それよりも何しろ動きがおかしい、というか動きが怪しすぎる。そしてこの妙に腰の軽い動き方、グルーチョ・マルクスやビートたけしあたりの、喜劇俳優やボードヴィリアンの動きを思わせるんですよ。実はこの変な動き、そもそも映画では半盲という設定だったというのを観終わってから知ったですが、それにしても可笑しすぎました。このおっさんを演じたアヌパム・ケール、結構な俳優とお見受けしました。

こんな具合に、おかしな人たちおかしなドタバタが速いテンポで次々に繰り出されますが、これがどれもイカレてるとしか言いようのない部分がインド映画コメディとして新鮮でした。さらにアルジュンと女装じゃないキシャンの恋の行方も描くこの物語、お腹一杯まで楽しめる作品に仕上がっていましたよ。

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20140904(Thu)

[][]ゲイと偽ってシェアした部屋には美人ちゃんが!?〜映画『Dostana』 ゲイと偽ってシェアした部屋には美人ちゃんが!?〜映画『Dostana』を含むブックマーク ゲイと偽ってシェアした部屋には美人ちゃんが!?〜映画『Dostana』のブックマークコメント

■Dostana (監督:タルン・マンスカニ 2008年インド映画)

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ノンケの男二人がゲイと偽ったばかりに、どんどん窮地に追い込まれちゃう!?というロマンチック(?)・コメディです。とはいえ、これにはいろいろと訳がありまして…。

舞台となるのはマイアミ、そして主人公はフォトグラファーのクナール(ジョン・エイブラハム)と看護師のサム(アビシェーク・バッチャン)。二人は住処を探してたまたま同じフラットに鉢合わせるが、ついでだからと一緒に家主に交渉に挑む。しかしそのフラットは既に住んでいる家主の姪とルームシェアが条件、男性お断りの物件だった。そこで二人は一計を講じ、「ボクらゲイのカップルだからノープレブレムだよ!」と大家を上手く丸め込んでしまう。しかし同居人となった家主の姪ネーハー(プリヤンカー・チョープラー)と顏を合わせてみるとこれがとんでもない美人ちゃん!「二人ともゲイなのね!一緒に仲良く住みましょう!」と明るく微笑むネーハーに心奪われるも、今更ゲイが嘘だったとは言いだせない二人の明日はどっちだ!?

この『Dostana』、まず主演男優二人のゲイ演技がイイ味出してます。クナールを演じるジョン・エイブラハムはガチムチのいい体した精悍なイケメンで、これはこれで十分ゲイな雰囲気を醸し出し、ホントのゲイの方にもウケがよろしいんじゃないでしょうか。一方サムを演じるアビシェーク・バッチャン、ちょっと色黒で髭も濃い彼は、イケメンって言うほどではないにしても、一緒にいて心和むような包容力を感じさせないでしょうか(しない?)。言うなればエイブラハムは危ない男、アビシェークは優しげな男、と区分けできるのではないかと思います。物語でもアビシェークのほうがクネクネ演技を得意としておりましたが、そうするとネコとタチで考えるなら…という話は置いといて、アビシェークさん、この『Dostana』の後に主演した『Bol Bachchan』でも嘘のゲイ役をやっておりまして、ゲイにただならぬ縁があるのかもしれません。

二人の偽ゲイ・エピソードでまず笑わせてくれるのが、「そもそも二人はどんな風に知り合ったの?」と興味津々の周りに説明する、でまかせの出会いエピソードです。「そう、僕らは水の都ヴェニスで知り合ってね…」と語りはじめる嘘んこの回想シーンのロマンチック極まりないゲイ描写(?)は、観る者のハートをきっととろけさせることでございましょう。そして「自分の息子がゲイになった!?」と知り乗り込んできたサムの母の狂乱エピソードがまた笑わせくれます。インド映画では歌と踊りがお馴染みですが、この母親の狂乱シーンがそのまま歌と踊りで再現されるってアナタ!?しかし最後はそんな息子を受け入れ「幸せになって…」とか言うんですが、受け入れられちゃった息子サムの複雑な表情がまた…。

