Hatena::ブログ(Diary)

メモリの藻屑、記憶領域のゴミ

20141031(Fri)

[]今は亡きヴォネガットのお蔵出し短編集『はい、チーズ』 今は亡きヴォネガットのお蔵出し短編集『はい、チーズ』を含むブックマーク 今は亡きヴォネガットのお蔵出し短編集『はい、チーズ』のブックマークコメント

■はい、チーズ / カート・ヴォネガット

はい、チーズ

「さよならなんて、ぜったい言えないよ」魅惑の未発表作品集。バーで出会った殺人アドバイザー、夫の新発明を試した妻、“見る影もない”上司と新人女性社員…やさしくも皮肉で、おかしくも深い、ヴォネガットから14の贈り物。

ついこの間P・K・ディックの未訳長編が出たかと思ったら今度はカート・ヴォネガットのお蔵出し短編集である。10代の頃より両氏の大ファンだったオレにとって、これはもう盆と正月がいっぺんに来たかのような僥倖である。もはやオレも50を過ぎて、こんな具合に両氏の未訳作品を新たに読めるだなんて思ってもいなかったのだ。そもそもディックもヴォネガットもとっくに逝去していて、当然新作など望むべくもないが、こうしてじわじわと発掘された作品が出て来ると、両氏の存在が未だに自分にとってかけがえのないものであることを思い出させてくれる。

さてこの短編集『はい、チーズ』は1950年代、ヴォネガットが作家デビューして間もないころに書かれ、本人の判断で没原稿となったまま机の引き出しに眠っていた短編作品を発掘し編集したものだ。同様に作者の50年代の作品を編集したものに『バゴンボの嗅ぎタバコ入れ』(レヴュー)があるが、これなどは雑誌に掲載されたまま短編集未収録だったものを編集した短編集なのに比べ、『はい、チーズ』の作品はなにしろヴォネガットの没原稿集なのである。

作者没後の落ち穂拾いというのはままあることだが、クオリティはいか程のものなのか…と思って読んだ所、それは全くの杞憂、むしろ驚くほど高水準の作品が並んでいるではないか。ある意味『モンキー・ハウスへようこそ』『バゴンボの嗅ぎタバコ入れ』『追憶のハルマゲドン』(レヴュー)といったこれまで訳出されてきた短編集と比べても遜色がないばかりか、個人的には最も面白く読めたヴォネガットの短編集だとすら言えるのだ。

この『はい、チーズ』は例えば「奇妙な味」の作品を集めた「早川異色作家短編集」の一冊に入っていてもおかしくないし、河出書房新社の「奇想コレクション」として出されていてもやはり少しも違和感のない現代的な新鮮さに溢れているのだ。なにしろバランスがよく、癖が無く、ストレートで、軽やかで、そしてきちんとひねってある。短編小説に必要なものを全て兼ね備えたプロフェッショナルな作品であり、そしてきちんとエンターティンメント作品なのだ。

このような「出来の良い」作品をなぜヴォネガットは没原稿にしたのか?ということに実に興味が湧く。考えるにヴォネガットは、この短編群の先に挙げた優れた要素、バランス、癖の無さ、ストレート、軽やかさ、これら全てに、どこか「自分らしさ」とそぐわないものを感じたのではないか。これらの要素はプロ作家の高いテクニックによって書くことができるものだとはいえ、逆にヴォネガットは「テクニックだけで書いた」と自分を戒め、それゆえの没原稿だったのではないだろうか。なぜならヴォネガットはただのプロ作家はなく、最高水準のプロ作家だったからである。とはいえ、そんな作者の思惑と離れ、この作品集が十分優れ、十分楽しめ、そしてヴォネガットを偲ぶことのできるものであることは鉄板で間違いない。

ざっくり作品を紹介すると、「耳の中の親友」はヴォネガットらしい科学技術への警鐘を描くSF作、「ヒポクリッツ・ジャンクション」はセールスマンが出会ったとある壊れた夫婦の顛末を描く掌編、「エド・ルービーの会員制クラブ」はハメットもかくやと思わせるハードなクライム小説、「セルマに捧げる歌」はどこか微笑ましい学園ドラマ、「鏡の間」は催眠術師を主人公にした"奇妙な味"の短編、「ナイス・リトル・ピープル」は小さな小さな宇宙人が…というSF作、「ハロー、レッド」は一人の男の妄執を描く文学、「小さな水の一滴」はバリトン歌手を主人公にした皮肉なロマンス、「化石の蟻」はロシアを舞台にした小松左京を思わせる奇想SF、「新聞少年の名誉」は犯罪と名誉を描きながらアメリカらしいヒューマニティを感じさせ、「はい、チーズ」はロアルド・ダール的などこか不気味な作品、「この宇宙の王と女王」は富豪の親を持つ男女がある夜出会う人生を変える様な出来事、「説明上手」は不妊クリニックを題材にしたブラックな作品だ。

こうして書くとこの短編集がいかにバラエティに富んだものかわかるだろう。そしてそれぞれのジャンルを、どれも高い完成度で描けてしまう若き日のヴォネガットのその力量に唸らされることだろう。そしてまた、これらの作品の持つ軽妙洒脱なセンスは、半ば神格化されその著作を読むのに身構えてしまう多くのヴォネガット作品と比べ、ヴォネガットをよく知らない読者でもさらりと読み通すことのできるものだということができるだろう。これらの作品にはヴォネガット円熟期のニヒリズムや人間性への強烈な希求はまだ見出すことはできないが、「気軽に読める短編」といったとっつきやすさを兼ね備えているのだ。

その中で自分が最も気にいった作品が「FUBAR」だ。「見る影もなくめちゃくちゃ」を意味するこのタイトルは、企業内失業者と化した窓際族の男がある日その部署にやってきた新人女性社員と出会うことにより、人生の新たな意味を見出すというヒューマン・ドラマだ。この作品には希望があり夢があり、機知に富み茶目っ気があり、そしてなにより恋がある。ああ、なんと素晴らしい作品なのだろう。そして、ヴォネガットとは、なんと素晴らしい作家だったのだろう。そんなことを思い出させてくれる短編集『はい、チーズ』は、これまで読んだヴォネガットの多くの作品をまた読み返したくなる優れた一冊だった。

ヴォネガットに関しては以前こんなエントリーも書いています。

「オレ的作家別ベスト5・第1回 ベスト・オブ・カート・ヴォネガット!」

「オレとサイエンス・フィクション!(全5回・その5)」

「国のない男 / カート・ヴォネガット」

「カート・ヴォネガット氏死去」

はい、チーズ

はい、チーズ

追憶のハルマゲドン

追憶のハルマゲドン

HeadacheHeadache 2014/11/01 18:44 えっ?死んだの?

globalheadglobalhead 2014/11/01 18:55 2007年4月11日に亡くなられました。享年84歳。

20141030(Thu)

[]帰省 (その3) 帰省 (その3)を含むブックマーク 帰省 (その3)のブックマークコメント

この日は昼過ぎの便で東京に帰ることにしていた。時間がまだあったので、弟が宗谷岬を見るため車を出してくれた。丘の上に風力発電のプロペラが見える。

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20141029(Wed)

[]帰省 (その2) 帰省 (その2)を含むブックマーク 帰省 (その2)のブックマークコメント

朝。実家は日本の一番北の土地なので、まあ、とりあえず寒い。この日も気温は5度。東京から来る時にユニクロの安物ダウンを買って持ってきていたが、それだけでは足りず、結局ニット帽と手袋を買い足した。

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20141028(Tue)

[]帰省 (その1) 帰省 (その1)を含むブックマーク 帰省 (その1)のブックマークコメント

10月20日から23日まで北海道の田舎に帰っていた。母が急病で入院・手術することになったのだ。それで会社に休みを貰って、20日の航空券を取り、実家に帰ることにした。状況は分からないが、取り敢えず23日までいて、帰ることにしていた。

通常の帰省ではなく、夏や冬の休みという訳でもなく、平日に実家に帰る、というのがどうにも非現実的だった。

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20141027(Mon)

[]前を見て、笑顔で胸張って!〜映画『カムバック!』 前を見て、笑顔で胸張って!〜映画『カムバック!』を含むブックマーク 前を見て、笑顔で胸張って!〜映画『カムバック!』のブックマークコメント

■カムバック! (監督:ジェームス・グリフィス 2014年イギリス映画)

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肥満度100%のメタボな中年男がサルサ好きの女性に恋をして、彼女のハートを射止めるために自分もサルサを踊っちゃう!?というコメディ映画です。主演のメタボ中年を『ワールズ・エンド 酔っぱらいが世界を救う!』『宇宙人ポール』のニック・フロストが演じ、全身の脂肪をプルプルいわせながらサルサに挑戦しております。

イギリス中に"サンダーキャッツ"の名を轟かせた天才サルサダンサーのブルースと妹のサム。しかし全国大会制覇を目前に起きた事件がトラウマとなり、ブルースはサルサを封印したのだった。25年後、旋盤設計士として働くブルース(ニック・フロスト)は、立派なメタボ男に激変していた。押しの弱い性格のためか結婚はおろか、彼女なし。地味に暮らす彼に恋の稲妻が落ちた!お相手はアメリカから赴任してきた上司のジュリア(ラシダ・ジョーンズ)。彼女に一目惚れしたイケメンの同僚、ドリュー(クリス・オダウド)も加わり、恋の火花散る三角関係が始まった。メタボ男が情熱のサルサを踊る時、人生のミラクルが起きた!(公式HPより)

えーっと最初に書いちゃうと、ニック・フロスト、残念なことにあんまり踊れてません。手つきやステップには練習の後が見られますが、なにしろ体が硬いようで、ダンス・シーンでは単に手足をバタバタさせているようにしか見えません。一応ペアを組む女性が派手に踊ってくれているので、上手にリードを取っているように見せていますが、「かつての天才少年」の片鱗もないし、後半のダンスコンテストでも、なぜにこいつが予選を勝ち進んでゆくのか…とちょっと疑問に思えてしまいます。多分アイディアの段階では「ぶくぶくのおデブさんが華麗にダンスを踊っちゃう!?」という落差を可笑しさに持って行きたかったのでしょうが、確かにそんな落差は楽しかったにしろ、華麗に踊ることに関してはどうも無理があったようです。そういった部分では、いわゆるダンス映画としてのカタルシスはあまり望まないで観たほうがいいでしょう。

しかしこの映画は、いつもはサイモン・ペッグとペアで取り扱われているニックさんの、そのピンの魅力を堪能するにはもってこいの作品として仕上がっているんです。ニックさんがピンで出演している作品はあることはあるんですが、主演となるとこの作品が初めてなんじゃないのかな(TVシリーズ『Danger! 50,000 volts』では主演を務めた模様)。この作品でのニックさん、なにしろチャーミングなんですよ。おデブさんならではの、ちょっと引いた感じの奥ゆかしさが、可愛らしくて堪らないんです。そしてよく見ると、いつもはアホな役回りばかりのニックさんが、実はとても知的な目つきをしていることに気付かされます。物語の中ではいつも紳士だし、繊細だし、例えダンスの腕はイマイチでも、きっとデブ専女子(あるいは男子)の心をときめかせまくっちゃうんじゃないでしょうか。そもそもこの作品、ニックさんが主演のみならず原案・製作総指揮を務めていて、きっとその製作段階で「ちょっとイケてる俺を演出しっちゃおっかなー」なーんて思ったに違いありません。

また、物語に登場する人々が濃い目で楽しかったりします。ニックさん演じるブルースの友人たちは「こいつら本当に役者なのか?」と思ってしまうほどイケてない連中ばかりですが、ブルースへの友情は確固たるものだったし、ブルースと関わるゲイな中東男子の気さくな優しさは、やはり暖かな友情を感じさせてくれました。ブルースのダンス教師ロン役で、最近では『ヘラクレス』にも出演しているイアン・マクシェーンは、実に黒光りしたどこかワルっぽい雰囲気が渋かったですね。一方ブルースの恋敵となる同僚ドリューは、しょっちゅう連発する笑えない下ネタと下司ぶりが実にイギリス人らしくもあり、これも敵役として上々でしたね。まああと女優に華が無いのもイギリスっぽいといえばイギリスっぽいですが。

そしてこの映画、サルサ・ダンスをテーマにしているだけあって、サルサ・ミュージックを映画館のサウンド・システムでとことん堪能できるのがいいんですね。実の所、自分はサルサに造詣が深いわけでは全くありませんが、劇中流れるサルサの音楽がとても歯切れよく再生されていて、「いい音だなー」と感心しておりました。作品自体はイギリス映画らしいこじんまりしたもので、コメディとは言ってもドタバタ喜劇みたいな馬鹿馬鹿しい笑いを誘う作品では決して無いんですが、音楽映画の楽しさや幸福感はきちんと兼ね備えており、個人的には十分満足できた作品でした。

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20141024(Fri)

[]『高い城の男』の続編として予定されていたP・K・ディックの未訳長編〜『ガニメデ支配』 『高い城の男』の続編として予定されていたP・K・ディックの未訳長編〜『ガニメデ支配』を含むブックマーク 『高い城の男』の続編として予定されていたP・K・ディックの未訳長編〜『ガニメデ支配』のブックマークコメント

■ガニメデ支配 / P・K・ディック & レイ・ネルスン

ガニメデ支配 (創元SF文庫)

星間戦争に敗北し、ガニメデ人に占領された地球。だが人類には希望があった。テネシーの山中で、戦前から抑圧されてきた黒人たちを率いる抵抗勢力の指導者が反撃の機会を窺っていたのだ。その彼を取材するため元恋人のテレビ司会者が訪れる。一方、異端の天才精神科医が開発したものの、だれも使用したことのない最終兵器が発見された。種の生存を賭けた幻視大戦。本邦初訳長編。

P・K・ディックの未訳長編がまたもや訳出されてファンとしては嬉しい限りだ。しかもこの長編、レイ・ネルソンというSF作家との共作なのだという。タイトルは『ガニメデ支配』、1967年の作であり、これは『逆回りの世界』『ザップガン』(1966年)の後、そしてあの『アンドロイドは電気羊の夢を見るか?』(1968年)の前に書かれた作品ということになる。そしてこの作品、今まで未訳だったにもかかわらず、ディックのエキスがたっぷりと詰まった、実にディックらしい長編じゃないか?

物語は宇宙からやってきたガニメデ人に支配された後の地球が舞台となる。ちなみにこのガニメデ人、芋虫の様な薄気味悪い姿をしたクリーチャーとして登場する所がパルプSFしていてまず嬉しい。しかしこのガニメデ人に唯一抵抗する勢力が地球にあった。それは黒人指導者パーシィXを首領とする黒人反乱分子たちだ。このパーシィーXを取材するため元恋人で日本人・アメリカ人ハーフの女性TV司会者が反乱分子の潜むテネシー山中へと赴く。一方、この戦争を終結させるため天才精神科医バルカーニの開発した最終兵器が発見される。しかしそれは、あらゆる生物の精神に影響を与える幻視現象兵器であったため、使用されると地球人にも影響を与えかねない諸刃の剣だったのだ。

この物語の鍵となる黒人解放戦線の首領、パーシィXが黒人であり、またその恋人が日本人ハーフである、ということがまず興味深い。さらに舞台となるアメリカ南部テネシーは、この物語の中でさえ未だ黒人差別が根深く残る土地として描かれるのだ。しかもパーシィXの補佐となる黒人男性の名が「リンカーン」。異星人の支配した世界で、被支配者である白人がさらに差別する黒人という構図、その差別されている黒人だけが地球を救おうと立ち上がる展開、もうこれだけで、ディックが物語の中にどのような皮肉なアレゴリーを込めようとしたのかが分かってくるだろう。また黒人カルトを起点として物語を展開させてゆくプロットはディックの処女純文学長編『市に虎声あらん』にも見られ、ディックの有色人種への奇妙な心情的接近が伺うことができ、ディック作品を読み解く鍵のひとつになる。ディックは黒人の中にある種のオルタナティブな力を見出していたのではないだろうか。

もうひとつ面白いのは異星人支配者ガニメデ人の描写だ。異星人ならではの不気味な性質は与えられてはいるものの、ハリウッドSF映画によく登場するような人類に全く理解不能で残忍残虐な異星生物といったものでは無く、ただ支配者の傲慢を備えた鷹揚な態度の生物として登場するのだ。これは実は、この作品がディックの代表作のひとつ『高い城の男』の続編として予定されていた作品のプロットを流用したものであるからだという。『高い城の男』は第2次世界大戦で枢軸国が勝利し、アメリカが日本とドイツによって分割支配された世界を描く作品だが、いわば「本書で地球を占領したガニメデは大日本帝国の宇宙的隠喩」であることが巻末の解説でも明らかにされている。即ちこの物語を『高い城の男』の続編として読むと、また違った切り口と味わいを得ることができるというわけなのだ。

そしてなによりこの物語の真骨頂となるのは、中盤から登場する「幻視現象兵器」が使用された際の、あまりにもディック的な威力のありさまとその描写なのだ。地球侵略SFなのにもかかわらずその戦局を左右する兵器が熱核兵器やエネルギー砲のような破壊兵器なのではなく、精神に影響し幻覚を見せる兵器である部分がなにしろディックらしいし、そしてその幻覚描写が数多のディック作品の「変質し解体してゆく現実」の描写そのもので、ディック・ファンなら「いよ!待ってました!」と掛け声のひとつも掛けてしまいたくなるほどぞくぞくさせられるものなのだ。そこでは『宇宙の眼(虚空の眼)』が、『火星のタイム・スリップ』が、『ユービック』が、『死の迷路』が描いていた「グズグズと崩れ落ちる現実認識」が繰り返され、そうして風穴を開けられた現実の向こうに、あまりにも異様なもう一つの世界が広がっている、というわけなのだ。こんな展開のディックSFが面白くない訳がない。

また、この物語ではディック作品お馴染みのシミュラクラ(非人間的な人間と人間的な非人間の対比から、「人間性とは何か?」を浮き彫りにしようとする)、テレパスによる「共感(エンパシー)」(人は共感によってはじめて結び付くのではないか、というディックならではの考え)など、ディック作品のモチーフがオンパレードになっている部分がまた楽しい。なおこの作品はレイ・ネルスンとの共作ということになっているが、いったいどこがレイ・ネルスンの部分なのか分からないほどにディックらしい作品となっている。ある意味とっちらかったり逸脱しがちなディックのプロットを整理した形にしたのがレイ・ネルスンの功績なのかもしれない。これまで未訳だったことから駄作珍作を予想する方もいらっしゃるかもしれないが、少なくともディック・ファンには暖かく迎え入れられる作品ではないだろうか。

20141023(Thu)

[]最近読んだアメコミ2作〜『ロケット・ラクーン&グルート』『デッドプール:スーサイド・キングス』 最近読んだアメコミ2作〜『ロケット・ラクーン&グルート』『デッドプール:スーサイド・キングス』を含むブックマーク 最近読んだアメコミ2作〜『ロケット・ラクーン&グルート』『デッドプール:スーサイド・キングス』のブックマークコメント

■ロケット・ラクーン&グルート / ビル・マントロ、ダン・アブネット、アンディ・ラニング、スタン・リー、ラリー・リーバー、キース・グリフィン、サル・ビュッセマ、マイク・ミニョーラ、ティモシー・グリーンII、ジャック・カービー

ロケット・ラクーン&グルート (MARVEL)

モフモフにしてやんよ! 映画『ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー』で話題の宇宙アライグマ、ロケット・ラクーンが大活躍! ロケット・ラクーンの全てを詰め込んだ豪華オムニバス登場!

まさかの映画化で一躍、トップスターの仲間入りを果たした宇宙アライグマのロケット・ラクーンと、20世紀中にはわずか3回しか誌面に登場していない樹木人間グルート!トラスコミックス時代のグルート初登場作から、幻のロケットデビュー作、実質的な初登場エピソードであるハルクとの競演作、若き日のマイク・ミニョーラの出世作でもあるロケット主演のミニシリーズ、さらには、実に25年ぶりとなるその後日談と、今、話題の二大ヒーローの登場からわりと最近までをまるっと収めた注目の一冊が登場!

実は映画『ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー(GotG)』は未見。観に行く暇がなくてソフト化されてからでもいいかなあ、と思っているところである。映画を観ていないのにこのコミックを買う人間は珍しいのかもしれないし、もともと買うつもりもなかったのだが、なにしろ表紙がマイク・ミニョーラ、さらに若き日の彼がペンシラー(アメコミでは「絵の下書き担当」ということらしい)として参加と聞くにつれ、いちマイク・ミニョーラ・ファンとして興味が出てしまったのである。まあ実際読んでみると、本当に若かったころに参加したものらしく、『ヘル・ボーイ』でのマイク・ミニョーラみたいな描線の片鱗も認識できなかったが。

しかしそういった部分での期待は叶えられなかったにせよ、この『ロケット・ラクーン&グルート』、『GotG』を観ていなくても十分楽しむことのできる作品だった。基本的には『GotG』の登場キャラである"遺伝子改造されたアライグマ"ロケットを主人公とし、彼の生い立ちの秘密と宇宙に飛び出すまでを描く前半と、『GotG』解散後の(なにやら相当な悲劇があったのだそうな)ロケットの活躍が描かれる後半とに分かれて物語が収録されているが、この後半において『GotG』キャラである樹木型ヒューマノイド・グルートが絡んでくる、という作りになっている。前半にはあのハルクが登場し、ロケットと共闘する回があったりもする(1982年作)。また、グルートが「宇宙の怪生物」役で登場する彼のデビュー作(1960年作)も収録されている。

ロケットの中心的なエピソード「Rocket Raccoon」は1985年作で、つまり30年近く前の作品なものだから、グラフィックや物語展開は相当古めかしいものを感じるのし、ロケット以外のキャラもだいたいが「知能を持った喋る動物」で、なんだか子供向けの物語を思わせてしまうのだが、これが読み進めていくと、単に動物キャラのヒーローが活躍するという安易な作品ではなく、それなりに世界観が設定された物語であることが分かり始める。ロケットをはじめとする動物キャラが「知能を持った遺伝子改造動物」にされた理由がきちんと説明されているのだ。

そして後半収録の「Annihilators」「Annihilators: Earthfall」は2011〜12年に描かれた作品で、さすがに今風のアメコミ・グラフィックと物語展開を見せており、こちらは読みやすい。物語は「GotG」解散後にしがない郵便係に身を落としたロケットが宇宙を揺るがす陰謀に巻き込まれ、元相棒グルートの居場所を探し出し、彼と再び協力しあって陰謀を打破する、といった物語になる。しかも後半、「Rocket Raccoon」の舞台でありロケットの出身惑星であるハーフワールドが登場し、かつての仲間が総出演する、といった展開を見せるのだ。すなわちこの『ロケット・ラクーン&グルート』、30年余りをかけてロケットの物語にきちんとした連続性を持たせているというわけなのだ。こまっしゃくれて口数の多いヒーロー・ロケットは十分魅力的で、そしてグルートというキャラも実に楽しい。う〜ん、やっぱり映画『GotG』、きちんと見ておくべきなのかもしれない(いや…暇がなくて…)。

◎参考:「ツルゴアXXX / ビル・マントロ&マイク・ミニョーラ他/ロケット・ラクーン&グルート」

デッドプール:スーサイド・キングス / マイク・ベンソン、アダム・グラス、カルロ・バルベリー、ショーン・クリスタル

デッドプール:スーサイド・キングス (MARVEL)

デップー第二弾! スパイダーマン、デアデビル、パニッシャーらもゲスト出演! 濡れ衣を着せられたデッドプール。汚名返上できるのか!? ヒット作『デッドプール:マーク・ウィズ・ア・マウス』より前のエピソードを描いたミニシリーズ。スパイダーマン、デアデビル、パニッシャーらもゲスト出演!

我らの“冗舌な庸兵”のもとに、100万ドルの暗殺依頼が舞い込んだ。だが、高額な暗殺の裏には、大いなる陰謀が仕組まれていた。罪のない一般市民を殺害したという濡れ衣を着せられたデッドプールは、あろうことかパニッシャーに命を狙われることになる。しかし、彼の無実を信じる者もいた。その名はデアデビル…。暗黒街の仕置人パニッシャーを前にして、恐れを知らぬ男に勝ち目はあるのか!?

ちょっと前からアメコミの翻訳が盛んになり出し、様々な名作が日本でも読めるようになってきて、たいしてアメコミの知識はないのだけれども自分なりにDCやマーベルの翻訳コミックを買い楽しんできたが、今度は逆にリリース作が豊富になり過ぎてついてこれなくなってしまったのだ。おまけにバンドデシネにも手を出してたものだから、結構高額なこれらのコミックを買い続けるのは懐が厳しくなり(あと置き場所もね…)、アメコミに関しては手を出すのを中止することにしていた。

ただ、デッドプールというキャラはなぜだか気になり、自らの禁を犯してこれだけは読んでみることにした。いや、実は『ヒットマン』にも手を出してるんだけどさ…やっぱり買ってんじゃんオレ…。デッドプールにしろヒットマンにしろ興味を覚えたその理由というのは、バットマンやスーパーマンらなんとなくお馴染みになってしまっている大御所と違い、「こいつらなんなの?」という好奇心を抱かせる奇妙なキャラクターだったから、予備知識の全くない新鮮さがあったから、ということになるだろう。

デッドプールの『デッドプール マーク・ウィズ・ア・マウス』はその期待を裏切らないコミックで、その「不死身のハチャメチャお調子者ヒーロー」といった風情が実に楽しかった。この『デッドプール:スーサイド・キングス』も前作同様フットワークの軽いオチャラけキャラ振りを徹底しており、実に楽しい作品に仕上がっている。

物語はとある陰謀に巻き込まれ絶体絶命のデッドプール!といったもので、さらにデアデビル、スパイダーマンパニッシャーの客演もあり、物語を賑やかせてくれる。あとデッドプールというキャラにはあまりしがらみがないのがいい。実際の所、その誕生については結構陰惨なドラマがあるのらしいのだが、そういった部分にこだわらず、あくまでアホを貫き通す、という吹っ切れ方もいい。そしてこのコミック、なにより薄くて安いのがいい。いやー最近の海外コミックって分厚い上に高くてさあ…。それにしてもデッドプール、頭を吹き飛ばされても復活するって、インチキを通り越した不死身振りがなんとも凄まじいな。

20141022(Wed)

[]アメリカ人はツライよ〜映画『プリズナーズアメリカ人はツライよ〜映画『プリズナーズ』を含むブックマーク アメリカ人はツライよ〜映画『プリズナーズ』のブックマークコメント

プリズナーズ (監督:ドゥニ・ヴィルヌーヴ 2013年アメリカ映画)