しかしこの作品は、面白おかしく偽ゲイを描くのがメインでは決してありません。後半では、ネーハーに同時に惚れちゃったクナールとサムの対立、しかし嘘を付いていることを言い出せないお互いの苦悩が描かれます。しかもネーハーの上司が彼女を口説いている事を知り、二人は共同戦線を張ってこの上司を退けようとします。しかしこの上司を退けたところで、ゲイであるという嘘をついている事には変わりはしないんですね。そして、ゲイとして友情を育んでくれた彼女が、それが全部嘘だったと分かったら、愛してくれるどころか友情すら失うのは目に見えた事でしょう。ちょっとした嘘をついたばかりに、その嘘に嘘を塗り重ね続けなければならず、そして最後に大変なことになってしまう、というのはインドのコメディ映画では多く目にするモチーフで、大概はドタバタの末になぜだか丸く収まってしまいますが、こと男女の間の嘘はそうそう丸く収まったりはしないんです。

じゃあどうなっちゃうの?という結末は映画を観てもらうとして、この物語でひとつのテーマとなるのは、タイトル『Dostana』の意味である「友情」ということでしょう。嫌々ゲイのフリをし続け、一人の女性を巡って大喧嘩までしてしまうクナールとサムは、次第にお互いの友情に気づきます。しかしネーハーとの友情はどうでしょう。それはゲイと偽っていたから成り立っていた友情でしたが、それが知られた後に友情は立て直すことが出来るのか、どう彼女の信頼を取り戻せばいいのか。とかく「男と女に友情なんてありえない」なんていう話があったりしますが、苦くもあり甘くもあり(ついでに悶絶させられちゃう)あのクライマックスに、その一つの答が描かれているのではないでしょうか。

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(蛇足)ゲイと偽った男二人が…というこのシチュエーション、どこかで見たことがあるな、と思ったんですが、アダム・サンドラー主演で2007年公開のコメディ作品、『チャックとラリー おかしな偽装結婚!?』なんですね。この映画でもゲイと偽ってアパートを借りた二人の男の物語です。

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20140903(Wed)

[][]兄貴の婚約者に惚れちゃった!?〜映画『Mere Brother Ki Dulhan』 兄貴の婚約者に惚れちゃった!?〜映画『Mere Brother Ki Dulhan』を含むブックマーク 兄貴の婚約者に惚れちゃった!?〜映画『Mere Brother Ki Dulhan』のブックマークコメント

■Mere Brother Ki Dulhan (監督:アリー・アッバース・ザファル 2011年インド映画)

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兄貴の言いつけで結婚相手を世話してあげたら、その女の子に惚れてしまってさあ大変!というラブ・コメディです。主演はアーミル・カーンの甥っ子イムラーン・カーン、ヒロインを『Doom:3』のカトリーナ・カイフが演じています。

主人公の名前はクシュ(イムラーン・カーン)。ムンバイに住む彼の元にある日ロンドン在住の兄貴ラヴ(アリー・ザファル)から電話が掛かってきます。「よークシュ、元気ィー?俺だけど。あのさー、こっちで付き合ってた女と別れちゃってさーいやーもう散々だよーこっちの女は懲り懲りだよーやっぱ女はインド!インドに限る!でさあ、一つお願いがあるんだけど、俺これからインド帰るから、俺の嫁さん探しといてくれる?んじゃヨロシクッ!」…なんじゃいな、と思ったクシュですが兄貴の言いつけには逆らえません。

そこで散々苦労に苦労を重ね、やっと見つけた女性の家へ訪ねてみると、現われたのは5年前旅行で知り合った娘ディンプル(カトリーナ・カイフ)。「いやーあんときはぶっ飛んだ女だったけどすっかり大人っぽくなったなー」と思うクシュ。そんなこんなで結婚も決まり、式も迫ったある夜、「最後だからハメはずしたーい」というディンプルの願いを聞き入れ夜遊びに繰り出す二人。さんざん遊び回り笑い合い、ふと目を見かわす二人は、お互いを好きになっていることに気づきます。「じゃあ、この結婚式、ぶっ壊しちゃいましょ!」かくして二人の、破談大作戦が始まってしまいます!