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娘を誘拐されたオヤジが容疑者と思しき男を拉致監禁して「娘どこだゴルァ!」とボコりまくるというリーアム・ニーソン『96時間』みたいな映画です。『96時間』では主人公が元CIA工作員のスキルを生かして誘拐犯を追い詰めますが、この『プリズナーズ』では主演のヒュー・ジャックマンがアダマンチウム合金の爪を振り回しながら容疑者をなますに引き裂いてゆく、という『X-メン』展開が待ってるんですね。……とまあ全部冗談です。

まあしかし、おんなじ娘誘拐モノだったら『96時間』のほうが断然面白かったなあ、と思わせる長くて暗くて辛気臭くて鬱陶しい物語であることは確かです。暗くて長いからダメってことはないんですが、辛気臭くて鬱陶しい大元になってるのが、例によって欧米人大好きキリスト教的世界観によるものだからってぇのがまたぞろうんざりささせてくれるんですよ。

この作品ではキリスト教の・キリスト教的なモチーフが意識的にそこここに配されています。冒頭の鹿狩りにおける祈祷文の暗唱、信仰心篤い主人公、黙示録を恐れるかのような地下室の膨大な備蓄、飲んだくれ神父の背徳、禍々しくのたくる蛇、極め付けがなんかカルトなアレ、とまあキリスト教モチーフのオンパレードで、あとパズスの邪神像さえ出せばそのまま『エクソシスト』の続編として通用しそうなぐらい宗教ホラー的な様相を呈した物語となっているんですね。

別に宗教的であるのは全然構わないんですが、なーんであの人たちは宗教が絡むとこんなに暗くキツくなっちゃうのでしょうか。それと同時に、そんなに宗教心篤いにもかかわらず、なーんであの人たちはこうしていつも不安に塗れた生活しているのでしょうか。それともうひとつ、誘拐容疑者をいたぶっていたぶっていたぶりまくる主人公の行動に代表されるように、なーんであの人たちは博愛を元としているであろうと思われる宗教を持ちながら時として他者に対して苛烈極まる態度をとることができてしまうのでしょうか。

ある種の宗教が、博愛や隣人愛や道徳を説きながら、一方で他者や限定された集団に苛烈な行動をとることができるのは、それら博愛や隣人愛や道徳が、実は信教しているものの間だけ、つまり閉鎖されたコミニュティの中だけで成り立っているものであり、そのコミニュティの外側にあるものは容易く攻撃の対象になってしまうという強烈な排他性を持っている、ということなのでしょう。主人公が誘拐容疑者をナニするのは「平和なコミニュティを侵す"異邦人"」であるからなのだし、なんかカルトなアレが恐ろしいことをしでかすのも「我らがコミュニティの外は"異端"」でしかないからなのでしょう。これらは全てキリスト教が神の名の下に行ってきた歴史上の迫害や侵略、差別行為と通じているわけなんです。

そもそも現在あるキリスト教自体がその歴史の中で様々な"異端"を弾圧し排斥して成立しているわけですから、教義がそういった性格を孕んでしまってるのかもしれません。現行キリスト教成立の歴史は、いわば「権威」を確立させるための歴史であり、本来のキリスト教が持っていた性格と懸け離れた部分があるのではないか。その本来の部分、というのは自分はよく分からないのですが、博愛と迫害のダブルスタンダードを刷り込まれ、なおかつ近代合理主義の精神を持つ人間には、その信教の中で自己を乖離させてしまう、自己が引き裂かれてしまう、そういった状態に置かれてしまうということの結果が、欧米キリスト教圏の暗さ、キツさ、辛気臭さ、なのではないのかとオレなんかは思うんですけどね。

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20141021(Tue)

[]アメリカ兵はツライよ〜映画『ローン・サバイバーアメリカ兵はツライよ〜映画『ローン・サバイバー』を含むブックマーク アメリカ兵はツライよ〜映画『ローン・サバイバー』のブックマークコメント

ローン・サバイバー (監督:ピーター・バーグ 2014年アメリカ映画)

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タリバンの悪いヤツラを懲らしめに意気揚揚とアフガニスタンに赴いたアメリカ人の兵隊さんたちが、返り討ちに遭ってギタギタにされちゃう、というアメリカ映画です。実際の出来事を元にして制作されたということですね。

まあ、お仕事とはいえ、アメリカの兵隊さんは大変なんだなァ、というのがひしひしと伝わってきます。アフガンの山の中、たった4人で200を超えるタリバン兵に取り囲まれ、絶望的な銃撃戦を繰り広げるのですが、仲間は一人また一人と倒れていく、という壮絶な展開を見せます。この辺、アメリカ国民の皆さんは大変悲痛な思いでこの映画を観られることになるのでしょうが、日本のその辺のオヤジである自分などは「すっげー!チョー迫力!コエー!」とか「うっわー!チョーイタそう!コエー!」とかアホみたいな感想しか浮かばないんですよ。実話だとは言われても、単にリアルでよく出来たスペクタクルだねぇ…ぐらいしか感じないんですよ。まあ戦闘のドンパチさえ面白ければそれでもいいのですが、逆にそれ以上でも以下でもない映画なんですね。

そもそもこの作戦の失敗自体が、「密告する恐れがあるにも関わらずアメリカ兵の存在を知ってしまった民間人を逃がしてしまう」という初歩的なミスからだし、それと合せ連絡が途絶えがちな山岳地帯の作戦であった、というのももうひとつの理由ですが、アメリカの誇る特殊精鋭部隊ともあろうものが、こういった状況における対処の仕方のコンセンサスがとれていないんだ?となんだか不思議でした。結局、「迂闊な作戦だったんだろ?」という気がどうにもしてしまい、それを孤立無援の派手な銃撃戦で悲壮感たっぷりに描かれてもどこか白けるんですよ。

ところがクライマックスで、ただ一人生き残った主人公をアフガニスタン人のある村がかくまう、というシーンが入るんです。これは「助けを求めてきた客人は、どんな犠牲を払っても守り抜く」、「パシュトゥーンの掟」というものがアフガンに古くからあるからなのだそうなんです。そしてこの村の住民たちとタリバン兵との壮絶な銃撃戦が始まります。しかしこの村自体、冒頭でタリバンの暴挙を苦々しく思っているような場面が挿入されているんです。こういった、一般の住民とタリバン兵との齟齬、そして、今アフガニスタンがどういう状況に置かれているのか、本来これこそが中心的なテーマとして描かれるべきことであって、迂闊なアメリカ人兵士がドンパチやりながら逃げ惑う映画的スペクタクルなんて、それと比べたらどうでもいいことのようにすら思えてしまいましたね。

だけども「戦闘被害者」であるアメリカの兵隊さんを擁するアメリカ人にとっちゃあ、アメリカ兵を痛めつけたにっくきアフガニスタン人の現況とか物の考えとかどうでもいい話で、結局「お国の為に大変な思いをした兵隊さんたちに同情しちゃうぞ!」という物語としてしか映画は成立しないんですね。ラストは亡くなった戦士を偲びつつ情緒たっぷりに幕を閉じ、ここでデヴィッド・ボウイの『ヒーローズ』がいやらしいぐらい感傷的ななバージョンで歌い上げられますが、この感傷性自体、なにかはき違えているような思えましたね。ボウイのいちファンとして言わせてもらうなら、そもそも『ヒーローズ』ってそんな歌じゃねえぞオイ。

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20141020(Mon)

[]冷徹なるシステムの中心で【人間的要素】を叫んだ男〜映画『誰よりも狙われた男冷徹なるシステムの中心で【人間的要素】を叫んだ男〜映画『誰よりも狙われた男』 を含むブックマーク 冷徹なるシステムの中心で【人間的要素】を叫んだ男〜映画『誰よりも狙われた男』 のブックマークコメント

誰よりも狙われた男 (監督:アントン・コービン 2013年アメリカ・イギリス・ドイツ映画)

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この『誰よりも狙われた男』は、国際諜報スリラー小説の第一人者ジョン・ル・カレが2008年に発表した小説の映画化となる。ル・カレ小説の映画化作品は多いが、近年ではゲイリー・オールドマン主演で『ティンカー・ティーラー・ソルジャー・スパイ』を映画化したトーマス・アルフレッドソン監督作品『裏切りのサーカス』(2011)が話題を呼んだ。

物語の舞台は911テロの後に緊張高まるドイツの港町ハンブルグ。この国の諜報機関でテロ対策チームを率いるバッハマン(フィリップ・シーモア・ホフマン)はロシアからの密入国者イッサ(グレゴリー・ドボルキン)に目を付け、彼を泳がせる。イッサは人権団体の女性弁護士アナベル(レイチェル・マクアダムス)に接触し、彼女を仲介にイギリス人銀行家ブルー(ウィレム・デフォー)と会おうとしていた。バッハマンの狙いはイスラム派の学者・アブドゥラ(ホマユン・エルシャディ)によるテロ団体への資金援助の情報を掴みだすことだったが、捜査は予想もしない方向に動き始めていた。

フィリップ・シーモア・ホフマンの遺作であり、その鬼気迫る演技が話題となる作品であろう。ここでホフマンはあたかも自らの死を予知していたかのような陰鬱で徒労にまみれた諜報部員バッハマンを演じる。バッハマンは国家保安保障という大義の為に己が使命を全うしようとするが、その職務には薄汚れた側面もあった。だがそれでもバッハマンはぎりぎりの部分で人間的であろうとしていた。けれども、彼と敵対する憲法擁護庁が強硬的な態度を見せ、さらにCIAが怪しい動きを見せる。密入国者イッサの目的は掴めず、女性弁護士アナベルは思わぬ行動に出る。この物語は、誰一人として信用できない状況の中で彷徨する一人の諜報部員の姿を通し、国際国家の冷徹さを浮き彫りにしてゆくのだ。

国際諜報スリラーをスリラーたらしめている部分は、国際情勢の暗部で蠢くものを抉り出し、その冷徹さを描くものであるのと同時に、【誰も信用できない】という極度にパラノイアックな状況の中で緊張状態が延々と続いてゆく、その恐怖にあるだろう。そしてその冷徹さとパラノイア的な心理状況を生み出すのは、国家という名の一つの巨大であり強大なるシステムなのだ。そのシステムの中で、人は心を持たぬ一個のパーツとして生きることを強要される。

それは「国家の為」であったり、「正義の為」であったり、この『誰よりも狙われた男』で皮肉に語られていた「平和の為」であったりする。その目的は高尚であっても、目的化された行為の中に、人間性は押し潰されてしまう。果たしてその中で、人は人であり続けられるのか?そして人であるということはどういうことなのか?国家というシステムの中で【そこに人間的要素はあるのか?】と問いかけることが国際諜報スリラーの真のテーマとなるのだ。

これは「国際情勢」という大きな物語の中の話だけではない。人は多かれ少なかれ、なにがしかの「システム」の中に生き、そこに参加することを求められる。それは国家はもちろん、会社企業であったり、地域コニュニティーであったり、あるいは家庭であったりもする。そこに「社会」がある以上、システムは存在する。そしてそれがひとつの【原理】になった時、一個人の思惑など容易く押し潰す怪物的な力を表わすことになるのだ。

「主語の大きな話し方」という言い方を時たまネットでも見かけるが、その「大きな主語」の中に、往々にして人は取りこまれてしまう。そしてその"主語"の為に奉仕することになってしまう。奉仕するもの、それはロボットだ。ロボットであり、人間性を剥奪されたもののことだ。この非人間的なシステムの中で、人はいかにして【人間的要素】を持ち続けられるか。諜報作戦の中で人間的であろうとしたバッハマン、人権の名の元にテロ容疑者をかばう女性弁護士アナベル、気高くイスラム的であろうとして道を踏み外すアブドゥラ、そして国際社会の中でその人生を蹂躙され続けてきたイッサ。映画『誰よりも狙われた男』は、国際情勢という大きな物語の中で、小さな一個人の抱える【人間的要素】の在り処を探り出そうとするドラマだったのだ。

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20141017(Fri)

[][]記憶が15分しか保てない男の暗黒の復讐劇〜映画『Ghajini』 記憶が15分しか保てない男の暗黒の復讐劇〜映画『Ghajini』を含むブックマーク 記憶が15分しか保てない男の暗黒の復讐劇〜映画『Ghajini』のブックマークコメント

■Ghajini (監督:A・R・ムルガダース 2008年インド映画)

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髭面に坊主頭、その頭には大きな傷があり、筋肉隆々とした肉体は入れ墨だらけ、そんなアーミル・カーンが鬼のような形相でこちらを睨んでいる…映画『Ghajini』のポスターからは、ただ事ならぬ雰囲気がひしひしと伝わってきます。この男は誰なのか?なんでこんなおっかない顔してこっちを睨んでいるのか?そしてタイトル『Ghajini』とはどんな意味なのか?「いや〜すっごいコワイ映画だったらどうしよう…」と小鹿のように震えながらオレはDVDを観始めたわけですね!するとこれが、悲しい過去を背負った男の、憤怒と狂気に溢れた復讐の物語だったのですよ!