えー、兄貴の婚約相手を奪っちゃう、という考えようによっちゃとんでもないお話ではありますが、この作品ではそんな物語を軽やかなテンポでカラッと明るくユーモアたっぷりに描いてみせてくれるんですね。これはヒロインであるディンプルさんのはっちゃけたキャラクターが功を奏しているからではないでしょうか。活発で屈託がなく、自由奔放で勝手気儘、周りのみんなを盛り上げ楽しくさせ、ちょっとハジケ過ぎかな?なんてことがあっても、彼女ならしょうがないか、と思わせる可愛らしさがあるんですね。なんだか無敵キャラですね。このディンプルさんを演じるカトリーナ・カイフのナチュラルな魅力がこの作品の楽しさを底上げしていますね。

今回の「婚約破談作戦」も、このディンプルさんが率先して進行させてゆきます。行動力ありまくりですよね。一方クシュ君はといえば、その気はたっぷりあるにせよ「いやでも駆け落ちとかはできないし」なんてグジグジ言ってディンプルさんをイラッとさせるんです。この積極的な女性とそれに引っ張られる腰の重い男性といった、一般的に考えると逆転している男女関係の構図もお話を面白くしています。どことなくマザコン気味の顏をしたイムラーン・カーンはこの少々頼りないキャラにぴったりでしたね。いつも目ん玉ひん剥いてる実際の伯父アーミル・カーンと比べたら大違いですよねえ。映画でも「僕はアーミル・カーンじゃない!」なんて自虐ギャグっぽいこと言って笑かせてくれていました。

そしていよいよ作戦決行!となるわけなんですが、これが「あ、こうきたわけね」と思わずニヤリとさせられるものでした。そして二人の計画は思惑通りに進むのか!?とワクワクさせながら映画は大団円を迎えます。この物語で素晴らしいと思った所は、この婚約破談作戦が、最終的に誰も悪者にならず、誰も傷付かず、そして誰もがハッピーで丸く収まる、そういった描かれ方をしている部分なんですね。大甘といえば大甘ですが、ラブ・コメディの楽しさというのはこういった「なにがなんでもハッピーにしちゃおう!」という気概のある部分じゃないでしょうか。個人的には『ダバング』ネタがあちこちに散りばめられていて楽しかったですね。

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20140902(Tue)

[][]リボルバーの女王が拳銃撃つぜ!バンバンバン!〜映画『Revolver Rani』 リボルバーの女王が拳銃撃つぜ!バンバンバン!〜映画『Revolver Rani』を含むブックマーク リボルバーの女王が拳銃撃つぜ!バンバンバン!〜映画『Revolver Rani』のブックマークコメント

■Revolver Rani (監督:サイ・カビール 2014年インド映画)

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インドの地方都市チャンバル、ここでは地元の有力者アールカー・シン(カンガナー・ラーナーウト)と政敵トーマル(ザキール・フセイン)がその覇権を巡り血で血で洗う抗争を繰り広げていた。そんな中、アールカーはボリウッド・スターを目指す俳優のローハン(ヴィール・ダース)と恋に落ち、二人は熱烈な関係となる。それを面白く思っていないのがアールカーの補佐役バッリー(ピユーシュ・ミシュラー)。アールカーとバッリーは対立しあい、お互いの溝は深まってゆくばかりだった。

というわけで『Revolver Rani』、タイトルから「ギャング同士の銃弾飛び交う抗争劇なのか!?」と期待して観始めたのだが、確かに銃弾こそ飛び交うものの実際はギャング同士ではなく地元の有力者同士による血腥い政治闘争の物語だった。まあ、ギャングも政治家も変わりゃあしねえぜ!といった意味でカリカチュアされた風刺劇だということなのだろう。そういった部分で肩透かしを食ったのだが、アクション主体だと勝手に思って拍子抜けしたのは自分の先入観のせいだから致し方ないとしても、どうにも煮え切らなさの残る物語であったのも確かだ。

この物語で最大の注目を集めるのは女主人公アールカー・シンを演じるカンガナー・ラーナーウトのキレッキレの演技だろう。アールカー・シンは非常に感情の起伏が激しい女として登場する。彼女は常にリボルバー拳銃を片手に持ち、激高する度にあたりかまわず銃弾を撃ちまくる。なんだか天才バカボンに出てくるおまわりさんのような危ないキャラなのだが、愛しい恋人の前では可愛い女となって猫のように甘えまくる。

この落差の激しさを面白さとして演出したかったのだろうが、実のところ単に情緒不安定でヒステリックな女性にしか見えないのだ。エキセントリックではあっても決してカリスマがあるように見えず、こんな女性がどうして地元の有力者としてやっていけているのかどうにも説得力に欠けるのだ。その為、主人公としての魅力がどうしても見いだせず、「この人なにがやりたいんだろうなあ」とちょっと引いて物語を眺めていたぐらいだ。

ただしこんなちぐはぐさを感じさせるキャラにもかかわらず、主人公を演じるカンガナー・ラーナーウトの奮闘ぶりはたっぷりと感じられた。このカンガナー・ラーナーウト、映画『Queen』で傷心の女性を清楚に演じ、さらにSFアクション『Krrish 3』では主演ヒーローとの道ならぬ恋に苦悩するカメレオン女をミステリアスに演じ、そしてこの『Revolver Rani』では闘争に燃える女と、非常に広い演技の幅を見せてくれた。結局監督の演出の拙さにより、この映画では彼女を上手く使いこなせなかったということなのだろう。

また、この『Revolver Rani』では場面が変わる度に主人公が非常に凝った衣装で現れ、この衣装を楽しむ、といった見方も出来る。後半ではタランティーノの映画『キル・ビル』とよく似たサントラを使い、この作品の監督がどんな作品を目指そうとしていたのかがうっすらと透けて見えてくるのだ。演出の拙さや力足らずな部分はあるにせよ、その物語やアクションのはっちゃけ方、奇妙に非現実的なキャラ設定から、監督はパルプフィクションやコミック的な任侠アクションを作り出そうとしていたのかもしれない。

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20140901(Mon)

[][]素晴らしい幸福感と解放感に満ちた傑作インド映画『Queen』 素晴らしい幸福感と解放感に満ちた傑作インド映画『Queen』を含むブックマーク 素晴らしい幸福感と解放感に満ちた傑作インド映画『Queen』のブックマークコメント

■Queen (監督:ヴィカース・ベヘル 2014年インド映画)

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婚約を破棄されたインド人女性が傷心のままヨーロッパ旅行に旅立ち、そこで出会う様々な人々と様々な体験を経て自分を見つめなおしてゆく、というのがこの映画だ。タイトルの「Queen」は主人公女性のインド名を英訳したものらしい。

主人公の名はラーニー(カンガナー・ラーナーウト)。彼女は大学時代からの恋人ヴィジャイ(ラージクマール・ラーオ)と婚約し、挙式も間近という時になってヴィジャイから一方的に婚約を破棄されてしまう。涙に暮れるラーニーはハネムーンで行くはずだったパリとアムステルダムへ一人で旅立つことを決意する。パリではシングルマザーのホテル従業員ヴィジャイラクシュミー(リザ・ハイドン)と、アムステルダムではゲストハウスの3人の青年たちと知り合い、打ち解けあうラーニー。彼らとの交流を通してラーニーは、今まで知らなかった自由と開放感を味わう。しかしそんなラーニーの元に復縁をせがむヴィジャイがやってくる。