男の名はサンジャイ・スィンガーニヤー(アーミル・カーン)。彼はある暴行事件に遭い、頭を強打された挙句、「15分しか記憶を維持できない」後遺症を負ってしまいます。15分しか記憶の持たない彼は沢山のメモや写真を持ち歩き、その都度自分の記憶を呼び戻し、なんとか日常生活を続けていました。そんな彼に興味を持ったのが医学生のスニーター(ジヤー・カーン)。研究の一環としてサンジャイに近付いたスニーターでしたが、徐々にサンジャイの幸福だった過去と恐ろしい悲劇の真相を知ることになるのです。それはサンジャイの、かつて大企業のCEOとして前途洋々の未来が開けていた日々、彼が知り合い愛しあった女性カルパナ(アシン)の優しさと素晴らしさ。しかしその彼らをある日、冷酷な人身売買組織の魔の手が襲うのです。全ての幸福を奪われ、脳に障害を持ったサンジャイ。しかし彼は、たったひとつのことだけは決して忘れませんでした。それは、「Ghajini」という男に血の復讐を遂げること。サンジャイはこの名前だけを頼りに、復讐の鬼となって殺戮を開始するのです。

「15分しか記憶を維持できない」脳障害、という設定から、『ダークナイト』のクリストファー・ノーラン監督が2000年に製作した『メメント』という作品を思い出された方も多いかと思います。『メメント』ではストーリーの時系列を逆に描いてゆくというトリッキーな構成が特徴的でしたが、この『Ghajini』ではポラロイドカメラやメモ、体に施す入れ墨といった形で記憶を保持しようとする主人公、といった部分は似ていても、この設定自体をテーマにしたものではなく、むしろサスペンスを高める為、あるいは物語のユニーク化を図る為、といった形で設定が持ち込まれます。その為、時々「もう15分ぐらい経ってる筈だけどまだ記憶そのままっぽい」なんて部分もありますので、この辺はあまり厳密に観ないほうがいいでしょう。

その代わりこの物語で大きくクローズアップされるのは、幸福だった過去の描写と、それが無慈悲に打ち砕かれてゆく悲劇、というあまりに残酷な展開です。そして復讐鬼と化した主人公の恐るべきバイオレンス描写と、彼が標的とする犯罪組織の恐怖です。記憶喪失患者の復讐劇、というとジョニー・トーが監督した2009年の香港/フランス映画、『冷たい雨に撃て、約束の銃弾を』がありましたが、この『Ghajini』にも「苦痛や絶望の記憶すらも喪失しているにも関わらず、その苦痛と絶望を無理矢理思いだし、血を吐く思いで標的に近付いてゆく主人公の切なさ」といった部分があります。

この映画で何がスゴイって、なにしろアーミル・カーンのキャラ分けぶりでしょう。復讐鬼として生きる彼はゴリラのような筋肉と入れ墨だらけの体、痛々しい頭の傷と狂気の宿った瞳、という鬼気迫る容貌なんですが、CEOとして過ごしていた頃の彼は、粋なスーツをさらりと着こなし、柔らかな笑みを浮かべ優しげに語りかけるスマートな男なんです。映画を観るとこの対比に驚かされることでしょう。そして悲劇のヒロイン・カルパナを演じるアシンも、妖艶な美女の多いインド女優とはまた違う爽やかな軽やかさを感じさせる美人女優です。一方医学生スニーターを演じるジヤー・カーンはアシンの陰に隠れた形となり、魅力を発揮できていないように思えました。あと、音楽を担当するのはあのA・R・ラフマーン。

ところで映画の構成を見て気付いたのですが、「ある事件の起こった後に存在する現在」が最初に描かれ、その「ある事件」を振り返る形で過去を描き、それを踏まえた形で再び現在を描く、といった構成というのはシャー・ルク・カーン主演の『命ある限り』や、アーミル・カーン主演の『きっと、うまくいく』あたりでも見られ、その他最近視聴したインド映画でもそういった構成のものがあったような気がするのですが、これはインド映画のお家芸って所なんでしょうかね。この構成だと尺も長くなりますが、2本分の映画を見せられているような大盛り感がありますね!

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20141016(Thu)

[][]顔を変えられた男の二つの復讐譚〜映画『Yevadu』 顔を変えられた男の二つの復讐譚〜映画『Yevadu』を含むブックマーク 顔を変えられた男の二つの復讐譚〜映画『Yevadu』のブックマークコメント

■Yevadu (監督:ヴァムシー・パイディパッリ 2014年インド映画)

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物語性重視のボリウッドムービーが続いたので、物語があんまり面倒臭く無い、単純明快なB級なアクションが観たくなり、テルグ語映画のこの作品を選んでみた。

物語の発端はインド南東の街ヴァイザーグ。サティヤ(Allu Arjun)とディープティ(Kajal Agarwal)は相思相愛の仲だったが、地元のヤクザ、ヴィール・バーイ(Rahul Dev)に因縁を付けられ、彼の手下に追われていた。ハイダラーバードに逃れようと深夜バスに乗り込んだ二人だったが、ヴィール・バーイの手下どもに発見され、二人ともどもナイフの餌食にされたのちバスには火がつけられる。しかしサティヤだけは顔面に大火傷を追いながらも生きながらえていた。女外科医シャイラジャ(Jayasudha)はそんなサティヤに大掛かりな整形手術を施すが、その顔はなぜか別人のものだった。

顔を変えられた理由が分からないままサティヤは病院を抜け出し、ヴィール・バーイとその一味への復讐を開始する。そんなある日、サティヤの姿を見かけたある男がその顔に驚愕し、サティヤに襲いかかる。その男はハイダラーバードのマフィアの親分ダルマ(Sai Kumar)の手下だった。実は変えられたサティヤの顔の正体はチャラン(Ramcharan Teja)という男のものだった。チャランはかつて、スラムの住民に暴力的な立ち退きを要求していたダルマの一派に先頭となって争っていた男だった。そしてそのチャランの母が、サティヤに整形手術を施した医師シャイラジャだったのだ。チャランの身に何があったのか。そしてチャランの母はサティヤに何をさせようとしているのか。

この物語の面白い部分は、まず一つが九死に一生を得た男が、別の男の顔を得て復讐に乗り出す、といったところ、もう一つは、もともとのその顔の持ち主になにがあったのか、という謎に迫るところ、そしてもう一つが、新たな顔を得た男が、もともとの顔の持ち主の復讐にも乗り出す、というところだ。顔を変えられた男の復讐譚、というのはハリウッド映画を探せばありそうな気もするが、ちょっと自分では思い出せない。顔を取り替えらえた者同士の『フェイス/オフ』というアクションもあったが、この物語とはちょっと流れが違う。どちらにしろ、ありえないシチュエーションの物語ではあるが、その有り得なさが逆にこの物語をユニークなものにしているのは間違いない。

物語の流れは以前観たインド映画、『Rowdy Rathore』に似ていなくもない。『Rowdy Rathore』では主人公が同じ顔の別人と間違われ、その別人の男に成り替わって復讐を成し遂げる、という物語だった。調べると『Rowdy Rathore』自体、とあるテルグ映画のリメイクだというから、この『Yevadu』もテルグ映画ではお馴染みのシチュエーションを、換骨奪胎して描かれたものだということもできるかもしれない。それにしても、一つの映画の中で自分の復讐と他人の復讐の二つを成し遂げる、という構成になっている部分がなにしろ面白い。こんな物語だからアクションもたっぷり、テルグ映画らしい非常に残酷でバイオレンス描写の濃厚な映画として仕上がっている。

また、バイオレンス映画ではあるが、極彩色で実に楽しげな歌と踊りはきちんと盛り込まれており、物語の緊張を一気に昇華し楽しませることも忘れていない作品だ。一見水と油のように思われるかもしれないが、意外とこのバイオレンスの中の歌と踊りというのは、殺伐としがちな物語を豊かなエンターティンメントに変える力を持っているのだ。これはインド映画が、映画を最初から「絵空事」と認識しているからこそなのだろう。下手なリアリズムなど退屈で面白味の無いものであることが分かっているのだ。それと併せこの物語、顔が変わる前、変わった後、さらにその顔の本当の持ち主、という3人の男にそれぞれヒロインがいる、というのがなんだか面白い。

それにしても、別人の顔に成り替わりながら、その別人の人生にあった無念を果たすべく復讐を開始する、というのは、その別人の人生を生き直す、すなわち、この物語が、ひとつの転生の物語である、ということができはしないだろうか。つまりこの物語はヒンドゥー教の輪廻転生思想に基づくものである、という見方ができるのだ。そしてインド映画における勧善懲悪というのは、それが物語として単純明快な楽しさがあるからというのと同時に、因果応報の法則に則られたものであるからという言い方もできるのだ。そういった部分で、痛快なアクション映画ながら、インドの心象も見え隠れする作品としてこの『Yevadu』は面白かった。

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20141015(Wed)

[][]インドのキラッキラな学園ドラマ〜映画『スチューデント・オブ・ザ・イヤー 狙え!No.1!!』 インドのキラッキラな学園ドラマ〜映画『スチューデント・オブ・ザ・イヤー 狙え!No.1!!』を含むブックマーク インドのキラッキラな学園ドラマ〜映画『スチューデント・オブ・ザ・イヤー 狙え!No.1!!』のブックマークコメント

■スチューデント・オブ・ザ・イヤー 狙え!No.1!! (監督:カラン・ジョーハル 2012年インド映画)

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名門私立高校を舞台に、若者たちが「学園NO.1コンテスト」のトップを目指して競い合い、その中で恋や友情、ライバル同士の火花が燃える!という青春ストーリーです。今年日本で公開されマサラ上映で話題にもなった映画ですね。日本版DVDがリリースされたので観てみました。

舞台となるのは名門私立校・聖テレーザ学園。ここでは毎年、「スチューデント・オブ・ザ・イヤー(SotY)」と呼ばれるその年NO.1の学生を選ぶコンテストが開催されていました。資産家で学園の理事を務める父を持つロハン(ヴァルン・ダワン)はコンテスト優勝の最有力候補でしたが、転校生アビ(シッダールト・マルホトラ)の登場で雲行きが怪しくなります。ロハンはそんなアビを挑発し、最初は険悪な空気が流れますが、いつしか二人には友情が芽生えます。そんなアビにある日、ロハンの恋人シャナヤ(アーリヤー・バット)が近づき、「女たらしのロハンが私だけを見るように協力してほしい」と持ちかけ、引き受けたアビでしたが、そんなやりとりの中、シャナヤとアビは恋に落ち、そしてそれをロハンに知られてしまうのです。

高級車、ブランド品、自家用ジェット、もう「どこのバブルやねん」と思っちゃうほどゴージャス極まりないキラッキラの学園生活が描かれていましたね。インド経済自体は映画公開年の2012年には失速していますが、まあ持ってる人は持ってるってことでしょう。もちろん映画ならでは誇張もあるのでしょうが、こんなキラキラぶりを楽しむのもこの映画の見どころのひとつかもしれませんね。ただしこの物語では皆が皆お金持ちの家庭って訳じゃなくて、富裕層の学生と中流階級層の学生とではっきりと分かれているんですね。主人公であるカップル、ロハンとシャナヤは富裕層ですが、転校生アビは中流階級です。しかしアビ自身も「SotY」を獲得することで得られる特待制度を狙っているんですね。一方ロハンは富裕層のプライドを満足させるためにコンテスト優勝を狙っているのでしょう。

しかしこの映画ではそういった経済格差を描くのが主眼ではありません。また、アビがもともとスポーツ万能であること、そしてアビとロハンに早い段階で友情が芽生えることから、ハリウッドの学園ものによく見られるスクールカーストを描くものでもないんです。主眼となるのはシャナヤを巡るアビとロハンの諍い、そしてあくまでも「SotY」というコンテスト競技そのもののエキサイティングぶりなんですね。そもそもこの競技、クイズ・ダンス・トライアスロンの3つを競うんですが、トライアスロンはまだしも、クイズにダンスって、「なんじゃそりゃ?」って感じですよね。まともに受け取ると相当馬鹿馬鹿しいのですが、夢みたいにバブリーな世界と珍妙な競技を描くこの作品、これはこれでコミック的な展開を目指した青春映画なんだと思えば十分楽しむことができるんですよ。

しかし決してお気楽なだけのオチャラケ物語というわけではなくて、この作品には『きっと、うまくいく』にも通じる競争社会への批判や風刺がきちんと盛り込まれ、ピリリと締めているんですね。さらにヴァルン・ダワン、シッダールト・マルホトラ、アーリヤー・バットというインド映画界では今をときめく3人の若手スターを早い段階から起用し、話題になった作品でもあります。特にアーリヤー・バットのこの映画の後の大活躍ぶりには目を見張るものがありますね。そういった部分の新鮮さも魅力のひとつとなりでしょう。もうなにしろ男優二人がなんだか知らないけど頻繁に裸体を晒し、そのくっきり割れた腹筋を見せつけてくれちゃってるもんですから、一緒に観ていた相方さんが時折瞳孔開いた顔でよだれ垂らしてたぐらいですよ。いやー割れた腹筋ってねェ…生まれてこの方腹筋なんて割ったことのないオレには今後も無理っすよ!

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20141014(Tue)

[]カピバラに会いにマザー牧場カピバラに会いにマザー牧場へを含むブックマーク カピバラに会いにマザー牧場へのブックマークコメント

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この3連休は関東にも台風上陸と聞いたので、初日の土曜日に相方さんと二人、さくっと千葉までカピバラに会いに行くことにしました。場所はあの「マザー牧場」であります。アクアラインと電車を使ったのですが、お喋りに夢中になり降車駅を乗り過ごしてしまい、次の電車はと調べたら1時間後!といったトラブルもあったのですが、なんとかお昼過ぎにマザー牧場へと辿り着きました。

さてカピバラに会う前にまずは腹ごしらえ、ということで、開催中だった「ビア・ソーセージ祭り」に潜り込み、お昼っからビールクズ状態!ぶはっビールうめええ!

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「ぐふふ…ビールいいねえ楽しいねえ〜これからカピに会えるんだからもっと楽しいねえ〜」とカピの待つ「ふれあい広場」に向かう千鳥足のオレと相方さん。そして…いました。カピです。しかしこの2匹のカピ、定位置に付いたまま彫像のように動きません。微動だにせず「ぬぅ〜ん…」としてます。まあ意外とカピってそんなもんです。ぬぅ〜ん…。

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しかし、飼育係のお姉さんがやってきて餌をあげたところ…おお!カピが動いた!

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とりあえずカピが動いたのを確認してマザー牧場をぶらぶらしてみるオレと相方。マザー牧場って、動物園じゃなくて牧場でしたね…って当たり前か!?

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さて再びふれあい広場に戻ってみると、カピの2匹はさっきよりも活発に動き回ってました。

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それでも見に来ていたお客さんには我関せずといった様子で、ぬぅ〜ん…とした態度を貫き通すカピ。

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とは言いつつ相方さんの撫で撫で攻撃には「ぬぬ?ぬぬぬ〜ん?」と気持ちを和らげているようでした。

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結局閉園の5時までいてカピと遊んでいたオレと相方さんでした。帰りの電車に乗る頃は空も真っ暗だったけど、カピとの思い出に心和ませておりました。

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◎マザー牧場HP

20141013(Mon)

[]小惑星衝突後にタイムスリップした人々が見たものとは〜『天国の魚(パラダイス・フィッシュ)』 高山和雅 小惑星衝突後にタイムスリップした人々が見たものとは〜『天国の魚(パラダイス・フィッシュ)』 高山和雅を含むブックマーク 小惑星衝突後にタイムスリップした人々が見たものとは〜『天国の魚(パラダイス・フィッシュ)』 高山和雅のブックマークコメント

天国の魚(パラダイス・フィッシュ)

書店に行ったら高山和雅の新刊コミックが出ていてびっくりした。え、まだ活動してたんだ!?ということで早速その本『天国の魚(パラダイス・フィッシュ)』を購入、高山独特のSF世界にどっぷり浸ることができた。あー全く健在じゃないか高山和雅。

高山和雅のデビュー作『ノアの末裔』(1986年)は個人的には隠れた名作SFコミックのひとつとして長く心に残っている作品だ。ある日、一部の人間たちを除いて世界中の人々が眠りから目が覚めなくなる。目覚めた人たちは何が起こったのか?どうすればいいのか?という問いの答えを見つけるために街を彷徨うのだ。今は亡き「ガロ」から出版された、という部分でもあまり人の目に触れることの無かった不世出の傑作だった。

しかしオレは高山和雅の名をしっかり心に刻み付け、その後リリースされた『パラノイア・トラップ』『電夢時空』『奇相天覚』など短編・長編を見つければ購入して読み耽っていた。高山は絵やストーリーテリングに癖があったし、決して万人受けするものは無いにせよ、そのSF的ヴィジョンの展開の在り方、ユニークさは実に確固たるもので、どこかの出版社でいつか大ヒットを飛ばすことをオレは夢見ていた。そんな高山の新作を目にして嬉しくない訳がない。

この『天国の魚(パラダイス・フィッシュ)』は小惑星衝突により地球規模の大災害が起こりつつある日本のどこかの孤島から始まる。島に残された主人公たちはそこで過去に残された核シェルターに逃れ危機を回避しようとしていた。果たして小惑星は地球に衝突、激しく揺れるシェルターの中で気を失った主人公たちが目覚めると、なんとそこは1970年の新宿だった…というストーリー。

こうして人類滅亡テーマと思わせながらタイムスリップSFとして始まるこの物語、実はこの後もさらに二転三転、〇〇が〇〇して〇〇が登場し、舞台は宇宙へと広がってハードSFの様相すら垣間見せる、というとんでもない展開を見せるのである。そうしたSF作品でありながら、物語の根幹となるのは決して結び付き合えない人と人の心の悲しさであったりするのだ。もはやこの作品が作者・高山が持てる力を振り絞って描いた渾身の一作であることは間違いない。

流行に全く囚われず、コアでありオールドスクールなSFであることにこだわり続けるこの高山の作品は、多くのSFファンに読んでほしいし、そうしてまた高山が素晴らしい作品を生み出す素地ができたら、オレはなによりも嬉しい。傑作ですよ。

天国の魚(パラダイス・フィッシュ)

天国の魚(パラダイス・フィッシュ)

ノアの末裔

ノアの末裔

電夢時空 (デラックスコミックス)

電夢時空 (デラックスコミックス)

電夢時空2 RUNNER (アフタヌーンKCデラックス)

電夢時空2 RUNNER (アフタヌーンKCデラックス)

[]購入コミック覚書 / 『イノサン(5)(6)』『狼の口 ヴォルフスムント(6)』 購入コミック覚書 / 『イノサン(5)(6)』『狼の口 ヴォルフスムント(6)』を含むブックマーク 購入コミック覚書 / 『イノサン(5)(6)』『狼の口 ヴォルフスムント(6)』のブックマークコメント

■イノサン(5)(6) / 坂本眞一

イノサン 5 (ヤングジャンプコミックス)

イノサン 5 (ヤングジャンプコミックス)

イノサン 6 (ヤングジャンプコミックス)

イノサン 6 (ヤングジャンプコミックス)

フランス史に残る実在の死刑執行人を華麗に描いた物語『イノサン』、「おお、6巻出てたか」と購入して読み始めてから5巻を買ってないことが分かりあわてて購入、無事5巻6巻続けて読むことができた。5巻では新キャラ(?)として主人公の妹が新たに死刑執行人として登場、兄との確執を見せる。それにしてもなんだ妹のあの刈り上げは。さらに主人公の童貞喪失が描かれるのだが、これが時空を超え神とまで邂逅しちゃう、という凄まじいもので、いやーなんちゅーか、大袈裟な芸風に磨きが掛かりまくった漫画であることを思い知らせてくれる。続く6巻ではアマデウスこと若き日のモーツアルト、さらには遂にマリー・アントワネット様が御登場、悲劇の予感を大きく膨らませる。そしてギャル男系の美形男子も石の下の虫みたいに多数湧いて出てきており、半笑い残虐歴史絵巻はいよいよ佳境を迎えるのだ!? 

狼の口 ヴォルフスムント (6) / 久慈光久

宿願果たせるか!? "狼の口"攻略戦、クライマックス!! 関所のすみずみまでヴォルフラムを探す盟約者団たち。城の煙突、その基部に、ヴォルフラムは隠し部屋を作り潜んでいた。狭い室内、ナイフに長けたヴォルフラム、そして、対するは武器を持っていないヴァルターただひとり!長きにわたる物語の果てに、待っているものは…!?

14世紀初頭のアルプス地方を舞台に、ハプスブルク家により占領され、過酷なる圧政に苦しんでいた森林同盟三邦(現在のスイス)が血塗れの反旗を翻す、という歴史物語第6巻。中世の残虐極まりない拷問と野蛮極まりない戦闘シーンが存分に味わえるこの物語もいよいよクライマックス。クライマックスなんだが、実は話はまだ終わらない模様。

HeadacheHeadache 2014/10/13 20:41 イノサン、私は雑誌で読んでるんだけど、4、5週前にミュージカルシーンがあってどんびきました。やれやれと思いながら石ノ森先生の古事記を読んだらそこにもミュージカルシーンがあってもうメタメタにやられた日でありました。

globalheadglobalhead 2014/10/13 20:52 イノサン、もんの凄く巧い絵で「はあ?」と言っちゃいたくなりそうなシチュエーション描くもんだから、真面目なのか冗談なのか分かんなくなっちゃうよね。それにしてもミュージカルシーンっすかあ…まさか踊ったりはしてませんよね…。

HeadacheHeadache 2014/10/13 21:46 耐えられなくてすっ飛ばしたからわかんない・・・コミックスに載ったらむしろ教えてほしいです。

globalheadglobalhead 2014/10/13 22:33 ♪るるるぅ〜私わぁ〜首を落とすのぉ〜そおよぉ〜バッサリよぉ〜 とかなんとか歌いながらヒラヒラレースのお召し物で華麗にステップを踏む死刑執行人、もう想像しただけでワクワク感が止まりません。

20141010(Fri)

[][]ショーン・タンのCGアニメ『ロスト・シング』と絵本『夏のルール』 ショーン・タンのCGアニメ『ロスト・シング』と絵本『夏のルール』を含むブックマーク ショーン・タンのCGアニメ『ロスト・シング』と絵本『夏のルール』のブックマークコメント

■ロスト・シング / ショーン・タン

ロスト・シング DVDボックスセット

この映像作品『ロスト・シング』は、オーストラリアのグラフィック・アーチスト、ショーン・タンが1999年に出版した同名の絵本を基に製作されたCGアニメです。絵本のほうの『ロスト・シング』は以前にレビューを書いたことがあるので、そちらのほうから粗筋を紹介してみましょう。

夏のある日、"ぼく"が海辺で出会った"そいつ"は、なんだかへんちくりんな姿の迷子だった――。この『ロスト・シング』は、名作絵本『アライバル』でその名を知らしめた絵本作家ショーン・タンが2000年に発表した実質的なデビュー作です。

海辺で出会った"そいつ"は、見上げるような大きさの、生き物とも機械ともつかない存在です。その姿は真っ赤なダルマストーブにカニの鋏とタコの足をくっつけたような格好をしていて、大きさの割にはなんだか愛嬌があり、とてものほほんとしたヤツなんです。"ぼく"はどこから来ていったいなんなのかまるでわからない"そいつ"がきっと迷子なのだろうと思う事にし、家に連れて帰って"そいつ"の処遇に考えあぐねます。

『ロスト・シング』は「少年の日の夏の思い出」といった物語の中に、無味乾燥な現実世界への皮肉と、その世界を想像力でもって潤いのあるものに変えてゆく力の大切さを描いています。CGアニメとなって蘇った『ロスト・シング』は原作に忠実に作られています。しかし、アニメーションになり声と音楽が入ったことでより情感が高く、また個々のキャラクターが生き物のように動き回ることによって、その不思議な世界を深く味わうことのできる作品となっています。本編は16分と短いのですが、短い分繰り返しその世界を堪能することができるでしょう。この作品はその完成度の高さから第83回アカデミー賞短編アニメーション部門受賞作品となりました。

また、このDVDでは映像特典として68分にわたるインタビュー、コメンタリー、カット・シーンなどが挿入されていて、さらに「あの想定外の変な生き物は何?」というタイトルの小冊子が添付されています。ショーン・タンの描く不思議な生き物のスケッチが掲載されたこの小冊子は、きちんとしたハードカヴァーで製本されており、この1冊だけでも価値のあるコレクターズ・アイテムになっていて、ファンの方には嬉しいし、作者のことをよく知ら無い方にもその不思議な世界のガイドブックとなることでしょう。

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ロスト・シング

ロスト・シング

■夏のルール / ショーン・タン

夏のルール

そしてこちらはショーン・タンの最新邦訳絵本です。既訳である『遠い町から来た話』(こちらでちょっとだけ紹介しました)で活躍した兄弟がまた夏の日の不思議な冒険を繰り広げる、といった物語になっています。

去年の夏、ぼくが学んだこと。赤い靴下を片方だけ干しっぱなしにしないこと。カタツムリを踏んづけないこと。合言葉を忘れないこと。

まだ世界の全てが不思議に満ち溢れていた少年時代の、その「不思議さ」を可視化したのがこの絵本ということができるでしょう。その世界はどこまでも広く、時間は永遠で、暗闇には巨大な精霊が隠れ住み、生物と無機物の境界は曖昧で、想像したものはすぐさま形となって出現するのです。そんな子供時代の心を在り様を、子供の頃に見ることができた世界の姿を、絵本の形で描いたのがこの『夏のルール』です。

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夏のルール

夏のルール

20141009(Thu)

[]今更ながら日本のスター・ウォーズ便乗映画2本を観てみた〜『宇宙からのメッセージ』『惑星大戦争』 今更ながら日本のスター・ウォーズ便乗映画2本を観てみた〜『宇宙からのメッセージ』『惑星大戦争』を含むブックマーク 今更ながら日本のスター・ウォーズ便乗映画2本を観てみた〜『宇宙からのメッセージ』『惑星大戦争』のブックマークコメント

■宇宙からのメッセージ (監督:深作欣二 1978年日本映画)

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ちょっと調べたいことがあり、日本で『スター・ウォーズ(エピソード4/新たなる希望)』の1978年初公開前に、便乗で制作されたSF映画2作を観ることにした。

スター・ウォーズ』は本国で公開され大ヒットしながら、日本で公開されるまでになんと約1年を要し、その間に映画会社がちゃっかりと便乗映画を製作したというわけだ。タイトルはそれぞれ『宇宙からのメッセージ』(東映)、『惑星大戦争』(東宝)。自分は『SW』の公開を今や遅しと待っていたが、これら便乗作品には全く興味が湧かず今回初めて観ることになった。特にこの『宇宙からのメッセージ』はいちSFファンとしてイメージが悪かった。「無重力空間なのに水泳のように手足をばたつかせて宇宙遊泳する」「酸素マスクだけの姿で宇宙空間に出る」等、芳しくない噂を耳にしていたのだ。それになによりも、「里見八犬伝」が元ネタっていうのが、なーんかダサくてさあ…。

そんな『宇宙からのメッセージ』を、しかも公開から40年近く経ってから観るわけだから、つまらないのは覚悟、もうネタ扱いということで観始めたのだが、なんとこれが、それほど悪い作品ではないことに気付かされてしまったのだ。いや、確かに今観ると古臭いし稚拙だが、悪し様に罵るような作品ではない。娯楽作としてきちんと体を成しているし、SWブームに乗って作られた便乗作品、という言い方も、こうして今いい年のオヤジになって考えると、興業というのはもともとそういうものだろう、という気すらする。