この『Queen』、評判が高いのは知っていたが、若干敬遠していた為に観ていなかった。「年若い娘の傷心ヨーロッパ旅行」というストーリーに、いい年こいたオヤジのオレとしてはそれほど惹かれるものを感じなかったのと、DVDのリリースが『Highway』と重なり、『Highway』を先に観てしまった為に女性主人公映画を立て続けに観る事にあまり気が進まず、見送ってしまっていたのだ。というわけでつい最近やっととっかかることにしたのだが、観終ってその楽しさ素晴らしさに舌を巻いてしまった。インドでもヒットしたということだが、実に評判通りの傑作だった。

実のところ、この『Queen』には独特なストーリーとかひねりの効いた展開があるとかいう訳では全くない。「年若い娘の傷心ヨーロッパ旅行」、まさにそれだけなのである。それがなぜこれほどまでに面白い作品となっているのか。まず、この作品のシナリオ構成は従来的な「起承転結」を基にしたものになっていない。即ち、「物語る」という体裁を無理に取ろうとしていないのだ。最初に「婚約破棄」という事件があり、そして主人公はヨーロッパに旅立つ。その後は?その後主人公を待つのは、新しい世界、新しい出会い、新しい友人、新しい体験、といった、主人公の傷心を慰撫しそして立ち直らせ、さらに主人公自身が新しい自分を見つけていく、という目くるめく様な描写が次々と続いてゆくのだ。要するに、ヨーロッパで主人公を待っていたのは大きな幸福の時間であり、そして映画を観る者は主人公と一緒にその幸福体験をたっぷりと共有することになるのだ。そしてそこが、この映画の素晴らしい部分なのだ。

最初から最後まで単に幸福なだけの映画なら馬鹿馬鹿しくて観ていられないだろう。だがこの物語は最初に不幸な事件を持ってきて、そこから思いっきり明るい空へと跳躍させてゆく、といった抜群の瞬発力をみせつける。また、ヨーロッパに訪れて間もない頃の主人公は言葉の壁や習慣の違いからいろいろな躓きを体験する。物取りに出会って恐怖の夜を過ごすといったエピソードもある。しかしそれも甘いスイカにちょっぴり塩を振りかけてさらに甘さを引き立てるようなひとつのメリハリであり、こうしたリアリティを加味することで、お気楽で能天気なだけの「観光映画」に堕することを巧妙に回避することに成功してるのだ。一見すれば平凡ともいえるような種々の出来事に「輝き」を持たせ、その「輝き」を数珠繋ぎに構成することでえもいわれぬ幸福感を味あわせてゆく、この映画のシナリオの周到さ非凡さは恐るべきものだ。

この映画は、その文化の在り方から様々な部分で窮屈に生きることを余儀なくされるインド人女性を主人公としている。彼女がヨーロッパで出会う女性の「自由」は、大いなるカルチャーショックとして迎え入れられたことだろう。ただ、欧米人の「自由」の影には個人主義の「孤独」が表裏一体となっている。その「孤独」との戦いが、実は欧米人の「キツさ」として現れるのだと思う。インドの古い窮屈な慣習は、逆に保守的であることの「安心」と繋がる部分もある。インドの家族主義などその最たるものだろう。そしてまたその家族主義が窮屈さと繋がることもあるわけだが。

だからこの映画は欧米的な自由な生き方が至上である、といったことを描くものではない。むしろ、「様々な生き方があり、様々な価値観がある中で、自分はどの生き方でも、どの価値観でも選ぶことができる」ということに気付いた主人公の、自分を縛り付けていたものからの「開放」が描かれているのだ。そういった「開放感」が、またもやこの映画を、素敵で、素晴らしいものにしているのだ。女性を主人公とした傑作インド映画は日本でも最近幾つか公開されてきているが、この『Queen』は、それら傑作に勝るとも劣らない良作だった。だから、もうね、絶対ウケるから、早く日本で公開しちゃいなさいよ!!

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