これはなにより監督である深作欣二の職人気質ということなのではないか。自分は深作監督の作品をたいして観ていないので知った口は利けないのだが、少なくともこの『宇宙からのメッセージ』に関してはSFがどうとかSWがこうとかいう以前に、活劇として観客に満足してもらえる作品を作ろうという気概を感じた。それは物語の展開の早さ、エピソードの盛り込み方の充実からうかがわれる。なにしろあれよあれよと話が進んでいくので、疑問を感じたり余計なケチをつけたりする余裕がないのだ。よく考えれば変な部分も(まあ、確かに変なんだが)、とりあえず映画を見ている間は気にならない。この辺が、実に巧いもんだなあ、と感心した。

それと合せ、出演陣が充実しており、しかもどうにも懐かしくて、それもひとつの見応えとなった。宇宙の姫エメラリーダ演じる志穂美悦子はひたすら凛として美しく、ヒーローとなる真田広之は最初どこのジャニーズかと見紛うばかりの若々しさだった。千葉真一は猛々しく、丹波哲郎は怪しげで、小林稔侍はずっこけていた。天本英世などは宇宙の怪奇ババア役だ。悪の親玉を演じる成田三樹夫はひたすら時代劇演技で、可笑しいことは可笑しいのだが、これは深作監督がこの作品をどう理解しているのかを知るきっかけとなった。また、特撮に関しても、特に戦闘機などの造形は今見てもよくできているもののように感じた。

宇宙からのメッセージ [DVD]

宇宙からのメッセージ [DVD]

■惑星大戦争 (監督:福田純 1977年日本映画)

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この『惑星大戦争』は『宇宙からのメッセージ』に先駆けた1977年の公開となる。『SW』の便乗作品としてはこちらのほうが早かったようだ。しかしこの作品、オレは存在自体忘れていたし、そもそも観てもいない。公開当時たいした話題にならなかったのかもしれない。

物語自体は映画『海底軍艦』(これは良い特撮映画だ)の宇宙版リメイクということだが、これは当時のSFブームに便乗したいがための間に合わせ企画といった感もあり、Wikipediaによると正月映画にするためにクランクインは公開の2か月前、特撮の幾つかは『ノストラダムスの大予言』の流用という、非常に急ごしらえの作品であったという。『惑星大戦争』というタイトル自体、最初は『SW』の日本公開時の仮タイトルだったのだ。

こういった前情報込みで、あまり期待せずに観たのだが、実際観てみると作品の出来不出来以前になんだか懐かしい感触のする映画だった。この懐かしさはなんなのだろうなあ、と思って監督の福田純氏を調べたら、どうやら往年のゴジラシリーズを多く手掛けていた監督なのらしい。それと小松左京原作のSF映画『エスパイ』も監督しているという。子供の頃これらの作品を観ていた自分にとって、この監督の作風に懐かしさを感じたのかもしれない。それとは別に、当時の東宝特撮映画の持つその雰囲気に懐かしさを感じたのかもしれない。

この作品でも出演俳優たちに面白さを感じた。なにしろ主演を演じるのは森田健作ではないか。その後いろいろあっただろうが、個人的に森田健作はTVドラマ『おれは男だ!』の主演として非常に慣れ親しんでいたタレントだ(ええ、そういうのをリアルタイムで観ていた年代なんです…)。そしてその相棒役が沖雅也。彼の非業な最期を知るとこの映画が奇妙に感慨深い。それよりもヒロインの浅野ゆう子だ。彼女の全盛期にもオレは全く興味が無かったのだが、こうして今見ると非常に魅力的なお嬢さんではないか。調べると当時17歳だったそうな。映画でも何の脈歴もなく突然露出度の高い衣装にさせられて可笑しかったが、まあそういう要望があっただろうことは想像がつく。

物語展開や特撮に関しては確かに急ごしらえだなあと思わせる寂しさはある。敵の宇宙人は数名しか出ないし、チューバッカを真似たような敵の家畜生物もなんだかゲンナリさせられる。しかし「金星での宇宙戦争」という着想は面白く、また人類の宇宙防衛艦「轟天」のリボルバー銃シリンダーを思わせるギミックもなかなかに楽しかった。また、物語の在り方は『SW』というよりも当時爆発的な人気を誇っていたTVアニメ『宇宙戦艦ヤマト』との類似点が多く見られるような気がした。

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20141008(Wed)

[]最近聴いたCD / Syro / Aphex Twin、Live in Paris 28.05.1975 / Fripp & Eno、Sound + Vision / David Bowie、Art Official Age / Prince、Plectrum Electrum / Prince & 3RDEYEGIRL 最近聴いたCD / Syro / Aphex Twin、Live in Paris 28.05.1975 / Fripp & Eno、Sound + Vision / David Bowie、Art Official Age / Prince、Plectrum Electrum / Prince & 3RDEYEGIRLを含むブックマーク 最近聴いたCD / Syro / Aphex Twin、Live in Paris 28.05.1975 / Fripp & Eno、Sound + Vision / David Bowie、Art Official Age / Prince、Plectrum Electrum / Prince & 3RDEYEGIRLのブックマークコメント

◆Syro / Aphex Twin

13年振りのリリースというエイフェックス・ツインの新作『Syro』。エイフェックス・ツインはリチャード・D・ジェームスの様々な別名ユニットも含め、デビュー前後からまめに追いかけていて、入手できる音源はできるだけ聴いていた。日本におけるライブも2度観ているが、どちらも「唯一無二」とも言える圧倒的なパフォーマンスであり、今でも強烈に脳裏にこびりついている。特に台風の直撃した伝説のフジロック第1回目、どしゃぶりの雨を降らす黒い雲の渦巻く空の下、天上の音楽のごとく響き渡るエイフェックス・ツインの【音】は、ひたすら神々しさに溢れていた(オープンステージにフルチンで飛び出してきたスタッフの印象も強かったが)。「テクノ・モーツァルト」「テクノ・ビースト」の異名を持つ彼もまた、一人の異能であり天才であることは誰もが認めるところだろう。彼の音は、その時代時代において、常に頭抜けたものがあった。頭抜けており、稚気に溢れ、時に暴力的で、そして彼独特の強烈な個人性を感じさせた。さてこの『Syro』、これまでにリリースされたアルバムと聴き比べると随分大人し目に聴こえるのだが、13年を経て彼も老成したということなのだろうか。しかしそう考えるよりも、単に彼独特の気まぐれで、これまで録り溜めしていた膨大な数の未発表曲を、たまたま気分が出てサクッとまとめてサクッとリリースしただけのもののような気もする。いわばリチャード・D・ジェームスの雑記帳披露みたいなものだが、例えば画家ピカソが単純な悪戯書きをしてもそこに天才の片鱗を刻印しているように、この『Syro』も、噛めば噛むほどエイフェックス汁の沁みてくるエイフェックス印の音として楽しむことができるのだ。そして2年後3年後、このアルバムを再び聴いたとしても、その新鮮さは決して失われることなく保存されていることだろう。

◆Live in Paris 28.05.1975 / Fripp & Eno

Live in Paris

Live in Paris

キング・クリムゾンロバート・フリップと元ロキシー・ミュージックブライアン・イーノによるユニット「Fripp & Eno」の1975年に録音されたライブ音源。Fripp & Enoは現在でも思い出した頃にアルバムをリリースしているが、最も重要で中心的な活動は1973年にリリースされた「No Pussyfooting」、1975年にリリースされた「Evening Star」の頃だろう。特に「Evening Star」は、オレのオールタイム・ロック・アルバムに必ず入る1枚だ(あれをロックといえるかどうかはまた別の話だが)。彼らの音楽の基本となるのはイーノ製作によるループ音源にロバート・フリップのギター・インプロビゼーションが乗せられる、といったものだが、非常に実験性が高く、また、その音の様子は「大音量で聴くアンビエント・ミュージック」といった感じだ。というわけでこの『Live in Paris 28.05.1975』はアルバム「No Pussyfooting」「Evening Star」の曲を中心にライブ演奏されるが、音質は決して良いものではないにせよ、当時のライブ会場の狐につままれたような雰囲気が味わえて実に楽しい。3枚組だが、2枚がライブ音源で、3枚目は当時イーノが使用していたループ音源を聴くことができる、これがまた実にアンビエントしていてよい。

Evening Star

Evening Star

◆Sound + Vision / David Bowie

Sound Vision

Sound Vision

2003年に発売されたデヴィッド・ボウイの4CDBOX『Sound + Vision』が再発された。これはボウイのキャリアの中から1969年から1994年までの音源を選りすぐって編集したもので、『Outside』以降の曲は収録されていない。どうせ再発するなら現在までの全キャリアの中からセレクトしたベスト盤BOX-SETで出してくれればいいのに(購入前はそういうBOX-SETだとばかり思っていた)、その辺はどうも片手落ちな気がする。そもそもいちボウイ・ファンとしては彼のリリースしたアルバムは殆ど持っているので、わざわざBOX-SETを買う理由は無いのだが、やはりこういうBOX-SETって「聴く為」というよりは「コレクターズ・アイテムとして所有する為」に購入してしまう。とは言いつつ、幾つかのアルバム未収録・別バージョンものは初めて聴くものがあり、さらにTin Machine時代はすっかり無視していたので、今回のBOX-SETでこれも初体験ということになった。まあ4枚全部通して聴くことは無さそうな気はするが。

◆Art Official Age / Prince

ART OFFICIAL AGE

ART OFFICIAL AGE

プリンスに関してはMTV華やかなりしころの『パープル・レイン』でハマり、それから過去作を遡って聴き、さらにそれ以降、多分『ダイアモンド&パール』あたりまではアルバムを追いかけていた。一旦興味は失せたものの、その後のタイトルも思い出した時に聴いたりしていた。さてこの『Art Official Age』は『20 TEN』から4年ぶりとなる新作だという(ちなみに『20 TEN』は特殊なリリース形態だったために聴いていない)。今回も実にプリンスらしい金太郎飴的なファンク/ソウル・ナンバーが並び、極めて良作である。この人は時代を超越した天才なので、どれほどキャリアを経ても、常に新鮮に聴こえるところが素晴らしい。オレはファンク/ソウルに関しては基本的な部分しか学習していないので、プリンスの「天才」がどういったものなのか説明することができないのだが、今やほとんどエレクトロニカしか聴かなくなってしまったオレがプリンスに関してのみ十分面白い作品だと感じることができるのは、彼の音楽性がジャンルに縛られないものであり、そして非常に完成度の高いものである、ということだからなのだろうと思う。

◆Plectrum Electrum / Prince & 3RDEYEGIRL

Plectrum Electrum

Plectrum Electrum

『Art Official Age』と同時リリースされた『Prince & 3RDEYEGIRL』名義の初作。プロジェクト好きのプリンスによる新ユニット3RDEYEGIRLは女性3名で構成され、ああもうプリンスさんったら女好きだから、と下世話なことを思ってしまったことを許してほしい。『Art Official Age』がファンク/ソウル・アルバムだったのに対し、こちらはプリンス好みの轟音ギターが鳴り響くロック・アルバムだ。そしてこのアルバムも、ロックを聴かなくなったオレが楽しめてしまう、という部分が面白い。ユニットの女性メンバーによるボーカル曲も幾つかフィーチャーされているが、基本的には『Art Official Age』との2枚組アルバムと受け止めて、2枚同時に購入するのが正解だろう。

namaniku_keronamaniku_kero 2014/10/11 16:06 ワズもEvening Star好きー。あれは良い。

globalheadglobalhead 2014/10/12 16:05 Evening Starはいいですよねー。既にロックとか時代とかを超越した名盤です。

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20141007(Tue)

[]『ゲーム・オブ・スローンズ 第三章:戦乱の嵐-前編-』と『水曜どうでしょうDVD全集第21弾』を観た。 『ゲーム・オブ・スローンズ 第三章:戦乱の嵐-前編-』と『水曜どうでしょうDVD全集第21弾』を観た。を含むブックマーク 『ゲーム・オブ・スローンズ 第三章:戦乱の嵐-前編-』と『水曜どうでしょうDVD全集第21弾』を観た。のブックマークコメント

■ゲーム・オブ・スローンズ 第三章:戦乱の嵐-前編-

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陰謀術策の雨あられ!憎しみ!復讐!侵略!殺戮!七王国の玉座を巡り、ウェスタロスは今日も戦乱の嵐さ!…という『ゲーム・オブ・スローンズ 第三章:戦乱の嵐-前編-』であります。あらためて書きますとこの『ゲーム・オブ・スローンズ』、ジョージ・R・R・マーティン著のファンタジー小説シリーズ『氷と炎の歌』を原作とし、2011年から放送されているアメリカHBOのテレビドラマシリーズで、この『第三章:戦乱の嵐-前編-』はそのシーズン3となるわけなんですな。

ラニスター家は相変わらずのドロドロぶりです。王様ジョフリーも例によってアホの子です。"狭い海(ナロー・シー)"の向こう側では3頭のドラゴンを操る金髪娘デナーリスが着々と兵を集めています。スターク家の"北の王"ロブ・スタークはラニスター家打倒を虎視眈々と狙っております。逃走中のスターク家の次女アリアは今まさにラニスター家と合流間近です。同じく逃走中のスターク家の次男ブランは兄ジョンを探して"壁"へ向かいます。そして"壁"の向こうでは野人と仲間になったジョン・スノウが再び"壁"を目指します。

そして、ただでさえ登場人物が多く舞台があちこちに分散し誰が敵なのか味方なのか分からないこの物語、この第3章に来てまたまた登場人物が増え込み入ったお話をなおさらややこしくしてゆきます。新登場人物が増えるたび「…えっと…この人今まで出てたっけ?それとも初めて?」とまごまごします。この物語に関しましてはもはや自分の記憶があてになりません。いっぱいいっぱいです。登場人物が今なぜこの行動を取っているのかすら時々分からなくなります。もうホント涙目です。なにか人物相関図とか物語の流れの書いたチャートが欲しいぐらいです。

そんなわけでややこしさにさらに拍車の掛かったこの『第3章』なんですが、ここまでくると原作者がわざとややこしくしているとしか思えません。そしてこれだけ舞台となる場所が多いのにそれぞれ展開が早いんですね。これが飽きさせず物語に引き込む要因なのでしょうが、次から次に現れる新展開に、「いや…もうそろそろ話を一本にまとめてくれ…」と思えてくるんです。脳の容量を超えてゼィハァしてるんです。しかし原作自体がまだ終わってないこの物語、まだまだどんどんグチャグチャになってゆくんでしょうねい。クライマックスもシリーズ最大最悪のとんでもないことになってたからなあ…。

■リヤカーで喜界島一周/釣りバカ対決!わかさぎ釣り2/水曜どうでしょう祭UNITE2013

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水曜どうでしょうDVD全集第21弾。「リヤカーで喜界島一周」「釣りバカ対決!わかさぎ釣り2」「水曜どうでしょう祭UNITE2013」収録。

「リヤカーで喜界島一周」はどうでしょうメンバーが「団結!」を合言葉に奄美群島の北東部に位置する喜界島をリヤカーで一周しようじゃないか、という企画。これがまたお気楽な内容で、このゆるさがどうでしょうらしくていいわ。「どうリヤカーを引っ張るか?」でアイディアを出しあうんだが、やってみるとなぜだか可笑しなことになり、にもかかわらず気にせず突き進むどうでしょうメンバーのアバウトさも楽しい。そして藤村ディレクターの「ここをキャンプ地とする!」の名言も再度炸裂!冒頭ホテルでの「このベッド、おかしいなあ…このベッド、おかしいなあ」の一幕も大いに笑かせてくれました。

「わかさぎ釣り2」では二手に分かれてわかさぎ釣りのポイントを競うが、途中「冷酒を飲んだら高ポイント」という訳の分からないルールが適応され、みんなこぞって酒を飲み始め、レロレロになってわかさぎを釣るという阿鼻叫喚の様子がとにかく可笑しい。ひどいなあこれ(褒め言葉)。クライマックス、戦いは接戦の様相を呈し、こんなアホな企画なのにハラハラさせられた。こいつら最強だな。

水曜どうでしょう祭UNITE2013」は2013年、北海道真駒内で行われたファン感謝祭を収めたもの。これまでのどうでしょう歴代ランキングが披露され、思い出深いあのシーンこのシーンが再現される。そして大泉君は実は全然料理ができないことも暴露されていた。個人的には集まった北海道の観客の皆さんの顔を見て、元北海道人の俺はちょっと和んだ。

[]購入コミック覚書 購入コミック覚書を含むブックマーク 購入コミック覚書のブックマークコメント

■カオスノート / 吾妻ひでお

カオスノート

カオスノート

『アル中病棟』の後に書かれたという吾妻ひでお氏の徒然妄想日記。相変わらずの女子高生・未確認軟体生物・SF的奇想で埋め尽くされた吾妻氏の妄想がねっとりと日常を侵食してゆく様子が描かれる。十分クオリティも高いし、存分に吾妻ワールドに浸れる作品であるが、なんか読んでいて、「あ、オレもうこういうのいらないな」とも思えてしまった。

きのう何食べた?(9) / よしながふみ

きのう何食べた?(9) (モーニング KC)

きのう何食べた?(9) (モーニング KC)

日常的な手料理のレシピと主人公であるゲイ・カップルのドラマが毎回乖離しているという恐るべきコミックだが、今回も買ってしまった。申し訳ないのだが主人公たちに共感できるものが何もないんだよなあ。それにしても弁護士って遅くまで仕事している忙しい職業ってイメージなのだが、それでも帰ったらちゃんと料理作っているって、主人公の方いつも定時なのかしらん。それとも遅く帰ってからでもきっちり作ってるのかなあ。

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20141006(Mon)

[]僕らは決して離れない〜映画『悪童日記僕らは決して離れない〜映画『悪童日記』を含むブックマーク 僕らは決して離れない〜映画『悪童日記』のブックマークコメント

悪童日記 (監督:ヤーノシュ・サース 2013年ドイツ・ハンガリー映画)

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第2次大戦の最中、寂れた農園に住む祖母の元に疎開させられた双子の少年が、そこで体験する過酷な日々を生き延びながら日記に綴ってゆく様を描く作品である。原作はアガタ・クリストフのベストセラー同名小説。

そこはヨーロッパのどことも知れぬ国、双子の少年が疎開させられた先に住む母方の祖母は、人々から「魔女」と呼ばれる粗暴で偏屈な老婆だった。双子の少年は老婆の情け容赦ない仕打ちに耐えながら、そこで農作業と家事に従事し、独学で読み書きを覚え、自虐的なまでの方法で肉体と精神の鍛練をお互いに課した。彼らは盗みや恐喝をすることすら厭わず、ナチスの性倒錯者の将校や、コソ泥を続ける隣家の娘と出会いながら次第に成長してゆく。そして戦争はようやく終わりかけようとしているように見えたが――。

「戦争の悲惨」により様々な惨たらしく、そしておぞましいものを目にし、それを体験しながらも、その中でなんとしても生き延びようとする少年たちの物語である。少年たちは常に暴力にさらされ、その目の前には夥しいまでの死が溢れるが、彼らは過酷な「鍛錬」を通してそれを乗り越えようとする。彼らは残酷な現実に対して決して嘆くことも逃げ出すこともせず、そしてお互い以外の者を一切頼らず、抜け目なく、徹底して現実的に対処してゆこうとするのだ。この、年端もいかぬ子供にあるまじき逞しさと狡知はなんなのだろうか。それを子供ならではの適応力ととってもいいのだが、彼らの行う過激ながらどこか子供じみた「鍛錬」の成し方に、彼らがこれら一切を一つの「冒険」として乗り越えようとしているように見えてしまうのだ。それは非常にグロテスクで遣る瀬無い冒険ではあるが、そもそも彼らの置かれた現実そのものが、実はグロテスクで遣る瀬無いものではないのか。

彼らはお互い以外を信じない。また、お互いに信頼を寄せた者しか信じない。それ以外の、国家も、信条も、規則も、彼らは一切信じようとしない。なぜならこれら全ては、常に彼らを裏切り続けてきたものだからだ。と同時に、それは子供には理解できないものだからだ。彼らはあらゆるイデオロギーを否定し無視するが、それは戦時という破壊的な状況があらゆるイデオロギーを無効にしてしまっているからである。だからこそ彼らはまさに今通用する流儀だけで生き、そして生き延びる。逆に、なんらかのイデオロギーに、従来的な価値観や慣例に縛られた大人たちは次々と命を落としてゆく。こういった中で、未だ誰も足を踏み入れたことのない、なんらかの価値観で染められたことのない世界で生きようとするからこそ、彼らの生は冒険となるのだ。

こうして彼らだけのルールで生きるこの双子の兄弟は、徹底した反倫理の中で、けだものののように逞しく、そして残酷だ。母親との別れに涙した後に、一切の感情を見せないこの双子は、この過酷な現実を現実とは見なさず、過酷ではあるが、乗り越えなければならない冒険と見なすのだ。だから、一見「現実的」に見える彼らの行動は、実は彼らにとってのこの世界が「非現実的」であり、そこに感情を差し挟む必要が無いからこそ、どこまでもドライで、そして冷徹な行動となって、即ち「一見現実的」な行動として成されてゆくのだ。

そういった点で、この物語は奇妙にねじれ、そしてグロテスクなものではあるにせよ、決して「戦争の悲惨」と「それにより虐げられた幼い兄弟」といった、ありていのテーマのみを描いた作品ではない。また、ここで描かれる「双子」は、「最も強く濃密な繋がり」であり、「強烈な精神的感応」であるものを具現化した存在であり、であるから、実は普通の兄弟でも親子でも、夫婦でも恋人でも、親友や師弟でも構わないのである。つまりこの物語は、「一つの濃密な繋がりの生み出すけだもののような生命力」を描くものであり、そして「その生命力でもって、何者にも縛られず生き延びる様」を描いたものなのではないかと思うのだ。だからこそあのラストに、「孤独に生きることに生き延びる術はあるのか」といった問いを残しているように感じるのだ。

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悪童日記

悪童日記

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20141003(Fri)

[][]2011年〜2013年インド映画ボックスオフィス・トップ10作品全30作レヴュー 2011年〜2013年インド映画ボックスオフィス・トップ10作品全30作レヴューを含むブックマーク 2011年〜2013年インド映画ボックスオフィス・トップ10作品全30作レヴューのブックマークコメント

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2011年から2013年までの3年間に渡るインド映画ボックスオフィス・トップ10作品30作品を全て観て、その全てのレヴューを書いた。ここでその作品と本ブログでのレヴュー記事のリンクを貼っておく。内容としては以前書いたブログ「オレとインド映画〜あるいは如何にしてオレはハリウッド作品を観るのを止めインド映画に傾倒したのか」と重複するのだが、ここで改めて紹介する形にさせてもらった。

さてレヴューとは言っても、オレはインド映画を意識して観始めてから半年にも満たない【にわか】である。インドにもインド映画にも知識の浅い人間である。だから古くから愛情を持ってインド映画に接し、知識造詣の深い多くの方から見ると浅はかであり理解の足りない素人感想であることは重々承知している。それを痛感しつつレビューを書き続けてきたのは、自分がそうであったように、インドのことをよく知らないでインド映画をこれから観ようとする方の側に立ってみてもいいのではないか、と思ったからだ。そうして敷居を低くして、インド映画の素人でも、ここまで楽しめる、といったことを示してみたかったのだ。このレヴューに関しても、そういった方たちに何かの参考になればと思い恥ずかしながら掲載することにしたのだ。

知識が浅いままでも拙いので、自分なりに分からない部分を調べたり、古くからインド映画レビューをされている方たちの素晴らしい解説を読ませていただいたりはする。ただ、自分はあの知識の深さに達することは無理だとは思っている。膨大な数のインド映画を数をさかのぼって全て観るのは不可能だし、そもそもヒンディー語は全く理解できないし、英語すら不自由な人間なのだ。切磋琢磨はするが、頑張ってもそこそこにしかならないだろう。そんな底の浅い人間の書くものではあるが、お暇なときに戯れで眺めてもらえれば嬉しいかもしれない。

とまあ見苦しい言い訳はここまでにして本題に入ろう。今回、2011年〜2013年インド映画ボックスオフィス・トップ10作品を列挙し、そのレビューをリンクするのと同時に、それぞれの年代における個人的な【お勧め作品】を年ごとに3作ずつ挙げてみることにした。これも賛否両論あるかとは思うが、あくまで「個人的な視点と嗜好によるもの」である、ということをご留意されたい。また、トップ10作品よりも圏外の作品のほうが面白かった年もあったが、あくまでトップ10にこだわることにした。ではいってみよう。

■2013年ボックスオフィス・トップ10

Top 10 Bollywood Movies in 2013 by Box Office Collection

1.Dhoom 3 (Hindi) / 261.32 Crore

2.Chennai Express / 208.44 Crore

3.Yeh Jawani Hain Deewani / 185.83 Crore

4.Krrish 3 ( Hindi) / 181.11 Crore

5. Goliyon Ki Rasleela Ram-leela / 112.67 Crore

6.Bhaag Milkha Bhaag / 108.87 Crore

7.Race 2 / 96.34 Crore

8.Grand Masti / 92.13 Crore

9.Aashiqui 2 / 78.42 Crore

10.Special Chhabis / 66.8 Crore

この中でお勧め3作は:

Dhoom 3…インド映画史上最高の売り上げを記録したハイテンション・ノンストップ・アクション・ムービー。畳み込む様に繰り出される凄まじいまでの超絶アクションを堪能してもらいたい。

Chennai Expressシャールク・カーンディーピカー・パードゥコーン主演、南インドを舞台に繰り広げられる恋あり笑いありアクションありの娯楽作。

Goliyon Ki Rasleela Ram-leela…華麗なる映像美にひたすら圧倒されるインド映画版『ロミオとジュリエット』。

■2012年ボックスオフィス・トップ10

Top 10 Bollywood Movies in 2012 by Box Office Collection

1.Ek Tha Tiger (邦題:タイガー 伝説のスパイ) / 186Crore

2.Dabangg 2 / 155Crore

3.Rowdy Rathore / 133Crore

4.Agneepath / 120Crore

5.Housefull 2 / 114Crore

6.Barfi (邦題:バルフィ!人生に唄えば) / 106Crore

7.Jab Tak Hain Jaan (邦題:命ある限り) / 101.25Crore

8.Bol Bachchan / 100Crore

9.Talaash / 93Crore

10.Son of Sardaar / 88.5Crore

この中でお勧め3作は:

Rowdy Rathore…もうケチな泥棒とは呼ばせない!悪党どもは俺が倒す!人違いされた泥棒が反撃するスーパー・バイオレンス・アクション・ムービー。

Agneepath…憤怒に燃え愛と復讐に生きる男がたどる数奇な運命を描いた怒涛の名作映画。

Barfi(邦題:バルフィ!人生に唄えば)…今年日本で公開され大好評を博した聾唖の青年が巻き起こすハートフル・コメディ。

■2011年のボックスオフィス・トップ10

Top 10 Bollywood Movies in 2011 by Box Office Collection

1.Bodyguard / 140.95 Crore

2.Ready / 121.26 Crore

3.Ra One (邦題:ラ・ワン)/ 114.78 Crore

4.Don 2 (邦題:闇の帝王DON ベルリン強奪作戦) / 106.22 Crore

5.Singham / 97.87 Crore

6.Zindagi Mile Na Dobara / 89.85 Crore

7.The Dirty Picture / 79.76 Crore

8.Rockstar / 67.63 Crore

9.Mere Brother Ki Dulhan / 59 Crore

10.Delhi Belly / 57 Crore

この中でお勧め3作は:

Ra One (邦題:ラ・ワン)…ゲーム世界から飛び出してきたヒーローと悪の使者が戦うサイバーなSFアクション映画。

Singham…俺の名はスィンガム!町の正義は俺が守るッ!!(ガオーッ!)暴れん坊警官が繰り出す重力無視の爽快アクション・ムービー。

The Dirty Picture…80年代のインド映画界、きわどさを売りにして一躍スターダムに登りつめたある女優を描く実話を元にして製作されたドラマ。

■(おまけ)ボックスオフィス・オールタイム・ベスト10 (※2013年度まで)

Top 10 Bollywood Movies of AllTime by Gross Box Office Collection

1.Dhoom 3 (Hindi) / 502.67 Crore*

2.Chennai Express / 395 Crore

3.3 Idiots (邦題:きっと、うまくいく) / 392 Crore

4.Ek Tha Tiger (邦題:タイガー 伝説のスパイ) / 310 Crore

5.Yeh Jawani Hain Deewani / 302 Crore

6.Krrish 3 ( Hindi) / 300 Crore

7.Dabangg 2 / 251 Crore

8.Bodyguard / 230 Crore

9.Dabangg (邦題:ダバング 大胆不敵) / 215 Crore

10.Jab Tak Hain Jaan (邦題:命ある限り) / 211 Crore

この中でお勧め3作は:

3 Idiots(邦題:きっと、うまくいく)…現代インドに生きる若者たちの人間模様を笑いと涙で綴った感動作。

Dabangg(邦題:ダバング 大胆不敵)…ウルトラ暴力警官参上。インド映画の在り方すら変えた大傑作アクション。

Jab Tak Hain Jaan(邦題:命ある限り)…爆弾処理班の男が過去に体験した悲劇の別れと再会を描くラブ・ロマンス。

■まとめのようなもの

さて若干総括めいたものを書かせてもらうと、これらの作品を観て、2011年から2013年までのたった3年間でも、インド映画というものが驚くべき早さで洗練されてきているのが如実にわかるのだ。

それは世界マーケットに十分通用する作品を目指しての結果ということもあるだろう。ただ、それだけではなく、製作者なり監督なりインド映画に携わる者が、常に試行錯誤しながら新しい表現の形を求めていることの表れでもあるのだ。この進化の早さは、当然観客の嗜好の変化もあるにせよ、まだまだインド映画という世界には、ここまで洗練されながらも、まだ大きなのびしろがあるということを証明するものなのだろう。

なお、本年である2014年度公開作に関してもDVD化され次第ぼちぼち観ている最中なのだが、やはり2014年も非常に面白い作品が多く並び、なかなか楽しませてくれている。レヴューが書けたらまた更新しよう。

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20141002(Thu)

[][]「汚れた女優」の栄光と没落を描く傑作映画『Dirty Picture』 「汚れた女優」の栄光と没落を描く傑作映画『Dirty Picture』を含むブックマーク 「汚れた女優」の栄光と没落を描く傑作映画『Dirty Picture』のブックマークコメント

■Dirty Picture (監督:ミラン・ルトゥリア 2011年インド映画)

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80年代のインド映画界にきわどさを売りにして一躍スターダムに登りつめた女優がいた。彼女の名はシルク。映画『Dirty Picture』は実話を元に、「汚れた女優」シルクの数奇な女優人生を描いた作品だ。

女優に憧れるレーシュマー(ヴィディヤー・バーラン)はどこのオーディションでも落とされっぱなしだった。しかし、なんとかもぐりこめたバックダンサー役で挑発的なダンスを踊るとこれが大ウケ、一躍注目を浴びることになり、これを境に彼女はシルクという芸名を名乗りセクシー女優としてスタートしはじめる。そして人気男優スーリヤカーント(ナッスルディーン・シャー)と関係を持ち、彼の取り計らいで次々とヒット作に出演、その人気を不動のものにした。しかし周囲はそんな彼女を「汚れた女優」として蔑むものも現れはじめた。

枕営業の汚れた女優」という粗筋を知った時は「キワモノ映画か」とも思ったが、実際に観てみるとその印象は全く違ったものだった。思いもよらぬほど素晴らしい作品であったばかりか、いろんな意味で掟破りの破天荒な作品だったのだ。ある意味画期的ですらあるかもしれない。

まずその性表現の在り方だ。いや、実際のところこの映画には本当にきわどいシーンなど一切ない。裸はもちろん、セックスシーンもほのめかされるだけだ。嘘の喘ぎ声を上げるシーンのみが唯一きわどいかもしれない。日本なら放送時間さえ考慮すればTVで放送しても問題ないと思われるぐらいだ。しかしこれはインドの映画だ。性表現に厳しいインドでは、この程度の表現しかなくとも成人指定になったのだそうだ。別にインドで成人指定になったから凄い、ということを言いたいのではなくて、この作品の持つテーマを十分製作者側が理解していたからこそ、例え成人指定という上映に制限がある形態になったとしても、この映画を作り上げた、という部分に意気込みと完成度への自信が感じられるのだ。

もう一つは、この映画がそのまま映画、そしてインド映画そのものへの批評になっている、という点だ。映画製作がテーマになっている以上、この映画では制作現場が頻繁に描かれる。そこでの製作者、監督たちの思惑、さらに観客たちの反応、といったものの描き方に、どこか皮肉めいたものを感じさせるのだ。セクシャルな煽情はご法度かもしれない。しかし娯楽映画の殆どはなにがしかの煽情で成り立っているではないか。その煽情に観客が湧くのではないか。マッチョな男優の胸板に、美しいヒロインの腰つきに、観客は魅せられる。恋のときめきに、炸裂する殴り合いに、観客は魅せられる。これらどこからでも性的な直喩・暗喩が見いだせるものに対し、あからさまに性的なものは劣ったものなのか。そういった問いかけがこの作品にはある。

この批評性が最も分かり易く顕著に表現されているのが主人公と男優が撮影中の映画で踊るダンスシーンだ。本来ならインド映画の華でありハイライトであるこのダンスシーンを、この映画ではどこまでも薄っぺらく皮肉めいて描くのだ。そしてそこで流れる音楽すらも、完成度こそ十分に高いものであるにもかかわらず、紋切り型で軽薄なディスコ・チューンとして作り上げている程なのだ。これらダンスシーンは、「セクシー女優シルクが挑発的に踊って踊って踊るまくる!」といったシーンなのだが、なにしろそれほどきわどいものではない。だがインド映画のダンスシーンは、そもそもダンスといったもの自体が、セクシャルな煽情で成り立っているではないか。そんなインド映画では当たり前のダンスシーンですら、煽情的であるという意味でなら「汚れた」ものとなってしまうのではないか。

そしてこの作品で主人公シルクを演じるヴィディヤー・バーランの圧倒的な力量だろう。彼女に関してはサスペンス・ミステリーの白眉とも呼べるインド映画『Kahaani』 でもその魅力を堪能したが、この『Dirty Picture』でも素晴らしい演技を見せつけてくれた。「汚れた女優」というインドでは難しい役柄であっても、単に媚態を垂れ流すいやったらしい演技に堕することなく、むしろタブーに顔をしかめるだけの連中を哄笑をもって否定する意志の強さと堂々した態度でもって演じ切っていた。しかもこのヴィディヤー・バーラン、落ちぶれたシルクを演じるためにわざわざ体重を増やし、ぶよぶよのお腹をスクリーンに映し出すほどに役作りをしているのだ。こういった女優としての覚悟にも感嘆させられた。

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しかしこの曲の軽薄さ、最高だなあ。踊りのシーンもわざと薄っぺらく作ってあり、この皮肉の効き具合が素晴らしい。
"Ooh La La Tu Hai Meri Fantasy" Full Song | "The Dirty Picture" | Vidya Balan

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Happy New Year Box OfficeHappy New Year Box Office 2014/10/12 22:57 Awesome information, thanks for sharing

globalheadglobalhead 2014/10/13 10:33 Thank you for your comment on my blog. I want to see the "Happy New Year" in Japan soon.

20141001(Wed)

[][]ボクは早撃ちモルガンだよ!〜映画『Quick Gun Murugun』 ボクは早撃ちモルガンだよ!〜映画『Quick Gun Murugun』を含むブックマーク ボクは早撃ちモルガンだよ!〜映画『Quick Gun Murugun』のブックマークコメント

■Quick Gun Murugan (監督:シャシャンカ・ゴーシュ 2009年インド映画)

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インド映画も良作・ヒット作と呼ばれる作品を順繰りに観てきたのだが、この辺で何か変わったもの、珍味的なものが見たくなってきたのである。映画鑑賞も数こなしてくると段々とカルトとかニッチなジャンルのものに手を出して知ったかぶりをしたくなる。それである。困ったものである。

さてそんなオレが今回目を付けたインド映画が『Quick Gun Murugun』。「早撃ちモルガン」といった意味である。早撃ち…そう、この映画、インド映画のくせに西部劇なのである。なんでだかはよく分からない。それよりも主人公のルックス見てくれルックス。脂っぽいヘアスタイルになにやら薄化粧した小太りのおっさん、彼が早撃ちモルガンさんである。おっさん、というかどことなくおばさんっぽい。そしてモルガンさんのカウボーイルックが凄い。テカテカの緑のシャツに豹柄プリントの黄色いベスト、ショッキングピンクのマフラーにオレンジ色のズボンである。なんだかこういうカラーリングのウミウシいなかったか?

さて映画が始まるとそこは1980年代のインドのどこぞの町。ここでモルガンさんが暮らしていたのである。だいたい80年代でカウボーイというのもよく分からないがそれは置いておこう。モルガンさん、映画が始まってすぐ撃ち殺されてしまう。それからどうなるかというと、なんと霊界に行っちゃうのである。のっけから物凄い展開である。そして霊界で「自分には遣り残したことがあるので生き返らせてください!」と頼み込み、もう一度現世に戻してもらうのだ。するとそこはなぜか現代のムンバイ。現れ方が『ターミネーター2』しているのが可笑しい。即ち裸である。ただしパンツは履いている。さてモルガンさんはなぜ撃たれたのか?そしてこの現代のインドの街でなにをやらかすのか?ということでお話が始まる。

実はモルガンさん、ノン・ベジタリアンを世にはびこらせようとするマフィアと戦うベジタリアンの戦士だったのである。確かにインドは宗教上の理由でベジとかノンベジとかにうるさい。うるさいが、それがなぜ戦いになるのか、そしてそれを日本人のオレがどう楽しめばいいのか、対処に困る。そして生まれ変わる前のモルガンさんを殺したのがインドをノンベジだらけにしてしまえ!と企む悪のノンべジ・マフィアのドン、ライスプレート・レッディ(ナッサル)だったのである。このライスプレート(変な名前だ…)、現代のムンバイではノンベジ・ドーサのチェーン店「マック・ドーサ」をインド中にフランチャイズしようと計画していた。「マック・ドーサ」…もろに「マクドナルド」への当てこすりである。ちなみにドーサとは南インドのクレープ的な食い物のことらしい。

といわけで正義のベジ、モルガンさんと悪のノンベジ、ライスプレートの戦いが繰り広げられるというわけである。ここまで書いたように十分何かがおかしい物語なのだが、これからの展開ももっとおかしい。全部拾い上げていくわけにはいかないが、例えばモルガンさんは胸から下げたロケットの写真の恋人といつも語り合う。銃撃戦は『マトリックス』的であり、インドならではの物理法則を無視した戦いとなっていて楽しい。また、ヤシの実を武器として戦うヤシの木忍者との熾烈な戦いが描かれる。モルガンと絡む踊り子のマンゴー・ドリー(ランバ)は金髪の鬘を被ってバブルガムポップみたいな歌を歌う。ライスプレートは最高のマック・ドーサ・レシピを完成させるため町のおばちゃんたちを次々に誘拐しドーサを作らせる。なぜだか分からんがライスプレートは爆弾テロを始める。等々。

こんな具合に素っ頓狂な人たちが現れいろんなものが素っ頓狂にできている素っ頓狂な物語である。こんな物語も含め、映画に現れる全てのものが作り物めいている。モルガンさんをはじめ登場人物たちは皆、感情移入を拒否したような現実味の薄いキャラばかりだ。昔観たハリウッド映画の『ディック・トレーシー』みたいなペナペナのプラスチック感がする。映画自体はテンポが微妙にもったりしている部分が残念だ。だから、映画全体を覆うこの奇妙な味わいをどれだけ楽しめるかで評価が分かれるだろう。少なくともオレは楽しめた。だって、なんだか変なんだもん!それにしてもインド映画、掘れば掘るほどいろんな映画が出てくるなあ。

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